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10.おばあちゃん
しおりを挟むその日、いつもの時間にトビーが来なかった。
約束をしているわけではなかったが、それでも落ち着かない。
何かあったとは限らない、たまたま予定があっただけかもしれない。
でもそう思っていると、今度はもうトビーが来てくれないのではと頭をよぎる。
自分はまたこの家で独りになってしまうのか。
ずしんと気分が落ちては、そんなことはないと言い聞かせ、まだ姿を見せないトビーを不安に思うの繰り返し。
開けた出窓の傍で、じっと待つことしかできない。それに拍車を掛けるように、雲が太陽を遮っていく。
ぴくん、とシェルの垂れた耳が動く。
「シェルさん!」
その声に跳ね飛ぶように出窓から身を乗り出すと、トビーが走って来た。
「トビーさん!」
ぶんぶんと尻尾を振ったが、やって来たトビーは膝に手を当て息切れをしている。
「どうしたんですか?」
「お婆さんが……シェルさんのお婆さんが見つかりました!」
驚くシェルに、トビーが急いで説明した。
シェルの話を聞いてからいろいろと捜し回っていたところ、大型犬の獣人を捜しているお婆さんがいると聞いた。
実際に会って話を聞くと、別れた頃はまだ子犬だったが白銀の毛並みに垂れた耳をした獣人だという。
「本当なんですか!?」
「はい、シェルさんのことをとても心配していましたよ。元気で暮らしていると話したら、泣いて喜んで」
「そっか、良かった。お婆ちゃん、生きていたんだ……」
両手を胸に当て、出窓の下にぺたりとしゃがみ込んだ。
脳裏に子犬だった頃の思い出が蘇る。たった一人の、家族。
「すぐ来てもらえますか? お婆さんに待っててもらってるんです」
「でも、ご主人様の許可がないと」
「少しだけですから。ルーカスさんが帰ってくるまでには戻れます。お婆さんも、シェルさんにすごく会いたがっていましたよ」
自分を待つ老婦のことを思えば、居ても立っても居られなかった。
それでも、ルーカスに無断で出て行くことなど許されない。今度こそ、あのケインを使われるかもしれない。
シェルは振り子時計を見上げた。ルーカスが帰って来るにはまだ時間がある。
少しだけ、すぐ顔を見て帰ってくれば。
「おばあちゃんが居るのは、ここから近いんですか?」
「ええ。この前シェルさんと会った湧き水のところです」
それならすぐに行って帰って来られる。
シェルは心の中でルーカスに謝罪し、家を出た。
トビーと共に湧き水の場所へ向かう。
久しぶりの再会に何を話せばいいだろう。
ジルドに捕まって、奴隷にもなっていたと知れば気に病んでしまうかもしれない。それより、今の生活を説明した方がいいだろう。
だが、その後はどうすればいい。
再び老婦と暮らしたいが、今シェルはルーカスの飼い犬だ。老婦の元へ戻りたいと言って、ルーカスが納得するだろうか。
それに本当に自分は、元の家に帰りたいのか。
あの広い家に独り佇むルーカスを想像すると、素直に喜ぶのは躊躇われてしまう。
そんな思いを振り切るように、今は老婦の元へ急ぐ。揺れる首輪のチャームが、何故かやたらに気になった。
辿り着いたその場所は、ひんやりと冷たい空気に包まれていた。湧き水が白い髭のように落ち、池に激しく波紋が広がっている。
辺りは水の音しか聞こえず、何の気配も感じない。
「おばあちゃんはどこですか?」
振り返ると、トビーは緑色の目でじっとシェルを見上げている。その薄い微笑みに、何故か寒気がした。
「犬というのはピュアな生き物ですね。だから、あんな男に飼われてしまうんだ」
「トビーさん?」
目の前でトビーがパチンと指を鳴らす。その瞬間、グラリと脳が揺れた。
目が回るような感覚に襲われ、トビーに軽く突き飛ばされると簡単に身体が倒れる。
朦朧とする意識の中で見上げると、トビーの顔から表情が消えていた。
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