光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 次の休日、ランドールはローワンとアマリアを招待して、三人の茶会を計画した。
 漸くひねり出した休日に、アマリアと二人で過ごせないのは辛いが、チートスとの関係を良好なものにするのは、アマリアの為にもなる。
 ミーシャが仕立てた茶会用のドレスは、アマリアによく似合っていた。
 濃紫色の綾織りのドレスは、胸元をふんわりさせる一方で、細い腰を強調するように、後ろを共布の細紐で編み上げている。
 肩口から襞をたっぷりと寄せた袖は、二の腕の半ばできゅっと締められ、手首までぴったり腕に添う筒袖になっていた。
 長く美しい赤い髪は、華やかに編み上げられ、ドレスと同色の髪飾りで飾られている。
 年齢よりも年上に見られる事の多いアマリアだが、落ち着きの中にも艶やかさがある装いに、エスコートするランドールは目が離せない。
「…殿下?あの…何か、変でしょうか…」
 じっとアマリアを見つめたまま、口を開こうとしないランドールに、アマリアが不安そうに声を掛ける。
「いや。とても似合っている。…だが、そんなに綺麗に装う必要があるだろうか」
「え?ローワン王太子殿下にお会いするのですよね?」
「そうなんだが…そのように美しい姿は、俺だけが見ればいい」
「まぁ、殿下」
 面白い冗談を聞いた、と言うように笑うアマリアに、ランドールは少し拗ねた口調で続けた。
「ランドール、と」
「…はい、ランドール様」
 二人になる時間がなくて、アマリアに名を呼んで貰えないランドールは、ここぞとばかりに名を呼ぶ事を求める。
「王太子殿下は、レナルド陛下の名代としていらしていると伺いました。私もロイスワルズの民として、礼を尽くさねばなりませんから」
「アマリアのその気持ちは、嬉しいのだけどね」
 想いが通じた筈なのに、どうにも、恋しく思っているのは自分ばかりに思えて、ランドールは困ったように眉を顰めた。
「ランドール様の婚約者としてお会いするのは、シェイラ王女殿下に続いてお二人目なのです。…とても緊張していますが、ランドール様が隣にいて下さいますから、心強いです」
 だが、健気にそう言い募るアマリアに、ランドールの頬が笑み崩れる。
「あぁ、そうだな。安心してくれればいい」
 王城内にアマリアが入るのは久方振りだ。
 王族は皆、ランドールの婚約を知っているが、ユリアスの婚儀が終わるまで慌ただしいので、正式な紹介の場はまだ、作れていない。
 そんな中、自国の王族を飛ばして、他国の王族と引き合わされるアマリアの緊張に思い至って、ランドールはエスコートしているアマリアの腕を、力づけるように軽く叩いた。
「大丈夫、アマリアの所作は、王族に引けを取らない位に美しい。それに、チートスの王族とは言え、ローワン殿は貴女の従兄に当たる方だ。そんなに緊張しなくてもいい」
 ランドールが微笑むと、アマリアはホッとしたように緊張を解く。
「そう、ですね…初めて、従兄にお会い出来ます」
「あぁ、貴女は従兄弟と言う存在に関心があったのだったな」
 様々な誤解と思惑が交錯して、親しい親族のないまま、アマリアは成長する事になった。
 だが、アマリアは、母を知り、伯父を知り、そして、今度は従兄を知ろうとしている。
 彼女はその全てを話してくれたわけではないが、従姉妹達と兄、厳しくも甘い両親と伯父夫婦と言う多くの親族に見守られて育った自覚のあるランドールとしては、幼少期のアマリアの環境について、思う所がある。
 過去は、変えられない。
 けれど、遅くはないのだろう。
 ここから始めて、ランドールがアマリアの心を満たしていけばいいだけの話なのだ。
「ローワン王太子殿下は、気安いお方だった。きっと、アマリアも親しく付き合っていける方だと思う」
「レナルド陛下も、お優しいお方でしたものね」
「…それは、完全には同意しかねるが…」
 レナルドが己に向けた苛烈な眼差しを思い返して、ランドールは苦笑したが、一方で、彼がアマリアにはとても甘かった事も思い出す。
 茶会の場として設定した応接間に着くと、間もなく、ローワンの訪いが告げられた。
「ランドール殿下、お招き頂き、有難う存じます」
 赤銅色の短髪を後ろに撫でつけ、先日の騎士団服とは異なり、茶会に相応しい衣服を身に纏ったローワンは、優雅に頭を下げる。
 瞳に合わせた菫色のジャケットは、男性が着るには派手に見えるが、華やかな顔立ちと日に焼けた浅黒い肌に、よく似合っていた。
 余所行きのローワンの声に、思わずランドールは吹き出しそうになる。
 鍛えた精神力で表情を引き締め、彼もまた余所行きの声で、
「ローワン王太子殿下、ようこそおいで下さいました。今日は私的な茶会故、行き届かない所もあるかと存じますが、楽しんで頂けると幸いです」
と、如才なく応じた。
「こちらが、私の婚約者のアマリア・トゥランジア伯爵令嬢です」
「ローワン王太子殿下、初めてお目に掛かります。アマリア・トゥランジアでございます」
 彼の顔を直視しないように顔を伏せていたアマリアが、優雅に一礼すると、ローワンは一瞬目を見開き、にや、と男らしい笑みを浮かべた。
 そして、ランドールが止める間もなく、ぐい、とアマリアを抱き寄せる。
「従妹殿!会いたかったぞ!」
「きゃっ?!」
「あ、おい、こら、ローワン!」
 慌ててランドールがアマリアの腰を引いて奪い返し、ローワンを睨みつけた。
「いやぁ、すまんすまん。余りに従妹殿が美人だったもんでな。美人には相応の礼を取る主義なんだ」
 悪びれる様子もなく、とぼけた口調で返すローワンに、アマリアは目を白黒とさせるばかりだ。
「相応の礼が、だ、抱き着くとは…っ」
 声が上ずるランドールを面白そうに見遣って、ローワンは、ランドールの腕に抱かれたままのアマリアに、おどけたように礼を返した。
「初めまして、従妹殿。会いたかった。…本当に」
「ローワン王太子殿下…」
 ふざけた口調ながらも真摯な彼の眼差しに、アマリアの言葉が詰まる。
 彼が、本心から会いたかったと思ってくれた事が、伝わってきたからだ。
「親父殿に、以前から探し人がいる事を聞いていたんだ。だから…従妹殿が見つかって、本当に良かったと思ってる。親父殿の為にも、俺の為にも、な」
「有難いお言葉です。わたくしも、お会い出来て嬉しく思っております」
「あぁ、固っ苦しいのは、なし!もう判ってると思うけど、王太子なんてガラじゃないんだよ、俺。他に適任者がいないから、チートスの玉座を背負う覚悟はしてるけど、俺は俺だから。それに、折角会えた従妹殿なんだから、もっと親しく話したい。ダメか?」
 眉を寄せて、わざとらしく悲しそうな顔を作ってみせるローワンに、アマリアは小さく吹き出した。
「いいえ」
 アマリアの笑みに、ニッと笑うローワンの顔を見て、ランドールが嘆息する。
「何かやらかすかもしれんと思ってはいたが…まさか、いきなり抱き着くとは。と言うか、そう言う事はアマリアの許可を得てからにしろ…!」
 俺だって、そう簡単に抱き寄せるなんてしないのに。
 そんな心の声が聞こえたように、ローワンはぺろりと舌を出した。
「ローワン、アマリアは俺の婚約者だぞ。気安く触れるな」
「いやぁ、悪いな、ランドール。ほら、何しろ、俺達は従兄妹同士だからな!許容範囲だろ」
 親し気な二人の会話に、アマリアは僅かに首を傾げた後、
「お二人は、仲がよろしいのですね」
と、無難な感想を述べる。
 住む国は異なるとは言え、同年代の王族だ。知り合う機会があれば、親しくなる事もあるだろう。
「以前から、お知り合いでいらしたのですか?」
「いや?今回の訪問で初めて会った」
 ローワンが返すとアマリアは驚いて、未だに己を抱く手を緩めないランドールを見上げる。
「そうなのですか?」
「あぁ。つい先日が初対面だ」
 親密な様子が不思議なのは、ランドールが容易には人に気を許さない人物だと知っているからだ。
「気が合うとか合わないとかではない。アマリア、貴女にこれから長く関わってくる関係の方なのだから、親しくしないわけにはいかない」
「ま、そう言う事だな」
 僅かに棘を含ませてランドールが言うと、ローワンは、心が狭いやつだな、と笑う。
「私に…」
「アマリア」
 従妹殿、と呼んでいたローワンが、口調を改めて温かく微笑んだ。
「先日、親父殿からも聞いたと思うが、親父殿は本気で、アマリアの母君…エミリア殿を探していたんだ。幼い頃から、親父殿が『何か』を探している事には気づいていたが、詳細を教えられたのは成人してからだ。親父殿は、自分の命があるうちに探し出せない事を心配していたからな。王家に残る俺に、伝えておきたかったんだろう。エミリア殿の件は、親父殿にとって、人生最大の後悔だった。あの時、こうしていれば。ああしていれば。人間、誰だって悔いる事はあるが、それが人一人の人生を左右するものとなれば、その悔いの深さも一層だろう。だから、アマリアが見つかって、エミリア殿の人生を知って、俺は本当に感謝してる。そして、俺が生きている限りは、アマリアの行く末を見守らせて欲しいと思ってる。曲がりなりにもチートス王太子だからな。自分で言うのも何だが、役に立つ後ろ盾だと思う」
「ローワン様…」
「ほら、そこは『ロウお兄様』!」
「え、え?」
「俺は姉貴三人の後の末っ子だったから、お兄様って呼ばれるのが夢だったんだよ。な?頼むよ」
 戸惑うように視線を揺らしたアマリアは、恥ずかしそうに頬を染めて、
「あの…ロウお兄様…?」
と、小声で口にする。
「そう!あぁ、いいなぁ、従妹…初めての従妹が、アマリアみたいな美人で、いやぁ、ロイスワルズまで来た甲斐があった」
 わざとらしく身悶えたローワンが、ちろり、とランドールに視線を遣った。
「で、ランドール。お前はいつまで、アマリアを抱っこしとくつもりだ?」
「む」
 ここぞとばかりにアマリアの抱き心地を堪能していたランドールが、渋々、アマリアを手離すと、アマリアは慌てて彼の隣に並び直す。
「…立ち話もなんだから」
 漸く席を勧める事が出来て、三人は向かい合った長椅子に腰を下ろした。
 様子を見計らって、ランドールについていたジェイクが茶の準備を始める。
「あの…ローワン様、」
「ロウお兄様!」
「…ロウお兄様、従妹が初めて、と言うのは…?レナルド陛下には、ごきょうだいが大勢いらしたかと思うのですが」
「あ~…」
 ローワンが苦笑して、人差し指で首を掻いた。
「確かに、前陛下のお子とされている人物はいるんだけどな?親父殿の中では、宝石の瞳を持たないきょうだいは、きょうだいじゃないんだよ。前陛下の側室達に命を狙われてた、って言うのも関係してるんだろうけどな。実際の所、血縁があるのかないのか、俺は知らない。でも、親父殿は、エミリア殿以外のきょうだいには無関心なんだ。彼らが王籍を離脱してからは、個人的に行き来する関係にはない。だから、姉貴達も、アマリアに会ったら喜ぶよ」
 ジェイクの淹れた茶を一口飲んで、満足そうに頷いてから、ローワンは言葉を続ける。
「て事でさ、新婚旅行は是非、チートスに来て欲しいな。場合によっては、オリヴィア殿の埋葬された村にも案内出来ると思う」
 アマリアが目を輝かせたのを見て、ローワンは満足そうに笑い、ランドールは苦笑した。
 この顔を見てしまったら、他の行き先等、候補に挙げるわけにはいかない。
 こうして、結婚式の日取りも決まる前に、新婚旅行の行き先が決まったのだった。

   ***

 ローワンはそれから数日滞在し、宮廷魔術師筆頭のサングラと幾つか打ち合わせをした後、チートスに帰国した。
 ユリアスの婚儀まで残す所、三週間余り。
 チートス王都ザカリヤまで往復する時間はない為、ユリアスの婚儀にはレナルドの名代として、宰相が訪問する事になっている。
 イアンの在位記念式典に国王レナルドが参列し、ユリアスの婚儀にはローワンが参列する予定となっていたのだが、予定外にこの時期の訪問が加わった事で、短期間に二度も自国を空けられる状況ではなくなってしまったのだ。
 そこでローワンは、個人的にユリアスとシェイラに面会し、祝辞と式に参列出来ない詫びを述べる事になった。
 立ち会ったランドールは、余所行きの完璧なマナーで挨拶するローワンを胡散臭そうな目で見ていたが、最後に、すました表情のままで、
「アマリアをどうぞ、よろしくお願い致します」
と付け加えたローワンに、思わず噴き出した。
「おや、どうかなさいましたか、ランドール殿下」
「いえ、失礼致しました、ローワン王太子殿下」
 挨拶を受けていたユリアスが、二人の様子を見て、相好を崩す。
「二人は随分と、仲良くなったようだね。アマリア嬢のお陰かな。彼女が王家に入ってくれるのが楽しみだ。なぁ、シェイラ?」
「えぇ、本当ですわね、ユリアス様」
 シェイラは、イアンの在位記念式典を機にロイスワルズ入りして、そのまま、王家のしきたりを学んでいる最中だ。
 ユルタとは異なる事も多いだろうが、熱心に王妃マグダレナや義母となるリリーナに学んでいる姿が見られる。
 同時にユリアスもまた、シェイラからユルタの話を聞いて、ロイスワルズよりも優れていると思った事は、積極的に取り入れていく姿勢を見せていた。
 それは、いずれ王となる身として、自国の発展を願う姿勢でもあるだろうが、妻となるシェイラが異国で過ごしやすくする為の環境作りと言う面もあるのだろう。
 そんな兄の姿に、ランドールは幼少期の出来事を思い出した。
 王城の中にある王族専用の庭園の植栽を、庭師が植え替えているのに遭遇した時の事。
 既に綺麗に整えられているものを、どうして植え替える必要があるのか、と尋ねると、庭師はよく日に焼けた肌で笑って答えた。
「国王様が、王妃様のお国の植物を、もっと植えて欲しいと仰いましたもので。大丈夫でございますよ、抜いた植物も、別の場所に植え直しておきますからね」
 その時は、「ふぅん?」と答えただけだったけれど。
 生まれ育った国を離れた妻に向けた思いだったのだろう、と、今なら判る。
 打算的に考えれば、両国間の関係強化の為に結婚した相手を、尊重している姿を見せる為の行動、と言えるだろう。
 その側面も、全くなかったわけではないと思う。
 だが、根本にあるのは、イアンがマグダレナを慈しみ、彼女が長く親しんだ母国に敬意を示す気持ちなのだ。
 ランドールは長い事、国家間の政略結婚は、人質の意味合いが強いのだと思っていた。
 国内の貴族同士であっても、お互いの利益を守り強化する目的なのだから、同じ事だ。血の繋がりを作る事で、仮初の平和を守る為のものなのだと。
 しかし、愛しく思うアマリアがチートスの縁者と判り、かの国の人々がアマリアに向ける愛情を見ていると、それが全てではないのだと、思い至った。
 イアンはただ、マグダレナの笑顔が見たかった。
 ユリアスもただ、シェイラの幸せを願っている。
 そして、ローワンもまた、従妹であるアマリアを守ろうとしている。
 この大陸における平和など見せ掛けで、いつ、また、戦争が起きるか判らない、と思っていた。
 疑い、拒み、遮る事で、自国の民を守れるのだと。
 だが、それは誤りである事に、気がついた。
 ただ、愛する者を笑顔にしたい。
 その気持ちがあれば、争う事なく、暮らしていけるのだろう。
「やはり、アマリアは凄いな…」
 談笑しているローワン達には聞こえない位の、小さな声で呟く。
 そして、アレクシスが言っていた言葉を思い出した。
『自分よりも大切だと思える相手が出来る事は大事ですよ』
 その通りだ。
 彼女を愛しく思う事で、ランドールの世界は広がった。凝り固まっていた視点が、解きほぐされ、新しい物の見方が出来るようになった。
 王族として生まれた故の義務だった国政が、愛する人の笑顔と居場所の為に、積極的に携わりたいものになった。
「ランドール」
 考え込んでいたランドールに、ローワンが声を掛ける。
「アマリアを泣かせたら、承知しないからな」
 子供のような言葉に、ランドールは思わず、笑った。
「泣かせるわけが、ないだろう」
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