上 下
63 / 106
五章 -触れ合う関係-

背中合わせ

しおりを挟む
 しばらく川の中で遊んだ後、大きな石に背中を合わせながら座る。
 水に入れた足先がひんやりとしていて気持ちが良かった。


「明日、ほんとに楽しみだなぁ」

  
 たぶん、パタパタと足を動かしているのだろう。
 微かな体の振動に合わせて、水を跳ねさせる音が微かに聞こえてくる。
 

「確かにな。それに、俺はなんだかんだ町の方に行くのも初めてだしな。俺達がもともと来た方とまた違うんだろ?」

「ふふっ。海と家の往復ばっかだったもんね。方角的には反対側にある感じだよ」

「ふーん。遠いのか?」

「そんなに遠くないよ。電車で一時間くらい」


 どこへ行くのにも時間がかかるここらへんの交通事情にしてみれば、確かに近い気がしてくる。
 どうやら、だいぶ俺もこの環境に染まってきてしまったらしい。


「なるほどな。けっこう大きいのか?」

「うん。大都市ってわけでは無いけど、それなりに大きいよ」

「じゃあ、出店とかもあるのかもな」

「確か、あったと思う。最後に行ったのはだいぶ前だから変わってるかもしれないけど」

「そっか」


 予想通りというべきか、やはり透はこういった人の集まるイベントは避けてきているらしい。
 海の時も基本、海の家にいるか、祠の二択で人混みを避けがちだったのでなんとなく分かってはいたことだが。


「…………人混みが辛かったら、遠目に見るだけでもいいんだぞ?」

「ふふっ、誠君はほんと優しいね。でも、大丈夫」

「無理しなくていいからな?」

「本当に大丈夫だから。心配し過ぎだよ」

 
 正直、あの秘密を教えられた日から、透がそのことで苦しんでいるように見えることは無かった。

 だけど、確かに彼女はあの日泣いていたのだ。悩んで、苦しんで、それでも誰にも言えなくて、泣いていたのだ。叫ぶような声をあげながら。

 だったら、俺はそれを気にしてあげるべきだと思う。抱え込みがちな彼女が、自然とそれを吐きだせるように。
  

「……それなら、いいんだけどな」
 
「あははははっ」


 愉快そうな笑い声が後ろから響く。そして、その笑い声が収まった後、急に静かになった透が背中にもたれかかってきた。


「………………前はね。心を見てないと不安で、ずっと見てた」

 
 過去を思い出すようにゆっくりとした声が川の流れる音に紛れるようにして響く。


「小さい頃はコントロールできなかった力が、だんだんとできるようになってきて、当然最初は見ないでおこうとしたんだよ?」


 これまで、そういった力はあるとだけ聞いていたが、それを詳しく聞くことはしてこなかった。
 透が話したいというわけではないなら、正直それ以上聞く必要性はあまり感じなかったから。


「でもね、それがないとうまくいかなかったんだ。たぶん最初は、違和感から始まった気がする。私の言ってることがあんまり伝わってないの。説明すればするほど、みんな変な顔をしていくの」


 思考が大人に寄り過ぎていたんだろう。
 人はある程度同じレベルの人としか話せない。いつ頃の話かはわからないが、もしかしたら幼稚園児に高校や大学の話をするようなものだったのかもしれない。


「まぁ、ハル姉が笑いながらフォローしてくれてたんだけどね。でも、いなくなってからは、やっぱり心を読むことが必要になった。正直、何がわからないのかすら、私ではわからなかったんだよね」

 
 遥さんなら、そうするだろう。あの人は、自分が分からなくても、自分と違っていても、それを良さと考えて逆に褒めてくれる人だ。


「そして、みんなの思考に近づいたなと思ったら、また離れてったの。女性と男性、その違いが出始めた頃から」


 透の外見ならば、あまり好ましくない目で見られるのは想像に難くない。
 それに、その変化が出始める頃には、人は性の違いだけじゃない、社会の中で生きていくことを学び始める。


「当然、いい人もいたよ?だけど、やっぱり、それは移ろいやすくて。突然、繕うような嘘を見せるようになったり、露骨な好意を見せるようになったり。最悪の場合は、笑顔で私のこと陥れようとしてたりして、あんまり信用できなかったんだ」


 関係性によって、態度や接し方は変わっていく。それは、人ならば仕方が無いことだ。
 
 だけど、彼女はそうではない人を知っていたから余計に辛かったんだろう。
 おばあさんに、遥さん、そんな素晴らしい人たちに囲まれていたから。


「だから、少し前まではね。心を見てないと不安で、ずっと見てたんだ」


 想いの吐露に、言うべきことは、言いたいことはたくさんある。
 だけど、何となく今は聞いて欲しいというだけのような気がして、ただ、黙ってそれを聞き続ける。


「でも、今は違うの。誠君は、何があっても、どんな時も、誠君で。心なんて見なくても……ううん。見てない方が、幸せにしてくれることがわかったから」


 一瞬の重さの消失と回された腕に彼女が体勢を変えたことが伝わってくる。
 髪の毛が背中に当たる感触が少しこそばゆく、それでいて、心地よかった。


「私は、無理してないよ。だから、大丈夫」

「…………なら、いいんだ。無理して無ければ、それでいい」


 その声色に、透が大丈夫なのは何となく理解できる
 それでも、恐らく俺は心配をし続けるだろう。それこそ今は、何をしてても透のことを無意識に考えてしまうから。


「たぶん、私は、これからも心を見ることがあると思う。それをしなくちゃ、生きていけないような世界もあるから」


 目立ちやすい彼女は、悪意を集めやすいはずだ。
 ほとんどそういったことに興味の無い俺の耳にも入ってくるくらい噂が立っているほどだったし、俺が知らないだけで辛いこともたくさんあっただろう。
 

「だけど、私はもう、何があっても大丈夫なの。だって、自分が自分のまま、自由に生きていける世界を見つけられたから。誠君の隣に」

 
 その言葉に嬉しさと同時に悔しさを感じる。
 守ると言い切れない自分が悔しかった。無力な自分が悔しかった。


「………………俺は、もっと頑張るよ。透から見たら、一歩にも満たないくらいの頑張りにしかならなかったとしても」

「ううん。それが、すごく嬉しいの。誠君が、私のためにそうしてくれることが、何よりも嬉しいの」

 
 回された腕の温もりを離したくなくて、その手を掴む。
 ずっと一緒にいたい。本当に、そう強く思う。


「ありがとう」

「ふふっ。こちらこそ」


 俺の中の答えは、もうほとんど出ている。
 だからこそ、一度聞いてみたいと思った。

 俺の理想とする家族の形、親父と母さんのその形を。

 どうしたら、守り切れるかを知りたいと思うから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

白い初夜

NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。 しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様

オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。

処理中です...