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第二章

第99話 対峙

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 ギャーと、フルグトゥルスが私に叫んだ。
 逃げなくちゃいけないのに、足が動かない。フルグトゥルスの赤い瞳に睨まれたまま、私は金縛りにでもあったみたいに動けなくなった。目を逸らすこともできない。

 レインコートはとっくに意味をなさず、服は雨と泥でぐちゃぐちゃだ。髪から滴り落ちる雨粒が背中を通り、じっとり濡れた冷や汗と混じる。

 どうしよう、どうしよう
 また私の自業自得だ。あのときと同じことしてる。何にも学んでない。

 フルグトゥルスの視線から逃れるようにぎゅっと目を瞑ると、お父さんとサディさんの顔が浮かんだ。

 こんなところで死ねない。なんとか……なんとかしないと。
 震える膝に手を置いてチカラを込めて立ち上がる。まっすぐとフルグトゥルスを見据えた。逃げてもすぐに追いつかれるだろうし、またあの魔法の光線を出されたら終わりだ。

 私だって魔法使いだ。やれるだけ、やってみよう。
 震える指先に集中する。私のありったけの魔力、どうか私にチカラを貸して。フルグトゥルスがいつまで時間をくれるかわからない。お願い、早く。

 バッサバッサとフルグトゥルスが私を挑発するように翼を動かした。
 ぬるい風が体を覆うように通り抜ける。よろめく身体を必死で踏ん張って、魔力を指先に流した。

 杖は吹き飛ばされたときに落としてしまったみたいだ。
 人差し指を立てて、フルグトゥルスに向ける。攻撃魔法なんて習ってない。ナーガさんの見よう見まねだ。呪文だって知らない。でも、やるしかない。

「汝を攻撃する!」

 お願い!
 握った指が掌に食い込むほどチカラを入れると、指先からポンッとBB弾のような小さな光の弾が発射された。
 それはフルグトゥルスの顔に当たり、パチンと弾ける。フルグトゥルスは鬱陶しそうに首を振った。

 ……終わった。これが私の限界らしい。

 異世界転生したのに、私に主人公補正というものはなかったようだ。いや、最初からこの物語の主人公は私じゃなかったのかもしれない。

 全身の力が自然と抜けて、そっと瞼を閉じる。

 チート能力が欲しいなんて思ったことはない。逆ハーレムでモテモテになりたいわけでもない。
 私はただ、平凡に幸せに家族と一緒に暮らしたかっただけだ。

 ただ、それだけなのに――


 ザシュッ

 ギャオオオオオと、フルグトゥルの悲鳴が上がる。
 目を開けると、闇のように黒い巨大なモノが地面に落ちていた。

 フルグトゥルスの、片翼だ。

「アリシア!」

 顔を上げると、剣を携えた勇者が立っていた。

「お父さん!」
「アリシア! 無事か!? ケガしてないか?」

 勇者の顔が、一瞬でぐしゃぐしゃのお父さんの顔に変わった。

「大丈夫。ごめんなさい、私また勝手に……」

 お父さんがへなへなと膝をつく。

「寿命が100年は縮んだぞ……頼む、俺はアリシアがお婆さんになるまで見届けたいんだ……」
「ご、ごめんなさい……」

 項垂れたお父さんの髪には、チラリと1本白いものが見えた。

 片翼をもがれたフルグトゥルスはギャオギャオとのたうち回っている。ダメージは相当なものらしい。
 お父さんは数度、頭を振って立ち上がった。

「お父さんこそ悪かった。もう少し早く来ていたんだが、下手に出て行ってフルグトゥルスを刺激するとアリシアに攻撃する可能性があったからな。震えるお前をただ見ているしかない時間は地獄だったよ。だが、アリシアは勇敢だった」
「私が?」
「何か魔法を使ったんだろう? 一瞬、フルグトゥルスに隙が生まれた。その隙に攻撃できたわけだ」

 あのBB弾みたいなしょぼい魔法……あんなのでも役に立ったんだ。

 のたうち回っていたフルグトゥルスが、身体を起こしてフーフーと唸っている。
 お父さんは私を背に、フルグトゥルスに向き直った。

「アリシア、村に戻っていなさい」
「お父さんは!?」
「フルグトゥルスをこのままにはしておけない」
「でも……」
「大丈夫だ、もうすぐサディが合流する。先輩とナーガも来てくれるだろう」

 早く行け、とお父さんが私に目配せした。
 このまま私が一緒にいても、足手まといになるだけだ。お父さんは勇者様なんだから絶対、大丈夫。

「わかった。でもお父さん、絶対に死んだりしないでね」
「心配ない。お父さんはこれでも、魔王を倒した勇――」

 瞬間、お父さんに突き飛ばされた。その勢いのまま、茂みの中に突っ込んでしまう。

「お父さん!?」

 急いで茂みから顔を出すと、お父さんが剣を構えてフルグトゥルスと対峙していた。フルグトゥルスは、天に向かって雄叫びを上げている。
 片翼を失ったフルグトゥルスは、完全にお父さんに殺意を向けていた。それを真正面から受け、お父さんが地面を蹴る。

 片翼の怪鳥の身体とお父さんの剣が交わった。
 大ダメージを受けているはずのフルグトゥルスだったが、そうとは感じさせないほど激しく動く。それを交わしながら、お父さんは何度も剣を振るった。その剣をフルグトゥルスは、太い首で受け止めている。

 フルグトゥルが身体を揺すれば、その身体は凶器になる。その身に少しでも当たれば、ひとたまりもないだろう。かといって距離を取れば、すぐさまフルグトゥルが光線を放つ。
 いくらお父さんが勇者でも、1人で戦うには分が悪すぎる。早くみんなが、サディさんが来てくれれば……

「ぐ……ッ!」

 フルグトゥルが身体を捻ったとき、咄嗟に飛び退こうとしたお父さんに残された片翼が当たった。
 膝をついたお父さんの肩が上下している。

「魔王を倒した勇者も、所詮1人じゃこんなものか……だが、娘にみっともない姿は見せられないんでな」

 地面に突き刺した剣を杖のようにし、お父さんが立ち上がった。

 ゾクリと背中に寒気がする。フルグトゥルスは不気味なほどの赤い目でお父さんを捉えていた。
 その瞳に気づいたときには、既にフルグトゥルはくちばしを限界まで開き、今にも光線を放とうと……

「お父さん! 危ないっ!!」

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