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143 王妃専属護衛 後編
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サイカ様が陛下に嫁がれた翌日。
陛下と妃殿下の専属護衛騎士になった俺たち、総勢八十二名は守るべき尊い主であるお二人に挨拶すべく、謁見の間に集まっていた。
広い謁見の間、その上座にある二つの席に座るお二人を待つ間ももう緊張しまくりで…それは皆同じだったのだろう。
誰一人、小さな言葉すら発する事はなかった。
ちらりと全体を見回す。
…陛下と妃殿下の護衛に選ばれた騎士は元精鋭部隊以外にも大勢選ばれていたが…錚々たる顔ぶれだった。一部全然知らない奴なんかもいたけど。
今日から同僚になるんだな、と何だか不思議な気持ちになっていたその時、待ち人が現れる。
陛下と、陛下に手を引かれた妃殿下だ。
席の前に立ったお二人にザッ!っと礼を取り、席に座るお二人を見守った後、新たに護衛騎士として配属された俺たちの顔見せと就任の挨拶が始まった。
「リクテン騎士団団長、ダミアン。
そして陛下の専属護衛騎士に選ばれた三十五名が!御身を必ずお守り致します!」
『我らリクテン騎士団がお守り致します!!』
「エターリャ騎士団団長、カイル・ディアストロ。
それから…王妃殿下の、専属護衛騎士に選ばれた…四十五名が、御身を、必ず…お守りします…!」
『我らエターリャ騎士団がお守り致します!!』
陛下と妃殿下へ誓いの言葉と騎士の命に等しい剣を捧げる。
陛下は満足げに頷き、俺たちへの言葉を送った。
「元々精鋭部隊で俺の護衛をしていた者、それから今回、新たに専属護衛となった騎士たち。
そなたらが専属護衛騎士に選ばれたのは様々な理由からだ。
武功を立て実力を示してきた者、秀でた実績こそ残してはおらんが…仲間を助ける事に長けた者。そう…様々だ。」
『……。』
「護衛任務は一人では出来ん。
いや、何もかもがそうだな。一人で出来る事など少ない。
互いに競い合い、助け合い、支え合いながら職務に励んで欲しい。
俺からは以上だ。…サイカ、そなたも騎士たちに言葉をかけてやれ。何、堅苦しいものである必要はない。ここには騎士たちしか呼んではおらんからな。」
「は、はいっ。」
おろおろとした様子の妃殿下は座っていた椅子から立ち上がり、陛下がそうしていたように一歩前へ出る。
とても緊張されているご様子だったが…そんなお姿も可愛くてつい表情が緩んでしまう。何なんだろうな。絶世の美女なのに小動物に見えるって。
組んだ両手を胸の前に。緊張と不安が混じった表情、雰囲気は大国の王妃としてはきっと相応しい態度ではないけれど、個人としては親近感が湧く。
そして頑張れ!妃殿下頑張れ!と応援したくなるお姿だった。
「み、みなしゃんの……こほん。」
噛んだ…だと?
やだ…すごく可愛い。何でそんなに可愛いんですか。ねえ。とっても緊張してるのが伝わってくる。頑張って、妃殿下超頑張って!
「…皆さんの誓いを聞いて、とても心強く思いました。
陛下と、私の護衛になった皆さんへ。
一つだけ、約束して欲しい事があります。」
妃殿下からの言葉はこうだった。
『死ぬな』とは言わない。万が一、危険な状況に陥った場合、同じ覚悟なら死ぬ覚悟よりも絶対に生き残ってやると、そういう覚悟を持って欲しい。
「きっと、置いていくよりも残される方が辛い。騎士は只でさえ命の危険が多くある…それだけ尊い職です。
陛下や私、国の為に命を懸ける覚悟があるなら、無様でもいい…何としても、生きて帰る事を優先して下さい。自分の為にも、大切な誰かの為にも。
貴方たち一人一人が、誰かにとって大切な存在なんですから。」
改めて優しい方だと思った。
騎士になって悔しい、やるせない思いをした事は何度もある。きっと俺だけじゃなく、誰もが同じ経験をしている。
“なんでうちの子が死んだんだ”
“夫は死んだのに、あんたらは何で生きてるの”
“妻の代わりにあんたたちが死ねばよかったんだ”
こういう言葉を何度も投げ掛けられ、聞いて、耐えてきた。
助けた命も多ければ助けられなかった命も多い。
妃殿下の言葉は…ぬるくて、甘い考えだと思うけれど、嫌だとは全く思わなくて。
ああ、俺たちも自分の命を大切にしていいんだな、と。この人はそれを、許してくれるんだな、と。酷く嬉しく思った。
専属護衛として初出勤の日。
幸運な事に初日から当番だったのだが…初日だろうと朝から地獄の鍛練はあった。
朝の指導はダミアン団長がいて…容赦なくしごかれた後は当然の如く体はくたくた。
だがしかし、天国はここにあった。
『おはようございます!妃殿下!!
本日から宜しくお願い致します!
妃殿下の御身に危険が及ばぬよう、我々がお守り致しますのでご安心下さい!』
「おはよう。皆朝から鍛練だったんでしょう?お疲れ様でした。
それから、宜しくお願いします。
あ、休憩はちゃんと取って下さいね!約束ですからね?」
『…はっ!!ありがとうございます…!!』
笑顔を浮かべながらの労りの言葉に朝から癒され…疲労は何処かへ消し飛んだ。不思議。これが妃殿下の力…え?何?妃殿下は癒しの力でも備わってるのか?
笑顔と言葉だけで相手を癒せる…すんごい力を持っているのか?とっても不思議。でも肉体も精神も凄く癒された。今日一日何があっても頑張れるそんな予感しかない。
妃殿下の護衛は城の中だけであるなら五人一組が担当し、帝都内の外出であれば十人に増え、帝都から出る事になれば更に数は増える。
城の中だけだとしても、妃殿下程の美貌の持ち主。何もないと考える方がおかしい。
実際に妃殿下はまだ陛下の婚約者だった頃…といってもそれ程前のことじゃないが、ベルナンド元侯爵、バロウズ元伯爵と…有り得ない相手、リスティア連合国の元王太子に浚われているんだ。あのクソッタレどもめ!!
それに…娼婦だった頃に襲われてもいる。あの事件についてはダミアン団長とカイル団長、そしてクライス邸までお供した俺たち六人の騎士しか知らないし今後も他の騎士たちが知る事はない。否、絶対に知られてはならない事だ。
殴られ、腫れた口許と頬。手と足も怪我され陛下に抱えられている姿がとても痛々しく見えて…か弱い女性を殴るなど、ありえん。ファニーニのクソッタレめ!!
そんな目に合っても周りを気遣い、労っていた妃殿下の優しい人間性がもう尊すぎて好きしかないだろ。いっぱい好き。生涯お守りしたい。いや絶対お守りする。
話が逸れたが…妃殿下はこうして国内外から狙われている可能性があるので護衛の人数も多いに越した事はないし、護衛騎士たちのやる気も非常に高いわけだ。
とは言え今日の妃殿下は特に出掛ける様子もなく、自室で政務に励んでいらっしゃる為、俺たちは部屋の前で待機するくらいしか仕事がないのだが…だとしても警戒は怠ってはいけない。
部屋の前で待機して三時間。…何の用か知らないが城に勤めている貴族たちが妃殿下の部屋近くまでやって来ては俺たちを見て帰って行く。
…まさかとは思うが…もしかして、ちょっとでも妃殿下に会えたらな…とか考えているんじゃないだろうな。ええ?ばったり遭遇しないかな…なんて考えてんじゃないだろうな。あん?邪な事考えてんじゃねーぞ、だ。
「…おい、今ので八人目だぞ。」
「…来た時と帰りの落差が激しくて笑いそう。」
「すぐ帰って行くの止めてほしい。あんなの見たら笑うわ。」
「俺たちの姿見て“やべ、いる…!”って顔止めてくれ…全員おんなじ顔してしょんぼりして帰ってくのこれ以上続いたら耐えられん。自信ない。」
「…ラッキーイベントを狙ってるんだろうな…あれ。あわよくば妃殿下とお喋りなんか出来ちゃったり、とか期待してたんだろうな。いやさせねーよ?」
「身分はあっちが上だろうけど…仕事しろよって思っていい?」
「大丈夫だ。ここにいる皆が同じ事思ってる。」
この階には陛下と妃殿下が使用する寝室や執務室しかない。
だからまあ…野郎どもの目的は妃殿下の可能性が非常に高いわけで…というか俺たちの姿を見てすぐ帰ってるんだからもう妃殿下が目当てなわけで……うん、やはり警戒は怠ってはならない!!
この後も暫く同じような事が続き…来る奴来る奴に“何しに来たんだ?ああん?”と視線を送り続けていると、妃殿下がいる執務室のドアが開き、妃殿下がお姿を見せた。
「ご苦労様です。ずっと立ちっぱなしなのは疲れませんか?」
「いいえ!大丈夫です!!」
「ええ!慣れておりますから!!」
「どうかご心配なく!!」
「我々を気遣って下さりありがとうございます!!」
「妃殿下はご休憩ですか?」
「ええ。集中力が途切れてしまって…。庭園を散歩しながら気分転換でもしようかと。」
『お供致します!!』
「はい、お願いします。」
にっこりと…万人を虜にしそうな笑みを浮かべた妃殿下が俺たちの前を通り過ぎる。……え?待って。妃殿下すごくいい匂いするんだが…?妃殿下…もしかして花の女神では?花がいっぱいある城の庭園と同じ匂いがするんだが?いっぱい好き。胸がドキドキする。
「…おい、鼻の下伸びてるぞ。」
「すげースケベな顔してんぞ。」
「それお前らもだから。」
「でも仕方ないと思う。」
「仕方ない。だってすごくいい匂いする…。」
小声でぼそぼそ話していると妃殿下の後ろを歩いている専属侍女たちにじろりと睨まれてしまったんだが…ちょっと待って欲しい。侍女たちもうっとりした表情してるのに何で睨まれたんだ?これが男女の差ってやつなのか?差別では?
「妃殿下ぁ、庭園でお茶など如何でしょうかぁ?」
「それはいいな。妃殿下、天気もいいですしきっと良い気分転換になりましょう。」
「それがいいですよー!仰って下さればすぐお茶の準備しますからー!!」
「うーん…そうね…皆も付き合ってくれると嬉しいんだけど。」
「私たちは妃殿下の侍女ですから…そういうわけには参りません。」
「でも一人だと寂しいじゃない。
皆でお茶を飲みながらお喋りしたいんだけどなぁ。」
「……ですが…」
「ヒルダ。妃殿下がこう仰っているのですから、良いではありませんか。
わたくしたちのお役目は妃殿下のお世話もそうですけど、妃殿下が楽しく、心穏やかに過ごして頂く事が一番のお役目ですわ。」
「そうよぉ。妃殿下のお誘いは私たちにとってもご褒美じゃなぁい。」
「そうは言うがラスティ、カルラ、侍女が妃殿下と供にお茶をするなど…面倒くさい奴らは色々言ってくるぞ。」
「ミーシャの言う通りです。
私たちの事はどう言われようと今更構いません。ですが妃殿下についてあれこれと言われるのは許せません。」
「むー…。それを言われるとなー。」
「私は別に気にしないし放っておけばいいと思う。
それに…私、貴族令嬢の友人がいないの。でも皆は侍女だけど貴族の令嬢でしょう?
侍女としてもだけど、友人としても縁を深めたいって思うんだけどな。」
「妃殿下…!ご友人だなんてそんな、畏れ多い…!」
「じゃあこう言うね。“私がそう望んでるの”」
『…妃殿下…!』
そう。妃殿下は生まれながらの貴族令嬢じゃない。
娼婦からクライス侯爵令嬢へ。この場にいる奴でそれを知っているのは俺だけだ。
妃殿下が娼婦だった過去を知っている俺たちには、陛下から箝口令が出されている。破れば厳罰。最悪の場合は死を覚悟すべきだろう。当然だし、万が一他の誰かに知られてしまえば妃殿下の立場がどうなるか分からない。
素晴らしい方を国母に頂いたんだ。そんな事するわけがない。
事情を知っている俺たちは妃殿下の“設定”を団長たちから聞いた。
妃殿下は生まれながらの貴族。亡きベラトーニ伯爵夫妻の一人娘。
ベラトーニ伯爵家はこの国に生まれたなら誰もが知っている英雄の家だ。
初代ベラトーニ伯爵の活躍があって、大国への足掛かりを得たと言ってもいい。
ベラトーニ伯爵を名乗る男たちは勇猛で優しく、また公平だった。
ベラトーニ伯爵婦人を名乗る女たちは優しく、愛情深い者が多かった。
民を愛し、民を大切にした分、民から愛され、民から大切にされる家。
なるほど。妃殿下にぴったりな家柄だとその時皆で納得したもんだ。
妃殿下はその美しさから幼少期に誘拐され、以後はそれを警戒し家で大切に守らてきたのだが…ベラトーニ伯爵夫妻が亡くなり、誘拐された過去を恐れた使用人夫妻が伯爵家から連れ出し、人目に付かない場所で暮らしていた所、妃殿下をずっと探していたクライス侯爵に引き取られた…というのが設定だ。
貴族令嬢の友人がいないというのも嘘じゃない。
「失礼。貴女方は侍女でもあるけど、元々高位貴族のご令嬢だろう?
別に妃殿下のご友人になってもおかしくないんじゃないか?」
『………。』
「そうそう。言いたい奴には言わせておけばいいと思う。
何より妃殿下が望まれてるんだし。」
「嫌じゃないんだろ?」
「嫌なはずありません!」
「そうよぉ。失礼なことを言わないで頂戴?」
「じゃあ受け入れたんでよくない?」
「…しかし、私たちが妃殿下の友人など……私たちの見目は、こんなだ。
一緒にいれば妃殿下が何を言われるか、」
「そうですわね…。只でさえ、わたくしたちの容姿は色々言われる容姿ですもの。…妃殿下が嫌な思いをするのは、耐えられませんわ…。」
「あのなぁ…何か言ってくる奴の方がおかしいだろ。友人ってのは見た目とか家柄で選ぶものか?そうじゃないだろ。
それに、あんたらは自分の事卑下してるけどさ、俺は良いと思うぞ。あんたら。」
ぽかんとする侍女たち。
確かに彼女たちの容姿は世間一般に醜いと言われる容姿だ。
「直接こうして話すのは今日が初めてだけどな。
でもあんたらの顔は知ってた。これでも元精鋭だ。あんたらが仕事してる姿は何度か見かけた事がある。」
表情を変える事なく仕事をしていた彼女たちを見た時は失礼ながら“ないな”と思った。
暗く、つまらなそうな表情は彼女たちの容姿をもっと悪い方に見せていたんだ。
でも、あの時とは違う。妃殿下の言葉に照れたり、嬉しそうに笑ったり。
そんな今の彼女たちを、俺は素直に可愛らしいと思った。
「あん時と今で表情全然違うぞ。
笑った顔、結構可愛いって思う。」
「そうそう、俺も同じ事思った。」
「醜いって言うけど気にならないよなー。気にしすぎなんじゃね?」
護衛が口々にそう伝えると、侍女たちは顔を赤くさせこっちを睨んでくる。
いや、世辞とかでもなく普通に可愛いと思うぞ。本当に。
「ふふ、騎士の人たちが言ってくれたけど…ヒルダ、ラスティ、カルラ、ミーシャ、エヴァン、それに今日お休みのアリアも。言いたい人たちには言わせておけばいい。もし、私の前で文句を言う人たちがいたらその時はこう言ってやるの。
“私が友人になりたいと思ったから友人になったの。何か文句ある?”って。」
『……。』
「私は皆と友人になりたい。…駄目?」
「い、いいえ…!駄目なはずがありません…!畏れ多くも、嬉しいと、…そう、心から思います…!」
庭園での休息は俺たち護衛騎士も紅茶を渡され、一緒に楽しく、賑やかに過ごした。
侍女たちを見る妃殿下の表情はとても優しく、そして嬉しそうでもあった。
夜勤の騎士と交代し、書類仕事を終えて今日当番だった奴らと酒場へ。
話は当然、妃殿下の事と今日の初出勤についてだ。
「はぁ…楽しい仕事だったな…。」
「ああ。一日終わるのが早く感じた…。」
「なあ。」
「ん?」
「お前ら、あんな事言う奴らだったか?」
「何が?」
「侍女たちの事。一つ聞いていいか?
可愛いって言ったの、あれは本音か?」
そう言われて考える。
あの時言った言葉は嘘偽りなく本音だった。
「本音だった。普通に可愛いって思った。」
「俺も。」
「俺も周りが言う程醜いとも不細工とも思わなかった。」
「ふぅん。」
質問した奴は不思議そうな顔をして俺たちを見る。
なんだなんだと思っているとこう返ってきた。
「いやさ、お前は兎も角…お前はそういうんじゃなかったなって。
物事をはっきり言うし、言い方もキツい所があったろ?ましてフォローするような奴じゃなかった。」
あー、そう言われればそうか。
言われて思い返せば確かに、と思う。
「…優しいのは、最強だなと思ったんだよな。」
「はい?」
「優しいにも人を駄目にする優しさと、人を良くする優しさがあるのに気付いた。」
『………。』
「妃殿下のは、人を良くする優しさで…なんつーかさ、見習うべき部分だなって思った。
妃殿下の言葉で嬉しくなったり、すごいやる気になったり、気持ちが前向きになったりさ。言葉って、すげーなって。」
「あー…、うん。分かる。」
「勿論、そこに“心”が込もってないと良い言葉は意味を成さない。心の込もってない良い言葉には感動もしないし、喜びもないから。
でも心の込もった良い言葉は、すげー力を発揮するんだ。」
「ああ…言いたい事、何となく理解したわ。そうだよな…あの女の周りにいる奴ら、幸せそうな顔してるもんな。楽しいとか、嬉しいとか、いい感情出てる。実際、今日の仕事すごい楽しかったし。楽とかじゃないんだよ、楽しかったんだ。」
「確かに。嫌な事より良い事の方がいい。暗いより明るい方がいい。居心地が悪いより居心地が良いのがいい。環境が悪いより良い方がそりゃいいに決まってる。
機嫌悪い奴の側にいるとこっちも嫌な気持ちになるし、鬱々をしてる奴の側は同じように鬱々する。」
「だから思ったんだよ。妃殿下の周りが明るいのは、妃殿下自身が作り上げたものだ。
優しいは嬉しい。認められ、必要とされれば人は大きく成長する。あの侍女たちがそうだし、陛下もそうだ。カイル団長もそうじゃないか?
カイル団長も陛下も、あんな穏やかな顔をする人じゃなかった。」
怒るのは疲れる。疲れるけど誰にでも出来る。
相手を思って怒る事は難しい、でも、ただ自分の鬱憤を晴らす為とか、八つ当たりで怒るのは誰にでも出来る。
俺はどちらでもなかった。ただ、どうでもよかったのと、出来ない奴や能力の低い奴を見下していたのが大きい。
下の連中を誉める事はしなかった。厳しく接した後、フォローする事もなかった。
「まだ精鋭に入ってない時、指導した奴がいたんだ。
そいつはまあ…出来が悪い奴でさ。
何度指導しても覚えが悪かった。」
「あー、いるいる。」
「でも、そうじゃないだろうって思った。俺だって団長たちみたいに元々剣の才能があったわけじゃないし物覚えもそうよくはない。ただ運が良かったんだ。才能も、努力の仕方も、成長も物覚えも人それぞれで…俺は…俺が、あいつを出来の悪い奴にしたんだって気付いた。」
『………。』
「悪い所ばかりを見て、何故直らないんだと叱るばかりだった。
出来ない事ばかりに目がいって、出来た事を一つも誉めたりしなかった。
見習い時代、似た事が俺自身にあって…不思議だよな。怒られないようにしようとすればする程、失敗するんだ。
それでまた、気落ちする。出来ない自分が嫌になって、自信なんて一つもなくなっていくんだ。」
妃殿下と接する内に、その事をよく思い出すようになった。
自分の事、後輩の事。
俺は厳しくはするが、優しくはしなかった。
怒りはするが、誉めはしなかった。
悪い所ばかりを言うが、良い所は一つも言わなかった。
でもあの女は違った。
悪い所より良い所を、怒るよりも誉める事を、厳しさもありながら、でも優しい。
その違いは明らかだったんだ。
「他者に礼を尽くし、何事にも感謝する。厳しさの中にも優しさと、労りの心を持てば…人は、良い方向へ変われる。
陛下、侍女、カイル団長がいい例だ。
それに、良い環境を作れる。だからあの女の周りには、差別がない。知ったからだ。その世界が、どれだけ素晴らしく…平和であるか。」
「なるほど。だから“優しいのは最強”なわけだ。…確かに。確かにそうだな。」
「勿論、怒らなければならない時も、厳しくしなくてはならない時もある。
でもそこに、“相手を思う気持ち”がなくては俺にも相手にも意味がない。八つ当たりのような怒りや厳しさは、悪い事ばかりだと…そう学んだんだ、妃殿下から。
…気付いたから、今日も自然と言葉が出た。」
本当に楽しい、充実した勤務時間だった。
嫌な気持ちなんて一つも湧かず、勤務が終わってしまう事が残念と思うくらいに。
笑顔で終える仕事は特別にいいものだ。
「楽しく仕事が終わって、お前らと話しながら旨い飯を食って、旨い酒を飲んで。これって最高に幸せな事だよな。」
『間違いない!』
妃殿下に乾杯!全然疲れてないけどお疲れ!と同僚の一人が言い、俺たちは笑いながら乾杯!と言葉を返し、改めて妃殿下の美しさや可愛さ、尊さを語り合いながら朝まで盛り上がった所で…酒場の営業時間を過ぎてしまい店主に追い出されるようにして騎士寮へ戻るのだった。
陛下と妃殿下の専属護衛騎士になった俺たち、総勢八十二名は守るべき尊い主であるお二人に挨拶すべく、謁見の間に集まっていた。
広い謁見の間、その上座にある二つの席に座るお二人を待つ間ももう緊張しまくりで…それは皆同じだったのだろう。
誰一人、小さな言葉すら発する事はなかった。
ちらりと全体を見回す。
…陛下と妃殿下の護衛に選ばれた騎士は元精鋭部隊以外にも大勢選ばれていたが…錚々たる顔ぶれだった。一部全然知らない奴なんかもいたけど。
今日から同僚になるんだな、と何だか不思議な気持ちになっていたその時、待ち人が現れる。
陛下と、陛下に手を引かれた妃殿下だ。
席の前に立ったお二人にザッ!っと礼を取り、席に座るお二人を見守った後、新たに護衛騎士として配属された俺たちの顔見せと就任の挨拶が始まった。
「リクテン騎士団団長、ダミアン。
そして陛下の専属護衛騎士に選ばれた三十五名が!御身を必ずお守り致します!」
『我らリクテン騎士団がお守り致します!!』
「エターリャ騎士団団長、カイル・ディアストロ。
それから…王妃殿下の、専属護衛騎士に選ばれた…四十五名が、御身を、必ず…お守りします…!」
『我らエターリャ騎士団がお守り致します!!』
陛下と妃殿下へ誓いの言葉と騎士の命に等しい剣を捧げる。
陛下は満足げに頷き、俺たちへの言葉を送った。
「元々精鋭部隊で俺の護衛をしていた者、それから今回、新たに専属護衛となった騎士たち。
そなたらが専属護衛騎士に選ばれたのは様々な理由からだ。
武功を立て実力を示してきた者、秀でた実績こそ残してはおらんが…仲間を助ける事に長けた者。そう…様々だ。」
『……。』
「護衛任務は一人では出来ん。
いや、何もかもがそうだな。一人で出来る事など少ない。
互いに競い合い、助け合い、支え合いながら職務に励んで欲しい。
俺からは以上だ。…サイカ、そなたも騎士たちに言葉をかけてやれ。何、堅苦しいものである必要はない。ここには騎士たちしか呼んではおらんからな。」
「は、はいっ。」
おろおろとした様子の妃殿下は座っていた椅子から立ち上がり、陛下がそうしていたように一歩前へ出る。
とても緊張されているご様子だったが…そんなお姿も可愛くてつい表情が緩んでしまう。何なんだろうな。絶世の美女なのに小動物に見えるって。
組んだ両手を胸の前に。緊張と不安が混じった表情、雰囲気は大国の王妃としてはきっと相応しい態度ではないけれど、個人としては親近感が湧く。
そして頑張れ!妃殿下頑張れ!と応援したくなるお姿だった。
「み、みなしゃんの……こほん。」
噛んだ…だと?
やだ…すごく可愛い。何でそんなに可愛いんですか。ねえ。とっても緊張してるのが伝わってくる。頑張って、妃殿下超頑張って!
「…皆さんの誓いを聞いて、とても心強く思いました。
陛下と、私の護衛になった皆さんへ。
一つだけ、約束して欲しい事があります。」
妃殿下からの言葉はこうだった。
『死ぬな』とは言わない。万が一、危険な状況に陥った場合、同じ覚悟なら死ぬ覚悟よりも絶対に生き残ってやると、そういう覚悟を持って欲しい。
「きっと、置いていくよりも残される方が辛い。騎士は只でさえ命の危険が多くある…それだけ尊い職です。
陛下や私、国の為に命を懸ける覚悟があるなら、無様でもいい…何としても、生きて帰る事を優先して下さい。自分の為にも、大切な誰かの為にも。
貴方たち一人一人が、誰かにとって大切な存在なんですから。」
改めて優しい方だと思った。
騎士になって悔しい、やるせない思いをした事は何度もある。きっと俺だけじゃなく、誰もが同じ経験をしている。
“なんでうちの子が死んだんだ”
“夫は死んだのに、あんたらは何で生きてるの”
“妻の代わりにあんたたちが死ねばよかったんだ”
こういう言葉を何度も投げ掛けられ、聞いて、耐えてきた。
助けた命も多ければ助けられなかった命も多い。
妃殿下の言葉は…ぬるくて、甘い考えだと思うけれど、嫌だとは全く思わなくて。
ああ、俺たちも自分の命を大切にしていいんだな、と。この人はそれを、許してくれるんだな、と。酷く嬉しく思った。
専属護衛として初出勤の日。
幸運な事に初日から当番だったのだが…初日だろうと朝から地獄の鍛練はあった。
朝の指導はダミアン団長がいて…容赦なくしごかれた後は当然の如く体はくたくた。
だがしかし、天国はここにあった。
『おはようございます!妃殿下!!
本日から宜しくお願い致します!
妃殿下の御身に危険が及ばぬよう、我々がお守り致しますのでご安心下さい!』
「おはよう。皆朝から鍛練だったんでしょう?お疲れ様でした。
それから、宜しくお願いします。
あ、休憩はちゃんと取って下さいね!約束ですからね?」
『…はっ!!ありがとうございます…!!』
笑顔を浮かべながらの労りの言葉に朝から癒され…疲労は何処かへ消し飛んだ。不思議。これが妃殿下の力…え?何?妃殿下は癒しの力でも備わってるのか?
笑顔と言葉だけで相手を癒せる…すんごい力を持っているのか?とっても不思議。でも肉体も精神も凄く癒された。今日一日何があっても頑張れるそんな予感しかない。
妃殿下の護衛は城の中だけであるなら五人一組が担当し、帝都内の外出であれば十人に増え、帝都から出る事になれば更に数は増える。
城の中だけだとしても、妃殿下程の美貌の持ち主。何もないと考える方がおかしい。
実際に妃殿下はまだ陛下の婚約者だった頃…といってもそれ程前のことじゃないが、ベルナンド元侯爵、バロウズ元伯爵と…有り得ない相手、リスティア連合国の元王太子に浚われているんだ。あのクソッタレどもめ!!
それに…娼婦だった頃に襲われてもいる。あの事件についてはダミアン団長とカイル団長、そしてクライス邸までお供した俺たち六人の騎士しか知らないし今後も他の騎士たちが知る事はない。否、絶対に知られてはならない事だ。
殴られ、腫れた口許と頬。手と足も怪我され陛下に抱えられている姿がとても痛々しく見えて…か弱い女性を殴るなど、ありえん。ファニーニのクソッタレめ!!
そんな目に合っても周りを気遣い、労っていた妃殿下の優しい人間性がもう尊すぎて好きしかないだろ。いっぱい好き。生涯お守りしたい。いや絶対お守りする。
話が逸れたが…妃殿下はこうして国内外から狙われている可能性があるので護衛の人数も多いに越した事はないし、護衛騎士たちのやる気も非常に高いわけだ。
とは言え今日の妃殿下は特に出掛ける様子もなく、自室で政務に励んでいらっしゃる為、俺たちは部屋の前で待機するくらいしか仕事がないのだが…だとしても警戒は怠ってはいけない。
部屋の前で待機して三時間。…何の用か知らないが城に勤めている貴族たちが妃殿下の部屋近くまでやって来ては俺たちを見て帰って行く。
…まさかとは思うが…もしかして、ちょっとでも妃殿下に会えたらな…とか考えているんじゃないだろうな。ええ?ばったり遭遇しないかな…なんて考えてんじゃないだろうな。あん?邪な事考えてんじゃねーぞ、だ。
「…おい、今ので八人目だぞ。」
「…来た時と帰りの落差が激しくて笑いそう。」
「すぐ帰って行くの止めてほしい。あんなの見たら笑うわ。」
「俺たちの姿見て“やべ、いる…!”って顔止めてくれ…全員おんなじ顔してしょんぼりして帰ってくのこれ以上続いたら耐えられん。自信ない。」
「…ラッキーイベントを狙ってるんだろうな…あれ。あわよくば妃殿下とお喋りなんか出来ちゃったり、とか期待してたんだろうな。いやさせねーよ?」
「身分はあっちが上だろうけど…仕事しろよって思っていい?」
「大丈夫だ。ここにいる皆が同じ事思ってる。」
この階には陛下と妃殿下が使用する寝室や執務室しかない。
だからまあ…野郎どもの目的は妃殿下の可能性が非常に高いわけで…というか俺たちの姿を見てすぐ帰ってるんだからもう妃殿下が目当てなわけで……うん、やはり警戒は怠ってはならない!!
この後も暫く同じような事が続き…来る奴来る奴に“何しに来たんだ?ああん?”と視線を送り続けていると、妃殿下がいる執務室のドアが開き、妃殿下がお姿を見せた。
「ご苦労様です。ずっと立ちっぱなしなのは疲れませんか?」
「いいえ!大丈夫です!!」
「ええ!慣れておりますから!!」
「どうかご心配なく!!」
「我々を気遣って下さりありがとうございます!!」
「妃殿下はご休憩ですか?」
「ええ。集中力が途切れてしまって…。庭園を散歩しながら気分転換でもしようかと。」
『お供致します!!』
「はい、お願いします。」
にっこりと…万人を虜にしそうな笑みを浮かべた妃殿下が俺たちの前を通り過ぎる。……え?待って。妃殿下すごくいい匂いするんだが…?妃殿下…もしかして花の女神では?花がいっぱいある城の庭園と同じ匂いがするんだが?いっぱい好き。胸がドキドキする。
「…おい、鼻の下伸びてるぞ。」
「すげースケベな顔してんぞ。」
「それお前らもだから。」
「でも仕方ないと思う。」
「仕方ない。だってすごくいい匂いする…。」
小声でぼそぼそ話していると妃殿下の後ろを歩いている専属侍女たちにじろりと睨まれてしまったんだが…ちょっと待って欲しい。侍女たちもうっとりした表情してるのに何で睨まれたんだ?これが男女の差ってやつなのか?差別では?
「妃殿下ぁ、庭園でお茶など如何でしょうかぁ?」
「それはいいな。妃殿下、天気もいいですしきっと良い気分転換になりましょう。」
「それがいいですよー!仰って下さればすぐお茶の準備しますからー!!」
「うーん…そうね…皆も付き合ってくれると嬉しいんだけど。」
「私たちは妃殿下の侍女ですから…そういうわけには参りません。」
「でも一人だと寂しいじゃない。
皆でお茶を飲みながらお喋りしたいんだけどなぁ。」
「……ですが…」
「ヒルダ。妃殿下がこう仰っているのですから、良いではありませんか。
わたくしたちのお役目は妃殿下のお世話もそうですけど、妃殿下が楽しく、心穏やかに過ごして頂く事が一番のお役目ですわ。」
「そうよぉ。妃殿下のお誘いは私たちにとってもご褒美じゃなぁい。」
「そうは言うがラスティ、カルラ、侍女が妃殿下と供にお茶をするなど…面倒くさい奴らは色々言ってくるぞ。」
「ミーシャの言う通りです。
私たちの事はどう言われようと今更構いません。ですが妃殿下についてあれこれと言われるのは許せません。」
「むー…。それを言われるとなー。」
「私は別に気にしないし放っておけばいいと思う。
それに…私、貴族令嬢の友人がいないの。でも皆は侍女だけど貴族の令嬢でしょう?
侍女としてもだけど、友人としても縁を深めたいって思うんだけどな。」
「妃殿下…!ご友人だなんてそんな、畏れ多い…!」
「じゃあこう言うね。“私がそう望んでるの”」
『…妃殿下…!』
そう。妃殿下は生まれながらの貴族令嬢じゃない。
娼婦からクライス侯爵令嬢へ。この場にいる奴でそれを知っているのは俺だけだ。
妃殿下が娼婦だった過去を知っている俺たちには、陛下から箝口令が出されている。破れば厳罰。最悪の場合は死を覚悟すべきだろう。当然だし、万が一他の誰かに知られてしまえば妃殿下の立場がどうなるか分からない。
素晴らしい方を国母に頂いたんだ。そんな事するわけがない。
事情を知っている俺たちは妃殿下の“設定”を団長たちから聞いた。
妃殿下は生まれながらの貴族。亡きベラトーニ伯爵夫妻の一人娘。
ベラトーニ伯爵家はこの国に生まれたなら誰もが知っている英雄の家だ。
初代ベラトーニ伯爵の活躍があって、大国への足掛かりを得たと言ってもいい。
ベラトーニ伯爵を名乗る男たちは勇猛で優しく、また公平だった。
ベラトーニ伯爵婦人を名乗る女たちは優しく、愛情深い者が多かった。
民を愛し、民を大切にした分、民から愛され、民から大切にされる家。
なるほど。妃殿下にぴったりな家柄だとその時皆で納得したもんだ。
妃殿下はその美しさから幼少期に誘拐され、以後はそれを警戒し家で大切に守らてきたのだが…ベラトーニ伯爵夫妻が亡くなり、誘拐された過去を恐れた使用人夫妻が伯爵家から連れ出し、人目に付かない場所で暮らしていた所、妃殿下をずっと探していたクライス侯爵に引き取られた…というのが設定だ。
貴族令嬢の友人がいないというのも嘘じゃない。
「失礼。貴女方は侍女でもあるけど、元々高位貴族のご令嬢だろう?
別に妃殿下のご友人になってもおかしくないんじゃないか?」
『………。』
「そうそう。言いたい奴には言わせておけばいいと思う。
何より妃殿下が望まれてるんだし。」
「嫌じゃないんだろ?」
「嫌なはずありません!」
「そうよぉ。失礼なことを言わないで頂戴?」
「じゃあ受け入れたんでよくない?」
「…しかし、私たちが妃殿下の友人など……私たちの見目は、こんなだ。
一緒にいれば妃殿下が何を言われるか、」
「そうですわね…。只でさえ、わたくしたちの容姿は色々言われる容姿ですもの。…妃殿下が嫌な思いをするのは、耐えられませんわ…。」
「あのなぁ…何か言ってくる奴の方がおかしいだろ。友人ってのは見た目とか家柄で選ぶものか?そうじゃないだろ。
それに、あんたらは自分の事卑下してるけどさ、俺は良いと思うぞ。あんたら。」
ぽかんとする侍女たち。
確かに彼女たちの容姿は世間一般に醜いと言われる容姿だ。
「直接こうして話すのは今日が初めてだけどな。
でもあんたらの顔は知ってた。これでも元精鋭だ。あんたらが仕事してる姿は何度か見かけた事がある。」
表情を変える事なく仕事をしていた彼女たちを見た時は失礼ながら“ないな”と思った。
暗く、つまらなそうな表情は彼女たちの容姿をもっと悪い方に見せていたんだ。
でも、あの時とは違う。妃殿下の言葉に照れたり、嬉しそうに笑ったり。
そんな今の彼女たちを、俺は素直に可愛らしいと思った。
「あん時と今で表情全然違うぞ。
笑った顔、結構可愛いって思う。」
「そうそう、俺も同じ事思った。」
「醜いって言うけど気にならないよなー。気にしすぎなんじゃね?」
護衛が口々にそう伝えると、侍女たちは顔を赤くさせこっちを睨んでくる。
いや、世辞とかでもなく普通に可愛いと思うぞ。本当に。
「ふふ、騎士の人たちが言ってくれたけど…ヒルダ、ラスティ、カルラ、ミーシャ、エヴァン、それに今日お休みのアリアも。言いたい人たちには言わせておけばいい。もし、私の前で文句を言う人たちがいたらその時はこう言ってやるの。
“私が友人になりたいと思ったから友人になったの。何か文句ある?”って。」
『……。』
「私は皆と友人になりたい。…駄目?」
「い、いいえ…!駄目なはずがありません…!畏れ多くも、嬉しいと、…そう、心から思います…!」
庭園での休息は俺たち護衛騎士も紅茶を渡され、一緒に楽しく、賑やかに過ごした。
侍女たちを見る妃殿下の表情はとても優しく、そして嬉しそうでもあった。
夜勤の騎士と交代し、書類仕事を終えて今日当番だった奴らと酒場へ。
話は当然、妃殿下の事と今日の初出勤についてだ。
「はぁ…楽しい仕事だったな…。」
「ああ。一日終わるのが早く感じた…。」
「なあ。」
「ん?」
「お前ら、あんな事言う奴らだったか?」
「何が?」
「侍女たちの事。一つ聞いていいか?
可愛いって言ったの、あれは本音か?」
そう言われて考える。
あの時言った言葉は嘘偽りなく本音だった。
「本音だった。普通に可愛いって思った。」
「俺も。」
「俺も周りが言う程醜いとも不細工とも思わなかった。」
「ふぅん。」
質問した奴は不思議そうな顔をして俺たちを見る。
なんだなんだと思っているとこう返ってきた。
「いやさ、お前は兎も角…お前はそういうんじゃなかったなって。
物事をはっきり言うし、言い方もキツい所があったろ?ましてフォローするような奴じゃなかった。」
あー、そう言われればそうか。
言われて思い返せば確かに、と思う。
「…優しいのは、最強だなと思ったんだよな。」
「はい?」
「優しいにも人を駄目にする優しさと、人を良くする優しさがあるのに気付いた。」
『………。』
「妃殿下のは、人を良くする優しさで…なんつーかさ、見習うべき部分だなって思った。
妃殿下の言葉で嬉しくなったり、すごいやる気になったり、気持ちが前向きになったりさ。言葉って、すげーなって。」
「あー…、うん。分かる。」
「勿論、そこに“心”が込もってないと良い言葉は意味を成さない。心の込もってない良い言葉には感動もしないし、喜びもないから。
でも心の込もった良い言葉は、すげー力を発揮するんだ。」
「ああ…言いたい事、何となく理解したわ。そうだよな…あの女の周りにいる奴ら、幸せそうな顔してるもんな。楽しいとか、嬉しいとか、いい感情出てる。実際、今日の仕事すごい楽しかったし。楽とかじゃないんだよ、楽しかったんだ。」
「確かに。嫌な事より良い事の方がいい。暗いより明るい方がいい。居心地が悪いより居心地が良いのがいい。環境が悪いより良い方がそりゃいいに決まってる。
機嫌悪い奴の側にいるとこっちも嫌な気持ちになるし、鬱々をしてる奴の側は同じように鬱々する。」
「だから思ったんだよ。妃殿下の周りが明るいのは、妃殿下自身が作り上げたものだ。
優しいは嬉しい。認められ、必要とされれば人は大きく成長する。あの侍女たちがそうだし、陛下もそうだ。カイル団長もそうじゃないか?
カイル団長も陛下も、あんな穏やかな顔をする人じゃなかった。」
怒るのは疲れる。疲れるけど誰にでも出来る。
相手を思って怒る事は難しい、でも、ただ自分の鬱憤を晴らす為とか、八つ当たりで怒るのは誰にでも出来る。
俺はどちらでもなかった。ただ、どうでもよかったのと、出来ない奴や能力の低い奴を見下していたのが大きい。
下の連中を誉める事はしなかった。厳しく接した後、フォローする事もなかった。
「まだ精鋭に入ってない時、指導した奴がいたんだ。
そいつはまあ…出来が悪い奴でさ。
何度指導しても覚えが悪かった。」
「あー、いるいる。」
「でも、そうじゃないだろうって思った。俺だって団長たちみたいに元々剣の才能があったわけじゃないし物覚えもそうよくはない。ただ運が良かったんだ。才能も、努力の仕方も、成長も物覚えも人それぞれで…俺は…俺が、あいつを出来の悪い奴にしたんだって気付いた。」
『………。』
「悪い所ばかりを見て、何故直らないんだと叱るばかりだった。
出来ない事ばかりに目がいって、出来た事を一つも誉めたりしなかった。
見習い時代、似た事が俺自身にあって…不思議だよな。怒られないようにしようとすればする程、失敗するんだ。
それでまた、気落ちする。出来ない自分が嫌になって、自信なんて一つもなくなっていくんだ。」
妃殿下と接する内に、その事をよく思い出すようになった。
自分の事、後輩の事。
俺は厳しくはするが、優しくはしなかった。
怒りはするが、誉めはしなかった。
悪い所ばかりを言うが、良い所は一つも言わなかった。
でもあの女は違った。
悪い所より良い所を、怒るよりも誉める事を、厳しさもありながら、でも優しい。
その違いは明らかだったんだ。
「他者に礼を尽くし、何事にも感謝する。厳しさの中にも優しさと、労りの心を持てば…人は、良い方向へ変われる。
陛下、侍女、カイル団長がいい例だ。
それに、良い環境を作れる。だからあの女の周りには、差別がない。知ったからだ。その世界が、どれだけ素晴らしく…平和であるか。」
「なるほど。だから“優しいのは最強”なわけだ。…確かに。確かにそうだな。」
「勿論、怒らなければならない時も、厳しくしなくてはならない時もある。
でもそこに、“相手を思う気持ち”がなくては俺にも相手にも意味がない。八つ当たりのような怒りや厳しさは、悪い事ばかりだと…そう学んだんだ、妃殿下から。
…気付いたから、今日も自然と言葉が出た。」
本当に楽しい、充実した勤務時間だった。
嫌な気持ちなんて一つも湧かず、勤務が終わってしまう事が残念と思うくらいに。
笑顔で終える仕事は特別にいいものだ。
「楽しく仕事が終わって、お前らと話しながら旨い飯を食って、旨い酒を飲んで。これって最高に幸せな事だよな。」
『間違いない!』
妃殿下に乾杯!全然疲れてないけどお疲れ!と同僚の一人が言い、俺たちは笑いながら乾杯!と言葉を返し、改めて妃殿下の美しさや可愛さ、尊さを語り合いながら朝まで盛り上がった所で…酒場の営業時間を過ぎてしまい店主に追い出されるようにして騎士寮へ戻るのだった。
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