ストップ!おっさん化~伯爵夫人はときめきたい~

緋田鞠

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 ヴィヴィアンが、ジュノと連れ立って武術大会の会場に着くと、観客席は大勢の人で埋め尽くされていた。
 花形は近衛騎士団と言えども、王都騎士団の人気がないわけではない。
 武術大会のみに限定すれば、近衛騎士団の型にはまった綺麗な試合よりも、王都騎士団の泥臭くとも迫力ある試合の方が、見応えがある、として、例年、満員御礼なのだそうだ。
 武術大会は、王宮敷地の端にある闘技場で行われる。
 円形の広い闘技場の周囲に、階段状に観覧場所が設えられており、試合前の静かな興奮が、会場を満たしていた。
 闘技場の床には平たく大きな石が敷き詰められ、全く同じ大きさの五つの円が描かれている。
 出場者は、トーナメント式で試合を行う為、同時進行で試合を行うのだ。
 会場に入るなり、余りの人の熱気に思わず一歩下がったヴィヴィアンの手を、ジュノは臆する様子もなくグイグイと引いて、どんどん前方へと向かっていく。
「あの、ジュノ?もう、人が、」
「大丈夫」
 ジュノが、何かを探すようにキョロキョロしていた所で、
「バレント夫人、こちらですわ!」
と、声を掛けられた。
「お待たせ致しました、リドリー夫人、ヤルク夫人」
 ジュノは、最前列で場所を確保してくれていた夫人達に優雅に挨拶をすると、隣で唖然とするヴィヴィアンを、ぐい、と前に押し出す。
「ブライトン夫人、この方達は、アマンダ・リドリー男爵夫人と、エッダ・ヤルク男爵夫人です。ご夫君がフレッドの同僚でいらっしゃるの。お二人にご紹介致しますわ。こちらは、わたくしの友人のヴィヴィアン・ブライトン伯爵夫人です」
 ヴィヴィアンは、多くの人が観覧出来るよう、立ち見となっている狭い場所で出来る最大限の礼を、アマンダとエッダに向けて執った。
「はじめまして、リドリー夫人、ヤルク夫人。ヴィヴィアン・ブライトンと申します。この度は、わたくしもお邪魔させて頂いて、有難うございます」
「こちらこそ、よろしくお願い致します、ブライトン夫人。わたくしは、アマンダ・リドリーです。折角、武術大会に来てくださったのですもの、楽しんでくださいませね」
「エッダ・ヤルクですわ、ブライトン夫人。お話は、バレント夫人からかねがね伺っております。どうぞ、わたくし達とも仲良くしてくださいませ」
 赤茶の髪を三つ編みにしてまとめ、ボンネットを被っているのがアマンダ、薄茶の髪を左肩から前に垂らしているのがエッダだ。
 ヴィヴィアンがにっこりと微笑むと、ジュノが彼女の耳元で囁いた。
「本当に仲良くしてる方達だから、安心して」
 つまりは、先程の会話は余所行きのもの、と言う事だろう。
 それにしても、最前列とは凄い。
 試合が行われる場所よりも一段高くなっているが、騎士達の視線と大して変わらないだろう。
 胸の下の高さにある手すりと木製の壁だけで、彼方と此方が分かたれている。
 流石に、試合を行う舞台は目の前とは言えないが(余りに近いと、観客に被害が出る可能性がある、とは、ジュノ談)、想像していたよりもずっと近い。
「それにしても、良いお天気で良かったですわね」
 リンデンバーグの秋は長い。
 年末に行われる大舞踏会の時期になると、漸く冬になった、と言う実感が出るが、大舞踏会まで一ヶ月と少しある今はまだ、小春日和の陽気だ。
 今日は特に温かな方で、長袖のドレスにショール一枚で十分だ。
 武術大会に出場する騎士達には、寧ろ、暑い位かもしれない。
 ヴィヴィアンは、特徴的な銀髪を隠すように、しっかりと髪をまとめて大きめのボンネットを被っている。
 つばの広いボンネットだから、影になって珊瑚色の瞳も幾分、暗く見える。
 パッと見では、ブライトン夫人が武術大会に来ている、とは、判らない筈だ。
 ジュノがヴィヴィアンを武術大会に強制連行したのは、勿論、『ストップ!おっさん化』計画の一端である。
 『ドキドキ』、『ときめき』、『きゅんっ』を、計画実行中である筈のヴィヴィアンですら、うっかり忘れそうになっているけれど、立案者であるジュノは忘れていない。
「真剣に全力で戦う騎士達の凛々しさに、ときめいてちょうだい。いや、ほんと、かっこいいから!」
とは、ヴィヴィアンを武術大会に招待する時のジュノの台詞だ。
「この大会は、日頃、王都の安全を守っている王都騎士団の実力を国民にアピールすると同時に、一つでも勝ち上がる事で、上司に己の有用性をアピールする場でもあるの。団長様と副団長様も参加なさるのよ」
 実家は商人、夫は文官で、騎士団とは縁も所縁もないヴィヴィアンに、ジュノが丁寧に説明してくれる。
 出場者は四十八名、三回戦まで勝ち上がった者達に、シード権を得ている騎士団長と副団長を加えて四回戦、準決勝、決勝と進行していく。
 試合数が多い為、四回戦までは一試合五分の時間制限があり、制限時間内に勝敗が決まらない場合、審判に勝敗が委ねられるそうだ。
「武術大会の前哨戦は、既に騎士団内で行われております。武術大会に出場出来る時点で、団内での実力が認められているのですわ」
と、付け加えるアマンダ。
「勿論、わたくし達の夫は出場者です」
と、胸を張るエッダ。
 観客席は、基本的に早い者順で埋まっていくのだが、出場者の関係者席を前方に配置している。
 家族や恋人が見守っている、と思うからこそ、出場者が一層の実力を発揮出来るのだとか。
「あら、では、わたくしは…」
「しーっ!よろしいのですよ、バレント夫人のお身内のようなものなのですから」
 どうやら、ヴィヴィアンは『関係者』扱いで席を確保して貰ったらしい。
 おっさんになりたくない、と言うだけで、ここまでして貰うのは忍びないな…と思っていると、大会の開始が宣言された。
「使用する武器は、長剣に限らず、得意とするものでいいの。安全面は、一応考慮されているから、大怪我にはならないけれど、打撲や擦り傷はいつもの事ね」
 隣で説明してくれるジュノに、そんなものなのか、とヴィヴィアンは頷く。
 一層増した観客の声援が、耳の奥でわんわんと反響した。
「あっ、ダニーだわ!」
 アマンダが、入場して来た騎士を見て、声を上ずらせる。
 貴族女性の仮面を脱ぎ捨てて、懸命に手を振る姿を、ヴィヴィアンは、何処か羨ましく眺めていた。
 ダニーと呼ばれていた彼女の夫もまた、妻に気づいたのだろう。
 にこりと微笑んで、妻に頷いて見せている。
 最前列からであれば、出場する騎士の顔も表情も、しっかりと確認出来るのだ。
 試合の内容については、ヴィヴィアンには正直、よく判らない。
 どちらが優勢だったのか、劣勢だったのかも、いまいち、伝わらなかったけれど、最終的に勝ったのはダニーだった。
 安心したようにアマンダが深く息を吐き、胸の前で握り締めていた両手を下ろす。
「あぁ、緊張した…」
 小さく震えるアマンダの声に、緊張するなら試合を見なければいいのに、と、ヴィヴィアンは思う。
 目の前で見てしまうからこそ、勝敗が気になるのではないだろうか。
「でも、やっぱり、試合中のあの人は生き生きしていて、素敵だわ」
「毎年毎年、惚れ直しちゃうのよねぇ」
 楽しそうなアマンダとエッダの会話に、またしても羨ましさを感じて、ヴィヴィアンは思わず、溜息を吐いた。
「ヴィヴィ?」
「あぁ、いいえ、何でもないの」
 異性に対して、素敵、とか、惚れ直す、とか。
 自分には縁のない感情だ、と切り捨てて来たけれど、そう素直に思える彼女達が羨ましい。
 『ドキドキ』も『ときめき』も『きゅんっ』も、理解出来ないのは、ヴィヴィアンの心が何処か、欠けているからだ。
 ヴィヴィアンにとって、一番大切なのは自分。
 ジュノは大事な友人だけれど、彼女を案じる役目は、夫のフレッドのものだ。
 彼女達が、『緊張』と言う、決して心地良い感情ではないものを押してでもこの場に立つのは、それ以上に、夫を案じ、同時に誇りに思っているからなのだろう。
 そう思える相手がいる事が、とても眩しく、羨ましい。
 その後、フレッド、エッダの夫ヘンリーが、順調に一回戦を勝ちあがり、とうとう、一回戦最後の試合となった時。
「…え?」
 見知った相手の姿を出場者の中に見つけて、思わず、ヴィヴィアンは声を漏らした。
「どうしたの?ヴィヴィ」
「あの…ほら、王都騎士団の騎士服とは違う服をお召しの方…」
「あぁ、例年、近衛からも参加される方がいらっしゃるのよ。腕試しと言うのかしら。でも…近衛の騎士服とも、違うわね…」
「そう、なのね…」
 まさか、そんな。
 だが、あの黒髪に長身は、見間違えようもない。
 何故、コンラートが武術大会に。
 出場する事が決まっていたのなら、先日、教えてくれればよかったのに、と思う反面、自分達の関係は、何もかもを明かすような種類のものでもない、とも思う。
 その時だった。
 コンラートが、こちらを見た。
 目が合った気がして、ヴィヴィアンがドキリとすると、彼がいつもの蕩けるような笑みを浮かべる。
 美丈夫の浮かべた甘い笑みに、観客席から、きゃあ、と黄色い歓声が上がった。
「…あら?今、あの方、こちらをご覧になった?」
 エッダが首を傾げ、
「えぇ、確かにこちらを…」
 アマンダが、思わず、と言った様子でヴィヴィアンを見る。
「ブライトン夫人のお知り合いの方ですか?」
「……えぇ、知り合い、と言えば、知り合いですわ」
「え、何、ヴィヴィ。騎士の知り合いがいるなんて、聞いてないわよ?」
 食いついてくるジュノに、ヴィヴィアンは思わず、一歩後退った。
「騎士…なのかどうか、知らないの。最近、夜会で知り合った方だから」
 ヴィヴィアンが参加する夜会は、高位貴族が中心となっているものの為、ジュノは一緒に参加した事がない。
 コンラートと知り合った事は、契約に触れずに説明するのが面倒で、ジュノにも話していなかった。
 おっさん化防止計画の一環として、夜会に参加していればそれでいいだろう、と思っていたのもある。
 コンラートとの契約も、ジュノとの約束も、夜会に出席していれば果たせるのだから一石二鳥だ。
「ちょっと、あんな美形と知り合いになったなんて、ヴィヴィも隅に置けないじゃない。やだ、何、あの方がいらっしゃるから、夜会に出たくないって泣き言を言わなくなったってわけ?」
 ジュノが、ニヤニヤしながら脇を突いてくるのを避けながら、
「顔を合わせると、一曲、踊ってくださるだけよ?私が壁の花になっているのが、忍びないみたいで」
と、表向きの理由を返すと、何故か、三人に残念な子を見る顔で溜息を吐かれた。
「ともあれ。お知り合いが試合に出ているのでしたら、ブライトン夫人も紛う事無く関係者ですわ。どうぞ、遠慮なく、応援してくださいませ」
 アマンダに言われて、ヴィヴィアンは、どうしたものかと戸惑う。
 彼女達のように、手に汗を握りながら応援する振りを、した方がいいのだろうか。
 いや、だが、ヴィヴィアンは出来るだけ変装しているつもりだけれど、誰の目があるのか判らない。
 コンラートは確実に、ヴィヴィアンへと視線を向けていた。
 ヴィヴィアン以外の女性には興味を示さないコンラートが、笑顔を向ける女性、となれば、判る人には判ってしまう。
 つまり、彼は、無関係を装う気がない、と言う事だ。
 しかし、『コンラートに惹かれながらも、彼との関係を深めないように己を律しているブライトン夫人』が、あからさまに彼を応援していたら、まずい筈。
「あぁ、もう…」
 こう言う状況で、どのような演技をすべきなのか、コンラートは指示してくれていない。
 普段、参加している夜会とは違い、武術大会の観客は幅広い層から成っている。
 彼等の前でも、コンラートの『片思い』をアピールする必要があると言う事なのだろうか。
 そこまで広く噂を流して、大舞踏会後に収拾がつくのだろうか。
 ぐるぐると考え込んでいたヴィヴィアンの悩みは、試合開始と同時に、吹き飛んだ。
 これまでの試合とは、全然違う。
 目に入って来るのは、コンラートばかり。
 確かに、これまでの試合にも、フレッドと言う知り合いは出場していたが、彼を心配するのはジュノの役割だと思っていたから、全く意識を割いていなかった。
 けれど、これは。
 思わず、胸の前で握り合わせた掌に、じわりと汗が滲んでいるのが判る。
 素早い足運び、刃を潰してあると聞いているけれど日を反射する長剣は、見ているだけで心臓が痛くなる。
 周囲の歓声も何も聞こえない。
 ただコンラートの一挙手一投足に集中しているヴィヴィアンの耳に届くのは、固い長靴の底が摩擦で擦れる音に、金属と金属が打ち合う音、そして息遣いのみ。
「勝者、コンラート!」
 時間にすれば、二分程度の事だった。
 対戦相手が、降参の意思を示した事で、コンラートの一回戦は終了となった。
 ヴィヴィアンは、ふぅ、と吐いた息が思っていた以上の音となった事で、自分が息を詰めていた事に気づく。
「…どうだった?」
 隣のジュノに聞かれて、ヴィヴィアンは眉を顰めた。
「心臓に悪いわ…」
「ドキドキした?」
「そう、ね…でも、多分、ジュノの言う『ドキドキ』とは違うわ…」
 これは、恋愛のドキドキとは種類が違うだろう。
 違う、筈だ。
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