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最終章 魔法は世のため、人のため
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ルチアーノの部屋に入ると、彼は真純にソファを勧めた。言われた通りに腰かけると、ルチアーノは、チェストから何やら包み紙を取り出した。
「これを、マスミに」
渡されたのは、細長い箱に入った何かだった。受け取ると、案外軽い。何だろうと開封して、真純はあっと声を上げた。
それは、扇だったのだ。折りたたみ式で、骨の部分は象牙、扇面の部分は、上質そうな紙でできている。そこここに、金箔も散らされていた。その作りは繊細で、大切に扱わないと破損してしまいそうなくらいだ。
慎重に扇を広げて、真純はまたもや感嘆した。そこには、美しい風景が描かれていたのだ。中心となっているのは澄んだ小川で、それを満月が明るく照らしている。実に上品なデザインだった。
「国王として、伴侶にふさわしい物を贈ると言っていたであろう? 私とそろいの品にしてみた」
ルチアーノが、自分の扇を広げる。確かに、象牙、紙、金箔といった素材は共通で、大きさもほぼ同じだ。デザインにも、どことなく共通したものが感じられた。
「ちなみに作り手も、同じ人間だ。私の扇を作った職人は、幸いにもまだ活動していたからな。ただ、あれこれと工夫しすぎたため、ずいぶんと時間がかかってしまった。あの銅像と同じだな」
ルチアーノが、微苦笑を浮かべる。真純は微笑んだ。
「ありがとうございます……。本当に、素敵な扇ですね。大切にします」
「装飾品と違い、ずっと身に着けている必要も無いしな。調剤の時などはしまっておいて、好きな時に使うとよい」
「いえ」
真純は、即座にかぶりを振った。
「肌身離さず、持ちます。陛下のように、懐に忍ばせて。……だって、愛する人から贈られた、大切な品ですから」
真純は、そっと扇の表面を撫でた。
「川と、月……。もしや、僕と陛下を象徴しておられますか? 水属性と、光属性だから?」
「そうだ。だが、それだけでは無い」
ルチアーノは、窓辺に立つと、ガラリと窓を開けた。今夜は、満月だ。
「私は、ずっと孤独だった」
ルチアーノは、不意にぽつりと呟いた。
「物心付いた時より、あの離宮で過ごし、こうして一人で月を眺めていたものだ。途中からは、ジュダが来てくれたが、不吉な忌み子という立場は、ずっと変わらなかった。……けれど。そなたが来てくれて、私の人生はまるっきり違ったものになったのだ」
ルチアーノはこちらを振り返ると、微笑んだ。真純が広げている扇に、視線を落とす。
「マスミ。そなたはまるで、この小川のように澄み切った心の持ち主だ。そなたのおかげで、苦しい時辛い時、どれほど癒やされたことか」
「……僕は、そんな大した人間ではありません」
真純は、赤くなった。だがふと、思い出す。日本にいた時も、友人から、癒やしの存在だと言われたことを。
「いや、本当だ」
ルチアーノは、真剣な表情でかぶりを振った。
「一国の頂点に立とうかという者は、弱音を吐いてはならぬ。周囲を不安にさせるからだ。だから冷静を保つよう心がけてきたが、正直、困難は多々あった。回復呪文の所在は不明で、捜し当てたフィリッポ殿は当初詠唱ができず、あげくには、私をパッソーニの子と記した手紙まで見つかった。ようやくパッソーニを捕らえても、肝心な魔術書は見つからず、王妃陛下は次々と陰謀を企て、隣国は攻め入って来る。……けれど」
ルチアーノは、真純に向かって手招きした。窓辺に並び立つ。澄み切った美しい月は、まばゆいばかりにニトリラの村を照らしていた。
「その度にそなたは、全力で私を励ましてくれた。どれほどの苦境に立たされても、私がくじけずにいられたのは、マスミの存在あってこそだ。そして私だけでなく、そなたと関わった者は誰しも、その温かい心に救われたことだろう。ジュダやフィリッポ殿はもちろん、エレナら使用人たち、果ては、恨みと憎しみのみで生きてきた、王妃陛下でさえも。マスミ、そなたは私の理想的な伴侶であるだけでなく、このアルマンティリアに無くてはならない存在だ」
「陛下……」
じんと、胸が熱くなる。ルチアーノは軽く微笑むと、チェストの方へ向かった。取り出したのは、真純の父が贈った望遠鏡だった。
「せっかくだ。これで、鑑賞しよう」
「ニトリラまで持って来られたんですか?」
「ちょうど満月の時期だったからな。これを待っていたんだ」
すでに練習していたのか、ルチアーノは、慣れた手つきで望遠鏡をセットした。先に見ろと言うので、真純からレンズをのぞく。美しい満月が間近に見えて、真純は感嘆のため息を漏らした。
「どうだ、よく見えるか?」
「ええ。不思議ですね。僕らの世界で見ていた月と、変わりません」
「さようか」
交代で、ルチアーノが望遠鏡の前に座る。彼は、しばらく黙ってレンズをのぞき込んでいた。あまりに沈黙が続くので、真純は不安になった。
「あの、ちゃんと見えます?」
「……あ、ああ。すまない、心配させたな」
ルチアーノが、レンズから顔を離す。その表情は、意外にも憂いを帯びていた。
「幼少期を思い出したのだ。あの月の向こうには、見知らぬ世界が広がっているのかもしれない、といつも想像していたことを」
そこでルチアーノは、微笑した。
「まさに、その通りであった。月の向こうには、確かに異世界があった。そこから来てくれた一人の清らかな青年が、私を救い、荒んだ心を癒やしてくれたのだ」
ルチアーノは、真純の頬を撫でた。
「愛している、マスミ」
そこでルチアーノは、少しためらってから続けた。
「先ほどフィリッポ殿に、公私は分けると言ったが。正直、自信は無い。もしそなたが私より先に命を落とすようなことがあれば、誓いを破って蘇生魔法を使うかもしれぬ。それくらい、マスミは私にとって、必要不可欠な存在だ」
「ルチアーノ……」
どちらからともなく、唇が重なる。限りなく優しいキスだった。ひとしきり口づけを交わすと、真純は微笑んでいた。
「もう、キスをしても、体が熱くなることはありません」
「そうだな。呪いは解けた」
大きく頷くと、ルチアーノは、再び夜空を見上げた。
「碑文に刻んだ、最初の誓い。あれだけは、絶対に厳守する。魔法は、国と人々のためのものだ。この月にかけて、誓おう」
「僕も、誓います」
真純は、大きく頷いていた。全く、その通りだ。魔法とは、人を幸せにするためのもの。それで傷つく人間は、一人も出してはならない……。
輝かしい満月が、一国の将来を背負い立つ二人を、美しく照らし出していた。
「これを、マスミに」
渡されたのは、細長い箱に入った何かだった。受け取ると、案外軽い。何だろうと開封して、真純はあっと声を上げた。
それは、扇だったのだ。折りたたみ式で、骨の部分は象牙、扇面の部分は、上質そうな紙でできている。そこここに、金箔も散らされていた。その作りは繊細で、大切に扱わないと破損してしまいそうなくらいだ。
慎重に扇を広げて、真純はまたもや感嘆した。そこには、美しい風景が描かれていたのだ。中心となっているのは澄んだ小川で、それを満月が明るく照らしている。実に上品なデザインだった。
「国王として、伴侶にふさわしい物を贈ると言っていたであろう? 私とそろいの品にしてみた」
ルチアーノが、自分の扇を広げる。確かに、象牙、紙、金箔といった素材は共通で、大きさもほぼ同じだ。デザインにも、どことなく共通したものが感じられた。
「ちなみに作り手も、同じ人間だ。私の扇を作った職人は、幸いにもまだ活動していたからな。ただ、あれこれと工夫しすぎたため、ずいぶんと時間がかかってしまった。あの銅像と同じだな」
ルチアーノが、微苦笑を浮かべる。真純は微笑んだ。
「ありがとうございます……。本当に、素敵な扇ですね。大切にします」
「装飾品と違い、ずっと身に着けている必要も無いしな。調剤の時などはしまっておいて、好きな時に使うとよい」
「いえ」
真純は、即座にかぶりを振った。
「肌身離さず、持ちます。陛下のように、懐に忍ばせて。……だって、愛する人から贈られた、大切な品ですから」
真純は、そっと扇の表面を撫でた。
「川と、月……。もしや、僕と陛下を象徴しておられますか? 水属性と、光属性だから?」
「そうだ。だが、それだけでは無い」
ルチアーノは、窓辺に立つと、ガラリと窓を開けた。今夜は、満月だ。
「私は、ずっと孤独だった」
ルチアーノは、不意にぽつりと呟いた。
「物心付いた時より、あの離宮で過ごし、こうして一人で月を眺めていたものだ。途中からは、ジュダが来てくれたが、不吉な忌み子という立場は、ずっと変わらなかった。……けれど。そなたが来てくれて、私の人生はまるっきり違ったものになったのだ」
ルチアーノはこちらを振り返ると、微笑んだ。真純が広げている扇に、視線を落とす。
「マスミ。そなたはまるで、この小川のように澄み切った心の持ち主だ。そなたのおかげで、苦しい時辛い時、どれほど癒やされたことか」
「……僕は、そんな大した人間ではありません」
真純は、赤くなった。だがふと、思い出す。日本にいた時も、友人から、癒やしの存在だと言われたことを。
「いや、本当だ」
ルチアーノは、真剣な表情でかぶりを振った。
「一国の頂点に立とうかという者は、弱音を吐いてはならぬ。周囲を不安にさせるからだ。だから冷静を保つよう心がけてきたが、正直、困難は多々あった。回復呪文の所在は不明で、捜し当てたフィリッポ殿は当初詠唱ができず、あげくには、私をパッソーニの子と記した手紙まで見つかった。ようやくパッソーニを捕らえても、肝心な魔術書は見つからず、王妃陛下は次々と陰謀を企て、隣国は攻め入って来る。……けれど」
ルチアーノは、真純に向かって手招きした。窓辺に並び立つ。澄み切った美しい月は、まばゆいばかりにニトリラの村を照らしていた。
「その度にそなたは、全力で私を励ましてくれた。どれほどの苦境に立たされても、私がくじけずにいられたのは、マスミの存在あってこそだ。そして私だけでなく、そなたと関わった者は誰しも、その温かい心に救われたことだろう。ジュダやフィリッポ殿はもちろん、エレナら使用人たち、果ては、恨みと憎しみのみで生きてきた、王妃陛下でさえも。マスミ、そなたは私の理想的な伴侶であるだけでなく、このアルマンティリアに無くてはならない存在だ」
「陛下……」
じんと、胸が熱くなる。ルチアーノは軽く微笑むと、チェストの方へ向かった。取り出したのは、真純の父が贈った望遠鏡だった。
「せっかくだ。これで、鑑賞しよう」
「ニトリラまで持って来られたんですか?」
「ちょうど満月の時期だったからな。これを待っていたんだ」
すでに練習していたのか、ルチアーノは、慣れた手つきで望遠鏡をセットした。先に見ろと言うので、真純からレンズをのぞく。美しい満月が間近に見えて、真純は感嘆のため息を漏らした。
「どうだ、よく見えるか?」
「ええ。不思議ですね。僕らの世界で見ていた月と、変わりません」
「さようか」
交代で、ルチアーノが望遠鏡の前に座る。彼は、しばらく黙ってレンズをのぞき込んでいた。あまりに沈黙が続くので、真純は不安になった。
「あの、ちゃんと見えます?」
「……あ、ああ。すまない、心配させたな」
ルチアーノが、レンズから顔を離す。その表情は、意外にも憂いを帯びていた。
「幼少期を思い出したのだ。あの月の向こうには、見知らぬ世界が広がっているのかもしれない、といつも想像していたことを」
そこでルチアーノは、微笑した。
「まさに、その通りであった。月の向こうには、確かに異世界があった。そこから来てくれた一人の清らかな青年が、私を救い、荒んだ心を癒やしてくれたのだ」
ルチアーノは、真純の頬を撫でた。
「愛している、マスミ」
そこでルチアーノは、少しためらってから続けた。
「先ほどフィリッポ殿に、公私は分けると言ったが。正直、自信は無い。もしそなたが私より先に命を落とすようなことがあれば、誓いを破って蘇生魔法を使うかもしれぬ。それくらい、マスミは私にとって、必要不可欠な存在だ」
「ルチアーノ……」
どちらからともなく、唇が重なる。限りなく優しいキスだった。ひとしきり口づけを交わすと、真純は微笑んでいた。
「もう、キスをしても、体が熱くなることはありません」
「そうだな。呪いは解けた」
大きく頷くと、ルチアーノは、再び夜空を見上げた。
「碑文に刻んだ、最初の誓い。あれだけは、絶対に厳守する。魔法は、国と人々のためのものだ。この月にかけて、誓おう」
「僕も、誓います」
真純は、大きく頷いていた。全く、その通りだ。魔法とは、人を幸せにするためのもの。それで傷つく人間は、一人も出してはならない……。
輝かしい満月が、一国の将来を背負い立つ二人を、美しく照らし出していた。
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