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 この件をきっかけに成人として認められた事で、ザイオンについて領兵と共に戦地に立つ。
 そこで、華々しい戦績も挙げた。
 いずれ、バーナディス辺境伯家を継ぐ身として、国に、ハビエルに、己の存在を認めて貰わなくてはならない。
 マハト王国は、女王を認めていない。
 国王夫妻の子供は王女のみであり、王配を取って女王になる事はない為、全員、降嫁する。
 シャーロットへの求婚が認められるようになったら、真っ先に申し込むと決めていた。
 国政に直接携わる王子の婚約はもっと遅いが、王女の婚約は、早ければ三歳のお披露目パーティに決まってしまうものだ。
 ハビエルの言葉から考えるに、精霊の祝福との付き合い方さえ身に着けば、降嫁先を検討し始めるだろう。
 その時に、名が売れている方が、優先順位が高くなるのは想像に難くない。
 獣人族ではあるが、辺境伯の地位は、王族の縁戚ではない貴族の中での最高位なのだから、身分として十分な筈だ。
 はなから諦めると言う選択は、ヴィンセントにはなかった。
 だが、お披露目パーティ以降、シャーロットの情報は、全く、辺境の地であるノーハンに回ってこない。
 お披露目パーティの翌年、十六歳になったヴィンセントはマハト貴族としての成人の報告の為に、王都の夜会に出席したが、シャーロットの話は噂すら聞く事はなかった。
 同時に、ノーハンにシャーロットの身柄を預けると言う相談がない為に、彼女は精霊の祝福との付き合い方を学んでいる最中なのだ、と前向きに考える。
 表舞台には出さないと言う事だから、王城の奥深くで、大切に育てられているのだろう。
 確かに衝撃的な事件はあったが、精霊の祝福は比類なき力。
 誰よりも尊重されているに違いない。
 シャーロットに見合う為に、より、大きな力を手に入れなくては。
 ヴィンセントの生活が一変したのは、お披露目パーティから五年が経った時だった。
 ヴィンセントは二十になり、自身の部下を着々と増やしていた。
 そんな時、部下の一人から、不穏な噂がもたらされた。
 何年も領主館に顔を出さなかった鼠族のイリナが、ザイオンとの子がいる、と、誇らしげに触れ回っている、と。
 もう直ぐ五歳になる男児、黒い癖毛に榛色の瞳、年齢よりも大きな体格、熊族の特徴、何よりも、ザイオンそっくりの顔立ちをしている、と。
「五歳になるまで、何故、隠していた…?何故、今更、言い出したんだ…?」
 イリナの意図が掴めずに尋ねると、部下――ジェラルドは、憤りを隠さず言った。
「御屋形様そっくりに育つまで待った、ってイリナ本人が言ってるらしいンで。…生まれてからこっち、バレねぇよぉに、家ン中に隠して育てた。最強の子供なンだから、御屋形様も喜ぶ。これで漸く、メリーダ様を追ン出して辺境伯家に入れるって、言ってたそうで」
 ジェラルドは、子供が生まれたばかり。
 愛する我が子が取り上げられるのを恐れて隠すならともかく、ザイオンの隣の席を確実に手に入れる為に黙っていた、と言うイリナの手前勝手な理由に、腹を立てていた。
 家の中で秘して育てられた子供は、どのような成長をしているのか。
 言い方が偽悪的なだけで、母として子には愛情を傾けているのか。
 自慢気に息子の存在をアピールする割には、子供自身の話は聞こえて来ない。
 ヴィンセントは、腹違いの弟の出現に驚きながらも、嘘だ、ありえない、とは思わなかった。
 イリナが領主館を訪れなくなったのは、五年と少し前。
 その頃、ザイオンが、疲れと悔いが滲んだ顔をして、
「もう、イリナがここに来る事はない」
と言った事を、覚えているからだ。
 あれだけ何年も、ザイオンに付きまとい続けたイリナが、すんなり引き下がるとは思えない。
 何らかの取引を行ったのだと、当時も思っていた。
 だがまさか、こんな形で、ザイオンのした取引を知る事になるとは。
 そこまで考えてから、メリーダの事が心配になる。
 ヴィンセントは、自分で想像していた以上にあっさりと、弟の存在を受け入れる事が出来た。
 だが、メリーダは違う。
 ノーハンで受けた心の傷が癒えずに、イリナが領主館を訪れなくなってもアテムに留まっている母は、この話を聞いたら、どれだけ取り乱す事か。
 離縁してくれ、と言いながらも、メリーダがザイオンと決別出来ない事を、ヴィンセントはよく判っていた。
 その翌日。
 アテムから、早馬が来た。
 イリナの子の噂を聞いたメリーダが、衝動的に自殺を図った、と言う。
 ザイオンは、大雨の中、単身、馬で飛び出して…戻らなかった。
 ヴィンセントは、母と父を、同日に失ったのだった。
 悲しみに暮れながら二人の葬儀を終えた時に、イリナもまた、命を絶った、と知った。
 ザイオンの訃報を聞いて、そのまま、家を飛び出し、見つけた時には冷たくなっていた、と。
 番を失った片割れは、長く生きられない。
 だが、イリナには息子がいるのだ。
 あれだけ望んでいた番、ザイオンとの息子が。
 子の為に生きていて欲しかった、と思い、ヴィンセントは、メリーダもまた、息子を残して命を絶つ事を選んだのだ、と苦く思う。
 母にとって、己の存在は、天の花園に発つ前の未練にはならなかったのだろうか。
 両親を亡くし、ヴィンセントの血縁は、母方の祖父母と腹違いの弟のみになった。
 アテム領主夫妻は、メリーダがノーハンから出て行くまでは、ヴィンセントの事を大層可愛がってくれたが、メリーダの件があってからは、ヴィンセントにも面会を許す事はなかった。
 それもまた、ヴィンセントの心の傷となっている。
 腹違いの弟には、イリナが共に暮らしていた血の繋がった祖母がいる。
 祖母が望めば、実際の養育は任せたいが、ノーハン中の注目を浴びている子供だ。
 早く、バーナディス家の保護下に置きたい。
 会いに行った弟は、驚く程にザイオンに似た顔立ちをしていた。
 榛色の瞳は、母親であるイリナに似たのだろう。
 ザイオンの瞳は、ヴィンセントと同じ鼈甲色だ。
「はじめまして」
 五歳にしては大きいが、大柄なヴィンセントの遥か下にある顔を見るため、膝をつく。
「名前は?」
「…」
 答えない弟の後ろで、祖母である鼠族のマチルダが、気まずそうに返答する。
「あの子は…イリナは、この子に名前をつけてない。領主様に、つけて貰うんだと言って」
 それも一つの、愛情だったのだろうか。
 ヴィンセントには、判らない。
「そうか…。父さんは、もういない。お前に名をつけてやる事は、出来ない。代わりに、兄である俺が、名前をつけてもいいか?」
 黙ったまま、じっとヴィンセントの顔を見つめる弟に尋ねる。
 彼は、迷うように視線を彷徨わせていたが、マチルダに背中を押されて、こくり、と頷いた。
「そうだな…では、ウィルヘルムにしよう。初代バーナディスの名だ」
「ウィル…ヘルム…?」
「あぁ、そうだ。ウィルヘルム。お前は、俺の弟だ。これからは、バーナディス家で後見していく事になる」
 ウィルヘルムは、口の重い子供だった。
 マチルダの断片的な言葉から推測するに、イリナは、ウィルヘルムを生んで以降、養育をマチルダに任せきりにして、遊び回っていたらしい。
 番であるザイオンの傍にいたい。だが、それを許されない。
 そのストレスと痛みを忘れる為に、刹那的な生き方をしていたようだ。
 しかし、ウィルヘルムがザイオンそっくりに育った事で、これならば、周囲の後押しを得て、ザイオンの傍にいられる。バーナディス家に入れる。ヴィンセントの代わりに我が子をバーナディス家の後継につける事が出来る。と、浮かれたのだと言う。
「そして、肝心の領主様を失って、死んだ。…業が深いね。番なんて、出会わなきゃ良かったんだ」
 ヴィンセントは、答えられなかった。
 ザイオンが突然亡くなった事。
 最強と呼ばれる番の子、ウィルヘルムの存在が明らかになった事。
 ヴィンセントが何の説明もないまま、ウィルヘルムをバーナディス家の籍に入れた事。
 複数の理由で、ノーハンは荒れた。
 それまで、ヴィンセントがザイオンの跡を継ぐ事を受け入れていた領民の一部が、ウィルヘルムに継がせるべきだ、と、強硬に主張した。
 ウィルヘルムの年齢を理由に、予定通り、ヴィンセントが辺境伯になると、造反する者が現れた。
 例え、ウィルヘルムが優秀であったとしても、まだ五歳にも満たない子供に負担を掛けるわけにはいかない。
 彼は幼く、保護者を失ったばかりなのだ。
 そう、ヴィンセントが説明を繰り返しても、地位に拘泥しているのだ、と、穿って見られる。
 ヴィンセントを否定する者達は、番至上主義であると同時に、半獣人や人族を差別する者でもあった。
 彼等に実力を認めさせ、ノーハン領内を安定させる為に、ヴィンセントは数年を費やす事になる。
 いつ足元を掬われるか判らない緊張感の中で、救いだったのは、ウィルヘルムが優秀な子供だった事だ。
 番の子だからか否か、閉じ込められていた家の中から出たウィルヘルムは、どんどん新しい知識を吸収し、体術を学んでいった。
 年の離れたヴィンセントを兄として慕い、将来的に領地経営の補佐をする事を目標に励んでいる。
 最近は、反抗期なのか少し反発する様子を見せているが、元が聡い子なので、余り心配はしていない。
 忙しく領地を飛び回りながらも、常にヴィンセントの心の片隅にあるのは、シャーロットの存在だった。
 だが、片隅で済んでいる事に、ホッとする。
 番に執着した結果が、ザイオンと、メリーダと、イリナの死だ。
 ヴィンセントがシャーロットを求める事が、彼女の不幸になってはならない。
 ヴィンセントとて、理性では十分に理解出来ている。
 精霊の祝福を受けた王女であるシャーロットと、獣人貴族であるヴィンセントが、何の理由も縁もなく結ばれる事はないのだ、と。
 ヴィンセントも二十代半ばを過ぎ、周囲にそれとなく、伴侶を迎えるよう求められるようになった。
 だが、自分でも驚く程に、異性に興味を持てなかった。
 長身で体格が良く、精悍な顔立ちのヴィンセントに恋慕する女性は、獣人族、人族問わずに多く存在した。
 獣人族であれば、彼の強さは見るだけで判るし、人族と大差ない容姿は、人族の女性にとっても好ましく、同時に野性味があって男らしく感じられるらしい。
 領主としての付き合いで、周辺の人族の領で催される夜会に出席する機会もあったし、領内でも何かと女性に囲まれる機会があったが、どれだけ秋波を送られても、ぴくりとも心が動かない。
 皆、同じに見える。
 勿論、個人として認識して名前を覚える事は出来るのだが、「異性」としての魅力は感じない。
 その状態で結婚等、考えられるわけもなく、多忙を理由に、何とか話を逸らし続けた。
 辺境の地であっても、王族の成人や、結婚の話は回って来る。
 こうして、日々を過ごす中で、シャーロットの結婚の話を聞いたら、諦めよう。
 彼女と添えないのであれば、皆、同じだ。
 選ばれた相手には申し訳ないが、ヴィンセントに出来る精一杯で愛しもう。
 そもそも、シャーロットとだって、あのパーティ以来、会っていないのだ。
 稲妻に打たれたような衝撃を確かに感じたものの、もしかしたら、勘違いかもしれないではないか。
 そもそも、半獣人であるヴィンセントに、番を察知出来るだけの獣の本能があるのかも判らない。
 今となっては、本当に番と出会ったのかどうか、自信がない。
 ただ単に、ノーハンではお目に掛かれないような愛らしい王女だったから、舞い上がっただけなのでは。
 大丈夫。
 忘れられる。
 ――…ナランとの睨み合いの最中、長年、表舞台に出なかったシャーロット王女が、夜会に出席する、との噂を耳に挟んだヴィンセントが咄嗟に取った行動は、自分でも衝動的だったと思う。
 彼は、引き留める近習を振り切って、夜会に参加する準備の為に、領主館に戻った。
 戦地を離れる意図を問う近習達に、ヴィンセントは、ザイオンがかつてハビエルと交わした約束がある事を話した。
 詳細については機密だが、約束を実行した方がいいかどうか、この目で見て判断したいのだ、と告げる。
 機会は恐らく、一度切り。このままでは、胸の奥に刺さった刺のように、時折、何かに触れて思い出されて痛むのだ。
 ノーハンの状況が判っているのか、と、驚き呆れる近習達を、確認さえ出来ればとんぼ返りする、と、どうにか説得して参加した夜会で。
 ヴィンセントは、二度目の衝撃を受けた。
 久し振りに参加した王都の夜会は、平時と何も変わっていなかった。
 ナランとの諍い等、全く知らぬように煌びやかに着飾っている王都の貴族達の姿に、呆れながら目を遣る。
 王都に到着してから懸命に探って、シャーロットの噂は幾つか耳に入っていた。
 ハビエルは宣言通り、シャーロットを表舞台に出していない。
 彼女は、厳重な警備に守られた北の塔で「保護」されている。
 精霊の祝福が失われたとの話は一切聞こえて来ない。
 顔見知りの貴族と談笑しながら、王女であるシャーロットの登場は、盛大な知らせと共に行われるだろう、と、その時を待っていた時。
 何かに誘われるように顔を上げたヴィンセントの視界に、一人の少女の姿が飛び込んで来た。
 艶のある淡緑のドレスは、絹だろうか。
 きらきらと灯りを反射するのは、小粒の宝石だろう。
 顔の横にある髪はきっちりと編み上げられ、残ったくるくると巻いたチョコレート色の巻き毛が、その背を彩っている。
 折れそうな程に細く、人混みに埋もれてしまう程に小柄な体。
 この夜会は、成人を祝う為のものだから、成人を迎えた貴族の令息令嬢と、各家の当主しか参加していない。
 と言う事は、容姿だけ見れば少女にしか見えないが、成人を迎えていると言う事だ。
 異質なのは、顔を隠す目的と思われるヴェールだ。
 未亡人が掛けるような僅かに紗になる薄手のものではなく、完全に顔立ちが見えない程に分厚い。
 だが、何よりも。
 ヴェール越しなのに、目が合った事に気づく。
 そして、体の奥底から湧き起こる、歓喜。
 いた。
 ここに、いた。
 王女の身分であるにも関わらず、ひっそりと、目立たぬように息を殺して、広間の片隅に立っている。
 頭で何か考える前に、体が動いていた。
 驚く彼女に気づいていながら、再会出来た高揚感を押し殺す事が出来ない。
 ヴィンセントは、己の大きな体が、小柄なシャーロットに恐れを抱かせる事を危惧していた。
 戸惑う彼女の目の前に、少しでも威圧感を与えないように跪く。
 俺のつがいだ、と、声を上げて触れ回りたい気持ちを抑えつけて、自分に出せる精一杯の穏やかな声を出した。
「ご気分が、悪いようですね」
 彼女の青い顔に、驚きが滲んだ。
 そんな表情すらも、愛おしくてならない。
 これが、番を求める本能なのか。
 同時に理性が、冷静になれ、と、ヴィンセントにブレーキを掛ける。
 勝手な事をしてはいけない。
 まずは、彼女が現状をどう捉えているのか、確認しなくては。
 幸せに暮らしているのなら、それでいい、と言った気持ちは嘘ではない。
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 幾ら、ヴィンセントがシャーロットを番だと声高に言い立てた所で、彼女が自分を選んでくれるとは限らない。
 彼女が幸せならば、ヴィンセントの幸せの為に強引に求めるような事をしてはならない。
 ――…だが。
 シャーロットは、北の塔でとても幸福そうには見えなかった。
 途方に暮れるように、全てを諦めきったように、微笑む事すら許せない生活が、幸せだとは思えない。
 ハビエルに直談判して、ノーハンに連れて行く許可を得た時は、積年の望みが叶ったと歓喜した。
 一方でヴィンセントは、半獣人である自分が人族であるシャーロットを娶る為に起きる障害も、予想出来ていた。
 獣人族は、仲間意識が強く、祖への尊敬が強い。
 仲間意識とは、獣人族の血が一滴でも含まれていれば人族と異なる扱いがされると言う事であり、祖を尊敬するとは、より純血に近い獣人族が力を持つと言う事である。
 ヴィンセントは、保険を掛けた。
 シャーロットの身の安全と保障の為に、『バーナディス辺境伯の妻』になる事が最も優先順位が高い。
 王女の身分を秘すとは言え、地位も権利もない者では、あらゆる脅威から彼女を守る事が出来ない。
 だが、ヴィンセントがシャーロットと結婚しようとすれば、反対する者もあるだろう。
 元より承知の上だが、ある程度の反対意見ならば、シャーロット自身に被害が及ばない限り、強引にねじ伏せるつもりでいた。
 何しろ、十五年の長きに渡り、想い続けた人なのだから。
 だが…感情論ではない、論破出来ない理由で反対された場合に、無理矢理推し進めるのは、シャーロットの将来を考えると良策ではない。
 その場合は、獣人族であれば誰もが認める番の子、弟ウィルヘルムに、シャーロットを預けるしかない。
 獣人族が人族と結婚する事が、問題なのではない。
 半獣人のヴィンセントが、人族と結婚する事が、問題なのだから。
 ヴィンセントが領主となった前例がある以上、純血のウィルヘルムとの結婚であれば、内心でどう考えるにしても、表立って反対する事は出来ない。
 ウィルヘルムは、貴族としての教育も受けている。
 恋愛結婚が当たり前の獣人族の中で、政略結婚の意味と意義を理解している。
 懇々と説けば、受け入れてくれるだろう。
 本当は、シャーロットの隣に立つのが自分でないなんて、許せない。
 許せる筈もない。
 だが、シャーロットが幸せになる為ならば。
 シャーロットの命を守る為ならば。
 ヴィンセントの独占欲等、掃いて捨てるしかない。
 番と添えない苦しみは、ヴィンセントにしか判らないのだから、彼女が番である事を、誰に知らせる必要もない。
 ウィルヘルムは、贔屓目を抜きにしても、いい男に育ったと思う。
 暫く会えない間に、成人していた事には驚いたが、シャーロットの事を思えば、タイミングに文句のつけようもない。
 ウィルヘルムが成人した理由にシャーロットが関わっている事にも、薄々気が付いていた。
 獣人族の女性は、月の障りを迎え、子を生せるようになると成人するが、獣人族の男性もまた、異性に恋をすると成人したと見做される。
 どれだけ体が成熟したように見えても、家庭を持つ未来を想像出来るようになるまでは、子供なのだ。
 シャーロットに異性としての興味を抱いた以上、ウィルヘルムは、シャーロットを大切にしてくれる筈だ。
 いや、大切にするように、ヴィンセントが目を光らせるから大丈夫だ。
 三歳から外の世界と隔絶されて暮らし、成人してから初めて接する異性であるヴィンセントに、心を許してくれたシャーロット。
 ヴィンセントと距離を置く事への寂しさは、それなりに感じてくれるだろうと自惚れている。
 シャーロットは誠実に、『婚約者』に向き合ってくれたから。
 彼女がひたむきな愛情を向けてくれていた事は、重々に理解している。
 何の障壁もなく添う事が出来たのなら、彼女は生涯、ヴィンセントを大切にしてくれただろう。
 けれど、それは飽くまで、「婚約者はヴィンセント」だと思っていたからだ。
 そんな理由でもなければ、シャーロットがこんなに年の離れたヴィンセントを愛するわけがない。
 十二も年上のヴィンセントより、少し年下でも年が近いウィルヘルムの方が、話も合う筈だ。
 身長だって、ヴィンセントはシャーロットよりも頭二つ半は大きい。
 ウィルヘルムもシャーロットよりも大分大きいが、それでも、圧迫感は少ないだろう。
 まだまだ成長期だろうが、端から大きいのと、共に過ごす中で成長するのでは、受ける印象が異なる。
 婚約者が変更される事に、最初は戸惑うかもしれないが、長い目で見れば、シャーロットは愛し愛される充足感を得られる筈。
 だから…だから。
 胸が切り裂かれる思いで、ウィルヘルムにバーナディス辺境伯の地位を譲り渡すと宣言した。
 何か覚悟を決めた顔をしたシャーロットが、泣きそうに目を潤ませながらも頷いた時、ヴィンセントは自分の予想が当たっていたと思った。
 心の痛みはあるだろうが、シャーロットはきっと、乗り越える。
 同時に、シャーロットが、ヴィンセントでなければ嫌だ、と言ってくれるのではないか、と、心の何処かで浅ましくも期待していた事を、その時に思い知った。
 そんな自分が情けなくて、身を切られるような喪失感に、全ての感情に蓋をした。
 あれから、五日。
 ウィルヘルムは未だに、爵位を受けるとは言わない。
 ヴィンセントを説得しようと話し掛けてくるが、口を開くとシャーロットへの未練が溢れ出しそうで、逃げるしか術がない。
 …どうすれば、良かったのだろう。
 自分が身を引けば、自分以外の誰もが幸せになれるのではなかったのか。
 欲しい、と。
 彼女が欲しい、と、最後の最後まで、言い張って良かったのか。
 執務室に籠り、カーシャに行っていた間に山となった書類に目を通しながら、何度目か判らない溜息を吐く。
 自分を情けないとは思うが、頭の中がぐちゃぐちゃで、思考する事が難しい。
 その時だった。
 ざわり、と、胸騒ぎがした。
 ずっと避けていたシャーロットの悲鳴が聞こえた気がして、ヴィンセントは、二階の窓から外を見る。
 また、聞こえる。空耳ではない。
 焦燥と共に、窓を大きく開き、遠い地面へと飛び降りた。
 執務室は屋敷の中でも奥まっている。これが、最も、手っ取り早い。
「な…んだ、これは…」
 ノーハン領主館は、小高い丘の上に建っている。
 秋が近いとは言え、丘はまだ、青々とした緑に覆われている筈だ。
 だが、ヴィンセントの視界を奪ったのは、じりじりと、だが、確実に押し寄せる茶色く枯れた草の波だった。
「いやぁ……っ」
「…!」
 喉から血が出る程の叫び。
 絶望に塗り潰された声に、ヴィンセントは、考える前に走り出した。
「ロッテ…!」
 何故、名を呼んだのかは判らない。
 安心させようとしたのか。
 そこに彼女がいるのだと、確認したかったのか。
「       」
 ヴィンセントは、シャーロットの、音にならない声で、自分の名を呼ばれた気がした。
 いや、呼んで欲しいと言う願望だったのか。
「シャーロット…?」
 ヴィンセントが、枯死していく草原の中心で見たもの。
 それは、膝をついて目を見開き、大声でシャーロットの名を呼ぶウィルヘルムと、鋭いいばらが大きな繭状となった濃い緑の塊だった。
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