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90 護衛から見た二人

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いつも大勢の人間で溢れ返っている帝都の市民街。
本来であればあちこちから賑やかな声が響いている時間帯にも関わらず、道行く者たちはそれまで誰かと話していた会話をぴたりと止め、一点を、一組の恋人たちの様子を見ている。

まあそれもそのはずだろう。
まずこの国で一番尊い存在である皇帝陛下が貴族街なら未だしも市民街を歩く事などない。貴族街でもこれまでに無かった事だ。
しかもその隣にとんでもない、否、絶世の美女がいるのだから…それも、二人共幸せそうに、仲睦まじくデートをしていると来れば…その場にいる皆の信じられない気持ちは同じだろうとも。


「サイカ、楽しいか?」

「はい!マティアスと一緒だと尚楽しいです。
マティアス、何処か見たいお店はないですか?」

「そうだな…俺は特にはないが…そう言うそなたはないのか?」

「私はその…沢山見たい所があって…」

「では全て回ろう。」

「ありがとうございます!じゃあ、歩いていて気になるお店があれば言って下さいね。私だけじゃなくて、マティアスが気になった所にも行きましょう。」

「そうだな。気になる所があればそなたに声を掛ける。」


俺もそうだが護衛に付いている騎士たちは今こう思っているだろう。
『陛下が羨ましい!』
こういう仕事をしていれば貴族令嬢と会う機会もある。プライベートではなく仕事でだが…。
俺たちの知っている女という生き物は噂話が好きで、綺麗な物や可愛い物が好きで、買い物が好きで……それから気が強い。気が強いっつーか我が儘って言った方がいいか。
貴族街でよく見る光景は大量の荷物を持ち、主人の後ろを歩く使用人の姿。
どう見ても大量の荷物。一度馬車に荷を置かせてやればいいのに主人である令嬢は次はあそこの店と指を指す。
付いていく使用人は相当大変だろうなとその時は思った。
買いたい物が買えず苛立つ令嬢も見た事がある。
恋人か旦那か父親かは分からないが…男にあれを買ってくれとねだる令嬢も。
俺からすれば基本的に貴族令嬢という生き物は自分本意で生きている生き物、そういう認識だ。勿論そうじゃない令嬢もいるだろうが…まだ見た事がない。
パーティー会場で陛下や会場を警護している時もそうだ。
つい先程まで他の令嬢と仲良く話していたと思えば…離れた瞬間『センスのないドレスだこと』と鼻で笑っている。
互いを褒め合っていたにも関わらず会話が終われば褒めていたはずの相手への悪口を漏らす…そういう見たくもない現実を見る時も多々ある。
貴族でない平民の女たちも似たもんだ。
人の不幸を面白おかしく話をして、自分が上か下か、小さな世界で優劣を決め安心したり気に入らなかったり。
でもそれは別におかしな事じゃない。それが普通だ。そういう人間の方が多いのが事実だ。

「はぁ~、サイカ嬢…優しいっすよねぇ…。
あの時だって護衛の俺たちにわざわざ挨拶してくれて…」

「あれはじんときた。
それにさっきも…普通相手の行きたい所なんて聞かないよな。」

「気になる所があれば言って下さいだってよ…!俺も言われてぇ…!いや、サイカ嬢とデートしてみてぇ…!!」

「無理だろ。隣に立つって考えただけで体震えるわ。」

「いや、それ以前に陛下に殺される。」

「だよなー…。」

「おい、ちゃんと仕事はしろよ。
陛下も当然だがお前らのお気に入りのサイカ嬢に万が一がないように目を光らせておけ。」

クライス侯爵領まで護衛をした連中はあの日からサイカ嬢にゾッコンだ。
サイカ嬢の会とか言う変な会を定期的に開いている。
『団長も一度どうすか!?』と言われ仕事もあるのに無理矢理参加させられたその会は…マジでサイカ嬢の話しかしていなかった。
サイカ嬢が陛下の婚約者として公になるともう凄かった。
ある部下は雄叫びを上げある部下は涙を流し、ある部下は躍り出しある部下は神に祈りを捧げていた。

『おっしゃあああああ!!サイカ嬢をお守りする日も近いぞこりゃああああ!!』

『きたきたきたーーーー!!未来の王妃であらせられるサイカ嬢の護衛は俺に任せろ!!』

『夜番だろうが昼番だろうが喜んでーーーー!!』

『俺たち精鋭は他の騎士たちよりサイカ嬢の護衛になれる確率が高い!!いや、俺たち精鋭しかいないだろうが!!』

『ばんざーい!!陛下ばんざーい!サイカ嬢ばんざーい!!』


こいつらに護衛を任せてマジで大丈夫か…?そう不安にもなった瞬間だった。
こいつらみたいな気色悪い…否、恐い…否、盲目的狂信的な感情でサイカ嬢を見てはいないが、俺もサイカ嬢には好感しかない。
とんでもなく美しい容姿を別としても、あの二日という短い間でもサイカ嬢の優しい人柄が十分分かった。
陛下に抱えられたまま、きちんと頭を下げ感謝の気持ちを伝えてくれた。
気を付けて帰って下さいと帰りの心配までしてくれた。
何よりあの陛下と、それから女嫌いのカイルが好きになった相手だ。
その優しい性格が作られたものだと疑うわけがない。


カイルは女が嫌いだった。本人は苦手と言うだけだったがあれはどう見ても女嫌い。いや、女性不振とでも言えばいいのか。
俺からすれば容姿なんてどうでもいいが…その容姿でカイルは苦しんできた。
どういう家庭環境で育ってきたのかまでは知らん。
が、知らなくとも分かる事がある。
一人でいる事が多いのは一人の方が楽だからだ。
言葉の拙さは普段から喋ってこなかったからだ。
男よりも女を避けるのは女に傷付けられる事が多かったからだ。
男より女の方が陰湿だとカイルが俺に言った事があるが…本当にその通りだと思う。
こういう仕事をしていればそういった“陰湿”な部分を見る事は多々あった。
パーティーでもそうだ。気に入らない令嬢に対し個ではなく集で追い詰める。
カイルは女のそういう恐さを嫌という程知っていたんだろう。
そのカイルが好きになった女がサイカ嬢だ。

「…あれは好きになるわなぁ。」

男であれば誰もが一目でサイカ嬢に好意を持つだろう。いや、女もか?
他にない美しい容姿に心奪われてしまうだろう。
始まりは容姿。しかしその実、サイカ嬢の本当の魅力はその性格だと、何度か話せばすぐに分かる。
容姿に惹かれ、そして接してみれば容姿でなく最も魅力的な部分、性格を知ってますますサイカ嬢の虜になる。
カイルがよく、『サイカは女神様』と言うが…本当にそうかも知れん。そう思ってしまう。

今もそうだ。
歩くだけで誰も彼もを魅了している。
誰もが立ち止まり会話を止めサイカ嬢を見ている。
男も女も頬を染め、そしてうっとりとした表情でサイカ嬢を見ている。


「林檎を一つ頂けますか?」

「…はっ!?は、はいっ!!勿論です!!」

「おいくらでしょうか。」

「た、タダで差し上げます!!」

「え!?いえいえ!それはいけません!何を買うにも相応の対価が必要です。この林檎一つには育てている方の手間、この場に運ぶ手間、色んな手間がかかっているでしょう?
それにこうしてお店を出されている貴方にだって生活があります。私がタダで貰うわけにはいきません。」

「……。」

「その通りだ。店主、いくらだ。」

「て、鉄貨、一枚、です。」

「鉄貨一枚だな。では二つもらおう。代金はこれで。」

「マティアス、私が!私が支払います!」

「出させてくれ。」

「へ、へ、陛下!こ、これは金、金貨です!も、申し訳ありませんが、お、おつりが…」

「とっておけ。」

「あ、ありがとうございます…!!」


陛下が二つの林檎を受け取り、一つをサイカ嬢へ渡す。
サイカ嬢は笑顔で陛下に礼を言い、その場で林檎にかじりついた。

『!!?』

貴族令嬢にあるまじきその行為に騎士からも市民たちからも驚きの声が上がる。

「…うん!美味しい…!」

「どれ…。………ああ、上手いな。よく熟している。」

サイカ嬢だけでなく陛下も一緒になって林檎を齧る。
それがまた、俺たちを驚かせた。

「ご主人。この林檎、とっても美味しいです。」

「あ、あ、ありがとうございますっ!!」

「また買いに来ますね。」

「は、はいっ!!い、いつでも!いつでもお待ちしておりますっ!!」

褒められた店主はさぞ嬉しかった事だろう。
二人を見送る店主は何処か誇らしげな顔だった。

「ぷ、…はは!」

「だ、団長…?」

「どうしたんです?」

「いや、サイカ嬢は本当、規格外の令嬢だなと思っただけだ。」

「確かに…。俺、貴族のご令嬢が林檎にかじりつくなんて初めて見ましたよ…。」

「ああ。けど、何か“らしい”って思っちまう。
違和感がないんだよ。そう思わねぇか?」

「はい。」

「不思議な感じだけどな。普通なら“はしたない”って周りに思われるだろうけど、サイカ嬢ならそうしてもいいって思っちまう。そうするのが自然っつーか。…似合うんだよなぁ。…よく分かんねぇけど。」

「いや、サイカ嬢は女神っすから。」

「そうそう。林檎を齧るサイカ嬢は豊穣の女神ってとこです。」

「…女神でもお前らの中では色々あんのな。」

「はい!陛下との婚約式の時はもう、夜の女神でしたね!!」

「ちげーよ!美の女神だろ!」

「はあ!?陛下の隣で嬉しそうなあの笑顔を見れば一択!愛の女神だろうが!」

「どうでもいいけど仕事はちゃんとしろ。」

「勿論です!!」


陛下とサイカ嬢、二人の仲睦まじい様子。
その様子を見ようと二人の周りには自然と人が集まって来ていた。
いや、見ようとしていたのはサイカ嬢だと思うが陛下の隣で嬉しそうに、幸せそうに笑うサイカ嬢を見て、そして同じく嬉しそうに、幸せそうに笑う陛下を見て、『二人のデートを見守りたい』という気持ちが沸いたのかも知れない。
そう思わせるものが二人に…いや、サイカ嬢にあった。
サイカ嬢はパーティーで見た時よりも魅力的に写って見えた。恐らく自然体であるからだろう事はすぐに分かった。
緊張や不安、そういうものが一切ない自然体の笑顔。
嬉しい、楽しいという感情を全身で陛下に伝えている。
それが俺たち周りにも伝わって、こっちまで楽しくなってくる。
見ているだけで何故か幸せを分けてもらっている様な気持ちになる。そういう気持ちが伝染して、広がっていく。


「あ…!マティアス、あのお店を見てもいいですか!?」

「雑貨屋か。行こう。」

「はい!」

店に入る二人。護衛の騎士がドアの左右や店の近くで待機しているにも関わらず中の様子を見ようと何人もの人がドアや窓を見つめている。
会話こそ聞こえてこないが…でもとても楽しそうだ。
ぴったりと寄り添って品物を手に取り、二人で何かを話している。
品物を持ち会計をしようとする陛下の隣で慌てた様子のサイカ嬢が金銭を出している。

「…ぷ、くく…!どんなやり取りをしてんのか分かるな。」

会話は聞こえなくとも、慌てた様子のサイカ嬢が何を陛下に伝えているのかが分かる。
サイカ嬢は本当、不思議な令嬢だ。
あれ程美しい容姿でありながら…男心を分かっていない。
自分で金を出そうとするサイカ嬢に対し、サイカ嬢の為に金を使いたい陛下。
男の見栄とかそんなものじゃなく。陛下はサイカ嬢の為に、サイカ嬢が欲しいと思った物を与えてやりたいんだろう。
好いた女の喜ぶ顔が見たい。同じ男としてその陛下の気持ちはよく分かる。
あれだけ美しい容姿をしておいて男心が分かってない、根がうぶなのもまた堪らない。
陛下とカイルはもっと堪らない気持ちなんだろうよ。
きっとサイカ嬢が可愛くて可愛くて仕方ないはずだ。
好きで好きで堪らないはずだ。

「…終わったみたいだな。」

十分後。二人が店から出てくる。
大事そうに袋を手に抱えているサイカ嬢に陛下が荷物を護衛と一緒にいる使用人に渡すよう伝えている。
はっとした様子のサイカ嬢は恐らくずっと荷物を持ったままでいるつもりだったのだろう。
抱えている袋と陛下を交互に見て…そしてしゅんとしながら話出す。

「…本当は、デートの最後に渡そうと思ったんですけど…。」

「?」

「…マティアスへプレゼント。」

「……それで、俺に払わせようとしなかったのか…。」

「マティアスはいつも、私を大切にしてくれる。
マティアスに出会ってからずっと、そう感じてるんです。
いつも私はマティアスに貰ってばかり。物じゃなくて、色んな気持ち。」

「……。」

「今日のデートで、マティアスへのプレゼントを見つけようって思ってたんです。
マティアス。いつも本当にありがとう。…これからも、末永く宜しくお願いします。…大好き、マティアス。」

「っ、…サイカ…!!」


堪らず陛下がサイカ嬢を抱き締める。
もう俺も堪らなかった。年甲斐もなく胸がときめきっぱなしだった。サイカ嬢が可愛すぎてどうにかなりそうだった。
目尻を赤くさせて、恥じらいながら陛下へプレゼントを差し出すサイカ嬢が可愛すぎて。凄まじい衝撃が体中を駆け巡っている。


「む、むねが、むねがくるしい…!」

「いき、…いきできない…!」

「サイカ嬢、マ、マジで可愛すぎません…!?」

「俺も、俺も、大好きって言われたいぃぃ…!!」


この時ばかりは部下たちに呆れた目を向ける事は出来なかった。
何だあの可愛さは。何なんだあの絶世の美女。陛下だけじゃなく俺たちまで殺しにかかってる。可愛さで。
畜生陛下がマジで羨ましい!いや、あのめちゃくちゃ可愛いサイカ嬢と恋人関係のカイルもマジで羨ましい…!!
何か?陛下もカイルもあのめちゃくちゃ可愛いサイカ嬢が結構な頻度で見れんのか?なんだそれ。寿命が縮むぞ!?
これは堪らんわ。陛下もカイルもこりゃ溺愛するに決まってるわ。
俺もサイカ嬢が恋人だったらめちゃくちゃ溺愛してるわこれ。
早まる動機と鼓動を何とか整え、とてつもない衝動も何とか耐える事が出来た。
部下たちは膝を付き地面を叩いている奴もいたが…これについては仕方がない。不可抗力だ。

サイカ嬢が陛下に贈った物は万年筆。
市民街の雑貨屋に置いてある物だ。値段も質も大した物じゃない。
でも陛下にはご自身が持っているどんな物よりもサイカ嬢から貰ったあの万年筆がずっと価値のある物になっただろう。

「ありがとうサイカ。最高の贈り物だ。
そなたが俺にくれたこの万年筆は長く、大切に使わせてもらう。」

「マティアスが喜んでくれたなら私も嬉しい…!
私も、マティアスから貰ったネックレス、長く大切に使いますから…!」

サイカ嬢の全てから陛下への愛情が窺える。
サイカ嬢がどれ程陛下を好いているかが、俺たち見ている周りにも伝わってくる。
本当に。何とも羨ましい限りだ。陛下もカイルも。
サイカ嬢という存在を手に入れた幸運な男たち。

「たくっ。羨ましいったらない。」

陛下は兎も角。
こんな可愛い恋人を手に入れた幸運なカイルにはもっと仕事を増やしてやる。
それくらい構わないだろう。



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