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「…と言うわけで、未婚令嬢の中心的存在であるマクレーン侯爵令嬢達は、落としたわ」
「あぁ、俺も、ランドリック侯爵を始めとした重鎮を、味方につけた」
ダンスを一曲終えて、休憩と言う名のバルコニーでの情報交換タイム。
二人はカウチに横並びになって、今回の夜会の成果を報告し合っていた。
毎回、僅かに、二人の関係性が変化しているように見せ掛けている。
最初のうち、ヴィヴィアンは、当惑や疑念を強調していた。
次第に、コンラートの存在に慣れ、彼に声を掛けられても平然と受け答えをするようになり、とうとう、今夜は、ヴィヴィアンがコンラートを意識し始めている、との要素を入れてみた。
回数を重ねた結果、ダンスの後に、コンラートがヴィヴィアンを誘ってバルコニーで休憩するのは、『いつもの事』と、周囲の人間に認知されるようになっている。
二人の関係を見守る人々が増えた今、余計な嘴を挟まれる事は減るだろう。
「どうだ?お父上やご夫君からの問い合わせはあったか?」
「それが、不思議な位に沈黙してるのよ。流石に、噂が全く耳に入ってない、って事はないと思うのだけど…」
「クレメント男爵は様子見の可能性もあるが…ブライトン伯爵は、もしかすると、本当に知らないかもしれん」
ヴィヴィアンは、小さく首を傾げる。
「そんな事、ある?アイリーンは、派手好きの夜会好き。私よりもよっぽど、夜会に参加してると思うのだけれど」
「少なくとも、男性陣の間で、ブライトン伯爵とエニエール男爵令嬢の評判は悪いぞ?敢えて、彼等の耳に入れようとする者がいないんじゃないか?」
あぁ、と、ヴィヴィアンは頷いた。
「その可能性はあるわね。アイリーンは、一度癇癪を起こすと面倒らしいから」
「…何で、正妻に言い寄る男がいる、と言う噂で、癇癪を起こすんだ?愛人の立場から見れば、正妻の不貞に繋がりそうな情報なんて、嬉しい以外の何でもないだろう?」
正妻の不貞を理由に離婚を勧めて、自分が正妻の座に座ればいいものを。
女心を何でも知っていそうなコンラートでも、理解出来ないらしい。
「アイリーンはね、あの男と結婚した私の事を、心底嫌いで、憎んでいるの。その彼女にとって、あの男がアイリーンを選び、私を捨て置いている状況が、何よりの喜びなのよ。私が、愛する男に放置されて泣き濡れて暮らしていると想像するだけで、ご飯が美味しい状態なわけ」
「…随分と、いい性格だな」
「でしょ?私の事を嫌いなのはいいんだけど、どうして、私があれを愛してると思い込んでるのか、不思議なのよね…」
うんざりした様子を隠しもしないヴィヴィアンに、今度はコンラートが首を傾げた。
「噂では、ブライトン伯爵は金髪碧眼のなかなかの美形だそうだが」
「あのね、誰が見ても美形の貴方が言うと、嫌味よ?まぁ、そこそこ整った顔立ちではあるんじゃない?結構、モテてるって噂は聞くけど」
「だが、君は興味がない、と」
「あるわけないわ。会う前から私を一方的に嫌悪してる男を、どうやったら好きになれるの?顔が良ければ許されるってものじゃないでしょ。でも、あの男は、私が彼を好きだと信じ込んでるのよね…」
ふぅ、と、ヴィヴィアンは溜息を吐く。
「そりゃあね。生まれた時から政略結婚一択だったわけだし?お姉様達みたいに、始まりは何であれ、それなりに夫婦として上手くやっていきたい、って思ってたわよ?でもねぇ…結婚式当日に初めて会って、第一声が、『上手くやったつもりだろうが、どれだけお前が望もうと、お前を見る事はない』だもの。『あ、終わったな』って思うでしょ」
「凄い自信だな…」
「彼はね、ブライトン家が傾いたのは、私が彼を見初めて、父に頼んで裏から手を回して追い込んだせい、って思ってるの。結婚するまで、顔を見た事もなかったのに。そんな面倒な事、何でしなきゃならないの?そもそも、うちの父は、娘のお願いなんて聞いてくれる人じゃないわよ。でも、どれだけ説明しようとしても、私の話を聞く耳なんてないのよね…」
「苦労してるんだな」
「判ってくれる?」
グラスを傾けて喉を湿したヴィヴィアンは、無意識になのだろう、縋るような視線をコンラートに向けた。
彼女の細く白い喉が動く様に、思わず見入っていたコンラートは、慌てて視線を逸らす。
「夫婦とは、互いを尊重する関係でなければ、とは、俺も思う」
「別に、愛して欲しいなんて望んでない。愛人がいても構わない。ただ、最低限の尊重をして欲しいだけ。正直、自分で言うのも何だけど、妻の鑑だと思うわよ。ここまで、あの男にとって都合のいい妻なんて、いないじゃない。自分の収入以上に浪費してる事に、気づいてない筈ないのに、どうして私を冷遇出来るのか、頭の中を覗いてみたいわ…」
相当、不平が溜まっているのだな、と、コンラートは、腹の中の黒い物を吐き出すように愚痴を言うヴィヴィアンを、眺めた。
「だから、」
「うん?」
「だから、約束、忘れないでよ?」
「あぁ、約束、な。大丈夫だ、サーラの伝手を動かしてる」
ぽん、と、コンラートは、大きな掌をヴィヴィアンの頭に乗せた。
そのまま、髪を乱さないように、そっと撫でる。
壊れ物に触れるかのような慎重な手の動きに、ヴィヴィアンは、きょとんと目を見開いた。
そんな顔をすると、普段、落ち着いた様子の彼女が、年齢よりも随分と幼く見える。
「なぁに、この手」
「いや…頑張ってるんだな、と思って」
「頭を撫でられたのなんて、初めてよ。何だか、くすぐったいわね」
思わず出てしまった手だが、コンラートにとって、一つの賭けだった。
ヴィヴィアンと言葉を交わす時間が増えれば増える程、二人の心の距離が近づき、協力者以外の関係へと変化しようとしているのは、勘違いではない筈だ。
だが、もしも、ヴィヴィアンが、コンラートに恋心を抱き、彼との未来を望むようならば、作戦変更を考えなければならない。
コンラートがヴィヴィアンに想いを寄せているのは、演技。
そして、ヴィヴィアンがコンラートの想いを受け入れる事は出来ないと悩む様子も、演技。
演技でなければ、ならない。
コンラートが考えていた以上に、ヴィヴィアンはずっと協力的で、親しみやすく、頭の回転が早い女性だった。
これまで、女性とは表面上、にこやかに接しても、内心では早く解放されたいとばかり思っていたのに、ヴィヴィアンとは、どれだけ話しても飽きそうにない。
だからと言って、作戦の主軸が変更されるわけではない。
ヴィヴィアンと結ばれない所までを含めて、全てが作戦なのだから。
なのに。
照れ臭そうに頬を緩めて、薄暗い中でも判る程に朱に染めたヴィヴィアン。
その照れは、『異性』に触れられたからではなく、『他人』に触れられたから。
コンラートは、自分の中に湧き起こる形容し難い感情を抑え込んで、無理矢理、笑った。
これまで、本当に誰とも触れ合いがなかったのか、と半ば唖然とし、同時に、自身が異性として見られていない事に、形容し難い衝撃を受けながら。
恋心は厳禁だと思う一方で、異性として認識して欲しいなんて、どんな矛盾だろう。
「あぁ、そう言えば、ちらっと聞こえちゃったんだけど。ランドリック侯爵との会話に、モンドリアの名前が出てたわよね」
「…モンドリアを知ってるのか?知名度は低いと思ったが」
「北部山間部の僻地だからね。でも、最近、新しい銀脈が見つかったでしょう?今後、鉱山労働者を始め、銀製品の職人、宝飾品の商人、彼等を相手に商売する人々が、増えていく。あちらに領地をお持ちなら、即、人材確保、居住地の整備に動くべきね」
なかなかに優良な鉱脈みたいだから。
そう付け加えたヴィヴィアンに、コンラートは唖然とする。
モンドリアに何らかの動きがある事は、気づいていた。
豊かとは言えない僻地で武装蜂起はないだろうが、そう判断するだけの材料もないので、近くに領地を持つランドリック侯爵達に、何か情報はないかと世間話として探りを入れたのが、前回の夜会の事。
今夜、ランドリック侯爵からは、モンドリアの領主である男爵は、勤勉で領民思い、真面目一辺倒の堅物だから信頼出来る、と言われたのだが。
「…何処で知った?」
「何処、って言うか…物と人の流れを見ていれば判るわ」
あっさりと答えるヴィヴィアンに、思わず頭を抱える。
「私は、商人の娘だもの。金儲けの匂いがすれば判るのよ。恐らく、生粋の貴族とは、注目している所が違うの。気になるのなら、その視点で再調査してみて。別に、モンドリアが後ろめたくて隠そうとしているわけではないから、直ぐに証拠が出て来るわよ」
そうまで言われたら、
「判った。そうする」
としか、答えようがない。
「なぁに、顔が強張ってるわよ?そんなに意外な情報だった?」
「…いつもの笑顔のつもりなんだが」
「あのねぇ、社交用の仮面の笑顔なんて、私には通用しないって事、初回で判ったと思ってたけど?」
体が人よりも大きい分、威圧感をなくし、人懐こく、それでいて品のある笑顔を作れるように、散々訓練している。
好感を抱く笑みを浮かべている人物に、人は心を許しやすい。
誰にも見破られた事のないコンラートの仮面を、あっさりと剥いだヴィヴィアンは、何て事のない顔で笑った。
受けた衝撃を表に出さないように努めながら、さり気ない様子で尋ねる。
何の関係にもない男女が二人で過ごす時間には、リミットがある。
「今後の予定は?」
「ウェリントン侯爵と、ランドリック侯爵の夜会。あぁ、それと、王都騎士団の武術大会を見に行くわ」
作戦中は、ヴィヴィアンの身の安全を図る為、彼女の外出先は全て、コンラートに報告する事になっている。
プライバシーに踏み込まれるようで嫌がるかと思ったが、ヴィヴィアンは、
「それで襲われるより、ずっとまし」
と、あっけらかんとしていた。
「どうせ、護衛は見えないようについてるんでしょ?」
そう言われて、なかなかの大物だな、とコンラートが思った事は、ヴィヴィアンには内緒だ。
「武術大会…何でまた」
「私の友人の旦那様が、王都騎士団に所属しているの。毎年、観覧に誘われては断ってたんだけど、今年は強制連行」
「王都騎士団の騎士…あぁ、ジュノ・バレント男爵夫人の夫か」
「…よく調べてるわね。何なの、貴方のその情報網。確かに、私は友人が少ないけど」
王都には、王都全体の警備を担う王都騎士団と、王族及び王宮の警備を担う近衛騎士団の二つの騎士団が存在する。
花形は、やはり、より王族に近い位置にいる近衛騎士団だ。
近衛騎士団に所属するのは、高位貴族が中心である為、バレント男爵であるジュノの夫フレッドは、最初から王都騎士団を目指していたと聞く。
「強制連行、と言う言い方をすると言う事は、気が進まないのか?」
「…目的が目的だから…」
「目的?」
「私はね、普段、商売目的以外で、人が集まるような場所には行かないの。どうしても、この髪色だもの、目立ってしまうから。でも…今年は、ね。ちょっと、目的があって」
「それは、俺には言えない事か?協力出来そうならするが」
「う~ん…」
ヴィヴィアンは、唇に人差し指を当てて悩むと、
「言えない、かな…」
と言った。
「貴方も、私には秘密にしてる目的があるでしょう?」
「…まぁ、な」
夜会で何度も顔を合わせ、短い時間とは言え、言葉を交わし、互いの利の為に取引をする共犯関係。
限られた時間だからこそ、迂遠な会話をせず、ざっくばらんに接した結果、性格や考え方は、ある程度、読み取れるようになっている。
だが、二人の間にあるのは、情ではなく、契約だ。
割り切った関係を望んでいて、それに従うヴィヴィアンにホッとしているのも事実なのに、何だか酷くもどかしく感じて、コンラートは密かに、拳を握った。
「あぁ、俺も、ランドリック侯爵を始めとした重鎮を、味方につけた」
ダンスを一曲終えて、休憩と言う名のバルコニーでの情報交換タイム。
二人はカウチに横並びになって、今回の夜会の成果を報告し合っていた。
毎回、僅かに、二人の関係性が変化しているように見せ掛けている。
最初のうち、ヴィヴィアンは、当惑や疑念を強調していた。
次第に、コンラートの存在に慣れ、彼に声を掛けられても平然と受け答えをするようになり、とうとう、今夜は、ヴィヴィアンがコンラートを意識し始めている、との要素を入れてみた。
回数を重ねた結果、ダンスの後に、コンラートがヴィヴィアンを誘ってバルコニーで休憩するのは、『いつもの事』と、周囲の人間に認知されるようになっている。
二人の関係を見守る人々が増えた今、余計な嘴を挟まれる事は減るだろう。
「どうだ?お父上やご夫君からの問い合わせはあったか?」
「それが、不思議な位に沈黙してるのよ。流石に、噂が全く耳に入ってない、って事はないと思うのだけど…」
「クレメント男爵は様子見の可能性もあるが…ブライトン伯爵は、もしかすると、本当に知らないかもしれん」
ヴィヴィアンは、小さく首を傾げる。
「そんな事、ある?アイリーンは、派手好きの夜会好き。私よりもよっぽど、夜会に参加してると思うのだけれど」
「少なくとも、男性陣の間で、ブライトン伯爵とエニエール男爵令嬢の評判は悪いぞ?敢えて、彼等の耳に入れようとする者がいないんじゃないか?」
あぁ、と、ヴィヴィアンは頷いた。
「その可能性はあるわね。アイリーンは、一度癇癪を起こすと面倒らしいから」
「…何で、正妻に言い寄る男がいる、と言う噂で、癇癪を起こすんだ?愛人の立場から見れば、正妻の不貞に繋がりそうな情報なんて、嬉しい以外の何でもないだろう?」
正妻の不貞を理由に離婚を勧めて、自分が正妻の座に座ればいいものを。
女心を何でも知っていそうなコンラートでも、理解出来ないらしい。
「アイリーンはね、あの男と結婚した私の事を、心底嫌いで、憎んでいるの。その彼女にとって、あの男がアイリーンを選び、私を捨て置いている状況が、何よりの喜びなのよ。私が、愛する男に放置されて泣き濡れて暮らしていると想像するだけで、ご飯が美味しい状態なわけ」
「…随分と、いい性格だな」
「でしょ?私の事を嫌いなのはいいんだけど、どうして、私があれを愛してると思い込んでるのか、不思議なのよね…」
うんざりした様子を隠しもしないヴィヴィアンに、今度はコンラートが首を傾げた。
「噂では、ブライトン伯爵は金髪碧眼のなかなかの美形だそうだが」
「あのね、誰が見ても美形の貴方が言うと、嫌味よ?まぁ、そこそこ整った顔立ちではあるんじゃない?結構、モテてるって噂は聞くけど」
「だが、君は興味がない、と」
「あるわけないわ。会う前から私を一方的に嫌悪してる男を、どうやったら好きになれるの?顔が良ければ許されるってものじゃないでしょ。でも、あの男は、私が彼を好きだと信じ込んでるのよね…」
ふぅ、と、ヴィヴィアンは溜息を吐く。
「そりゃあね。生まれた時から政略結婚一択だったわけだし?お姉様達みたいに、始まりは何であれ、それなりに夫婦として上手くやっていきたい、って思ってたわよ?でもねぇ…結婚式当日に初めて会って、第一声が、『上手くやったつもりだろうが、どれだけお前が望もうと、お前を見る事はない』だもの。『あ、終わったな』って思うでしょ」
「凄い自信だな…」
「彼はね、ブライトン家が傾いたのは、私が彼を見初めて、父に頼んで裏から手を回して追い込んだせい、って思ってるの。結婚するまで、顔を見た事もなかったのに。そんな面倒な事、何でしなきゃならないの?そもそも、うちの父は、娘のお願いなんて聞いてくれる人じゃないわよ。でも、どれだけ説明しようとしても、私の話を聞く耳なんてないのよね…」
「苦労してるんだな」
「判ってくれる?」
グラスを傾けて喉を湿したヴィヴィアンは、無意識になのだろう、縋るような視線をコンラートに向けた。
彼女の細く白い喉が動く様に、思わず見入っていたコンラートは、慌てて視線を逸らす。
「夫婦とは、互いを尊重する関係でなければ、とは、俺も思う」
「別に、愛して欲しいなんて望んでない。愛人がいても構わない。ただ、最低限の尊重をして欲しいだけ。正直、自分で言うのも何だけど、妻の鑑だと思うわよ。ここまで、あの男にとって都合のいい妻なんて、いないじゃない。自分の収入以上に浪費してる事に、気づいてない筈ないのに、どうして私を冷遇出来るのか、頭の中を覗いてみたいわ…」
相当、不平が溜まっているのだな、と、コンラートは、腹の中の黒い物を吐き出すように愚痴を言うヴィヴィアンを、眺めた。
「だから、」
「うん?」
「だから、約束、忘れないでよ?」
「あぁ、約束、な。大丈夫だ、サーラの伝手を動かしてる」
ぽん、と、コンラートは、大きな掌をヴィヴィアンの頭に乗せた。
そのまま、髪を乱さないように、そっと撫でる。
壊れ物に触れるかのような慎重な手の動きに、ヴィヴィアンは、きょとんと目を見開いた。
そんな顔をすると、普段、落ち着いた様子の彼女が、年齢よりも随分と幼く見える。
「なぁに、この手」
「いや…頑張ってるんだな、と思って」
「頭を撫でられたのなんて、初めてよ。何だか、くすぐったいわね」
思わず出てしまった手だが、コンラートにとって、一つの賭けだった。
ヴィヴィアンと言葉を交わす時間が増えれば増える程、二人の心の距離が近づき、協力者以外の関係へと変化しようとしているのは、勘違いではない筈だ。
だが、もしも、ヴィヴィアンが、コンラートに恋心を抱き、彼との未来を望むようならば、作戦変更を考えなければならない。
コンラートがヴィヴィアンに想いを寄せているのは、演技。
そして、ヴィヴィアンがコンラートの想いを受け入れる事は出来ないと悩む様子も、演技。
演技でなければ、ならない。
コンラートが考えていた以上に、ヴィヴィアンはずっと協力的で、親しみやすく、頭の回転が早い女性だった。
これまで、女性とは表面上、にこやかに接しても、内心では早く解放されたいとばかり思っていたのに、ヴィヴィアンとは、どれだけ話しても飽きそうにない。
だからと言って、作戦の主軸が変更されるわけではない。
ヴィヴィアンと結ばれない所までを含めて、全てが作戦なのだから。
なのに。
照れ臭そうに頬を緩めて、薄暗い中でも判る程に朱に染めたヴィヴィアン。
その照れは、『異性』に触れられたからではなく、『他人』に触れられたから。
コンラートは、自分の中に湧き起こる形容し難い感情を抑え込んで、無理矢理、笑った。
これまで、本当に誰とも触れ合いがなかったのか、と半ば唖然とし、同時に、自身が異性として見られていない事に、形容し難い衝撃を受けながら。
恋心は厳禁だと思う一方で、異性として認識して欲しいなんて、どんな矛盾だろう。
「あぁ、そう言えば、ちらっと聞こえちゃったんだけど。ランドリック侯爵との会話に、モンドリアの名前が出てたわよね」
「…モンドリアを知ってるのか?知名度は低いと思ったが」
「北部山間部の僻地だからね。でも、最近、新しい銀脈が見つかったでしょう?今後、鉱山労働者を始め、銀製品の職人、宝飾品の商人、彼等を相手に商売する人々が、増えていく。あちらに領地をお持ちなら、即、人材確保、居住地の整備に動くべきね」
なかなかに優良な鉱脈みたいだから。
そう付け加えたヴィヴィアンに、コンラートは唖然とする。
モンドリアに何らかの動きがある事は、気づいていた。
豊かとは言えない僻地で武装蜂起はないだろうが、そう判断するだけの材料もないので、近くに領地を持つランドリック侯爵達に、何か情報はないかと世間話として探りを入れたのが、前回の夜会の事。
今夜、ランドリック侯爵からは、モンドリアの領主である男爵は、勤勉で領民思い、真面目一辺倒の堅物だから信頼出来る、と言われたのだが。
「…何処で知った?」
「何処、って言うか…物と人の流れを見ていれば判るわ」
あっさりと答えるヴィヴィアンに、思わず頭を抱える。
「私は、商人の娘だもの。金儲けの匂いがすれば判るのよ。恐らく、生粋の貴族とは、注目している所が違うの。気になるのなら、その視点で再調査してみて。別に、モンドリアが後ろめたくて隠そうとしているわけではないから、直ぐに証拠が出て来るわよ」
そうまで言われたら、
「判った。そうする」
としか、答えようがない。
「なぁに、顔が強張ってるわよ?そんなに意外な情報だった?」
「…いつもの笑顔のつもりなんだが」
「あのねぇ、社交用の仮面の笑顔なんて、私には通用しないって事、初回で判ったと思ってたけど?」
体が人よりも大きい分、威圧感をなくし、人懐こく、それでいて品のある笑顔を作れるように、散々訓練している。
好感を抱く笑みを浮かべている人物に、人は心を許しやすい。
誰にも見破られた事のないコンラートの仮面を、あっさりと剥いだヴィヴィアンは、何て事のない顔で笑った。
受けた衝撃を表に出さないように努めながら、さり気ない様子で尋ねる。
何の関係にもない男女が二人で過ごす時間には、リミットがある。
「今後の予定は?」
「ウェリントン侯爵と、ランドリック侯爵の夜会。あぁ、それと、王都騎士団の武術大会を見に行くわ」
作戦中は、ヴィヴィアンの身の安全を図る為、彼女の外出先は全て、コンラートに報告する事になっている。
プライバシーに踏み込まれるようで嫌がるかと思ったが、ヴィヴィアンは、
「それで襲われるより、ずっとまし」
と、あっけらかんとしていた。
「どうせ、護衛は見えないようについてるんでしょ?」
そう言われて、なかなかの大物だな、とコンラートが思った事は、ヴィヴィアンには内緒だ。
「武術大会…何でまた」
「私の友人の旦那様が、王都騎士団に所属しているの。毎年、観覧に誘われては断ってたんだけど、今年は強制連行」
「王都騎士団の騎士…あぁ、ジュノ・バレント男爵夫人の夫か」
「…よく調べてるわね。何なの、貴方のその情報網。確かに、私は友人が少ないけど」
王都には、王都全体の警備を担う王都騎士団と、王族及び王宮の警備を担う近衛騎士団の二つの騎士団が存在する。
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近衛騎士団に所属するのは、高位貴族が中心である為、バレント男爵であるジュノの夫フレッドは、最初から王都騎士団を目指していたと聞く。
「強制連行、と言う言い方をすると言う事は、気が進まないのか?」
「…目的が目的だから…」
「目的?」
「私はね、普段、商売目的以外で、人が集まるような場所には行かないの。どうしても、この髪色だもの、目立ってしまうから。でも…今年は、ね。ちょっと、目的があって」
「それは、俺には言えない事か?協力出来そうならするが」
「う~ん…」
ヴィヴィアンは、唇に人差し指を当てて悩むと、
「言えない、かな…」
と言った。
「貴方も、私には秘密にしてる目的があるでしょう?」
「…まぁ、な」
夜会で何度も顔を合わせ、短い時間とは言え、言葉を交わし、互いの利の為に取引をする共犯関係。
限られた時間だからこそ、迂遠な会話をせず、ざっくばらんに接した結果、性格や考え方は、ある程度、読み取れるようになっている。
だが、二人の間にあるのは、情ではなく、契約だ。
割り切った関係を望んでいて、それに従うヴィヴィアンにホッとしているのも事実なのに、何だか酷くもどかしく感じて、コンラートは密かに、拳を握った。
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伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
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