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クレーマー一号(ズイちゃん)
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それから、三ヶ月近くが経過した。なつみは前原宅で、一家と共に食卓を囲んでいた。
「では、順平の合格を祝って、乾杯!」
房代が、興奮気味に音頭を取る。あの後、無事二次試験を突破した順平は、見事F大に合格したのだ。入学式を明日に控えて、今日は皆でお祝いの晩餐を囲んでいる。なつみも、そこに招かれたのだ。
「房代さん。なつみさんのお祝いも、やろ?」
絹子が、横から口を挟む。なつみもまた、就職先が決まったのだ。情報サイトを作っている京都市内の会社で、勤務は四月半ばからの予定である。本来なら発表後にすぐするはずの合格祝いが遅くなったのは、なつみも参加できるようにと、予定を合わせてくれたのだという。
「いえ、私より順平君ですよ。本当に、よく頑張ってくれました」
労うように微笑みかければ、順平はちょっと赤くなった。
「まあ……、三度目の正直、っていうか……」
相変わらずもごもごとしか喋らない順平だが、その表情は晴れ晴れとしていて、なつみは嬉しくなった。ちなみにあの後、時々探りを入れてみたが、渉はあれ以来、前原家に寄りつかなくなったそうだ。その点でも、なつみはほっとしていた。
「いやいや、ようやってくれた。入ってからが大変やが、頑張れや?」
そう言って激励するのは、順平の父だ。顔には、安堵と優越の色が浮かんでいる。恐らくは、弟の息子よりも良い大学に入ってくれたのが嬉しいのだろう、となつみは推測した。今ひとつ折り合いの悪そうな絹子と房代も、今夜は仲良く語らっており、なつみは心から安堵した。
「では私は、そろそろ失礼します」
頃合いを見て、なつみは席を立った。ゆっくりしなはれ、と女性陣から声が上がる。すると、順平の父が茶々を入れた。
「はは、彼氏が待ってるのと違うか?」
「そういうことではありませんが。新しい仕事の準備もありますし」
待っているのは彼氏ではなく、狐だ。『なつみんの就職祝いだ!』と、白銀は神社から、大量の酒を持って来たのだ。今夜は、一緒に飲む予定である。
ならしゃあないなあ、という声に見送られて、なつみはダイニングを出た。すると、順平も付いて来た。
「送る。もう遅いし」
短い言葉だが、順平なりの思いやりが感じられて、なつみは微笑ましくなった。
「ありがとう」
もうコートも要らない季節だ。二人して玄関を出ると、順平はぼそりと言った。
「なつみ先生には、ほんまに感謝してる。合格できたのは、先生のおかげや」
「私なんて! 直前にお手伝いしただけでしょ。それは、順平君の頑張り……」
「渉の奴を、見返したかったんや」
順平が、なつみの言葉をさえぎる。なつみは、ハッとして順平の顔を見た。
「あいつはなあ、マジで嫌な奴なんや。昔っから俺のこと馬鹿にして、陰でいじめて。せやけど大人の前では猫かぶっとるから、ばあちゃんらは完全に騙されとるんや」
こんなに激しい口調で順平が語るのは初めてで、なつみは圧倒されていた。それで渉が来訪した時、順平は頑なに会うのを拒否したのか。それにしても、渉がそんな人間だったとは。白銀の言っていた『邪気』とは、きっとそのことだったのだろう。
「もしかして……、F大にこだわったのは?」
「せや。あいつが入れへんかったF大に入れれば、ぎゃふんと言わせられるやん? せやから俺は、何浪してでもF大に入りたかったんや」
そう言うと順平は、ニッと笑った。
「ありがとうな、なつみ先生。医者になりたいわけでもないのに、漠然と医大を目指し続けてるこんな俺でも、なつみ先生は応援してくれる、ゆうたやんか。せやから頑張れたんや。合格できたんは、先生のおかげや」
「違うよ」
なつみは、きっぱりと答えた。
「順平君が合格できたのは、もちろん順平君自身の頑張りのおかげ。でも、F大に行きたいって願いを叶えてくれたのは、神様だよ。それから、仏様。前原家のご先祖様は、きっと順平君のことを応援してたんだよ」
通称、ズイちゃんが。白銀にはクレーマー認定されている、少々うるさい仏様のようだが。
「せやな。神様、仏様のおかげ、ほんまその通りやな」
順平が、はにかんだように笑う。そうだよ、となつみは答えた。
「神社には、ちゃんとお礼参りをして。お仏壇にもお礼を言うんだよ?」
わかった、と順平が素直に頷く。いつの間にか、駅に着いていた。ぺこりと頭を下げて、順平が去って行く。この会話を苦い思いで振り返ることになるとは、その時のなつみは想像もしなかったのだった。
「では、順平の合格を祝って、乾杯!」
房代が、興奮気味に音頭を取る。あの後、無事二次試験を突破した順平は、見事F大に合格したのだ。入学式を明日に控えて、今日は皆でお祝いの晩餐を囲んでいる。なつみも、そこに招かれたのだ。
「房代さん。なつみさんのお祝いも、やろ?」
絹子が、横から口を挟む。なつみもまた、就職先が決まったのだ。情報サイトを作っている京都市内の会社で、勤務は四月半ばからの予定である。本来なら発表後にすぐするはずの合格祝いが遅くなったのは、なつみも参加できるようにと、予定を合わせてくれたのだという。
「いえ、私より順平君ですよ。本当に、よく頑張ってくれました」
労うように微笑みかければ、順平はちょっと赤くなった。
「まあ……、三度目の正直、っていうか……」
相変わらずもごもごとしか喋らない順平だが、その表情は晴れ晴れとしていて、なつみは嬉しくなった。ちなみにあの後、時々探りを入れてみたが、渉はあれ以来、前原家に寄りつかなくなったそうだ。その点でも、なつみはほっとしていた。
「いやいや、ようやってくれた。入ってからが大変やが、頑張れや?」
そう言って激励するのは、順平の父だ。顔には、安堵と優越の色が浮かんでいる。恐らくは、弟の息子よりも良い大学に入ってくれたのが嬉しいのだろう、となつみは推測した。今ひとつ折り合いの悪そうな絹子と房代も、今夜は仲良く語らっており、なつみは心から安堵した。
「では私は、そろそろ失礼します」
頃合いを見て、なつみは席を立った。ゆっくりしなはれ、と女性陣から声が上がる。すると、順平の父が茶々を入れた。
「はは、彼氏が待ってるのと違うか?」
「そういうことではありませんが。新しい仕事の準備もありますし」
待っているのは彼氏ではなく、狐だ。『なつみんの就職祝いだ!』と、白銀は神社から、大量の酒を持って来たのだ。今夜は、一緒に飲む予定である。
ならしゃあないなあ、という声に見送られて、なつみはダイニングを出た。すると、順平も付いて来た。
「送る。もう遅いし」
短い言葉だが、順平なりの思いやりが感じられて、なつみは微笑ましくなった。
「ありがとう」
もうコートも要らない季節だ。二人して玄関を出ると、順平はぼそりと言った。
「なつみ先生には、ほんまに感謝してる。合格できたのは、先生のおかげや」
「私なんて! 直前にお手伝いしただけでしょ。それは、順平君の頑張り……」
「渉の奴を、見返したかったんや」
順平が、なつみの言葉をさえぎる。なつみは、ハッとして順平の顔を見た。
「あいつはなあ、マジで嫌な奴なんや。昔っから俺のこと馬鹿にして、陰でいじめて。せやけど大人の前では猫かぶっとるから、ばあちゃんらは完全に騙されとるんや」
こんなに激しい口調で順平が語るのは初めてで、なつみは圧倒されていた。それで渉が来訪した時、順平は頑なに会うのを拒否したのか。それにしても、渉がそんな人間だったとは。白銀の言っていた『邪気』とは、きっとそのことだったのだろう。
「もしかして……、F大にこだわったのは?」
「せや。あいつが入れへんかったF大に入れれば、ぎゃふんと言わせられるやん? せやから俺は、何浪してでもF大に入りたかったんや」
そう言うと順平は、ニッと笑った。
「ありがとうな、なつみ先生。医者になりたいわけでもないのに、漠然と医大を目指し続けてるこんな俺でも、なつみ先生は応援してくれる、ゆうたやんか。せやから頑張れたんや。合格できたんは、先生のおかげや」
「違うよ」
なつみは、きっぱりと答えた。
「順平君が合格できたのは、もちろん順平君自身の頑張りのおかげ。でも、F大に行きたいって願いを叶えてくれたのは、神様だよ。それから、仏様。前原家のご先祖様は、きっと順平君のことを応援してたんだよ」
通称、ズイちゃんが。白銀にはクレーマー認定されている、少々うるさい仏様のようだが。
「せやな。神様、仏様のおかげ、ほんまその通りやな」
順平が、はにかんだように笑う。そうだよ、となつみは答えた。
「神社には、ちゃんとお礼参りをして。お仏壇にもお礼を言うんだよ?」
わかった、と順平が素直に頷く。いつの間にか、駅に着いていた。ぺこりと頭を下げて、順平が去って行く。この会話を苦い思いで振り返ることになるとは、その時のなつみは想像もしなかったのだった。
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