人の心が読める少女の物語 -貴方が救ってくれたから-

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一章 -出会い-

蓮見 透 一章②【改】

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 翌日起きると、いつもは見ているはずの夢を見なかったことに気づく。
 自分が一人ぼっちになって、泣いている、そんな夢。

(…………昨日は、いつもより体を動かしたからかな?)

 久しぶりに深い眠りについていたせいか、普段に比べて時間はかなり遅い。
 考えている暇もあまりないので、勝手にそう結論付けると身支度を始めた。


「はぁ。きっと、いっぱい人がいるよね」


 サッと顔を洗い、髪を整えると、憂鬱な顔をしている自分が目の前に映っているのが見える。
 既に朝日は昇っており、いわゆる通勤ラッシュと呼べる時間だろう。
 始発に近い時間とは違い、人がたくさん歩いていることは想像に難くない。

(変な人に、声をかけられなきゃいいけど)

 せめて、誰にも話しかけられずに着ければいい。
 私は、そんなことを考えると、もう一度だけ深いため息をついた。












 家を出ると、登校ついでにゴミ捨て場に向かう。
 

「あれ?おはよう。久しぶりだね」

「…………どうも」

 
 このアパートに引っ越して来てすぐ、簡単に挨拶をしただけの若い男の人。
 安価な大量生産の物とは違う、丁寧に拵えられた高そうなスーツを慣れたように着こなしたその人が、何故かさも親し気にこちらの方に近づいてくる。


「一人暮らしなんだっけ?困りごととかはない?」≪前も思ったけど、ほんとこの子可愛すぎだろ。高校生みたいだけど、バレなきゃセーフか)≫

「…………大丈夫です」

 
 優し気な表情に、優し気な声色。一見とてもいい人に見える。
 でも、その心の内は以前のように濁っていて仲良くなりたいとはとても思えなかった。

 それにしても、何がセーフなのだろうか。
 こちらの気持ちも考えず、勝手にそんなことを思うことに、正直嫌悪感しか抱くことができないというのに。


「本当に?ごはんとかちゃんと食べられてる?よかったら今度、美味しいお店にでも連れていってあげるけど」
≪これくらいの年頃の子なら、テキトーに高そうな店連れてけば雰囲気に呑まれてくれるだろ≫

 
 見せかけの善意に、そこに隠された欲望に、気持ちは暗く沈んでいく。
 そして、もはや持病となりつつある片頭痛が少しずつ顔を出し始め、思わず頭を抑えそうになった。

(痛い……でも、今は我慢しないとダメ)

 顔に力を入れ、引き攣りかける表情を誤魔化す。
 体調が悪そうにすれば、きっと相手はそれに付け込んでくるだろうから。


「いいえ、本当に大丈夫です」


 早く解放して欲しい。ただそれだけを願いながら口を動かし続ける。
 ゴミを置きそれでも追いすがってくる相手を振り払うように足を早めながら。


「遠慮しなくていいんだよ?」≪ガード固いなぁ。でも、それくらいの方がいろいろ楽しめるか≫

 
 その形ばかりの言葉は、あまりにも醜過ぎて、吐き気がこみ上げてくる。
 慣れている様子に、きっと、こんなことを繰り返し続けてきたのだろうと思うと、余計に。


「ごめんなさい、急いでいるので!!」


 周りに響くように大きな声を出すと、次第に注目が集まっていくのがわかった。
 それに、相手もさすがにこの中で言い寄ってくる気はなくなったのか、諦めた表情になる。

 
「……そっか、ごめんね。急いでるのに」

「さようなら!」

 
 吐き捨てるような言葉とともに、その場を後にする。
 早く、早く。一ミリでも、遠くに離れたい、そんな思いで。

(…………世界は、嘘ばっかり)

 疲労した心が、そんな子供じみたことを言い始めると、余計に自分が惨めになった。
 だって、そもそも自分自身が嘘ばかりなのだ。
 そんなことを被害者面して言うのは、おかしい。 


「……………………早く、行かなきゃ」
 
 
 ドロドロに溶けるようにして形を見失っていく心。
 そして、頭痛に苛まれ立ち止まろうとする体。

 私は、それらを誤魔化すように手を強く握り締めると、無理やり足を前に踏み出し続けた。
 








◆◆◆◆◆










 教室に着くまでに、たくさんの人に話しかけられる。
 
 さすがに、それらの言葉の全てが偽りとは言わない。
 でも、何かしらの思惑が含まれていることは当然あって、そんなことに心を擦り減らしていく。


≪今日も、綺麗だなぁ≫

≪やばっ。体操着忘れた≫

≪あの人。絶対私のことなんて見下してるでしょ≫ 

≪まだ時間あるし、トイレ行ってこよ≫

≪いいなー。あんだけスタイルいいの、ほんと羨ましい≫


 いろいろな感情が渦巻く中、視線が合ってしまえば、十中八九意識もこちらに向けられる。
 一度も話したこともない人、ほとんど話したことない人、よく話しかけてくる人、そんなことは関係なく。

(………………ダメだ。痛い)

 激しくなる痛みに比例して、足がどんどん重くなっていく。
 そして、保健室に行こうかと思いかけたその時。

 眠そうに大きな欠伸をする氷室君の姿が視界に入ってきて、不思議なほどに心が軽くなっていった。

(…………あそこに、逃げよう)

 もしかしたら、彼も変わってしまうのかもしれない。
 でも、そうでないのなら。
 
 私は、若干ふらつく体を必死で抑え込みながら、灯りに集まる羽虫のように、ゆっくりとそちらに近づいて行った。











「…………昨日は、本当にありがとう。手伝ってくれて」

 
 違和感を感じたなら、これで終わりにしよう。
 そう思いながら伝えた言葉。

 傲慢な考え方かもしれない。
 でも、好意が恋と呼ばれるものに移ろい、人が取り繕い始める姿を何度も見てきてしまったから。
 
 
「あー、いや。気にしないでくれ。別に大したことじゃない」


 けれど、内心怯えていた私に対して、返ってきたのは期待以上の答えで。
 むしろ、それが馬鹿馬鹿しくなってしまうようなものだった。

(…………忘れかけるなんてこと、あるんだ)

 頭の痛みも吹っ飛んでしまうような心の声に、強張っていた体の力がどんどん抜けていく。








「…………暇ならなの?」

「え?そりゃ、当然だろ?だって俺達、そんな仲良くないじゃん」


 本当に、話せば話すほど、知れば知るほど、面白い人だ。
 その綺麗な心に、淀みは一切見られなくて、言葉にまでそれがしっかりと現れている。
 

「あははっ。うんっ!普通はそうだよね」


 はっきりとした物言いは、きっと彼の心の強さがあるからこそのものだろう。
 そして、だからこそ、それが容易く歪んでしまわないことが、なんとなくわかった。
 
(…………笑った顔をしていられる方がいい、か)

 それに、ただ強いだけではない。
 呆れ笑いの後ろに隠された、その優しい心に、無性に居心地の良さを感じてしまう。
 
(本当に、いい人)

 隣にいるのが、彼でよかった。
 私は、たった少しの時間だけで、心を鷲掴みにされつつあった。




 





◆◆◆◆◆









 
 授業が始まると、ゴソゴソと何かをしていたようだった氷室君が気持ちよさそうに眠り始めるのが見えた。

(ふふっ。綺麗な、寝方)

 彼は、微動だにせず健やかな呼吸を繰り返している。
 なぜそれほど眠かったのかは知らないけれど、本当に気持ちが良さそうだ。
 
(…………なんか、可愛いかも) 

 普段の愛想のない無表情とは違う、そのちょっぴりあどけない顔は、なんだか小突きたくなるような魅力がある。
  
 それに、よく見るとペンはテープで固定されているようで思わず笑いそうになってしまった。
 
(…………不思議な人だなぁ)

 私は、その横顔をなんとなく見つめながら、その優しい時間をゆっくりと過ごしていった。

 



 






 目を覚ました氷室君が、不意にガッツポーズを取った瞬間、さすがに我慢できずに笑い声が微かに漏れ出てしまう。

(あははっ。さすがに、バレちゃったか)

 不思議そうな顔が余計に笑いを誘ってくるも、何度か深呼吸をしてそれを誤魔化す。

 
 そして、それもだんだんと落ち着き、ようやく彼の顔が見れるようになってきた頃。
 ノートの切れ端に文字を書いてそっと相手の机に置くことにした。


≪とても気持ちよさそうに寝てたね≫
 
≪次からは寝顔拝見料を取らしてもらうよ≫


 テンポのいい軽口に、嬉しくなった私は次の言葉を重ねていく。
 こんなに楽しい会話はいつぶりだろうか。気兼ねないそれが、本当に嬉しかった。









≪あくまで、個人的な意見だけどな。いまいち、本音が分からん。なんか、演じてるとか、被ってるとか、そんなイメージ≫


 やがて、氷室君が伝えてきたはっきりとした言葉。
 それは、普通の人が聞けば、怒るか、顔を顰めてしまうようなものなのかもしれない。

 でも、それは私にとっては逆のもので。
 ずっと取って置きたいくらい大事なものに感じられた。
 
 だって、彼は取り繕ったり、誤魔化したりせずに、直接私にぶつけてくれる。
 嘘偽りなく向き合ってくれる。
 それがどれほど貴重で、かけがえのないものか、私には嫌になるくらいわかっていたから。
 









 
 楽しいひと時の終わりの合図。
 不意に聞こえてきたチャイムの音に、どうしようもなく寂しさを覚える。

(………………これで、終わり)

 夢から覚めて、現実に。
 そんなことを考えていると、思わず泣いてしまいそうなほどに悲しかった。
 



「これからも内緒で頼むよ。ちょっとあれだけど、このチロルチョコやるから」


 しかし、隣からかけられた声。
 それの意味を頭が理解し始めると、心が躍り出すように跳ねていき、強い感情がせり上がってくる。

(ダメ、にやけちゃう)


「…………これって、ただ自分が開けるのが億劫になっただけじゃないの?」

 
 さすがに、そんな顔は見せられないと、必死で不機嫌さを装いつつ言葉を返す。
 

「バレたか。でも、蕩けるチョコってなんか美味しそうに聞こえないか?」

「……………………協力する気なくなっちゃうなぁ」

 
 それは嘘だ。
 氷室君を助けてあげられるのなら、それをしたい。
 私が貰ったこの暖かさに比べれば、正直そんなこと大したことではない。

 でも、素直に喜ぶことを隠そうとする、自分でもよくわからない意地が、ついそんなこを口走らせる。
 





「他のは高いから無理」

「あははっ。わかった、それで手を打とうか」

 
 そして、それでも簡単に決壊してしまう笑い声。

(…………ほんと、ずるいなぁ。)

 こんなにも私の心を揺さぶって、瞬く間に虜にしてしまう。
 自分は疑い深いと思っていた、そう容易くは絆されないと。
 だけど、見えるからこそ、その真っすぐな心は余計に眩しく見えてしまうのだ。


「あり難き幸せ。じゃあ、俺はトイレにでも行ってくるよ」


 彼が席を立つと、その場所がぽっかりと空く。
 誰もいない左側から流れ込んでくる風は、私に寂しさを思い出させるようだった。

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