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二人きりの仮面舞踏会
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人は、孤独の中では生きられない。
誰にも理解してもらえない、気づいてもらえないというのは辛いことだろう。
でも、誰か一人。そう、たった一人でも自分のことを見てくれる人がいれば人は生きていけるのだ。
◆◆◆
私は由緒正しい貴族の娘として生を受けた。
だが、物心つく前に事故でお湯を被ってしまい顔の一部が火傷している。
全てが爛れているわけでは無い。ただ、その一部の汚点は貴族の令嬢としては致命的だったらしい。
両親は私を外に出さなくなり、最初の娘などいなかったように次の子を作った。
一生のほとんどを別荘で過ごした。当然、家族と過ごした記憶など無い。
妹がいるらしいが、実際に会ったことは無かった。接してきたのは事務的な会話しかしない家庭教師や使用人だけ。
本の中で見たおままごとのような世界で私は生きていた。
突然、父を名乗る男性が訪問し、私の嫁ぎ先が決まったと伝えられる。
拒否をする気はなかったが、もともと拒否する権利は無かったらしい。私の返事を聞くことも無く、一方的にその人は私に言うとすぐに帰っていった。私とは違う家に。
どうやら、結婚は一年後らしい。いつ出るのかを使用人に聞くと、端的にそう返事が返ってきた。
引っ越しの準備を始める。自分の物はほとんど無いので、すぐに終わってしまった。
どうしようかと思っているとせめて、邪魔をしないようにと役立ちそうなことを学び始めた。
どんな所で、どんな人に嫁ぐのかを知らないので、裁縫、家事、給仕、庭の剪定と一通り行う。誰も話し相手がいなかったので、本だけはたくさん読んできた。
本で得た知識を基礎に、使用人のやる様を黙って観察しながら経験を積み重ねていく。使用人は顔を顰めるばかりで、特に教えてくれるわけでは無いので最初は失敗ばかりだった。
それでも、他に何もすることの無い私にはそれでもなお時間が余る。一年が経つ頃にはそれなりにできるようになっていた
嫁いできた初日、旦那様らしき男性と対面する。
銀色の髪、紺色の瞳、背は高い。そして、とても不機嫌そうな顔をしながら、
「顔に傷のある嫁を貰ってやっただけ感謝しろ。だが、穀潰しを養う気はない、働け」
とだけ伝えて去っていった。
◆◆◆
この屋敷はそれほど大きくない。
だが、使用人はあまりやる気がないようで管理はあまりうまくいっていないようだった。
以前は両親にここから出るなと言われていたのでそうしていた。今回は働けと言われたのでやれることをやっていく。
とりあえず、掃除を始める。ガラスが曇っているので磨き、部屋の隅に溜まった埃を片付けていく。
そして、光の入り方等を計算しながら物の配置を変えていく。
そうしていると外が暗くなってきたようなので夕飯の用意をしようと思い厨房に行く。
だが、料理人に準備を始めようという気配がない。
どうやら旦那様はあまり帰ってこず、今日もいないとのことなのでサボっているらしい。
何か食べるなら作るとは言われたが、別に簡単なものでよかったので自分で作るとそれを食べた。
◆◆◆
それからしばらく家の掃除をしていたある日、旦那様が突然帰宅した。
エントランスで怒鳴るような声がするので行ってみると、今日は夕食を食べるつもりなのに食材が無いのでできないと料理人に言われたらしい。
そして、近づいてきた私の顔を見ると、怒りながら口を開いた。
「お前は家の管理もできないのか!!屋敷の主人が食事を取れないなどと信じられん失態だぞ」
確かにそこまでは見ていなかった。あくまで、する人がいないところだけをやればいいと思っていたが、どうやら違うようだ。
「次は無いぞ。屋敷のことはきちんと管理するんだ。使用人がどうというのは聞きたくない。
言い訳できないように毎月の管理費の中でなら全て任す。屋敷の管理は妻の仕事。お前が全て対応しろ」
全て管理しろということならそうしよう。一度管理費の計算と人員配置の確認をしなくてはいけない
「わかりました」
「ふん。今日は外で食べてくる。重ねて言うが、次は無い」
「はい。旦那様」
二度目の邂逅は彼を更に不機嫌にしただけで終わった。
◆◆◆
それから屋敷の現状を把握した。どうやら、管理費の大部分が人件費であるものの、それに見合う効果が出ていないらしい。
だいたいのことなら何とかなるが、さすがに一人では全ての管理はできないので、働かないものは入れ替えることを全員に伝えた。
当然不満を多数言われたが、何を言われても給料分を働けば首を切ることは無いとだけ伝える。
何を言っても私が方針を変えないと分かったのだろう。皆は諦めて解散していった。
あの日以来、屋敷の環境は大きく変わった。辞めるものと残るもの、そして辞めさせられるものと様々な結末を与えていく。
多くの使用人はもういないが、馬番のレント、金庫番のゴードン、新人メイドのアリスはまだこの家に残っている。
前から、屋敷の一部だけしっかり管理されているのは分かっていたが、どうやらそれをやっていたのは彼らだったようだ。記録と照らし合わせてそれが一致した。
ちなみに、家令のドレアラはやる気が無さ過ぎたので既にクビにしている。自分を解雇はできないと高を括っていたようだが、関係はない。
最初に伝えた通り解雇通知を出すと、泣きついてきた。そして、しがみつかれて困っていると、大柄のゴードンが放り出してくれた。彼は無口で強面だが、やるべきことをしっかりやってくれる。
四人で屋敷を回していき、新たに出した求人で人が少しずつ集まってくる。
半月が経つ頃には新人ばかりではあるものの以前よりうまく回るようになっていた。
綺麗に剪定された庭、隅々まで綺麗な部屋、品よく配置された家具、適切に管理された厨房。
これならいつ旦那様が帰ってきても大丈夫だろう。
◆◆◆
そして、それから更に半月後、旦那様は久しぶりに家に帰宅した。
前とは違い、旦那様が届く前にレントが先触れをしてくれ、私を中心に一部を除いた使用人全員で出迎える。
「お帰りなさいませ、旦那様」
彼は、始めて来た場所のように周りをキョロキョロと見回し、怪訝そうな顔をしている。
「…………屋敷を改装したのか?」
「いいえ。改装はしておりません。掃除を適切にやったのみです」
「まさか、使用人を多く雇ったのか?管理費の中でと伝えたはずだが」
彼は少し怒りを含んだ顔をするとこちらにそう問いかける
「いいえ。使用人は以前の半分ほどです。管理費もだいぶ浮くようになり、それを使って劣化した家財を買い替えることができるほどとなっております」
さきほどまでの怒り顔が固まり、少し時間を開けると彼は再び口を開いた。
「使用人を辞めさせたのか?」
「はい。全て任すとおっしゃられたので」
「どれくらい辞めさせたんだ?」
「家令を始めほとんどを。最初の者で残ったのは三人のみです」
彼は表情を何度も替え、最後によくわからない不思議な表情をする。そして、周りをもう一度見回すとため息を吐いた。
「……まあ、いい。ご苦労だった」
人に労われたのは初めてかもしれない。少し嬉しい。
「いえ、これが妻の務めですので」
「…………そうか。すぐに食事は用意できるのか?」
既に彼が帰った時に準備を始めさせている。厨房に繋がる廊下をチラッと見ると、アリスがこちらを見てお辞儀をするのが見えた。
どうやら、既に準備を終わっているようだ。
「はい。ちょうど準備ができたようです。こちらへ」
私が案内する言葉を発すると、それに合わせて使用人たちが動き出し、彼の荷物を預かっていく。
少しポカンとした表情をした彼は、こちらの視線に気づくと咳払いして後に続いた。
◆◆◆
その日から、彼は頻繁に屋敷に帰ってくるようになった。
そして、顔を会わせているうちに気づいた。
彼は大体不機嫌な顔をして帰ってくるが、怒っていて不機嫌な顔、疲れて不機嫌な顔、不機嫌そうに見えてもそうでない顔など、その表情の中にもいろいろと種類があるようだった。
私は、それに気づくとお風呂に入れる薬剤の種類や翌朝の食事のメニュー、紅茶の種類等を変え、彼の反応を観察しながら最も効果の高い方法を模索していった。
◆◆◆
彼が毎日屋敷に帰ってくるようになってしばらく、突如手紙が届いた。
それを読んだ彼はいつになく不機嫌になり、それを破り捨てると出かけていった。
継ぎ目を合わせて何が書いてあるかを読んでみると、どうやら最近旦那様がここに帰っているのを知り、彼の兄が両親と妻を連れ尋ねてくるらしかった。
私は誰とも会ったことが無いが、仲が悪いのだろうか。
彼は相変わらずの仏頂面ながらも、ここしばらくはずっと機嫌が良かったので少し気になる。
◆◆◆
そして、訪問の日。私は出てこないようにと言いつけられてしまったので、使用人達に全て任せる。
雇用主と被雇用者の線引きはしっかりしながらも、彼らとは良好な関係を築いてきたので特に不安は無かった。
そして、一台の馬車が到着すると一人の男性がそこから降りて来た。
恐らく旦那様のお兄様だろう。金髪、碧眼と特徴は違うながらもその顔はとても似通っていた。
そして、お兄様にエスコートされるように降りてくる桃色の髪の美しい女性。
手を取りながら見つめ合う二人はとても幸せに見える。
そして、続いて降りてくる初老の夫婦。流れ的にあれがお義父様とお義母様だろう。
後で聞いた話だが、旦那様の意向で頑なに式を開かなかったうえ、来訪を拒み続けていたようなので私は彼らに一度もあったことが無い。
旦那様はいつもの不機嫌な顔では無く、笑顔だった。
だが、その顔からはあまりいい感情は伝わってこない。やはり仲が悪いのだろうか。
とりあえず、今日は一日裁縫でもしようと思い、離れたところに建つ使用人用の小屋に籠っていた。
◆◆◆
「久しぶりだね。アルス、最近お前が会ってくれなかったから俺は寂しかったぞ」
兄のアレンが俺の肩を抱きながらそう言葉をかけてくる。
「私達が結婚してから一度も会ってくれなかったじゃない」
そして、俺たち兄弟の幼馴染であり、兄の妻のクレアがそう言う。
俺はいつも通り笑顔を貼り付け、彼らに言葉を返す。
「二人の邪魔をしてはいけないと思ってね」
思ってもいないことを呟く。
「おいおい、水臭いじゃないか」
「そうよ、私達の仲なんだからそんなこと気にしないでいいのに」
そして、話が少し落ち着くと彼らの後ろから両親が近づいてきた。
「アルス、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「はい。父上」
「しばらく忙しくしてみたいだけど大丈夫なの?」
「大丈夫です。母上、兄上ほど大役を任せられているわけでもありませんので」
兄はこの国の王にその実力を認められる右腕とも呼べる存在であり、国の中枢で政務に携わっていた。
方や俺はそれほど大した才も無いので一役人程度だ。それ故、両親から箔付のために名家の嫁を宛がわれたようなものだし。
「それは、アレンと比べたらそうなってしまうだろう。お前なりに頑張ればいいんだ」
「そうよ、アレンはアレン。アルスはアルス、それぞれに合った道を選べばいいのよ」
両親は気遣うようにそう言う。それに対して俺は張り付けた笑顔で頷いた。
「そういえば、奥さんとは仲良くやっているのかい?今日は姿が見えないようだが」
「はい。少し出かけていて、しばらく帰ってこない予定です」
「そうか、それは残念だ。まあ、仕方あるまい」
特に深く気にする様子は無かった。
まあ、当然だろう。彼女の家と利害が一致していたが故にこの縁談は結ばれた。
既に彼女の家は我が家の支援を行い、兄の手助けをしている。
厄介事さえ起きなければ特に問題は無いのだろう。
「またいずれ、機会があれば」
「そうだな」
それからしばらく兄達と話した後、俺が明日朝早くに出たいことを伝えると彼らは帰っていった。
それを外で見届けていると冷たい風が吹く。恐らく、冬が近づいているのだろう。
冷える体を無視して、その場で風に当たっていた。
昔から兄と比べられてきた。何でもできる兄と、それに比べて落胆される俺。
何をしても勝つことができなかった。俺は兄の出涸らしなのだ。
初恋のクレアも常に兄を見続け一度も俺を見ることが無かった。
両親も兄のことを一番に考え、俺が彼の足を引っ張らないように、汚点とならないようにということを常に考え続けていたように感じる。
そして、兄が同僚にこう言っているのも聞いてしまった。
不出来な比較対象がいるから俺が一際輝いて見えると、笑いながら。
俺は周りから見たら幸福なのかもしれない。
優しい兄に綺麗な幼馴染、心配してくれる両親。
こんなことを言ったら鼻で笑う人もいるだろう。
だが、俺の心はずっと孤独なのだ。誰も兄を通してしか俺を見ない。
俺を見てくれる人などどこにもない。
俺は兄や幼馴染、両親の前ではその悲しみを隠すように笑顔の仮面を被り、他の場所では兄が更に輝けるよう愛想のない仮面を被るのだ。
◆◆◆
裁縫にもひと段落付き、粗が無いかチェックをし終わった後。
外が暗いことに気づいた。そして、外に出ると玄関前に止まっていた馬車がいないことに気づく。
どうやら、ご家族は帰られたみたいだ。
夕飯の支度を皆が始めているはずだから手伝いに行こうと屋敷に向けて歩き出す。
夜になり、ひと際冷たい風が吹いている。
最近は夜がとても冷える。寒がりには辛い季節になるだろうなと考えながら白い息を吐いた。
屋敷に向かって歩いていると、旦那様が外で黙って立っている。
どうしたのだろう。声をかける。
「こんなところで、どうされたのですか?」
彼はゆっくりとこちらを振り向く。朝のような笑顔は無く、いつも通りの不機嫌そうな顔をしていた。
「……何でもない。お前は何をしていたんだ?」
少しの沈黙の後、彼はそう問いかけてくる。
丁度いい質問だったので、布袋に入れていたものを彼に差し出した。
「これを作っていたんです。どうぞ、旦那様用に作りました」
素っ気ない入れ物ではあるがご容赦頂きたい。中に入っているものも洒落たものでは無いし。
「……俺に?これは、なんだ?」
彼が袋からそれを取り出し、確かめる。そして、その不機嫌そうな顔が崩れ不思議そうな顔をした。
「腹巻ですよ」
そう伝えると彼は間の抜けた顔をした後、少し怒りの表情をする。
「腹巻だと?ふざけてるのか?」
「いいえ。本気です」
私は冗談が苦手だ。ただ事実しか言えない。彼もそこに気づいたのか話を聞く姿勢になった。
「どうしてこれを俺に渡した?」
「旦那様は寒さが苦手だったようなので作りました。最近特に冷えますし」
彼は寒さがあまり得意でない。人よりも厚着をするし、温かいものを好む。
それに、冷えた日は起きてくるのが明らかに遅い。
「……………………よく気づいたな」
「仕草や表情をよく見ておりますので。それに、これも妻の務めです」
「ふっ。そうか、これも妻の務めか」
彼は思わずといった様子で笑う。そして、すぐに表情を戻した。
今日の彼は表情が良く変わる。まるで踊るかのようにころころと移り変わっていく。
「まあ、受け取っておいてやろう」
「ありがとうございます」
彼は、その腹巻に目を落とすと、それを丁寧に抱えた。
壊れ物を触るように。
そして、屋敷の扉に向けて一歩歩き出し、再び足を止めこちらを振り返った。
相変わらずの不機嫌そうな顔で。
「…………今、俺の顔はお前にどう見えている?」
不思議なことを言う人だ。これほど顔に表情が現れているだろうに。
「笑っておられるのでは?」
「その通りだ。だが、それだけじゃない。それ以外にも伝えたいことがある」
なんだろう。笑顔には見える、だが、それ以外にも伝えたいことは少しわからない。言葉とは違い、細かいニュアンスは流石に伝わらない。
「それは教えて頂けるのでしょうか?」
「ああ。伝えたいことはな、いつもありがとうってことだ。
だから、ずっとここにいろ」
その言葉に私は少し動揺する。
これまで私に労いはもちろん、そんな言葉をかける人はいなかった。いや、そもそも会話すらすることが無かったのだから当然だろう。
そして、頭が混乱し、何も言えない私を見て旦那様は本当の笑顔を見せた。
「それも妻の務めだ」
「これも……妻の務め」
その意味をゆっくりと、まるで味わうように咀嚼する。
「ほら、ここは冷える。早く中に入るぞ、ジュリア」
私の名だった。これまで役割を果たしてこなかったそれは、今初めてその意味を持った。
そして、繋がれた手からは温もりが伝わってくる。
それすらも、私にとっては初めてのものだったのだ。
誰にも理解してもらえない、気づいてもらえないというのは辛いことだろう。
でも、誰か一人。そう、たった一人でも自分のことを見てくれる人がいれば人は生きていけるのだ。
◆◆◆
私は由緒正しい貴族の娘として生を受けた。
だが、物心つく前に事故でお湯を被ってしまい顔の一部が火傷している。
全てが爛れているわけでは無い。ただ、その一部の汚点は貴族の令嬢としては致命的だったらしい。
両親は私を外に出さなくなり、最初の娘などいなかったように次の子を作った。
一生のほとんどを別荘で過ごした。当然、家族と過ごした記憶など無い。
妹がいるらしいが、実際に会ったことは無かった。接してきたのは事務的な会話しかしない家庭教師や使用人だけ。
本の中で見たおままごとのような世界で私は生きていた。
突然、父を名乗る男性が訪問し、私の嫁ぎ先が決まったと伝えられる。
拒否をする気はなかったが、もともと拒否する権利は無かったらしい。私の返事を聞くことも無く、一方的にその人は私に言うとすぐに帰っていった。私とは違う家に。
どうやら、結婚は一年後らしい。いつ出るのかを使用人に聞くと、端的にそう返事が返ってきた。
引っ越しの準備を始める。自分の物はほとんど無いので、すぐに終わってしまった。
どうしようかと思っているとせめて、邪魔をしないようにと役立ちそうなことを学び始めた。
どんな所で、どんな人に嫁ぐのかを知らないので、裁縫、家事、給仕、庭の剪定と一通り行う。誰も話し相手がいなかったので、本だけはたくさん読んできた。
本で得た知識を基礎に、使用人のやる様を黙って観察しながら経験を積み重ねていく。使用人は顔を顰めるばかりで、特に教えてくれるわけでは無いので最初は失敗ばかりだった。
それでも、他に何もすることの無い私にはそれでもなお時間が余る。一年が経つ頃にはそれなりにできるようになっていた
嫁いできた初日、旦那様らしき男性と対面する。
銀色の髪、紺色の瞳、背は高い。そして、とても不機嫌そうな顔をしながら、
「顔に傷のある嫁を貰ってやっただけ感謝しろ。だが、穀潰しを養う気はない、働け」
とだけ伝えて去っていった。
◆◆◆
この屋敷はそれほど大きくない。
だが、使用人はあまりやる気がないようで管理はあまりうまくいっていないようだった。
以前は両親にここから出るなと言われていたのでそうしていた。今回は働けと言われたのでやれることをやっていく。
とりあえず、掃除を始める。ガラスが曇っているので磨き、部屋の隅に溜まった埃を片付けていく。
そして、光の入り方等を計算しながら物の配置を変えていく。
そうしていると外が暗くなってきたようなので夕飯の用意をしようと思い厨房に行く。
だが、料理人に準備を始めようという気配がない。
どうやら旦那様はあまり帰ってこず、今日もいないとのことなのでサボっているらしい。
何か食べるなら作るとは言われたが、別に簡単なものでよかったので自分で作るとそれを食べた。
◆◆◆
それからしばらく家の掃除をしていたある日、旦那様が突然帰宅した。
エントランスで怒鳴るような声がするので行ってみると、今日は夕食を食べるつもりなのに食材が無いのでできないと料理人に言われたらしい。
そして、近づいてきた私の顔を見ると、怒りながら口を開いた。
「お前は家の管理もできないのか!!屋敷の主人が食事を取れないなどと信じられん失態だぞ」
確かにそこまでは見ていなかった。あくまで、する人がいないところだけをやればいいと思っていたが、どうやら違うようだ。
「次は無いぞ。屋敷のことはきちんと管理するんだ。使用人がどうというのは聞きたくない。
言い訳できないように毎月の管理費の中でなら全て任す。屋敷の管理は妻の仕事。お前が全て対応しろ」
全て管理しろということならそうしよう。一度管理費の計算と人員配置の確認をしなくてはいけない
「わかりました」
「ふん。今日は外で食べてくる。重ねて言うが、次は無い」
「はい。旦那様」
二度目の邂逅は彼を更に不機嫌にしただけで終わった。
◆◆◆
それから屋敷の現状を把握した。どうやら、管理費の大部分が人件費であるものの、それに見合う効果が出ていないらしい。
だいたいのことなら何とかなるが、さすがに一人では全ての管理はできないので、働かないものは入れ替えることを全員に伝えた。
当然不満を多数言われたが、何を言われても給料分を働けば首を切ることは無いとだけ伝える。
何を言っても私が方針を変えないと分かったのだろう。皆は諦めて解散していった。
あの日以来、屋敷の環境は大きく変わった。辞めるものと残るもの、そして辞めさせられるものと様々な結末を与えていく。
多くの使用人はもういないが、馬番のレント、金庫番のゴードン、新人メイドのアリスはまだこの家に残っている。
前から、屋敷の一部だけしっかり管理されているのは分かっていたが、どうやらそれをやっていたのは彼らだったようだ。記録と照らし合わせてそれが一致した。
ちなみに、家令のドレアラはやる気が無さ過ぎたので既にクビにしている。自分を解雇はできないと高を括っていたようだが、関係はない。
最初に伝えた通り解雇通知を出すと、泣きついてきた。そして、しがみつかれて困っていると、大柄のゴードンが放り出してくれた。彼は無口で強面だが、やるべきことをしっかりやってくれる。
四人で屋敷を回していき、新たに出した求人で人が少しずつ集まってくる。
半月が経つ頃には新人ばかりではあるものの以前よりうまく回るようになっていた。
綺麗に剪定された庭、隅々まで綺麗な部屋、品よく配置された家具、適切に管理された厨房。
これならいつ旦那様が帰ってきても大丈夫だろう。
◆◆◆
そして、それから更に半月後、旦那様は久しぶりに家に帰宅した。
前とは違い、旦那様が届く前にレントが先触れをしてくれ、私を中心に一部を除いた使用人全員で出迎える。
「お帰りなさいませ、旦那様」
彼は、始めて来た場所のように周りをキョロキョロと見回し、怪訝そうな顔をしている。
「…………屋敷を改装したのか?」
「いいえ。改装はしておりません。掃除を適切にやったのみです」
「まさか、使用人を多く雇ったのか?管理費の中でと伝えたはずだが」
彼は少し怒りを含んだ顔をするとこちらにそう問いかける
「いいえ。使用人は以前の半分ほどです。管理費もだいぶ浮くようになり、それを使って劣化した家財を買い替えることができるほどとなっております」
さきほどまでの怒り顔が固まり、少し時間を開けると彼は再び口を開いた。
「使用人を辞めさせたのか?」
「はい。全て任すとおっしゃられたので」
「どれくらい辞めさせたんだ?」
「家令を始めほとんどを。最初の者で残ったのは三人のみです」
彼は表情を何度も替え、最後によくわからない不思議な表情をする。そして、周りをもう一度見回すとため息を吐いた。
「……まあ、いい。ご苦労だった」
人に労われたのは初めてかもしれない。少し嬉しい。
「いえ、これが妻の務めですので」
「…………そうか。すぐに食事は用意できるのか?」
既に彼が帰った時に準備を始めさせている。厨房に繋がる廊下をチラッと見ると、アリスがこちらを見てお辞儀をするのが見えた。
どうやら、既に準備を終わっているようだ。
「はい。ちょうど準備ができたようです。こちらへ」
私が案内する言葉を発すると、それに合わせて使用人たちが動き出し、彼の荷物を預かっていく。
少しポカンとした表情をした彼は、こちらの視線に気づくと咳払いして後に続いた。
◆◆◆
その日から、彼は頻繁に屋敷に帰ってくるようになった。
そして、顔を会わせているうちに気づいた。
彼は大体不機嫌な顔をして帰ってくるが、怒っていて不機嫌な顔、疲れて不機嫌な顔、不機嫌そうに見えてもそうでない顔など、その表情の中にもいろいろと種類があるようだった。
私は、それに気づくとお風呂に入れる薬剤の種類や翌朝の食事のメニュー、紅茶の種類等を変え、彼の反応を観察しながら最も効果の高い方法を模索していった。
◆◆◆
彼が毎日屋敷に帰ってくるようになってしばらく、突如手紙が届いた。
それを読んだ彼はいつになく不機嫌になり、それを破り捨てると出かけていった。
継ぎ目を合わせて何が書いてあるかを読んでみると、どうやら最近旦那様がここに帰っているのを知り、彼の兄が両親と妻を連れ尋ねてくるらしかった。
私は誰とも会ったことが無いが、仲が悪いのだろうか。
彼は相変わらずの仏頂面ながらも、ここしばらくはずっと機嫌が良かったので少し気になる。
◆◆◆
そして、訪問の日。私は出てこないようにと言いつけられてしまったので、使用人達に全て任せる。
雇用主と被雇用者の線引きはしっかりしながらも、彼らとは良好な関係を築いてきたので特に不安は無かった。
そして、一台の馬車が到着すると一人の男性がそこから降りて来た。
恐らく旦那様のお兄様だろう。金髪、碧眼と特徴は違うながらもその顔はとても似通っていた。
そして、お兄様にエスコートされるように降りてくる桃色の髪の美しい女性。
手を取りながら見つめ合う二人はとても幸せに見える。
そして、続いて降りてくる初老の夫婦。流れ的にあれがお義父様とお義母様だろう。
後で聞いた話だが、旦那様の意向で頑なに式を開かなかったうえ、来訪を拒み続けていたようなので私は彼らに一度もあったことが無い。
旦那様はいつもの不機嫌な顔では無く、笑顔だった。
だが、その顔からはあまりいい感情は伝わってこない。やはり仲が悪いのだろうか。
とりあえず、今日は一日裁縫でもしようと思い、離れたところに建つ使用人用の小屋に籠っていた。
◆◆◆
「久しぶりだね。アルス、最近お前が会ってくれなかったから俺は寂しかったぞ」
兄のアレンが俺の肩を抱きながらそう言葉をかけてくる。
「私達が結婚してから一度も会ってくれなかったじゃない」
そして、俺たち兄弟の幼馴染であり、兄の妻のクレアがそう言う。
俺はいつも通り笑顔を貼り付け、彼らに言葉を返す。
「二人の邪魔をしてはいけないと思ってね」
思ってもいないことを呟く。
「おいおい、水臭いじゃないか」
「そうよ、私達の仲なんだからそんなこと気にしないでいいのに」
そして、話が少し落ち着くと彼らの後ろから両親が近づいてきた。
「アルス、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「はい。父上」
「しばらく忙しくしてみたいだけど大丈夫なの?」
「大丈夫です。母上、兄上ほど大役を任せられているわけでもありませんので」
兄はこの国の王にその実力を認められる右腕とも呼べる存在であり、国の中枢で政務に携わっていた。
方や俺はそれほど大した才も無いので一役人程度だ。それ故、両親から箔付のために名家の嫁を宛がわれたようなものだし。
「それは、アレンと比べたらそうなってしまうだろう。お前なりに頑張ればいいんだ」
「そうよ、アレンはアレン。アルスはアルス、それぞれに合った道を選べばいいのよ」
両親は気遣うようにそう言う。それに対して俺は張り付けた笑顔で頷いた。
「そういえば、奥さんとは仲良くやっているのかい?今日は姿が見えないようだが」
「はい。少し出かけていて、しばらく帰ってこない予定です」
「そうか、それは残念だ。まあ、仕方あるまい」
特に深く気にする様子は無かった。
まあ、当然だろう。彼女の家と利害が一致していたが故にこの縁談は結ばれた。
既に彼女の家は我が家の支援を行い、兄の手助けをしている。
厄介事さえ起きなければ特に問題は無いのだろう。
「またいずれ、機会があれば」
「そうだな」
それからしばらく兄達と話した後、俺が明日朝早くに出たいことを伝えると彼らは帰っていった。
それを外で見届けていると冷たい風が吹く。恐らく、冬が近づいているのだろう。
冷える体を無視して、その場で風に当たっていた。
昔から兄と比べられてきた。何でもできる兄と、それに比べて落胆される俺。
何をしても勝つことができなかった。俺は兄の出涸らしなのだ。
初恋のクレアも常に兄を見続け一度も俺を見ることが無かった。
両親も兄のことを一番に考え、俺が彼の足を引っ張らないように、汚点とならないようにということを常に考え続けていたように感じる。
そして、兄が同僚にこう言っているのも聞いてしまった。
不出来な比較対象がいるから俺が一際輝いて見えると、笑いながら。
俺は周りから見たら幸福なのかもしれない。
優しい兄に綺麗な幼馴染、心配してくれる両親。
こんなことを言ったら鼻で笑う人もいるだろう。
だが、俺の心はずっと孤独なのだ。誰も兄を通してしか俺を見ない。
俺を見てくれる人などどこにもない。
俺は兄や幼馴染、両親の前ではその悲しみを隠すように笑顔の仮面を被り、他の場所では兄が更に輝けるよう愛想のない仮面を被るのだ。
◆◆◆
裁縫にもひと段落付き、粗が無いかチェックをし終わった後。
外が暗いことに気づいた。そして、外に出ると玄関前に止まっていた馬車がいないことに気づく。
どうやら、ご家族は帰られたみたいだ。
夕飯の支度を皆が始めているはずだから手伝いに行こうと屋敷に向けて歩き出す。
夜になり、ひと際冷たい風が吹いている。
最近は夜がとても冷える。寒がりには辛い季節になるだろうなと考えながら白い息を吐いた。
屋敷に向かって歩いていると、旦那様が外で黙って立っている。
どうしたのだろう。声をかける。
「こんなところで、どうされたのですか?」
彼はゆっくりとこちらを振り向く。朝のような笑顔は無く、いつも通りの不機嫌そうな顔をしていた。
「……何でもない。お前は何をしていたんだ?」
少しの沈黙の後、彼はそう問いかけてくる。
丁度いい質問だったので、布袋に入れていたものを彼に差し出した。
「これを作っていたんです。どうぞ、旦那様用に作りました」
素っ気ない入れ物ではあるがご容赦頂きたい。中に入っているものも洒落たものでは無いし。
「……俺に?これは、なんだ?」
彼が袋からそれを取り出し、確かめる。そして、その不機嫌そうな顔が崩れ不思議そうな顔をした。
「腹巻ですよ」
そう伝えると彼は間の抜けた顔をした後、少し怒りの表情をする。
「腹巻だと?ふざけてるのか?」
「いいえ。本気です」
私は冗談が苦手だ。ただ事実しか言えない。彼もそこに気づいたのか話を聞く姿勢になった。
「どうしてこれを俺に渡した?」
「旦那様は寒さが苦手だったようなので作りました。最近特に冷えますし」
彼は寒さがあまり得意でない。人よりも厚着をするし、温かいものを好む。
それに、冷えた日は起きてくるのが明らかに遅い。
「……………………よく気づいたな」
「仕草や表情をよく見ておりますので。それに、これも妻の務めです」
「ふっ。そうか、これも妻の務めか」
彼は思わずといった様子で笑う。そして、すぐに表情を戻した。
今日の彼は表情が良く変わる。まるで踊るかのようにころころと移り変わっていく。
「まあ、受け取っておいてやろう」
「ありがとうございます」
彼は、その腹巻に目を落とすと、それを丁寧に抱えた。
壊れ物を触るように。
そして、屋敷の扉に向けて一歩歩き出し、再び足を止めこちらを振り返った。
相変わらずの不機嫌そうな顔で。
「…………今、俺の顔はお前にどう見えている?」
不思議なことを言う人だ。これほど顔に表情が現れているだろうに。
「笑っておられるのでは?」
「その通りだ。だが、それだけじゃない。それ以外にも伝えたいことがある」
なんだろう。笑顔には見える、だが、それ以外にも伝えたいことは少しわからない。言葉とは違い、細かいニュアンスは流石に伝わらない。
「それは教えて頂けるのでしょうか?」
「ああ。伝えたいことはな、いつもありがとうってことだ。
だから、ずっとここにいろ」
その言葉に私は少し動揺する。
これまで私に労いはもちろん、そんな言葉をかける人はいなかった。いや、そもそも会話すらすることが無かったのだから当然だろう。
そして、頭が混乱し、何も言えない私を見て旦那様は本当の笑顔を見せた。
「それも妻の務めだ」
「これも……妻の務め」
その意味をゆっくりと、まるで味わうように咀嚼する。
「ほら、ここは冷える。早く中に入るぞ、ジュリア」
私の名だった。これまで役割を果たしてこなかったそれは、今初めてその意味を持った。
そして、繋がれた手からは温もりが伝わってくる。
それすらも、私にとっては初めてのものだったのだ。
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