ストップ!おっさん化~伯爵夫人はときめきたい~

緋田鞠

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 コンラートは、ヴィヴィアンをエスコートして、広間の中央で踊る人々の中に加わった。
 密談をするのなら、手始めはダンスがお勧め、とはジュノ談だ。
 リンデンバーグの夜会で踊るダンスは、男女がペアとなって行うもの。
 各ペアがくるりくるりとそれぞれに円を描くように動く為、不必要に密着せずとも、会話を聞き取られる心配がない。
 トビアスや身内以外と踊るのは初めてだが、ヴィヴィアンはそんな素振りを全く見せずに、コンラートのリードに身を任せる。
 力強いステップと長い足に置いて行かれそうだと思うのに、自分勝手な感じがしないのは、彼のリードがしっかりしているからだろう。
 トビアスの投げ遣りなリードと比べて、一体感がある。
「…それで?」
 ヴィヴィアンは、笑顔のまま、声だけは鋭く、コンラートに問うた。
 二人とも、完璧な笑みを浮かべているから、傍から見ていれば、楽しく会話を交わしているように見える。
「わたくしに、何を求めていらっしゃるの?」
「月の女神に、愛を乞うているのだとは、思ってくださらないのですか?」
「ご冗談を。貴方は、わたくしに欠片も好意をお持ちではないではありませんか」
 ヴィヴィアンは、確信していた。
 表情や言動こそ、ヴィヴィアンに好意を持っているように見せ掛けているが、彼の翡翠の目は極めて冷静だ。
 寧ろ、商談の現場に立つ商人のように、相手の心の奥底を読み取ろうと神経を張り巡らせている。
「心外ですね。好意なら持っていますよ」
「取引相手として?」
「…頭の回転のいい方は、好ましい」
 ヴィヴィアンは、艶やかな笑みを浮かべた。
 通りすがりの男性が、ヴィヴィアンの笑みに見惚れて、パートナーの女性に二の腕をきつくつねられている。
「最初から、そう言ってくださればいいのです」
「失礼しました。けれど、貴方に声を掛ける所から、私の勝負が始まっているものですから」
「勝負、ですか」
 ヴィヴィアンが思案気な声を出すと、コンラートは身を屈めて彼女の耳元に顔を寄せた。
「貴方の存在を、利用させて頂きたいのです。勿論、相応のお礼は致します」
 体の芯に響くような低い声に不意打ちで囁かれて、ヴィヴィアンの背が、ゾクリとした。
「…これも、貴方の勝負の一環ですか?」
「えぇ」
「わたくし、お礼は要りません。対等なお取引さえして頂ければ、それでいいの」
「対等な、ですか」
「お礼、と仰るけれど、何を想定していらっしゃるのかしら。宝石もドレスも要らないわ」
「そうですね…」
 今度は、コンラートが思案気な顔をして、ヴィヴィアンの背に回した手に力を入れ、抱き寄せる。
「私とデート、と言うのは?」
 コンラートの浮かべた笑みに一瞬目を奪われた後、その言葉の内容に、ヴィヴィアンは、思わず吹き出しそうになった。
「まぁ!凄い自信なのね」
 愛人希望の芸術家の卵達と異なり、不快感がないのは、正々堂々と真っ向から勝負を仕掛けられたからだ。
 取引材料は、明示してくれなくては。
 とは言え、取引になるかは別の話。
「おや、ご興味がない?割とモテる方なのですが」
「貴方が女性の目を惹きつける事に異論はありませんわ。ただ、わたくしには必要ないだけ」
「それは残念です。私は、貴方とデートがしたいのに」
 軽口だ、と思っても、彼の瞳が真剣に見えるから、本音かもしれない、とうっかり思いそうになって、そんなわけがない、とヴィヴィアンは自嘲した。
 危ない危ない。
 なるほど、自覚のあるモテ男は、こうして女性を落とすのか。
「デート以外でお考えになって」
 ふむ、とコンラートは口を閉じると、
「私の持ちかける取引に、興味を持って頂けた、と考えてよろしいか?」
と尋ねた。
「酷い方ね。貴方は既に、わたくしの意思に関係なく、わたくしを勝負の駒として引き込んでいるのでしょう?巻き込まれるのならば、どんな勝負をなさっているのか、把握しなくては身を守れませんから」
 コンラートの勝負が既に始まっていると言うのなら、『取引』を承諾するかどうかはさておき、ヴィヴィアンに火の粉が降りかかる可能性は高い。
 ただのダンスにしては、体の距離も、顔の距離も近いのは、その勝負の為なのだろう。
 悔しい事に、夫であるトビアスが、嫌々組んでくる腕に比べて、しっかりとヴィヴィアンを支えるコンラートの腕には、安心感すらある。
「では、貴方のお時間をこの後も頂いても?」
「仕方ありませんわね。取引が成立するかは別のお話ですけれど」
「えぇ、構いません。けれど、貴方にとっても悪いお話ではないと思います」
 曲が終わると、コンラートはヴィヴィアンの指先に、再度口づけた。
 ヴィヴィアンはそれを、泰然と受ける。
 コンラートが、敢えて、人妻であるヴィヴィアンを選んだのには、理由がある筈だ。
 美丈夫である彼に溺れない、それなりに目立つ女性。
 きっとそれが、ヴィヴィアンを選んだ理由。
 ならば、彼に心を寄せているように見えない方が、コンラートにとっても、勿論、ヴィヴィアンにとっても、好都合だろう。
「わたくし、久し振りのダンスで、少し暑くなってしまいました」
「では、夜風で涼みませんか?」
 わざとらしい会話。
 これは、周囲の人間に聞かせる為のもの。
「そうですわね…エスコートしてくださる?」
「喜んで」
 甲斐甲斐しくヴィヴィアンに寄り添うコンラートに、決して浮足立たず、彼が特別なのだと言う素振りは見せないヴィヴィアン。
 バルコニーへと向かう二人の背後から、
「あの男性は何方…?」
「お二人はどのようなご関係で…」
と、ひそひそと囁く声が聞こえる。
 恐らくはこれも、コンラートの作戦だ。
 コンラートが迷いなく一つのバルコニーを選ぶと、さり気なく出入口周辺に数人の男が立ち、人の出入りを妨げるように目隠しとなる。
 ヴィヴィアンは、コンラートの鮮やかな手腕に気づかぬまま、バルコニーへと足を踏み入れたのだった。

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