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第二章 俳優への一歩

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 聖と出かけた映画は、予想以上に楽しめた。歴史上の有名な出来事を上手くパロディ化したストーリーは、時に笑いを、時に涙を誘った。何より、芸達者な役者たちが、絶妙にそれぞれの個性を活かしていた。

 聖も、たいそう熱心に鑑賞していた。だが瑞紀は、やや拍子抜けしていた。着席するまでは完璧にエスコートしてくれた聖だったが、いざ上映が開始すると、スクリーンに見入ってばかりだったからだ。これまでサクラとして会ったアルファたちと映画館に来たこともあるが、彼らはそろいもそろって、暗がりをいいことに、体に触れてきたのだ。

(いや、礼儀正しいのは悪くねえけどさ。仮にも、アルファだってのに……)

 この至近距離で漂う瑞紀のオメガフェロモンを、何とも思わないのだろうか。斜め前の観客ですら、察知したらしく、こちらをチラチラうかがっているというのに。

(いっそ、こっちから仕掛けるか……?)

 ボディタッチでもしようかと思ったが、瑞紀は考え直した。まだ二度目のデートなのだ。軽いオメガと思われて、失敗しては困る。

(とは言っても……)

 聖の横顔を見つめながら、瑞紀は少しだけ距離を詰めたのだった。


 映画館を出ると、聖は瑞紀を近くのカフェに誘った。

「このお店も、偵察対象なんですか?」

 冗談めかして尋ねると、聖は苦笑しながらかぶりを振った。

「さすがに、毎回そんな真似はしませんよ。あちこち連れ回すのは申し訳ないと思っただけです」

 そう言うと聖は、瑞紀をまじまじと見つめた。

「それにしても、今日のあなたは、前回とずいぶん雰囲気が違いますね」

 成功、と瑞紀は内心つぶやいた。今日身に着けているのは、光沢のある黒い細身のジャケットだ。髪にもストレートパーマをかけて、大人びたスタイルにしてみた。落ち着いた印象を与えるためである。

 みどりと電話で話した後、瑞紀は西尾に、HOTELブランの社長令息について尋ねたのだ。

『何だ、妬いてるのか?』

 開口一番、西尾は笑い交じりに尋ねた。

『違うって。小田桐聖は、そいつとの政略結婚が嫌なんだろ? だったら、そいつとは違うタイプを目指したら効果的かなって』

 確かにと納得した西尾は、HOTELブランの社長の次男……白井明人しらいあきとについて教えてくれた。オメガで、年齢は瑞紀と同じ二十五歳、現在は父親の経営するホテルで働いているそうだ。

『とは言っても、単なるお飾りだろうが。白井社長には、アルファの長男がいる。彼が継ぐことは、ほぼ決定だ。だからオメガの次男は、いいとこのアルファに嫁がせようって腹だろう』
 
 だろうな、と瑞紀は思った。小田桐ホールディングス社長の息子なら、まさに理想的な結婚相手だろう。写真も見せられたが、白井明人は童顔の可愛らしい顔立ちだった。

(まさに、深窓のお坊ちゃまってとこか)

 自分と同い年、同じオメガでこれだけ対照的な人間がいるのかという思いがよぎらなくもなかったが、瑞紀はすぐに切り替えた。代わりに考えたのは、彼とは対極の、大人っぽく落ち着いたオメガを目指すことだった。その努力の結果が、本日の服装と髪型である。

「少しイメージチェンジしてみたんですが……、変、でしょうか?」

 わざと自信なさげに尋ねてみると、聖はいやいやとかぶりを振った。

「とても素敵ですよ。色がお白いから、黒もよく似合われる」
「ありがとうございます。聖さんにそう言っていただけると、すごく嬉しいです」

 瑞紀ははにかんだ笑みを浮かべてみせたが、聖はそれには反応しなかった。黙って映画のパンフレットを手に取る彼を横目に、瑞紀はやや不安になった。

(いまいち、読めない奴だな。気が無いのか……?)

 だがそれなら、『メイト・エージェント』にきっぱり断ればいい話だ。こうして二度も付き合ってくれているところを見ると、脈が無いわけではないだろう。

「熱心にご覧になっていましたね。楽しかったですか?」

 瑞紀は、気を取り直して尋ねてみた。聖が、大きくうなずく。

「時代考証がしっかりなされているのがよかったですね。当時を正確に再現したセットだなと、興味深く観ていました」
「もしかしてそれ、ホテル経営にも活かそうとか思ってます?」

 間髪を容れずに突っ込めば、聖は肩をすくめた。

「バレたか。職業病なので、勘弁していただきたい。でも、もちろんストーリーも楽しみましたよ? エンディングでの主人公、迫力満点でしたね」
「確かに」

 瑞紀は、身を乗り出した。

「今までおちゃらけていただけに、ギャップが大きかったですね。突然シリアスになって、『俺には守りたいものがあるんだ!』って。あの目つき、ぞくぞくしましたよ」

 すると聖は、一瞬大きく目を見開いた。ややあって、ぽつりとつぶやく。

「すごいですね」
「ですよね? あれなら、敵がたじろぐのもわかる……」
「そうではなくて。瑞紀さんが」

 瑞紀は、きょとんとした。

「僕が?」

 聖は、ふっと笑った。

「その再現力ですよ。台詞だけでなく、口調や表情、顔の角度まで。瑞紀さんに指導してもらえる演劇部の生徒たちは、幸運ですね」
「大したことはありませんよ」

 嘘をついている罪悪感から、瑞紀はつい小声になった。いやいや、と聖が否定する。

「高校時代にやっておられたんですよね、演劇。その道に進まれようとは思われなかったんですか。養成所へ入るとか」

(養成所、か)

 瑞紀は、ふと過去を振り返った。叔母の家を出て就職した頃は、考えなくもなかった。そのために、給料から少しずつ貯金していたものだ。その計画を狂わせたのは、会社の倒産と、当時同棲していた恋人だった。

(あの野郎……)

 恋人はアルファで、職場の先輩だった。当初彼の態度は優しく、瑞紀は、壮介から受けた傷を癒やされたと思ったものだ。だが、それは束の間だった。会社が倒産するやいなや、彼は瑞紀の貯金と、もらったばかりのわずかな退職金を持って逃げたのだ。それだけではなかった。一緒に住んでいたアパートの家賃は滞納されており、瑞紀は一人で支払うはめになった。おまけに彼は、瑞紀を勝手に連帯保証人にして、借金までこしらえていた。

(相次ぐ督促に、決まらない転職先。地獄だった……)

 手っ取り早く金を手に入れるには、オメガ専門の風俗しかなかった。売り専ボーイとして働くうち、微かに夢見ていた俳優の道なんて、瑞紀の頭からは完全に消え去っていたのだった。
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