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130 サイカとマティアスの結婚

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雲一つない晴天だった。
晴れ晴れとした青空が、燦然と輝く太陽が、囀ずる鳥たちが、揺れる花々が、沢山の人々が二人を祝福していた。
大国、レスト帝国の若き皇帝、その二度目の結婚式。
二度目であるにも関わらず、否、一度目の時よりも人々は色めき立っていた。
聞こえてくるのは目出度いと言う沢山の声。レスト帝国万歳と言う沢山の声。
誰もが、何もかもが希望に満ち溢れている。
そんな様子だった。

結婚式当日。
マティアスとサイカはどちらかが先というわけでもなく、同時に目を覚ました。
互いに抱き締め合ったまま目覚めた朝。
ふ、と柔らかく頬を上げ、おはようと挨拶を交わした。
窓を開けると清々しいまでの朝の空気が室内を満たし、既に賑やかになっている町の様子を遠目から二人で見下ろす。
今日という日は最高の一日になるだろう。その確信があった。

「…名残惜しいが…後でな。」

「はい。また、後で。」

惜しむように口付けを交わした二人は一旦離れる。
サイカはディーノら、クライス家の一員と朝食を取りに。
マティアスは式の最終確認をする為に。勿論何度も確認はしたが、念には念を入れておかなくてはならない。
それほどに今日という日はマティアスにとって大切な日だからだ。
いつものように家族で朝食を取ったサイカは自室へ戻り、準備に取り掛かる。
支度を手伝うのはクライス家の使用人たち。
クライス家でいつもサイカの世話をしていたリリアナとレジーヌは過る様々な思い出を噛み締めながら…丹精込め、サイカを美しく変身させていく。
大好きなサイカが、常以上に、誰の目にもとびきり美しく写るように。
額に玉の汗を流しながら数時間掛けてサイカの支度が整うと、リリアナやレジーヌ、クライス家の使用人たちは感嘆の息を漏らす。
美しい、それはそれは美しい。美しいという言葉だけでは表現出来ない。
華美ではない純白のドレス。
がしかし、華美でなくとも、沢山の宝石を身に着けていなくとも、サイカはとんでもなく美しい。サイカ自身が宝石のようだと、そう、心から感じていた。

「旦那様たちをお呼びして来ます!」

元気よくレジーヌが部屋を去った後、リリアナは言葉を詰まらせながらサイカに伝える。

「…本当に、美しいです。お嬢様。
お嬢様の門出、祝いの日。…お手伝いが出来た事…嬉しく、…誇りに思います…。」

「ありがとう、リリアナ…。
今日も、いつも。本当にありがとう。」

「いいえっ…。とんでも御座いません…!私の方こそ、お礼を、……楽しく、幸せで御座いました…!
また、クライス家に戻られた時は、」

「うん。変わらず、宜しくね。」

「はい、…はい!勿論で御座います…!」

涙ぐむリリアナの姿に、サイカも泣きそうになったが懸命に堪え、笑顔を作る。
隣の部屋で待機していたディーノらは直ぐにやって来た。
姉さま、すごくきれい!!とはしゃぐのはサイカの弟になったウィル。
赤子のウィランを抱えた義母のルイーザも、本当に綺麗ねとウィルの言葉に大きく頷いた。
サイカもありがとうございます、と笑い、敬愛する義父、ディーノの言葉を待つもののいつも真っ先にサイカを誉めるディーノからの言葉がない。
サイカはどうしたことかとディーノに視線を移した…瞬間、驚いた。
一言も話さないディーノは、静かに涙を流していた。
じっとサイカを見つめ、止めることなく涙を流していたのだ。

「ディーノ…」

ルイーザが持っていたハンカチをディーノの頬に当てるとディーノは驚いたように自身の目元を触った。
無意識に出ているらしい涙に気付き、慌てたように拭う。

「すまない。……こう、胸にくるものがな、」

「…お義父様…」

「すまない。悲しいわけではないんだ。…サイカ、今日のお前は、とびきり綺麗だ。とびきり美しい。
流石、俺の娘だな。皆に自慢してやりたい気分だぞ。」

「ふふ…ありがとうございます、お義父様。」

「マティアスも見惚れ、惚れ直すだろう。今日のあいつは世界で一番幸せな男に違いない。
…サイカ…胸を張って、挑みなさい。
堂々と、胸を張って。…お前は、俺の自慢の娘だ。俺たちクライス家の、自慢の娘だ。」

「はい…!」

震える声でサイカに伝えるディーノ。
その瞳は、紛うことなく親の愛情、父親としての慈愛でいっぱいだった。

「さ、行こう。…余り待たせるとマティアスが煩い。」

「ふふ、…はい。」

マティアスとサイカ。
二人が夫婦の誓いを交わす礼拝堂へ、サイカは一歩一歩、確実に歩んでいく。
何度も練習した。予習もした。
大国、レスト帝国の国母になるサイカを、この国の貴族たち、他国の王族や貴族たちは品定めするように、見定めるように見るだろう。
そんな、誰もが緊張する状況の中でも失敗は許されない。
今日の式はマティアスとサイカ、二人の喜ばしい門出、その式ではあるが…ただの、二人の人間の、という訳にはいかないのだ。
マティアスは大国の王で、サイカはその、いと高き御身であるマティアスに嫁ぐのだから。
何度も練習した。この国の、王族の結婚式を、その知識を頭に叩き込んだ。

初めてこの国の、王族の結婚式について学んだ日、サイカはやはりこの世界が自分のいた日本、地球とは異なる世界なのだと改めて感じた。
それまでも何度かそう感じた事はあるものの、学生生活での授業で学んだような…古い歴史のものとも似ていたので“レスト帝国”という国も“ドライト王国”という国も、“リスティア連合国”という国も、学んだ記憶はないが過去の地球の、何処かにはあったのかも知れない、そんな風にも思った事がある。

でもやっぱり、“異世界”だったのだけど。
例えばそれは、世界地図を見たときに。
古い時代からあるだろう、エジプトやイタリア、ギリシャ…などなど、誰もがすぐ分かるであろう国の名前さえない。
いつの時代も、その時代時代の美醜がある。
現代日本では目鼻立ちのはっきりした、スラリとした女性がよくモテるけれど、平安時代では色白でふくよかで、切れ長の細い目で長い艶やかな黒髪の女性がモテたとか。
武家の時代は能面のような顔が理想的な美女の顔だったとか。
だけどサイカは、こんなあべこべな世界は他に知らない。

美男子と呼べる男の定義はものすごく太っていて、目も開いているのかそうでないのか分からない程細い一重で、鼻も口も大きな男性が最高に格好いい。
町にはぽっちゃり一重の男が殆どで、彼らは“普通の容姿”と呼ばれる男たち。
女は細く、目鼻立ちのはっきりした顔が美しい。同じくぽっちゃり一重は普通の容姿。美男子と呼ばれる男たちと同じような容姿は…醜女と呼ばれる。
だから太ってもおらず、筋肉質で目鼻立ちのはっきりした男のマティアスたちはこの世界では醜い容姿と嫌悪される存在で、太ってはいない標準体型、目鼻立ちも割りとはっきりしている女のサイカは絶世の美女と呼ばれている。
この世界…いや、このレスト帝国のことしかサイカは知らないけれど、サイカにはこの国の普通の容姿と呼ばれる人たち…主に他人は皆、同じ顔に見えてしまうし、男と女で美醜の定義が全く違うなんて、サイカはこの世界に来るまで聞いた事もなかった。

それに、それにだ。
王族の結婚式をサイカは知らないけれど、テレビや映画で見たちょっとした知識は持っている。
サイカの見たテレビ、映画の情報では婚礼行列なるものがあったし、そういうものがあるはずだから頑張らないとと身構えていたけれど、レスト帝国にはなかった。
結婚する二人が先頭を歩き、その後にずらりと王族や貴族が並んで歩く婚礼行列、そういったものはなくどちらかというと、レスト帝国の結婚式はサイカのいた日本の、神前式とか仏前式ではなく、教会式と概ね同じだった。
礼拝堂で待つマティアスの元へ義父であるディーノと共に向かい、ディーノからマティアスへ、サイカの身は送り届けられる。
父から夫となる男へ。
初夜のこともそうだ。
サイカが何処かで得た知識では処女じゃないといけないとか、初夜は監視されるとか破瓜の血を処女であった証明、初夜の証として誰かに見せるとか…そういった抵抗感しかない変なものもあったが当然、それもない。

もしも処女でなければならないなら、サイカは詰んでいる。
処女膜だって激しい運動をすれば破れる時もある。
そうでなくともサイカは一人遊びが好きだったから、既に処女膜などないのだが。
まあ、おかしな事も多々あるけれど、この異世界の…いや、レスト帝国の様々な事情はサイカにはありがたいものではあった。


「…サイカ、緊張しているか?」

気付けばもう、礼拝堂の前まで来ていたサイカは一気に緊張感を高めた。
そんなサイカの状況に気付いたディーノは、優しく笑い、大切な娘を気遣う。

「…すごく、緊張してます。」

サイカの言葉も、至極当然だった。
この中には大勢の人たちがいる。友人や知人、気の知れた人たちではなく、サイカを見定めるような視線を送るだろう、沢山の王族や貴族たちが。

「他を気にする必要はない。
失敗しても構わない。」

「…でも。」

「国の為だとか、マティアスや俺が恥をかかないようにだとか。
そんな下らない事は気にするな。」

「…下らないって…」

「だってそうだろう?
今日は、お前とマティアスの門出だ。
祝福すべき日で、喜ばしい日だ。
今日という日は二度と来ない。
何を気にする必要がある。…お前は、幸せを心に詰め込んで嫁ぐんだ。」

「……私と、マティアスの…」

「そうだ。どうしても周りが気になるというなら、マティアスだけを見ていろ。
お前を待つ、マティアスだけを見て歩くんだ。」

「…マティアスだけ…」

「そうすれば、きっと全て上手くいく。
一人で不安になるな。お前の隣に俺がいる。俺がサイカをマティアスに渡した後は、マティアスがお前の側にいる。
だから堂々と、胸を張って挑みなさい。」

重厚な扉が音を立てて開き、サイカは眩しさに目を細める。
広い礼拝堂にはかなりの数の招待客がいて、サイカが登場するなりざわめいて、サイカはたじろいでしまう。
けれど、ディーノがサイカの背を押した。
“マティアスだけを見るんだぞ”と、そう言って。
視線を上げればサイカの瞳にマティアスが写った。
黒の軍服に身を包んだマティアスが、澄んだ青い瞳でサイカを見つめていた。
射し込む日の光で金の髪が煌めいて、まるで美術品のように、耽美的なまでに美しい。

“早くおいで”“ここまでおいで”
そう、マティアスに言われているような気がした。
その瞳はサイカがマティアスからもらった宝石のようにキラキラとして、そしてサイカだけを見ている。
否、サイカしか、見ていない。
愛しいと、瞳でサイカへ伝えている気がして、サイカはマティアスが愛しくて堪らなくなった。

そうだ。今日はマティアスと私の結婚式。
嬉しい日で、幸せな日なんだ。
余計な騒音はサイカの耳から遮断された。
音もなく、サイカはマティアスだけを見つめ足を進める。
はやくマティアスの元へ行きたい。
近くで、マティアスの瞳に見つめられたい。
そう思いながら。

自分だけを見つめ歩むサイカに、マティアスは見惚れていた。
純白のウェディングドレス。
華美なものではないその質素なマーメイドドレスはサイカの華奢な体を際立たせて見える。
きっと、招待客たちは王族らしからぬその質素なドレスにも驚いたことだろう。
飾りも、殆どない。身に着けているのは最低限の宝石と、マティアスがサイカに贈ったサファイアのネックレスのみ。
けれど、他に余計なものがないからだろう。
余計なものがないから、より一層サイカの美しさが際立ってもいた。
コツ、とヒールの音が礼拝堂に響くたび、ほう、と誰かの息が漏れる。
純白のドレスに、サイカの黒髪がよく似合っていた。
白と黒、その対照的な美にも、目を奪われる。

天上におわす、一柱の女神が、マティアスの元へ。
美しく、心優しい一柱の女神が、マティアスの元へ。

誰も、最早声を発する事も出来なかった。
瞬きすら惜しむように、誰もがサイカに視線を送っていた。
誰も、サイカの質素なドレスを馬鹿にも出来なかった。
着飾らないサイカが、息を飲むほど美しくて。
それほどまで、今日のサイカは美しい。
何度もサイカと会ってきたマティアスでさえ、数秒、呼吸を止めてしまう程に。
神に、美に、命に、何もかもにサイカは愛されている。
そう、納得してしまうくらいに、今日のサイカは誰の目にも、とんでもなく美しく写った。

「…サイカ…」

「…マティアス。」

ディーノからマティアスへ。
サイカの身は委ねられた。
二人で司祭の前まで歩み、尊い誓いを交わした。
生涯、愛し抜く、その魂の誓いを。
マティアスがサイカを見れば、サイカはマティアスを黒い瞳に写し、微笑んだ。
大きな衝動を抑える事が出来ず、マティアスはサイカに口付ける。
誓いのキスは、この式では予定にない。
けれど、やっとサイカを自分の妻に出来た、その万感の思いを…マティアスは抑える事が出来なかった。
招待客のざわめきも、近くで見守っていたディーノやリュカ、サーファスの呆れたような眼差しも、何処かで見ているであろう、ヴァレリアやカイルの眼差しも気にならない。

今日という日を指折り数え、マティアスは待ったのだ。
サイカが自分の妻になるその瞬間を何度も夢に見て、目が覚め何度も落胆したのだ。
マティアスにとって長い、本当に長く感じた日々が、今日、ようやっと報われた目出度い日だった。

「…愛してる…出会った時から、愛してる、サイカ…。」

「愛してる、マティアス…。
私、嬉しい。すごく、嬉しい…幸せ…。」

目の前で何度も交わされる口付けに招待された王族や貴族たちは戸惑うけれど…けれど、目が離せないでもいた。
サイカが全身で幸せを伝えていたから。
その姿の何と美しいことかと、目が離せなかった。
無事に式典は終わり、マティアスとサイカが晴れて夫婦になった事を伝える為に二人は移動し、王宮のテラスへ出る。
二人が姿を現せば、わああ!!と、沢山の祝福の声が上がった。
本当に、本当に沢山の祝福の声。
嬉しくなって、サイカの瞳から一粒、涙が溢れるとその涙をマティアスが唇で拭う。
そして、そのまま口付けに。
それまでの割れんばかりの沢山の歓声は一気にしんと静まり返った。
何度も何度も角度を変えて、マティアスはサイカに口付ける。
ようやっと二人の唇が離れると、二人は幸せを詰め込んだような顔で笑い合った。

ああ、何と幸せそうな二人だろう。
天に、人々に祝福され今日、いと高き二人は結ばれたのだ。
強く愛し合い、心から愛し合い、二人は結ばれたのだ。
誰の目にも、マティアスとサイカが心から愛し合っている様子が伺えた。
番のようにぴたりと仲睦まじく寄り添い笑い合う二人は、この世の全ての幸せを詰め込んだように、全身で喜びを現しているではないか。
二人の、何と幸せそうなこと。
醜い容姿であるマティアスの姿が、多くの人たちには別人に見えた。
マティアスを愛し、マティアスから愛されるサイカは、言葉にしがたい程美しく写った。
愛し、愛された男女の、何と美しいことか。
これが祝福せずにいられるか。
瞬間、まるで大地が揺れるような歓声が沸き起こる。
多くの人が、その場にいた誰もが、マティアスとサイカの幸せを心から祝い、喜んだ瞬間だった。
その沢山の祝福にまた幸せを感じながら、二人は口付けを交わす。
冷やかすような者は誰もいなかった。

民たちへの披露目も終え、その後は自国の貴族、そして各国の王族や貴族らとの晩餐会。
マティアスとサイカの元へは沢山の権力者たちが列を成し、祝いの言葉が述べられていく。
ドライト王国の王子であるサーファスも、今回は是非にと積極的に参加していた。
リュカは兎も角、ヴァレリアやカイルは長々と話は出来ない。
例えサイカの婚約者であっても。
次から次へと祝いの言葉を伝えに並ぶ…いや、恐らくはサイカの姿を間近で見る為に並んでもいる招待客に、マティアスはいい加減うんざりとしていた。
やっと自分の妻になったサイカを、色を含んだ目で見られていい気分などしない。
半分程長蛇の列を消化した所でマティアスの我慢は限界を迎えた。

「…サイカ、顔色が優れないな。」

「…え?」

「疲れたろう?」

「…え、いえ、」

「疲れたろう?」

にこりと笑うマティアスの圧をサイカは察した。
これは、疲れたと言って欲しい…そういう事かと、サイカは察した。

「……疲れ…は、しましたけど、」

「ああ、それはいけない。
そなたの体はもう、そなた一人のものではないのだ。…体は労ってくれ。俺が心配になる。」

「あ、はい…。」

心底心配しています、といった顔のマティアスに、サイカは横抱きにして抱えられた。
妃殿下、大丈夫ですかと心配の声が沢山上がるが、ディーノらだけは呆れた視線を送る。
早く初夜に持ち込みたいだけだろ、と。マティアスの考えはお見通しだった。
きょとんとするサイカはこれからマティアスとの初夜イベントが待っていることを忘れてしまっている。

未だサイカを心配する声が上がる中、心配そうな顔を作りながらも、鼻唄でも歌い出しそうなくらい機嫌の良くなったマティアスは会場を後にしたのだった。
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