悪意の揺り籠の中で、令嬢は人を信じることを止めた

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満月の夜に

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 明日は朝が早いのでいつもより少し早く家に帰る。

 この生活が始まった最初は、表情だけでなく、手の皮膚の硬さや筋肉等の細かい部分へも目が行かないように気を付けていたが、どうやら誰も彼も私に関心が無いようであまり意味は無かった。

 まあ、アラン殿下が貸してくれた王家秘蔵の魔道具が皮膚、髪、瞳の色等を操作してくれるので、日焼けなど大きな部分は問題がない。
 
 魔道等おとぎ話の中だけの話かと思っていたが、遥か昔は本当にあったらしく、彼は数少ないそれの一つだと教えてくれた。大事なものの割には日常的に使い過ぎている気はするが。


 

  


 そして、いつものように静かな食事が始まり、少しすると父が口を開いた。


「以前から伝えていたが、明日はレオン殿下の誕生日を祝うパーティが王宮で開かれる。夕方には向かうからそれまでに準備をしておけ」


 第一王子であるレオン殿下は今年で二十歳を迎える。そろそろ譲位が近いとも言われており、ほとんどの貴族がそのパーティに参加するだろう。

 当然、ウォルター侯爵家も全員で参加し、次期王と認めている態度を示すことになる。

 最近の妹はこのパーティに向けてダンスを必死で頑張っており、義母もそれに付きあっていたために、ここしばらくは絡まれることも無く正直助かっていた。


「明日はほぼ全ての貴族が集まる。ウォルター侯爵家の恥さらしになることだけは決して許さんからそれを心しておけ」
 
 父はこのパーティをずっと気にしていて落ち着かない様子だった。

 恐らく、何かやらかせば相当な癇癪を起こすに違いない。ピリ付いた空気のまま、食事が終わった。




◆◆◆◆◆ 
 


 パーティ当日、今日は私にも使用人が付き、朝から総出で準備が始まった。

 そして、夕方になる頃、全員で馬車に乗り込むと王宮に向かう。


 この日までに道路の工事は全て終わっているようで、大きな揺れを感じることなく馬車が進んでいく。恐らく、この綺麗な石畳を作るには下層の者が多く苦しんできただろう。

 今までなら考えてこなかったようなことを考えていると、ふとアラン殿下の顔が浮かんでくる。
 
 彼は王位が確定するまでは公の場に姿をほとんど出す気は無いようで、兄の誕生日を内々で祝うものの今日のパーティも出席する気は無いと言っていた。

 何をプレゼントするかに延々と悩んでいた彼を思い出すと少し笑えて来る。

 私は、それを隠すように顔を外に向けると、王宮までの時間をそのまま過ごした。




◆◆◆◆◆ 




 下位の貴族から順に馬車が入るように時間が調整されているので、それほど混雑することなく会場に入る。

 そして、しばらく父に付き添いながら他の貴族と歓談していた。

 全公爵が会場入りを終えて少しすると、最後にレオン殿下が入場、正面の主賓席に座ったことでパーティが開始された。
  
 位の上の者から挨拶していき、遂にウォルター侯爵家の順番が来る。

 父が勿体ぶった言い回しで第一王子殿下をほめたたえる中、彼はそれを終始穏やかな笑顔で聞いていた。

 その様子は以前アラン殿下に聞いたような殴り合いをするような人とはとても思えない。
 
 しかし、流石は王族というところだろう。その笑みには一切の綻びが見られず、本心が全くうかがえない。恐らく、父の目には大層上機嫌であるかの様に見えているのではないだろうか。 

 しばらくして父の話が終わり、次に義母が続き、その後私が挨拶をする番となった。これまでも顔を会わせることはあったが、お互いに名前を知っているくらいの関係だ。
 手短に挨拶をしようと当たり障りのない言葉を言う。


「ウォルター侯爵家、長女のクレアがご挨拶します。レオン殿下におかれましては、ご壮健で何よりでございます。今後とも当家の忠誠をお預かりください」


「クレア?……ああ、君がそうか。弟に話は聞いている。どうやら、仲良くしてくれたみたいだね。今後もよろしく頼むよ」


 そのまま妹に代ろうとした時、レオン殿下がそう私に言葉を返した。若干苦笑するような表情から、恐らく最近のことを聞いているのだろう。

 その親しみの感じさせる顔は、彼が弟に向ける感情を表していて、少し嬉しくなる。他人の私が考えるようなことでは無いと思うが。

 私はそれに応えるようにカーテシーをすると今度こそ妹に順番を代わった。



◆◆◆◆◆ 



 挨拶の後、何曲かダンスを終えると、少し風に当たりたくなったので密かに部屋を抜け出す。

 妹のダンスで騒動が起こることも何とか無さそうでよかった。不機嫌な父と馬車に乗り続けるのは苦痛で仕方が無い。

 
 王宮でのパーティに参加したことは数度だけだが、以前見つけておいた、ほとんど人通りの中庭に向かうと、ベンチに腰掛け風に当たり始めた。

 そして、空を見上げながら少し考えに沈む。


 自分自身、昔とはかなり変わったものだ。身を守れる手段を得られるまでは、泣くのを隠すように逃げることも多く、必ず安全地帯を探すようにしていた。この場所もその一つだ。
 

 その時は、逃げるしかなくて外に出ることが多かった。でも今は自分の意志でここにきている。それに、最近は私の身の周りの環境は更に大きく変化した。
 

 アラン殿下に連れられ、多くの人に触れた。今の私はほんの少しだけだが、世界の綺麗な部分にも気づけた。ずっと暗闇に包まれていた人生に微かながらも光が差し込んできたのだ。



 そして、このままが続いていけばいつか、自分にも大事なものができるのではないか、自分を大事に想ってくれる人ができるのではないかと淡い期待を抱いてしまう。
 
 

 そうぼんやりと夜空を見上げてどれくらいの時間が経ったろうか。後ろから声をかけられる。


「先ほどぶりだね。こんなところでどうしたんだい?」

「これは、レオン殿下。少し風に当たっておりました。それこそ、今日の主役がこんなところにどうして?」


 そこには本日の主役、第一王子のレオンがいた。


「僕も風に当たりに来たんだ。ダンスも必要な貴族とは踊った。後は座っているだけだったしね」

「そうなのですか。では、邪魔をしても申し訳ないので私はこれで失礼いたします」


 場所を譲ろうとすると、彼は首を振り、私を引き止める。


「ちょうどいいし、外での弟のことを聞かせてくれないか?直接話してはくれるが、客観的な視点で語れる人は貴重だからね」


 それに対し、私は要点をまとめつつ、アラン殿下の普段の様子を話していく。致命的な部分はだいぶ削ったが、それでもまだ破天荒な出来事の数々だったんだろう。
 それを聞き終えた彼は可笑しそうに笑い、最後には苦笑した。


「アランらしいよ。自分勝手だが、何事にも縛られないほどに自由だ。それでも、不思議と人が集まり、慕われる。僕はいつも思うよ。アランは、生まれながらにして王としての器を持っているって」


 彼は、眩しそうに眼を細めながらそう言う。そして、少し悲しそうな顔になると独り言のようにつぶやき始めた。





「僕は、ただ少しだけ早く産まれただけだ。その能力は凡庸だと自分でもわかっている。だけどアイツは、兄を立て、自分の評価を落としてまで僕を王にしようとしてくれる。だから、僕もその気持ちに応えるためにこれまで頑張って来た」


「だが、少し不安になることがある。正直、昔からアランに勝てたことなんか一度もない。自分の中でアランに誇れることなんか一つもないんだ。だから、本当は能力があるのに王位を継げないことを不満に思っているんじゃないかと勘繰ってしまう時がある」


「もちろん、そんなはずは無いと信じている。だが、笑顔の下に悪意を持つような者ばかりと接しているとそんなことをつい考えてしまうんだ。そして、僕は怖れている。アランの仮面の下にも実は違う感情があるんじゃないかと」


 そこまで言うと、彼は自嘲するような笑みを浮かべた。貴族社会は嘘に塗れている。そして、王位はそれ以上に孤独なのだろう。それを感じさせるような笑みだった。


「すまない。弟の実情を知っている者などゼクスと両親くらいなものだったからな。つい話してしまった。つまらなかっただろう。私はそろそろ行くよ。本当にすまなかった」




 彼は立ち上がり立ち去ろうとする。

 その瞬間、私の頭の中ではいろいろな情報が繋がっていき、このままでは何か致命的なボタンの掛け違いが起きてしまうという確信的な考えがよぎる。


 だが、私は王位に関することには絶対に口を出すなと言われ育てられてきた。父に従え、直接政治には関わるなと何度も言い聞かされてきた。

 これは見過ごすべきではないという思い、深入りすべきではないという思い。それらが交互に入り乱れる。

 
 
 焼けそうなほどに頭に熱が集まる。だが、そんな中で脳裏に時計台での出来事が浮かんできた。

 人々に笑顔の火を灯そうとするアラン殿下、その彼が尊敬する人、そして、全ての始まりを与えた人。




「…………待ってください」

 
 自分の口から出た声は、あまりに小さく、かすれた声で風の音に消えてしまった。


「待って!!」


 そして、覚悟を決めると、大きな声を出してレオン殿下を引き止めた。


 彼が驚いた顔をして振り返る。こんな引き止め方は不敬だろう。だが、今の私にはそんなことを気にする余裕は全くなかった。生存本能かトラウマか、今まで一切触れてこなかった領域に口を出そうとしている自分に体が震え、嫌な汗がとめどなく出る。







「『兄上こそ王位に相応しいと心から信じている。自分が傷ついても、弟を助ける。私のように能力のある者などいくらでもいるが、その心根がどれほど稀有なものなのか嫌なほどわかっているから』とアラン殿下は、言っていました」


「あの人は、貴方のことを心から尊敬しています!!だから、それを信じてあげてください。お二人はそれぞれに想い合っている」


「それは、とても美しいものなんです。とても貴重で、素晴らしいものなんです。だから、どうか、あの人を信じてあげてください…………私には手に入らなかったものだから」




 支離滅裂なことを言っていることは分かっている。

 だが、どうしても止められなかった。息切れするほどに叫んだからだろう。

 汗を流しながら呼吸を乱す私に、彼はハンカチを渡して来た。




「……ありがとう。僕は信じるよ。そして、二度と揺らがないことを誓う。どうやら君には兄弟揃って世話になってしまったようだね」

 
 その顔には先ほどまでの翳りは無く、強い意志を持った人の顔になっていた。

 私はそれを見て安心する。


「いえ、たとえ躓いても、誰かが手を差し伸べてくれれば人はまた立ち上がれることを私は教えられました。だから、それを今度は返しただけです」


「そうか……そうだったな。人は立ち上がれる。そして、立ち上がれたのなら、僕は歩み続けなきゃいけないね。王位を継ぐ者として、そして、兄として」


 空には、アラン殿下と会った日と同じく満月が輝いている。でもそれは同じ形をしているが、厳密には違う。時を経る中で、全てのものは少しずつ形を変えているのだから。

 
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