53 / 106
五章 -触れ合う関係-
積み重ねられていく時間
しおりを挟む
あまりにもべったりな姿におばあさんにはため息をつかれ、遥さんには煽り立てられながら毎日を過ごしているうちにバイトはあっという間に終わってしまっていた。
そして、不思議な達成感を感じた次の日。俺はいつもより少しだけ遅い時間に起きると台所へと向かう。
「おはようございます」
「ああ」
「あっ!」
食欲をそそるいい匂いを嗅ぎながらそう挨拶すると、おばあさんはただ返事をしただけだったが、透はわざわざこちらに近づいてくる。
「ふふっ、おはよう。ほら、ここちょっと寝癖が付いてるよ」
「あ、ああ。ありがとう」
あの祠(ほこら)に行った日以来、透は一瞬料理を作る手を止め、必ず俺の方まで近寄ってくるようになった。
日によって寝癖を直したり、微笑むだけだったりと違うが、別に大したことをしているわけではない。
だけど、何度も繰り返しているはずのその光景に、俺はまだ慣れることはできていないようだった。
「あー、じゃあ、また居間の方にいますね」
「うん」
「はいよ」
とりあえず、このまま立ち尽くしてもいられないので、頭を切り替え居間の方へと向かう。
バイトも終わり、心なしかゆっくりと時が流れているように感じる中、ふと池の方を見ると二匹の鯉が顔を突き合わせるようにして浮かんでいるのが見えた。
そして、他の鯉達とは離れ、鼻先をすり合わせているその姿に以前の記憶が思い出しかけたその瞬間、頭を振って意識を戻す。
「いや、やめよう。どうせ、また堂々巡りだ」
あれから、ずっと考えてきたが明確な答えは出ない。
むしろ、今では、考えれば考えるほど、答えが遠のいていくような気すらしていた。
自分のことなのに、何故かわからない。言葉にできない焦燥感が体を焦がし、それこそ、バイト中に変なミスをしたこともある。
「何もしなくても、いつか答えは出る……か」
それは、迷惑をかけて謝った俺に、遥さんが言ってくれた言葉だ。
生き急がなくていい。赤ん坊が言葉を勝手に覚えるように、いつかこの問いへの答えも勝手に見つかると彼女は朗らかに笑っていた。
「お前達を見習った方がいいのかもな」
その時は心が晴れた気がしていた。
だけど、それは一瞬のことであったようで、未だにそのことに悩んでしまうことがある。
俺は、悩みが無さそうな顔で泳いでいる鯉達を見ながら、そう独り言を呟いた。
「何してたの?」
しかし、その誰に向けたわけでも無い言葉は偶然にも透に聞こえてしまっていたらしい。ちょうど、料理を運んできた彼女は、不思議そうな顔でこちらにそう問いかけてくる。
「ああ、ちょっとコイについて考えてた」
「それは、どっちのコイ?」
「どっちもかな」
「あははっ。その二つを一緒に考えることってあるんだ」
「たまたまな。恐らく一生無い組み合わせだと思うけど」
「あははっ。そうだね」
確かに恋と鯉、それを一緒に頭に思い浮かべているやつなんてそうそういないだろう。
最近の自分のポンコツぶりに少し辟易(へきえき)としていると、おばあさんが部屋に入ってきて手を鳴らした。
「ほらほら、何アホみたいなこと言ってんだい。今日は物置の片づけをして貰うんだから、早く食べるよ」
「すいません」
今日は以前話していた家の手伝いをする予定だ。
分担としては、俺とおばあさんで物置の整理、透が遥さんの車に乗って町の方へ買い出しに行くことになっている。
どうやら、海の家の番は如月家の交代制らしく、俺達と同時に遥さんも時間が空くようになるらしかった。
「そういえば、物置にはそんなに物が入ってるんですか?」
食事を食べ始め、ふと気になっていたことを尋ねる。
母屋とは完全に分離され、別棟になったそこにはまだ入ったことが無いが、平屋ながらも小さい家程度の大きさはあるので、もしかしたらけっこー多くの物が入っているのかもしれない。
「いや、それほど物はないよ。ただ、私が運ぶにはちっとばかし骨が折れる重さのものが多いってだけさ。だから、時間もあんまりかからないだろうね」
「そうなんですか。ちょっと安心しました」
なるほど、それで透を買い物に行かせることになった理由が分かった。
作業が大変なら人数が多い方がいいのに、一昨日の夜、何故かおばあさんが掃除と買い物を同じ日にすると言いだしたので少し気になっていたのだ。
それこそ、透がこちらを手伝うと言っても、こっちのが早いからと押し切っていたし。
「まっ、あっちには書斎もあるから電気も通してあるし、空調もある。そんなに大変な作業じゃないよ」
「わかりました」
了承の意を示す俺に対し、どうやらまだ透は納得していないようで、いじけたような顔をしながらおばあさんの方を見ていた。
「やっぱり、私も誠君と一緒の方がいいなー。ねえ、ほんとにダメなの?」
「そっちのが早いだろう」
「明日、みんなで買い物行けばいいじゃん」
「老い先短い私にさらに時間を無駄にしろってのかい?そんなの嫌だね」
「ちょっとだけならいいじゃん。その分他の事頑張るしさー」
「ダメだ」
梃子でも動かないといった風のおばあさんに若干苦笑してしまう。
時々こういった様子の時があったが、例にも漏れず、絶対に意見を曲げることは無いのだろう。
「まぁまぁ透。俺達は明日から遊びに行っちゃうんだし今日くらいはちゃんとしようぜ」
「えー…………誠君は私と一緒じゃなくても寂しくないの?」
透が実に回答に困ることをこちらに問いかけてくる。
そりゃ、一緒にいるのは楽しいが、四六時中そうしていられるわけでも無い。
それに、言い方を間違えれば透は怒るか、さらにおばあさんに言い募るだろう。
本当に難しいところだ。
「うーん。そりゃ寂しいけどさ。やるべきことはちゃんとやりたいんだ。俺は、受けた恩や貰った好意にはきちんと応えるのが筋だと思ってるから。だから、頼むよ」
少しだけ考え、特に上手いこと説得できる気もしなかったので単純に思っていることを伝える。
俺は、人間関係は狭いが、その分その関係を大事にしてきた。
皆思うことも出来ることも違うから、同じことをして返す必要は無い。だけど、もし相手がして欲しいことがあるのならば、できる限りの力でそれに応えたいと思っている。
そうした想いを、透の目をじっと見つめて伝える。
今では、彼女も俺の性格を何となく理解してくれていると思っているので大丈夫だろうけど。
「…………はぁ。誠君には勝てないなぁ」
「ごめんな。でも、ありがとう」
「いいよ。それが、誠君のしたいことなんだもんね」
「ああ」
「なら、今回は諦める。私のは完全にわがままだしね」
俺達は、お互いのしたいことを尊重し合っている。
当然、それがぶつかることもあるし、お互いの主張が両方叶えられない時もある。
だけど、それでもいいのだろう。
話して、伝えて、ぶつかって、そうやって人は生きていくものだと思うから。
「…………叱りつけてやろうかと思ったけど、ちゃんとまとまったみたいだね」
「はい」
「うん」
「なら、いいさね。私から言うことは何もないよ」
おばあさんは心なしか穏やかな表情でそう言うと、まるで顔を隠すかのように汁物のお椀を傾けた。
「うん。いい塩梅だ」
その端的に放たれた、対象を明言していない言葉は、普通に考えれば料理に向けてのものだろう。
だけど……なんとなくだけど、その優し気な声色の指し示すものは、そうではないんではないかなと俺には思えた。
そして、不思議な達成感を感じた次の日。俺はいつもより少しだけ遅い時間に起きると台所へと向かう。
「おはようございます」
「ああ」
「あっ!」
食欲をそそるいい匂いを嗅ぎながらそう挨拶すると、おばあさんはただ返事をしただけだったが、透はわざわざこちらに近づいてくる。
「ふふっ、おはよう。ほら、ここちょっと寝癖が付いてるよ」
「あ、ああ。ありがとう」
あの祠(ほこら)に行った日以来、透は一瞬料理を作る手を止め、必ず俺の方まで近寄ってくるようになった。
日によって寝癖を直したり、微笑むだけだったりと違うが、別に大したことをしているわけではない。
だけど、何度も繰り返しているはずのその光景に、俺はまだ慣れることはできていないようだった。
「あー、じゃあ、また居間の方にいますね」
「うん」
「はいよ」
とりあえず、このまま立ち尽くしてもいられないので、頭を切り替え居間の方へと向かう。
バイトも終わり、心なしかゆっくりと時が流れているように感じる中、ふと池の方を見ると二匹の鯉が顔を突き合わせるようにして浮かんでいるのが見えた。
そして、他の鯉達とは離れ、鼻先をすり合わせているその姿に以前の記憶が思い出しかけたその瞬間、頭を振って意識を戻す。
「いや、やめよう。どうせ、また堂々巡りだ」
あれから、ずっと考えてきたが明確な答えは出ない。
むしろ、今では、考えれば考えるほど、答えが遠のいていくような気すらしていた。
自分のことなのに、何故かわからない。言葉にできない焦燥感が体を焦がし、それこそ、バイト中に変なミスをしたこともある。
「何もしなくても、いつか答えは出る……か」
それは、迷惑をかけて謝った俺に、遥さんが言ってくれた言葉だ。
生き急がなくていい。赤ん坊が言葉を勝手に覚えるように、いつかこの問いへの答えも勝手に見つかると彼女は朗らかに笑っていた。
「お前達を見習った方がいいのかもな」
その時は心が晴れた気がしていた。
だけど、それは一瞬のことであったようで、未だにそのことに悩んでしまうことがある。
俺は、悩みが無さそうな顔で泳いでいる鯉達を見ながら、そう独り言を呟いた。
「何してたの?」
しかし、その誰に向けたわけでも無い言葉は偶然にも透に聞こえてしまっていたらしい。ちょうど、料理を運んできた彼女は、不思議そうな顔でこちらにそう問いかけてくる。
「ああ、ちょっとコイについて考えてた」
「それは、どっちのコイ?」
「どっちもかな」
「あははっ。その二つを一緒に考えることってあるんだ」
「たまたまな。恐らく一生無い組み合わせだと思うけど」
「あははっ。そうだね」
確かに恋と鯉、それを一緒に頭に思い浮かべているやつなんてそうそういないだろう。
最近の自分のポンコツぶりに少し辟易(へきえき)としていると、おばあさんが部屋に入ってきて手を鳴らした。
「ほらほら、何アホみたいなこと言ってんだい。今日は物置の片づけをして貰うんだから、早く食べるよ」
「すいません」
今日は以前話していた家の手伝いをする予定だ。
分担としては、俺とおばあさんで物置の整理、透が遥さんの車に乗って町の方へ買い出しに行くことになっている。
どうやら、海の家の番は如月家の交代制らしく、俺達と同時に遥さんも時間が空くようになるらしかった。
「そういえば、物置にはそんなに物が入ってるんですか?」
食事を食べ始め、ふと気になっていたことを尋ねる。
母屋とは完全に分離され、別棟になったそこにはまだ入ったことが無いが、平屋ながらも小さい家程度の大きさはあるので、もしかしたらけっこー多くの物が入っているのかもしれない。
「いや、それほど物はないよ。ただ、私が運ぶにはちっとばかし骨が折れる重さのものが多いってだけさ。だから、時間もあんまりかからないだろうね」
「そうなんですか。ちょっと安心しました」
なるほど、それで透を買い物に行かせることになった理由が分かった。
作業が大変なら人数が多い方がいいのに、一昨日の夜、何故かおばあさんが掃除と買い物を同じ日にすると言いだしたので少し気になっていたのだ。
それこそ、透がこちらを手伝うと言っても、こっちのが早いからと押し切っていたし。
「まっ、あっちには書斎もあるから電気も通してあるし、空調もある。そんなに大変な作業じゃないよ」
「わかりました」
了承の意を示す俺に対し、どうやらまだ透は納得していないようで、いじけたような顔をしながらおばあさんの方を見ていた。
「やっぱり、私も誠君と一緒の方がいいなー。ねえ、ほんとにダメなの?」
「そっちのが早いだろう」
「明日、みんなで買い物行けばいいじゃん」
「老い先短い私にさらに時間を無駄にしろってのかい?そんなの嫌だね」
「ちょっとだけならいいじゃん。その分他の事頑張るしさー」
「ダメだ」
梃子でも動かないといった風のおばあさんに若干苦笑してしまう。
時々こういった様子の時があったが、例にも漏れず、絶対に意見を曲げることは無いのだろう。
「まぁまぁ透。俺達は明日から遊びに行っちゃうんだし今日くらいはちゃんとしようぜ」
「えー…………誠君は私と一緒じゃなくても寂しくないの?」
透が実に回答に困ることをこちらに問いかけてくる。
そりゃ、一緒にいるのは楽しいが、四六時中そうしていられるわけでも無い。
それに、言い方を間違えれば透は怒るか、さらにおばあさんに言い募るだろう。
本当に難しいところだ。
「うーん。そりゃ寂しいけどさ。やるべきことはちゃんとやりたいんだ。俺は、受けた恩や貰った好意にはきちんと応えるのが筋だと思ってるから。だから、頼むよ」
少しだけ考え、特に上手いこと説得できる気もしなかったので単純に思っていることを伝える。
俺は、人間関係は狭いが、その分その関係を大事にしてきた。
皆思うことも出来ることも違うから、同じことをして返す必要は無い。だけど、もし相手がして欲しいことがあるのならば、できる限りの力でそれに応えたいと思っている。
そうした想いを、透の目をじっと見つめて伝える。
今では、彼女も俺の性格を何となく理解してくれていると思っているので大丈夫だろうけど。
「…………はぁ。誠君には勝てないなぁ」
「ごめんな。でも、ありがとう」
「いいよ。それが、誠君のしたいことなんだもんね」
「ああ」
「なら、今回は諦める。私のは完全にわがままだしね」
俺達は、お互いのしたいことを尊重し合っている。
当然、それがぶつかることもあるし、お互いの主張が両方叶えられない時もある。
だけど、それでもいいのだろう。
話して、伝えて、ぶつかって、そうやって人は生きていくものだと思うから。
「…………叱りつけてやろうかと思ったけど、ちゃんとまとまったみたいだね」
「はい」
「うん」
「なら、いいさね。私から言うことは何もないよ」
おばあさんは心なしか穏やかな表情でそう言うと、まるで顔を隠すかのように汁物のお椀を傾けた。
「うん。いい塩梅だ」
その端的に放たれた、対象を明言していない言葉は、普通に考えれば料理に向けてのものだろう。
だけど……なんとなくだけど、その優し気な声色の指し示すものは、そうではないんではないかなと俺には思えた。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
白い初夜
NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。
しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる