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三章 -変わる関係-

蓮見 透 三章③

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 翌日、体内時計はしっかり機能しているようで、普段の起床時間であるまだ薄暗い頃に目が覚める。

 いつもと同じ部屋、同じ時間。でも、体はとても快調で今なら何でもできるのではと思うほどに軽やかだった。


「私、寝ちゃってたんだ…………でも、こんなに気持ちよく寝れたのは、いつ以来だろう」


 辺りはまだ暗く、ぼんやりとしか部屋の中は見えない。だけど、電気は付けずにカーテンだけを少しだけ動かして光量を増やした。
 彼が目を覚ましてしまわないように、自分がまだそれを見ていられるように。 


「私、ほんとに好きなんだなぁ」


 時計の針が動く音と彼の気持ちよさそうな寝息の音だけが部屋に響いている。
 私は、体を横に向けながら、起きている時よりも幼く見えるその顔を飽きずにずっと見つめ続けていた。









 
 どれだけそうしていただろうか。気づくと、カーテンから差し込む日差しを眩しそうにしながら彼が目を覚ました。
 
 私をベッドで寝かせて、彼は壁に寄りかかったままで寝ていたからだろう。伸ばしている体が絶え間なく音を刻んでいる。

 そして、私の視線に気づくと、眠そうな顔でこちらに話しかけてきた。


「あれ?起きてたんだ」


 見ているだけでも幸せになれた。でも、私を見てくれていると思うともっと幸せな気持ちになれた。


「なに?なんか顔についてる?」


 私があまりにも見すぎていたからだろう。涎でも拭うかのように彼が口元を触る。
 だけど、本当のことを言うのは流石に恥ずかしいので、とぼけて答える。


「目と鼻と口がついてるよ」

 
 だけど、そのとぼけた会話に、彼はちゃんと乗ってきてくれたようだ。


「あれ?寝てるうちに眉毛どっか落としたかな」


「あははっ。ごめん、眉毛もちゃんと付いてる」
 

 困ったような顔で、両手で眉毛をさすっている姿に思わず笑ってしまう。

 こんな時だけ表情豊かなんてほんとにズルい。

 そして、しばらく笑っていた私は、今だ眠そうな顔をしている彼に対して昨日のことを謝った。

 
「ごめんね、昨日寝ちゃって」


「いいさ。結局俺も寝てたしな」


「ほんとにごめん」


「ほんとに気にしなくていい。可愛い寝顔も堪能させてもらったし」


 どれだけ心を覗いても、彼の中に怒りの感情は見受けられなかった。

 本当に、心の底から良い人。優しくて、温かくて、何をしても包み込んでくれるように感じる。

 でも、だからこそ、手放したくない、自分の物にしたいという暗い感情が私の中で浮かび上がってきてしまうのだ。


「…………待ち受けにしてくれるなら、写真撮ってもいいんだよ?」


「嫉妬した男どもに夜道で刺されそうだから遠慮しとくよ」

 
「そっか、残念。でも、お詫びに美味しい朝ごはん作るから食べてって。ね?」


 もっと一緒にいたい。独り占めにしたい。そんな気持ちが暴走するのを抑えつつ、自分の願いを叶えるために言葉を紡ぐ。


「あー。じゃあ」


 そして、期待通りの返事に喜んだのも束の間、彼のスマホに電話がかかってきた。
 どうやら、予定があったのを忘れていたらしい。



「ごめん。友達との予定忘れてたから――」



 普段の私なら、上手に取り繕えただろう。だけど、彼との幸せな時間を味わい、さらに今まさにそれが続くことが決まったと思った瞬間の落差に、つい彼を責めるような目で見てしまう。


「ごめん」

 
 言い返さない彼に、その気持ちは高ぶり、思ってもいないことが口を出て行く。



「友達の家に遊びに行くんだ。すごく、うん、とっても楽しそうだね。私なんて、高校生になってから一度も行ったことないのに。ほんと!羨ましい」


「いや、ほんとにごめんって」




 心を読めることが良いと思ったことは一度も無かった。だけど、今この時だけは、心が読めてよかったと思う。

 何故なら、理不尽な怒りをぶつけられた彼の心の中を見れたことで、さらに出かけた嫉妬の言葉を、抑えることができたから。





 彼は、何も悪くない。悪いのは、いつも私だ。

 人の気持ちを考えない人々に腹を立てながら、自身もそれができない自分勝手な女。

 計算し、言葉を偽り、表情を偽り、立ち回る醜い女。





 彼の友人にすらも嫉妬してしまう。自分は友達にもなれないのに。

 そもそも、私は彼に見合う人間では無いのだろう。だからこそ、彼へのアプローチはいつも独りよがりで空回りし続けている。

 自分だけが仲良くなった気でいて、彼の中ではずっと私はただの隣の席にいた人間なのだ。
 
 それこそ、番号を知らず、鳴らせることすらできない二人の関係が、何よりの証拠に思えた。




「…………ううん。もとはと言えば、私の方が後の約束なんだし、仕方ないよね」


 

 本当の私は、周りの思うような、頭が良くて、お淑やかで、大人っぽい、そんな人ではない。
 
 子供っぽくて、ずる賢くて、独占欲の強いそんな人間なのだ。

 こんな姿を見せてしまった私を彼が好きになるとは思えない。





「ほら、遅くなっちゃうよ。相手待たせてるんだし早くいかなきゃ。そう言えば、私も洗濯とか色々としなきゃいけないしさ。一人暮らしって意外と忙しいんだから」



 弱い自分を隠すように言葉を矢継ぎ早に重ねる。



 勇気を出して踏み込んだはずなのに自分と彼の距離がさらに遠のいた。
 
 
 私は普通の人生は歩めない。諦めなければ生きていけない。心を保つことができない。

 だから、欲張るな。今まで通り、これからもずっと。





「高校生の夏休みだもん。楽しまなきゃ損だよ。………………バイバイ」


「ああ、じゃあ」
 
 

 さようなら。心の中で彼の背中にそう呟く。だが、何故か、彼は出ていかず不自然なところで動きをとめた。


「どうしたの?」



 そう尋ねと、彼はこちらを振り返った。



「…………友達の家行くの羨ましいって言ってたよな?」


「え?あ、うん、言ったかも?」



 らしくない強い視線に思わずたじろぐ。

 そして彼は、軽く息を吐いた後、考えてもみなかった言葉をこちらに投げかけた。


「よかったらだけど。どっかでウチくる?」
 
 
 彼は、確固とした自分を持っているタイプだ。そのため、一人でいるのも全く苦にならないようで、自分から何かを誘うということをあまりしない。

 だからこそ、その言葉は衝撃的で私の思考を奪う。 
 
 
「透?」


 自分だけが仲良くなった気でいて、彼の中ではただの隣の席にいた人間なのだと思っていた。
 
 私の独りよがりで、空回りし続けているのだと思っていた。

 だけど、それは違ったようだ。少しずつ、でも着実に私と彼の距離は近づいている。


「行く!絶対に、行く。今すぐ行く」


 望外のことに興奮が抑えられない。どう見られるかなんて気にしていられず子供のようにはしゃいでしまう。


「いや、ちょっと待った。今すぐは無理だって、また連絡するから。ほら、スマホ出して」


 差し出したスマホを彼が私に戻すと、画面上には、新しく彼の連絡先が登録されていた。


「じゃあ、今日は帰るよ。また、連絡するから」


 画面上には、変なゆるキャラのアイコン。それが、彼らしくて不思議と安心する。
 そして、宝物になったそれを私は両手で大事に抱えた。


「待ってるから。絶対に連絡してね?」


「ああ。それと、昨日の晩飯ありがとう。じゃあ、また」


「うん。また、ね」


 その言葉は、隣の席だった時に何度も交わした言葉だ。
 
 だけど、学校で使っていた時とは意味が全く違う。

 何故ならそれは、お互いが自らの意思でまた会うための約束の言葉だったから。
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