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96 会えぬ間に動き出す①
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「本当、いつ見てもとんでもない美しさだよ。」
「あんなに優しくて気さくなお貴族様もいるんだねぇ!」
「うちの店にある物なんて安物ばっかりでたかが知れてる。
貴族街に行けばもっといい物も沢山あるってのにきらきらした笑顔見せてくれるんだ。もう嬉しいったらないよ!」
「お父様、わたくしクライス侯爵令嬢が着ていたドレスが欲しいわ!どのお店で買えるのかしら!」
「クライス侯爵令嬢があの店で何かを買っていたのよ。何を買ったのかしら。私も欲しいわ。」
「陛下から花を贈られて可愛く微笑まれていた。
クライス侯爵令嬢は花が好きらしいぞ。」
「ディアゴ村で土砂崩れがあっただろう?
クライス侯爵令嬢は自ら土砂の片付けを手伝ったらしいんだ。騎士がそんな話をしていた。」
「あたしはディアゴ村にある知り合いから聞いたんだ!間違いないよ!」
「はぁ…。やっぱり侯爵令嬢は女神様だなぁ。」
「本当にお優しい方だ。」
帝都の街では至る所でサイカの話がされるようになった。
市民街でもそして貴族街でも。
市民街ではサイカの美しさだけでなく人柄について。
貴族街ではそのとんでもない美貌について。
そして、ディアゴ村でサイカがどう行動したかも。
美し過ぎる美貌にあやかりたい貴族令嬢たちはサイカの着ていたドレスや身に付けていた宝石、店で買った雑貨や小物、使っていた色の化粧道具、同じ物で無くても似た物をこぞって買った。
貴族の男たちもまた、サイカがマティアスから花をもらって喜んでいたと聞いて、花や花が描かれてある小物や雑貨等々を買いクライス邸へと贈る。
サイカと縁が持てるかも知れないと僅かな希望を抱いて。
「…どこもかしこもサイカ嬢の話ばっかりだな。」
「……ん。」
騎士団長であるダミアンはこの日、貴重な休みだった。
朝早くに目が覚め、走り込みや鍛練をし終えた後に向かったのは市民街の定食屋。
朝からボリュームのある朝食を取った後、特に宛もなくぶらぶらとしていたそんな時に、討伐帰りのカイルと会った。
「この後は書類仕事だけだろ?ちょっと酒でも飲んでくか?」
「……いい。」
「……今日のカイルも機嫌わりぃなー…ったく。
俺の休暇にちょっと付き合えよ。」
「は?まだ、仕事中。」
「団長命令団長命令。俺がいいって言ってんだからいいんだよ。お前ちょっと働き過ぎだしな。」
「………。」
ここ最近、カイルは休みなく働き詰めだった。
サイカに会えない寂しさや鬱憤を仕事で晴らそうともしていた。
勿論それだけではないが。
ディアストロ伯爵家の爵位を継がずともカイル個人の立場はそれなりに高い地位にいる。御前試合で優勝した腕も多くの人に知らしめた。
が、それだけでは足りないとカイルは日々奮闘していた。
マティアスからの指示も勿論あるが、そうでなくともカイルは自ら動いた。
獣や賊の討伐があればその規模が小さかろうが大きかろうが、カイルは自ら先陣切って動いた。今回の討伐も勿論。
「焦んなよカイル。」
「………。」
サイカと一緒になる。マティアスはサイカを守る為に自分一人の妻ではなくカイルやヴァレリア、リュカを受け入れた。
けれどそれで安心してはいけない。それを、カイルは理解している。
サイカを守る為に。それだけの為にマティアスはカイルたちを受け入れたのだ。
それはつまり…サイカにとって、否、マティアスにとって足手まといになる様であれば、役目を果たせないのであればいつでも切り捨てられるという事。そうならない為にはマティアスに必要とされ続けなければならない。
そしてマティアスに認められ続けるには努力し続け、結果も残さなければならない。
実家の爵位を継ぐ事を弟に譲ったカイルは騎士団の副団長という高い地位にはいるものの…貴族社会で必要になる高い権力はない。
その点リュカやヴァレリアは貴族として高い権力、身分を持っている。リュカは現公爵、ヴァレリアは次期宮中伯という申し分ない身分の、その権力を。
自分にはない大きな武器を二人は持っている。カイルと同じく、マティアスに見定められ続ける二人は。
ダミアンはそんなカイルの焦りを見抜いていた。
「よっしゃ。カイル、お前何飲むよ?」
「……何でもいい。」
「んじゃ俺と同じのでいいな?酒だ酒。腹減ってるか?
いや、減ってなくても何か食え!俺の奢りだ!」
「……声、煩い。」
テーブルの上に並べられていく料理とアルコール。
ボリュームのある朝食を食べたばかりであるはずなのに、ダミアンは並べられた料理を次々に口に運んでいく。
「どしたカイル。食え。」
「………。」
「うめえぞー?」
「………。」
こりゃ重症だわ、とダミアンは大きな溜め息を吐いて……そして、カイルの頭に強力な拳骨を一つ落とした。
「いっ!!?何…!?何で、殴った…!?」
「お前がいつまでもだんまりしてるからだろーが。」
「…はあ!?」
「…俺も暇じゃねーんだよ。お前にとって俺は、愚痴の一つも言えない相手か。普段あんだけ遠慮のくそもないくらい俺に色々言ってんのは何だ。ええ?
一人でじめじめ暗い顔しやがって。こっちの気も滅入るっつーの。」
「………。」
「大事な女に会えないってのは辛ぇよな。その女と一緒になるにも色々越えなきゃなんねぇ試練がある。あの方はそういう方だからな。
同じ状況である他の二人は元々備わってる武器もあって、お前より一歩先を行ってる。だから余計焦ってんだろ。」
「………。」
「何だよその驚いたー、みたいな顔。
俺は平民の生まれだがな。騎士になって長い。
色々知りたくない事も知るし知らんといけない事もあった。」
貴族しか騎士にはなれない。そんな当たり前がマティアスによって変えられた時にダミアンは兵士から騎士になった。
平民が貴族の男子しかなれなかった騎士職に就く。
嫌味も嫌がらせも、やっかみも当然あろう事は予想出来たが、兵士と騎士とでは給金に大きな差がある。
ダミアンは弟妹たちがまだ小さかった事もあり兵士から騎士になる事を決めたが…当初は内心嫌で堪らなかった。
けれどまだ十五歳だったマティアスの言葉に感銘を受け、マティアスへ絶対の忠誠を心の中で誓い、騎士になる覚悟を決めた。
平民は自分一人。周りは貴族だらけ。
色んな悪意をその身、その心に受けてきたダミアンは平民である事を馬鹿にされたくなかった為、色んな努力をしてきた。
「俺はなカイル。あの方が上になれば素晴らしい国になると確信して騎士になった。俺の忠誠は生涯、あの方にある。
けど、俺はお前も気に入ってるし応援だってしてんだ。
…それに、サイ……嬢ちゃんは、あれは守りを固めんとまずい。」
「……ん。」
「どこでどんな生活してたんだか知らねぇけど……美人で性格もいい。それに…あの嬢ちゃん、上に立つ資質があるんだよ。」
「………。」
ディアゴ村に付き添ったダミアンはサイカの資質を知った。
親元を離れ自立して生活をしていたサイカは社会人としてそれなりに経験を積んでいる。
働いてお金を稼ぎ、お金を管理しながら生活をするという事。
成人すれば、社会に出れば親や誰かではなく自分自身に責任が伴う。
責任感は仕事をする上でも重要なものだ。
判断力や理解力。時間内に効率よく作業をするには何から始めるべきかも、新人を教育する事で応用力を、上司や先輩、同僚、後輩と接する事で人間力を、そして精神的な強さも。
学校では学べない色々な事をサイカは社会に出てからも経験し、学んできた。
「なんつーか。色々規格外なんだよ…嬢ちゃん。
人を大きく惹き付ける力もある。いい方に巻き込む力も大きい。頭もいい。多分頭の回転も早い。おまけに行動力もある。
そういう部分をディアゴ村で見てな。…分かる奴はすぐ分かる。
…嬢ちゃん、あれは相当危ないぞ。」
「……分かってる。」
「本当か?……いいかカイル。歴史上の素晴らしい王に、素晴らしい妃がいたのなんか稀なんだよ。
まあ素晴らしいにも色々あるわ。頭がいいとか美人だとか、家柄がめちゃくちゃいいとか優しいとか。
女のせいで名君が暴君に変わったなんて事もしょっちゅうある。」
「……。」
「嬢ちゃんは美人なだけでなく優しいし家柄もいい、博識っつーか頭もいい。人を大きく惹き付ける力もある。そんでもって、…多分、色んな事を考えて、自分で解決出来る力も持ってる。こうしたらいい、ああしたらいい。その都度出来る事を考えて、解決しようとする。…そういう上に立つ資質を持ってる。これがどういう事か分かるよな?」
日本からやってきたサイカと令嬢たちとの違いは学びの差。環境の違い。時代の違い。
結婚し子供を生む事に重きを置いている多くの令嬢たち。
一方で結婚するもしないも自らの意思で選択出来る現代日本生まれのサイカ。その違いは大きかった。
「…ちゃんと、分かってる。」
三ヶ月前にマティアスから聞いた話をカイルは思い出す。
サイカが日本でどういった生き方をしてきたか。
今のサイカの全てが、故郷である日本で培ったもの。
マティアスからの話を聞いてカイルは焦りを感じた。
知る前と知った後では…大きく意識が変わった。
この国だけでなく、もしかしたら他の国がサイカを求めるかも知れない。そんな可能性も、あるかもしれないと。
その可能性が生まれた以上、カイルは相応の権力を持たなければならなくなった。
「…分かってる。…だから、このままじゃ…駄目、だって…。
早く、沢山手柄を立てて…爵位でも、勲章でも、貰わないと…。
サイカ、守れない…。」
「…俺は焦んなって言ってんだよ。」
「…何で。焦る。…俺、必要ないって、思われたら。
サイカと、一緒……一緒に、なれない、かも、知れない。」
「……。」
「俺が、最後だけど……それまでに、もっと頑張らないと…。
それまでに、示さないと、………俺、失いたくない…!」
「おま、」
「寝ても、覚めても、ずっとサイカの事、考えてる…。
俺の事、待ってくれるかな、俺、…俺、すごく、恐い…。
…我慢、しなくちゃ、……分かってる。でも、状況が、変わったから。…毎日毎日、不安、すごく、不安で、」
カイルは大粒の涙を流していた。
マティアスから話を聞いてずっと不安を抱えていたカイル。
分かる人間には分かってしまう。サイカがどれだけ、この世界にとって貴重な女かが。
ダミアンが気付いたように、サイカの何気ない言葉や行動一つで気付く人間がいる。
「会いたい。サイカに、会いたい。
頑張っても頑張っても、まだ、遠い気がして、…だから、焦る…。会って、ちゃんと、話せたら、…頑張って、って、言われたら、俺、頑張れる、……会いたい……会いたいよ……すごく、苦しい……ずっと、苦しい…。」
「ったく。…そんだけ強い気持ち抑えてたらそりゃ辛いわな。
ここ三ヶ月黙々と仕事してるだけのお前、ほんとに危なかったからな?お前は気付いてなかっただろうけど…皆お前見て顔真っ青にしてんだよ。恐くて。もうめちゃくちゃ恐くて話しかけんのも嫌だったわ。」
「………。」
「…うし、戻るぞカイル。お前に見せたいもんがある。」
「……仕事?」
「まあそんなもんだ。」
店を出て鼻を赤くしたまま隣を歩くカイルを、まだ幼いな、とダミアンは思う。
そういう環境にあったカイルは今、人として成長をしているのだろうと。
サイカと出会って、止まっていたままの心の成長が、その時間が漸く進んでいるのだろうと。
サイカはカイルにとっての全て。それは生きる上でも。カイルが動くあらゆる理由はサイカの為なのだろうと。
騎士詰め所にある団長室に戻ったダミアンは机の中から分厚い書面を取り出す。
「ほらよ。」
「……何?」
「これはかなり慎重にならないといけない案件だ。
とある大貴族が関わってるかも知れねえからな。
うじうじ中のカイルちゃんには教えてやらねえつもりだったんだが!心優しい俺は気に入った奴を放っておけないお人好しでもある!」
「ちゃん言うな。」
「はあ?女みたいにめそめそうじうじ。カイルちゃんでなく何て呼べばいいんだ?」
「もううじうじしてない。」
「…ま、そうみたいだな。
いいかカイル。焦んなよ。焦ると全部が一瞬で終わる。
ただ慎重になりすぎるのもよくねえ。この仕事は見極めが重要になる。
それから、まだ誰にも話すな。この書類の存在はお前だけに共有する。今は。約束出来るか?」
「…分かった。」
「……じゃ、見てみろ。」
ダミアンから渡された書類を読み進めたカイルは目を見開く。
内容にとんでもない事が書かれてあったからだ。
「……これ、本当…?」
「さあな。昔からキナ臭い話があるっつーか、色々怪しいっつーか。けど上手いこと自分に害がないように仕向けてんだろうな。」
「………。」
「この件が無事に終われば、間違いなく大きな手柄になるだろうよ。…だからカイル、しっかりしろ。めそめそうじうじしてる暇ねえぞ。注意深く様子を伺って、慎重に動いて、そんで見極めて終わらせろ。俺の配慮を無駄にする事だけはすんなよ?」
「…分かった。約束、する。絶対、無駄にしない。
これ見て…不安になってる場合、違う。サイカの為でも、あるから。」
「……どういうことだ…?」
「……ベルナンド侯爵……サイカの事、もしかしたら、狙ってるかもって。…そういう話、出た。」
「………は。だとしたら……絶対終わらせないと駄目だ。絶対に、必ず。やるぞ、カイル。」
「ん。分かってる。……もう、うじうじ、しない。」
「おう。期待してるぜ、カイルちゃん!」
「ちゃん言うな。」
書面に書かれていたベルナンド侯爵の名前。
それぞれがそれぞれの役目を果たすべく。
カイルはカイルの出来る事を果たすべく、サイカを守る為に動く事になる。
「あんなに優しくて気さくなお貴族様もいるんだねぇ!」
「うちの店にある物なんて安物ばっかりでたかが知れてる。
貴族街に行けばもっといい物も沢山あるってのにきらきらした笑顔見せてくれるんだ。もう嬉しいったらないよ!」
「お父様、わたくしクライス侯爵令嬢が着ていたドレスが欲しいわ!どのお店で買えるのかしら!」
「クライス侯爵令嬢があの店で何かを買っていたのよ。何を買ったのかしら。私も欲しいわ。」
「陛下から花を贈られて可愛く微笑まれていた。
クライス侯爵令嬢は花が好きらしいぞ。」
「ディアゴ村で土砂崩れがあっただろう?
クライス侯爵令嬢は自ら土砂の片付けを手伝ったらしいんだ。騎士がそんな話をしていた。」
「あたしはディアゴ村にある知り合いから聞いたんだ!間違いないよ!」
「はぁ…。やっぱり侯爵令嬢は女神様だなぁ。」
「本当にお優しい方だ。」
帝都の街では至る所でサイカの話がされるようになった。
市民街でもそして貴族街でも。
市民街ではサイカの美しさだけでなく人柄について。
貴族街ではそのとんでもない美貌について。
そして、ディアゴ村でサイカがどう行動したかも。
美し過ぎる美貌にあやかりたい貴族令嬢たちはサイカの着ていたドレスや身に付けていた宝石、店で買った雑貨や小物、使っていた色の化粧道具、同じ物で無くても似た物をこぞって買った。
貴族の男たちもまた、サイカがマティアスから花をもらって喜んでいたと聞いて、花や花が描かれてある小物や雑貨等々を買いクライス邸へと贈る。
サイカと縁が持てるかも知れないと僅かな希望を抱いて。
「…どこもかしこもサイカ嬢の話ばっかりだな。」
「……ん。」
騎士団長であるダミアンはこの日、貴重な休みだった。
朝早くに目が覚め、走り込みや鍛練をし終えた後に向かったのは市民街の定食屋。
朝からボリュームのある朝食を取った後、特に宛もなくぶらぶらとしていたそんな時に、討伐帰りのカイルと会った。
「この後は書類仕事だけだろ?ちょっと酒でも飲んでくか?」
「……いい。」
「……今日のカイルも機嫌わりぃなー…ったく。
俺の休暇にちょっと付き合えよ。」
「は?まだ、仕事中。」
「団長命令団長命令。俺がいいって言ってんだからいいんだよ。お前ちょっと働き過ぎだしな。」
「………。」
ここ最近、カイルは休みなく働き詰めだった。
サイカに会えない寂しさや鬱憤を仕事で晴らそうともしていた。
勿論それだけではないが。
ディアストロ伯爵家の爵位を継がずともカイル個人の立場はそれなりに高い地位にいる。御前試合で優勝した腕も多くの人に知らしめた。
が、それだけでは足りないとカイルは日々奮闘していた。
マティアスからの指示も勿論あるが、そうでなくともカイルは自ら動いた。
獣や賊の討伐があればその規模が小さかろうが大きかろうが、カイルは自ら先陣切って動いた。今回の討伐も勿論。
「焦んなよカイル。」
「………。」
サイカと一緒になる。マティアスはサイカを守る為に自分一人の妻ではなくカイルやヴァレリア、リュカを受け入れた。
けれどそれで安心してはいけない。それを、カイルは理解している。
サイカを守る為に。それだけの為にマティアスはカイルたちを受け入れたのだ。
それはつまり…サイカにとって、否、マティアスにとって足手まといになる様であれば、役目を果たせないのであればいつでも切り捨てられるという事。そうならない為にはマティアスに必要とされ続けなければならない。
そしてマティアスに認められ続けるには努力し続け、結果も残さなければならない。
実家の爵位を継ぐ事を弟に譲ったカイルは騎士団の副団長という高い地位にはいるものの…貴族社会で必要になる高い権力はない。
その点リュカやヴァレリアは貴族として高い権力、身分を持っている。リュカは現公爵、ヴァレリアは次期宮中伯という申し分ない身分の、その権力を。
自分にはない大きな武器を二人は持っている。カイルと同じく、マティアスに見定められ続ける二人は。
ダミアンはそんなカイルの焦りを見抜いていた。
「よっしゃ。カイル、お前何飲むよ?」
「……何でもいい。」
「んじゃ俺と同じのでいいな?酒だ酒。腹減ってるか?
いや、減ってなくても何か食え!俺の奢りだ!」
「……声、煩い。」
テーブルの上に並べられていく料理とアルコール。
ボリュームのある朝食を食べたばかりであるはずなのに、ダミアンは並べられた料理を次々に口に運んでいく。
「どしたカイル。食え。」
「………。」
「うめえぞー?」
「………。」
こりゃ重症だわ、とダミアンは大きな溜め息を吐いて……そして、カイルの頭に強力な拳骨を一つ落とした。
「いっ!!?何…!?何で、殴った…!?」
「お前がいつまでもだんまりしてるからだろーが。」
「…はあ!?」
「…俺も暇じゃねーんだよ。お前にとって俺は、愚痴の一つも言えない相手か。普段あんだけ遠慮のくそもないくらい俺に色々言ってんのは何だ。ええ?
一人でじめじめ暗い顔しやがって。こっちの気も滅入るっつーの。」
「………。」
「大事な女に会えないってのは辛ぇよな。その女と一緒になるにも色々越えなきゃなんねぇ試練がある。あの方はそういう方だからな。
同じ状況である他の二人は元々備わってる武器もあって、お前より一歩先を行ってる。だから余計焦ってんだろ。」
「………。」
「何だよその驚いたー、みたいな顔。
俺は平民の生まれだがな。騎士になって長い。
色々知りたくない事も知るし知らんといけない事もあった。」
貴族しか騎士にはなれない。そんな当たり前がマティアスによって変えられた時にダミアンは兵士から騎士になった。
平民が貴族の男子しかなれなかった騎士職に就く。
嫌味も嫌がらせも、やっかみも当然あろう事は予想出来たが、兵士と騎士とでは給金に大きな差がある。
ダミアンは弟妹たちがまだ小さかった事もあり兵士から騎士になる事を決めたが…当初は内心嫌で堪らなかった。
けれどまだ十五歳だったマティアスの言葉に感銘を受け、マティアスへ絶対の忠誠を心の中で誓い、騎士になる覚悟を決めた。
平民は自分一人。周りは貴族だらけ。
色んな悪意をその身、その心に受けてきたダミアンは平民である事を馬鹿にされたくなかった為、色んな努力をしてきた。
「俺はなカイル。あの方が上になれば素晴らしい国になると確信して騎士になった。俺の忠誠は生涯、あの方にある。
けど、俺はお前も気に入ってるし応援だってしてんだ。
…それに、サイ……嬢ちゃんは、あれは守りを固めんとまずい。」
「……ん。」
「どこでどんな生活してたんだか知らねぇけど……美人で性格もいい。それに…あの嬢ちゃん、上に立つ資質があるんだよ。」
「………。」
ディアゴ村に付き添ったダミアンはサイカの資質を知った。
親元を離れ自立して生活をしていたサイカは社会人としてそれなりに経験を積んでいる。
働いてお金を稼ぎ、お金を管理しながら生活をするという事。
成人すれば、社会に出れば親や誰かではなく自分自身に責任が伴う。
責任感は仕事をする上でも重要なものだ。
判断力や理解力。時間内に効率よく作業をするには何から始めるべきかも、新人を教育する事で応用力を、上司や先輩、同僚、後輩と接する事で人間力を、そして精神的な強さも。
学校では学べない色々な事をサイカは社会に出てからも経験し、学んできた。
「なんつーか。色々規格外なんだよ…嬢ちゃん。
人を大きく惹き付ける力もある。いい方に巻き込む力も大きい。頭もいい。多分頭の回転も早い。おまけに行動力もある。
そういう部分をディアゴ村で見てな。…分かる奴はすぐ分かる。
…嬢ちゃん、あれは相当危ないぞ。」
「……分かってる。」
「本当か?……いいかカイル。歴史上の素晴らしい王に、素晴らしい妃がいたのなんか稀なんだよ。
まあ素晴らしいにも色々あるわ。頭がいいとか美人だとか、家柄がめちゃくちゃいいとか優しいとか。
女のせいで名君が暴君に変わったなんて事もしょっちゅうある。」
「……。」
「嬢ちゃんは美人なだけでなく優しいし家柄もいい、博識っつーか頭もいい。人を大きく惹き付ける力もある。そんでもって、…多分、色んな事を考えて、自分で解決出来る力も持ってる。こうしたらいい、ああしたらいい。その都度出来る事を考えて、解決しようとする。…そういう上に立つ資質を持ってる。これがどういう事か分かるよな?」
日本からやってきたサイカと令嬢たちとの違いは学びの差。環境の違い。時代の違い。
結婚し子供を生む事に重きを置いている多くの令嬢たち。
一方で結婚するもしないも自らの意思で選択出来る現代日本生まれのサイカ。その違いは大きかった。
「…ちゃんと、分かってる。」
三ヶ月前にマティアスから聞いた話をカイルは思い出す。
サイカが日本でどういった生き方をしてきたか。
今のサイカの全てが、故郷である日本で培ったもの。
マティアスからの話を聞いてカイルは焦りを感じた。
知る前と知った後では…大きく意識が変わった。
この国だけでなく、もしかしたら他の国がサイカを求めるかも知れない。そんな可能性も、あるかもしれないと。
その可能性が生まれた以上、カイルは相応の権力を持たなければならなくなった。
「…分かってる。…だから、このままじゃ…駄目、だって…。
早く、沢山手柄を立てて…爵位でも、勲章でも、貰わないと…。
サイカ、守れない…。」
「…俺は焦んなって言ってんだよ。」
「…何で。焦る。…俺、必要ないって、思われたら。
サイカと、一緒……一緒に、なれない、かも、知れない。」
「……。」
「俺が、最後だけど……それまでに、もっと頑張らないと…。
それまでに、示さないと、………俺、失いたくない…!」
「おま、」
「寝ても、覚めても、ずっとサイカの事、考えてる…。
俺の事、待ってくれるかな、俺、…俺、すごく、恐い…。
…我慢、しなくちゃ、……分かってる。でも、状況が、変わったから。…毎日毎日、不安、すごく、不安で、」
カイルは大粒の涙を流していた。
マティアスから話を聞いてずっと不安を抱えていたカイル。
分かる人間には分かってしまう。サイカがどれだけ、この世界にとって貴重な女かが。
ダミアンが気付いたように、サイカの何気ない言葉や行動一つで気付く人間がいる。
「会いたい。サイカに、会いたい。
頑張っても頑張っても、まだ、遠い気がして、…だから、焦る…。会って、ちゃんと、話せたら、…頑張って、って、言われたら、俺、頑張れる、……会いたい……会いたいよ……すごく、苦しい……ずっと、苦しい…。」
「ったく。…そんだけ強い気持ち抑えてたらそりゃ辛いわな。
ここ三ヶ月黙々と仕事してるだけのお前、ほんとに危なかったからな?お前は気付いてなかっただろうけど…皆お前見て顔真っ青にしてんだよ。恐くて。もうめちゃくちゃ恐くて話しかけんのも嫌だったわ。」
「………。」
「…うし、戻るぞカイル。お前に見せたいもんがある。」
「……仕事?」
「まあそんなもんだ。」
店を出て鼻を赤くしたまま隣を歩くカイルを、まだ幼いな、とダミアンは思う。
そういう環境にあったカイルは今、人として成長をしているのだろうと。
サイカと出会って、止まっていたままの心の成長が、その時間が漸く進んでいるのだろうと。
サイカはカイルにとっての全て。それは生きる上でも。カイルが動くあらゆる理由はサイカの為なのだろうと。
騎士詰め所にある団長室に戻ったダミアンは机の中から分厚い書面を取り出す。
「ほらよ。」
「……何?」
「これはかなり慎重にならないといけない案件だ。
とある大貴族が関わってるかも知れねえからな。
うじうじ中のカイルちゃんには教えてやらねえつもりだったんだが!心優しい俺は気に入った奴を放っておけないお人好しでもある!」
「ちゃん言うな。」
「はあ?女みたいにめそめそうじうじ。カイルちゃんでなく何て呼べばいいんだ?」
「もううじうじしてない。」
「…ま、そうみたいだな。
いいかカイル。焦んなよ。焦ると全部が一瞬で終わる。
ただ慎重になりすぎるのもよくねえ。この仕事は見極めが重要になる。
それから、まだ誰にも話すな。この書類の存在はお前だけに共有する。今は。約束出来るか?」
「…分かった。」
「……じゃ、見てみろ。」
ダミアンから渡された書類を読み進めたカイルは目を見開く。
内容にとんでもない事が書かれてあったからだ。
「……これ、本当…?」
「さあな。昔からキナ臭い話があるっつーか、色々怪しいっつーか。けど上手いこと自分に害がないように仕向けてんだろうな。」
「………。」
「この件が無事に終われば、間違いなく大きな手柄になるだろうよ。…だからカイル、しっかりしろ。めそめそうじうじしてる暇ねえぞ。注意深く様子を伺って、慎重に動いて、そんで見極めて終わらせろ。俺の配慮を無駄にする事だけはすんなよ?」
「…分かった。約束、する。絶対、無駄にしない。
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「……どういうことだ…?」
「……ベルナンド侯爵……サイカの事、もしかしたら、狙ってるかもって。…そういう話、出た。」
「………は。だとしたら……絶対終わらせないと駄目だ。絶対に、必ず。やるぞ、カイル。」
「ん。分かってる。……もう、うじうじ、しない。」
「おう。期待してるぜ、カイルちゃん!」
「ちゃん言うな。」
書面に書かれていたベルナンド侯爵の名前。
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