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ドレスの採寸に俺が立ち会う必要もないため、三日後にフレマイア家に仕立て屋を送るように手配した。
アカデミーの卒業パーティなのだから、主役は卒業生だ。
同伴する者がいるとしても、あくまでも主役を引き立てる装いに留めなくてはならない。
リタは、ただでさえ純白の髪で人目を惹く。
彼女が白の令嬢である事を強調したい場なのだからそれでいいのだが、彼女が『俺の』婚約者である事もまた、はっきりと周知させる必要がある。
俺が、あえて魔力を持たない令嬢と婚約を結んでいる理由。
アカデミーに関係する貴族の子女であれば、詳しく説明せずとも、その意図を理解できるはずだ。
俺は普段、公式の場での衣装は髪色に合わせて青系統を身に着ける事が多い。
リタにも、俺が贈ったと一目でわかるようなドレスを身に着けて貰う必要がある。
その点、彼女の白い髪に淡い灰銀の瞳は何色とも馴染むから、ちょうどいいだろう。
「ラルフ。リタ・フレマイア侯爵令嬢について、調べろ」
「調べる、というのは、主にどのような事をでしょうか」
侍従であり、乳兄弟のラルフに指示すると、彼はわずかに首を傾げた。
俺がリタと婚約した経緯を知っている数少ない人間だ。
「すべて、だ。生まれた時から、これまでフレマイア家で送って来た生活まで、すべて。お前も彼女の所作を見ただろう? 王族女性に匹敵する所作を指導できる家庭教師など、そう多くはない。だが、俺はこれまで、フレマイア侯爵令嬢を指導したという家庭教師の話を聞いた事がない。もしも、フレマイア侯爵が王家の知らぬ家庭教師と繋がりがあるというのなら、今後のためにも知っておきたいと思うのは何も不思議な事ではなかろう」
「ならば、直接フレマイア侯爵令嬢にお尋ねになればよかったのでは……」
もちろん、その方法がないわけではない。
だが。
「彼女が真実を話すとは限らない」
俺達の関係を一言で言えば『婚約者』ではあるが、そこに信頼関係はまったくない。
彼女は、本気で隠そうとしていたわけではない事も、俺が『命令』するまで語ろうとはしなかった。
この六年の間に、俺と彼女の間で行き交った手紙は合わせて十一通。
いずれも、誕生祝のメッセージカードだけで、互いの近況について文を交わした事はまったくないのだ。
俺が彼女の容姿すら知らなかったように、彼女も俺を信頼している筈がない。
それも当然の話で、これまで一切の接触がなく、一度たりとも婚約者として扱った事のない人間を、どうすれば信頼できるというのか。
これまでは、それでいい、と思っていた。
いや、そもそも、彼女の心情について考えた事などなかった。
あくまでもこの婚約は、クリフォード兄上の立太子を確たるものにするための材料に過ぎないのだから。
――……けれど。
何も知らないと思っていた令嬢が、こちらの思惑をすべて理解したうえで受け入れていた事実に、ひどく衝撃を受けた。
ただ、父親の言う事に諾々と従っているのではなく、彼女自身が周囲の状況を把握している――つまり、彼女は、自分の頭で物事を考えている。
それは、リタが心を持った一人の人間である事実を、俺に気がつかせた。
気がついた、という事は、これまで、俺はそんな事すら認識していなかったという事だ。
自分が思っていた以上に、俺の行動は傲慢で独善的なものだった。
彼女が心を持つ存在であると理解してしまえば、俺達の婚約破棄が、彼女の体面だけではなく、尊厳もまた傷つけるものである事に気づく。
リタを傷つける事が確定しているのだから、これ以上、深い傷をつけないためにも、このまま、彼女について何も知らないまま、対面するわけにはいかない。
いくら、彼女の保護者であるフレマイア侯爵の方から申し出た事であったとはいえ、一人の女性の人生を翻弄しているのは確かなのだから。
フレマイア侯爵家に送った仕立て屋と面会したのは、彼らがフレマイア家を訪問した二日後の事だった。
仕立て屋、といっても、普段は俺専属の仕立てをしている者達で、王家内部のいざこざも、俺とリタが疎遠である事も、すべて承知している。
王家が支援する孤児院で暮らしていたのだが、裁縫の才能があった事から俺個人で支援し、専属として引き立てた経緯があり、俺に絶対的な忠誠を誓ってくれていた。
彼らには、俺や俺直属の部下の目がない場でのリタの様子を報告するよう、依頼してあったのだ。
「エリス、エルシー、報告を」
兄のエリスと妹のエルシーは、双子ならではの息の合った作業で、仕事が早く重宝している。
卒業パーティまで二ヶ月を切っていても、二人ならば、俺の想像以上のドレスを仕上げて来る事だろう。
二人は顔を見合わせると、エルシーの方が口を開いた。
「お申し付け通り、リタ・フレマイア侯爵令嬢の採寸のためにフレマイア侯爵邸を訪問して参りました。型や色は順調に決定し、予定通りでしたら、卒業パーティの一週間前には完成いたします」
「そうか」
想定通りだ。
二人には俺が着る礼装一式も頼んでいるから、一週間前に完成するのなら十分だろう。
リタの申告通り、彼女がこれまでにドレスを仕立てた事がないならば、型を決めるのに時間が掛かるかと思ったが、順調だったという事は、彼女の物言いが大袈裟だったわけか。
しかし、双子はなおも戸惑った表情をしている。
「なんだ? 何か気に掛かる事があったのか?」
「それが……」
細部まで思い出すように、ぽつりぽつりとたどたどしく説明するエリス。
その内容に、俺は思わず、瞠目した。
エリスとエルシーが訪問すると、彼らはフレマイア侯爵邸の一室に通された。
貴族階級ではないエリス達の訪問で一般的に想定される流れは、出入りの商人が待機する通用口近くの待合室でリタの準備が整うまで控え、その後は私的な居間に招かれて、採寸、ドレスの詳細を相談する、というものになる。
私室に入るのは、手持ちのドレスや装飾品を参考にできるよう、ドレスルームから近い場所に通される事が多いからだ。
採寸する際には下着姿になるので、防犯上の問題もある。
ところが、エリス達が通されたのは、最上級の格ではないとはいえ、上客を迎えるための応接間だった。平民である彼らが足を踏み入れるような場所ではない。
王子である俺が派遣した仕立て屋として配慮されたのか、と考えた二人は、直接、リタが応接間を訪れた事で、その考えが間違っていた事に気づく。
「ごめんなさいね、殿下に紹介していただく仕立て屋さんが、男性とは思わなくて……」
リタは、申し訳なさそうに眉を下げると、控えていた侍女に衝立を持って来るように指示した。
つまり、私室ではなく、応接間で採寸をするという事。
リタ個人の居間の代わりに、応接間を使用するという事だ。
「私どもは普段、ルシアン殿下のお召し物の製作に携わらせていただいております」
そうエリスが説明すると、リタは、あぁ、と頷いた。
「貴方達が、双子の仕立て屋さんなのね。まさか、殿下専属の仕立て屋さんを紹介していただけるなんて」
エリスはここで一つ、疑問を抱いた。
俺の服を仕立てているのが双子の兄妹である事は、秘密ではないが公にしている事でもない。
男女の双子だけにエリスとエルシーはさほど似た顔立ちでもないし、魔力属性も、エリスが風、エルシーが地と異なるため、共通しているのは明るい鳶色の瞳くらい。
それだって、平民に多い色だから、家族であると言い切るには弱い。
それを、リタは初見で双子だと言い切った。
俺と一切の交流がなく、社交界に顔を出す事もないリタが、一体、どこで双子の事を知ったのか。
「まず、採寸をさせていただきます」
侍女が運んで来た衝立の裏で、エルシーがリタの採寸を始める。
採寸というものは、胴に腕を回したり、肩先から指先までメジャーがずれないように手を添えたり、と密着度が高い。
慣れない者は、ただ立っているように指示してもまっすぐに立っていられずにぐらついたり、他人との距離感を測りかねて戸惑ったり、と落ち着かない。
だが、リタは採寸の流れを把握しているのか、エルシーの動きやすいようにさり気なく姿勢を変え、声を掛けずとも姿勢を保持し、大変、協力的だった。
もちろん、ドレスの仕立てに慣れている令嬢ならばなんら不思議な事ではないが、リタは今までに一度も仕立てた事がない、と言っていたのに。
彼女が嘘を吐いたのか? ならば、その理由は? と、ここで二つ目の疑問。
「此度のルシアン殿下のお召し物は、光沢のある濃紺に銀糸の刺繍を考えております」
「そう……では、わたくしは、殿下のお召し物が映えるように一段明るいお色にしましょうか。銀のレース、もしくは刺繍を裾周りに少しだけ。装飾は控えめにお願いします」
てきぱきと口頭で指示を出すリタの様子は、仕立てに慣れている令嬢にしか見えない。
二人には、青系統を勧めるように話してあったため、青だけでも二十種類近い生地を持参していたが、リタは俺の礼装の光沢具合を聞いただけで、
「でしたら、わたくしは光沢がありつつも控えめなものにします」
と、即決した。
実際にリタが選んだ生地を見てみたが、襞山は光沢が出るけれど、地の部分は落ち着いて見える特徴を持つ織の生地だ。
輸入品なのでシャルイナ国内ではまだあまり出回っておらず、二人が内心、最も勧めたいと思っていたものだった。
「ドレスの型は……そうね、ダンスの時間があると伺っているから、スカート部分をフレアにしてダンスの際のシルエットを綺麗に。でも、立っている時には存在感が強く出過ぎないように、骨組みは入れず、ボリュームを控えめにしたパニエを入れましょう」
今現在のドレスの流行は、たっぷりと襞を取り、骨組みを入れてスカートをしっかりと膨らませるものだ。
流行から外れたリタの発言は、俺を立て、同伴者として控えめに見えるように、と聞こえなくもない。
だが、エリスによれば、リタの言うシルエットのドレスは、まことしやかに次の流行なのではないかと噂されているものらしい。
我が国のドレスの流行は、王都にある有名工房が翌シーズンに向けたデザインを発表する事から始まる。
当然、発表会までは情報漏洩しないように、徹底的に箝口令が敷かれている。
それでも、服飾関係者の間では、「これではないか」「あれではないか」と噂が飛び交うのが常だ。
そのデザイン発表会は来月頭。
卒業パーティ用のドレスのように、装飾が多く縫製過程の複雑な衣装を発表会後に仕立てるのは日程的に厳しいため、ほとんどの生徒が、今流行しているデザインか、伝統的なスタイルのドレスを着て来るだろう。
服飾を生業にしているエリス達ですら、自信を持って次の流行であると言い切れないデザインを、なぜ、素人であるはずのリタが口にしたのか。
まったく噂と異なるデザインを提案したならば、気にも留めなかっただろうけれど、噂が耳に入っているだけに、彼等は三つ目の疑問を抱いた。
「フレマイア嬢の侍女が、服飾に関心が高いのではないか?」
侯爵令嬢付きの侍女ならば、独自の情報網を持っていても不思議はない。
だが、双子は顔を見合わせた後、首を横に振った。
侍女達は、ドレスの選択に一切、意見を言わなかったという。
主人をより美しく飾り立てる事こそ、令嬢付き侍女の仕事。
であるからこそ、彼女達は時にドレスを纏う本人よりも熱心に意見を出すのだが、双子によれば、侍女達はリタの指示に従う以外、口を利く事なく、すべてはリタが一人で決めたのだそうだ。
そして、最後にして最大の疑問。
侍女達の手によって応接間に運び込まれたリタの所持品には、装飾品が一切なかった。
ドレスはすべて、既製品を体に合うように手直ししたもの。
ドレスによっては、刺繍やレースが装飾として加えられていたものの、十七歳という年齢を考えると、地味なものだった。
普段着ならばともかく、パーティのような華やかな場は当然の事、近しい関係の者との茶会で着るにも、侯爵令嬢の格には足りない。
先日、彼女が登城した際の地味なドレスが最も華やかだというのだから、他のドレスの地味さ加減は容易に想像がつく。
二人の疑問を見て取ったのか、リタは、
「わたくしは家から出る事がないから、ドレスも装飾品も必要としていなかったのよ。殿下にお会いする機会があるとわかっていれば、もう少し、格の高いものを用意しておいたのだけれど……恥ずかしいわ」
と困ったように笑ってみせたという。
「……私どもが訪問している時間、屋敷には侯爵夫人がご在宅でした。けれど、ご令嬢のドレスについて打ち合わせていた三時間の間、侯爵夫人にご挨拶する機会には恵まれませんでした」
一般的な親子関係であれば。
娘が婚約者から初めてドレスを贈られるとなれば、女親が色や型に口を出してくるケースは少なくない。
口出しをせずとも、王家から派遣された職人が訪問していると聞けば、様子見という名目で、面識を得ようとする者も多い。
俺と母のように、到底、親子と呼べない関係ならいざ知らず。
(あぁ……そういえばリタは、フレマイア侯爵についてはわずかながらでも語ったけれど、夫人については一言も口にしなかったな)
――彼女もまた、母親と不仲なのだろうか。
冷静に考えると、それはそう不思議な事でもなかった。
フレマイア侯爵は、男爵家のご令嬢と恋愛結婚している。
父上とアラーナ様の結婚以来、恋愛結婚する貴族は増えたものの、高位貴族のお相手が下位貴族というケースはあまり多くはない。
フレマイア家はシャルイナ建国から代々、高い魔力で軍の一角を支えて来た古い家柄だ。
魔力量は一般的に爵位の高さと比例する事が多く、夫人もまた、家格に相応しい程度の魔力量しか持たないため、二人の結婚は決して諸手を挙げて歓迎されるものではなかった。
そもそも、フレマイア侯爵には、婚約者に内定していた家門の令嬢がいたのだ。
最終的に侯爵自身が押し切った結婚だったが、夫人はプレッシャーからか、アシュトンを授かるまでに何年も掛かったそうだ。
それゆえに、夫妻はようやく授かった嫡男のアシュトンを溺愛しているのだと、社交界では有名な話だった。
アシュトンは高い地属性の魔力を示す濃茶の髪を持っているが、早産だった彼は、体の機能が未熟なままに生まれた。
十分に臓器が成長していなかった事から病弱で、魔導器官が未成熟なために魔力も不安定、十歳頃まで度々寝つき、屋敷の外に出る事すら儘ならなかったと聞く。
そんな中、年子で生まれたリタが白の者だったのだから、フレマイア家の親族から夫人への圧力は相当なものだっただろう。
しかも、フレマイア侯爵の言によれば、この出産で夫人は新たな子を望めなくなったというのだから、リタの存在に対して否定的な気持ちを持っている可能性は高いのではないか。
もちろん、リタが俺の同情を買うために、冷遇されている娘であると印象操作しようとしている、と考えられなくもない。
事実、過去に、高位貴族の子息が不憫な環境にある下位貴族の令嬢への同情から恋に落ち、婚約したのだが、実際には令嬢が彼を謀っていた、という事件があった。
だが、俺の気を惹くため、と考えるには、不自然な点が多過ぎる。
何よりも、先日、面会した際にあっさりと婚約破棄を口にしたリタは、俺を異性として見ているようには思えなかったし、王子妃の地位への執着があるようにも見えなかった。
ならば、これは事実であり、フレマイア家の日常と考えるのは、飛躍し過ぎているだろうか。
「第二王子とはいえ、王族の婚約者になった娘に対して、そのように関心が薄いのか……」
俺は勝手に、アシュトンを溺愛する姿勢を隠そうともしない侯爵夫妻を見ていて、リタもまた、同様に大切に守られている娘なのだと思い込んでいた。
溺愛している娘だからこそ、父であるフレマイア侯爵が王族の婚約者にねじ込んで来たのだ、と。
しかし、これでは、まるで。
「……実の娘に対する扱いではないな……」
彼女はただ、白の者として生まれただけであるというのに。
アカデミーの卒業パーティなのだから、主役は卒業生だ。
同伴する者がいるとしても、あくまでも主役を引き立てる装いに留めなくてはならない。
リタは、ただでさえ純白の髪で人目を惹く。
彼女が白の令嬢である事を強調したい場なのだからそれでいいのだが、彼女が『俺の』婚約者である事もまた、はっきりと周知させる必要がある。
俺が、あえて魔力を持たない令嬢と婚約を結んでいる理由。
アカデミーに関係する貴族の子女であれば、詳しく説明せずとも、その意図を理解できるはずだ。
俺は普段、公式の場での衣装は髪色に合わせて青系統を身に着ける事が多い。
リタにも、俺が贈ったと一目でわかるようなドレスを身に着けて貰う必要がある。
その点、彼女の白い髪に淡い灰銀の瞳は何色とも馴染むから、ちょうどいいだろう。
「ラルフ。リタ・フレマイア侯爵令嬢について、調べろ」
「調べる、というのは、主にどのような事をでしょうか」
侍従であり、乳兄弟のラルフに指示すると、彼はわずかに首を傾げた。
俺がリタと婚約した経緯を知っている数少ない人間だ。
「すべて、だ。生まれた時から、これまでフレマイア家で送って来た生活まで、すべて。お前も彼女の所作を見ただろう? 王族女性に匹敵する所作を指導できる家庭教師など、そう多くはない。だが、俺はこれまで、フレマイア侯爵令嬢を指導したという家庭教師の話を聞いた事がない。もしも、フレマイア侯爵が王家の知らぬ家庭教師と繋がりがあるというのなら、今後のためにも知っておきたいと思うのは何も不思議な事ではなかろう」
「ならば、直接フレマイア侯爵令嬢にお尋ねになればよかったのでは……」
もちろん、その方法がないわけではない。
だが。
「彼女が真実を話すとは限らない」
俺達の関係を一言で言えば『婚約者』ではあるが、そこに信頼関係はまったくない。
彼女は、本気で隠そうとしていたわけではない事も、俺が『命令』するまで語ろうとはしなかった。
この六年の間に、俺と彼女の間で行き交った手紙は合わせて十一通。
いずれも、誕生祝のメッセージカードだけで、互いの近況について文を交わした事はまったくないのだ。
俺が彼女の容姿すら知らなかったように、彼女も俺を信頼している筈がない。
それも当然の話で、これまで一切の接触がなく、一度たりとも婚約者として扱った事のない人間を、どうすれば信頼できるというのか。
これまでは、それでいい、と思っていた。
いや、そもそも、彼女の心情について考えた事などなかった。
あくまでもこの婚約は、クリフォード兄上の立太子を確たるものにするための材料に過ぎないのだから。
――……けれど。
何も知らないと思っていた令嬢が、こちらの思惑をすべて理解したうえで受け入れていた事実に、ひどく衝撃を受けた。
ただ、父親の言う事に諾々と従っているのではなく、彼女自身が周囲の状況を把握している――つまり、彼女は、自分の頭で物事を考えている。
それは、リタが心を持った一人の人間である事実を、俺に気がつかせた。
気がついた、という事は、これまで、俺はそんな事すら認識していなかったという事だ。
自分が思っていた以上に、俺の行動は傲慢で独善的なものだった。
彼女が心を持つ存在であると理解してしまえば、俺達の婚約破棄が、彼女の体面だけではなく、尊厳もまた傷つけるものである事に気づく。
リタを傷つける事が確定しているのだから、これ以上、深い傷をつけないためにも、このまま、彼女について何も知らないまま、対面するわけにはいかない。
いくら、彼女の保護者であるフレマイア侯爵の方から申し出た事であったとはいえ、一人の女性の人生を翻弄しているのは確かなのだから。
フレマイア侯爵家に送った仕立て屋と面会したのは、彼らがフレマイア家を訪問した二日後の事だった。
仕立て屋、といっても、普段は俺専属の仕立てをしている者達で、王家内部のいざこざも、俺とリタが疎遠である事も、すべて承知している。
王家が支援する孤児院で暮らしていたのだが、裁縫の才能があった事から俺個人で支援し、専属として引き立てた経緯があり、俺に絶対的な忠誠を誓ってくれていた。
彼らには、俺や俺直属の部下の目がない場でのリタの様子を報告するよう、依頼してあったのだ。
「エリス、エルシー、報告を」
兄のエリスと妹のエルシーは、双子ならではの息の合った作業で、仕事が早く重宝している。
卒業パーティまで二ヶ月を切っていても、二人ならば、俺の想像以上のドレスを仕上げて来る事だろう。
二人は顔を見合わせると、エルシーの方が口を開いた。
「お申し付け通り、リタ・フレマイア侯爵令嬢の採寸のためにフレマイア侯爵邸を訪問して参りました。型や色は順調に決定し、予定通りでしたら、卒業パーティの一週間前には完成いたします」
「そうか」
想定通りだ。
二人には俺が着る礼装一式も頼んでいるから、一週間前に完成するのなら十分だろう。
リタの申告通り、彼女がこれまでにドレスを仕立てた事がないならば、型を決めるのに時間が掛かるかと思ったが、順調だったという事は、彼女の物言いが大袈裟だったわけか。
しかし、双子はなおも戸惑った表情をしている。
「なんだ? 何か気に掛かる事があったのか?」
「それが……」
細部まで思い出すように、ぽつりぽつりとたどたどしく説明するエリス。
その内容に、俺は思わず、瞠目した。
エリスとエルシーが訪問すると、彼らはフレマイア侯爵邸の一室に通された。
貴族階級ではないエリス達の訪問で一般的に想定される流れは、出入りの商人が待機する通用口近くの待合室でリタの準備が整うまで控え、その後は私的な居間に招かれて、採寸、ドレスの詳細を相談する、というものになる。
私室に入るのは、手持ちのドレスや装飾品を参考にできるよう、ドレスルームから近い場所に通される事が多いからだ。
採寸する際には下着姿になるので、防犯上の問題もある。
ところが、エリス達が通されたのは、最上級の格ではないとはいえ、上客を迎えるための応接間だった。平民である彼らが足を踏み入れるような場所ではない。
王子である俺が派遣した仕立て屋として配慮されたのか、と考えた二人は、直接、リタが応接間を訪れた事で、その考えが間違っていた事に気づく。
「ごめんなさいね、殿下に紹介していただく仕立て屋さんが、男性とは思わなくて……」
リタは、申し訳なさそうに眉を下げると、控えていた侍女に衝立を持って来るように指示した。
つまり、私室ではなく、応接間で採寸をするという事。
リタ個人の居間の代わりに、応接間を使用するという事だ。
「私どもは普段、ルシアン殿下のお召し物の製作に携わらせていただいております」
そうエリスが説明すると、リタは、あぁ、と頷いた。
「貴方達が、双子の仕立て屋さんなのね。まさか、殿下専属の仕立て屋さんを紹介していただけるなんて」
エリスはここで一つ、疑問を抱いた。
俺の服を仕立てているのが双子の兄妹である事は、秘密ではないが公にしている事でもない。
男女の双子だけにエリスとエルシーはさほど似た顔立ちでもないし、魔力属性も、エリスが風、エルシーが地と異なるため、共通しているのは明るい鳶色の瞳くらい。
それだって、平民に多い色だから、家族であると言い切るには弱い。
それを、リタは初見で双子だと言い切った。
俺と一切の交流がなく、社交界に顔を出す事もないリタが、一体、どこで双子の事を知ったのか。
「まず、採寸をさせていただきます」
侍女が運んで来た衝立の裏で、エルシーがリタの採寸を始める。
採寸というものは、胴に腕を回したり、肩先から指先までメジャーがずれないように手を添えたり、と密着度が高い。
慣れない者は、ただ立っているように指示してもまっすぐに立っていられずにぐらついたり、他人との距離感を測りかねて戸惑ったり、と落ち着かない。
だが、リタは採寸の流れを把握しているのか、エルシーの動きやすいようにさり気なく姿勢を変え、声を掛けずとも姿勢を保持し、大変、協力的だった。
もちろん、ドレスの仕立てに慣れている令嬢ならばなんら不思議な事ではないが、リタは今までに一度も仕立てた事がない、と言っていたのに。
彼女が嘘を吐いたのか? ならば、その理由は? と、ここで二つ目の疑問。
「此度のルシアン殿下のお召し物は、光沢のある濃紺に銀糸の刺繍を考えております」
「そう……では、わたくしは、殿下のお召し物が映えるように一段明るいお色にしましょうか。銀のレース、もしくは刺繍を裾周りに少しだけ。装飾は控えめにお願いします」
てきぱきと口頭で指示を出すリタの様子は、仕立てに慣れている令嬢にしか見えない。
二人には、青系統を勧めるように話してあったため、青だけでも二十種類近い生地を持参していたが、リタは俺の礼装の光沢具合を聞いただけで、
「でしたら、わたくしは光沢がありつつも控えめなものにします」
と、即決した。
実際にリタが選んだ生地を見てみたが、襞山は光沢が出るけれど、地の部分は落ち着いて見える特徴を持つ織の生地だ。
輸入品なのでシャルイナ国内ではまだあまり出回っておらず、二人が内心、最も勧めたいと思っていたものだった。
「ドレスの型は……そうね、ダンスの時間があると伺っているから、スカート部分をフレアにしてダンスの際のシルエットを綺麗に。でも、立っている時には存在感が強く出過ぎないように、骨組みは入れず、ボリュームを控えめにしたパニエを入れましょう」
今現在のドレスの流行は、たっぷりと襞を取り、骨組みを入れてスカートをしっかりと膨らませるものだ。
流行から外れたリタの発言は、俺を立て、同伴者として控えめに見えるように、と聞こえなくもない。
だが、エリスによれば、リタの言うシルエットのドレスは、まことしやかに次の流行なのではないかと噂されているものらしい。
我が国のドレスの流行は、王都にある有名工房が翌シーズンに向けたデザインを発表する事から始まる。
当然、発表会までは情報漏洩しないように、徹底的に箝口令が敷かれている。
それでも、服飾関係者の間では、「これではないか」「あれではないか」と噂が飛び交うのが常だ。
そのデザイン発表会は来月頭。
卒業パーティ用のドレスのように、装飾が多く縫製過程の複雑な衣装を発表会後に仕立てるのは日程的に厳しいため、ほとんどの生徒が、今流行しているデザインか、伝統的なスタイルのドレスを着て来るだろう。
服飾を生業にしているエリス達ですら、自信を持って次の流行であると言い切れないデザインを、なぜ、素人であるはずのリタが口にしたのか。
まったく噂と異なるデザインを提案したならば、気にも留めなかっただろうけれど、噂が耳に入っているだけに、彼等は三つ目の疑問を抱いた。
「フレマイア嬢の侍女が、服飾に関心が高いのではないか?」
侯爵令嬢付きの侍女ならば、独自の情報網を持っていても不思議はない。
だが、双子は顔を見合わせた後、首を横に振った。
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主人をより美しく飾り立てる事こそ、令嬢付き侍女の仕事。
であるからこそ、彼女達は時にドレスを纏う本人よりも熱心に意見を出すのだが、双子によれば、侍女達はリタの指示に従う以外、口を利く事なく、すべてはリタが一人で決めたのだそうだ。
そして、最後にして最大の疑問。
侍女達の手によって応接間に運び込まれたリタの所持品には、装飾品が一切なかった。
ドレスはすべて、既製品を体に合うように手直ししたもの。
ドレスによっては、刺繍やレースが装飾として加えられていたものの、十七歳という年齢を考えると、地味なものだった。
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先日、彼女が登城した際の地味なドレスが最も華やかだというのだから、他のドレスの地味さ加減は容易に想像がつく。
二人の疑問を見て取ったのか、リタは、
「わたくしは家から出る事がないから、ドレスも装飾品も必要としていなかったのよ。殿下にお会いする機会があるとわかっていれば、もう少し、格の高いものを用意しておいたのだけれど……恥ずかしいわ」
と困ったように笑ってみせたという。
「……私どもが訪問している時間、屋敷には侯爵夫人がご在宅でした。けれど、ご令嬢のドレスについて打ち合わせていた三時間の間、侯爵夫人にご挨拶する機会には恵まれませんでした」
一般的な親子関係であれば。
娘が婚約者から初めてドレスを贈られるとなれば、女親が色や型に口を出してくるケースは少なくない。
口出しをせずとも、王家から派遣された職人が訪問していると聞けば、様子見という名目で、面識を得ようとする者も多い。
俺と母のように、到底、親子と呼べない関係ならいざ知らず。
(あぁ……そういえばリタは、フレマイア侯爵についてはわずかながらでも語ったけれど、夫人については一言も口にしなかったな)
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冷静に考えると、それはそう不思議な事でもなかった。
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そもそも、フレマイア侯爵には、婚約者に内定していた家門の令嬢がいたのだ。
最終的に侯爵自身が押し切った結婚だったが、夫人はプレッシャーからか、アシュトンを授かるまでに何年も掛かったそうだ。
それゆえに、夫妻はようやく授かった嫡男のアシュトンを溺愛しているのだと、社交界では有名な話だった。
アシュトンは高い地属性の魔力を示す濃茶の髪を持っているが、早産だった彼は、体の機能が未熟なままに生まれた。
十分に臓器が成長していなかった事から病弱で、魔導器官が未成熟なために魔力も不安定、十歳頃まで度々寝つき、屋敷の外に出る事すら儘ならなかったと聞く。
そんな中、年子で生まれたリタが白の者だったのだから、フレマイア家の親族から夫人への圧力は相当なものだっただろう。
しかも、フレマイア侯爵の言によれば、この出産で夫人は新たな子を望めなくなったというのだから、リタの存在に対して否定的な気持ちを持っている可能性は高いのではないか。
もちろん、リタが俺の同情を買うために、冷遇されている娘であると印象操作しようとしている、と考えられなくもない。
事実、過去に、高位貴族の子息が不憫な環境にある下位貴族の令嬢への同情から恋に落ち、婚約したのだが、実際には令嬢が彼を謀っていた、という事件があった。
だが、俺の気を惹くため、と考えるには、不自然な点が多過ぎる。
何よりも、先日、面会した際にあっさりと婚約破棄を口にしたリタは、俺を異性として見ているようには思えなかったし、王子妃の地位への執着があるようにも見えなかった。
ならば、これは事実であり、フレマイア家の日常と考えるのは、飛躍し過ぎているだろうか。
「第二王子とはいえ、王族の婚約者になった娘に対して、そのように関心が薄いのか……」
俺は勝手に、アシュトンを溺愛する姿勢を隠そうともしない侯爵夫妻を見ていて、リタもまた、同様に大切に守られている娘なのだと思い込んでいた。
溺愛している娘だからこそ、父であるフレマイア侯爵が王族の婚約者にねじ込んで来たのだ、と。
しかし、これでは、まるで。
「……実の娘に対する扱いではないな……」
彼女はただ、白の者として生まれただけであるというのに。
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