悪意の揺り籠の中で、令嬢は人を信じることを止めた

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影に潜むもの

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 翌日、私は早朝に家を出た。
 
 まず貴族街にある王立図書館へと向かう。そこで入館時に名前を書いた後、以前から目を付けていた職員と少しお話をして裏口から出る。


 これで記録上は中にいることになる。後は目立たないように進めばほとんどの問題は解決できるはず。


 人通りの少ないルートを選びつつ、貴族街のある上層と平民達の住む中層を繋ぐ門へと向かう。
 
 しばらくして、門が見えてきた。そして、こちらは既に話の出来る門番を何人か確保しているので、そこで平民の服へ着替えた上で苦労せずに通過することができた。





 昼間の中層を歩いていく。馬車で通ることはあっても流石に自分の足で歩くことは初めてだ。

 以前から計画は準備していたものの、最難関であった屋敷の外出が実現する可能性が極めて低かったので諦めていた。


「物事はやはり想定通りにはいかないものね。今回はいい方向に転んで良かったけれど」


 以前期待に胸を膨らませて社交界に行った日のことを思い出しながら誰にも聞こえない声でそう呟く。

 今言っても詮無きことだろう。頭を切り替えると、商人から貰った資料をもとにアラン殿下、アールの姿を探していった。
  



◆◆◆◆◆ 




 少し探すと、貴族馬車用の道路の修繕工事をしている彼を見つけたので建物の陰から様子を伺う。一応、今回は母の形見らしきオペラ鑑賞用の遠眼鏡を持ってきているが、この距離なら必要は無さそうだと思い懐にしまった。


 王都に配置された石畳の道路は戦争自体に作られたもので老朽化が進んでいるものも多い。そして、少し前に貴族の馬車がそれに起因する理由で転倒したことがあり、多くの貴族がすぐに進めるように圧力をかけたのだ。

 工事は下層の人間すらも動員して急ピッチで進められていると聞いていた。恐らく、これはその現場の一つだろう。


 
 アラン殿下は仲間と一緒に重い荷物を運び込んでいるようだ。玉のような汗を書いて何度も資材置き場を往復していた。

 周りの様子を見ても、かなりの重労働なのだろう。中には既にフラフラと歩いている人もおり、とてもじゃないが第二王子がやるような仕事とは思えない。


 しばらく見ていると、一人の労働者が倒れた。他の者に比べて見るからに高齢な上、体は貧相だ。恐らく下層出身の者だろう。

 こういった公共工事においては中層の者は自由意志があるが、下層の者は不足数を補うために強制的に動員されることも多い。

 工事の監督者が怒鳴りつけるが、誰も助ける気配は無い。下層出身のものは他の者を助けるほど余裕が無く、中層出身のものは厄介事を避けるため近づきたがらないからだ。

 監督者が痺れを切らして倒れた者に近づきく。そして、手に持った木製の棒を振りかぶる瞬間、大きな声が響いた。
 
 
「待て!!」


 以前聞いた穏やかな声ではない。覇気すら感じさせるような声でアラン殿下が叫んでいた。

 資材置き場から走ってきたのだろう。その息は少し荒れており、かすれた声ではあったが、その場の全ての者が動きを止めているのが見える。


「俺がそいつの分まで働く。それでいいな?」


 有無を言わせないようなその声に無意識なのか曖昧に監督者が頷く。
 それを見た彼は見すぼらしい姿の労働者に躊躇なく手を貸すと、日陰になっている私のいる場所付近まで運んでくる。


「大丈夫か?」
 

「……はい、ありがとうございます。しかし、その、私は小さい孫しかおらず貴方様に返せるものなど一切無いのですが」

 
 倒れた労働者は反応を覗うように、おずおずとそう伝える。

 しかし、それに対してアラン殿下は朗らかに笑いかける。


「気にするな。あんたくらいの年齢だと独り身かそれに近い状況ってわかってたしな。孫がいるってことはその代わりにここに出てきたんだろう?」


 問いかけに対して労働者は小さく頷く。
 

 下層の者が動員される場合は世帯単位で人数が決められることが多い。そんな実務レベルの些細な事柄をアラン殿下は把握されているようだった。

 
「いい話じゃないか。気に入った!とりあえず今は休め。俺が好きにやることだし、本当に気にしなくていいから」

 
 優しく、暖かな声色で放たれたその言葉に続いて、すすり泣くような声が聞こえてくる。

 アラン殿下が、それを気遣うように肩に手を置くと強く頷いたのが見えた。


 

 私はその光景を見ながら頭を回す。現在判明している情報を様々な角度、パターンで俯瞰し繋ぎ合わせていく。王子の思惑は何なのかを理解するために。


 しかし、普段ならそう時間をかけずに出てくる推論が今回は全く出てこない。

 
「まだ情報が足りないということかしら。まあいいわ。いずれ見えてくるものもあるでしょう」


 ふと見ると潜んでいる物陰に陽の光が差し込みつつあるのがわかった。

 どうやら、私の気づかぬ間に太陽はその向きを大きく変えていたようだった。
 
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