光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 アマリアが、ランドールの元で勤めるようになって、一か月が経過した。
 アンジェリカ達は、処遇決定後、程なく、ロイスワルズの騎士達に国境の街ネランドまで護送されて帰国した。
 ユリアスが、チートス国王に今回の一件について説明する役目を請け負い、アンジェリカ一行に同行している。
 ネランドまで、王都ロイスから馬車で七日、そこからチートス王都ザカリヤまで六日は掛かるから、ユリアスの帰国はまだ先の話だ。
 サングラは、ギリアンに守護石について尋ねたようだが、ギリアンは、亡くなった妻エミリアの手によるものなので詳細は知らない、とだけ語った。
 セルバンテスと二人で何かを黙っている様子である事に、アレクシスは気づいていたが、本当に必要となれば明かしてくれるだろう、と、追及はせずにいる。
 アマリアは、優秀な補佐だった。
 補佐官から上がってくる書類には、専門的な用語が書かれている為、文官として高い教育を受けた者でも、新任の頃は辞書を捲りながらの執務になるのだが、アマリアはきちんと意味を理解しているようで、淀みなくすらすらと読み上げる事が出来る。
「この書類ですが、『リラント』と地名が書かれています。しかし、内容はサザール領に関するものですので、サザール領の都市『レラント』の可能性もあると思われます。ご確認頂いてもよろしいでしょうか?」
 地理にも詳しく、地名の誤りを指摘する事も少なくない。
 出過ぎず、それでいて、言われた事しかしない程、融通が利かないわけでもなく、痒い所に手が届くと言うのか、適切な時期に適切な言葉を投げかけてくる。
 思いがけず、ランドールの視力と聴力の補助と言う以上に、アマリアの能力は役立っている。
 エイダの一件以来、共に昼食を取るようになったが、アレクシスの声がランドールには聞き取れない為、私的な会話は余り多くはない。
 だが、実際に会話を交わす事は少なくとも、ランドールは、アマリアがいれば状況が即座に伝わる、と言う事実に心安らぐようだ。
 アマリアと接していく内に、ランドールの表情が穏やかになった事にも、アレクシスは気づいていた。
 例え、恋や愛と言った艶めいた思いではなくとも、ランドールの心に、誰かが個人として認識されて特別な場所を作るのは、よい傾向に思える。
 不安視していたエイダの介入は、想定内のものしかまだ発生していない。
 それとなく、アマリアではなく別の侍女をつけないかと言う打診もあったが、気づかない振りをしていたら、立ち消えた。
 エイダの目から見て、アマリアの態度は、恋い慕う男の元に通う浮かれた娘のようには見えないからだろう。何としてでも排除しよう、という程の気概は感じられない。
 実際に、在位記念式典に向けた準備が加速してきた事で、ランドールと会えない理由を飲み込まざるを得ないのもあると考えられる。
 同時に、ランドールの気持ちがアマリアに向かう事はない、と言う驕りのようなものも感じる。
 初遭遇の後、一度だけ、エイダ本人がアマリアに声を掛けた事があるのを、アレクシスは密かにアマリアにつけている護衛の騎士から聞いていた。
 王城内の個室で寝起きする事は受け入れたアマリアだが、護衛をつける事は頑なに固辞した為――侍女に護衛など、身分不相応である、と言うのがその理由だ。実際に行っている業務は、侍女の仕事の範疇にないのだが――、アレクシスはアマリアに気づかれないように、影ながら見守らせていた。
 ちょっとした揉め事ならば様子を見て、大きな問題に発展しそうなら、偶然を装って助けに入るように指示している。
 業務終了後に、その日の出来事の報告を受けるのだが、報告しながらも担当していた騎士は、言葉を選ぶのに躊躇しているようだった。
「あの…ランドール殿下とトゥランジア嬢は、どのようなご関係なのでしょう?」
「?関係?君も知っての通り、執務室付きの侍女とその怖ぁい鬼上司ですよ?何で、そんな事を聞くんです?」
「本日、トゥランジア嬢が執務室へ向かう途中で、エイダ王女殿下がお声掛けになりまして」
「ほぉ、来ましたか。エイダ殿下は何と?」
「『ランディお兄様のお傍にお仕え出来るからって、間違っても思い上がらない事ね。お兄様の視界に、あなたなんか入るわけないんだから』だそうで」
「へぇ、君、多才ですね。エイダ殿下そっくりだ」
「有難うございます」
「それで?アマリアさんは、何て?」
「『勿論でございます。身の程は、十分に弁えているつもりです。何より殿下は、私の名もご存知ありませんから』と…本当ですか?トゥランジア嬢が執務室付きになって、もう一か月は経つと思うのですが。王城勤めの騎士全員の顔と名前が一致している殿下が、毎日、お傍で仕事されている彼女の名前を、ご存知ない?」
「あ~…」
 ランドールの記憶力の良さに、恐怖すら覚えている騎士の疑問としては、妥当に見える。
 これだけ騎士がいるのだから、どうせバレないだろう、と、ちょっとサボった事も、ランドールは何処からか察知して、背筋の凍るような冷徹な視線を浴びせるのだから。
「いや、うん、覚えてらっしゃらないって事はないと思うんだけど…そうか、アマリアさんにはそう見えてるのか…。それで?エイダ殿下は?」
「何だか急に気の毒そうな顔をされて、『判っていればいいのよ』と立ち去られました」
「あぁ、無事に恋敵認定は外れたようですね。結果は良し、ですが…」
 アレクシスは腕を組んで、ふむ、と首を傾げると、報告を終えた騎士を帰す。
「確かに、殿下はアマリアさんの名前を呼ばないけれど…」
 アレクシスも、ランドールがアマリアを名で呼ばず、必要な時は「貴女」と呼んでいる事に気づいていた。
 侍女は、家を離れて個人として仕えているという建前上、家名ではなく名で呼ぶものだが、アマリアは実際には補佐官室付きの侍女ではなく、ランドールの特殊な事情を補助する立場だ。
 夜会でランドールがご令嬢方にしているように、他人行儀に家名で呼ぶ事も、従者扱いもしくは親しみを込めて名を呼び捨てる事も出来ず、苦慮している結果だろう、と、アレクシスは考えていた。
 女性の名を呼び捨てている所を、他の人間に見られては、どのような噂が立つか判らないからだ。
 そこまでアマリアが判った上で、エイダに敢えて卑下してみせたのか、それとも本当にランドールが彼女の名を覚えていないと思っているのか、アレクシスには判断する材料がない。
 アマリアは淡々と、職務をこなしているようにしか見えない。
 ランドールの態度に不平不満があるようでもないし、今以上に親しくしたいと考えているようでもない。
 女性から秋波を送られる事が当然だったランドールは、女性でありながらも自分に擦り寄る気配のないアマリアに、当初はいぶかしむ様子があったが、最近では安心しているように見えた。
 結婚を前向きに考えられていないランドールに、アマリアのような女性もいる、と言う事実は大切だと、ランドールの部下としてではなく、乳兄弟としてのアレクシスは考えている。
 ランドールの見た目や身分に舞い上がるのではなく、人と人として付き合っていける異性もいるのだ、と知る事は、幼い頃から欲の絡んだ目でばかり見つめられていた彼にとって、大きな一歩だろう。

   ***

 アマリアが、ランドールの元で勤めるようになって、二か月。
 チートス国王レナルドに今回の一件について説明する為、チートスを訪問していたユリアスが、無事に帰国した。
 レナルドはアンジェリカの振舞いについて謝罪、ランドールに見舞いを述べ、一切の抗議をしなかった。
 謝罪に伴う賠償内容については、今後、二国間で協議を重ねる事になる。
 ある日の事。
 アマリアは、ランドールがアレクシスに代筆させた親書を読み上げていた。
 公爵邸で催される夜会への招待を、多忙を理由に断るものなのだが、ランドールは思わず、溜息を吐いてしまう。
「何故、イヴリス公爵令嬢はこれだけ毎度断っているのに、私の気持ちに気づいてくれないのだろうな」
 イヴリス公爵家の令嬢は、己をランドールの婚約者候補と公言して憚らない女性だ。
 確かに身分の釣り合いは取れるし、婚約者候補として名が挙がった事があるのは事実だが、一度として、王家から婚約の打診をした事はない。
 それは、他の令嬢に対しても同じ事で、ランドールの婚約者候補を自称する令嬢達の誰一人に対しても、ランドールはそのような話を匂わせた事もなければ、二人きりになった事もない。
 ランドールとしては、相手の自尊心を損なわない程度にははっきりと断っているつもりなのだが、残念ながら、功を奏していない。
 独り言のつもりだった言葉に返事をしたのは、アマリアだった。
「その方が、殿下のお気持ちにお気づきかどうかは判りませんが、どうしても、諦められない想いと言うものはありましょう。殿下をお慕いせずにはいられないご令嬢のお気持ちは、想像がつきますもの」
 思い掛けない言葉に、ランドールは動揺した。
 封蝋に捺そうと用意していた印章が、思わず、手から滑り落ちる。
「大変」
 反射的に身を乗り出したランドールと、慌てて手を伸ばしたアマリアの体が、勢い余って衝突した。
「きゃっ」
 アマリアは、印章しか見ていなかったのだろう。
 目の見えないランドールも同様で、体に感じる柔らかな感触を、反射的に抱き留める。
 反動で、ランドールは立ち上がりかけていた椅子に、再び、座り込んでいた。
 ふわり、と、甘やかでありながら控えめな、何処かで覚えのある香りが立ち上る。
「も、申し訳ございません…っ」
 耳元でアマリアの声がして、ランドールは硬直した。
 掌に、男のものとは異なる柔らかな体を感じる。
 椅子に腰掛けたランドールの膝の上にも、明らかな重みが掛かっている。
 恐らく、衝突した拍子に、アマリアがランドールの膝に乗り上げてしまったのだ。
 どくどくと早い鼓動を感じて、ランドールは思わず、息を詰めた。
「あ、あぁ、いや、私こそすまない。印章を拾ってくれるか」
「は、はい」
 膝の上に掛かっていた重みと、掌に感じていた熱が遠ざかるのに、ランドールは寂しさを覚え、そんな自分に驚く。
「…殿下、大変失礼致しました…」
 蚊の鳴くように細く上ずった、アマリアの声。
 判っていた筈なのに、彼女が一人の女性である事を、改めて意識する。
 印章を受け取るべく手を差し出すと、アマリアの手が、ランドールの手に触れた。
 思っていた以上に細い指先と、ランドールよりも一回りは小さな手を、思わず握りしめそうになって、ランドールはその衝動をぐっと堪えて顔を逸らす。
 お互いから目を逸らす二人は、その様子を王宮の執務室から戻ってきたアレクシスが見ていた事に気づいていない。
 明らかに動揺し、普段の彼らしからぬランドールの姿に、よい傾向だ、と、アレクシスは頬を緩めた。
 以前、ランドールが書庫で出会った女性の話をした事がある。
 その女性がアマリアであろう事に、アレクシスは気づいていた。
 長身で、書庫に興味があり、紹介者である父親に王族とお近づきになりたいとの意思がないとなれば、他にいないだろう。
 アマリア自身の資質のみならず、権力に色気を持たないギリアンの存在もまた、アレクシスにとっては好ましい。
 ランドールが初めて興味を持つ相手として、申し分ないと思えた。
 アマリアが王城のランドールの執務室付きになってから、おおよそ、アレクシスの想定内で事態は進んでいる。
 唯一、想定外だったのは、王城勤務の騎士達がアマリアへ恋文を渡すようになった事だ。
 確かにアマリアは、ロイスワルズでの「色素の薄い髪と瞳」「小柄で肉感的」と言う美人の定義と真反対な容姿ながらも、顔立ちは整っている。
 標準女性よりもかなり長身で、男性の平均身長位あるが、そもそも体格のいい騎士であれば、並んだ時のバランスもいい。小柄な女性は、潰してしまいそうで怖いと言う騎士は、少なくないのだ。
 アマリアはほっそりとしているものの、凹凸が著しく乏しいわけではないし、折れそうな程に華奢なわけでもない。
 何より、王城勤めを鼻に掛ける様子がある他の侍女と比べ、控えめで気配りをする性格と、しっかりした見た目に反して方向音痴気味と言うちょっと抜けた所が可愛いらしい。
 ランドールが初めてつけた侍女だけに、関係を勘ぐっていた騎士も多かったが、アレクシスが否定した事で、自分にも目があるのでは、と思った者が勢いを得たようだ。
 アレクシスは、アマリアに何人もの騎士が恋文を渡す様子を見掛けていたが、その事について、軽い世間話としてもアマリアに問うた事はなかったし、アマリアもまた、話す事はなかった。
 どれだけ恋文を渡されても、アマリアには浮かれた様子もなければ、困った様子もない。
 迷惑そうにしていれば、それとなく騎士達を止める心積もりでいたが、そういうわけでもないらしい。
 婚約破棄された過去を知る一人として、アマリアには是非とも幸せになって欲しいと思うからこそ、もしも、騎士達の誰かと上手く行く可能性があるのならば、と、余計な嘴を挟まない事を決めていた。
 だが、しかし。
 つい、うっかり、と言うのは誰にでもあるもので。
 相変わらず、アマリアを介さないとランドールとの順調な会話は難しかったが、どうしてもアマリアを通す事の出来ない機密は、業務終了後にアマリアが退室してから、ランドールの掌に文字を綴って伝える事にしていた。
 国王夫妻の第四王女の輿入れ先について相談していた時に、ふと、思い出してしまったのだ。
『アマリアさんが、今日も騎士から恋文を貰ってましたよ。モテモテですね』
「…今日、も?」
 主人の低い声に顔を上げて、アレクシスは、自分が何をしたか気づく。
「あ」
「今日も、とはどう言う事だ?アレクシス」
 仮面に隠されているのに、眉を顰めているのが判る固い声。
「あ~…」
 何とか誤魔化せないかと考えを巡らすが、ランドールはアレクシスの手を離さない。
「アレク?」
 珍しく、幼い頃のように愛称を呼ぶランドールに、彼が焦っているのだ、と気づいて、アレクシスは思わず、にんまりと笑みを浮かべてしまった。
『アマリアさんは、王城勤めの騎士に人気があるんですよ』
 掌に文字を綴ってやると、ランドールが黙り込む。
『美人ですし、性格もいいですし』
『背は確かに高いですけど、騎士とならちょうどいい感じですし』
 追い打ちを掛けるように、次々と。
 きっとランドールの脳内では、アマリアの姿を思い浮かべようと、必死に記憶が駆け巡っているに違いない。
 ランドールが唯一見たアマリアは、侍従姿なのだ。
 彼には、アレクシスの言葉とアマリアの姿が上手く繋がらない。
「彼女は…」
 言い掛けて、ランドールは中途半端に言葉を止める。
「いや、何でもない」
 そのまま黙り込んだランドールに、アレクシスは、何かが動く予感がして、わくわくと胸を高鳴らせた。
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