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85 それぞれの、今とこれから
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「サイカ。ディーノの所に比べればまだまだだが…王宮の庭も中々だろう?」
「とっても素敵です!薔薇だけでも沢山種類があって、見ていて全然飽きないもの。」
「それはよかった。…東屋へ行こう。」
「東屋?」
「ああ。東屋の方が景色がいいんだ。そこでお茶にしよう。
勿論、デザートもあるぞ。どうだ?」
「わ、賛成!」
手を繋ぎ王宮の広い庭を歩くお二人。
陛下が指を差す方をサイカ様が興味深そうに見て頷いては瞬間、笑い合うお二人。
こてんとサイカ様が小さな頭を寄り添う陛下の肩へ運び、その小さな頭を陛下がゆっくりと撫でる。
慈しむような二人の視線が重なり、そしてまた笑う。
何とも幸せそうなお二人。幸せそうな陛下のお顔。
夢のような光景が広がっている。
「サイカ様、今日のデザートはアップルパイです。
沢山ありますからね。」
「ありがとうございます、ミケーレさん。」
「どうかミケーレと。サイカ様は陛下の唯一の方。
遠慮は要りません。」
「サイカ。ミケーレと呼んでやってくれ。
爺はさん付けで呼ばれているのが他人の様に感じるらしい。
そう愚痴を言ってきた。」
「な、陛下!愚痴ではありません!訂正して下さい!」
「ああ、すまん。爺はそなたにさん付けで呼ばれるのが寂しいらしい。」
「ふふ、分かりました。ミケーレ、用意して下さった皆様にありがとうと、お礼を言って下さいませんか?」
「礼など…!ああですが…お優しいサイカ様のお気持ちです!
このミケーレがしっかりとお伝えしておきます!」
「ありがとう。」
陛下の婚約者となられたサイカ様。
こうして二人でお会いになる事も、もう誰にも咎められないとあって陛下は嬉しいというお気持ちを隠しもなさらずサイカ様を王宮にお呼びする。
サイカ様が来られれば陛下は必ずサイカ様のお側に。
サイカ様とお二人で過ごす為に鬼気迫る表情で政務をこなしているなど、当然サイカ様は知らない。
陛下のお気持ちはよく分かる。この方の側を一瞬でも離れるわけにはいかないのでしょう。
サイカ様は神に愛されていると言っても過言でない特別美しい容姿をされている。
世の中の多くの男たちが魅了される程美しい、他にいない特別な容姿を。
その美しい容姿をしたサイカ様をモノにしたいと思っている不届きな人間も当然いる。
陛下はそれを危惧していらっしゃるのだ。
けれどサイカ様にも会いたい。だからこそなるべくサイカ様の側にいられる様に毎日政務に励んでいらっしゃる。
「…う~ん、美味しい~…!」
「はは!そなたの顔を見ればよく分かる。…そなたは本当に素直な娘だ。」
「マティアスも食べて。ずっと見られているのは結構恥ずかしいんですから。」
「ふむ。…では、あーんは?」
「もう。……はい、あーん。」
「あー…………んむ、……うん。旨い。」
「ね。やっぱりアップルパイは焼きたてが一番美味しいです!さくさくしてて、中のりんごも大きい!」
「沢山お食べ。そなたの食べる所を見るのも俺は好きだ。
食べる所だけではないが。」
「は、恥ずかしいから!人前では止めて下さい!」
「ははは!りんごの様に真っ赤だな!何とも愛らしい!」
全く。陛下もお人が悪い。
サイカ様が恥ずかしがっているのは可哀想ではあるが、陛下は周りに見せつけてもいるのだ。
サイカ様が誰の寵愛を受けているのか。良からぬ事を企み、機会を伺っている愚か者たちへ。
陛下が如何にサイカ様を愛しているか。見せつける事で抑止出来るのであればそれに越した事はないが…そうでない者たちも当然いる。
あれは陛下とサイカ様の婚約式の後。サイカ様が客室でお眠りになった後の事。
陛下とクライス侯爵閣下、そしてサイカ様の恋人である三名の男たちが再び部屋に集まり話し合っていた。
『やたらサイカの事を聞いてきた者がいた。
ベルナンド侯爵だ。サイカがこれまで何処に居たか、どうして今まで社交界に出なかったのか…兎に角根掘り葉堀り聞こうとしていたな。』
『ベルナンド侯爵…』
『ああ。ヴァレリアの言いたい事は分かるぞ。
マティアス。ベルナンド侯爵とあと…誰だったか…』
『侯爵と一緒にいたのはバロウズ伯爵です。』
『ああ、そうだった。あの二人、気を付けた方がいい。
特に侯爵だ。あの男…何か仕出かすかもしれん。』
『ええ。私もそう思います。』
『……他にもいる。何人かは、純粋な好意だと、思うけど。
…危ないのも、いた。』
『想定内だ。ディーノ、警護はどうなっている。』
『問題ない。式の後の事を想定して屋敷の警護は強化した。
警護に当たる者たちの身元も何ヵ月にも渡り隅々まで調べてある。』
『では警護の中に“異質”が混じればすぐ分かるな?』
『ああ。すぐに分かる。』
『誰であろうとサイカに危害を加えようとするなら容赦するな。今日、サイカは俺の婚約者である事が公になった。その大切な婚約者であるサイカに手を出すという事がどんな事か、愚か者共に徹底的に教えてやれ。俺の名を出してもいい。許可する。』
陛下のお言葉に“当然だ”と皆様が頷く。
当初はサイカ様をお一人だけの妻にと考えていた陛下のお気持ちが変わったのはサイカ様が危険に晒されない為。
類稀な美貌を持つサイカ様が毎日を安心して過ごせる様に、平和に過ごせる様に、その為に陛下は皆様を受け入れた。
ご自分と同じくサイカ様を愛する者同士、サイカ様を守る事が出来る、その力を持つ方々。
レスト帝国の基盤になるであろう方々がサイカ様の周りに集まっている。その事を考えると末恐ろしいという気持ちもある。
まるで見えない何かに導かれているかのように。とても全てが偶然とは思えない。
「ふふ、凄く贅沢だなぁ…。」
「ん?」
「周りは綺麗な景色で、隣には大好きなマティアスがいる。
美味しい紅茶を飲みながら焼きたての美味しいアップルパイを食べて。
お天気もよくて、風も気持ちよくて。鼻から息を吸い込むと花の香りがいっぱいに広がる。
ね?すごく贅沢な時間を過ごしてるなって思うの。」
「…ああ、そなたの言う通りだ。本当に、何と贅沢で幸せな時間だろうな。」
偶然であろうとなかろうとそんな些細な事はどうでもいいかも知れない。
目を細める陛下の幸せそうなお顔を見れば、そんな些細な事など。
『…はぁ……素敵…』
『本当……美しいです…』
給仕の為に一緒に来ている侍女たちの感嘆の声。
サイカ様の美しさに見惚れるのは仕方のない事であるが、それで給仕の手が止まってしまうのは頂けない。
じろりと侍女たちを見ればはっとした様子で自分たちの仕事を思い出す。
「あ、あの。陛下、サイカ様…膝掛けをお使い下さい。」
「どうぞ、」
「俺はいい。サイカに掛けてくれ。風邪を引いては大変だ。」
「か、畏まりました!…サ、サイカ様、失礼致します…。」
「ありがとうございます。」
「い、いいえ!ほ、他にもご用があれば何なりと仰って下さいませ…!」
「ええ、ありがとう。…マティアス、本当に平気?結構風が強いけれど…」
「ああ。………こうして、」
「ひゃ!?」
「そなたを膝の上に乗せれば温かい。」
「マ、マティアス…」
「嫌か?」
「…嫌じゃない、けど。……恥ずかしい。」
「慣れてくれ。…俺は見せつけたい。そなたが誰の愛しい婚約者であるか、皆に見せつけてやりたい。
見せつけ、こうして愛でていたい。誰も咎める者はいない。そなたと一緒にいられる事が俺は何より嬉しいんだ。」
「…う、……ど、努力します…。
マティアスが嬉しいのは、私も嬉しいから。でも、…少しずつ、ね?」
仲睦まじいお二人。
私は歳を取っているのもあり微笑ましい気持ちでいるが侍女たちには刺激が強いようで顔を赤らめお二人から視線を反らしている。
侍女たちにも慣れてもらわなければ。きっとこの先、お二人の仲睦まじい姿はこの城での日常にもなるのだから。
それまで苦しみ続けた陛下の日常も変わり、随分笑顔が増えた。喜ばしい事だ。本当に。私も嬉しい。
あの日から陛下と私の関係も変わった。些細なものではあるけれど、気持ちの上ではとても大きい変化でもある。
主人と使用人という立場は一切変わらない。立場は変わらないが気持ちが変わった。
陛下からは肉親のような親しみが私へ。
そして私も、主人でありながらも孫のように、息子のように陛下を思う気持ちを隠さないようになった。
『俺は両親に恵まれなかったが…だが、爺が居てくれたな。
俺を思ってくれる者が長年ずっと側に居てくれた。
爺や、マーサが。』
『ええ。妻も陛下を大切に思っておりますとも。
老いて体も思うように動かなくなって…侍女長を辞めないといけない時は私に陛下の事をくれぐれも頼むと。
私が家に帰ればまず第一声が必ず陛下の事です。』
『はは、マーサらしい!
マーサには本当によく怒られた。だが…そこにはいつも愛情があった。俺はそれをよく覚えている。両親や他人から長く嫌な思いをさせられたせいで己の目や心もを曇らせていたのだな、俺は。
今思い返せば…二人にどれだけ愛情を貰ったか、それを思い出せるというのに。』
『いいえ陛下。陛下の置かれている環境は誰もが耐えれるものではありません。まして子供だった陛下に…周りの態度は酷いものでした…。そんな劣悪な環境の中でも陛下のお心は真っ直ぐに育ち…私は陛下が誇らしい。
この上なく素晴らしい方をレスト帝国は主に迎えたと常々、そう思っております。』
『そうか。…嬉しいものだ。爺にそう言われるのは。…本当に嬉しい。』
『私も嬉しゅうございます。』
陛下と私の間に確かにあった線引きがあの日から取り払われたのだ。
それもこれも全てがサイカ様のお陰。
私の些細な気持ちをサイカ様は気付き、汲んで下さった。
お優しい方だ。本当に、お優しい方。
サイカ様は陛下に聞き及んでいた通り、誰かに心から寄り添う事の出来る素晴らしい方だ。
陛下のお相手がサイカ様であるのが心から喜ばしい。
きっと素晴らしい国母となるだろう。そんな予感がある。
素晴らしい陛下と素晴らしいサイカ様が共に手を取り国の礎となるのだ。レスト帝国はこれまで以上に栄えるかも知れない。
否、きっとお二人が統治するレスト帝国は素晴らしい時代を迎えるだろう。
出来る事ならその時代を一緒に、最後の時まで見ていたいが年老いた私が先に逝くのは自然の道理。
残念ではあるが致し方ないこと。それまではしっかりとお二人を見守っていきたい。限られた時間の中でも後悔のないように。陛下の幸せを見守っていきたい。
「ほらサイカ、口を開けて。あーんだ。あーん。」
「さ、さっき少しずつって言いましたよね…?」
「そのつもりだが?…あーんは恥ずかしいか?さっき俺にはしたのに?」
「そ、それは、……するのとされるのでは、ちょっと違うと言うか、」
「人前でのキスは恥ずかしいだろうから我慢をしている。」
「そ、そう、」
「あーんは許せ。ほら、あーんだ。」
「………あー…、」
「……旨いか?」
「……美味しい、です。」
「そうか。……真っ赤になって…そなたは本当に可愛い。
皆に自慢したくなるが…見せたくもない。矛盾しているな。
愛らしいそなたを独り占めしていたい。誰にもそなたの愛らしい所を見せたくもない。なのに、見せびらかしたい。
こうして抱き締め、キスもしたい。…駄目か?」
「う、」
陛下がちらりと横目で私を見る。
その思惑を察した私は後ろを向き、侍女たちにも後ろを向く様に手で合図をする。
「サイカ。爺たちが後ろを向いて作業をしている内に…駄目か?」
「……す、少しだけなら。」
「ああ、では少しだけ。……愛している、サイカ。」
その声だけでも分かる。
陛下の嬉しいお気持ち、幸せなお気持ちが伝わってくる。
サイカ様をどれ程愛しておられるか、どれ程大切になさっているか。
サイカ様と結ばれ、どれ程今、幸せであるかが。
『爺、愛とは、幸せとは何だろうか。
いつか、俺も愛を知る時が来るのだろうか。愛を知れば幸せになるのだろうか。俺は…愛も幸せも知らずに死ぬのだろうか。』
『…陛下…』
『父上と母上には互いが。ルシアにはライズが。愛する相手がいる。…愛とはそれほど良いものなのか?誰かを愛してみたい。愛されてみたい。愛を知れば幸せになるのだろうか。けれど誰が、俺のような醜い男を愛してくれるんだ?』
『陛下……いつか。いつかきっとありのままの陛下を愛して下さる方が現れます。』
『いつか?』
『いつか。愛し愛され、陛下も幸せになれます。
その時まで苦しい日々が続くでしょう。けれど、天はきっと、陛下の苦しみに報いてくれます。
私はそう信じております。陛下が誰よりも幸せになる日が来ることを、爺は望んでおります。
どうかそれまで、それまで辛抱下さい。爺がお側におります。爺が陛下のお側に。』
『……辛抱、か。まだ続くか。この先も、まだ…。』
決して言葉には出さなかった“疲れた”という言葉。
けれどこの言葉に続く思いを、私は察していた。
この時の陛下のお気持ちは恐らく“生きることに疲れた”だったろう。
幼い頃から両親に愛されず、周りから蔑まれてきた陛下。
如何に私が陛下を案じようと、私は陛下に仕える身。
きっと陛下を愛して下さる方が現れる。この言葉に自信も根拠もなかったけれど、念ずればいつか叶うと信じて陛下にお伝えした。
陛下は神を信じない。生まれてからずっと、不遇な扱いを受けてきた陛下は神を信じていない。
陛下の代わりに私は神に祈った。祈り続けた。
幼い頃から見守ってきた陛下の幸せを。陛下に幸せをもたらしてくれる存在が、どうか陛下の前に現れますようにと。
陛下の側で、陛下の隣で。陛下に寄り添い生涯を共にする伴侶をどうか。どうか。
私は思う。
陛下にリュカ様、ウォルト宮中伯のご子息、ヴァレリア様にカイル様。
皆様に私と同じような、皆様を思う人間が少なからずいただろう。
そして私と同じように、皆様の幸せを願う誰かがいただろう。
その祈りが、強い気持ちが神に届いたのではないだろうか。
サイカ様の周りに陛下やクライス侯爵閣下、皆様と国の基盤になるお方が揃われているのが偶然とは思えない。
数は少なくとも私たちの祈りが、強い気持ちが天にいる神へ届き、そしてサイカ様という素晴らしい女性と出会わせてくれたのではないだろうかとそう思わずにいられない。
そうであればサイカ様の周りに陛下や皆様が集まっている説明がつく。
全ては神の思し召し。そう思えば。
「サイカ。散歩の続きは…抱えたままでもよいか?」
「…そうしたい?」
「ああ。そなたを抱えたまま歩きたい。
手を繋いで歩くのもいいが。…抱えた方がより近いだろう?」
「…マティアスがそうしたいなら。
私、マティアスの嬉しそうな顔が好きです。嬉しそうな顔を見ると、何でも叶えてあげたくなる。」
「またそなたは…可愛いことを言う。
…爺、片付けてくれるか?」
「畏まりました。」
何と幸せそうなお顔か。
愛し愛され、幸せを知った陛下の何とも無邪気な笑顔。
ずっとこのお顔が見たかった。
サイカ様への愛情を隠しもしない。嬉しさや喜びを隠しもしない、隠す必要もない何とも幸せそうなお顔だった。
「爺は嬉しゅうございます…陛下。」
愛を知り、幸せを知り、そしてサイカ様へ惜しみ無く愛を返す。
これからは陛下が誰よりも幸せになる番。
「とっても素敵です!薔薇だけでも沢山種類があって、見ていて全然飽きないもの。」
「それはよかった。…東屋へ行こう。」
「東屋?」
「ああ。東屋の方が景色がいいんだ。そこでお茶にしよう。
勿論、デザートもあるぞ。どうだ?」
「わ、賛成!」
手を繋ぎ王宮の広い庭を歩くお二人。
陛下が指を差す方をサイカ様が興味深そうに見て頷いては瞬間、笑い合うお二人。
こてんとサイカ様が小さな頭を寄り添う陛下の肩へ運び、その小さな頭を陛下がゆっくりと撫でる。
慈しむような二人の視線が重なり、そしてまた笑う。
何とも幸せそうなお二人。幸せそうな陛下のお顔。
夢のような光景が広がっている。
「サイカ様、今日のデザートはアップルパイです。
沢山ありますからね。」
「ありがとうございます、ミケーレさん。」
「どうかミケーレと。サイカ様は陛下の唯一の方。
遠慮は要りません。」
「サイカ。ミケーレと呼んでやってくれ。
爺はさん付けで呼ばれているのが他人の様に感じるらしい。
そう愚痴を言ってきた。」
「な、陛下!愚痴ではありません!訂正して下さい!」
「ああ、すまん。爺はそなたにさん付けで呼ばれるのが寂しいらしい。」
「ふふ、分かりました。ミケーレ、用意して下さった皆様にありがとうと、お礼を言って下さいませんか?」
「礼など…!ああですが…お優しいサイカ様のお気持ちです!
このミケーレがしっかりとお伝えしておきます!」
「ありがとう。」
陛下の婚約者となられたサイカ様。
こうして二人でお会いになる事も、もう誰にも咎められないとあって陛下は嬉しいというお気持ちを隠しもなさらずサイカ様を王宮にお呼びする。
サイカ様が来られれば陛下は必ずサイカ様のお側に。
サイカ様とお二人で過ごす為に鬼気迫る表情で政務をこなしているなど、当然サイカ様は知らない。
陛下のお気持ちはよく分かる。この方の側を一瞬でも離れるわけにはいかないのでしょう。
サイカ様は神に愛されていると言っても過言でない特別美しい容姿をされている。
世の中の多くの男たちが魅了される程美しい、他にいない特別な容姿を。
その美しい容姿をしたサイカ様をモノにしたいと思っている不届きな人間も当然いる。
陛下はそれを危惧していらっしゃるのだ。
けれどサイカ様にも会いたい。だからこそなるべくサイカ様の側にいられる様に毎日政務に励んでいらっしゃる。
「…う~ん、美味しい~…!」
「はは!そなたの顔を見ればよく分かる。…そなたは本当に素直な娘だ。」
「マティアスも食べて。ずっと見られているのは結構恥ずかしいんですから。」
「ふむ。…では、あーんは?」
「もう。……はい、あーん。」
「あー…………んむ、……うん。旨い。」
「ね。やっぱりアップルパイは焼きたてが一番美味しいです!さくさくしてて、中のりんごも大きい!」
「沢山お食べ。そなたの食べる所を見るのも俺は好きだ。
食べる所だけではないが。」
「は、恥ずかしいから!人前では止めて下さい!」
「ははは!りんごの様に真っ赤だな!何とも愛らしい!」
全く。陛下もお人が悪い。
サイカ様が恥ずかしがっているのは可哀想ではあるが、陛下は周りに見せつけてもいるのだ。
サイカ様が誰の寵愛を受けているのか。良からぬ事を企み、機会を伺っている愚か者たちへ。
陛下が如何にサイカ様を愛しているか。見せつける事で抑止出来るのであればそれに越した事はないが…そうでない者たちも当然いる。
あれは陛下とサイカ様の婚約式の後。サイカ様が客室でお眠りになった後の事。
陛下とクライス侯爵閣下、そしてサイカ様の恋人である三名の男たちが再び部屋に集まり話し合っていた。
『やたらサイカの事を聞いてきた者がいた。
ベルナンド侯爵だ。サイカがこれまで何処に居たか、どうして今まで社交界に出なかったのか…兎に角根掘り葉堀り聞こうとしていたな。』
『ベルナンド侯爵…』
『ああ。ヴァレリアの言いたい事は分かるぞ。
マティアス。ベルナンド侯爵とあと…誰だったか…』
『侯爵と一緒にいたのはバロウズ伯爵です。』
『ああ、そうだった。あの二人、気を付けた方がいい。
特に侯爵だ。あの男…何か仕出かすかもしれん。』
『ええ。私もそう思います。』
『……他にもいる。何人かは、純粋な好意だと、思うけど。
…危ないのも、いた。』
『想定内だ。ディーノ、警護はどうなっている。』
『問題ない。式の後の事を想定して屋敷の警護は強化した。
警護に当たる者たちの身元も何ヵ月にも渡り隅々まで調べてある。』
『では警護の中に“異質”が混じればすぐ分かるな?』
『ああ。すぐに分かる。』
『誰であろうとサイカに危害を加えようとするなら容赦するな。今日、サイカは俺の婚約者である事が公になった。その大切な婚約者であるサイカに手を出すという事がどんな事か、愚か者共に徹底的に教えてやれ。俺の名を出してもいい。許可する。』
陛下のお言葉に“当然だ”と皆様が頷く。
当初はサイカ様をお一人だけの妻にと考えていた陛下のお気持ちが変わったのはサイカ様が危険に晒されない為。
類稀な美貌を持つサイカ様が毎日を安心して過ごせる様に、平和に過ごせる様に、その為に陛下は皆様を受け入れた。
ご自分と同じくサイカ様を愛する者同士、サイカ様を守る事が出来る、その力を持つ方々。
レスト帝国の基盤になるであろう方々がサイカ様の周りに集まっている。その事を考えると末恐ろしいという気持ちもある。
まるで見えない何かに導かれているかのように。とても全てが偶然とは思えない。
「ふふ、凄く贅沢だなぁ…。」
「ん?」
「周りは綺麗な景色で、隣には大好きなマティアスがいる。
美味しい紅茶を飲みながら焼きたての美味しいアップルパイを食べて。
お天気もよくて、風も気持ちよくて。鼻から息を吸い込むと花の香りがいっぱいに広がる。
ね?すごく贅沢な時間を過ごしてるなって思うの。」
「…ああ、そなたの言う通りだ。本当に、何と贅沢で幸せな時間だろうな。」
偶然であろうとなかろうとそんな些細な事はどうでもいいかも知れない。
目を細める陛下の幸せそうなお顔を見れば、そんな些細な事など。
『…はぁ……素敵…』
『本当……美しいです…』
給仕の為に一緒に来ている侍女たちの感嘆の声。
サイカ様の美しさに見惚れるのは仕方のない事であるが、それで給仕の手が止まってしまうのは頂けない。
じろりと侍女たちを見ればはっとした様子で自分たちの仕事を思い出す。
「あ、あの。陛下、サイカ様…膝掛けをお使い下さい。」
「どうぞ、」
「俺はいい。サイカに掛けてくれ。風邪を引いては大変だ。」
「か、畏まりました!…サ、サイカ様、失礼致します…。」
「ありがとうございます。」
「い、いいえ!ほ、他にもご用があれば何なりと仰って下さいませ…!」
「ええ、ありがとう。…マティアス、本当に平気?結構風が強いけれど…」
「ああ。………こうして、」
「ひゃ!?」
「そなたを膝の上に乗せれば温かい。」
「マ、マティアス…」
「嫌か?」
「…嫌じゃない、けど。……恥ずかしい。」
「慣れてくれ。…俺は見せつけたい。そなたが誰の愛しい婚約者であるか、皆に見せつけてやりたい。
見せつけ、こうして愛でていたい。誰も咎める者はいない。そなたと一緒にいられる事が俺は何より嬉しいんだ。」
「…う、……ど、努力します…。
マティアスが嬉しいのは、私も嬉しいから。でも、…少しずつ、ね?」
仲睦まじいお二人。
私は歳を取っているのもあり微笑ましい気持ちでいるが侍女たちには刺激が強いようで顔を赤らめお二人から視線を反らしている。
侍女たちにも慣れてもらわなければ。きっとこの先、お二人の仲睦まじい姿はこの城での日常にもなるのだから。
それまで苦しみ続けた陛下の日常も変わり、随分笑顔が増えた。喜ばしい事だ。本当に。私も嬉しい。
あの日から陛下と私の関係も変わった。些細なものではあるけれど、気持ちの上ではとても大きい変化でもある。
主人と使用人という立場は一切変わらない。立場は変わらないが気持ちが変わった。
陛下からは肉親のような親しみが私へ。
そして私も、主人でありながらも孫のように、息子のように陛下を思う気持ちを隠さないようになった。
『俺は両親に恵まれなかったが…だが、爺が居てくれたな。
俺を思ってくれる者が長年ずっと側に居てくれた。
爺や、マーサが。』
『ええ。妻も陛下を大切に思っておりますとも。
老いて体も思うように動かなくなって…侍女長を辞めないといけない時は私に陛下の事をくれぐれも頼むと。
私が家に帰ればまず第一声が必ず陛下の事です。』
『はは、マーサらしい!
マーサには本当によく怒られた。だが…そこにはいつも愛情があった。俺はそれをよく覚えている。両親や他人から長く嫌な思いをさせられたせいで己の目や心もを曇らせていたのだな、俺は。
今思い返せば…二人にどれだけ愛情を貰ったか、それを思い出せるというのに。』
『いいえ陛下。陛下の置かれている環境は誰もが耐えれるものではありません。まして子供だった陛下に…周りの態度は酷いものでした…。そんな劣悪な環境の中でも陛下のお心は真っ直ぐに育ち…私は陛下が誇らしい。
この上なく素晴らしい方をレスト帝国は主に迎えたと常々、そう思っております。』
『そうか。…嬉しいものだ。爺にそう言われるのは。…本当に嬉しい。』
『私も嬉しゅうございます。』
陛下と私の間に確かにあった線引きがあの日から取り払われたのだ。
それもこれも全てがサイカ様のお陰。
私の些細な気持ちをサイカ様は気付き、汲んで下さった。
お優しい方だ。本当に、お優しい方。
サイカ様は陛下に聞き及んでいた通り、誰かに心から寄り添う事の出来る素晴らしい方だ。
陛下のお相手がサイカ様であるのが心から喜ばしい。
きっと素晴らしい国母となるだろう。そんな予感がある。
素晴らしい陛下と素晴らしいサイカ様が共に手を取り国の礎となるのだ。レスト帝国はこれまで以上に栄えるかも知れない。
否、きっとお二人が統治するレスト帝国は素晴らしい時代を迎えるだろう。
出来る事ならその時代を一緒に、最後の時まで見ていたいが年老いた私が先に逝くのは自然の道理。
残念ではあるが致し方ないこと。それまではしっかりとお二人を見守っていきたい。限られた時間の中でも後悔のないように。陛下の幸せを見守っていきたい。
「ほらサイカ、口を開けて。あーんだ。あーん。」
「さ、さっき少しずつって言いましたよね…?」
「そのつもりだが?…あーんは恥ずかしいか?さっき俺にはしたのに?」
「そ、それは、……するのとされるのでは、ちょっと違うと言うか、」
「人前でのキスは恥ずかしいだろうから我慢をしている。」
「そ、そう、」
「あーんは許せ。ほら、あーんだ。」
「………あー…、」
「……旨いか?」
「……美味しい、です。」
「そうか。……真っ赤になって…そなたは本当に可愛い。
皆に自慢したくなるが…見せたくもない。矛盾しているな。
愛らしいそなたを独り占めしていたい。誰にもそなたの愛らしい所を見せたくもない。なのに、見せびらかしたい。
こうして抱き締め、キスもしたい。…駄目か?」
「う、」
陛下がちらりと横目で私を見る。
その思惑を察した私は後ろを向き、侍女たちにも後ろを向く様に手で合図をする。
「サイカ。爺たちが後ろを向いて作業をしている内に…駄目か?」
「……す、少しだけなら。」
「ああ、では少しだけ。……愛している、サイカ。」
その声だけでも分かる。
陛下の嬉しいお気持ち、幸せなお気持ちが伝わってくる。
サイカ様をどれ程愛しておられるか、どれ程大切になさっているか。
サイカ様と結ばれ、どれ程今、幸せであるかが。
『爺、愛とは、幸せとは何だろうか。
いつか、俺も愛を知る時が来るのだろうか。愛を知れば幸せになるのだろうか。俺は…愛も幸せも知らずに死ぬのだろうか。』
『…陛下…』
『父上と母上には互いが。ルシアにはライズが。愛する相手がいる。…愛とはそれほど良いものなのか?誰かを愛してみたい。愛されてみたい。愛を知れば幸せになるのだろうか。けれど誰が、俺のような醜い男を愛してくれるんだ?』
『陛下……いつか。いつかきっとありのままの陛下を愛して下さる方が現れます。』
『いつか?』
『いつか。愛し愛され、陛下も幸せになれます。
その時まで苦しい日々が続くでしょう。けれど、天はきっと、陛下の苦しみに報いてくれます。
私はそう信じております。陛下が誰よりも幸せになる日が来ることを、爺は望んでおります。
どうかそれまで、それまで辛抱下さい。爺がお側におります。爺が陛下のお側に。』
『……辛抱、か。まだ続くか。この先も、まだ…。』
決して言葉には出さなかった“疲れた”という言葉。
けれどこの言葉に続く思いを、私は察していた。
この時の陛下のお気持ちは恐らく“生きることに疲れた”だったろう。
幼い頃から両親に愛されず、周りから蔑まれてきた陛下。
如何に私が陛下を案じようと、私は陛下に仕える身。
きっと陛下を愛して下さる方が現れる。この言葉に自信も根拠もなかったけれど、念ずればいつか叶うと信じて陛下にお伝えした。
陛下は神を信じない。生まれてからずっと、不遇な扱いを受けてきた陛下は神を信じていない。
陛下の代わりに私は神に祈った。祈り続けた。
幼い頃から見守ってきた陛下の幸せを。陛下に幸せをもたらしてくれる存在が、どうか陛下の前に現れますようにと。
陛下の側で、陛下の隣で。陛下に寄り添い生涯を共にする伴侶をどうか。どうか。
私は思う。
陛下にリュカ様、ウォルト宮中伯のご子息、ヴァレリア様にカイル様。
皆様に私と同じような、皆様を思う人間が少なからずいただろう。
そして私と同じように、皆様の幸せを願う誰かがいただろう。
その祈りが、強い気持ちが神に届いたのではないだろうか。
サイカ様の周りに陛下やクライス侯爵閣下、皆様と国の基盤になるお方が揃われているのが偶然とは思えない。
数は少なくとも私たちの祈りが、強い気持ちが天にいる神へ届き、そしてサイカ様という素晴らしい女性と出会わせてくれたのではないだろうかとそう思わずにいられない。
そうであればサイカ様の周りに陛下や皆様が集まっている説明がつく。
全ては神の思し召し。そう思えば。
「サイカ。散歩の続きは…抱えたままでもよいか?」
「…そうしたい?」
「ああ。そなたを抱えたまま歩きたい。
手を繋いで歩くのもいいが。…抱えた方がより近いだろう?」
「…マティアスがそうしたいなら。
私、マティアスの嬉しそうな顔が好きです。嬉しそうな顔を見ると、何でも叶えてあげたくなる。」
「またそなたは…可愛いことを言う。
…爺、片付けてくれるか?」
「畏まりました。」
何と幸せそうなお顔か。
愛し愛され、幸せを知った陛下の何とも無邪気な笑顔。
ずっとこのお顔が見たかった。
サイカ様への愛情を隠しもしない。嬉しさや喜びを隠しもしない、隠す必要もない何とも幸せそうなお顔だった。
「爺は嬉しゅうございます…陛下。」
愛を知り、幸せを知り、そしてサイカ様へ惜しみ無く愛を返す。
これからは陛下が誰よりも幸せになる番。
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これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。
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