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   ***

 長い話だった。
 レナルドは、途中で何度か言葉を詰まらせ、声を上ずらせながらも、エミリアと己の関係について、誠実に話をした。
 その腕に何度か、アマリアが労わるように触れるのを、ランドールもまた、見ていた。
「ランドール殿」
「はい、レナルド陛下」
 不意に名を呼ばれ、ランドールが顔を上げる。
「アマリアを、本当に貴殿の妃にするおつもりか」
「はい。ですが、妃ではなく、妻にしたいのです。王族として望む結婚ではなく、私個人として、アマリアと添いたいと思っております」
 その答えを聞いて、レナルドは眩しそうに眼を細めると、頷いた。
 彼自身の結婚は、先程の話を思い返すと、個人的な感情等、考慮されずに決まったのだろう。
「アマリアは、聡く、いい子だ。私の話を聞いて、事情を直ぐに理解しただけでなく、私の立場まで慮ってくれた。エミリアの事は知らないと言うが、よく似た性質に見える。トゥランジア伯爵。そなたが、アマリアの父としての役割を果たすのを邪魔する気はないが、私にも、アマリアの伯父として、せめて餞を贈らせては貰えんか」
「…有難いお申し出にございます」
 ギリアンが、セルバンテスと目を見交わす。
 彼等には、レナルドが言い出すであろう事が判っていた。
「では、エミリアを前チートス王ライアンの子であると認知し、アマリアが私の姪であると公表しても構わんか」
「仰せのままに」
 ギリアンとセルバンテスが頭を下げるのに倣って、アマリアもまた、頭を下げた。
 ランドールの元に嫁ぐに辺り、これ以上ない餞となるだろう。
「ランドール殿。これで、貴殿とアマリアの結婚に異議を唱える者は、一人もおらんだろう。だが、忘れるな。私は、貴殿の為にチートス王家との縁を示すのではない。アマリアの為だ。アマリアが不当な扱いを受けたと感じれば…どうなるか、そなたであれば、判るであろう?」
 ギロッと、エイダを睨みつけるレナルドを見て、ランドールも真摯に言葉を返す。
「アマリアは、他の何にも代えがたい女性です。常に目を光らせますし、彼女自身も方法が判りさえすれば、自身に降りかかる火の粉を振り払う事が出来るでしょう」
「アマリア自身に、させるつもりか」
「私は、彼女を無力な女性として扱って、目と耳を塞ぐような事はしたくありません。アマリアは、自身の目で見て、対処を判断出来る女性です」
 ふむ、と頷いたレナルドが、アマリアを振り返った。
「では、アマリア、そなたはエイダ姫の処遇を何とする」
「ロイスワルズ王家では、貴人の従者はご本人のお好みで選ぶ事が出来ます。エイダ殿下の女官や侍女についてお話を伺うと、エイダ殿下は、ご自分のご意見に賛同する者ばかり、採用なさる傾向がおありとの事。耳に痛い忠告を述べる者は、端から解雇なさっていたようです。これでは、忠心より苦言した者も、意に沿わないとして冷遇なさっていた事は想像に難くありません」
 アマリアは言葉を一度切って、蹲って震えるエイダを痛ましそうに見遣る。
「わたくしには、此度の事をエイダ殿下お一人で実行なさったとは思えないのです。誰かしら、お止め出来る者はいた筈なのに、そうはならなかった事も気に掛かります。殿下はまだ、成人なさったばかり。御身の周囲につける者の選抜を今一度、なさるべきと存じます」
「ほう?それでは、罰にならんのではないか?」
「いいえ、そうは思いません。耳に心地よい賛辞と同意に慣れた方には、お辛い事でしょう。…陛下、恐れながら、それはアンジェリカ王女殿下にも同じ事にございます」
「はは、私も耳に痛い。だが…そうだな、アンジェリカの処遇はランドール殿と相談してからにしようと考えていたが…」
 ちら、と、ギリアンとエイダを見遣るレナルドに、ランドールが心得たとばかりに頷く。
「では、陛下。そのお話はまた、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「そうだな」
 レナルドは一つ頷いて、席を立った。
「アマリアの件は、私に任せて欲しい。婚約公表の前に、打ち合わせるとしよう」
「はい」
 レナルドが温室から退去するのを見送り、ランドールは蹲ったままのエイダを振り返る。
「エイダ。今回の事はもう、お前の処分だけでは話が終わらない所まで来ている。それは、理解出来ているな?」
 切りつけるように冷たいランドールの言葉に、エイダが、ひっ、と息を飲んだ。
 従兄の持つ氷血の貴公子と言う字名など、自分には関係しないものだと、彼女は思い込んでいたのだ。
「お…お兄様…」
「人には誰しも、譲れぬものがある。それが、私にとってはアマリアであり、お前にとっては私だったのだろうな。だが、自分の事しか考えず、相手の気持ちを慮る事が出来ない者が、手に入れられるものに価値なぞない。…陛下には、私からご報告する。お前は追って沙汰を待ちなさい」
「お兄様、でも、わたくしは…っ」
「エイダ様」
 小さくも厳しい声で諫めようとしたアレクシスの手を振り払って、エイダが尚も言い募る。
「わたくしは、その侍女をお兄様の相手になど、認めません…っ」
「お前に認められたいとは思っていない。お前以外の王族も、アマリアの父であるトゥランジア伯も、伯父君であるレナルド陛下も、お認め下さった。お前が認めずとも、私には関係ない」
 厳しいランドールの声に、エイダは目に涙を浮かべ、幼子がむずがるように首を横に振った。
「お兄様は、変わってしまわれました。その女のせいです」
「私が変わったのではない。お前が、自分の理想とする私の像を勝手に思い描いていただけだ」
 切り捨てるようなランドールの声に、エイダが唇を噛む。
「ランドール殿下」
 その時、静かにアマリアが声を掛けた。
「エイダ殿下の事は、少し、私にお任せ頂けませんか?執務開始時刻はとうに過ぎている筈です。殿下は、お仕事の調整をなさって下さい」
「殿下、城門の件もございます」
 アレクシスが小声で付け足すのを聞いて、ランドールは溜息を吐く。
「あぁ、そうだな。私は城門に行かねばならん。セルバンテス、王城に戻り、陛下に事のあらましを伝えてくれ。お前の言葉であれば、正確に伝わるだろう。トゥランジア書記官長、執務の時間を割いて貰ってすまなかった。仕事に戻って欲しい。アレクシス、私はいいから、アマリアの警護を」
「いいえ、殿下、なりません。王宮内とは言え、殿下をお一人にするなど、言語道断でございます」
 柔らかくもきっぱりと断るアマリアに、ランドールが眉根を寄せた。
「ダメだ、アマリア。貴女の言う事でも、こればかりは聞く事が出来ない。エイダがいるのであれば、より一層、護衛をつけないわけにはいかない」
「では、私がエイダ殿下とアマリアの為にここに残りましょう。城門の件は、ランドール殿下にしかお任せ出来ません。陛下へのご報告が少し遅れましょうが、いずれにせよ、レナルド陛下とのご面談の前までにお伝えすればよろしいでしょう」
 セルバンテスが静かに口を出し、ランドールは逡巡したが、頷く。
 セルバンテスは王城の家令だが、幼い頃のランドールに剣の手ほどきをしたのは、彼だ。
「セルバンテス、任せた。アレクシス、城門へ行った後、補佐官室で今日の仕事を割り振ったら、直ぐにここに戻るぞ」
「御意に」
 心配そうに振り返りながら、速足で温室を出ていくランドールとアレクシスを見送って、アマリアは地面に蹲ったまま、小さく震えているエイダに手を差し伸べた。
「殿下。そこにおられては、御身がお辛いでしょう。こちらにお掛け下さいませ」
 無反応のエイダに構わず、アマリアは小柄なエイダの体を半ば抱き上げるようにして起こすと、先程までランドールが腰掛けていた椅子に座らせた。
「エイダ殿下。改めてご挨拶申し上げます。アマリア・トゥランジアでございます」
「……」
「先程のお話ですと、わたくしがランドール殿下以外の男性と温室で密会しているように見える状況を、ランドール殿下のお目に入れようとなさったのだと存じますが、相違ございませんか」
「……」
「どのようなお言葉で指示をなさったのかは存じ上げませんが、一つ、申し上げておきます。わたくしは、もしもレナルド陛下がいらっしゃらなければ、大怪我を負うか、命を落としていた事でしょう。…あの者には、婦女を凌辱し、暴力を厭わない覚悟がございましたから」
 レナルドが、教えてくれた。
 あの男は、アマリアの体を傷つけ、再起不能にするだけの悪意を持って、背後に迫っていたのだと。
「そんな…」
 エイダの口から、小さく言葉が零れる。
「そんな、だって…わたくしは、ただ…」
 婚約したばかりの女性が、婚約者以外の男性と人目を避けて逢引する姿がどう見えるか。
 ただ、それだけしか、考えていなかった。
 そして、それだけを指示した、つもりだった。
 青褪めたエイダの様子を見て、アマリアはゆっくりと問い掛ける。
「殿下。殿下は、ランドール殿下の婚約者について調査なさったようですが、どのような事をご存知ですか?」
「…どのようなって…赤い髪に赤い目の田舎の伯爵令嬢で、父親は書記官長、今は王宮の補佐官室付きの侍女をしている、って事よ。お兄様に相応しい身分とは言えないわ。その上、婚約破棄された行き遅れ、だなんて」
「他には、何をご存知でしょう?」
「…わたくしがそれ以外に、何を知る必要があると言うの」
「では、ランドール殿下についてはいかがですか?どのような事をご存知でしょうか」
「お兄様は、我がロイスワルズ王国の王弟第二子であり、宰相補佐をお務めよ。美しい容姿、明晰な頭脳、その上、剣の腕も立つお方だわ。お兄様以上に素敵な殿方など、この国にはいらっしゃらない」
 そのランドールに冷たく切り捨てられたと言うのに、エイダの声は熱を帯びていて、アマリアは微笑む。
「他にはどのような事をご存知ですか?」
「おかしな人ね。これ以上に、何が必要だと言うの。お兄様は、社交も、ダンスも、マナーも、完璧なの。お兄様が完璧な殿方だと判っていれば、それでいいじゃない」
「では、ランドール殿下がご幼少時にご愛読なさっていた本はご存知ですか?」
「…え?」
「お好きな色は?」
「何…?」
「お好みになるお料理はどうでしょう?」
「貴女は何を言っているの?お兄様は王族よ。民の手本とならねばならないお方よ。個人の嗜好など、お持ちにはならないわ。だって、平等ではないもの」
「セルバンテス様、いかがでしょう?」
 アマリアが、立ったままのアマリアの背後に控えるセルバンテスを振り返ると、彼は僅かに口元を緩めた。
「王族としては、それが正しい姿でしょう」
「ほら、そうじゃない」
 エイダが勝ち誇ったように言う言葉に被せるように、セルバンテスが続ける。
「アマリア、エイダ様にした質問の答えを、お前は持っているのかな?」
「ランドール殿下のご愛読書は、少年向け冒険小説の『ランドールの冒険』でした。お色は、緑系統をお好みのようですわ。お料理は、柔らかく煮込んだ赤身のお肉がお好きなようです」
「何よ、推測ばかりじゃない」
 言い返すエイダを、セルバンテスが否定する。
「いえ、確かにランドール殿下のお好みでございます」
「…っ、貴女、お兄様とそのような話をしたって自慢しているの?」
「いいえ、そうではございません。『ランドールの冒険』は別ですが、お好きなお色もお料理も、侍女としてお仕えする中で、殿下のご様子を拝見して感じ取ったものです。恐らく、エイダ殿下がお考えよりも、わたくしがランドール殿下と交わした言葉は少ないと存じます」
「…それが、何よ。お兄様のお好みが、何の関係があるのよ」
 苛立つエイダに、アマリアはあくまで冷静に言葉を続けた。
「エイダ殿下。殿下が先程仰ったように、民の手本となる王族が、ご自分のお好みをはっきりと言葉になさるのは、よろしくないでしょう。晩餐で苦手なものが出たとしても、笑顔で優雅に口になさると伺いました」
「当然でしょう」
「それは、ランドール殿下の、ランドール・クレス・ロイスワルズとしてのお顔なのですわ」
「…何を、当たり前の事を…」
「ランドール殿下は仰いました。人は皆、その場その場で求められている顔があるのだ、と。ランドール殿下は、王宮で、王城で、人前で、ランドール・クレス・ロイスワルズ殿下として振る舞う事を求められます。そして、その求めに応じて振る舞われます。けれど、それだけがランドール殿下の全てではございません」
 エイダが、軽く息を飲む。
「先程、エイダ殿下が仰ったランドール殿下のお姿は、正にランドール・クレス・ロイスワルズ殿下としてのお姿です。勿論、それはランドール殿下を表す一面でしょう。何も間違ってはおりません。ですが、殿下。ランドール殿下は、その一面のみで評価するには、収まらない方だとはお思いになりませんか?」
「あ…」
 小さく声を漏らして、何か考えるように俯いたエイダに、アマリアは優しく声を掛けた。
「エイダ殿下には、王城にて補佐官室付きの侍女として仕え始めた頃に、お目に掛かっております。本来であれば、王城にいる身分ではないわたくしに、お声掛け下さいました。王城内で勤めている者に注意を払っていらっしゃるご様子に、殿下は王族としての責務を果たされているお方だと、敬意を新たにしたものでございます。先程のお言葉もそうです。民の手本となるべく、全てのものを等しく丁重に遇するのは、言うのは易しくとも、実行するのは難い事でしょう。それがお出来になるのは、殿下が王族としての誇りをお持ちで、王族としての責務に真っ向から向き合っておられるからです」
 アマリアの賛辞に、おずおずとエイダが顔を上げ、窺うように見つめる。
「ですので、わたくしは不思議なのです。王族の責務を重んじていらっしゃる殿下が、どうしてランドール殿下のご意見も伺わず、頭から否定なさるのか。それは、わたくしが知る王族の皆様の作法とは異なります。わたくしの資質をお疑いなのであれば、他にもっと方法がございましたでしょう。資質を問題にするのであれば、ランドール殿下も冷静にお話下さったと存じます。……誰かに、何か言われたのですか…?」
 アマリアの落ち着いた低音の声に、エイダがぼんやりと視線を彷徨わせて、
「だって、ヒルデが…」
と呟いた。
「エイダ殿下の侍女を務めてらっしゃるヒルデ・ブランカ侯爵令嬢の事でしょうか?」
「えぇ…ヒルデが、完璧なお兄様には、王女の身分を持つわたくししか釣り合わないのだから、他のどの令嬢も近づけてはならない、って…」
 アマリアがセルバンテスをちらりと見遣ると、セルバンテスが小さく頷く。
「ヒルデ様は、他に何をお話になりましたか?」
「わたくしは…五人姉妹の末娘だから…わたくしの結婚相手は、ランディお兄様を除けばお姉様達の残り物しかいないって…お姉様達が嫌がるような、条件の悪い、酷い方しか残っていないって…」
 じわ、と涙の浮かんだエイダの大きな瞳を見て、アマリアが微笑んだ。
「いいえ、そのような事はございません」
「でも…っ、王家の娘が五人も嫁げる程、条件のいいおうちなんてたくさんはないわ…っ」
「エイダ殿下。殿下は、ご結婚なさるお相手に、何をお求めですか?」
「え…?そんなの、王女に政略以外、ありえないじゃない。それが判ってるのに、求めるものなんて」
「ご結婚なさったお姉様方は、政略結婚で不幸だ、と仰っていますか?」
「それは…っ、でも、そんなの偶然よ、お相手が優れた方だっただけだわ。お姉様達は、優れた方がいるうちに、ご結婚なさったのですもの」
「アデリーナ様は代々国政に携わる公爵家へ、プリシラ様は他国との交易に携わる侯爵家へ、ラウラ様は騎士団でお役を賜る侯爵家へ嫁がれましたね。確かに、王家にとっても国にとっても、関係を強化するいい機会となったご結婚だったのでしょう。ご年齢の釣り合いが良いと言うのも理由の一つではあったのでしょうが、お姉様方は全くご興味のないおうちに嫁がれたのですか?」
「…それは…」
 姉達の姿を思い返す。
 年齢の離れた姉達と、王城で共に暮らした時間は短い。
 けれど、考えてみれば、それぞれの性格や興味に沿った家に、縁づいているように見える。
「偶然では…」
「ございませんよ。年齢だけなら、家格だけなら、他にも選択肢はございました。殿下、ご存知ですか?民の間では、王族の皆様が理想の家族の形なのです。陛下ご夫妻と王弟殿下ご夫妻が、どちらのお子様も分け隔てる事無く大切になさっている事は、城下でもよく知られております。お姉様方のご結婚当時、大切な王女殿下のご降嫁先として、最も輝けるおうちにお決めになったのだな、と、民が皆、祝福したのですよ」
「最も、輝けるおうち…」
「お姉様方とエイダ殿下は、お年も離れていらっしゃいますし、ご興味も異なりましょう。お姉様方のお輿入れの際には候補に挙がらなかった方々が、エイダ殿下にとって想いを重ねられるお相手と言う事も十分に考えられます。それに、殿下は成人なさったばかり。同じように今年成人を迎えた令息方は、お姉様方のお相手候補に挙がった事はございませんでしょう。陛下は殿下に、最も相応しいお相手をお探しになると存じます。それが、殿下のお幸せに繋がるからです」
「お父様は…わたくしを、好意を欠片も持てない殿方と娶せたりしない…?」
「勿論でございます」
 アマリアが微笑んで頷くと、エイダの瞳から大粒の涙が零れた。
 そのまま、声を上げて泣き出すのに、そっと手巾を差し出す。
「お姉様方が次々とお嫁に行かれて、ソフィア様のご縁談のお話もあって、ご不安だったのですね」
「…っ」
 しゃくり上げながら頷くエイダを慈しむように見て、アマリアは振り返った。
「との事です、ランドール殿下」
「…言葉足らずなのは、我々もだったのだな…」
 溜息を吐いて額を抑えるランドールは、泣き続けるエイダに歩み寄って、そっと頭を撫でる。
「エイダ、お前が不安に感じていた事に、気づけなくてすまなかった。執務が多忙だったと言うのは言い訳だな。お前がアマリアにした事は、また別件として許せるものではないが、そうさせてしまった私にも原因があると判った。一度、きちんと話を聞かせてくれ」
「…お兄様…」
 震えながら、エイダがランドールを見上げた。
「お兄様…ごめんなさい…わたくし、不安と恐怖から解放して下さるのは、お兄様しかいらっしゃらないと思い込んでおりました…」
「…エイダ。お前は昔から、私にとって可愛い妹だ。お前が不安なら、話を聞こう。お前が怖いなら、その原因を取り除いてやろう。…だが、それは兄として、だ。そして、いつかはその役目を、お前の伴侶となる男に引き継ぎたい。陛下も、王妃殿下も、それをお望みなのだ。…知っているか?エイダ。ソフィアは一度、縁談を断っている。相手の男が、どうしても好きになれそうにない、とな。だから、新しくケイン殿と引き合わせた所、気が合うようだから、このまま、進めようと言う話になっている。お前の縁談も同じだ。合わない相手の元に嫁ぐ必要などない。お前が、共に暮らせると思える相手を、私達は探しているのだ」
「はい…わたくし、漸く判りました。昨夜、お父様が…陛下が、わたくしに公的な場での振る舞いが身についていないと仰った理由も。まだ、完璧には理解していないでしょうけれど…お母様、王妃殿下、に、もっと色々、ご教示頂きます」
「そうするといい」
 ランドールはそう言うと、エイダの肩を軽く叩いて、注意を促す。
「他にも、何か言わなくていけない事があるのではないか?」
 問われて、ハッとしたエイダは、おずおずとアマリアを見上げた。
「あの…あなたにも、酷い事をしてしまったわ。ごめんなさい…でも、本当に、あなたの体を傷つけるような指示をしたつもりはなかったの」
 王族としての顔を外したエイダは、年齢よりも幼い少女の顔をしている。
 アマリアは微笑んで、
「ランドール殿下とお話出来て、ようございましたね」
と、答えた。
「…ランドール殿下。恐らく、エイダ様付きの者達が、血相を変えてお探し申し上げている事でしょう。私が、王城までお連れしてもよろしいでしょうか」
「そうだな、そうしてくれるか、セルバンテス。その後、陛下にご報告を。アマリアは、私と共に来て欲しい」
 セルバンテスが頭を下げ、エイダを促すと、彼女はしっかりと自分の足で立ち、ランドールとアマリアに向かって、綺麗な王族としての礼を取る。
「処分が決まるまでは、部屋で謹慎しております。この度は、ご迷惑をお掛け致しました」
 ランドールはエイダに頷いてから、セルバンテスに命じた。
「エイダを部屋まで送ったら、王妃殿下にお声を掛けるように」
「はい。王妃殿下にご相談申し上げます」
 二人の会話を聞いて、不思議そうな顔をするエイダに、ランドールは苦く笑って、退室を促す。
 二人が温室を去ると、黙って控えていたアレクシスが、頭を下げた。
「では、俺は温室の扉を護っておりますので」
「気が利くな、アレクシス」
「えぇ、伊達に殿下のお傍仕えも長くないもので。殿下のご機嫌が斜めだと、大変なのは俺なんですよ~。て事で、アマリアさん、殿下のお守りをよろしくお願いします」
 おどけたように笑うアレクシスに、アマリアが小さく笑って頷くと、アレクシスは宣言通り、温室を出て行った。
 アレクシスの気配がなくなったのを確認して、ランドールが、そっと両腕を広げ、ゆっくりとアマリアの体を抱き締める。
「殿下…」
「二人の時は、名前で」
「…はい、ランドール様」
「…生きた心地が、しなかった…」
 吐息と共に、耳元に零された言葉に、アマリアが息を飲む。
 そして、おずおずと、両手をランドールの背中に回した。
「…申し訳、ございません」
「本当に、何もされていないか?」
「後ろから、肩を掴まれた位です。直ぐに、レナルド陛下の護衛の方が、取り押さえて下さいました」
 肩、と呟いたランドールが、心配そうに肩口を見るのに気づいて、アマリアが襟を少し開いて、赤く指の跡が残る肩を見せる。
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「全く怖くなかった、と言うと嘘になってしまいますね。ですが…何と言いましょうか、その後の事が衝撃的で、そちらにばかり、気が向いてしまって」
 レナルドとアマリアの関係の話だろう。
「一体、何があったのか、話してくれるか」
 抱擁を解いたランドールが、アマリアを誘導して、椅子に座らせる。
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「…つまり、エイダはアマリアの密会現場を演出する為に、私の呼び出しと偽ってアマリアを呼び出し、一方で密会相手の男を手配したのか。だから、私が直ぐに温室に向かわなかった事に焦ったのだな」
「私が温室に向かう姿を、レナルド陛下が見つけて下さったお陰で、難を逃れました。陛下は、此度のご滞在で、何としても私と直接お話されたかったそうなのです。夜会でのエイダ殿下のご様子をご覧になって、ご不安をお持ちだったようで」
「…御心配には及ばない、と言い切れる程、恥知らずにはなれないな。実際、何処までがエイダの意思であるかは別として、アマリアを害そうとする者がいたのは確かだ。レナルド陛下は、アマリアの身の安全が保障されないとして、チートスにお連れになるおつもりだったのだな」
「はい」
 ランドールは、沈黙して考え込む。
「レナルド陛下は、母が、ロイスワルズで辛い日々を過ごしたのではないかとお考えでした。陛下の後ろ盾のない母が、父と望まぬ結婚を強いられたのではないか、無理矢理に魔術の知識を提供させられたのではないか、体を気に掛けて貰えず、苦しんだのではないか、と。…私は、母の事を何も知りません。ですが、父が母を大切に思っていた事は理解しております。ランドール様がこちらにいらっしゃるまで、私は陛下に、そのようなお話をしておりました」
「そうか…」
 ランドールは呟いて、先程、ギリアンとレナルドの長い話を聞く間、アマリアが終始、レナルドを気遣う様子だった事を思い出す。
 レナルドは本当に、三十年以上、生死も判らぬ異母妹を探していたのだろう。
 妹を案じる兄の気持ちなら、ランドールにも理解出来る。
「アマリアが、城に入りながらも出仕していないと聞いて…まず、チートスによる拉致を疑った。レナルド陛下がアマリアに興味を持っている事は、判っていたからな。どうにかして、取り戻さねばならないと、まず、城門を封鎖した」
「城門を…」
 思っていた以上に大事になっていた事を知って、アマリアが蒼白になった。
「あの、大丈夫だったのでしょうか」
「何、訓練になったと思えばいい。門衛の動きは早かった」
 先程、不明者の所在を確認し、安全を確保した事を伝え、城門の封鎖を解くように命じた時、門衛達はホッとしてはいたが、門を守る者としての緊張が途切れた様子はなかった。
「普段、余り彼等の仕事に注目した事はなかったが、職責をきちんと果たしている事が確認出来た。いい機会になったと思う」
「左様でございますか」
 安心したように微笑むアマリアの頬に、ランドールが手を伸ばす。
「…本当に、心配したのだ」
「ランドール様…」
 続けて、もう一度謝罪の言葉を述べようとしたアマリアの唇を、そっと親指で押さえて言葉を封じると、ランドールは緩く首を振った。
「アマリアには、何も責はない。ロイスワルズ王家内の問題に巻き込んでしまっただけだ」
「ですが、」
「だが、もう二度と、このような思いはしたくない。アマリア、贈った首飾りはしているだろうか?」
「はい」
 アマリアが、襟元に手を伸ばし、細い鎖を引き出すと、とろりとした蜜色の魔法石がころんと手の中に転がる。
「この魔法石に刻んだのは、『居場所を発信する』魔法陣だ」
「居場所を発信…?どう言う事でしょう?」
「対となる魔法陣を刻んだ石を持つ者が望むと、相手の居場所…正確には、この石の在り処が判る」
 アマリアは軽く首を傾げて、手の中の魔法石と、ランドールの上着の襟につけられたピンの間で、視線を往復させた。
「この首飾りの、つまりは私の居場所が、ピンの持ち主であるランドール様に、伝わると言う事ですか?」
「そうだ。厳密には、方角や近さが感じ取れる、と言う程度らしい。例えば、今回の件で言えば、王宮の執務室にいる私より北側、距離は近い、と言うのを探るうちに、温室に辿り着くと言う事だ」
 なるほど、と頷いて、アマリアは微笑んだ。
「では、私が迷子になっても、ランドール様に迎えに来て頂けるのですね?」
「あぁ、勿論、迎えに行く」
 ランドールは、アマリアが拒否反応を見せなかった事に安堵する。
 アレクシスとジェイクには、束縛が過ぎる、と引かれてしまったからだ。
「今日のような事が今後もないとは限らない。悪用はしない。アマリアの安全に不審がある時のみ使うと誓おう」
「そのように強調なさらなくても、ランドール様に知られて困る事はございませんわ」
 ランドールを安心させるように、アマリアは両手で、彼の右手を包み込む。
「魔法陣を、完成させてもいいか?」
「勿論です」
 微笑むアマリアに、ランドールは思い切って口を開いた。
「エイダが、貴女に許されない事をした。本当にすまない」
「いいえ、ランドール様に謝って頂くような事は、何も」
「しかし」
「我が家が、地方の伯爵家である事は事実ですし、私が王宮の侍女である事も事実です。事実なのですから、傷つくような事は何もございません。エイダ殿下が取られた方法には、思う所がございますが」
 眉を顰めるランドールに、だがしかし、アマリアは微笑みを絶やさない。
「ですが、ランドール様は私の身分や肩書ではなく、私自身を望んで下さるのでしょう?」
「あぁ、勿論だ」
「ですから、よいのです。ランドール様が…そう、望んで下さるのであれば、他には何も要りません」
 レナルドの申し出を受け入れたのも、アマリア側が望むと言うよりも、ランドール側の事情を考慮した結果だ。
 ランドールと結婚しないのであれば、チートス国王の姪と言う肩書は、寧ろ、アマリアにとって重荷と言える。
 チートス王家との繋がりを望む者達が、大挙して押し寄せるのは、目に見えているのだから。
 手を握り合ったまま、アマリアがランドールに訴えた。
「エイダ殿下の侍女である、ヒルデ・ブランカ侯爵令嬢なのですが…」
「どうやら、今回の原因のようだな」
「どうぞ、事実を慎重にお調べ頂くようお願い致します」
「判った、肝に銘じよう」
 ランドールは、アマリアがエイダと接する姿を見て、彼女を妻にと望んだ事は正しかったと、改めて実感していた。
 感情に任せて怒りをぶつけたり、頭ごなしに否定するのではなく、エイダの心を優しく解きほぐしてくれた。
 それは、ランドールだけならば、出来なかった事だ。
「補佐官室の仕事は他の者達に任せて来た。今日は、婚約に向けて出来る事を進めていきたい。その分、明日から忙しくなるが…頼んだぞ」
「はい」
 アマリアが頷くのを見て、ランドールは改めて、彼女の両頬を包むように触れた。
 そのまま、顔を近づけると、アマリアの長い睫毛がふるふると震え、そっと閉じられる。
 羞恥に頬を染める表情を、一瞬たりとも見逃さぬようにしながら、ランドールは、少し厚めの唇を食むように口づけた。
「アマリア…愛している。心から」
 囁くような声に、アマリアは潤んだ瞳で彼を見つめる。
「…私も、」
 愛しております。
 その言葉は、再び重なった口内へと溶けていく。
 ――温室から出たランドールに、アレクシスが無言で手巾を渡して、口元を拭うよう身振りで伝えたのは、アマリアには秘密だ。
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