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早く、彼女の元に戻らなくては、と踵を返したそのとき。
「ルシアン殿下!」
甘ったるい、声。
両手に飲み物のグラスを持った俺に向かって、はしたなく足音を立てて駆け寄って来るのは――
「フィオナ・レヴィン嬢」
光属性を持つ五年生のフィオナ・レヴィン男爵令嬢。
……リタが、俺と懇意だと思っていた令嬢だ。
「ご卒業、おめでとうございます!」
騒がしいパーティ会場の中でも、彼女の声は大きく良く通り、耳に痛いくらいだ。
なんだ? 彼女は声を張らないと話せないのか?
落ち着きのない所作といい、大声といい、快活さはアピールできるのかもしれないが、好ましくは感じられない。
以前から気になっていた事が、気に障るまでになったのは、リタの落ち着いた声に慣れたからか。
「……あぁ、ありがとう」
だが、そんな気持ちを表面に出さないのは、王族として当たり前。
いつものように当たり障りのない笑みを浮かべると、レヴィン男爵令嬢は頬を染め、淑女らしからぬ満面の笑みを見せた。
彼女が身動きする度に、甘いだけで薄っぺらい香りがこちらにまで漂ってくる。
「殿下には、私の入学以来、目を掛けていただいて、心から感謝してるんですっ」
目を掛けた……?
光属性の生徒には等しく声を掛けるようにしているが、その事を言っているのか?
「アカデミーでお会いできなくなるのは寂しいですが、再会を楽しみにしてますねっ! その時にはぜひ、お名前で呼ばせてくださいっ!」
……なぜ、レヴィン男爵令嬢は当然のように、また俺に会えると思っているのだろう?
そのうえで、名で呼びたいとは、どれだけ図々しいのか。
アカデミーを卒業すれば、在学中と同じように振る舞う事はできない。
アカデミー在学期間は、ある種の治外法権なのだ。
今後は、例え、同じ場にいたとしても、俺から声を掛けない限り、男爵令嬢である彼女に俺と会話する機会など生まれない。
そして、治癒魔法師になれないのならば、俺が彼女と縁を繋ぎ続けるメリットはない。
「機会があれば」
名を呼ぶ許可については触れず、そのまま、リタのもとに向かおうとした俺の進路を、無作法に塞ぐレヴィン男爵令嬢。
「あのっ、記念に、一曲踊っていただけませんかっ?」
「……」
彼女には、俺が両手に掲げるグラスが見えないのだろうか。
中身の入ったグラスを持っているという事は、休憩を取ろうとしているという事。
そして、そのグラスが二つあるという事は、同行者がいるという事だ。
令嬢としての基本すらなっていないレヴィン男爵令嬢に、思わず、小さく溜息を吐く。
「折角のお誘いだが、今日は婚約者以外と踊る気はないんだ」
「……婚約者? では、まさか、先ほどの方が……?」
初耳なのか、「そんな……」と呟くレヴィン男爵令嬢。
俺に婚約者がいるという話は、秘匿事項でもなんでもない。
少しでも調べればわかる事を、レヴィン男爵令嬢は知らなかったらしい。
俺がリタと踊っていたのを見ていたようなのに、彼女が婚約者だとは露とも思わなかったようだ。
いつものように、乞われた順に相手をしているとでも思ったのか?
――まさか、俺と自分が「懇意」だとでも思っていたのではないだろうな?
確かに、光属性の生徒が入学すると知って、声は掛けた。
姿を見掛けた時には、魔力量の確認を兼ねて世間話程度の会話は交わした。
学内の交流会で、ダンスを踊った事も一、二度あるかもしれない。
だが、それだけだ。
そして、その程度の交流をした令嬢が他にいないわけではない。
彼女達とレヴィン男爵令嬢の違いは、魔法属性だけ。
なのに――彼女は、稀有な光属性を持っている自分は、他の令嬢とは違う、とでも思っていたのか?
いや、確かに、彼女の光属性には意味があった。
もしも、彼女が他の属性ならば、俺が声を掛ける事はなかったのだから。
「婚約者を待たせているので、失礼する」
「殿下……っ」
リタの耳に、俺とレヴィン男爵令嬢が懇意であるとの噂を吹き込んだのが誰かはわからない。
だが、たったこれだけの交流で疑いを向けられるのであれば、これ以上、会話を続けるわけにもいかない。
兄上の立太子への道筋を盤石にするためとはいえ、リタ本人の意思を無視して、仮初の婚約に巻き込んだのは俺だ。
これ以上、彼女を不要に傷つける事はしたくない。
まだ何か言っているレヴィン男爵令嬢を置き去りにし、すれ違う人々の卒業を祝う言葉に適当に返事しながら、ようやく、リタのもとに辿り着いた時には、リタの周囲には茶会で面識を得た面々が集っていた。
リタの所作と知識に、感銘を受けていた様子の者達だ。
「ようやくお戻りですか、殿下。せめて、フレマイア嬢の元を離れる前に、私達にお声掛けくださいよ。お二人の時間をお邪魔してはいけない、と遠慮していたのですから」
(あぁ、リタを一人で放置するな、という事か)
軽口に見せ掛けた注意に己の思い至らなさに気づいて、苦笑しながらリタにグラスを一つ渡すと、彼女はにこりと微笑んでくれる。
「ありがとうございます、ルシアン様」
「随分と待たせてしまったようだな」
「皆様がお相手してくださいましたから、有意義な時間でしたわ」
リタの涼やかな声に、すっと心が落ち着いていく。
思っていた以上に、レヴィン男爵令嬢の甲高い声が不快だったらしい。
「そうか。皆も、リタの話し相手をありがとう」
「殿下にお礼を言われるなんて、明日は槍でも降りそうですね」
揶揄うように言うのは、俺が何者になってもついてきてくれると信じられる数少ない友人のロブ・デイヴィス。
彼は、茶会の時もリタを試すような真似は一切せず、彼女が居心地よく過ごせるように気を配ってくれた。
俺が白の令嬢であるリタを婚約者に選んだ理由を理解し、兄上と王太子の座を争いたくないという俺の気持ちに配慮してくれる男だ。
……まぁ、そんなロブにも、リタは仮初の婚約者だとは話せないわけだが……
流れていた曲が変わり、例の踊り手泣かせの曲が始まる。
リタに視線をやると、彼女もまた、こちらを見ていた。
挑戦的に見えるのは、俺の心持ちのせいだろうか。
「お相手、願えますか?」
「光栄です」
空いたグラスをロブに押しつけると、リタの手を取って、がらんと空いたフロアの中央に堂々と進み出る。
俺達以外にこの曲に挑むのは、ともに騎士の家系で運動神経抜群のカップルと、生まれてからずっと一緒という幼馴染カップルの二組だけ。
この曲は、テンポが早くステップが複雑なため、令嬢達には人気がない。
手順通りのステップではなく、いくつかの動作を音楽に合わせて組み替える事ができる自由度の高さは、裏を返せば、いかに女性がリードするパートナーを信頼して身を委ねる事ができるか、複雑なステップについていくだけの体力と技術があるかを問われるという事でもある。
仲の良い婚約者が相手であっても、人前で披露できるだけの完成度にするには、難易度が高い。
だからこそ、休憩中、という名目で見学に回る者が多いのだ。
先ほどのファーストダンスは、参加者ほぼ全員がフロアにいたために密集度が高く、俺とリタのダンスが目に入った者は限られていた。
しかし、今はフロアに三組だけ。
これだけ、注目を浴びていたら、俺の婚約について明日には王都中に噂が巡る事だろう。
目を見交わすと、慣れた仕草でリタが俺の背に腕を回す。
互いに無言なのに、息遣い、足の運び、顔の向き、そんな些細な事柄から、リタが次にどう動きたいのか、手に取るようにわかった。
そして、その通りに動いてみると、リタの動きが一層軽やかに、表情が華やかになっていく。
(これが、『相手を気遣う』という事か?)
かつて感じた事のない一体感に、気持ちがどんどん高揚していくのがわかる。
流れるような動きの中、おもむろにリタが口を開いた。
「先ほどのご令嬢……お相手せずとも、よろしかったのですか?」
「先ほどの令嬢?」
「あの方が、光属性のご令嬢ですよね?」
(レヴィン男爵令嬢か)
彼女に絡まれているところを、リタも見ていたという事だ。
「卒業祝いの挨拶を受けただけだ。今日は、リタ以外と踊る気はない」
「ですが」
「踊っていて楽しいのは、君だけだからな」
偽りなくそう告げると、リタが一瞬、息を飲む。
その表情が思いがけずに可愛らしく見えて、頬が緩んだ。
「俺はこうしていて楽しいが、君は違うのか?」
「いえ……楽しい、です」
リタの小声での返事と赤く染まった頬に、バクン、胸が大きく一つ波打つ。
思わず、衝動的にリタの細い腰を抱き寄せ持ち上げると、彼女は大きく目を見開いた。
「ルシアン様?」
装飾灯の煌びやかな灯りに、リタの白い髪が靡きながらキラキラと輝く。
細い首元を飾る俺の瞳と同じ色のイエローダイヤモンドが、ちかりと光を反射する。
光沢を抑えた瑠璃色のドレスも、角度によって仄かに煌めいている。
(眩しい……)
「……綺麗だな」
意図せず、言葉が零れ落ちた。
リタの驚いた顔に、自分が何を口走ったか気がついて、頬がカッと熱くなる。
「本当に、楽しいです……ご卒業、おめでとうございます、ルシアン様」
俺の気まずさを、流そうとしたのだろうか。
リタが、微笑む。
少し泣きそうに見えるその笑顔はやっぱり綺麗で、照れ隠しのように、抱き上げたリタの体を曲に合わせて高く掲げ、そのまま、くるくると回転してみる。
もちろん、今日の目的を忘れたわけじゃない。
目立つ行動を取るついでに、周囲の反応を観察する事が目的――というのは、いかにもとってつけた言い訳に聞こえるだろうか。
「きゃっ」
唐突な行動に、一瞬、ぐらりと体勢を崩し掛けたリタは、俺の肩に両手をついて体を支えると、「ふふ」と笑った。
口の端を上げる微笑みではなく、白い歯が見え、大きな瞳が細められた笑み。
彼女の細い腕が、俺の視界のすぐ横にある。
ふわん、と鼻先にほのかに香るのは、彼女が使う香油か香水か。
思っていた以上に顔が近くて、胸の奥が、きゅ、と引き絞られるように苦しくなった。
きゃあ、とも、わぁ、ともつかない声が、周囲の観客から漏れている。
頬を紅潮させて囃し立てる者、目を輝かせて声援を送る者、羨望の眼差しを送る者――そして、リタを憎々しげに睨みつける者。
(フィオナ・レヴィン……)
確かに。
基本的に王族の婚約者になる者は高位貴族から選ばれるが、希少な光属性の保持者であれば、例外が認められる。
だから、下位貴族であっても、レヴィン男爵令嬢にまったく機会がないわけではなかった。
もしも、レヴィン男爵令嬢が稀有な治癒魔法の使い手で、王宮魔法師になれる素養があったならば、彼女を婚約者にする選択肢もあっただろう。
彼女の生家が男爵家である事を理由に、俺が王位を望んでいない事を示す「王妃に相応しくない令嬢」としての条件もまた、満たす事ができるからだ。
しかし、レヴィン男爵令嬢は光属性ではあるものの、その魔力量は微々たるもの。いくら希少属性とはいえ、説得力を持たせられるほどではない。
総合的に見て、リタがいるのにあえて、レヴィン男爵令嬢を選ぶ理由は、何一つないのだ。
(それがわからない時点で、選ぶ筈もないのに)
アカデミーの中で、光属性の令嬢は彼女一人。
だから、もしかすると誰かが、彼女を焚きつけたのかもしれない。
それこそ、俺に権力を持たせたくない兄上派の貴族が考えそうな事だ。
だが、彼らにも理解できただろう。
完璧な令嬢、ただし、白の令嬢であるリタを俺が選んだ意味が。
(……狙い通り、なのに……)
彼女を見世物のようにしている自分自身が、嫌になる。
最初から覚悟していた筈だ。
リタを人目に晒すという事は、彼女に好奇の視線が向けられるという事。
(いや……だが、どちらかというと、好意的な視線が多くはないか?)
見慣れぬ白の者に対する好奇や嫌悪ではなく、リタ自身の容姿や仕草、振る舞いに、むしろ、羨望の眼差しを向けている者が多いような……?
(ダンスのせいか?)
踊り手泣かせのダンスではあるが、令嬢達の中では、心通じた愛し合う相手と、完璧に踊りこなすのが夢なのだ、という話を小耳に挟んだ事がある。
もしや、このダンスの選択が、彼らの心証を作ったのか……?
確かに、リタは微笑みながら楽しそうに踊っている。
俺もまた、いつになく穏やかに見えるのは事実だろう。
その姿が、俺達の関係を肯定的に見せているのか……?
いずれにせよ、好意的な反応が得られた事は、望ましい。
――こうして、俺にとって一世一代の大博打とも呼べる「王妃の座に相応しくない婚約者の披露」は、成功に終わったのだった。
「ルシアン殿下!」
甘ったるい、声。
両手に飲み物のグラスを持った俺に向かって、はしたなく足音を立てて駆け寄って来るのは――
「フィオナ・レヴィン嬢」
光属性を持つ五年生のフィオナ・レヴィン男爵令嬢。
……リタが、俺と懇意だと思っていた令嬢だ。
「ご卒業、おめでとうございます!」
騒がしいパーティ会場の中でも、彼女の声は大きく良く通り、耳に痛いくらいだ。
なんだ? 彼女は声を張らないと話せないのか?
落ち着きのない所作といい、大声といい、快活さはアピールできるのかもしれないが、好ましくは感じられない。
以前から気になっていた事が、気に障るまでになったのは、リタの落ち着いた声に慣れたからか。
「……あぁ、ありがとう」
だが、そんな気持ちを表面に出さないのは、王族として当たり前。
いつものように当たり障りのない笑みを浮かべると、レヴィン男爵令嬢は頬を染め、淑女らしからぬ満面の笑みを見せた。
彼女が身動きする度に、甘いだけで薄っぺらい香りがこちらにまで漂ってくる。
「殿下には、私の入学以来、目を掛けていただいて、心から感謝してるんですっ」
目を掛けた……?
光属性の生徒には等しく声を掛けるようにしているが、その事を言っているのか?
「アカデミーでお会いできなくなるのは寂しいですが、再会を楽しみにしてますねっ! その時にはぜひ、お名前で呼ばせてくださいっ!」
……なぜ、レヴィン男爵令嬢は当然のように、また俺に会えると思っているのだろう?
そのうえで、名で呼びたいとは、どれだけ図々しいのか。
アカデミーを卒業すれば、在学中と同じように振る舞う事はできない。
アカデミー在学期間は、ある種の治外法権なのだ。
今後は、例え、同じ場にいたとしても、俺から声を掛けない限り、男爵令嬢である彼女に俺と会話する機会など生まれない。
そして、治癒魔法師になれないのならば、俺が彼女と縁を繋ぎ続けるメリットはない。
「機会があれば」
名を呼ぶ許可については触れず、そのまま、リタのもとに向かおうとした俺の進路を、無作法に塞ぐレヴィン男爵令嬢。
「あのっ、記念に、一曲踊っていただけませんかっ?」
「……」
彼女には、俺が両手に掲げるグラスが見えないのだろうか。
中身の入ったグラスを持っているという事は、休憩を取ろうとしているという事。
そして、そのグラスが二つあるという事は、同行者がいるという事だ。
令嬢としての基本すらなっていないレヴィン男爵令嬢に、思わず、小さく溜息を吐く。
「折角のお誘いだが、今日は婚約者以外と踊る気はないんだ」
「……婚約者? では、まさか、先ほどの方が……?」
初耳なのか、「そんな……」と呟くレヴィン男爵令嬢。
俺に婚約者がいるという話は、秘匿事項でもなんでもない。
少しでも調べればわかる事を、レヴィン男爵令嬢は知らなかったらしい。
俺がリタと踊っていたのを見ていたようなのに、彼女が婚約者だとは露とも思わなかったようだ。
いつものように、乞われた順に相手をしているとでも思ったのか?
――まさか、俺と自分が「懇意」だとでも思っていたのではないだろうな?
確かに、光属性の生徒が入学すると知って、声は掛けた。
姿を見掛けた時には、魔力量の確認を兼ねて世間話程度の会話は交わした。
学内の交流会で、ダンスを踊った事も一、二度あるかもしれない。
だが、それだけだ。
そして、その程度の交流をした令嬢が他にいないわけではない。
彼女達とレヴィン男爵令嬢の違いは、魔法属性だけ。
なのに――彼女は、稀有な光属性を持っている自分は、他の令嬢とは違う、とでも思っていたのか?
いや、確かに、彼女の光属性には意味があった。
もしも、彼女が他の属性ならば、俺が声を掛ける事はなかったのだから。
「婚約者を待たせているので、失礼する」
「殿下……っ」
リタの耳に、俺とレヴィン男爵令嬢が懇意であるとの噂を吹き込んだのが誰かはわからない。
だが、たったこれだけの交流で疑いを向けられるのであれば、これ以上、会話を続けるわけにもいかない。
兄上の立太子への道筋を盤石にするためとはいえ、リタ本人の意思を無視して、仮初の婚約に巻き込んだのは俺だ。
これ以上、彼女を不要に傷つける事はしたくない。
まだ何か言っているレヴィン男爵令嬢を置き去りにし、すれ違う人々の卒業を祝う言葉に適当に返事しながら、ようやく、リタのもとに辿り着いた時には、リタの周囲には茶会で面識を得た面々が集っていた。
リタの所作と知識に、感銘を受けていた様子の者達だ。
「ようやくお戻りですか、殿下。せめて、フレマイア嬢の元を離れる前に、私達にお声掛けくださいよ。お二人の時間をお邪魔してはいけない、と遠慮していたのですから」
(あぁ、リタを一人で放置するな、という事か)
軽口に見せ掛けた注意に己の思い至らなさに気づいて、苦笑しながらリタにグラスを一つ渡すと、彼女はにこりと微笑んでくれる。
「ありがとうございます、ルシアン様」
「随分と待たせてしまったようだな」
「皆様がお相手してくださいましたから、有意義な時間でしたわ」
リタの涼やかな声に、すっと心が落ち着いていく。
思っていた以上に、レヴィン男爵令嬢の甲高い声が不快だったらしい。
「そうか。皆も、リタの話し相手をありがとう」
「殿下にお礼を言われるなんて、明日は槍でも降りそうですね」
揶揄うように言うのは、俺が何者になってもついてきてくれると信じられる数少ない友人のロブ・デイヴィス。
彼は、茶会の時もリタを試すような真似は一切せず、彼女が居心地よく過ごせるように気を配ってくれた。
俺が白の令嬢であるリタを婚約者に選んだ理由を理解し、兄上と王太子の座を争いたくないという俺の気持ちに配慮してくれる男だ。
……まぁ、そんなロブにも、リタは仮初の婚約者だとは話せないわけだが……
流れていた曲が変わり、例の踊り手泣かせの曲が始まる。
リタに視線をやると、彼女もまた、こちらを見ていた。
挑戦的に見えるのは、俺の心持ちのせいだろうか。
「お相手、願えますか?」
「光栄です」
空いたグラスをロブに押しつけると、リタの手を取って、がらんと空いたフロアの中央に堂々と進み出る。
俺達以外にこの曲に挑むのは、ともに騎士の家系で運動神経抜群のカップルと、生まれてからずっと一緒という幼馴染カップルの二組だけ。
この曲は、テンポが早くステップが複雑なため、令嬢達には人気がない。
手順通りのステップではなく、いくつかの動作を音楽に合わせて組み替える事ができる自由度の高さは、裏を返せば、いかに女性がリードするパートナーを信頼して身を委ねる事ができるか、複雑なステップについていくだけの体力と技術があるかを問われるという事でもある。
仲の良い婚約者が相手であっても、人前で披露できるだけの完成度にするには、難易度が高い。
だからこそ、休憩中、という名目で見学に回る者が多いのだ。
先ほどのファーストダンスは、参加者ほぼ全員がフロアにいたために密集度が高く、俺とリタのダンスが目に入った者は限られていた。
しかし、今はフロアに三組だけ。
これだけ、注目を浴びていたら、俺の婚約について明日には王都中に噂が巡る事だろう。
目を見交わすと、慣れた仕草でリタが俺の背に腕を回す。
互いに無言なのに、息遣い、足の運び、顔の向き、そんな些細な事柄から、リタが次にどう動きたいのか、手に取るようにわかった。
そして、その通りに動いてみると、リタの動きが一層軽やかに、表情が華やかになっていく。
(これが、『相手を気遣う』という事か?)
かつて感じた事のない一体感に、気持ちがどんどん高揚していくのがわかる。
流れるような動きの中、おもむろにリタが口を開いた。
「先ほどのご令嬢……お相手せずとも、よろしかったのですか?」
「先ほどの令嬢?」
「あの方が、光属性のご令嬢ですよね?」
(レヴィン男爵令嬢か)
彼女に絡まれているところを、リタも見ていたという事だ。
「卒業祝いの挨拶を受けただけだ。今日は、リタ以外と踊る気はない」
「ですが」
「踊っていて楽しいのは、君だけだからな」
偽りなくそう告げると、リタが一瞬、息を飲む。
その表情が思いがけずに可愛らしく見えて、頬が緩んだ。
「俺はこうしていて楽しいが、君は違うのか?」
「いえ……楽しい、です」
リタの小声での返事と赤く染まった頬に、バクン、胸が大きく一つ波打つ。
思わず、衝動的にリタの細い腰を抱き寄せ持ち上げると、彼女は大きく目を見開いた。
「ルシアン様?」
装飾灯の煌びやかな灯りに、リタの白い髪が靡きながらキラキラと輝く。
細い首元を飾る俺の瞳と同じ色のイエローダイヤモンドが、ちかりと光を反射する。
光沢を抑えた瑠璃色のドレスも、角度によって仄かに煌めいている。
(眩しい……)
「……綺麗だな」
意図せず、言葉が零れ落ちた。
リタの驚いた顔に、自分が何を口走ったか気がついて、頬がカッと熱くなる。
「本当に、楽しいです……ご卒業、おめでとうございます、ルシアン様」
俺の気まずさを、流そうとしたのだろうか。
リタが、微笑む。
少し泣きそうに見えるその笑顔はやっぱり綺麗で、照れ隠しのように、抱き上げたリタの体を曲に合わせて高く掲げ、そのまま、くるくると回転してみる。
もちろん、今日の目的を忘れたわけじゃない。
目立つ行動を取るついでに、周囲の反応を観察する事が目的――というのは、いかにもとってつけた言い訳に聞こえるだろうか。
「きゃっ」
唐突な行動に、一瞬、ぐらりと体勢を崩し掛けたリタは、俺の肩に両手をついて体を支えると、「ふふ」と笑った。
口の端を上げる微笑みではなく、白い歯が見え、大きな瞳が細められた笑み。
彼女の細い腕が、俺の視界のすぐ横にある。
ふわん、と鼻先にほのかに香るのは、彼女が使う香油か香水か。
思っていた以上に顔が近くて、胸の奥が、きゅ、と引き絞られるように苦しくなった。
きゃあ、とも、わぁ、ともつかない声が、周囲の観客から漏れている。
頬を紅潮させて囃し立てる者、目を輝かせて声援を送る者、羨望の眼差しを送る者――そして、リタを憎々しげに睨みつける者。
(フィオナ・レヴィン……)
確かに。
基本的に王族の婚約者になる者は高位貴族から選ばれるが、希少な光属性の保持者であれば、例外が認められる。
だから、下位貴族であっても、レヴィン男爵令嬢にまったく機会がないわけではなかった。
もしも、レヴィン男爵令嬢が稀有な治癒魔法の使い手で、王宮魔法師になれる素養があったならば、彼女を婚約者にする選択肢もあっただろう。
彼女の生家が男爵家である事を理由に、俺が王位を望んでいない事を示す「王妃に相応しくない令嬢」としての条件もまた、満たす事ができるからだ。
しかし、レヴィン男爵令嬢は光属性ではあるものの、その魔力量は微々たるもの。いくら希少属性とはいえ、説得力を持たせられるほどではない。
総合的に見て、リタがいるのにあえて、レヴィン男爵令嬢を選ぶ理由は、何一つないのだ。
(それがわからない時点で、選ぶ筈もないのに)
アカデミーの中で、光属性の令嬢は彼女一人。
だから、もしかすると誰かが、彼女を焚きつけたのかもしれない。
それこそ、俺に権力を持たせたくない兄上派の貴族が考えそうな事だ。
だが、彼らにも理解できただろう。
完璧な令嬢、ただし、白の令嬢であるリタを俺が選んだ意味が。
(……狙い通り、なのに……)
彼女を見世物のようにしている自分自身が、嫌になる。
最初から覚悟していた筈だ。
リタを人目に晒すという事は、彼女に好奇の視線が向けられるという事。
(いや……だが、どちらかというと、好意的な視線が多くはないか?)
見慣れぬ白の者に対する好奇や嫌悪ではなく、リタ自身の容姿や仕草、振る舞いに、むしろ、羨望の眼差しを向けている者が多いような……?
(ダンスのせいか?)
踊り手泣かせのダンスではあるが、令嬢達の中では、心通じた愛し合う相手と、完璧に踊りこなすのが夢なのだ、という話を小耳に挟んだ事がある。
もしや、このダンスの選択が、彼らの心証を作ったのか……?
確かに、リタは微笑みながら楽しそうに踊っている。
俺もまた、いつになく穏やかに見えるのは事実だろう。
その姿が、俺達の関係を肯定的に見せているのか……?
いずれにせよ、好意的な反応が得られた事は、望ましい。
――こうして、俺にとって一世一代の大博打とも呼べる「王妃の座に相応しくない婚約者の披露」は、成功に終わったのだった。
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設定はゆるめです。
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