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92 多忙なサイカ②
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「サイカ。今から向かう所がどんな場所かはディーノから聞いたか?」
「はい。二ヶ月前…災害が起こってしまった村だとか。」
「そうだ。国の最南端にある村…山に囲まれたディアゴ村は二ヶ月前、大雨による土砂崩れに巻き込まれた。
騎士ではなく兵を行かせて土砂の撤去に当たってはいるが…未だに酷い状況だ。今日は物資を届けるのが主たる目的だが兵や民たちの様子も見る。見舞いといった所だ。」
「被害は…どのくらいなのですか…?」
「村の半分が土砂に飲み込まれた。それも居住地が密集していた部分が。死者四十、行方が分からない者が三十。残った住民は九十。…元々小さな村だったが…住む所がない者たちもいる。今は各々知人友人の家に住まわせてもらっている様だが…」
「…気は使いますよね…。」
「そうだな…。だが新たに家を建てようにも土砂が片付いていないんだ。土砂が片付かない事には新しく家を建てる事が出来ない。如何せん、人の手で作業を進めているからな。中々だ。」
マティアスの婚約者としての私の日々。
今日から凡そ二週間かけた村にマティアスと一緒に行く。初めての視察だ。
向かっている場所は土砂崩れがあった村で…水や食料、日用品といった物資を届けに行くのと、土砂崩れの被害にあった村の人たち、そして今も土砂撤去に勤しんでいる兵たちの見舞いも兼ねた視察。
帝都から二週間もかかる場所にあるその村は、レスト帝国の最南端にある。
「……人の手だと、尚時間が掛かるよね…。」
日本に暮らしていた時も地震や台風、大雨や渇水、雪など色んな自然の猛威が起こって、その時期その時期でニュースに取り上げられていた。
文明が発達した時代である日本とは違い、まだまだ人の手が主流な異世界では…土砂の撤去も儘ならないのだろう。
二ヶ月経った今も、撤去は進んでいないと言う。
「ディアゴ村には俺も一度見舞いに行ったきりでな。
…変わり果てた村を見て心が痛んだ。」
「災害前はどんな村だったんですか?」
「山に囲まれただけあって、自然が美しい村だ。
のどかでゆったりとした村。……以前の様に戻るには…時間がかかるかも知れんが…。」
「………。」
「そなたには村の者たちを元気付けてやってほしい。」
「…出来るでしょうか…。」
「出来るとも。普段のそなたでいい。普段のそなたで皆に接してくれたのでいい。それだけで…元気になる。」
隣に座るマティアスに肩を寄せられぴたりとくっつく。
「そなたは俺の自慢の婚約者だ。
誰よりも優しい、自慢の恋人だ。そなたの、思いやりに長けた豊かな心は…ディアゴ村に住む皆にとっても必ずや癒しになるだろう。」
「…マティアス…。」
村に着く二週間の旅路は不謹慎かも知れないが楽しいものだった。
マティアスと、護衛には団長さんと見知った顔の騎士も数人。人数は計二十人の大所帯。
色んな景色を見て、夜になると近隣の村や町で休む。
帝都でもクライス領でもない、全く知らない土地は帝都やクライス領にはない物やその村、町特有の料理も沢山あって、沢山の人と出会える事も出来た。
鋪装されていない道を馬車で通るのは未だ馬車に慣れていない私には少しキツいものだったけれど、労ってくれるマティアスの優しさに癒され、そしてついに、レスト帝国最南端の村、ディアゴ村に到着した。
「……酷い…。」
「ああ。…だが、これでも少しマシになった方だ。」
「……。」
自然の猛威。
土砂は色んなものを飲み込んでいた。
それは人々の生きる希望さえも。
村には活気もなく、家を失ってしまった人たちだろうか…土砂を見たままずっと立ち尽くしている人たちも。
多くの兵が土砂を撤去している作業をその場に座り込んで見ている人たちもいた。
その目は何を映しているのか分からない。
以前そこにあった大切なものを映しているのか、何も映していないのか。
私に一体、何が出来るのだろう。この光景を見ると、何も出来ないとそう思う。
「…サイカ。」
「………。」
こんなに。こんなに悲しい、苦しいものだったんだ。
画面越しに見るのとは違う。誰かの話を聞くのとは違う。
実際に自分の目で見るこの光景は、こんなにも、こんなにも私が無力な存在だと思い知らされる。
ここで出来る事なんて、何一つない。元気付ける?どうやって?
「陛下!態々足を運んで下さり…誠に有り難う御座います…!」
「楽にして良い。カサード男爵、紹介する。俺の婚約者、サイカ・クライス侯爵令嬢だ。…サイカ、此方はこの村の領主、マーク・カサード男爵で………サイカ…?」
「………。」
何処かで赤ん坊の泣き声が聞こえている。
それから、子供が何かを叫んでいる声。一体何処から…?
「サイカ、」
「………。」
その叫び声は泣いてるようだった。怒ったような叫び声なのに、悲しい声だった。とても悲しい声。
悲しい、苦しいと伝わってくる声だ。
その声の方向へ、足が進む。勝手に、無意識に。すごく悲しくて、すごく、私も辛くなる、そんな声の元へ。
「サイカ…!」
マティアスの声も、周りのざわめきも耳に入っていなかった。
声はどんどん近くなって、そして見つける。
まだ十歳にも満たない男の子が、泣き止まない赤ん坊に泣き止んでよと怒っていた。
近くにいる大人たちは生気を失ったように座り込んでいるか、通り過ぎていくだけ。
「泣き止んで!お願いだから、泣き止んでよ!
どうして泣くの!何がほしいの!何をしてほしいの!?言ってくんないとわかんないんだよ!」
怒っているのにすごく不安になっている声だった。
泣きたいのを必死に我慢している声だった。
「…どうしたの…?」
「っ、……え、………だ、だれ…?」
「…お姉ちゃんはサイカと言うの…。あなたとこの子は何と言うお名前?」
「……僕は、ウィル。この子はウィラン…。ウィラン、…何で泣いてるのか分かんないの…。
おばさんからお乳ももらったし、おしめも変えたのに。でもずっと泣いてて…どうしていいか、もう、分かんなくて、」
「そっか。…それで、泣き止んでって言ってたのね。」
「……ん。」
「ね、ウィル君。…ウィラン君、お姉ちゃんが抱っこしてもいい…?」
「……いいよ…泣いてて、うるさいけど…。」
「ありがとう。」
ウィル君からウィラン君を預かり、抱っこする。
乳児特有の甘い乳の匂いがして、それから力強い泣き声に必死に生きようとしている力を感じた。
「よしよし。ウィラン君はどうしたのかな?
よしよし。いい子いい子。ウィラン君はいい子ね。よしよし。」
「………ずっと、泣いてて、泣き止まないの。
僕、…ウィランがどうしてほしいのか、分かんない…。」
「そうだよね…。ウィラン君はまだ赤ちゃんだから…喋れないから、分からないよね…。」
「……うん…。」
この子は先ほど、お乳を“おばさん”からもらったと言っていた。
では両親はどうしたのだろうか。…もしかしたら、一人で弟をあやしていたのは…今回の土砂崩れで両親を亡くしてしまったからなのかも知れない。
そうだとしたら…幼い心にどれだけ負担がかかった事だろう。
「……お父さんとお母さんは…?」
「…………死んじゃった。一回目にゆれた時、父さんが、僕に、ウィランを抱っこしたまま向こうまで走れって。父さんは、母さんを連れていくからって。そしたら…二回目のゆれがきて……おうち、なくなってた。」
「……お母さん、具合が悪かったの…?」
「……うん。ウィランが生まれて、毎日苦しそうだったけど、大丈夫って言ってた…。」
「…そう…。」
「父さんがね、ウィランは僕の弟だから、お兄ちゃんの僕が守ってあげるんだよって言ってた。
…だから僕が、ウィランを守らなくちゃいけないんだ。
ウィランはまだ小さいから、食べ物も自分じゃ食べられないし…僕が、ちゃんと見ててあげないといけないんだ。」
ふと思った。
この子は泣いたのだろうか。まだ十歳にも満たない外見の男の子。
両親を失って、とても悲しい思いをしたはずだ。
大人だった私だって、この世界に来て突然別れた両親を思うと涙が出た。
もう二度と会えないんだと思うと、とても悲しかった。
大人の私でさえ、とても悲しくて、否、今でも悲しくなる時があるのだから。ほんの二ヶ月前に両親を失ったばかりのこの子は、私以上に悲しくて苦しいはずだ。
この子は弟を守ると…まるで自分に言い聞かせているみたい。
そうして……今にも壊れそうな心を、必死で守っているみたい。
「…おいでウィル君。お姉ちゃんのお膝においで。」
「え?……きれいなドレスが汚れちゃうよ…。」
「いいからおいで。大丈夫。お姉ちゃん、ドレスが汚れても全然気にしないから。」
おずおずとした様子でウィル君が膝に座る。
全身砂塵で汚れていて、そして酸っぱい匂いもしていた。
「…よしよし…。」
「……お、お姉ちゃん…?」
「ねえウィル君。ウィル君はとっても頑張り屋さんなのね。
まだ赤ちゃんのウィラン君を守って、沢山頑張ってきたのね。」
「………。」
「よしよし。いい子いい子。ウィル君もウィラン君も、とってもいい子。だけど、辛いよね。いっぱい悲しいよね。
お姉ちゃんも…悲しい。お姉ちゃんも、大切な人とお別れしたから……いっぱい悲しくて辛くて、いっぱい泣いたの。」
「……お姉ちゃんも…?」
「そうよ。悲しくて悲しくて、すごく、心が痛くて。
大好きだったから。とても大切だったから。もう二度と会えないって思うと…すごく辛くて。
……ウィル君も、そうなのよね?いっぱい悲しいけど、ウィル君はウィラン君のお兄ちゃんだから…いっぱい我慢してるんだよね?」
「………。」
「泣いていいの。我慢しなくていいの。辛いなら辛いってお姉ちゃんに言っていいの。
お姉ちゃんも大人だけど…沢山泣いたから。子供のウィル君はいっぱい泣いていい。
じゃないとウィル君が辛いでしょう…?」
「………。」
「お父さんとお母さんは、ウィル君にとってもウィラン君にとっても大好きで、大事な人。
大好きな人を失う悲しみは…とても辛いもの。我慢しないで。
悲しいって言っていいの。我慢しないで。…辛くて悲しくて、心が痛い気持ち…我慢しないで吐き出して。じゃないと、今も苦しいって言ってるウィル君の心が可哀想よ。」
よしよしと頭を撫でるとウィル君から大粒の涙が溢れ出す。
溢れ出して、此方の心が痛むくらい泣き叫んだ。
「ああああああん…、うああああああん…!あーーーーーーー!!おとうさ、おかあさ…ああああああああああ……!!
さみしいよお…!さみしい…いたいよおおおおお……!!
ぼく、ぼく、…ぼくだけじゃ、ウィラン、まもれない!!どうしていいかわかんないよおおお…!!」
「…我慢しないで。大丈夫、お姉ちゃんにぶつけていいからね…。」
「おとう、おか、さ、…うああああん、おね、ちゃ……おね、…おね、ちゃ、おねえ、ちゃんっ…、」
「よしよし…頑張ったね…泣くこともしないで、ウィラン君を守ってたんだね。…頑張ったね。沢山、辛いよね、苦しくて、悲しいよね…。」
「ひっく、ひっく、おねえちゃん、おねえちゃん…、ぼく、ぼく、…おとうさん、おかあさん、だいすきだったの、だいすき、だいすき、…どうして、ううう、どうして、しんじゃったの、ひっく、どして、いたいよぅ、かなしいよぉ……、」
「…うん。……痛いよね…すごく、悲しいよね…。
お姉ちゃんもそうだった…。」
「むらの、ひと、おなじ、だから、…ふぇ、ぼく、ウィラン、どうしたのって、いわない、っ、みんな、おなじ、だから…、お、おばさん、も、みんな、」
「…うん。だから、ウィル君が一人でウィラン君を守ってたんだよね…。偉かったね。とっても、偉かったね。」
まだ幼い心にどれだけ負担がかかっていた事だろう。
皆大切な誰かを亡くして、大切なものを失って。
同じだから助けてとも手伝ってとも言えなくて。
自分が弟を守らなくちゃいけないんだと気を張って。
大切な、大好きな両親の死を、心のままに悲しむ事も、素直に泣くことも出来ずに。今日まで耐えて、必死に耐えてきたんだろう。
そう思うとこの子がとても立派で、とても尊く思った。
愛しく思った。
「……サイカ……そなた……、」
沢山泣いて、泣き叫んだウィル君はその後泣きつかれて眠った。その寝顔は安堵した表情で…私はウィル君の頭を撫で続ける。
「サイカ。その子らはカサード男爵の屋敷で寝かせよう。構わないか、カサード男爵。」
「勿論で御座います。」
「サイカ嬢、赤ん坊とその子は我々が運びます。」
「では…ウィラン君を頼みます。…この子…ウィル君は、私がこのまま運びますから。」
「しかし…サイカ嬢の負担に…。」
「大丈夫。…それにウィル君、私のドレスを掴んで離さないの。無理に動かすと起こしてしまうかも知れないでしょう?
…こんなにぐっすり眠っているのだから…起こすのは可哀想です。」
「…は。サイカ嬢のお心に従います。」
「ありがとうございます、ダミアン様。」
「いいえ…とんでも御座いません。」
「ではサイカ、行こう。」
眠るウィル君を抱えて、そのずっしりとした命の重みを感じる。
何が出来るか分からない。出来る事はないかも知れない。
だけど、だからと言って何もしないのはきっと駄目だ。
何も出来なかったのと、何もしなかったのとでは意味が違うから。
私はこの村で自分に出来る事を探して、精一杯取り組もう。
小さな子供の命の重みが、私の腕の中にあった。
「はい。二ヶ月前…災害が起こってしまった村だとか。」
「そうだ。国の最南端にある村…山に囲まれたディアゴ村は二ヶ月前、大雨による土砂崩れに巻き込まれた。
騎士ではなく兵を行かせて土砂の撤去に当たってはいるが…未だに酷い状況だ。今日は物資を届けるのが主たる目的だが兵や民たちの様子も見る。見舞いといった所だ。」
「被害は…どのくらいなのですか…?」
「村の半分が土砂に飲み込まれた。それも居住地が密集していた部分が。死者四十、行方が分からない者が三十。残った住民は九十。…元々小さな村だったが…住む所がない者たちもいる。今は各々知人友人の家に住まわせてもらっている様だが…」
「…気は使いますよね…。」
「そうだな…。だが新たに家を建てようにも土砂が片付いていないんだ。土砂が片付かない事には新しく家を建てる事が出来ない。如何せん、人の手で作業を進めているからな。中々だ。」
マティアスの婚約者としての私の日々。
今日から凡そ二週間かけた村にマティアスと一緒に行く。初めての視察だ。
向かっている場所は土砂崩れがあった村で…水や食料、日用品といった物資を届けに行くのと、土砂崩れの被害にあった村の人たち、そして今も土砂撤去に勤しんでいる兵たちの見舞いも兼ねた視察。
帝都から二週間もかかる場所にあるその村は、レスト帝国の最南端にある。
「……人の手だと、尚時間が掛かるよね…。」
日本に暮らしていた時も地震や台風、大雨や渇水、雪など色んな自然の猛威が起こって、その時期その時期でニュースに取り上げられていた。
文明が発達した時代である日本とは違い、まだまだ人の手が主流な異世界では…土砂の撤去も儘ならないのだろう。
二ヶ月経った今も、撤去は進んでいないと言う。
「ディアゴ村には俺も一度見舞いに行ったきりでな。
…変わり果てた村を見て心が痛んだ。」
「災害前はどんな村だったんですか?」
「山に囲まれただけあって、自然が美しい村だ。
のどかでゆったりとした村。……以前の様に戻るには…時間がかかるかも知れんが…。」
「………。」
「そなたには村の者たちを元気付けてやってほしい。」
「…出来るでしょうか…。」
「出来るとも。普段のそなたでいい。普段のそなたで皆に接してくれたのでいい。それだけで…元気になる。」
隣に座るマティアスに肩を寄せられぴたりとくっつく。
「そなたは俺の自慢の婚約者だ。
誰よりも優しい、自慢の恋人だ。そなたの、思いやりに長けた豊かな心は…ディアゴ村に住む皆にとっても必ずや癒しになるだろう。」
「…マティアス…。」
村に着く二週間の旅路は不謹慎かも知れないが楽しいものだった。
マティアスと、護衛には団長さんと見知った顔の騎士も数人。人数は計二十人の大所帯。
色んな景色を見て、夜になると近隣の村や町で休む。
帝都でもクライス領でもない、全く知らない土地は帝都やクライス領にはない物やその村、町特有の料理も沢山あって、沢山の人と出会える事も出来た。
鋪装されていない道を馬車で通るのは未だ馬車に慣れていない私には少しキツいものだったけれど、労ってくれるマティアスの優しさに癒され、そしてついに、レスト帝国最南端の村、ディアゴ村に到着した。
「……酷い…。」
「ああ。…だが、これでも少しマシになった方だ。」
「……。」
自然の猛威。
土砂は色んなものを飲み込んでいた。
それは人々の生きる希望さえも。
村には活気もなく、家を失ってしまった人たちだろうか…土砂を見たままずっと立ち尽くしている人たちも。
多くの兵が土砂を撤去している作業をその場に座り込んで見ている人たちもいた。
その目は何を映しているのか分からない。
以前そこにあった大切なものを映しているのか、何も映していないのか。
私に一体、何が出来るのだろう。この光景を見ると、何も出来ないとそう思う。
「…サイカ。」
「………。」
こんなに。こんなに悲しい、苦しいものだったんだ。
画面越しに見るのとは違う。誰かの話を聞くのとは違う。
実際に自分の目で見るこの光景は、こんなにも、こんなにも私が無力な存在だと思い知らされる。
ここで出来る事なんて、何一つない。元気付ける?どうやって?
「陛下!態々足を運んで下さり…誠に有り難う御座います…!」
「楽にして良い。カサード男爵、紹介する。俺の婚約者、サイカ・クライス侯爵令嬢だ。…サイカ、此方はこの村の領主、マーク・カサード男爵で………サイカ…?」
「………。」
何処かで赤ん坊の泣き声が聞こえている。
それから、子供が何かを叫んでいる声。一体何処から…?
「サイカ、」
「………。」
その叫び声は泣いてるようだった。怒ったような叫び声なのに、悲しい声だった。とても悲しい声。
悲しい、苦しいと伝わってくる声だ。
その声の方向へ、足が進む。勝手に、無意識に。すごく悲しくて、すごく、私も辛くなる、そんな声の元へ。
「サイカ…!」
マティアスの声も、周りのざわめきも耳に入っていなかった。
声はどんどん近くなって、そして見つける。
まだ十歳にも満たない男の子が、泣き止まない赤ん坊に泣き止んでよと怒っていた。
近くにいる大人たちは生気を失ったように座り込んでいるか、通り過ぎていくだけ。
「泣き止んで!お願いだから、泣き止んでよ!
どうして泣くの!何がほしいの!何をしてほしいの!?言ってくんないとわかんないんだよ!」
怒っているのにすごく不安になっている声だった。
泣きたいのを必死に我慢している声だった。
「…どうしたの…?」
「っ、……え、………だ、だれ…?」
「…お姉ちゃんはサイカと言うの…。あなたとこの子は何と言うお名前?」
「……僕は、ウィル。この子はウィラン…。ウィラン、…何で泣いてるのか分かんないの…。
おばさんからお乳ももらったし、おしめも変えたのに。でもずっと泣いてて…どうしていいか、もう、分かんなくて、」
「そっか。…それで、泣き止んでって言ってたのね。」
「……ん。」
「ね、ウィル君。…ウィラン君、お姉ちゃんが抱っこしてもいい…?」
「……いいよ…泣いてて、うるさいけど…。」
「ありがとう。」
ウィル君からウィラン君を預かり、抱っこする。
乳児特有の甘い乳の匂いがして、それから力強い泣き声に必死に生きようとしている力を感じた。
「よしよし。ウィラン君はどうしたのかな?
よしよし。いい子いい子。ウィラン君はいい子ね。よしよし。」
「………ずっと、泣いてて、泣き止まないの。
僕、…ウィランがどうしてほしいのか、分かんない…。」
「そうだよね…。ウィラン君はまだ赤ちゃんだから…喋れないから、分からないよね…。」
「……うん…。」
この子は先ほど、お乳を“おばさん”からもらったと言っていた。
では両親はどうしたのだろうか。…もしかしたら、一人で弟をあやしていたのは…今回の土砂崩れで両親を亡くしてしまったからなのかも知れない。
そうだとしたら…幼い心にどれだけ負担がかかった事だろう。
「……お父さんとお母さんは…?」
「…………死んじゃった。一回目にゆれた時、父さんが、僕に、ウィランを抱っこしたまま向こうまで走れって。父さんは、母さんを連れていくからって。そしたら…二回目のゆれがきて……おうち、なくなってた。」
「……お母さん、具合が悪かったの…?」
「……うん。ウィランが生まれて、毎日苦しそうだったけど、大丈夫って言ってた…。」
「…そう…。」
「父さんがね、ウィランは僕の弟だから、お兄ちゃんの僕が守ってあげるんだよって言ってた。
…だから僕が、ウィランを守らなくちゃいけないんだ。
ウィランはまだ小さいから、食べ物も自分じゃ食べられないし…僕が、ちゃんと見ててあげないといけないんだ。」
ふと思った。
この子は泣いたのだろうか。まだ十歳にも満たない外見の男の子。
両親を失って、とても悲しい思いをしたはずだ。
大人だった私だって、この世界に来て突然別れた両親を思うと涙が出た。
もう二度と会えないんだと思うと、とても悲しかった。
大人の私でさえ、とても悲しくて、否、今でも悲しくなる時があるのだから。ほんの二ヶ月前に両親を失ったばかりのこの子は、私以上に悲しくて苦しいはずだ。
この子は弟を守ると…まるで自分に言い聞かせているみたい。
そうして……今にも壊れそうな心を、必死で守っているみたい。
「…おいでウィル君。お姉ちゃんのお膝においで。」
「え?……きれいなドレスが汚れちゃうよ…。」
「いいからおいで。大丈夫。お姉ちゃん、ドレスが汚れても全然気にしないから。」
おずおずとした様子でウィル君が膝に座る。
全身砂塵で汚れていて、そして酸っぱい匂いもしていた。
「…よしよし…。」
「……お、お姉ちゃん…?」
「ねえウィル君。ウィル君はとっても頑張り屋さんなのね。
まだ赤ちゃんのウィラン君を守って、沢山頑張ってきたのね。」
「………。」
「よしよし。いい子いい子。ウィル君もウィラン君も、とってもいい子。だけど、辛いよね。いっぱい悲しいよね。
お姉ちゃんも…悲しい。お姉ちゃんも、大切な人とお別れしたから……いっぱい悲しくて辛くて、いっぱい泣いたの。」
「……お姉ちゃんも…?」
「そうよ。悲しくて悲しくて、すごく、心が痛くて。
大好きだったから。とても大切だったから。もう二度と会えないって思うと…すごく辛くて。
……ウィル君も、そうなのよね?いっぱい悲しいけど、ウィル君はウィラン君のお兄ちゃんだから…いっぱい我慢してるんだよね?」
「………。」
「泣いていいの。我慢しなくていいの。辛いなら辛いってお姉ちゃんに言っていいの。
お姉ちゃんも大人だけど…沢山泣いたから。子供のウィル君はいっぱい泣いていい。
じゃないとウィル君が辛いでしょう…?」
「………。」
「お父さんとお母さんは、ウィル君にとってもウィラン君にとっても大好きで、大事な人。
大好きな人を失う悲しみは…とても辛いもの。我慢しないで。
悲しいって言っていいの。我慢しないで。…辛くて悲しくて、心が痛い気持ち…我慢しないで吐き出して。じゃないと、今も苦しいって言ってるウィル君の心が可哀想よ。」
よしよしと頭を撫でるとウィル君から大粒の涙が溢れ出す。
溢れ出して、此方の心が痛むくらい泣き叫んだ。
「ああああああん…、うああああああん…!あーーーーーーー!!おとうさ、おかあさ…ああああああああああ……!!
さみしいよお…!さみしい…いたいよおおおおお……!!
ぼく、ぼく、…ぼくだけじゃ、ウィラン、まもれない!!どうしていいかわかんないよおおお…!!」
「…我慢しないで。大丈夫、お姉ちゃんにぶつけていいからね…。」
「おとう、おか、さ、…うああああん、おね、ちゃ……おね、…おね、ちゃ、おねえ、ちゃんっ…、」
「よしよし…頑張ったね…泣くこともしないで、ウィラン君を守ってたんだね。…頑張ったね。沢山、辛いよね、苦しくて、悲しいよね…。」
「ひっく、ひっく、おねえちゃん、おねえちゃん…、ぼく、ぼく、…おとうさん、おかあさん、だいすきだったの、だいすき、だいすき、…どうして、ううう、どうして、しんじゃったの、ひっく、どして、いたいよぅ、かなしいよぉ……、」
「…うん。……痛いよね…すごく、悲しいよね…。
お姉ちゃんもそうだった…。」
「むらの、ひと、おなじ、だから、…ふぇ、ぼく、ウィラン、どうしたのって、いわない、っ、みんな、おなじ、だから…、お、おばさん、も、みんな、」
「…うん。だから、ウィル君が一人でウィラン君を守ってたんだよね…。偉かったね。とっても、偉かったね。」
まだ幼い心にどれだけ負担がかかっていた事だろう。
皆大切な誰かを亡くして、大切なものを失って。
同じだから助けてとも手伝ってとも言えなくて。
自分が弟を守らなくちゃいけないんだと気を張って。
大切な、大好きな両親の死を、心のままに悲しむ事も、素直に泣くことも出来ずに。今日まで耐えて、必死に耐えてきたんだろう。
そう思うとこの子がとても立派で、とても尊く思った。
愛しく思った。
「……サイカ……そなた……、」
沢山泣いて、泣き叫んだウィル君はその後泣きつかれて眠った。その寝顔は安堵した表情で…私はウィル君の頭を撫で続ける。
「サイカ。その子らはカサード男爵の屋敷で寝かせよう。構わないか、カサード男爵。」
「勿論で御座います。」
「サイカ嬢、赤ん坊とその子は我々が運びます。」
「では…ウィラン君を頼みます。…この子…ウィル君は、私がこのまま運びますから。」
「しかし…サイカ嬢の負担に…。」
「大丈夫。…それにウィル君、私のドレスを掴んで離さないの。無理に動かすと起こしてしまうかも知れないでしょう?
…こんなにぐっすり眠っているのだから…起こすのは可哀想です。」
「…は。サイカ嬢のお心に従います。」
「ありがとうございます、ダミアン様。」
「いいえ…とんでも御座いません。」
「ではサイカ、行こう。」
眠るウィル君を抱えて、そのずっしりとした命の重みを感じる。
何が出来るか分からない。出来る事はないかも知れない。
だけど、だからと言って何もしないのはきっと駄目だ。
何も出来なかったのと、何もしなかったのとでは意味が違うから。
私はこの村で自分に出来る事を探して、精一杯取り組もう。
小さな子供の命の重みが、私の腕の中にあった。
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ヤンデレ義父に執着されている娘の話
アオ
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