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蘭、海を渡る

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※本編終了後、子供たちが中学生になった頃のお話です。

 その夜、夕食を終えた白柳家の面々は、リビングでくつろいでいた。四十七歳の若さで、最近首相に就任した父・陽介は、雑誌を熟読している。愛する妻・蘭が書いた記事が掲載されているからだ。夏休みに入ったばかりの、中三と中二の息子たち・海と望大は、エアコンの風が当たる場所を求めて争っている。同じく中二の長女・明希は、今夜は友人の家に泊まるので不在だ。
 ――今が切り出し時かな。
 家族の様子を確認すると、蘭は「ちょっといいかな」と声をかけた。改まった様子の母に、三人の男たちが怪訝そうな表情を浮かべる。彼らの顔を順繰りに見て、蘭は告げた。
「来月なんだけど。母さん、スウェーデンに取材に行くことにしたから」
 双子を出産して以来、蘭はフリー記者として順調にキャリアを積んでいる。亡き実父の殺害事件について暴いた記事は、国内で最も有名な記者の賞を取った。それでも探究心は留まることなく、今度は海外へ進出しようと考えているのである。
「どんな記事を書くの?」
 真っ先に反応したのは、望大だった。母親と同じ記者の道を志している彼は、期待で瞳を輝かせている。
「教育制度についてだ。スウェーデンは、バース教育の質が高い。小さいうちから、各バースについてしっかり理解させ、ヒート時の対応や抑制剤の正しい使い方も教えるそうなんだ。きっと、学ぶことは多いと思う」
「なるほど、面白そう」
 望大は、興味深げに頷いた。
「ていうか、この時期に北欧って羨ましいんだけど。日本て、マジでクソ暑いもんなあ」
  海は、父親の読んでいる雑誌をひったくると、パタパタと扇いだ。
「父さん、国のトップとして何とかして……」
 冗談めかして言った海だが、言葉は途中で止まった。陽介が、ひどく険しい顔をしていたからに違いなかった。
「確かに興味深いテーマだが、海外取材は止した方がいいんじゃないのか。国内だって、まだまだネタはあるだろう」
「でも……。これは、絶対に書きたい話なんだ」
 蘭は、軽く苛立つのを感じていた。これまで蘭たち夫婦は、互いにの仕事に干渉したことはない。なぜ陽介は、いきなり口出ししてくるのだろう。しかも海外取材は、キャリアアップの絶好の機会だというのに。
「母さん一人じゃ、危なっかしいからじゃねえ?」
 海が、茶々を入れる。すると望大も同調した。
「確かに、何をやらかすかわかんないもんなあ。稲本さんに、付いて行ってもらったら?」
「お前ら……」
 雷を落とそうとした蘭だったが、陽介は冷静な口調でそれを遮った。
「いいかもしれない。稲本に、同行してもらえ」
「はあ!?」
 蘭は目を剥いたが、それは息子たちも同様だった。一拍置いて、海が瞳を潤ませる。
「父さん、器がでかくなったよね! 昔は、稲本さんと母さんが話すだけで、にらんでたのにさあ」
「てか、すっかり稲本さんを信頼してるってことだろ」
 うんうんと、望大も頷く。だが陽介は、かぶりを振った。
「たとえ旅先で稲本が妙な気を起こしたところで、蘭は番以外のアルファを受け入れることはできない。気分が悪くなった蘭に無体を働くほど、稲本は鬼畜じゃないはずだ」
「……何か、信用してるんだかしてないんだか微妙だね」
 息子たちは勝手なことを言い合っているが、蘭はもう限界だった。
「陽介、お前、いい加減にしろ! 俺は、一人前の大人で、一人前の記者なんだ。何で取材に行くのに、稲本に付いて来てもらわなきゃなんねんだよ!」
 あらん限りの大声で怒鳴りつけると、息子たちは押し黙ったが、陽介は相変わらず冷静だった。
「蘭。いくら鍛えているとはいえ、君はやっぱりオメガなんだ。一人で海外へ行くのは、危険だ」
「ンなこと言ってたら、永久に海外取材なんてできないだろうが」
 心配してくれているのはわかるが、はいそうですかと引き下がるのは、プライドに関わる。子供たちの前だけに、なおさらだ。蘭は、キッと陽介を見すえた。
「とにかく、行くと言ったら行くんだからな。俺の考えは変わらない」
 きっぱりと言い渡すと、蘭は二人の息子たちをじろりとにらんだ。
「それからお前らは、明日から朝飯は自分で作れ。親を馬鹿にした罰だ」
 何だよう、とぼやく息子たちと、黙りこくる陽介を後に、蘭はリビングから荒々しく出て行ったのだった。
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