ストップ!おっさん化~伯爵夫人はときめきたい~

緋田鞠

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「間に合わなくて、すまなかった」
 馬車が走り出すと、コンラートはそう言って、向かい合う座席に座る、未だ、湿り気の残るヴィヴィアンの髪に、労わるように触れた。
「酒精が苦手と言っていたが、匂いで酔いはしないか?」
「あぁ…あれ、嘘なの。お酒も、本当は全然問題ないのよ。だから、大丈夫。早く、お風呂には入りたいけど」
 あっけらかんと言うヴィヴィアンに、コンラートは、ホッと息を吐く。
「ちょっと、予想外だったわ…アイリーンもだけど、あの男がまさか、彼女を捨てようとするなんて」
「ある意味、分かりやすくはあるんだが」
「え?」
「トビアス・ブライトンの行動は、全て保身の上にある。恋人ではなく、政略結婚を選んだのも、保身。恋人を捨てた、と後ろ指を指されたくなくて、彼女を愛人にしたのも、保身。離婚したくなくて、ヴィヴィアンに縋ろうとしたのも、保身」
「…そう聞くと、改めて、最低ね」
 ヴィヴィアンが眉を顰めると、コンラートは苦笑した。
「愛人を、正妻の金で囲って恥じない男だぞ?自分が一番可愛いに決まってる」
「うん、最低だわ」
「だが、そんな男ばかりじゃない」
 コンラートの穏やかな声に、何だか心がそわそわする気がして、ヴィヴィアンはそっと視線を逸らす。
 その時、ふわりと鼻孔をコンラートの香りが掠めた。
「あの、上着を有難う。流石に、これだけ濡れるとちょっと寒かったから、有難かったわ。でも、ダメにしてしまってごめんなさい」
「あぁ、いいよ。似たようなのを持ってるし。何しろ、俺が着るのは黒ばっかりだ」
「そう言うわけにもいかないもの…何か、代わりを贈らせて」
 ヴィヴィアンがそう言うと、コンラートは少し首を傾げて、
「ん?それは、俺とデートしてくれる、って事?」
「…え?えぇと…何故、そうなるのかしら」
「代わりの上着を贈ってくれるんだろう?ヴィヴィアンは、俺のサイズを知ってるのか?」
「知らない、わ」
「じゃあ、俺と一緒に行く必要があるよな?」
 余りにも当然の顔で言い切られて、ヴィヴィアンは、そう言うものか、と思わず頷いてしまった。
「そう…なるのかしら」
「そうなるんだよ」
 上機嫌になったコンラートが、ぶかぶかの上着から覗くヴィヴィアンのドレスに、そっと触れる。
 指先がなぞった跡が、仄暗い車内できらりと光った。
「折角のドレスが、勿体ない。これは、リンデンバーグでは見かけない素材だな?雪の妖精みたいで、よく似合ってる。このデザイン画は、工房に残ってるか?同じ物を贈らせてくれ」
「でも」
「ドレスと宝石は要らない、って言うんだろ?君が着ている姿を、ちゃんと見たい、って言う俺の我儘に、付き合ってくれないか」
 切なそうに言われたら、断れない。
「…狡いわ、そんな言い方」
「知らなかった?俺が狡い男だって」
 何だか、コンラートは先日の武術大会から甘い、と、ヴィヴィアンは思う。
 ヴィヴィアンからコンラートには踏み込ませない癖に、彼はヴィヴィアンの引いた線を容易に飛び越えて来る。
 自分ばかりがあたふたしているようで、気に入らない。
「…契約期間は、大舞踏会までなんだ。最後に一度位、デートしてくれてもいいじゃないか」
 駄目押しの、一言。
 ずきり、と、胸が痛んだ気がして、ヴィヴィアンはそっと胸元に手を当てる。
 契約期間は、大舞踏会まで。
 判っていた事だ。
 なのに、最後だと言われて、どうして、こうも胸が痛いのか。
「それにしても、エニエール男爵令嬢は、思ってたのと少し違ったな」
「そう?茶色の巻き毛、青灰色の瞳、小柄な体格。会った事はないけど、本人だと思うわよ?」
「あぁ、そうじゃなくて。ブライトン伯爵は、確か三十二だろう?」
「そう…だったかしら。結婚した時に、二十五は越してたと思うから、そうかもね」
「三十を過ぎた男が長年付き合ってる女性、と聞いていたから、もっと大人の女性だと思っていた。頭の中身、と言う意味ではなく…」
「あぁ。彼女、見た目は少女ですものね」
 アイリーン・エニエール男爵令嬢は、小柄で少女のような体形の女性だ。
 大きく垂れ目がちな瞳に、ふっくらとした頬は、小動物のよう。
 体形だけではなく、ドレスも十代の未婚の令嬢が好むような、装飾過多で華やかな色合いのものを好む。
 髪型も、未婚とは言え、成人した女性がするには、些か、幼いと言わざるを得ないものだった。
「三十歳と聞いていたから、な。小柄だと言う情報はあったが、勝手な想像をしていた」
「確かに驚くわよね。私も、私の名前でツケられてたドレスの実物を見てなかったら、きっと名前と顔を一致させられなかったわ」
 結局は、トビアスがヴィヴィアンを受け入れなかったのは、それが最大の理由なのだろうな、と、思っている。
 彼は恐らく、少女を好む性的嗜好の持ち主だ。
 十八で嫁いだヴィヴィアンは、その時点で既に、念入りに施されていた美容マッサージによって、一般的な男性に好まれやすいメリハリのついた曲線的な体形だったから、彼の拒否感を煽ったのだ。
 どうやら、トビアスの幼少期に成熟した女性を忌避する原因がありそうだ、と言う所までは調べたけれど、それ以上は、夫とは言え、他人なので、踏み込んでいない。
 もしかすると、アイリーンのドレスや振る舞いは、全て、トビアスの好みに合わせてのものかもしれない、と、ちら、と頭を掠めたものの、その辺りは二人で話し合って欲しい。
「ヴィヴィアン」
「なぁに?」
「あと三週間で大舞踏会だ。俺は…その前は少し忙しくて、夜会に顔を出す余裕がない」
「えぇ」
「だから、君も、夜会には出ないで欲しい」
 コンラートと契約してから、ヴィヴィアンが出席する夜会には全て、コンラートも顔を出していた。
 彼は、ヴィヴィアンの出る夜会以外にも顔を出していたが、それは、飽くまでヴィヴィアンと会うのは示し合わせてではなく、偶然である、と言う演出の為。
 ヴィヴィアンに会いたくて、あちこちの夜会に出席しているのだ、と見せ掛ける為だ。
 だが、コンラートが多忙で出席出来ないからと言って、ヴィヴィアンも夜会を欠席するのは、何か違うのではないか。
「え、でも」
「判ってる。これは、俺の我儘で、強制力はない。けど、今夜みたいな事がまたあるかもしれない」
「流石に、アイリーンが再襲撃して来る事はないでしょう?ランドリック侯爵様なら、当然だけど、エニエール男爵をどうとでもなされるのだし」
「エニエール男爵令嬢は、な」
 少し考えて、ヴィヴィアンは、ハッと気づく。
「まさか…あの男が、何かしてくると?」
「エニエール男爵令嬢の言が正しければ、ブライトン伯爵は、君との関係を再構築したいのだろう?」
 結婚以来、トビアスはブライトン伯爵邸に足を踏み入れない。
 文官の仕事が多忙だと言う理由で、領地運営は人に任せているし、報告書は、本邸に送られたものを家令が愛の巣まで届けている。
 だから、勝手に、トビアスとは年に数度の夜会をやり過ごせばそれでいい関係だと、思い込んでいたかもしれない。
「ヴィヴィアン。再確認しておきたい」
 コンラートが、姿勢を正して、真剣な眼差しをヴィヴィアンに向けた。
「君は、ブライトン伯爵と離縁したい。その思いは変わらないか?」
「変わらないわ。彼が今更何をどう繕おうと、この五年の日々がなくなるわけではないもの」
「クレメント男爵家との縁は?」
「夫と離縁したからって、別の政略結婚の駒にされるのはごめんよ。元々、特段の情はないの」
「…判った」
 コンラートは、考えるように暫く下を向いていたが、何かを振り切った顔で、真っ直ぐにヴィヴィアンの顔を見つめる。
 その眼差しには、何か決意が秘められているようで、だが、コンラートが何を決意したのか、ヴィヴィアンには判らない。
「ヴィヴィアン、巻き込んで悪かった。けど、あの時、感じた直感は間違ってなかったと思う。今日の事があった上じゃ、信用するのは難しいだろうが、これ以上、手出しはさせない。君の望む未来を必ず、その手に渡すから」
「えぇと…よく判らないけど、有難う」
「デート、楽しみにしてる」
「デート…えぇ、そう、ね」
 デート、と名のつくものをするのは初めてだ、と言い出せず、ヴィヴィアンは、曖昧に笑って頷いた。

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