異世界で吟遊詩人のパトロンになりました

水都(みなと)

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 立ち上がった拍子に、傍に置いていたつけペンのインクボトルをひっくり返してしまった。ボトルの蓋がしっかり閉まっていなかったらしい。

 慌てて拾い上げたが、インクは石畳の隙間を辿って真っ黒い川を作っていく。

「ああ、やっちまった……」
「大丈夫ですか? お召し物が」

 上着の裾が黒く汚れていた。

 インクって落ちるんだろうか。ああ、うちの場合は汚れたら新しい服をオーダーしているはず。
 引きこもりの服なんてどうでもいいから久しく服を新調していなかったが、こんなことで。

「インクなんて持ち歩いてるから、いつかやらかす気がしてたけど……」
「フレディはいつもペンを持っていますね」
「ノアの歌を書き留めるためにな」

 最初は歌詞を書いているだけだったが、最近ではいつ何の曲を歌ったかメモをするようにもなっていた。
 その日の客の反応がどうだとか、ちょっとした日記代わりにもしている。

 忘れる前にその場で書こうとペンを持ち歩いていたが、こっちの世界にはつけペンしかない。

 ペンを持ち歩くならインクも持たなくてはならず、結構面倒だった。こんな悲劇にも繋がるし……こんなところに置いていた自分が悪いんだが。

「内蔵型のインクがあればいいんだけどな」

 異世界でインクカートリッジ内蔵のペンを作れば、大儲けできるのに。残念ながら俺にそんな技術はない。

「フレディは書き物がお好きなんですね」
「好きってほどじゃないけどな」
「でも手帳にペンを走らせているあなたは、とても楽しそうですよ。知的で聡明だと、いつも思っていました」

 それはノアのことを書いているからだ。
 こっちの世界にはSNSもない。推しのことを書く欲求が溜まっているというのもある。

 それにしても俺が知的で聡明なんて、つけペンがかっこよく見えているだけだろう。眼鏡かけてれば利口そうに見えるのと同レベルだ。

 それでもノアに言われると、嬉しいことには違いない。
 本当に俺を喜ばせることが上手いんだよな。
 
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