光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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 ランドールは、ユリアスがつけた騎士とサングラと共に、王宮内にある牢へと向かっていた。
 アイヴァンは、事件以来、ずっと鉄格子の嵌った部屋に拘留されている。
 一日一度、調査官が面会し、事件についての話をするが、彼は、黙りこくって俯いている事が多く、事件以外の雑談に応じる姿勢も見せないらしい。
「アイヴァン・サザーランドだな」
 部屋の扉を開けると、室内には調査官の座る椅子と書き物机を置く小部屋があり、その先に鉄格子を挟んでアイヴァンの居室があった。
 低い目隠しの影に厠、固い寝台、日光が辛うじて入る小窓にもまた、格子が嵌っている。
「……ぁ…」
 ずっと、声を出していなかったからか、アイヴァンの声は酷く掠れていた。
 アンジェリカと共に晩餐に現れた時は、美しい侍従だと感じたが、三か月半の拘留生活によるものか、心的負担によるものか、頬がげっそりとこけ、瞳には怯えと憂いの色が濃い。
 アマリアが指摘していたように、彼の右耳に紫色の耳飾りを見止めて、ランドールは目を眇めた。
「耳飾りを」
 控えていた騎士と、王宮魔術師筆頭であるサングラに小さく命じると、彼等は黙って頷いて鉄格子の扉に掛けられた鍵を開ける。
 怯えたように後退るアイヴァンに、騎士が何も持っていない事を示す為、両手を広げて手のひらを見せながら近づいた。
 そのまま、牽制するように背後を取ると、覚悟したのか、アイヴァンは目を閉じてその場に留まる。
 無抵抗のアイヴァンの様子を確認したサングラが、慎重に、アイヴァンの耳朶に留められた耳飾りに手を伸ばす。
 魔力を探るように暫し手を翳した後、眉を潜めながら口の中で何かを小さく呟いた。
 それを聞いたアイヴァンの細い体が、小さく震える。
 サングラが、耳飾りを固定している留め具を外し、耳朶を貫く針をゆっくりと慎重に引き抜いた。
 無言のまま、耳飾りを手に格子の外まで下がると、ランドールは身振りで、それを書き物机に置くよう指示する。
「…さて、アイヴァン・サザーランド。もう、話をする事は出来るか?」
 ランドールが静かに問うと、アイヴァンは息を飲んだ。
 その目に見る間に涙が盛り上がり、零れ落ちる。
「…け…っ」
「ゆっくりでいい」
「た、すけ…くださ…っ」
 掠れた声で嗚咽を漏らすアイヴァンに、ランドールは、アマリアの推測が正しかった事を知る。
 アイヴァンの耳飾りは、魔法石。
 そして、その言動は、魔術の管理下にあったのだ。
「へいかは…レナルド陛下は、まだこの国においででしょうか…」
 一頻り、声を殺して泣いた後、ランドールの運ばせた茶を飲んで落ち着いたアイヴァンは、ポツリポツリと言葉を繋ぎ始めた。
「ご滞在しておいでだ」
「…レナルド陛下に、面会は可能でしょうか…勿論、二人でとは申しません。陛下にこちらまでお運び頂くわけには参りませんので、私を拘束なさって下さい」
 話しながら、焦りからか早口になるアイヴァンに、ランドールは敢えてゆっくりと言葉を返す。
「お前は、自分が何をしたのか判っているのか?処罰も決まっていない状況で、レナルド陛下との面会など、認めるわけがなかろう」
「無礼は承知の上でございます。ですが、ランドール殿下に告白する真実を、レナルド陛下にもお聞き頂きたいのです。同じ話を二度したくない、と言う怠惰な理由ではございません。同じ時に、お二人にお伝えしたいのです」
 必死に言い募るアイヴァンに、ランドールは首を傾げて考える。
 ロイスワルズ側に告白した内容が、曲げて伝えられるのではないかと不安なのだろう。
「アーダムが…弟が、まだ、姫のお傍にいるのです。誓って真実を述べます。お願いでございます」
 低く頭を下げるアイヴァンを眺めて、ランドールは暫く考えていたが、書き物机に置かれた耳飾りを見て、ふむ、と頷いた。
「レナルド陛下に伺ってみる事にしよう。この耳飾りは、我が国の宮廷魔術師が解析する。よいな?」
「はい。それは…私には、不要のものですので」
 瞳に滲み出る嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるアイヴァンに、ランドールは問題の根が深い事を感じた。

   ***

 サングラに耳飾りの魔法陣を解析するよう指示したランドールは、使者を立ててから、王城の貴賓室に滞在中のレナルドの元を訪れた。
 付き添っていたジェイクは、敢えて室内に伴わずにいる。
「レナルド陛下、ご相談がございます」
「婚約の話かな?」
「いえ、別件です。…お人払いをお願いしても?」
 レナルドの傍に控えているのは、チートスの人間だ。
 どの人間が、アンジェリカと繋がっているか判らない。
 身の安全が、と渋る従者を退けたのは、レナルドだった。
「ランドール殿が、私を害す利点はない。何しろ、殿下の将来は私にかかっているからな。お前は、扉の外を護るように」
 躊躇しつつも、命令に抗えず従者が退室したのを確認して、ランドールが口を開く。
「アイヴァン・サザーランド…アンジェリカ王女殿下の侍従だった者が、陛下と私に、先般の事件について話をしたいそうです」
「ほぅ?私にも、か?」
 ロイスワルズ国内で、ロイスワルズ王家の者を相手に起こした事件だ。
 レナルドは、ロイスワルズが下す処分を受け入れるしかない立場なのに、直接話がしたいと言うのは、異例と言う他ないだろう。
「何故、その者は私に?」
「…まだ、確定はしておりませんが、アイヴァン・サザーランドはその言動を、身に着けていた魔法石で制限されていた可能性があります」
「…何?」
 一気に難しい顔になったレナルドが、深刻な顔で考え込む。
「思い当たる節がおありですか」
「ない、とは言えん。魔術は我が国の主要産業だ。なるほどな…確かにそれは、私も立ち会った方が良かろう。アンジェリカに関する事なのだろうから。ランドール殿、日程の調整が済み次第、連絡を寄越してくれ」
「畏まりました。よろしくお願い致します」
 貴賓室を辞したその足で、ランドールはサングラのいる魔術塔へと向かった。
 サングラの研究室を訪れると、サングラと、宮廷魔術師達が出迎える。
 いつになく難しい顔をしているサングラに、ランドールが目で問うと、彼は渋い顔をして溜息を吐いた。
「殿下。アイヴァンの耳飾りには、『自分自身では外せない』、『魔力を正しく注がねば外せない』と言う二つの条件が付加されておりました。事実、牢番が針状の形である耳飾りを、問題行動を起こさせない為に外そうとしたようですが、外せなかったようです。報告に上がっていなかったのは、あのような短い針では、自害も他傷も出来ないと思ったから、との事で…やれやれ」
「そうか…」
 もしも、耳飾りを外す事が出来ない、と言う報告がその時点で上がっていたら、状況はもう少し早く明確になっていただろうか。
「魔法陣自体はどうだ?」
「申し訳ございません、殿下。私共では、この魔法陣の内容を把握する事が叶いません」
「と言う事は、そなたらが未見の魔法陣と言う事か」
「さようで。部分部分の線は、既知のものもあるのですが、不明のものが幾つかございます。判明している箇所だけで言うと…決して、好ましいものではないようですな」
「好ましいものではない、と言うのは?」
「所謂、禁術に近しいものです」
 魔術を発動させる為の魔法陣は、一つ一つの線の形に意味がある。
 歴代の魔術師達が、出来るだけ余分な要素を削ぎ落し、最小限の線で最大限の効率を生み出すべく、研究を重ねた魔法陣が、先人の知恵として残されているのだが、中には『禁術』と呼ばれているものもあった。
 禁術は、他人の精神及び肉体を、直接支配する魔術を言う。
「では…アマリアの予想は正しかったと言う事だろうか」
 アマリアが推測を披露した場にいたサングラが、重々しく頷く。
「我々魔術師が、魔術の門戸を叩いて最初に教わるのが、他者を尊重せよ、と言う事です。魔術は便利な道具ではありますが、それは人の手で可能な事をより便利にする為にしか使ってはいけない。他人の精神、肉体は、他人の物であり、その自由を妨げる事があってはならない。人智の及ばぬ事は、手を出してはいけない領域なのです。ですが…耳飾りに付加されていた条件から察するに、この魔法陣は、その禁を破っているようでありますな」
 アイヴァンの意思が彼の自由にならなかったのだとしたら、ランドールの襲撃は、アイヴァンの意思によらないと言う事なのか。
 だが、それでは何故、アンジェリカはあれ程に驚いているように見えたのか。
 演技とは思えなかった。
 結局は、動機に繋がる部分が不明なままで、アイヴァン本人を問い質すしかない、と、ランドールは頭を一つ振る。
「サングラ。アイヴァンが、私とレナルド陛下に告白したい事があると言っている。魔術の話になると、私には判らんから、立ち会って欲しい」
「無論でございます」

   ***
 
 その日の午後、ランドールは王宮内の応接間へ足を運んだ。
 アマリアには、騒動の全容が見えるまで、再び、自宅待機を命じている。
 アマリア本人は、補佐官室での勤務を望んだが、ランドールが事態の確認に奔走している今、彼女を一人で補佐官室に送り込む事は出来なかった。
 出仕出来ない事を心苦しがるアマリアの為にも、一日も早く、事態の解決を目指すしかない。
 ランドールがジェイクを伴って応接間に入って程なく、レナルドの訪いが告げられる。
「ランドール殿、流石、手際が良いな」
「早期解決が、両国の為にも望ましいと思いましたので」
「その通りだ」
 緊張感の漂う場に、続いて、アイヴァンが連行されてきた。
 両手を鎖で戒められ、腰には逃亡防止の為、縄が結わえつけられている。
 その縄のもう片方の端は、この場に連れて来た騎士の腰に巻かれていた。
 アイヴァンは、着座しているレナルドの顔を確認すると、額を床に擦りつけるように、その場に平伏する。
「レナルド陛下、アマリア様にお怪我を負わせてしまいました。申し訳ございません。処分はいかようにもお受けしますが、これまでの…アンジェリカ姫の『後宮』で何が起きているのかを、どうか、どうか、お聞き届け下さい…っ」
 血を吐くような叫びに、レナルドは驚いたように目を大きく見開いたが、次いで、ランドールに目を遣った。
「確かに、アマリアに怪我を負わせた事は、流すわけにはいかん。だが、最も重い怪我を負われたのはランドール殿だ。お前が謝罪し、罪を贖うべきは、ランドール殿であろう」
「仰せの通りにございます。この告白が済みましたら、私はロイスワルズの法に則って裁かれたく思います。ですが、国には、チートスにはまだ、弟アーダムを始め、多くのアンジェリカ姫の侍従が残っているのでございます。レナルド陛下におかれましても、どうか、お聞き届け頂けるよう、お願い致します」
 不敬な位、しっかりとレナルドの顔を見つめて決死の表情で告げるアイヴァンに、レナルドは頷く。
「ランドール殿、よろしいか」
「えぇ。…どうやら、考えていた以上に、複雑な事情がありそうですね」
 アイヴァンを目で促し、ランドールは彼の話を聞く姿勢に入った。

   ***

 私は、チートス王都の下町で、とある商家の四番目の子供として生まれました。
 弟のアーダムとは、一卵性の双生児です。
 実家は商売をしておりましたが、余り上手く行っていなかったようで、毎日の食事にも事欠く有様でした。
 中でも、私とアーダムは双子ですので、兄達のお下がりだけでは足りず、両親は持て余していたようです。
 そんな折、アンジェリカ姫が小姓をお探しとの噂が街に流れ、両親は、私とアーダムを奉公に出す事を決めました。
 私達が十歳、アンジェリカ姫が十六歳の時の事です。
 …えぇ、そうです、アンジェリカ姫の『後宮』と呼ばれている場所は、姫が成人をお迎えになった時から作られているのです。
 怪しげな名前ではありますが、実態は姫の従者育成機関と思って頂ければ。
 如何に姫を美しく装うか、姫の背後に控えるのに相応しい容姿を保つか、そのような事を勉強する場です。
 勿論、王族の従者は貴族出身である事が前提ですので、平民の私達は、サザーランド男爵家の養子となりました。
 養子と言っても、サザーランド男爵とは書面のみの関係で、一度もお目に掛かった事はございません。
 何処の領地におられる、どのようなお方なのかも存じません。
 『後宮』には、そのような少年がたくさんおりました。
 身分はなくとも、容姿だけは、姫のお眼鏡に叶った者達です。
 私とアーダムは、最初に集められた従者の中では、最も年少でした。
 年上の少年達の中で、最も年長の者でも、十八歳。
 とても美しい人だった事を、今でも覚えております。
 覚えている、と言うのは、彼がもう、姫のお傍にいないからです。
 姫の従者は、平均して十三歳でお傍に上がり、二十歳前後でお暇乞いをします。
 姫からは、いつまでも女性王族である姫のお傍についていると、婚期を逃してしまうから。我々の人生を縛るおつもりはない、と伺っておりました。
 そして、ずっと、それを信じて来ました。
 ですが…何年も経つうちに、疑問がじわじわと湧き上がって来たのです。
 例え退職しようと、手紙のやり取り位は出来る筈です。
 なのに、どれだけ仲が良かった者からも、一通の手紙も届かない。
 無事に故郷に帰った、との報せすら、届かないのです。
 城勤めの経験があれば、どのような仕事にも就ける筈。職探しに奔走しているとは思えません。
 本当に、彼らは城を出て行ったのか?
 城を出ていないのであれば、城内でどのような仕事についているのか?
 自分が、いずれ行く道です。
 どうしても、気になりました。
 そして、姫。
 初めてお会いした時に十六歳だった姫は、出会ってから今まで、全く、変わっておりません。
 全く、何も。
 人はそれを、美容に気を遣っていらっしゃるからだ、と言います。
 勿論、私達も、教わった技術の全てでもって、姫をお美しく装っておりますが、お傍に仕える者だからこそ判る事もあるのです。
 姫の時間はここ十年以上、進んでいないとしか思えないのです。
 その事に気づいた時、ある従者が言い出しました。
 彼は二十歳を目前に控えておりましたので、無事に故郷に帰ったら、必ず、私に手紙を送る、と。
 そして、先に暇乞いした従者達を探し出し、彼らのその後を調べる、と。
 三か月後、彼は姫に退職を申し渡され、城を出て行きました。
 …手紙は、届きませんでした。
 彼が退職した事で、従者の中の最高齢は私とアーダムになり、それまでよりも一層、姫のお傍に仕える事になりました。
 そこで初めて、姫が定期的に魔法石から魔力を補充している事を知りました。
 姫は、ご自分が虚弱体質で、不足する魔力を補充する為だと仰っていました。
 事実、そう言う方はいらっしゃるようです。
 ですが…ある日、魔力補充の為の魔法石を用意している時に、感じたのです。
 先日、退職したばかりの従者の…何と言えばいいのでしょう、空気、と言うのか、彼が、そこに、魔法石の中にいる、と、感じたのです。
 私達…私とアーダムは、恐怖しました。
 何か、私達の想像のつかない事が起きている。
 よく知った筈の場が、姫が、正体不明のものに変わった時でした。
 そんなある日、姫から、耳飾りを賜りました。ランドール殿下がお持ちになった紫の耳飾りです。
 あれは、ご想像の通り、魔法石で作られております。
 刻まれた魔法陣は、私とアーダムで異なります。
 私の魔法陣は、「姫に関する話を他言出来ない」と言うもの。
 アーダムの魔法陣は、「姫のお傍を離れる事が出来ない」と言うもの。
 破ったらどうなるのか不明ですが、自分の手で外す事が許されない、と言う時点で、決して軽くはない罰が待っていると考えております。
 拘留された当初、牢番が耳飾りを外そうとしていましたが、叶わなかった事を考えると、自分自身で外せないと言う以上の条件があるのでしょう。
 牢番は、耳飾りなどした事がないから、外し方が判らないのだ、と他の者に話していました。
 それを目の当たりにした私は、何処までを「姫に関する話」と判定されるのか判断が出来ず、尚且つ、耳飾りの威力がどのようなものか判然としなかったので、どれだけ何をお尋ねになっても、何もお答えする事が出来なかったのです。
 辛うじて、レナルド陛下より賜った密命についてお話したのは、私にとっては大きな賭けでした。
 もしも、あの話を「姫に関する話」と判断されてしまったら、私の身はどうなっていたのか判りません。
 アーダムに関しても、どれ位の距離、どれ位の時間、姫から離れる事が出来るのか判っておりません。
 ですので、アーダムはこれまで通り、姫のお傍に仕えるよう、役割を分担しました。 
 …私とアーダムは、これまで城で過ごしてきた経験から、一つの推測を立てております。
 姫は、従者が二十歳前後になると、その内包する魔力を何らかの方法で魔法石に封じておられる。
 そして、その魔力を、ご自分の若さを保つ為に使っておられる。
 証拠など、何もございません。
 侮辱罪に問われる事も覚悟しております。
 ですが、恐怖に苛まれたまま、お傍にお仕えする事は、これ以上、出来なかったのです。
 私とアーダムは、二十歳を過ぎました。
 双子と言う特異性からかお気に召して頂いて、二十歳を過ぎてもお傍に置いて頂いておりますが、代わりに後輩達が「お暇乞い」していっております。
 姫の元に運ぶ魔法石から、「彼等」を感じるのは、恐怖でしかありません。
 私は魔術を知りませんので、魔力を提供した従者達がどうなったのか…最悪の場合、死に至っているのではないのか、と怖いのです。
 気に入って頂けているとは言え、残り時間は僅かでしょう。
 私は…何も知らないままでいたくはありません。
 そのような時、姫が内密にロイスワルズを訪問される事になり、これは最後に与えられた機会だと思いました。
 アーダムは、姫のお傍を離れられない。
 では、私がロイスワルズで大きな事件を起こして、姫から引き離して頂くしかない。
 チートスの手が及ばない場で、姫が抗いようのない理由で離れる事しか、私達の現状をお伝えする方法がなかったのです。
 命を損なわない程度に大きな怪我、と言うのが狙っていた所です。
 明らかに害意があったと判じて頂けないと、姫から離して頂けない、姫にご納得頂けない、と追い詰められていたのは確かです。
 ランドール殿下への直撃は避けたつもりでしたが、あの場面で、別の魔法石が使用される可能性を考慮しておりませんでしたので、想定していた以上に大きな事件になってしまいました。
 それに、無事、拘留されても、耳飾りの件に気づいて頂けるかは、賭けでした。
 ロイスワルズで、魔法石がチートス程、普及していないのは承知しておりますし、チートスでも、このような魔法石の使い方は稀でしょう。
 大きな賭けで、成功する自信はありませんでした。ですが、これ以外の方法を思いつかなかったのです。
 チートスでは、常に私達の行動は監視されております。
 私達は、互いに互いを人質に取られているようなものなのです。
 どうぞ…弟を、アーダムを、そして後輩達を、助けてください。

   ***

 再度、平伏し蹲ったまま、声を殺して咽び泣くアイヴァンを、レナルドは険しい顔で見ていた。
 ランドールがレナルドに目を遣ると、彼は唸るような溜息を吐いて、
「ランドール殿。他言は無用に」
と、低く呟く。
「勿論です」
「…俄かには信じられんし、曲りなりにも親として、アンジェリカを擁護せねばならんのだろう。が、ない、と言い切れんのは、私もまた、違和感があったからであろうな」
 痛みを堪えるように額に手をやるレナルドを横目で見て、ランドールはアイヴァンに問い掛けた。
「アイヴァン。お前がアマリアに冷たく接したのは、万が一にでも、アンジェリカ王女が彼女をチートスに連れ帰ろうとするのを阻止する為か」
「左様でございます。レナルド陛下が気に掛けてらした方ですので。もし、チートスに行く事になってしまったら、その後、どう扱われるか判りませんでした。もしも、姫の仰るように侍従として扱われるのであれば、いずれは魔力を…」
「そうか…」
 この三か月半、立てていた予想が、ガラガラと音を立てて姿を変えていく。
 ランドールは、アイヴァンの縄を預かる騎士に目で合図をして、彼を牢へと下がらせた。
「…ランドール殿。この件は、私に預からせて貰えないか。急ぎ、国に帰り、事実を確認して、手段を講じたい。その間、あの者の身柄を貴殿に預かって欲しい」
「承知致しました」
「直ぐに帰国したいのだが、アマリアの件は何とする」
「……今、婚約を公表するのは得策ではないでしょう。ですが、いつでも公表出来ますよう、陛下の御名で書類を作成して頂けますと助かります」
 本音を言えば、早く公表してしまいたい。
 在位記念式典で、アマリアに目を付けた者は少なくないだろう。
 あの場では、ランドールと踊った姿を見て様子見を選択したとしても、ランドール側に動きがなければ、先んじようとする者がいないとは限らない。
 例え、チートスと言う後ろ盾の存在を知らずとも、あの場でアマリアは目立っていたのだから。
 だが、ランドールはすっかり、チートスの問題に巻き込まれてしまっている。
 不確定要素のある中での婚約発表は、危険だ。
「原因はともあれ、あの者が貴殿を害したのは事実。ロイスワルズ国内の法で処分して欲しい。動機が判明したのだから、この先は問題なく手続き出来るであろう。…ただ、個人的な希望を述べるのであれば、実際に何が起きたのか判明してから、進めて欲しいのだがな。場合によっては、情状酌量の余地もあろう」
「はい」
 アイヴァンの推測が正しいかどうかは別として、彼がこのような暴挙に出た原因は、アンジェリカだ。
 実際に手を下したのがアイヴァンなのは変わらないが、ランドールの心情的に厳罰を下す事は出来ない。
 こう思えるのは、今現在のランドールが後遺症なく、以前と同様に執務を行う事が出来る上に、今回の件がなければ、アマリアと知り合う事はなかったであろうと判っているからだ。
 人の気持ちとは、現金なものだ。
「レナルド陛下。此度の件に関して、一つお願いが」
「何だ」
「守護石が欲しいのです。アマリアの為に」
 守護石、と聞いて、レナルドはピクリと眉を動かしたが、直ぐに、ふ、と笑みを浮かべた。
「貴殿自身に、とは言わんのか」
「身に着ける事が出来れば、アマリアに心労を掛けずに済むとは思いますが、アマリアの安全が最優先です。彼女は、私を護る為に、母君が手ずから作られた守護石を失いましたから」
 ランドールの真摯な言葉に、レナルドは頷く。
「確かに、な」
 レナルドは顎に右手を当てて、暫し考えると、おもむろに襟元に手を伸ばし、金の鎖を引き出した。
 鎖の先には、四角い形に研磨された艶光した黒い石がついている。
「これは、私の守護石だ。オリヴィアが作ったものを、何十年と持っている。時折、魔力は補充しているが、何、余程の事がなければ、一生使える」
 ランドールは、レナルドの言葉に、黙って頷いた。
「裏には、護りの魔法陣が刻んである。この国の宮廷魔術師に、陣を写す事を認めよう」
「!よろしいのですか」
「そもそも、護りの魔法陣を作ったのは、オリヴィアだ。その孫娘であるアマリアが、この国に根付いたのだ。ロイスワルズに護りの魔法陣を渡す事を、オリヴィアは望むであろう。――…但し、王家の外には出さぬ事。このようなものが存在していると知れれば、どうなるか判るであろう?」
「戦争、ですね」
 大陸の四王国は、現在でこそ、和平を結んでいるが、それぞれ、不足する資源のある国だ。
 均衡が僅かにでも狂えば、戦争に突入するであろう事は、想像に難くない。
 守護石は、人命が損なわれる事を恐れる人々の意識を、悪い方に曲げてしまう可能性を秘めたものなのだ。
「王族の中でも、限定された使い方をするように致します。但し、アマリアを除いて」
「そうだな。アマリアは、生まれた時からずっと、守護石を身に着けていたと話していた。先般の件がなければ、それは今もアマリアと共にあったのだから、それがよかろう」
 頷きながら、レナルドは自らの守護石を外して、傍で控えていたサングラに手渡す。
「誤解のないように話しておくが、チートスでも、他者の言動を縛り、肉体を縛る魔術は禁術とされている。だから、何故、アンジェリカがそのような魔法陣を知っていたのか判らん。アンジェリカ自身が把握していたかどうかを含め、急ぎ、調査する事を約束しよう」
「レナルド陛下。真実、アンジェリカ王女殿下は、虚弱体質で魔力の補充を必要とされていたのでしょうか?」
 サングラが、手渡された守護石を興味深そうに確認しているのをちらりと見て、ランドールはおもむろにレナルドに問い掛けた。
「…私自身は、把握していない。あれの母親とは、反りが合わなくてな。アンジェリカが生まれた後は、公式行事以外で顔を合わせる事がないのだ」
 側室制度は王家の血を絶やさぬ為、と言い切っていたレナルドの、側室達に対する思い入れが浅いらしい事は、ランドールにも判っていた。
 彼もまた、王家と言う制度の被害者と言えるのだろう。
「虚弱体質である事が前提でないのならば、そもそも、何故、アンジェリカ王女殿下は、あのお年まで求婚を拒み続ける事が出来たのですか」
「それは、私にも非があろうな。エミリアの件があってから、明らかな政略目的の結婚を子に強いるのが忍びなくなった。恋愛結婚をさせたいとまでは言わんが、本人が拒む縁談を、無理に進める気にはなれんかった」
 エミリアが無理矢理嫁がせられようとさえしていなければ、彼は、妹を失う事はなかったのだ。
「どれだけその容色を褒めそやされようと、いつかは衰えるものだ。だから、いずれ求婚の数も減り、覚悟を決めるだろうと考えていたのだがな…」
 十年以上、傍に仕えていたアイヴァンによると、アンジェリカの美貌は全く変わっていないと言う。
 レナルドの思惑通りに行かなかった理由が、禁術にあるのだとすれば。
「サングラ。他者の言動を縛ると言う魔法陣は、禁術だから知られていないのか」
 既に禁術に手を染めた人間が、別の禁術を躊躇う理由はないだろう。
「左様ですな。禁術は名の通り、禁じられた術。殆どの魔術師が知らぬ筈です。付け加えるのであれば、他者の魔力を吸い出す魔法陣自体は、禁術ではありません」
「何故だ?他人の魔力を奪うのだろう?」
「奪うのではなく、吸い出すのです。これは、魔力過多で暴走を起こしそうな人間に向けて使用するものでして。人の身には過剰に過ぎる魔力を、吸い出して減らしてやるのですよ。魔術は、魔法石と魔法陣があれば、誰でも使う事が出来ます。ですが、我々魔術師は、学問として魔術を修めているだけではありませぬ。魔力は生きとし生ける者全ての身の内を巡る力ですが、その魔力を知覚し、操る事が出来る者。それが、魔術師なのです」
「その昔は、魔法使いと呼ばれておったようだがな」
 サングラの説明に、レナルドが付け加える。
「魔法使い…」
 漠然と理解したつもりになっていた魔術師の事を、全く知らなかった自分に、ランドールは愕然とする。
「魔法使いと魔術師は、厳密には異なるものでしてな。その昔、己の魔力の流れを意識的に操って、生活を豊かにしていた者達がおりました。それが、魔法使い。その技術を、魔力の流れを捉えられない人々でも使用出来るようにしたのが魔術。魔術を研究し、人々に広めていくのが魔術師、と思って頂ければよろしいでしょう。魔術は学問ですので、魔力を知覚出来ない人間でも、学び、魔法陣を刻む事は出来ます。ですが、それだけでは、魔術師ではないのですよ。魔法使いのように、内なる魔力の流れを知覚し、魔法陣に頼らずとも魔法を使えるもの。それが、我々魔術師なのです」
 サングラはそこで、一息入れる。
「ただ…我々魔術師は、過去の魔法使いのようには、魔法を操れない。僅かばかりに、魔法陣を介せず、魔法を使う事が出来るだけです。己の体の外に、内なる魔力を放出出来るかどうかは、修練のみならず、素質によるようですな。ただ、その素質を持つ者であっても、修練し始めの頃には、上手く魔力の流れを操れずに、暴走させてしまう事があるのです。下手をすると、怪我のみならず、生死も危ぶまれるのですよ。そうなる前に、暴走しそうな魔力を吸い出す。そんな魔法陣であれば、魔術師を育成する立場の者は、誰もが知っております」
 サンドラの説明に、ランドールは深く頷いた。
 レナルドは、既知の事なのだろう、黙って目を伏せるだけだ。
「恐らく、アイヴァンには、魔術師の素質があるのでしょうな。魔法石に籠められた魔力から、人の気配を感じ取るとは」
「だが、まだ、魔力を奪って封じたと言う証拠はない」
 ランドールが眉を顰めると、サングラは、
「失礼を致しました」
と、あっさり引き下がる。
「まずは、それを確認せねばならんだろう」
 レナルドが、重々しく言うと、腰を下ろしていた椅子から立ち上がった。
「ランドール殿。明日には、チートスに向けて出立したい。なるべく早く調査を行い、結果が出次第、信頼出来る者を報告に寄越したいと考えている。それでよいか」
「はい。よろしくお願い致します」
 イアンとエリクは、チートスからの魔法石輸入の伝手を太くしたいようだが、それは、今回の調査の結果次第で交渉すべきだろう。
 ランドールはそう考えて、急ぎ足で応接間を出るレナルドを見送った。
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