光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 離宮から戻った翌朝。
 ランドールは、魔術医療師エルフェイスと、宮廷魔術師サングラの訪問を受けていた。
 まず、エルフェイスの手で白い目隠し布が外される。
 そのまま、瞼を閉じた状態で、エルフェイスが手を翳し、魔力を流しながらじっくりと目の状態を調べた。
「はい、よろしいでしょう。目を、お開けになってみて下さい」
 エルフェイスの許可を受け、ランドールはゆっくりと目を開けた。
 朝の光の眩さに目を眇めてから、再び、ゆるゆると瞼を開いていく。
「あぁ…」
 眼前のエルフェイスの顔に焦点が定まり、見覚えのある顔に思わず笑みが零れる。
 その後ろで、心配そうにこちらを見遣る幼馴染二人――アレクシスとジェイク――に、しっかりと視線を合わせて口の端を吊り上げた。
「三か月振りに見るには、余り面白くない地味な絵面だな。どうせなら、もっと華やかなのがいい」
「殿下…!」
 口を尖らせる二人を無視して、エルフェイスへと向き直る。
「感覚としては、事故前と然程変化があるようには感じないが、実際の所、後遺症のようなものは残るのだろうか?」
「何分、同様の事例を存じ上げないものですから、正確な所は判りかねます。ですが、私の魔力で感じた所では、今回の事故に因る聴力と視力の著しい低下は、今後、起こらないものと考えております」
「そうか。それは良かった」
 ホッと胸を撫で下ろすと、ランドールは改めて、エルフェイスとサングラに礼を述べた。
「二人の尽力に感謝する。お陰で、これまで同様に職務を果たせそうだ」
「勿体ないお言葉です、殿下」
「これまで想定した事のない事態だけに、対応に不安もありましたが、無事にご回復なさって何よりでございます」
 頭を下げる二人を、感慨深げに見遣って、ランドールは大きく頷く。
「我が国はこれまで、魔術に関して長く後進国であった。だが、自らが使う使わないに関わらず、巻き込まれる事はあると判った。エルフェイス、今後はより一層、後進の育成に励んでくれ。サングラも、同様の事例が発生しないよう、研究して欲しい。予算が必要なようであれば、稟議書を上げてくれれば通す」
「はっ」
 その後、牢に収監されているアイヴァンへの尋問について幾つか詰め、ランドールからサングラに依頼を一つ出した後、晴れてランドールは、人目を気にせず表に出られる身となった。
 サングラとエルフェイスが部屋を辞した後、アレクシスが改まって主に向き合う。
「殿下、ご回復おめでとうございます」
「お前達にも苦労を掛けたな。在位記念式典まで日もないが、取り急ぎ、今後の執務は王宮で行う事にする。その方が、お前も他の補佐官達も、仕事が楽だろう」
「はい。補佐官達には、記念式典に関連する執務が一段落すれば、殿下が王宮に戻られる旨を伝えております」
「あぁ」
「それで、」
 アレクシスが、言いながら脇に挟んでいた紙挟みを開いた。
「アマリアさんが生まれた当時の事、また、トゥランジア伯爵夫妻のご結婚当時の事を、一日で調べられる範囲ではありますが、調査してみました」
「何か出たか?」
「それが…幾つか、気になる事が。アマリアさんの母君であるエミリア様は、ネランド領主コール侯爵を後見人として、トゥランジア家に嫁いでいらっしゃいます」
「…後見人?実家がないと言う事か?」
「そこまでは、まだ調べがついておりません。コール侯爵…この当時は先代ですね、この方は、広く養子を取り、恵まれない子供を支援する慈善家だったようです。後見人と言う事は、エミリア様もそのうちの一人と言う可能性が」
「なるほど。だが、コール侯爵家は代々国境を任せられている、王家の信の篤い家だ。当時、許可の下りた婚姻なら、問題はなかろう」
「えぇ。…気になるのは、ネランドと言う場所です」
「――チートスか…」
「はい。エミリア様は、チートスのご出身かもしれません。それ自体は問題ではないのですが…」
「何故、守護の魔法陣が描けたのか、だな」
「はい」
 あの後、守護石について調べる為に、チートスの名だたる魔術師の元を訪ねさせたが、いずれも回答は芳しくなかった。
 勿論、他国人に容易に明かせない秘密である事も踏まえての訪問だったのだが、彼らの反応は、「そんなもの聞いた事がない」ではなく、「そんな知識は市井には出回らない」と言うものだったのだ。
「王家のみに伝わると言われている魔法陣を、一体何処で身につけられたのか…」
「王族に極めて近い者か、王族から盗んだ者か、と言う事だな」
 どちらにせよ、セルバンテスが言う「秘密」はこの辺りにあるのだろう。
「それで、アマリア出生に関してはどうだ」
「そちらは特に、アマリアさんのご記憶と差異のあるものはなさそうです。トゥランジア家はなかなか子供に恵まれない家系のようで、ギリアン殿には兄弟がおりません。アマリアさんが生まれるにも、十年掛かっているそうですが、エミリア様のご出産に立ち会った産婆の話を確認出来ましたから、父親はともかく、母親がエミリア様である事は確かかと。アマリアさん同様、深紅の髪が印象的な方だったそうで、産婆もよく覚えておりました。父親に関しては…正直、調べようがありませんね。アマリアさんは、ずっと領地で育てられたと仰ってましたが、ご結婚からご出産まではご夫婦共々、王都のお屋敷に住んでらしたようです。ただ、夜会等にエミリア様が参加される事は滅多になく、ギリアン殿の妻帯を知っている方は、体の弱い奥方と思っていたようですよ」
「体が弱いと言う推測は、合っているかもしれんな。エミリア殿は、産褥で亡くなったと聞いた。それがきっかけで娘を領地に預けたのだろうか?」
「乳離れまでは、王都で育てたようですが…どうも、気になる符号が。アマリアさんが領地に預けられたタイミングで、チートスに大きな変化がありました」
「二十年と少し前……?代替わりか…」
「えぇ。先王ライアン陛下が亡くなり、王太子だった現在のレナルド陛下が即位なさいました。乳離れの時期ではありますから、偶然の合致の可能性もありますが…」
 ランドールは暫く考え込んでいたが、一つ頷くと、顔を上げた。
「…もしも、エミリア殿が魔法陣を盗んだのであれば、セルバンテスは王家家令として絶対に、私とアマリアの婚姻など認めない。であれば、エミリア殿は犯罪には加担していないと言う事だ。問題はない」
「それはそうでしょうが…セルバンテス殿は、悪いようにも変わる秘密だと仰っていたのでしょう?『悪い』の内容に大きく左右されるのではないですか」
 ジェイクの顔を見ながら、アレクシスが確認する。
 セルバンテスの告白の場に、アレクシスはいなかったが、ジェイクから情報を共有されているからだ。
「あぁ。手放しで喜べる状況ではないのだろうな」
「…でも、殿下にはアマリアさんを諦める選択肢はない、と」
「ない」
「顔を見たら、気が変わるかもしれませんよ?」
「お前達も、それはないと断言したのだろう?」
 心を決めた主に、アレクシスとジェイクは顔を見合わせて、一つ嘆息する。
「ですが、陛下やご家族を納得させられますか?」
 ランドールは、黙り込むと重々しく口を開いた。
「納得させられなかったら…何も持たぬ私でも、一緒になってくれるか、アマリアに問うしかないな」
 ランドールは、王族の地位を捨ててもいい、と言い切った。
「あぁ、それでトゥランジア家は跡継ぎ問題も解消するし、いいではないか」
「あ、殿下が開き直った」
「開き直ると強いからな、殿下は…この間まで、グジグジ悩んでたのに…」
 くす、と笑うと、幼馴染達は、臣下の顔を脱ぎ捨てる。
「俺達に異存はないよ、ランディが幸せなら」
「そうだな。案外、地方の領主って言うのも向いてるんじゃないか?」
「問題は、アマリアさんが受け入れてくれるか、で」
 最もな事をアレクシスに指摘されて、ランドールが、う、と言葉に詰まった。
「まさか、あれだけお膳立てしたのに、進展ないままとは…。五日間も何してたんだか」
「いや、進展はしたぞ?ちょっと手を握ったり。馬車で隣り合わせに座ったり」
「ジェイ、それは全然、フォローになってないと思う。何それ、十代?しかも前半?」
「でも、あれだけ女性との接触を回避してた事を思うと、涙ぐましい努力だと思わねぇ?一応、告白も頑張ってたし」
「え!ランディ、告白したの?!じゃあ、何で進展してないの?!」
 聞いていなかったアレクシスが、本気で驚いてランドールに詰め寄ると、ランドールは益々項垂れて、ジェイクは爆笑する。
「いや、告白はしたんだけど、遠回し過ぎて気づいて貰えなかったの。可哀想なランディ」
「あぁもう、だから言ったでしょうに!アマリアさんは、ちょっと鈍い位なんだから、直球勝負でって!」
 ゲラゲラと笑い続けるジェイクに、ランドールの胸倉を掴みそうな勢いのアレクシス、と、場が混沌とした所に、扉を叩く音が響いた。
「入れ」
 ランドールが入室を許可すると、セルバンテスが入室する。
 久し振りに目元が見えているランドールの姿に、僅かに口元を綻ばせると、まず、
「ご回復おめでとうございます」
と、頭を下げた。
「あぁ。お前にも苦労を掛けたな」
「私の苦労など、ランドール殿下のご苦労に比べれば、何でもございません。…殿下、陛下がお呼びでございます」
「伯父上が?思ったよりも早くお時間を頂けたな」
「陛下からも、お話がおありになるようです」
「あぁ…」
 ランドールは、アレクシスとジェイクに目配せをする。
「アレクシス。先に補佐官室に行って、仕事を始めていてくれ。後から私も行く。ジェイクは、私について来い」
「はっ」
 アレクシスが退室すると、ランドールはジェイクを伴ってセルバンテスと共に部屋を出た。
「私的なお話との事でございますので、陛下の応接間までお運び下さい」
「承知した」
 移動の途中、ランドールの姿を久し振りに見掛けた侍女や侍従達が、ざわめくのが判る。
 ランドールが離宮に若い女性を伴って滞在した、との噂がある中だから余計なのだろうが、その視線は、これまでの憧れを含んだものよりも、好奇のものが強いように感じられる。
「ふむ。ちと、躾がなっておりませんな。後で、侍女長と侍従長を呼び出しておきましょう」
 セルバンテスが、無表情のままポツリと呟くと、ランドールもまた、氷の微笑みを浮かべる。
「そうだな。暫く、私が顔を見せないうちに、風紀が緩んでいるようだ」
 敢えて周囲に聞かせる為の言葉に、びくりと体を震わせて、そそくさと持ち場へと戻っていく彼らに、ジェイクが笑った。
「この後が怖いですねぇ」
 イアンとの面会内容次第では、ランドールの吹雪が吹き荒れるだろう。
 イアンの応接間まであと僅かの所で、ランドールに声を掛ける者がいた。
「ランディお兄様!」
「エイダ」
 輝く黄金色の波打つ髪を綺麗に結い上げて、珊瑚色のドレスをまとったエイダが、菫色の大きな瞳を輝かせて、ランドールの元に駆け寄ってくる。
 後ろからしずしずとついてくる女官達も、ランドールの姿に頬を染めて、ちらちらと視線を寄越した。
「お兄様、漸くお会い出来ましたわ!お兄様がお部屋から出ていらっしゃると聞いて、慌てて伺いましたの」
「部屋にも何度か来てくれていたな。多忙ゆえに会えず、悪かった」
「いいえ、お兄様がお忙しいのは、わたくしも判っておりますもの。もう、お仕事の方は落ち着かれました?」
 甘えるようにランドールの腕に寄り添おうとするエイダから、ランドールは無意識に距離を取る。
 何故だろう。
 三か月前までは、可愛い妹のする事と思っていたのに、今はその仕草に、無性に「女」を感じる。
「夜会までにもう少し詰めるべきものはあるが、取り敢えずは少し余裕が作れるようになった。これから、伯父上の所に伺う事になっている」
 裏返すと、「だから、お前とゆっくり話す時間はない」だ。
「お父様の所へ?では、きっと、私からのお願いのお話ですわ」
「お前からの願い?」
「えぇ!お父様も喜んで下さいましたの。お兄様、是非、お受けになって下さいませね?」
 可愛らしく小首を傾げるのは、目が見えなくなる以前と変わらない筈なのに、ランドールは急に、従妹が知らない女性になったように感じた。
 それに違和感を覚えながら、慎重に返す。
「聞ける願いならば、な」
「そんな、お兄様にご無理は申し上げませんわ。可愛いお願いです」
 ランドールは、自分の胸元よりも低い位置から上目遣いに見上げるエイダの顔を見て、アマリアは肩位まで背があったな、と思い出した。
 彼女はどのように、自分の顔を見てくれるのだろう。
「それでね、お兄様。城の中で不快な噂が流れてますのよ。お兄様が、女性と離宮に行っただなんて、根も葉もない噂…どうぞ、噂を流した者を厳罰に処して下さいませ!」
「厳罰に?」
 ランドール自身も、噂の出所を探ろうとは思っていたが、所詮、噂は噂。
 無視していれば、いずれ立ち消えるだろう。
 こう言ったものは、下手に反応する程、真実味が増してしまうのだ。
 だから、どのような目的で流したのかを知る必要があるだけで、直接、関わろうとは思っていない。
 もしも、不用意にそのような事をすれば、痛くもない腹を探られかねない。
「だって、お兄様が女性を同伴されるだなんて、あり得ないでしょう?お兄様に特別な関係の女性がいらっしゃるわけ、ないのですもの」
「…何故、そう思う?」
 やけに力を入れて言い切るエイダに問うと、彼女はハッとしたように姿勢を正して、何事もなかったかのように微笑んだ。
「それは…お兄様の事を、ずっとお傍で見ているからですわ」
 ランドールの事を頬を染めて見つめるその笑みに、誤魔化されてやる気はなかったが、セルバンテスが、
「お時間でございます」
と、移動を促すのに頷いて、エイダに暇を告げる。
「ではな」
「はい、お兄様。近々、またお話致しましょうね」
 女官達を引き連れたエイダと反対方向に歩き始めると、黙って聞いていたジェイクが、ランドールに小声で問い質した。
「流石の殿下も、お気付きになりましたかね?」
「…あいつは、裏で何をしてる?」
「まぁ、色々となさってますよ。直球から変化球まで、人脈と金に飽かして、よくぞここまで思いつくな、と感心します」
 セルバンテスを見遣ると、
「…これまで、殿下には特定の女性がいらっしゃいませんでしたので、特に大きな問題にはなっておりません」
と答える。
 エイダはこれまで、ランドールと少しでも親し気に振る舞った令嬢に圧力を掛け、牽制する等してランドールと親密になろうとする令嬢達を排除してきた。
 だが、ランドール自身が親しくしたいと考えていた令嬢ではない為、セルバンテスも側近達も、大袈裟な事にならないうちは、大人が出るものではない、と放置していたのだ。
 曲がりなりにもエイダは王女。犯罪に当たるような真似はしないし、相手のご令嬢がランドールを諦める以外には、特に害はない。
 ランドール本人はと言えば、令嬢達に興味がなかった故に、エイダがそのような動きをしていたとは気づいていなかった。
「いい変化なのではないですか?つまりは、それだけ特別と言う事ですから」
 アマリアと言う特別な存在が出来たから、エイダの態度の不自然さにも気づくようになったのだ、とジェイクに指摘されて、ランドールは溜息を吐いた。
「聡い方だと思っていたのだがな…」
「女性問題に関しては、全く発揮されておりませんね」
 遠慮のない言葉に意気消沈した所で、イアンの応接間へと到着する。
 セルバンテスが訪いを告げ、三人は入室を許可された。
「久しいな、ランドール。体はもうよいのか」
 イアンは、太陽のように輝く金髪に菫色の瞳を持つ美丈夫だ。
 五十に手が届く今でこそ、髪に白いものが増え、肌の張りも幾分衰えてきているが、長身に均整の取れた筋肉は変わらず、若い頃の美貌は如何ばかりかと思わせる。
 王妃であるマグダレナも麗しい事で有名で、二人が結婚した当時、大陸中がざわついたとの伝聞が残っている。
 この二人を両親に持つ五姉妹も、いずれも美人揃いだ。
「お陰様で、魔術医療師エルフェイスと宮廷魔術師サングラの力を借りて、元通りの体を取り戻す事が叶いました」
「この三か月、執務が滞る事を覚悟していたが…いやはや、流石と言うべきか、上手く王妃達にも仕事を割り振って、遅延なく進めるとは」
「背に腹は代えられなかったとは言え、王妃殿下始め王女殿下方にもご協力頂き、感謝しております」
「何事も己の目で見ねば気のすまぬお前が、よくぞ思い切ったものよ」
 呵々と笑い、イアンは、立ったまま挨拶をしていたランドールに席を勧めた。
「さて、ここからは伯父と甥の話をしようか。で?ランディ。話とは何だ?」
「伯父上からもお話があると伺っております。お先にお話し頂いても?」
「ふむ…まぁ、あれだ。親バカを承知で言うのだが、エイダは可愛いだろう?」
「…えぇ」
「他の娘達も勿論、可愛い。四女のソフィアは、婚約まではまだ進んでないとは言え、お前が推挙してくれたシャナハン王国アイゼン公爵家のケイン殿との縁談に前向きであるし、上の娘達もまた、夫婦円満で子にも恵まれ、親として安心しておる。で、だ。エイダだ」
「はい」
「エイダも今年、成人した。わしの在位記念式典の夜会で、社交界デビューを考えておる」
 考えている時の癖で、顎髭を弄りながら、イアンが言葉を続ける。
「その時のエスコートを、お前に頼みたい」
 在位記念式典の夜会のような目立つ場所でエスコート出来るのは、従妹達か来賓の他国女性王族と思っていたので、ランドールに否はない。
 エイダの話を聞いた時に、この提案がある事は予想していた。
「承知致しました」
「それで、な」
 にこにこと満面の笑みを浮かべ、イアンは、姿勢を正してランドールの顔を見た。
「エイダが、お前の妃になりたいと望んでおる。夜会で、そう発表して欲しいと」
「…え」
「お前とエイダは十も違うから、わしも一応、止めはしたのだが、あれは昔から、お前の事しか見えておらんかったからなぁ…『ランディお兄様と結婚出来ないなら、修道院に入る』と泣かれてしまってな。これまで、浮いた噂の一つもないお前にとっても、悪い話ではなかろう?」
 ランドールは、心の中で舌打ちした。
 先に、自分の話をするべきだった。
「…有難いお申し出ですが…私には、心に決めた女性がおります。それが、伯父上にお時間を頂いた理由です」
「ほぅ」
 イアンの目が、きらりと光った。
「その相手は、大事な従妹を修道院に入れても構わない位の価値のある娘か」
「私にとっては」
「何処の娘だ。公爵家にお前の気に入りそうな娘はいたかな?それとも侯爵家か?」
「ギリアン・トゥランジア伯爵のご令嬢です」
「書記官長の娘か」
 イアンは顎髭を触りながら、暫し、記憶を辿る。
「あぁ…お前が怪我を負わされた時に、守護石とやらを投げたと言う娘だな」
「その通りです」
「怪我をしたと聞いた。その責任を負うつもりか?それとも、命を救われた恩義を感じたか?」
「恩はありますが、それが理由ではありません。彼女には、私が光と音を失っていた間、補佐をして貰っていました。他の誰の声も聞き取れない中、彼女の声だけは、よく聞こえたので。執務を通して惹かれていき、妻へと望むようになりました」
 自分の気持ちを言葉にするのは、面映ゆい。
「だが、お前の目と耳は回復したのだろう。その娘である必要はあるのか?」
 当然、投げかけられると思っていた問いだが、ランドールの胸に突き刺さる。
「きっかけこそ、損なった能力の補助でしたが、彼女と言葉を交わすうちに、その人となりに惹かれるようになったのです」
「人となり、なぁ…」
 ランドールとて、判っている。
 王族にとって、恋愛結婚が如何に難しいのかと言う事は。
 ランドールの身分は、政略として使えるものだ。
 今は平和であっても、力のある貴族との繋がりを作る事は大切だし、提案のあったように王族同士で結び付く事も、王家の力を強めるには有効なのだろう。
「お前は宰相補佐で、ロイスワルズ王族だ。その相手ともなれば、社交界で国の女性貴族の先頭に立って導き、諸外国と外交するだけの才と、お前の隣に立つに相応しい容姿、そして周囲を納得させられるだけの背景が必要になる。それを踏まえた上でも、その娘を選ぶのか?」
「ご心配はごもっともです。私も、一時の感情ではなく、熟考しました。その上で、彼女ならば出来る、と思っております。彼女と共に、生きたいのです」
 固い顔でイアンの言葉を待つランドールに、イアンはちらりと視線を遣ると、セルバンテスに声を掛けた。
「セルバンテス。エリクを呼んでくれ」
「承知致しました」
 セルバンテスが音もなく退室したのを確認して、イアンがランドールに向き直る。
「どうせまだ、家族には話していないのだろ?」
「…伯父上にも両親にも、体が回復してから、伝えるつもりでおりました。目と耳の利かない私と、体の回復した私では、王家に与える影響が異なりますから。両親には、目隠しが取れてからは、会えておりません」
 エリクは直ぐに、セルバンテスと共にやってきた。
 許可も取らずにイアンの隣にどかっと座ると、そっくり同じ顔が二つ、ランドールの顔を見つめる。
「で?」
 エリクは、ランドールではなく、隣の双子の兄に問い質した。
「ランディ坊が、結婚したい相手がいるのだと、わしに話に来たぞ」
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 思っていた反応と異なるエリクの言葉に、ランドールは暫し、呆然とする。
「賭けはわしの勝ちだな」
「くそぅ…午後には面会をねじ込んでいたのに…」
 ふふん、と自慢気なイアンと、悔しそうに唸るエリクを見て、ランドールは躊躇の後、恐る恐る言葉を発した。
「賭け、とは…もしや、私が、伯父上と父上、どちらに先に結婚の話をするか、を賭けてらしたのですか…?」
「おぅ。金貨一枚な」
 当然のように答えるイアンに、エリクもまた、しかつめらしい顔で頷く。
「城内に怪しい噂が流れただろう?お前が離宮に休暇に行った事は知っていたし、火のない所に煙は立たない、と古今よく言うからな。お前の事だから、噂が流れる事も覚悟の上でなければ、万が一にでも疑念を抱かれるような行動を取るとは、思えんかった。となると、これは、本気で結婚を考えてるらしいぞ、と」
 父の言葉に、ランドールは愕然として、額を手で押さえた。
 身内でなければ愉快なおじさん達で済むが、彼にとっては最も近い身内なのだ。
 遊ばれるのは、心情的にきついものがある。
「それで?何処の娘だ?」
 同じ顔だけに既に話した気になっているが、何も聞いていないエリクに、先程、イアンにしたのと同じ説明を繰り返すと、彼もまた、ふむ、と頷いた。
「ギリアンの娘か。と言う事は、セルバンテス、お前の愛し子だな」
「父上も伯父上も、ご存知だったのですか」
「「そりゃあ、なぁ」」
 二人は顔を見合わせて、同じタイミングで肯定する。
「娘が幼い頃のセルバンテスは、大変だった」
「咳をしたと言っては、仕事を休んで駆け付け、」
「腹が痛いらしいと言っては、腹巻やら何やら買い込んで駆け付け、」
「父親であるギリアンが大丈夫だと言っているのに、薬師やら医師やらを送り付け、」
「「仕事をしなくて鬱陶しかった」」
 セルバンテスは相変わらず無表情ながら、耳が赤いのは、事実だからなのだろう。
「随分前に、婚約したと話していなかったか?」
 エリクが首を傾げると、
「あぁ、今年頭に、破棄された」
 イアンが答える。
 貴族同士の婚約と婚約破棄は、国王の許可が要るものだから、知っているのだろう。
「「…妨害したのか?」」
 胡乱な目でセルバンテスを見遣る双子に、セルバンテスはそっと目を逸らす。
「妨害などは致しておりません。…アマリアを本当に幸せに出来るのか、確認した事があるだけでございます」
 婚約者の身内でもない、王城の家令と言う身分の男に問われて、胸を張って頷ける地方貴族の三男がどれ位、いると思っているのだろう。
(…最低男だと思っていたが…ほんの少しだけ、同情するぞ)
 ランドールが溜息を吐くと、イアンとエリクの目が、ランドールへと向き直る。
「内面に惹かれ、政略など関係なく、ただ結婚したい、と、そう言うのだな?」
「そう言えば、妃にしたい、ではなく、妻にしたい、と言ったな。…お前、まさか…」
「…もしも、結婚の許可を頂けないようでしたら、臣下に降る心積もりでおります」
 静かなランドールの言葉に、イアンとエリクが顔を見合わせた。
「脅す気か?お前がいなければ、国政が立ち行かないのは判っているだろう」
「そのようなつもりはありません。ですが、ロイスワルズ王家に不利益をもたらすのであれば、この地位に留まる事は出来ません」
 幾らでも、身分の釣り合いが取れ、政略的に有効とされる令嬢が、国内にも国外にもいると言うのに、選びたいのは、地方貴族の伯爵令嬢なのだ。
「…ま、いいんじゃないか」
 いっそ投げ遣りにも聞こえるイアンの声に、ランドールは顔を上げる。
「ユリアスも、何だかんだでシェイラ王女を気に入ってるのだし、うちの娘達もうまくやってる。王家に都合の良い家から候補を挙げたが、実質恋愛結婚だろ。中央社交界に出ておらん分、王族としての責務に耐えられるのかは未知数だが、そこはランディが上手く補佐すればよい。後はエイダだが…」
「エイダなぁ」
 イアンの言葉を受けて、エリクも眉を顰めた。
「伯父上には申し訳ないのですが…エイダは妹同然、アマリアの事がなくても、結婚は考えられません」
「あぁ、どちらにせよ、結婚させる気はなかった」
 先程と異なるイアンの発言に、ランドールが首を捻る。
「考えてもみよ、わしとエリクは一卵性の双子だ。お前とエイダは、実質、腹違いの兄妹だろう。従兄妹とは言え、血が近すぎる」
「エイダはまだ幼い。そこまで考えが回っていない」
 イアンに続いて、エリクも縁談を否定した。
「…もし私が、縁談をお受けすると言ったら、どうするおつもりだったのですか」
 低い声でランドールが問うと、
「それはあれだろ、『ならば、わしを倒してからにせよ!わしより強い男にしか、娘はやらん!』と一騎打ちをだな。五人も娘がいるのだから、一度位はやってみたいのだ。わしだって、まだまだ若いもんには負けんぞ」
 拳を握りしめたイアンに返されて、一気に体の力が抜けて、長椅子にぐったりと体を沈める。
「エイダは、説得する。時間は掛かるかもしれんが、無理矢理結婚させる事はないから安心せよ。勿論、修道院にも入れない。ただ、社交界デビューとなる夜会のエスコートだけはしてやってくれ」
「はい。それは勿論。…ただ、アマリアと一曲踊る位の時間は頂きたいのですが」
「そうだな。エイダは、お前に執着する余り、同年代の貴族と触れ合う機会が少なかった。一曲踊った所で、話し相手を見繕ってやってくれればいい」
 これで、課題であった国王と父からの許可は得られた。
 セルバンテスを見ると、彼は小さく目顔で頷く。
「それで?娘にはいつ、結婚の許可が下りたと報告するのだ?喜ぶであろう?」
 ワクワクした顔で尋ねてくるイアンとエリクから顔を逸らして、ランドールは小声で返す。
「いえ…まだ、求婚をしておらず。ですので…受けて貰えるかどうか…」
「ぬあ?!」
「それどころか、告白もしておりませんで」
 黙って控えていたジェイクの裏切りに、ランドールが、
「おい、ジェイ!」
 憤ると、呆れた顔の父と伯父に、生温い笑顔を向けられた。
「…お前は本当に…女関係は下手だなぁ…」
「それだけ美形に産んでやったのに、勿体ないなぁ…」
 若い頃は浮名を流していたのが自慢の双子に、可哀想なものを見る目で見つめられ、ランドールは、羞恥に頬を染めると、席から立ち上がる。
「産んだのは母上であって、父上ではないですよ。では、お話は以上です。失礼致します」
 退室の許可も得ないまま、扉へと向かうと、慌ててジェイクが追い掛けてきた。
「あぁ、ちょっと待て、ランドール」
 イアンの呼び止める声に振り向くと、先程までと異なり、真剣な国王の顔のイアンがいる。
「来週から、記念式典の来賓が続々と到着される。お前との縁談を持ち込まれる事もあるだろう。その娘が大事ならば、記念式典までは秘しておいた方が良いかもしれん」
 ランドールは、頷く事で返事に変えた。
 扉が閉まる寸前、満面の笑顔の二人が親指を立てて応援する様子を見せるのに、苦笑する。
 何だかんだと言って、父と伯父は自分に甘い。
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