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99 サーファス③

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「え?……辞めた…?」

「サイカは二週間程前に娼婦を辞め、この月光館を去りました。」

「…そう。…娼婦を辞めてクライス侯爵の養女に…そういう事だね?」

「はい。その通りです、サーファス殿下。」


やられた。完全に出遅れたんだ。
持っていた花束がとさりと、乾いた音を立てて床に落ちた。




「サーファス。此度のお前の働き、良きものであった。
お前がレスト帝国で学んだ医療は素晴らしいものだと王宮医師らが褒めていたぞ。
お前のお陰で私の病も良い兆しが見えている。望む褒美を与えよう。…望みはあるか?」

「望みをお伝えしても宜しいでしょうか。」

「構わん。言うてみよ。」

「では。今後も医療を学ぶ為、レスト帝国への渡りを許して頂きたく存じます。」

「何?まだ学びがあると?」

「はい。陛下にお伝えした通り…我が国では病により、毎年多くの死者が出ております。何れもすぐ治療に当たれば治る病ばかりでした。医者の数も診療所の数も足りず、また“医者に診てもらう”というその考えに至らない者も多いのが現状です。」

「ふむ。確かに…平民たちはそう考えている者が多いだろう。」

「しかしそれを放置しておく事の方がよくありません。
民がいない国を、国と呼べるでしょうか。人がいなければ滅んだと同じ。
毎年多くの者が亡くなっております。この現状を今から変えなくてはなりません。」

「何を言う。我が国ドライト王国は大国であるぞ。
滅びるなど有り得ん。」


医療を学びたいと思ったのは後悔と、懺悔から。
王族でありながら自国で暮らす民が苦しんでいる事を知らなかった、自分の無知をずっと後悔し続けている。
後悔して、懺悔し続けている。
幼い少年が目の前で死んだ、あの日からずっと。
何が王族だ!何が大国だ!!何が貴族だ!!馬鹿馬鹿しい!!
女王陛下ははうえは何も分かっていない。
貴族や王族だけで国が成り立っているんじゃなく、その下で一生懸命働いて生きている者たちがいるからこそ、国は役割を発揮する。
王族貴族だけが栄えるんじゃなく、その下にいる多くの人々の存在を蔑ろにしてしまえば国は滅びる。その事を分かっていない。

「陛下、此方をご覧ください。」

「…これは?」

「我が国の死者の数です。
この数字は嘘偽りなく、真実です。
これだけ多くの者が毎年治せたはずの病で亡くなっているのです。
民が居なくなれば誰が田畑を耕すのですか。誰が家畜の世話をするのですか。誰が家を建て、物を売り、誰が税を納めるのですか。貴族ですか?我々王族ですか?」

「………。」

「レスト帝国の医療は我が国より遥かに進んでおります。
その考え方は我が国の一歩も二歩も先を。
あの国には学ぶべき事が多くあります。我が国をもっと栄えさせるにも、役立つはずです。」


大国という言葉に、この国の連中は胡座をかいている。
母上も兄上も、弟妹たちも、貴族たちも。
昔の俺もそうだった。大国、ドライト王国。
この世界に三つしかない大きく栄えた国。その言葉をそのまま鵜呑みにして、現実を見ていなかった。
実際は…栄えているのは都市部と大きな町だけで、小さな村々は生きていくのがやっとといった状況が多い。
大国であるドライト王国に住んでいるにも関わらず、飲み食いだけでなく住む所にも多くの人たちが困っているそんな状態。
何も見ていない。数字だけを見て、何も問題ないと勘違いをしている。

レスト帝国は素晴らしい国だった。
否、恐らくレスト帝国が素晴らしいのではなく、マティアス・ベルフォーレ・レスト皇帝陛下が素晴らしいのだろう。
マティアス陛下は王太子だった頃から様々な政策を打ち出した類稀な才を持っている男だ。
クロウリー先生の元でマティアス陛下の政策や医療に関する考えを聞いた時は身震いした程だった。

サイカが娼婦を辞め、クライス侯爵の養女になった理由は十中八九、マティアス陛下が恋人だからだ。
サイカと話す内、彼女には四人の恋人がいる事が分かった。
きっとあとの三人もそれなりの地位にいる者たち。
サイカの値段が大金貨五枚だった事が何よりの証拠。
醜い男専門の娼婦で、そして大金貨五枚というとても高い金額を支払える男が彼女の恋人。
相手がマティアス皇帝陛下であっても誰だとしても、一歩も引くつもりもなかった。


「…ふう。……望むものを与えると言ったのだ。お前の好きにすると良い。…が、お前がいない間にいくつか政務が滞ってしまってな。どの程度の間…かの国へ滞在するつもりだ?」

「有り難う存じます、陛下。
ご安心下さい。城で政務をしながら、合間合間で期間を設けレスト帝国へ向かうつもりです。」

「そうか、ならば良い。…しかし、お前の熱意は目を見張るものがあるな。学びを終えてもまだ学びたいと申すか。」

「学べば学ぶ程、奥深いのです。何事も。」

勿論それだけが目的ではないけれど、それは俺の胸の中だけに。
そして俺の予想通り、レスト帝国からマティアス陛下が新たに伴侶と定めた女性との、その婚約式の招待状がドライト王国にも届いた。


「…もう信じられない程とんでもない美女だったんだ。
華奢な体にぱっちりとした二重で、鼻も口も小さくてな!
あんな完璧な容姿の女性は見た事がない!まさに絶世の美女…否、あれは女神と呼ぶに相応しい女性だった!
あれ程の美女が…こほん、失礼ではあるけどマティアス陛下の婚約者とは…些か信じられなかったぞ…。」

「そっか。…マティアス陛下は幸運な男だね。」

「ああ、そうとも!マティアス陛下は誰よりも幸運な男に違いない!もう俺は話しをするにも緊張してしまって…女王陛下が狼狽えている姿なんて見た事もなかったが!はは、母上もクライス侯爵令嬢の美しさに当てられたらしい!」

「はは、それは珍しいね。陛下が…母上が動揺する姿なんて滅多とないよ。」

「だろう!?それに、美しいだけでなく穏やかで気品溢れる令嬢だった。
今後レスト帝国へ訪問するのが楽しみになるくらいだよ。
サーファス、お前も来ればよかったのに。」

「兄上、俺が行ったらどうなるかくらい分かってるでしょ?」

「ははは!そうだな!ぶっさいくなお前が行けば折角のパーティーが台無しになるな!ははははは!
でもまあ、今回はクラフ公爵や他にも醜い奴がいたからお前が行っても周りはそう気にならなかったんじゃないか?」

「……そうかな。」


次期国王になる一番上の兄は興奮した様子で婚約式の事を俺に話す。
自分の婚約者でもないのに、自慢げに。
知ってるさそれくらい。彼女、サイカが誰より美しい女性であるかくらい。
サイカは美しいだけじゃなくて、優しくて…そう、とても優しくて素晴らしい女性なんだ。
会いたいとは当然思った。婚約式に行けば会えると、別れの言葉もなく月光館から去った彼女に会えるとは思った。
けれど俺はマティアス陛下とサイカの婚約式には行かなかった。
だって俺はまだ諦めていないから。
ドライト王国の王族としてではなく、サーファス・ラグーシャ個人を見て、知って欲しいんだ。
王族貴族としての付き合いがしたいんじゃない。
俺がドライト王国の王族である事を彼女に明かすのはもう打つ手が無くなった時か、彼女が知ってしまった時か、それか彼女が俺を知って、好きになってくれた時だ。

「…でも、いい手も浮かばないんだよな…。」

諦められるわけがない。諦められない。
彼女以上の女性はこの世にいない。
本音を言えば。娼婦じゃなく貴族令嬢になった彼女を、マティアス陛下の婚約者となった彼女に会える方法なんてもう一つしかない。王族として会うしかない。
でもそれでも、まだ何か方法があるはずだとこうしてずるずるとした日々を過ごしている。
留学を終えたにも関わらず褒美にレスト帝国へ行く事を望んだのもそうした理由からだ。
学びたい事もまだあるけれど、それ以上にサイカに会えるかも知れないという思いの方がが大きかった。
ドライト王国にいるよりかはレスト帝国にいた方がまだ可能性はあるのだから。

諦められない。諦められるはずがない。
だって、あの日からずっと輝いているままなんだ。
初めての恋、初めての気持ち。初めてのその感情は、俺の世界を輝きで満たしている。今も、あの日からずっと。
億劫になる日々の中、彼女を思い浮かべるだけで随分違う。
彼女を思い浮かべるだけで、幸せな気持ちになる。
切なくもなって、悲しくもなって、でもその感情も悪くない気持ちなんだ。
彼女に対する全ての感情が輝いている。
クライス侯爵へは手紙を送り続けているけれど、やっぱり返事は返って来ない。
ただのサーファスとして送るのではなく、ドライト王国の王族であるサーファスとして送れば返ってくるだろうか。
いや、返ってはくるだろう。
でもそれをしてしまえば、彼女は手に入らない気がしている。何故か、そんな気がした。
何か手があるかも知れない。何か、まだ。

どうやってサイカに会おう。そればかりを考えて日々を過ごす内、俺は肝心な事を考えていなかった事に気付いた。
サイカにはマティアス陛下の他に三人の恋人がいる。
恐らくはかなりの権力、身分を持っているその男たちは…当然彼女と結婚するつもりでいるはずなんだ。
マティアス陛下、そして確実なのは御前試合でサイカが応援していたカイル・ディアストロ。彼は絶対にサイカの恋人の一人だと確信している。
クラフ公爵も可能性がかなり高い。後の一人は予想が付かないけれど。

「サイカはマティアス陛下の婚約者になったんだ。
それはレスト帝国の王妃になるって事で……じゃあ、他の三人はどうなる?サイカが他の三人の妻になるのはかなり難しい問題になるんじゃ…。」

それはとある新聞で謎が解けた。
マティアス陛下とサイカがデートをしていたという何気ない見出しのその新聞。
読めば大勢の人に聞き込みをした内容がまとめられていた。

“クライス侯爵令嬢はとても美しく”
“令嬢は店主に優しく声を掛けた”
“転んだ子供の手当てを”
“二人は思い合った男女そのもので”
“容姿も心根もまさに、女神たる女性であったと”

マティアス陛下以外に三人の恋人がいる事実を知らない人間からすれば…浮かれているマティアス陛下がデートをしてサイカを自慢しているとも言える…何て事ない内容だけど、知っている人間からすればこれにどんな意図があるか気付く。
マティアス陛下は他の三人の男たちも、サイカの夫にしようとしているのだと。

「…だとしたら…何故?」

俺であれば。彼女を独り占めしたい。
俺だけの、たった一人の妻にしたい。
きっとマティアス陛下もそのはずなんだ。なのに何故、そうする事なく他の三人の男を受け入れる?
何か理由があるはずだ。何か。
サイカが悲しむから?…それもあるかも知れない。
だけどもし他に理由があるなら……。
その答えはサイカとの会話の中にあった。

「そうか……サイカを守る為なんだ…。
マティアス陛下、カイル・ディアストロ、クラフ公爵、あと一人も恐らくレスト帝国の中心に立てる人物。
そしてサイカの義父になったクライス侯爵。
これだけ権力を持つ男がサイカの周りを囲んでいればそうそう手出し出来ない。それが狙いなんだ。」

成る程。よく考えられている策だと感心すらした。
娼婦であった頃に襲われかけた事があるとサイカは話した。
本人は話したくなかったと思うけど、無理矢理聞き出した。
そういう男がいてもおかしくない。
だってサイカの美貌はとんでもないから。
娼婦であっても危険が、否、貴族令嬢になればもっと危ない。
あらゆる危険からサイカを守るにはマティアス陛下一人の力では敵わない場合もある。だから他の三人の恋人も受け入れると決断した。

「…何か見えたかも。」

サイカと会うにもマティアス陛下に認められなければならなかった。
その事に漸く気付けた瞬間だったけれど、その認められるにはどうするかの問題が残っている。


「サーファス殿下。手紙が届いております。」

「手紙?誰から?」

「差出人はクロウリー・アボットなる人物からで御座います。」

「クロウリー先生から!?」

レスト帝国でお世話になったクロウリー先生からの手紙。
受け取ってすぐに読んだ。読んで、天を仰いだ。

「………クロウリー先生、有り難う御座います…!!
ああ、何て幸運なんだ!この機会を無駄にはしませんよ、クロウリー先生…!!」

クロウリー先生の手紙にはクライス侯爵から診察の依頼があったので来れるのなら来なさいと書かれてあった。
患者は侯爵の恋人で、ルイーザ・マクシム伯爵令嬢。
クライス侯爵からだけでなく、サイカからも月光館のオーナーを通して依頼があったらしい。
神様は俺を見捨てなかった。
急いで日程を空け、俺は再びレスト帝国へ。

「…実は、クライス侯爵には貴方が帰国したと伝えてあるんです。
どうもクライス侯爵は令嬢と貴方を余り会わせたくないみたいですね。」

「クライス侯爵はマティアス陛下と懇意にされてますから…そうでしょうとも。
…でも、先生は俺に知らせて下さいました。」

「令嬢はサーファスに会いたいと言っていたそうです。」

「え!?ほ、本当ですか!?」

「キリムへの手紙にそう書かれてあったと聞きましたから間違いないでしょう。
…サーファス、私だって人間です。」

「?…はい。」

「サーファスが令嬢に持っている熱い気持ちを無下に出来る程終わってはいませんよ。という話しです。」

「!!有り難う御座います、クロウリー先生!!」

「ですが。診察がメインですからね。
そこはしっかりするように。いいですか?」

「勿論ですよ!!」

クロウリー先生のそうした優しさもあって、俺は数ヵ月ぶりにサイカに会える事になった。
初めまして、と出迎えたクライス侯爵に挨拶すると侯爵は目を見開いてどうして、という表情をした。
サイカは患者のルイーザ・マクシム伯爵令嬢と一緒にいるらしく、クライス侯爵とは人払いをした応接間で話しをする事に。

「…はあ。……こうなってしまえばもうどうにもならんな。
お初にお目にかかる、サーファス・ラグーシャ卿…否、ラグーシャの名はお父上の家名で本来は…サーファス・イグニス・ドライト王子殿下でしたか。」

「ここにいるのはただのサーファス・ラグーシャです、クライス侯爵閣下。
…サイカには、俺の身分は伝えていませんので。
サーファス、若しくはラグーシャとお呼び下さい。」

「……ではラグーシャ殿。貴殿は帰国したと…アボット医師から聞いていたのだが…これはどういう事か。」

「帰国していました。…が、まだ学び足りない事があるので、女王陛下に与えられた褒美にレスト帝国へ自由に医療を学べる許可を頂いたのです。
それでクロウリー先生の所へ向かった所…この話を聞いたのでご一緒させてもらう事になりました。」

「……成る程。……まあ、来てしまったものはもう仕方ないか…。
本当は、来て欲しくなかったんだが。」

「手紙の返事も無かったのでそうじゃないかと思っておりました。……ですが、俺も本気です。」

クライス侯爵の目を強く見つめると、一瞬だけばつの悪そうな顔をした。
クライス侯爵は卑怯な事や曲がった事を嫌う…とそう聞いている。実際会ってみればそれが噂ではなく、真実なんだと分かる。
俺への返事を返さなかった事、サイカと会わせようとしなかった事に少しの罪悪感がこの人にはあるんだと感じたから。

「別れの挨拶もなく、サイカが月光館を去ったと知りました。
それは構いません。色んな事情がありますからね。
閣下。諦めるにもそうでないにしても、勝負をさせて下さい。
こうして単に会えなくされただけで、俺の気持ちは消えたりしない。でもそれは、俺も気付くのが遅かった。」

「…気付くのが遅かった…とは?」

「俺は陛下にも勝負を挑まなければならなかった。
どうしたって俺は遅れてる。出会いも、他の四人とは違って遅れていたのに彼らと同じ所から始めようとしたのがいけなかった。
サイカと会うにしても、一番重要なのはマティアス陛下だった。そうですよね?」

「………。」

「マティアス陛下には当然、勝負を挑みます。
俺は諦めない。絶対に。彼女に愛されるまで、愛されても。
ですが閣下。閣下にもお許し頂きたい。
俺がサイカに会う事を。やれる事を全てやった上での結果は受け入れるつもりです。彼女がそれでも俺を受け入れなかったその時は、俺は彼女の幸せを願う一人の男になります。簡単には諦められないと思うけど、でも困らせたり、迷惑をかけたり、好いたひとの幸せを願えない男にはなりたくないから。
でもまだその時じゃない。俺は、まだ何もしてない。」

「………はあ。マティアスに挑むのであれば俺が邪魔をする訳にいかんだろう。そういうのは元々好かんのだ、俺は。男と男の戦い、マティアスとラグーシャ殿の戦いに水を差すのは。
それに…サイカを思う気持ちが強ければ強い程中途半端な状況は酷だろうとも分かっている。
実るか実らないかの結果はどうであれ、後悔のないようにやればいい。…娘と会い、話す事を許可する。」

「…有り難う御座います、閣下!」

「…マティアスは手強いぞ。ラグーシャ殿を受け入れるかどうか…かなり厳しいだろう。努力しても結果は決まっているかも知れん。…それでも挑むと?」

「最初から結果が決まっていたとしても、相手が誰であっても。俺はサイカを諦めない。サイカ本人が俺を拒むまで、諦めませんよ。
それに。…ただ年を食ってるだけの男じゃないんです、俺だって。僅かでも望みがあるなら、全力で向かうだけです。」


諦められるはずもない。
だってあの日からずっと、この初恋は輝いている。
例えマティアス陛下が壁になろうとそんな程度で諦められるはずがない。
サイカが俺を拒絶するまで、俺を受け入れる事が出来ないとハッキリ拒絶するまでは。
誰にも俺の心を砕く事なんて出来やしない。

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