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番外編② 守られなかった誓い
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フィリッポが自宅に帰り着いたのは、その一時間後だった。屋敷に入るなり、フィリッポはおやと思った。てっきり真っ暗だとばかり思っていた居間に、灯りがともっていたのだ。
「起きていたの?」
「ん。何か、酒盛りでもしたくなって」
尊敬する師匠の弟子であり、今や愛しい伴侶でもあるジュダが、テーブル上を指す。そこには、酒とつまみが山と積まれていた。
「陛下とお酒を酌み交わしてきたばかりだけれど……、まあいいでしょう」
酒に弱いフィリッポだが、飲み過ぎて差し支えるような予定は、明日は無い。フィリッポは、ジュダが差し出した缶を受け取った。
「これは、マスミさんのお父上が持って来られた……、ええと、かんびいる、でしたっけ」
「うん、俺のお気に入り。何かさ、一時期味が落ちた時があって。マスミが親父さんに、『ハッポウシュは止めてよ! ケチらないでよ!』とかこそこそ囁いてたな。んで、その後、また美味しくなった。てなわけで、これ、美味いから」
ジュダが微笑む。フィリッポは、彼にならって缶を開けた。それほど酒好きではないフィリッポにとっては、味の違いはよくわからないが、付き合ってあげようと思ったのだ。
「そういえば、私の好きな天使が描かれたパイも、途絶えた時期がありましたよ。代わりに持って来られたチョコ菓子が、まあ不味いのなんの。マスミさんは、『ダガシじゃなくて!』とか怒っていましたね」
「親父さん、金を節約したかな」
ジュダは、クスッと笑った。
「ところで。何か話でも?」
わざわざ起きて待っているだなんて、何かあったのだろうかと思ったが、ジュダはかぶりを振った。
「別に。俺、明日から留守にするから、何となくな」
宰相であるジュダは、国王ルチアーノの代理として、明日から外国を訪問するのである。とはいえ、そんなことはこれまで幾度もあった。なぜ今さら、と訝ったものの、追及するのは止めにして、フィリッポは黙って酒をあおった。
「……あのさ」
ややあって、ジュダがぽつりと呟いた。上目遣いで、フィリッポを見やる。
「前から、聞きたかったんだけど。前は俺のこと、セアンて呼ぶこともあったけど、最近ずっと呼ばないよな。ベケット家のこととかも、あまり話さない。よかったら、わけを教えてくれないか?」
おや、とフィリッポは目を見張った。
「それは、あなたが嫌がったからでしょ。ジュダ・ロッシと呼んでくれ、周囲にも、そう宣言してたじゃないですか」
「そりゃあ、昔は。ロッシの親に悪いし、第一俺がベケット家の子孫だと強調したら、あんたが宮廷魔術師の役職に就きにくくなるだろ。だからあの時は、ああ言ったんだ」
フィリッポは、一瞬息を呑んだ。
「私のことを考えて……?」
「それも、理由の一つだってこと」
ジュダは、パッと顔を赤らめた。
「けど、あんたは別。たまには、セアンて呼んでもいいんだぜ? 前は、俺が師匠の息子だから気を遣ってんのかな、とか邪推したけど、今はそうじゃないって知ってるし……」
ジュダは、言葉の末尾をごにょごにょと誤魔化している。フィリッポは、クスッと笑った。
「そうじゃなくて、何だと知ってるの?」
「いや、それは……。もう、言わすんじゃねえよ!」
真っ赤になっているジュダに、フィリッポは、飲みさしの缶ビールを差し出した。
「最後まで言ってくれたら、これもあげるから」
ジュダが、缶とフィリッポを見比べる。ややあって、彼はやけくそのように怒鳴った。
「師匠の息子だから、だってだけじゃなくて! 俺のこと、愛してるからだろ!」
「大変、良く言えました」
フィリッポは大きく頷くと、差し出した缶をひょいと引っ込めた。一気に飲み干そうとするフィリッポを見て、ジュダが血相を変える。
「おい、約束が違……っ!」
言葉の途中で、フィリッポは彼に口づけた。口移しで酒を流し込んだ後、フィリッポはにやっと笑った。
「約束は守ったでしょ」
「くそっ……」
反論の言葉が見つからないのか、ジュダはぶつぶつうめいている。フィリッポは、そんな彼に寄り添うと、肩を抱いた。
「ね、せっかく起きて待っていてくれたんだから、今夜は君の赤子時代の話をしようか。いつか話そうと思っていたんだけど、機会をつかめなくてね」
「本当か? いや、俺も聞きたいと思ってたんだけど、何か恥ずかしかったんだよな」
ジュダが、パッと顔を輝かせる。フィリッポは微笑んだ。
「じゃあ、何から話そうかな。運動神経が良すぎて、あちこち動き回るものだから、ジーナ様がハラハラしていた話だとか……」
二人の話は、明け方まで及んだ。普段なら、明日に差し支えるからと、どちらかが遠慮するところ、その夜はなぜか、双方が話したがったのだ。こうしてジュダは、ほぼ眠らないままでアルマンティリアを発つことになった。
アルマンティリア初の、実力採用による宮廷魔術師・フィリッポが自宅で刺殺されたのは、その直後だった。犯人は、最近雇用された使用人だった。実はホーセンランドの血を引いていた彼は、祖国分割統治のきっかけとなった戦いで活躍したフィリッポを恨んでおり、剣の名人であるジュダが留守にする隙を狙っていたのだ。もちろん、ベケットの遠縁というのは、完全な作り話だった。
一報を受けた国王ルチアーノは、犯人を直ちに極刑処分とすると共に、盛大な国葬でフィリッポを弔った。その際彼は、「もう誓いを破ったか」と漏らし、公の場で初めて涙を流したという……。
了
※番外までお付き合いいただき、ありがとうございました。
「起きていたの?」
「ん。何か、酒盛りでもしたくなって」
尊敬する師匠の弟子であり、今や愛しい伴侶でもあるジュダが、テーブル上を指す。そこには、酒とつまみが山と積まれていた。
「陛下とお酒を酌み交わしてきたばかりだけれど……、まあいいでしょう」
酒に弱いフィリッポだが、飲み過ぎて差し支えるような予定は、明日は無い。フィリッポは、ジュダが差し出した缶を受け取った。
「これは、マスミさんのお父上が持って来られた……、ええと、かんびいる、でしたっけ」
「うん、俺のお気に入り。何かさ、一時期味が落ちた時があって。マスミが親父さんに、『ハッポウシュは止めてよ! ケチらないでよ!』とかこそこそ囁いてたな。んで、その後、また美味しくなった。てなわけで、これ、美味いから」
ジュダが微笑む。フィリッポは、彼にならって缶を開けた。それほど酒好きではないフィリッポにとっては、味の違いはよくわからないが、付き合ってあげようと思ったのだ。
「そういえば、私の好きな天使が描かれたパイも、途絶えた時期がありましたよ。代わりに持って来られたチョコ菓子が、まあ不味いのなんの。マスミさんは、『ダガシじゃなくて!』とか怒っていましたね」
「親父さん、金を節約したかな」
ジュダは、クスッと笑った。
「ところで。何か話でも?」
わざわざ起きて待っているだなんて、何かあったのだろうかと思ったが、ジュダはかぶりを振った。
「別に。俺、明日から留守にするから、何となくな」
宰相であるジュダは、国王ルチアーノの代理として、明日から外国を訪問するのである。とはいえ、そんなことはこれまで幾度もあった。なぜ今さら、と訝ったものの、追及するのは止めにして、フィリッポは黙って酒をあおった。
「……あのさ」
ややあって、ジュダがぽつりと呟いた。上目遣いで、フィリッポを見やる。
「前から、聞きたかったんだけど。前は俺のこと、セアンて呼ぶこともあったけど、最近ずっと呼ばないよな。ベケット家のこととかも、あまり話さない。よかったら、わけを教えてくれないか?」
おや、とフィリッポは目を見張った。
「それは、あなたが嫌がったからでしょ。ジュダ・ロッシと呼んでくれ、周囲にも、そう宣言してたじゃないですか」
「そりゃあ、昔は。ロッシの親に悪いし、第一俺がベケット家の子孫だと強調したら、あんたが宮廷魔術師の役職に就きにくくなるだろ。だからあの時は、ああ言ったんだ」
フィリッポは、一瞬息を呑んだ。
「私のことを考えて……?」
「それも、理由の一つだってこと」
ジュダは、パッと顔を赤らめた。
「けど、あんたは別。たまには、セアンて呼んでもいいんだぜ? 前は、俺が師匠の息子だから気を遣ってんのかな、とか邪推したけど、今はそうじゃないって知ってるし……」
ジュダは、言葉の末尾をごにょごにょと誤魔化している。フィリッポは、クスッと笑った。
「そうじゃなくて、何だと知ってるの?」
「いや、それは……。もう、言わすんじゃねえよ!」
真っ赤になっているジュダに、フィリッポは、飲みさしの缶ビールを差し出した。
「最後まで言ってくれたら、これもあげるから」
ジュダが、缶とフィリッポを見比べる。ややあって、彼はやけくそのように怒鳴った。
「師匠の息子だから、だってだけじゃなくて! 俺のこと、愛してるからだろ!」
「大変、良く言えました」
フィリッポは大きく頷くと、差し出した缶をひょいと引っ込めた。一気に飲み干そうとするフィリッポを見て、ジュダが血相を変える。
「おい、約束が違……っ!」
言葉の途中で、フィリッポは彼に口づけた。口移しで酒を流し込んだ後、フィリッポはにやっと笑った。
「約束は守ったでしょ」
「くそっ……」
反論の言葉が見つからないのか、ジュダはぶつぶつうめいている。フィリッポは、そんな彼に寄り添うと、肩を抱いた。
「ね、せっかく起きて待っていてくれたんだから、今夜は君の赤子時代の話をしようか。いつか話そうと思っていたんだけど、機会をつかめなくてね」
「本当か? いや、俺も聞きたいと思ってたんだけど、何か恥ずかしかったんだよな」
ジュダが、パッと顔を輝かせる。フィリッポは微笑んだ。
「じゃあ、何から話そうかな。運動神経が良すぎて、あちこち動き回るものだから、ジーナ様がハラハラしていた話だとか……」
二人の話は、明け方まで及んだ。普段なら、明日に差し支えるからと、どちらかが遠慮するところ、その夜はなぜか、双方が話したがったのだ。こうしてジュダは、ほぼ眠らないままでアルマンティリアを発つことになった。
アルマンティリア初の、実力採用による宮廷魔術師・フィリッポが自宅で刺殺されたのは、その直後だった。犯人は、最近雇用された使用人だった。実はホーセンランドの血を引いていた彼は、祖国分割統治のきっかけとなった戦いで活躍したフィリッポを恨んでおり、剣の名人であるジュダが留守にする隙を狙っていたのだ。もちろん、ベケットの遠縁というのは、完全な作り話だった。
一報を受けた国王ルチアーノは、犯人を直ちに極刑処分とすると共に、盛大な国葬でフィリッポを弔った。その際彼は、「もう誓いを破ったか」と漏らし、公の場で初めて涙を流したという……。
了
※番外までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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