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108 結束 中編
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「さて。皆集まった所で紹介しよう。
この男はサーファス・イグニス・ドライト第四王子。
…この件に関して、強力な味方に成りうる存在と先に言っておく。」
「マティアス陛下よりご紹介預かりました…サーファス・イグニス・ドライトと申します。どうぞサーファスとお呼び下さい。」
マティアスに呼ばれたリュカ、ヴァレリア、カイルはサーファスが何故、この場にいるのか分からず訝しげな視線を送る。
同じくマティアスに呼ばれた騎士団団長のダミアンは…果たして自分がこの場にいていいのかと考えあぐねた。
第五の男に成りうる可能性がある存在でもあり、疎ましいといった穏やかではない視線を浴びる中、サーファスは優雅に微笑む。
「現状の報告といこう。
各々が知った情報をこの場で共有する。
少し、不味い状況になりつつあるのでな。」
一番に反応したのはリュカだった。
“不味い状況”
そのマティアスの言葉に心当たりがあった。
「…リスティア連合国か。」
「やはりリュカは知っていたか。何処まで掴んだ?」
「そう多くない。ただ、そうじゃないかという気持ちが大きい。」
「十分だ。皆に説明してくれ。」
「ああ。」
リュカは自分が得た情報をつぶさに伝える。
マティアスと仲違いしかけていると思ったベルナンドが取引を持ち出した事。
リュカの元へサイカを呼び出し、リュカの領地で拐う。そういった計画を企てている事。
仲間に引き込むのではなく、“逃げ道”としてリュカを利用しようとしている事。
ベルナンド邸に勤めている何人かの使用人を買収し情報を聞き出した所、リスティア連合国王太子の護衛を見た者がいた事。
それらを統合し考えた結果、ベルナンドはレスト帝国内にサイカを隠すのではなく、大国であるリスティア連合国に隠すのではないかと推測した事。
リスティア連合国まで関わっている事を知らなかったヴァレリアとカイルは眉間に深い皺を刻む。
もし、知らなければ。気付かなければ。
その状態でサイカが拐われ、リスティア連合国に連れて行かれでもしたら。
…サイカを、失ったも等しい事態になる。
そう察したからだ。
同じ席にいたダミアンなど、もう訳が分からない様子だった。
とんでもない事を聞いた気がする。
ベルナンドだけでなく、レスト帝国と同じく大国の、リスティア連合国の名前まで出てきた事が彼の思考を停止させていた。
「…此方の推測と差異はないな。」
「はい。クラフ公爵の話を聞いて、寧ろ確信が持てましたね。」
「ああ。リスティアの王太子が絡んでいると見た方がいいだろう…。」
マティアスとサーファス。二人が強く頷き合うのを見たリュカらは、疑問をぶつける。
「待て。…何故、“王太子”が絡んでいると?
護衛単独の可能性もあるし、王太子ではなく他の可能性もあるだろう。
それを何故、“王太子”だと断定した。」
その疑問は尤もで、リスティア連合国の王太子の護衛がベルナンド邸にいたとしても、そこに王太子本人が関わってるかまでは定かでない。
そうかも知れないという疑念はあるものの、断定するのは早いのではないか。
素直な疑問だった。
「勘、と言えばいいのだろうか。
リュカ。婚約式のリストを閲覧していた時、そなたは俺にリスティア連合国の王太子はどんな奴か聞いたな。」
「ああ、聞いた。…その時お前は“分からない”と僕に言った。でも穏やかで、物腰柔らかで弟妹たちにも慕われ悪い噂は聞かない…とも言っていた。はっきりと覚えている。」
「そうだ。民からの支持も厚い。
悪い噂はとんと聞かない。…だが、何となくそれだけではないと会うたび違和感もあった。
聞き及んでいる通りの優男ではない…そんな気がずっとあった。
対面した時、何とも言えない気持ち悪さをいつも感じていた。」
「俺も直接会った事はありません。
ですが…兄は何度も会う機会がありました。
兄は少し特殊な人間で…人の良し悪しを嗅ぎ取る能力があるというか。
まあ、その兄が、リスティアの王太子をよく思っていないので。」
「…まさかそれだけが理由か…?」
「そうなるな。」
馬鹿な。勘や憶測で決めつけるべきではない。
そうリュカは溜め息を吐く。
ヴァレリアも同じく、それだけでは断定出来ないと考えていた。
けれどカイルは違う。マティアスの勘、自分の勘、サーファスの兄の、直感。
そういった説明の付かない事が時に全くの的はずれではない場合もある。
「…俺は、そういう勘がよく働く時が、あるから…。言ってる意味、分かる。
悪意とか、嫌なものに囲まれて、生きてきた。
この人は、危ない、とか。そういうの、直感を感じる事、すごくある。」
「……。」
「生まれ持ったものと経験の差ですよ。
兄やディアストロ卿はもともと危機察知能力が高く備わっていたんだと思いますけどね。高く備わっていたものが、経験でより高まる。
陛下や俺は、恐らく経験が大きいでしょうから。」
「…それを言われるとな。
僕は…余り王族貴族の集まりには参加して来なかったし領地にいる事が多かった。」
「…私もそうですね…。必要でなければ参加しませんでしたし…参加しても、家族に守ってもらってばかりでしたから。」
「その説明のつかない直感も馬鹿には出来ません。
兄の直感は今の所外れた事はないですし、考える材料にはなったんで。
多分、だいぶイカれた男だと思いますよ。リスティアの王太子って。」
「何故そんな事が分かるんだ?」
「推測した結果、ですかね。
でもあくまで…俺の想像ですけど。」
人間、得手不得手がある。
元々得意なもの、苦手なもの。
各々に備わっている能力。見つける事が大変なもの。
伸ばせば伸ばす程、際立つ能力。
サーファスに備わっていた能力は“観察力”と“考察力”、そして“洞察力”だった。サーファス自身を守る為の能力でもあるそれは、多くの人たちから蔑まれる中磨かれ、研ぎ澄まされてきたもの。
観察し、見極め、相手に合わせた相応の対応をする事でサーファスは難を乗り越えてきた。
“友人”が出来たのも、この能力の恩恵だった。
「兄から聞いた話では王太子は良くも悪くも平凡なんです。弟妹は両親に似て容姿に恵まれている。…その中に、平凡な王太子が一人ぽつりといる所を想像して下さいよ。
……普通でいられると思います?」
『………。』
「醜くはないけれど、美しくもない。
普通な容姿である事は俺からすれば羨ましいとすら思うけど、…王太子以外の全員が容姿に恵まれていたら?
きっといつも比べられるでしょうね。
それって、ある意味俺たちと同じ状況だと思うので。
そんな中、気にせずいられますかね?王太子。」
「……気にせずにはいられません。私なら。
私も、ずっとそう思っていました。
家族の中で…私だけが異質だと。
私がいなければ、“普通”なのに、と。」
「ですよね。俺も同じ事を思った時があったし、よく分かる。
だから他で頑張るしかなかったんじゃないかな。
比べられないように、意地でも努力して掴んだ“王太子”っていう席に、しがみつくしかなかったんじゃないですかね。」
「…成る程…。容姿はどうにもならない。
弟妹たちの恵まれた容姿もどうする事も出来ない。出来る事は“品行方正”を演じる事。
容姿の代わりになるものを探したか。」
「思うに。プライドはすごく高いですよ。
弟妹たちには容姿は劣っているけど、だからって下に見られたくないんだ。
リスティアは必ずしも長子が国王にはならない。複数の兄弟がいた場合、能力で決める国です。
自分は弟妹たちのように容姿には恵まれなかった。普通の容姿で生まれてしまったから。」
長子だからと言って“王太子”という特別な席に座れるその確証もない。
始まりは平等ではなく、不利から始まった。
長子でなければまだ、仕方ないと思えた事もあっただろう。
権力のある家で、“一番最初に生まれた男児”その意味はとても大きいものだった。
「最初はね。純粋に“同じ”になりたいって気持ちだったと思うんです。
でもそんな“普通”じゃない環境で過ごしていたら、人間ってどこか歪むんですよね。
俺たちみたいに。
長男の呪いですかね。国王夫妻は男児が生まれてさぞ喜んだと思いますし。」
跡継ぎが生まれた。
その安堵感は大きい。生まれてからの両親、周りの期待も大きいかった。
けれど、そこに弟が生まれる。それも、恵まれた容姿で。
子供心に周りの大人たちの、自分と弟を見る目の違いを感じただろう。
自分の居場所を奪われる、その恐怖も大きかっただろう。
他の弟妹たちが醜い容姿であれば。自分と同じく普通の容姿であればまた違ったけれど、そうではなかった。
弟妹たち皆が自分の存在を脅かす。
本人たちにその気がなくとも、周りの態度で。
「イカれますよそりゃ。
努力して、周りから“王太子は素晴らしい方だ”と言われるようになった。
俺ならこう思う。ざまあみろって。俺はお前らより慕われてるんだって。
弟妹たちは自分を見下しているかも、何処かにそういう気持ちもあったと思う。
感じるのが優越感だとしたら、そのプライドはとても高い。」
「……サイカは、…何で…?何で、狙う?」
「欲しいから。俺も皆さんもそうじゃないですか。理屈じゃない。欲しいから欲しい。喉から手が出る程。
馬鹿な事をしてまで…まあそれとこれとはまた別ですけど。
欲深いんですよ、きっと。なまじ自分の力で欲求を叶えてきたから。高いプライドが変な自信付けたんですかね、多分。後、普通だから特別を求めてるんじゃないかな。サイカが手に入れば完璧。概ね手に入ったから。そんな感じかな?」
『………。』
しん、と静まり返る室内。
推測の域は出ない。あくまでもサーファスの想像、考察からのもの。
でも、だとしたら、だがしかし。
それが事実であるかも知れないとそんな考えも浮かぶ。
当たっているかも知れない、そう思う。
「俺の中では結構当たってるんじゃないかなと。そう思ってるんですけどね。
ま、そうかも知れないくらいに思っておいて下さい。」
にこにこと笑顔を崩さないサーファスに底の見えない恐ろしさを感じたリュカはこう思う。
何となく、何処かマティアスに似ていると。
「……話を戻す。
リスティアは俺とサーファス殿が何とかするとしてだ。
ベルナンドの方はどうだ。」
「それについては私とカイル殿が探っておりました。
ベルナンドの手の者が潜んでいる場所は既に特定しております。」
「ほう…。」
「…偵察も、済ませた…。
ベルナンドの領地に、いつくもある教会。
その内の一つが、組織の拠点。
他は、カモフラージュだった。真実と、嘘を上手く使ってる。」
「一つが拠点で残りは教会としてきちんと役割と果たしていたそうです。
そうする事で尚、教会には目が向かない。そういった狙いがあったのだと考えます。」
「…教会、地下で繋がってた。全部じゃなくて、いつくかの教会同士。それから、一部の教会と、ベルナンド邸。
教会同士は、多分…拠点がバレた時の、逃げ道だと、思う。ベルナンド邸に繋がってるのは、地下で、運ぶものがあるから。…例えば、人、とか。見られたら、まずいもの。
…リュカ、買収した使用人から、報告はなかった?」
「いや、地下があるとは報告になかった。
買収したのは側近ではないからな。そこまでは知らなかったのだと思う。」
「何処から“漏れる”か分からないから不特定多数に知らせる事はしないだろう。
ベルナンド邸には様々な人間が日々訪れていると報告にある。
……人に言えない楽しい遊びでもしているのだろうな。屑共が。」
それまで思考を止め、空気と化していたダミアンはカイルを見る。
ダミアンの視線に気付いたカイルは、小さく頷いた。
「手紙にあった、姉。多分、ベルナンド邸の地下に、いる。
ベルナンドと仲のいい人間の、“玩具”にされてると、思う。」
「…なら、早く助けねぇとな…。」
「でも…多分、無事…とはいかない。」
「俺たちにはその環境から助ける事しか出来ない。
…それでも、やらないよりマシだ。地獄を終わらせてやりたい。」
「ん。」
ヴァレリアはマティアスらの話を聞きながら悪い予感がしていた。
ベルナンドはどうとでもなる。自分たちが集めた証拠はベルナンドを罰する事が出来るものばかりだ。犯罪組織を匿っている事、それを足掛かりにすればベルナンド邸を調査する事が可能になる。そして、ベルナンド邸で行われているであろう悪行が明るみに出ればいくら侯爵とて極刑は免れない。
けれどそれは、ベルナンドのみが対象であり、リスティアは含まれない。
ならば、マティアスやサーファスはどうやってリスティア王太子を罰するつもりなのか。
…それが出来るのは現段階で一つしかない。
サイカを囮にして、王太子をあぶり出す…その方法しかない。
違っていて欲しい。きっと、他に方法があるはず。
僅かな希望にすがって、ヴァレリアはマティアスに訪ねた。
「……サイカを、囮とするのですか。」
「………。」
ゆっくりとマティアスの目が閉じられる。
悪い予感が当たってしまった。
けれどヴァレリアにも、他の方法など思いつかなかった。
「…王太子を罰するには、サイカが必要になる。
拐われたサイカが王太子の元へ。…現行証拠に頼る他ない。
…王太子とベルナンドは何かしら、以前から繋がりがあったのだろう。
ヴァレリア。バロウズについては調べたか?」
「…バロウズについては詳しくは…。
ベルナンドが教会を立てる際、バロウズが一部の資金を投資している事が分かり、…後はベルナンドさえ追えばよいと。…ベルナンドを捕らえる事が出来ればバロウズも捕らえる事が出来ると踏んでおりましたので…。」
「バロウズの領地は馬の繁殖地。
馬は必要だ。帝国内ではバロウズの他、繁殖に適した四つの領地で馬を育てている。
馬は帝国内のみならず、他国へも輸出しているのは当然知っているな?
バロウズ領で育った馬は駿馬ではないが長く走り続ける事が出来る。そういう馬が多い。」
「はい、勿論存じておりま………まさか。バロウズの商船を…利用していた…?」
「恐らくな。」
レスト帝国では人や物の入国、出国管理を導入している。
海を越える者、国境を越えてやってくる者、国を出るもの。
規制のない状況はあらゆる犯罪が横行してしまう。
管理をしていない場合、自国の情報はいとも容易く持ち出される事になるだろう。
また難民が制限なく押し寄せた場合は元々レスト帝国に住む民が苦労をする。
技術やレスト帝国の資源、あらゆるものが他国へ自由に渡ってしまう。
そういった状況にならない為の規制が必要だった。
かなりの手間ではあるが。
自国と他国を行き来するには個人、団体関わらず一人一人、氏名と何処へ行くか、どの程度の期間であるかを記載する事と“身分証”が必要となる。但し、付け加えるとこの“身分証”はレスト帝国から出る、レスト帝国に入るのに必要なもので、出入りをしないのであれば必要のないものである。つまりは自国から出ないのであれば全く必要ない。
身分証は現在、レスト帝国の民であれば住民台帳を基に作成され、他国から来た者であれば出入りの管理が出来ればいいので簡易的なものになる。但し、荷物などは入念にチェックされるが。
国と、国境や港を管理している所であれば発行可能。
氏名、行き先、期間、身分証は当然書き留められ、後々大きな差異や偽りなどがあれば罰せられる。
そういった厳しいものではあったが…それが商船である場合は少し違う。
商船である場合は荷物が何か、荷物の個数は都度管理されるものの、乗り合わせる作業員に関しては厳しく管理されない。
身分証ではなく、入出国許可証が発行され責任は商船、荷を管理する代表へ。つまり何か問題が起これば個人にではなく、荷や団体を管理をする大元に責任が問われる事となる。
対人と対組織では責任の重さが違ってくる。矛盾はあるものの、要は“人”と“組織”の信頼度の問題。個人の罪は横行しやすいが組織であればその責任の大きさからおいそれと罪を犯しはしないだろう……そういった古い考えのまま今に至っていた。
「ベルナンドは商売をしているが、他国へ輸出しているものはない。だがバロウズは他国へ馬を輸出する為の商船を持っている。馬は生き物だ。まとまった数を、とはいかない。
必要であれば都度出荷しているそんな状況であれば…王太子個人が入出国しているという記載もない。
あるのはバロウズの商船が出入りした記録だけだからな。
それがベルナンドであったとしても同じだ。」
『……。』
「そういう、古い体制はまだ多くある。
優先を考え後回しにしていたのが仇となった。ファニーニの件はまた別だったからな…。
今回の件で変える必要があると訴えればすぐ動けるだろうが。
……はあ。まだまだ、問題は山積みだな…。」
「っ、……申し訳ありません。そこまでの考えに、至りませんでした…!
バロウズが他国へ馬を輸出している…商船を持っている事を知っていたのに、」
「ヴァレリア、謝るな。責めているのではない。
リスティアの存在が出てこなければ俺も気付く事はなかった。
王太子とベルナンドにどんな接点があるのか…それを考えてこの可能性に気付いたんだ。
…王太子がベルナンド邸を訪れていたとしても記録がない。記録がないという事は証拠もない。恐らく護衛騎士の記録も。」
「……クラフ公爵が買収した使用人、それから俺が護衛騎士の姿を見たと証言した所で王太子の罪は問えませんしね。
関係ないと言われたらそれまで。護衛騎士の責任が問われるだけです。その前に消す事も出来る。
……だから、サイカの協力が必要になってくるんですよ。」
「……さっき、ヴァレリアが言った…囮。」
「……確かに。ベルナンドだけでは危険が残る。しかも相手はリスティアの王太子だ。他の国とわけが違う。
暫くは平和だろう。でも、同じ事が起こる…その可能性がある…そうなった時は今回以上に厳しい状況になるだろうな…。……だが…あいつを囮にするなど、僕には、」
「…そうだな。…抑止になり、止まってくれたままであるならいい。
だが今回のような企てがまた起こった時は向こうも俺たちに気付かれないように警戒しながら事を運ぶだろう。そうなってしまえば更にやりづらい。
……だが、他に案が浮かばない。」
「…正直俺も…他の方法が浮かばないですね…。
ベルナンド侯爵だけでなく、王太子もとなると…。
サイカに協力してもらう、それは少なからず彼女が危険な状態になる。そんな状況にいさせたくない。
でも今後の事を考えるとそうも言っていられない。
現に、サイカを狙う男がこうして出て来ているんですから。」
『………。』
サーファスの言う通りだった。
同じ事が起こらないとは断定出来ない。こうしてサイカを拐おうと計画が立てられているのだから。
サイカがこの世界にとってのごく普通の娘であればこんな事も起こらなかっただろう。
たらればの話は今のこの場では意味を成さない。
だって現に、サイカは危険の中にある。
「サイカを危険に晒したくない。それは陛下も皆さんも同じ気持ちでしょう。俺だって嫌だ。彼女という存在を危険の中に置いておきたくない。サイカには、毎日笑顔で過ごして欲しい。平凡で、平和な、普通の日常を過ごさせてあげたい。」
「……ん。……俺も、嫌だ…。囮でも、ベルナンドとか、王太子の側に、いさせたく、ない…。」
「だけどサイカがサイカである限り、サイカの容姿、サイカの性格が変わらない限り、似たような事はきっと起こりますよ。
ベルナンドだけを捕まえたって、一番大きな危険人物が残る。
大国同士が絡めば、よりややこしくなる。」
「……それは、理解しています…!ですが、…それでも、…それに、サイカは一度…娼館で恐ろしい思いをしたはずです…!
また似た思いをさせるなんて、そんな事…!」
「ウォルト卿。今、選択しなくちゃいけない時なんだよ。
今ある危険から守るか、今後の危険まで見通して守るか。どっちかなんだよ。
あの子は普通の女の子だ。でもこの世界じゃ異質で特別だ。
異質や特別は常に人の目や興味を引く。抑止は完璧じゃないといけない。やるなら徹底的に。サイカに手を出すなら、“死”を覚悟しろ、“全てを失う”覚悟をしろ。そう見せしめをしないと抑止の意味がない。それは貴族だけでなく……大国の王族も。それを、周囲に分からせる必要がある。俺たちの気持ちだけでは解決しない事もあるんだよ。」
「っ、」
「……サーファス殿の言葉は尤もだ。
だから……サイカ自身に委ねるしかない。こればかりは。
本当は、穏やかな日々を過ごさせてやりたい。だがこうなってしまった以上…そうは言っていられない。
サイカが怯え、拒んだならベルナンドのみを。
サイカが立ち向かう意思を見せたのなら……敵は徹底的に潰す。
皆、それでよいか。」
マティアスの言葉にリュカも、ヴァレリアも、カイルも俯いた。
俯いて、暫くの間悩み、そして最終的には小さく頷いたのだった。
「皆の意見が纏まった所で次に移る。
サイカの協力が得られた場合、そうでない場合の二つを想定して命令する。
協力が得られない場合、ダミアン、カイル率いる騎士団はベルナンド邸と犯罪組織の拠点となっている教会を制圧しろ。
ヴァレリアはベルナンド邸へ同行し不正の証拠があれば集めろ。
まずは組織の方から。捕らえたら合図を出し、次にベルナンド邸。万が一を考え、脱出経路に成りうる地下に人を割く事も忘れるな。」
「その場合僕はベルナンドの誘いを断ればいいな?」
「ああ。そしてサイカの協力が得られた場合だ。
カイル、お前がベルナンド邸と組織の両方を制圧しろ。
ダミアンは騎士団団長としての役割を果たしてもらう。
リュカ。お前はベルナンドの取引を受け、サイカに数名の兵を付けろ。
そしてサーファス殿、その時は…力添えを頼む。」
「勿論です。……多分、そうなるでしょうから。
陛下も皆さんもその予感があるんですよね?」
「……ああ。……サイカは協力すると言うだろう。そういう娘だ。そういう娘だから、尚、愛しい。……本当に、ままならない。
…リスティア連合国へは海を渡る必要がある。バロウズの商船が使われるだろう。
サーファス殿、そなたの意見が聞きたい。海を渡る間、サイカの身の安全は…。」
「…勘ですけど。多分、王太子に渡るまでは手は出されない。
王太子の協力を得るなら彼らの間にも“取引”が成されたはず。
王太子が有利になる取引が。周りから評価され地位、名声を手に入れた。財もある。じゃあ王太子が望む取引は?ベルナンドが提示するものは?
王太子がベルナンドに協力しているのはサイカが欲しいといった前提があるから。」
「…決定権を取引したか。」
「だと思います。サイカの扱いは王太子に。
王太子の許しがあって、ベルナンドはおこぼれを貰える。
そういう感じかなと思いますね。手を出した事をバレないようにするのも難しい。約束を破れば策事態が危うくなる。
この策に関しては王太子の判断に一任されるのが大きい。」
「…確かに。ベルナンドがサイカに手を出し、それに王太子が気付いたとして。…王太子の機嫌を損ねればどうなるか分からない。王太子という巨大な盾がベルナンドにとって矛になる可能性もあるわけか。」
「俺はそう思います。」
マティアスは心の中でサーファスの洞察力を高く評価する。
サーファス自身はリスティアの王太子と面識はない。確かに彼はそう言った。
兄の話を聞いただけ。それだけで、サーファスは王太子がどんな人間かを考察した。
王太子単体でなく、現状を整理しながら導き出した人物像は無下に出来ない説得力があった。
きっとこの男はまた自分とは違った経験を積んできたのだろう。
サイカの話をした時も、マティアスは自分が一番サイカの側にいたにも関わらずサイカの無意識な悩みに気付けなかった。一番側にいなかったサーファスが一番にその事実に気付いたのだから、その観察力、洞察力は認めざるを得ない。
そしてこの後の話でマティアスだけでなく、男たちはサーファスの能力を嫌でも思い知った。
「……サーファス…殿。一つ、聞いていいか。」
「何でしょうか、クラフ公爵。」
「今更なんだが。サーファス殿は何故、ここに?
マティアスと面識があったのか?」
「ああ、マティアス陛下とお会いするのは今回で二度目です。
ここにいる理由はサイカの男になりたいから。
俺という人間の必要性を知ってもらって、皆さんに認められて、サイカに受け入れて欲しいからですね。
今回皆さんの集まりに参加させてもらったのは、協力だけじゃなくて…皆さんが揃ってから、話したい事もあったので。マティアス陛下には一番に話をさせてもらいましたけど。」
にこにこと笑顔を崩さないまま、あっけらかんと言うサーファスにマティアス、ダミアン以外の一同は深く眉間に皺を寄せた。
マティアス、どういう事だ。お前は認めたのか!
リュカの責めるような言葉がマティアスに向けられる。
「まだ本当には認められていませんよ。
…今日、皆さんに知ってもらって、多少強引な方法だけど少しは認めてもらおうかなって魂胆があります。」
「……はぁ?正直、これ以上男が増えられると困るんだが?
協力は有り難いが、だからと言ってはいそうですかともならない。」
「でも、あの子に俺は必要な存在になるけどね。
だって、あの子の苦しみに一番に気付いたのは俺だから。
陛下も、皆さんも側にいたのに気付かない。サイカ自身も気付かなかった苦しみを、俺は知ってるから。
俺は、それが出来るから。ここにいる誰よりも。その自信があるんで。」
サーファスの話に、今度はマティアスの眉間に皺が寄った。
初めて対面を果たしたその日、サーファスはマティアスに容赦なかった。
マティアスの身勝手な考えを抉り、気付かせた。
サイカを尊い存在と盲目なまでに神聖視する彼らに、サーファスは笑顔ながら容赦がなかった。
この男はサーファス・イグニス・ドライト第四王子。
…この件に関して、強力な味方に成りうる存在と先に言っておく。」
「マティアス陛下よりご紹介預かりました…サーファス・イグニス・ドライトと申します。どうぞサーファスとお呼び下さい。」
マティアスに呼ばれたリュカ、ヴァレリア、カイルはサーファスが何故、この場にいるのか分からず訝しげな視線を送る。
同じくマティアスに呼ばれた騎士団団長のダミアンは…果たして自分がこの場にいていいのかと考えあぐねた。
第五の男に成りうる可能性がある存在でもあり、疎ましいといった穏やかではない視線を浴びる中、サーファスは優雅に微笑む。
「現状の報告といこう。
各々が知った情報をこの場で共有する。
少し、不味い状況になりつつあるのでな。」
一番に反応したのはリュカだった。
“不味い状況”
そのマティアスの言葉に心当たりがあった。
「…リスティア連合国か。」
「やはりリュカは知っていたか。何処まで掴んだ?」
「そう多くない。ただ、そうじゃないかという気持ちが大きい。」
「十分だ。皆に説明してくれ。」
「ああ。」
リュカは自分が得た情報をつぶさに伝える。
マティアスと仲違いしかけていると思ったベルナンドが取引を持ち出した事。
リュカの元へサイカを呼び出し、リュカの領地で拐う。そういった計画を企てている事。
仲間に引き込むのではなく、“逃げ道”としてリュカを利用しようとしている事。
ベルナンド邸に勤めている何人かの使用人を買収し情報を聞き出した所、リスティア連合国王太子の護衛を見た者がいた事。
それらを統合し考えた結果、ベルナンドはレスト帝国内にサイカを隠すのではなく、大国であるリスティア連合国に隠すのではないかと推測した事。
リスティア連合国まで関わっている事を知らなかったヴァレリアとカイルは眉間に深い皺を刻む。
もし、知らなければ。気付かなければ。
その状態でサイカが拐われ、リスティア連合国に連れて行かれでもしたら。
…サイカを、失ったも等しい事態になる。
そう察したからだ。
同じ席にいたダミアンなど、もう訳が分からない様子だった。
とんでもない事を聞いた気がする。
ベルナンドだけでなく、レスト帝国と同じく大国の、リスティア連合国の名前まで出てきた事が彼の思考を停止させていた。
「…此方の推測と差異はないな。」
「はい。クラフ公爵の話を聞いて、寧ろ確信が持てましたね。」
「ああ。リスティアの王太子が絡んでいると見た方がいいだろう…。」
マティアスとサーファス。二人が強く頷き合うのを見たリュカらは、疑問をぶつける。
「待て。…何故、“王太子”が絡んでいると?
護衛単独の可能性もあるし、王太子ではなく他の可能性もあるだろう。
それを何故、“王太子”だと断定した。」
その疑問は尤もで、リスティア連合国の王太子の護衛がベルナンド邸にいたとしても、そこに王太子本人が関わってるかまでは定かでない。
そうかも知れないという疑念はあるものの、断定するのは早いのではないか。
素直な疑問だった。
「勘、と言えばいいのだろうか。
リュカ。婚約式のリストを閲覧していた時、そなたは俺にリスティア連合国の王太子はどんな奴か聞いたな。」
「ああ、聞いた。…その時お前は“分からない”と僕に言った。でも穏やかで、物腰柔らかで弟妹たちにも慕われ悪い噂は聞かない…とも言っていた。はっきりと覚えている。」
「そうだ。民からの支持も厚い。
悪い噂はとんと聞かない。…だが、何となくそれだけではないと会うたび違和感もあった。
聞き及んでいる通りの優男ではない…そんな気がずっとあった。
対面した時、何とも言えない気持ち悪さをいつも感じていた。」
「俺も直接会った事はありません。
ですが…兄は何度も会う機会がありました。
兄は少し特殊な人間で…人の良し悪しを嗅ぎ取る能力があるというか。
まあ、その兄が、リスティアの王太子をよく思っていないので。」
「…まさかそれだけが理由か…?」
「そうなるな。」
馬鹿な。勘や憶測で決めつけるべきではない。
そうリュカは溜め息を吐く。
ヴァレリアも同じく、それだけでは断定出来ないと考えていた。
けれどカイルは違う。マティアスの勘、自分の勘、サーファスの兄の、直感。
そういった説明の付かない事が時に全くの的はずれではない場合もある。
「…俺は、そういう勘がよく働く時が、あるから…。言ってる意味、分かる。
悪意とか、嫌なものに囲まれて、生きてきた。
この人は、危ない、とか。そういうの、直感を感じる事、すごくある。」
「……。」
「生まれ持ったものと経験の差ですよ。
兄やディアストロ卿はもともと危機察知能力が高く備わっていたんだと思いますけどね。高く備わっていたものが、経験でより高まる。
陛下や俺は、恐らく経験が大きいでしょうから。」
「…それを言われるとな。
僕は…余り王族貴族の集まりには参加して来なかったし領地にいる事が多かった。」
「…私もそうですね…。必要でなければ参加しませんでしたし…参加しても、家族に守ってもらってばかりでしたから。」
「その説明のつかない直感も馬鹿には出来ません。
兄の直感は今の所外れた事はないですし、考える材料にはなったんで。
多分、だいぶイカれた男だと思いますよ。リスティアの王太子って。」
「何故そんな事が分かるんだ?」
「推測した結果、ですかね。
でもあくまで…俺の想像ですけど。」
人間、得手不得手がある。
元々得意なもの、苦手なもの。
各々に備わっている能力。見つける事が大変なもの。
伸ばせば伸ばす程、際立つ能力。
サーファスに備わっていた能力は“観察力”と“考察力”、そして“洞察力”だった。サーファス自身を守る為の能力でもあるそれは、多くの人たちから蔑まれる中磨かれ、研ぎ澄まされてきたもの。
観察し、見極め、相手に合わせた相応の対応をする事でサーファスは難を乗り越えてきた。
“友人”が出来たのも、この能力の恩恵だった。
「兄から聞いた話では王太子は良くも悪くも平凡なんです。弟妹は両親に似て容姿に恵まれている。…その中に、平凡な王太子が一人ぽつりといる所を想像して下さいよ。
……普通でいられると思います?」
『………。』
「醜くはないけれど、美しくもない。
普通な容姿である事は俺からすれば羨ましいとすら思うけど、…王太子以外の全員が容姿に恵まれていたら?
きっといつも比べられるでしょうね。
それって、ある意味俺たちと同じ状況だと思うので。
そんな中、気にせずいられますかね?王太子。」
「……気にせずにはいられません。私なら。
私も、ずっとそう思っていました。
家族の中で…私だけが異質だと。
私がいなければ、“普通”なのに、と。」
「ですよね。俺も同じ事を思った時があったし、よく分かる。
だから他で頑張るしかなかったんじゃないかな。
比べられないように、意地でも努力して掴んだ“王太子”っていう席に、しがみつくしかなかったんじゃないですかね。」
「…成る程…。容姿はどうにもならない。
弟妹たちの恵まれた容姿もどうする事も出来ない。出来る事は“品行方正”を演じる事。
容姿の代わりになるものを探したか。」
「思うに。プライドはすごく高いですよ。
弟妹たちには容姿は劣っているけど、だからって下に見られたくないんだ。
リスティアは必ずしも長子が国王にはならない。複数の兄弟がいた場合、能力で決める国です。
自分は弟妹たちのように容姿には恵まれなかった。普通の容姿で生まれてしまったから。」
長子だからと言って“王太子”という特別な席に座れるその確証もない。
始まりは平等ではなく、不利から始まった。
長子でなければまだ、仕方ないと思えた事もあっただろう。
権力のある家で、“一番最初に生まれた男児”その意味はとても大きいものだった。
「最初はね。純粋に“同じ”になりたいって気持ちだったと思うんです。
でもそんな“普通”じゃない環境で過ごしていたら、人間ってどこか歪むんですよね。
俺たちみたいに。
長男の呪いですかね。国王夫妻は男児が生まれてさぞ喜んだと思いますし。」
跡継ぎが生まれた。
その安堵感は大きい。生まれてからの両親、周りの期待も大きいかった。
けれど、そこに弟が生まれる。それも、恵まれた容姿で。
子供心に周りの大人たちの、自分と弟を見る目の違いを感じただろう。
自分の居場所を奪われる、その恐怖も大きかっただろう。
他の弟妹たちが醜い容姿であれば。自分と同じく普通の容姿であればまた違ったけれど、そうではなかった。
弟妹たち皆が自分の存在を脅かす。
本人たちにその気がなくとも、周りの態度で。
「イカれますよそりゃ。
努力して、周りから“王太子は素晴らしい方だ”と言われるようになった。
俺ならこう思う。ざまあみろって。俺はお前らより慕われてるんだって。
弟妹たちは自分を見下しているかも、何処かにそういう気持ちもあったと思う。
感じるのが優越感だとしたら、そのプライドはとても高い。」
「……サイカは、…何で…?何で、狙う?」
「欲しいから。俺も皆さんもそうじゃないですか。理屈じゃない。欲しいから欲しい。喉から手が出る程。
馬鹿な事をしてまで…まあそれとこれとはまた別ですけど。
欲深いんですよ、きっと。なまじ自分の力で欲求を叶えてきたから。高いプライドが変な自信付けたんですかね、多分。後、普通だから特別を求めてるんじゃないかな。サイカが手に入れば完璧。概ね手に入ったから。そんな感じかな?」
『………。』
しん、と静まり返る室内。
推測の域は出ない。あくまでもサーファスの想像、考察からのもの。
でも、だとしたら、だがしかし。
それが事実であるかも知れないとそんな考えも浮かぶ。
当たっているかも知れない、そう思う。
「俺の中では結構当たってるんじゃないかなと。そう思ってるんですけどね。
ま、そうかも知れないくらいに思っておいて下さい。」
にこにこと笑顔を崩さないサーファスに底の見えない恐ろしさを感じたリュカはこう思う。
何となく、何処かマティアスに似ていると。
「……話を戻す。
リスティアは俺とサーファス殿が何とかするとしてだ。
ベルナンドの方はどうだ。」
「それについては私とカイル殿が探っておりました。
ベルナンドの手の者が潜んでいる場所は既に特定しております。」
「ほう…。」
「…偵察も、済ませた…。
ベルナンドの領地に、いつくもある教会。
その内の一つが、組織の拠点。
他は、カモフラージュだった。真実と、嘘を上手く使ってる。」
「一つが拠点で残りは教会としてきちんと役割と果たしていたそうです。
そうする事で尚、教会には目が向かない。そういった狙いがあったのだと考えます。」
「…教会、地下で繋がってた。全部じゃなくて、いつくかの教会同士。それから、一部の教会と、ベルナンド邸。
教会同士は、多分…拠点がバレた時の、逃げ道だと、思う。ベルナンド邸に繋がってるのは、地下で、運ぶものがあるから。…例えば、人、とか。見られたら、まずいもの。
…リュカ、買収した使用人から、報告はなかった?」
「いや、地下があるとは報告になかった。
買収したのは側近ではないからな。そこまでは知らなかったのだと思う。」
「何処から“漏れる”か分からないから不特定多数に知らせる事はしないだろう。
ベルナンド邸には様々な人間が日々訪れていると報告にある。
……人に言えない楽しい遊びでもしているのだろうな。屑共が。」
それまで思考を止め、空気と化していたダミアンはカイルを見る。
ダミアンの視線に気付いたカイルは、小さく頷いた。
「手紙にあった、姉。多分、ベルナンド邸の地下に、いる。
ベルナンドと仲のいい人間の、“玩具”にされてると、思う。」
「…なら、早く助けねぇとな…。」
「でも…多分、無事…とはいかない。」
「俺たちにはその環境から助ける事しか出来ない。
…それでも、やらないよりマシだ。地獄を終わらせてやりたい。」
「ん。」
ヴァレリアはマティアスらの話を聞きながら悪い予感がしていた。
ベルナンドはどうとでもなる。自分たちが集めた証拠はベルナンドを罰する事が出来るものばかりだ。犯罪組織を匿っている事、それを足掛かりにすればベルナンド邸を調査する事が可能になる。そして、ベルナンド邸で行われているであろう悪行が明るみに出ればいくら侯爵とて極刑は免れない。
けれどそれは、ベルナンドのみが対象であり、リスティアは含まれない。
ならば、マティアスやサーファスはどうやってリスティア王太子を罰するつもりなのか。
…それが出来るのは現段階で一つしかない。
サイカを囮にして、王太子をあぶり出す…その方法しかない。
違っていて欲しい。きっと、他に方法があるはず。
僅かな希望にすがって、ヴァレリアはマティアスに訪ねた。
「……サイカを、囮とするのですか。」
「………。」
ゆっくりとマティアスの目が閉じられる。
悪い予感が当たってしまった。
けれどヴァレリアにも、他の方法など思いつかなかった。
「…王太子を罰するには、サイカが必要になる。
拐われたサイカが王太子の元へ。…現行証拠に頼る他ない。
…王太子とベルナンドは何かしら、以前から繋がりがあったのだろう。
ヴァレリア。バロウズについては調べたか?」
「…バロウズについては詳しくは…。
ベルナンドが教会を立てる際、バロウズが一部の資金を投資している事が分かり、…後はベルナンドさえ追えばよいと。…ベルナンドを捕らえる事が出来ればバロウズも捕らえる事が出来ると踏んでおりましたので…。」
「バロウズの領地は馬の繁殖地。
馬は必要だ。帝国内ではバロウズの他、繁殖に適した四つの領地で馬を育てている。
馬は帝国内のみならず、他国へも輸出しているのは当然知っているな?
バロウズ領で育った馬は駿馬ではないが長く走り続ける事が出来る。そういう馬が多い。」
「はい、勿論存じておりま………まさか。バロウズの商船を…利用していた…?」
「恐らくな。」
レスト帝国では人や物の入国、出国管理を導入している。
海を越える者、国境を越えてやってくる者、国を出るもの。
規制のない状況はあらゆる犯罪が横行してしまう。
管理をしていない場合、自国の情報はいとも容易く持ち出される事になるだろう。
また難民が制限なく押し寄せた場合は元々レスト帝国に住む民が苦労をする。
技術やレスト帝国の資源、あらゆるものが他国へ自由に渡ってしまう。
そういった状況にならない為の規制が必要だった。
かなりの手間ではあるが。
自国と他国を行き来するには個人、団体関わらず一人一人、氏名と何処へ行くか、どの程度の期間であるかを記載する事と“身分証”が必要となる。但し、付け加えるとこの“身分証”はレスト帝国から出る、レスト帝国に入るのに必要なもので、出入りをしないのであれば必要のないものである。つまりは自国から出ないのであれば全く必要ない。
身分証は現在、レスト帝国の民であれば住民台帳を基に作成され、他国から来た者であれば出入りの管理が出来ればいいので簡易的なものになる。但し、荷物などは入念にチェックされるが。
国と、国境や港を管理している所であれば発行可能。
氏名、行き先、期間、身分証は当然書き留められ、後々大きな差異や偽りなどがあれば罰せられる。
そういった厳しいものではあったが…それが商船である場合は少し違う。
商船である場合は荷物が何か、荷物の個数は都度管理されるものの、乗り合わせる作業員に関しては厳しく管理されない。
身分証ではなく、入出国許可証が発行され責任は商船、荷を管理する代表へ。つまり何か問題が起これば個人にではなく、荷や団体を管理をする大元に責任が問われる事となる。
対人と対組織では責任の重さが違ってくる。矛盾はあるものの、要は“人”と“組織”の信頼度の問題。個人の罪は横行しやすいが組織であればその責任の大きさからおいそれと罪を犯しはしないだろう……そういった古い考えのまま今に至っていた。
「ベルナンドは商売をしているが、他国へ輸出しているものはない。だがバロウズは他国へ馬を輸出する為の商船を持っている。馬は生き物だ。まとまった数を、とはいかない。
必要であれば都度出荷しているそんな状況であれば…王太子個人が入出国しているという記載もない。
あるのはバロウズの商船が出入りした記録だけだからな。
それがベルナンドであったとしても同じだ。」
『……。』
「そういう、古い体制はまだ多くある。
優先を考え後回しにしていたのが仇となった。ファニーニの件はまた別だったからな…。
今回の件で変える必要があると訴えればすぐ動けるだろうが。
……はあ。まだまだ、問題は山積みだな…。」
「っ、……申し訳ありません。そこまでの考えに、至りませんでした…!
バロウズが他国へ馬を輸出している…商船を持っている事を知っていたのに、」
「ヴァレリア、謝るな。責めているのではない。
リスティアの存在が出てこなければ俺も気付く事はなかった。
王太子とベルナンドにどんな接点があるのか…それを考えてこの可能性に気付いたんだ。
…王太子がベルナンド邸を訪れていたとしても記録がない。記録がないという事は証拠もない。恐らく護衛騎士の記録も。」
「……クラフ公爵が買収した使用人、それから俺が護衛騎士の姿を見たと証言した所で王太子の罪は問えませんしね。
関係ないと言われたらそれまで。護衛騎士の責任が問われるだけです。その前に消す事も出来る。
……だから、サイカの協力が必要になってくるんですよ。」
「……さっき、ヴァレリアが言った…囮。」
「……確かに。ベルナンドだけでは危険が残る。しかも相手はリスティアの王太子だ。他の国とわけが違う。
暫くは平和だろう。でも、同じ事が起こる…その可能性がある…そうなった時は今回以上に厳しい状況になるだろうな…。……だが…あいつを囮にするなど、僕には、」
「…そうだな。…抑止になり、止まってくれたままであるならいい。
だが今回のような企てがまた起こった時は向こうも俺たちに気付かれないように警戒しながら事を運ぶだろう。そうなってしまえば更にやりづらい。
……だが、他に案が浮かばない。」
「…正直俺も…他の方法が浮かばないですね…。
ベルナンド侯爵だけでなく、王太子もとなると…。
サイカに協力してもらう、それは少なからず彼女が危険な状態になる。そんな状況にいさせたくない。
でも今後の事を考えるとそうも言っていられない。
現に、サイカを狙う男がこうして出て来ているんですから。」
『………。』
サーファスの言う通りだった。
同じ事が起こらないとは断定出来ない。こうしてサイカを拐おうと計画が立てられているのだから。
サイカがこの世界にとってのごく普通の娘であればこんな事も起こらなかっただろう。
たらればの話は今のこの場では意味を成さない。
だって現に、サイカは危険の中にある。
「サイカを危険に晒したくない。それは陛下も皆さんも同じ気持ちでしょう。俺だって嫌だ。彼女という存在を危険の中に置いておきたくない。サイカには、毎日笑顔で過ごして欲しい。平凡で、平和な、普通の日常を過ごさせてあげたい。」
「……ん。……俺も、嫌だ…。囮でも、ベルナンドとか、王太子の側に、いさせたく、ない…。」
「だけどサイカがサイカである限り、サイカの容姿、サイカの性格が変わらない限り、似たような事はきっと起こりますよ。
ベルナンドだけを捕まえたって、一番大きな危険人物が残る。
大国同士が絡めば、よりややこしくなる。」
「……それは、理解しています…!ですが、…それでも、…それに、サイカは一度…娼館で恐ろしい思いをしたはずです…!
また似た思いをさせるなんて、そんな事…!」
「ウォルト卿。今、選択しなくちゃいけない時なんだよ。
今ある危険から守るか、今後の危険まで見通して守るか。どっちかなんだよ。
あの子は普通の女の子だ。でもこの世界じゃ異質で特別だ。
異質や特別は常に人の目や興味を引く。抑止は完璧じゃないといけない。やるなら徹底的に。サイカに手を出すなら、“死”を覚悟しろ、“全てを失う”覚悟をしろ。そう見せしめをしないと抑止の意味がない。それは貴族だけでなく……大国の王族も。それを、周囲に分からせる必要がある。俺たちの気持ちだけでは解決しない事もあるんだよ。」
「っ、」
「……サーファス殿の言葉は尤もだ。
だから……サイカ自身に委ねるしかない。こればかりは。
本当は、穏やかな日々を過ごさせてやりたい。だがこうなってしまった以上…そうは言っていられない。
サイカが怯え、拒んだならベルナンドのみを。
サイカが立ち向かう意思を見せたのなら……敵は徹底的に潰す。
皆、それでよいか。」
マティアスの言葉にリュカも、ヴァレリアも、カイルも俯いた。
俯いて、暫くの間悩み、そして最終的には小さく頷いたのだった。
「皆の意見が纏まった所で次に移る。
サイカの協力が得られた場合、そうでない場合の二つを想定して命令する。
協力が得られない場合、ダミアン、カイル率いる騎士団はベルナンド邸と犯罪組織の拠点となっている教会を制圧しろ。
ヴァレリアはベルナンド邸へ同行し不正の証拠があれば集めろ。
まずは組織の方から。捕らえたら合図を出し、次にベルナンド邸。万が一を考え、脱出経路に成りうる地下に人を割く事も忘れるな。」
「その場合僕はベルナンドの誘いを断ればいいな?」
「ああ。そしてサイカの協力が得られた場合だ。
カイル、お前がベルナンド邸と組織の両方を制圧しろ。
ダミアンは騎士団団長としての役割を果たしてもらう。
リュカ。お前はベルナンドの取引を受け、サイカに数名の兵を付けろ。
そしてサーファス殿、その時は…力添えを頼む。」
「勿論です。……多分、そうなるでしょうから。
陛下も皆さんもその予感があるんですよね?」
「……ああ。……サイカは協力すると言うだろう。そういう娘だ。そういう娘だから、尚、愛しい。……本当に、ままならない。
…リスティア連合国へは海を渡る必要がある。バロウズの商船が使われるだろう。
サーファス殿、そなたの意見が聞きたい。海を渡る間、サイカの身の安全は…。」
「…勘ですけど。多分、王太子に渡るまでは手は出されない。
王太子の協力を得るなら彼らの間にも“取引”が成されたはず。
王太子が有利になる取引が。周りから評価され地位、名声を手に入れた。財もある。じゃあ王太子が望む取引は?ベルナンドが提示するものは?
王太子がベルナンドに協力しているのはサイカが欲しいといった前提があるから。」
「…決定権を取引したか。」
「だと思います。サイカの扱いは王太子に。
王太子の許しがあって、ベルナンドはおこぼれを貰える。
そういう感じかなと思いますね。手を出した事をバレないようにするのも難しい。約束を破れば策事態が危うくなる。
この策に関しては王太子の判断に一任されるのが大きい。」
「…確かに。ベルナンドがサイカに手を出し、それに王太子が気付いたとして。…王太子の機嫌を損ねればどうなるか分からない。王太子という巨大な盾がベルナンドにとって矛になる可能性もあるわけか。」
「俺はそう思います。」
マティアスは心の中でサーファスの洞察力を高く評価する。
サーファス自身はリスティアの王太子と面識はない。確かに彼はそう言った。
兄の話を聞いただけ。それだけで、サーファスは王太子がどんな人間かを考察した。
王太子単体でなく、現状を整理しながら導き出した人物像は無下に出来ない説得力があった。
きっとこの男はまた自分とは違った経験を積んできたのだろう。
サイカの話をした時も、マティアスは自分が一番サイカの側にいたにも関わらずサイカの無意識な悩みに気付けなかった。一番側にいなかったサーファスが一番にその事実に気付いたのだから、その観察力、洞察力は認めざるを得ない。
そしてこの後の話でマティアスだけでなく、男たちはサーファスの能力を嫌でも思い知った。
「……サーファス…殿。一つ、聞いていいか。」
「何でしょうか、クラフ公爵。」
「今更なんだが。サーファス殿は何故、ここに?
マティアスと面識があったのか?」
「ああ、マティアス陛下とお会いするのは今回で二度目です。
ここにいる理由はサイカの男になりたいから。
俺という人間の必要性を知ってもらって、皆さんに認められて、サイカに受け入れて欲しいからですね。
今回皆さんの集まりに参加させてもらったのは、協力だけじゃなくて…皆さんが揃ってから、話したい事もあったので。マティアス陛下には一番に話をさせてもらいましたけど。」
にこにこと笑顔を崩さないまま、あっけらかんと言うサーファスにマティアス、ダミアン以外の一同は深く眉間に皺を寄せた。
マティアス、どういう事だ。お前は認めたのか!
リュカの責めるような言葉がマティアスに向けられる。
「まだ本当には認められていませんよ。
…今日、皆さんに知ってもらって、多少強引な方法だけど少しは認めてもらおうかなって魂胆があります。」
「……はぁ?正直、これ以上男が増えられると困るんだが?
協力は有り難いが、だからと言ってはいそうですかともならない。」
「でも、あの子に俺は必要な存在になるけどね。
だって、あの子の苦しみに一番に気付いたのは俺だから。
陛下も、皆さんも側にいたのに気付かない。サイカ自身も気付かなかった苦しみを、俺は知ってるから。
俺は、それが出来るから。ここにいる誰よりも。その自信があるんで。」
サーファスの話に、今度はマティアスの眉間に皺が寄った。
初めて対面を果たしたその日、サーファスはマティアスに容赦なかった。
マティアスの身勝手な考えを抉り、気付かせた。
サイカを尊い存在と盲目なまでに神聖視する彼らに、サーファスは笑顔ながら容赦がなかった。
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