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81 サイカは絶世の美女
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マティアスに抱えられ、広い部屋に連れて行かれる。
部屋の中ではリュカとヴァレがいて、マティアスと私を目に入れると『お疲れ様』と労ってくれた。
社交界初デビューは予想していた以上に疲れてしまった。
内心では結構気が動転していたというか、不安だらけだったしかなり緊張もしていたけれど、でも達成感は凄かった。
『文句のつけようがない、素晴らしいデビューだった。好奇の目に晒されながらよく耐えてくれた。ありがとう、サイカ。』
大好きなマティアスにそんな事を言われてしまえば疲弊していたはずの心が復活。
我ながら何て単純なんだと思いつつ、気の知れた人たちしかいない部屋に大きく安堵する。
「頑張っていたじゃないか。…あんな明け透けな視線を寄越されて酷く疲れたろう?
だがよく頑張ったな。」
「ええ。それに…当たり前ですけどあの場にいた誰よりも輝いていました。
思わず何度見惚れていたことか。」
「…どこもおかしくなかった?
その、振るまいとか、マティアスや二人の目から見てどうだった…?
私、ちゃんと出来てました…?」
「ふふ。何処からどう見ても気品溢れる令嬢にしか見えませんでしたよ。大丈夫。」
「ああ。素晴らしい令嬢振りだったぞ。
苦手だと聞いていたダンスもそんな風には見えなかった。」
「今日来ていた者たちは皆サイカの素晴らしさを知って帰路に着くだろう。
そのくらい、完璧なデビューだった。」
「よかった…。内心、心臓がばくばくで…すごく緊張もしたし…もう自分がどうなってるか分からないくらいだったの。マティアスやお義父様以外の方たちと何を話したかすら覚えてないくらい。」
「はは、確かにいつもより体温も低くて…体が固くなっていたからな。その他大勢との事などどうでもいい。そなたはよく頑張った。
」
「マティアス…」
ミケーレさんが入れてくれた紅茶にほっと一息。
暫く四人で談笑していると疲れた顔をしたお義父様と笑顔のカイルが部屋に入って来た。
「はあ…、」
「サイカ…!」
「お義父様、カイル!」
「サイカ…!今日のサイカ、いつもよりすごく、綺麗だった…!可愛くて、すごく、可愛すぎて…!俺、早くサイカに会いたいくて堪らなかった…!可愛いサイカ!すごく可愛い、綺麗!もう大好き、沢山好き、ぎゅってしたい、今すぐしたい!」
その言葉通りに座るソファーの後ろからぎゅうう、と力一杯カイルに抱き締められる。
「相変わらず自由な男だなお前は。
警護はどうした。」
「サイカ、サイカ…、いい匂い…好き、サイカ…もう可愛すぎ……可愛すぎて俺、胸がきゅって苦しい……大好き…」
「おいこら聞け。仕事はちゃんとしろ。」
「む。…ちゃんとしてる。休憩。昨日からずっと仕事してる。
昨日から休んでないから、だから休憩。」
「…それはすまなかったな。」
「ん。分かってくれたら、いい。許してあげる。」
「……お前より僕の身分の方が遥か上なんだが。何故上からなんだ。」
「?」
実はリュカとカイルは結構気が合ってるんじゃないかなと思っている。
二人を見ているとたまに漫才を見ているような気持ちになる時が…。
勿論カイルがボケ役でリュカがツッコミ役だ。
いや、カイルは誰と話してもちょっと……ふわっとしてるんだけど。
「酷い顔だな、ディーノ。」
「…何があったかは…想像に容易いですが…。」
「ふう…全く酷いものだったぞ…。
下心を全く隠せてない奴らが後から後から湧いてサイカの事を聞きまくる。
捌いても捌いてもキリがなくて困っていた。」
「…凄かった。クライス候の大きい体、隠れるくらい…人が集まってた。」
「やれサイカは養子にするまえは何処にいただとか、あれだけ美しい令嬢がいたらとっくに噂になっていたのにとやたらと疑い深い奴らも。
それ以外はサイカの好きな者だとか好きな色だとか…。」
「…贈り物をする気満々じゃないか。」
「下心が透けて見えますね。」
「団長殿が気を利かせてくれた様でな。
カイル殿が俺を連れ出してくれた。」
「ん。団長、俺にこう言った。『クライス侯爵、あれだと後何時間もあのままだな。急用があるていを装って行って来い。そんでそのまま暫くお前は休憩していいぞ。』って。
…団長、こういう気は利く男…。」
「だから何で上から目線なんだ。
お前の上司だろうが。」
「?」
「………もういい。もうお前に関しては何も言わんぞ僕は。」
はあーーーー!と盛大な溜め息を吐くリュカ。
そしてリュカと同じタイミングで溜め息を吐くお義父様。
そうか…私の美貌のせいでお義父様が大変な目に……とそんな冗談は置いておいて。
すごく申し訳ない。
「ごめんなさいお義父様…。」
「お前が謝る必要は全くない。
ああいう者たちはこれまでも沢山いたんだ。
だから気にするんじゃないぞサイカ。
まあ、それに……収穫もあった。」
『………。』
しん、と一瞬だけ場が静まり返った。
多分、一瞬私を除いた五人だけが同じ事を考えたのだろうと思うけど、……私にはさっぱり分からない。
何となくそんな感じがしただけだ。
「…害虫か。」
「恐らく。」
「そうか。……さて。サイカ、全く食事も取れなかっただろう?空腹は感じていないか?」
「お腹…?」
瞬間、くうううぅ。と私のお腹から何かの鳴き声みたいな音がした。
「……え。え?」
一度だけでなく、短く間を置いて数回。
くううう、きゅううう、くきゅぅ。
そう。それまではずっと緊張していたから全く、“空腹”の二文字が何処かへ行っていたけれどマティアスに聞かれた瞬間に私の体は忘れていた空腹を感じていた。盛大に。
「……今の、腹の音か…?」
「……サイカから聞こえましたね…。」
ああ恥ずかしい…!凄く恥ずかしい…!
未だきゅうきゅう鳴っているお腹の音を自分の意思で止める事も出来ず、私は両手で顔を覆う。
でも仕方ないじゃないか。頭も使ったし体も使った。そして酷く削られた精神。お腹が空いても何らおかしくはない。おかしくはないけど凄く恥ずかしい…!
「ははははは!俺の娘は腹の音まで愛らしい…!!ははは…!!マ、マティアス、何か用意してやってくれ…!ははははは…!!」
「く、はは…!ああ、そうだな…!何とも可愛い音で空腹を主張して…!
爺、準備してくれ!」
「ふふ、すぐお持ち致しますとも。
サイカ様、もう少しだけお待ち下さいませ。」
「んんんっ……!サイカ、可愛い…!何でそんなに可愛い…?お腹の音まで、可愛いとか、もうずるい…可愛すぎてずるい…!」
「ふ、ふふ、…サイカ……本当、貴女って女は何もかも…一々可愛いんですから…。」
「…お、お前な、こっちの身にもなれ…。」
知らんがな、と料理が運ばれて来るまで私は顔を手で覆い続け笑って悪かったと皆に宥められた。
頂きますと料理を口に入れた途端に満たされるのは胃袋だけじゃなかった。
屋敷とはまた違う美味しい料理に舌鼓を打ちながら疲れていた脳と心まで癒され満たされる。
本当に凄い視線だった。
今までに経験のない、嫌な視線の数々。
嫌悪や憎しみといったものではないけれど本当に気持ちの悪い視線ばかりが全身を舐めるように。
話した内容はよく覚えていないけれど、だけど一人一人の目、笑顔、表情はとても気持ちのいいものじゃなかった。
嫌悪や憎しみではないものでこうも不快になって疲弊してしまうのだから、皆が感じているものはまた相当精神的に来るだろう。
その事実を私は少しだけ、そう、他人事ではなく自分が似たものを経験したことで実感したのだ。
「どうしたサイカ。美味しくはないか?」
「え?…あ、いえ。違うのマティアス。ちょっと考え事をしてて…。」
「…よければ何を考えていたか教えてくれないか?」
「……疲れたけれど…何はともあれ。
今日は沢山収穫があったなって。」
「収穫?」
「そう。…会場にいた時も思ったんです。
私が今日、沢山の…色々含んだ視線が不快に、気持ち悪いとか、嫌だなって感じた以上のものを皆はきっと感じてたんだなって。」
『………。』
「向けられているものは違うけれど。
大勢の人たちから嫌な視線で、態度で、表情を向けられて。時にはそういう接し方をされて。
今までは想像でしか気持ちを考える事が出来なかった。」
辛いだろうな。嫌だろうな。悲しいだろうな。悔しいだろうな。
まるで数の暴力。一対一の正当なものではなく、多くの視線や言葉で苦しめられる。
それはとても理不尽に思っただろうなと。
まるで世界中の人たちが自分の敵のように。
「想像だけだったものがより現実味を帯びて…苦しくなったんです。
ほんの少しかも知れないけど、共有したのかもって、そう思ったんです。
変に思われるかも知れないけど、今……それが少し嬉しいとも思ってる。」
「…サイカ…」
「皆と同じ気持ちを想像だけじゃなくて、ちょっとだけかも知れないけど共有出来てる。
それが嬉しいと思う。だけどこれは、とても悲しい事。腹立たしい事。
…ええと、ごめんなさい。変な事言って。」
悲しい。苦しい。不快。嫌悪。納得がいかない。辛い。でも…少しだけ喜びが。
皆の気持ちが少しでも知れた事の、喜びが。
皆からすればずっと苦しんできた話題、問題だ。
嬉しいなんて馬鹿な事言うなと思われる話だけど、でもそう思ってしまった。
「辛かったろうな。嫌だったろうな。苦しかったろうな。すごく、ものすごく。
大勢の人たちにまるで責められているみたいで、自分を否定されて、面白おかしく話題の材料にされて。」
『……。』
「そういう想像だけのものが、あの大勢の視線に晒されて初めて、もっと深く想像出来た。理解出来た気がしたの。」
変わればいいなと思った。
相手がされている事を自分に置き換えてみる、想像してみるというのもまだまだ難しい事だ。この異世界ではきっと。
長い時代と共に少しずつ変わってくるものだ。本来は。
貧困、身分、美醜、性別…沢山ある差別を、蔑むその対象である相手を、相手も自分と同じく一人の人間だという認識が広まれば少しだけかも知れないけど、いい方向へ変わるかも知れないのになと。
日本がそう歩んできたように、一つ一つの差別が少しずついい方へ向かい変化していけばいいのになと思う。
「……本当に。天は得難い宝を与えてくれたものだ。」
「…ああ。マティアス、お前の言う通りだな。僕たちがサイカと出会えた事は本当に、…本当に奇跡だとそう思う。」
「家族以外の周り全てがまるで敵のように…そう感じる事がありました。
だけど今は…とても心強い味方がいます。
まるで女神のように…心も何もかも美しい女が、誰よりも気持ちを分かろうとしてくれ…労ってくれているのですから。」
「…ん。サイカ…本当に女神様みたいだ。
思いやりがあって、優しくて、…すごく、きらきらして見える…。……俺、おかしい?」
「いいや。人間というのは内面が外に出るものだ。嫌な性格の者の顔が歪んでいたり、卑しい者は表情に。
…輝いて見えるのはサイカの内面が身に出ているからだ。内面の美しさが、その身に現れる。
いつまでも変わらずにいなさい、サイカ。」
「でも、人は変わるものですよ。お義父様。」
「ではいい方向に変わりなさい。
これまでも、今も。感じている事を忘れずにいればいい。ただそれだけでいい。
他者を重んじる心をお前はこの国の…いや、この世界の誰よりも持っていると俺は思う。」
「…そう、でしょうか…。」
「ああ、そうとも。
お前は人を見る。蔑む対象か敬う対象かではなく、出会い、接すれば一人の人間として。そしてその者と絆が深まればその者を大切にする。それが当たり前に出来る人間だ。
そういう育て方をされ、そういう風に育った。それは貴重な事。」
「貴重…」
「お前の美しさは容姿だけではない。
人として当たり前の心を持っている…誰かを思い、気持ちを考え、時にはぶつかり、大切にし、そして愛するその心が周りには眩しく、尊く、美しく見える。
誰かを純粋に思える豊かな心が、お前の美しさをより際立たせる。」
何だかすごく、過剰に褒められている気がしてむず痒い。
そんな出来た人間ではないと自分で自分の事は分かっているし、お義父様や皆の中で美化されている部分は大きいと思う。
褒められた人間でもなかったのだ日本での私は。
ここに来たから色々と考える事があって、言えばこの世界に来なければきっと…差別という言葉も自分には関係ない、本当に他人事だった。
他国の事情がニュースに取り上げられても可哀想くらいにしか思ってもいない。
この世界で皆と出会って、接して初めて自分も“苦しい”という気持ちになった。
だからお義父様が言うような…凄く立派な感じに聞こえる人間ではない…と思っていたけれど、お義父様はまるで私が何を考えているか分かっているみたいに微笑みながら伝えてきた。
「出会い、接するまでは“他人”だ。
誰もがそう。それは当然の事だ。サイカ。
だがサイカ。元々“そういう部分”“素質”を持っていないとお前の優しさは説明が出来ないんだよ。お前の優しさはご両親の賜物。
人は環境の中で心を育むんだ。」
「…環境の中で…。」
「お前の言った想像してみるという事、相手を理解するという事。それが出来るのもまた、そういう環境にあったという事。
そしてそれは、実際に誰かと接する事で発揮される。
誰かと接し、絆を深める事でサイカが持つ美徳が発揮される。
だがそこに他との違いが出るのだ。」
「……。」
「サイカ。お前という娘は本当に美しい。
この世の誰よりも。異質な程美しい。
心の輝きが、内から出る美しさが姿形に現れより美しい。
お前は間違いなく絶世の美女だ。女神の如く、その身が生の輝きで満ちている。
お前が自分でそう思っていなくとも、…周りはそう思っている。その事も…忘れるんじゃないぞ。」
お義父様だけでなく、四人の私を見る真剣な眼差しが。
その中の、何か決意の隠ったものが見えて。
どうしてか少しだけ、恐ろしく感じた。
部屋の中ではリュカとヴァレがいて、マティアスと私を目に入れると『お疲れ様』と労ってくれた。
社交界初デビューは予想していた以上に疲れてしまった。
内心では結構気が動転していたというか、不安だらけだったしかなり緊張もしていたけれど、でも達成感は凄かった。
『文句のつけようがない、素晴らしいデビューだった。好奇の目に晒されながらよく耐えてくれた。ありがとう、サイカ。』
大好きなマティアスにそんな事を言われてしまえば疲弊していたはずの心が復活。
我ながら何て単純なんだと思いつつ、気の知れた人たちしかいない部屋に大きく安堵する。
「頑張っていたじゃないか。…あんな明け透けな視線を寄越されて酷く疲れたろう?
だがよく頑張ったな。」
「ええ。それに…当たり前ですけどあの場にいた誰よりも輝いていました。
思わず何度見惚れていたことか。」
「…どこもおかしくなかった?
その、振るまいとか、マティアスや二人の目から見てどうだった…?
私、ちゃんと出来てました…?」
「ふふ。何処からどう見ても気品溢れる令嬢にしか見えませんでしたよ。大丈夫。」
「ああ。素晴らしい令嬢振りだったぞ。
苦手だと聞いていたダンスもそんな風には見えなかった。」
「今日来ていた者たちは皆サイカの素晴らしさを知って帰路に着くだろう。
そのくらい、完璧なデビューだった。」
「よかった…。内心、心臓がばくばくで…すごく緊張もしたし…もう自分がどうなってるか分からないくらいだったの。マティアスやお義父様以外の方たちと何を話したかすら覚えてないくらい。」
「はは、確かにいつもより体温も低くて…体が固くなっていたからな。その他大勢との事などどうでもいい。そなたはよく頑張った。
」
「マティアス…」
ミケーレさんが入れてくれた紅茶にほっと一息。
暫く四人で談笑していると疲れた顔をしたお義父様と笑顔のカイルが部屋に入って来た。
「はあ…、」
「サイカ…!」
「お義父様、カイル!」
「サイカ…!今日のサイカ、いつもよりすごく、綺麗だった…!可愛くて、すごく、可愛すぎて…!俺、早くサイカに会いたいくて堪らなかった…!可愛いサイカ!すごく可愛い、綺麗!もう大好き、沢山好き、ぎゅってしたい、今すぐしたい!」
その言葉通りに座るソファーの後ろからぎゅうう、と力一杯カイルに抱き締められる。
「相変わらず自由な男だなお前は。
警護はどうした。」
「サイカ、サイカ…、いい匂い…好き、サイカ…もう可愛すぎ……可愛すぎて俺、胸がきゅって苦しい……大好き…」
「おいこら聞け。仕事はちゃんとしろ。」
「む。…ちゃんとしてる。休憩。昨日からずっと仕事してる。
昨日から休んでないから、だから休憩。」
「…それはすまなかったな。」
「ん。分かってくれたら、いい。許してあげる。」
「……お前より僕の身分の方が遥か上なんだが。何故上からなんだ。」
「?」
実はリュカとカイルは結構気が合ってるんじゃないかなと思っている。
二人を見ているとたまに漫才を見ているような気持ちになる時が…。
勿論カイルがボケ役でリュカがツッコミ役だ。
いや、カイルは誰と話してもちょっと……ふわっとしてるんだけど。
「酷い顔だな、ディーノ。」
「…何があったかは…想像に容易いですが…。」
「ふう…全く酷いものだったぞ…。
下心を全く隠せてない奴らが後から後から湧いてサイカの事を聞きまくる。
捌いても捌いてもキリがなくて困っていた。」
「…凄かった。クライス候の大きい体、隠れるくらい…人が集まってた。」
「やれサイカは養子にするまえは何処にいただとか、あれだけ美しい令嬢がいたらとっくに噂になっていたのにとやたらと疑い深い奴らも。
それ以外はサイカの好きな者だとか好きな色だとか…。」
「…贈り物をする気満々じゃないか。」
「下心が透けて見えますね。」
「団長殿が気を利かせてくれた様でな。
カイル殿が俺を連れ出してくれた。」
「ん。団長、俺にこう言った。『クライス侯爵、あれだと後何時間もあのままだな。急用があるていを装って行って来い。そんでそのまま暫くお前は休憩していいぞ。』って。
…団長、こういう気は利く男…。」
「だから何で上から目線なんだ。
お前の上司だろうが。」
「?」
「………もういい。もうお前に関しては何も言わんぞ僕は。」
はあーーーー!と盛大な溜め息を吐くリュカ。
そしてリュカと同じタイミングで溜め息を吐くお義父様。
そうか…私の美貌のせいでお義父様が大変な目に……とそんな冗談は置いておいて。
すごく申し訳ない。
「ごめんなさいお義父様…。」
「お前が謝る必要は全くない。
ああいう者たちはこれまでも沢山いたんだ。
だから気にするんじゃないぞサイカ。
まあ、それに……収穫もあった。」
『………。』
しん、と一瞬だけ場が静まり返った。
多分、一瞬私を除いた五人だけが同じ事を考えたのだろうと思うけど、……私にはさっぱり分からない。
何となくそんな感じがしただけだ。
「…害虫か。」
「恐らく。」
「そうか。……さて。サイカ、全く食事も取れなかっただろう?空腹は感じていないか?」
「お腹…?」
瞬間、くうううぅ。と私のお腹から何かの鳴き声みたいな音がした。
「……え。え?」
一度だけでなく、短く間を置いて数回。
くううう、きゅううう、くきゅぅ。
そう。それまではずっと緊張していたから全く、“空腹”の二文字が何処かへ行っていたけれどマティアスに聞かれた瞬間に私の体は忘れていた空腹を感じていた。盛大に。
「……今の、腹の音か…?」
「……サイカから聞こえましたね…。」
ああ恥ずかしい…!凄く恥ずかしい…!
未だきゅうきゅう鳴っているお腹の音を自分の意思で止める事も出来ず、私は両手で顔を覆う。
でも仕方ないじゃないか。頭も使ったし体も使った。そして酷く削られた精神。お腹が空いても何らおかしくはない。おかしくはないけど凄く恥ずかしい…!
「ははははは!俺の娘は腹の音まで愛らしい…!!ははは…!!マ、マティアス、何か用意してやってくれ…!ははははは…!!」
「く、はは…!ああ、そうだな…!何とも可愛い音で空腹を主張して…!
爺、準備してくれ!」
「ふふ、すぐお持ち致しますとも。
サイカ様、もう少しだけお待ち下さいませ。」
「んんんっ……!サイカ、可愛い…!何でそんなに可愛い…?お腹の音まで、可愛いとか、もうずるい…可愛すぎてずるい…!」
「ふ、ふふ、…サイカ……本当、貴女って女は何もかも…一々可愛いんですから…。」
「…お、お前な、こっちの身にもなれ…。」
知らんがな、と料理が運ばれて来るまで私は顔を手で覆い続け笑って悪かったと皆に宥められた。
頂きますと料理を口に入れた途端に満たされるのは胃袋だけじゃなかった。
屋敷とはまた違う美味しい料理に舌鼓を打ちながら疲れていた脳と心まで癒され満たされる。
本当に凄い視線だった。
今までに経験のない、嫌な視線の数々。
嫌悪や憎しみといったものではないけれど本当に気持ちの悪い視線ばかりが全身を舐めるように。
話した内容はよく覚えていないけれど、だけど一人一人の目、笑顔、表情はとても気持ちのいいものじゃなかった。
嫌悪や憎しみではないものでこうも不快になって疲弊してしまうのだから、皆が感じているものはまた相当精神的に来るだろう。
その事実を私は少しだけ、そう、他人事ではなく自分が似たものを経験したことで実感したのだ。
「どうしたサイカ。美味しくはないか?」
「え?…あ、いえ。違うのマティアス。ちょっと考え事をしてて…。」
「…よければ何を考えていたか教えてくれないか?」
「……疲れたけれど…何はともあれ。
今日は沢山収穫があったなって。」
「収穫?」
「そう。…会場にいた時も思ったんです。
私が今日、沢山の…色々含んだ視線が不快に、気持ち悪いとか、嫌だなって感じた以上のものを皆はきっと感じてたんだなって。」
『………。』
「向けられているものは違うけれど。
大勢の人たちから嫌な視線で、態度で、表情を向けられて。時にはそういう接し方をされて。
今までは想像でしか気持ちを考える事が出来なかった。」
辛いだろうな。嫌だろうな。悲しいだろうな。悔しいだろうな。
まるで数の暴力。一対一の正当なものではなく、多くの視線や言葉で苦しめられる。
それはとても理不尽に思っただろうなと。
まるで世界中の人たちが自分の敵のように。
「想像だけだったものがより現実味を帯びて…苦しくなったんです。
ほんの少しかも知れないけど、共有したのかもって、そう思ったんです。
変に思われるかも知れないけど、今……それが少し嬉しいとも思ってる。」
「…サイカ…」
「皆と同じ気持ちを想像だけじゃなくて、ちょっとだけかも知れないけど共有出来てる。
それが嬉しいと思う。だけどこれは、とても悲しい事。腹立たしい事。
…ええと、ごめんなさい。変な事言って。」
悲しい。苦しい。不快。嫌悪。納得がいかない。辛い。でも…少しだけ喜びが。
皆の気持ちが少しでも知れた事の、喜びが。
皆からすればずっと苦しんできた話題、問題だ。
嬉しいなんて馬鹿な事言うなと思われる話だけど、でもそう思ってしまった。
「辛かったろうな。嫌だったろうな。苦しかったろうな。すごく、ものすごく。
大勢の人たちにまるで責められているみたいで、自分を否定されて、面白おかしく話題の材料にされて。」
『……。』
「そういう想像だけのものが、あの大勢の視線に晒されて初めて、もっと深く想像出来た。理解出来た気がしたの。」
変わればいいなと思った。
相手がされている事を自分に置き換えてみる、想像してみるというのもまだまだ難しい事だ。この異世界ではきっと。
長い時代と共に少しずつ変わってくるものだ。本来は。
貧困、身分、美醜、性別…沢山ある差別を、蔑むその対象である相手を、相手も自分と同じく一人の人間だという認識が広まれば少しだけかも知れないけど、いい方向へ変わるかも知れないのになと。
日本がそう歩んできたように、一つ一つの差別が少しずついい方へ向かい変化していけばいいのになと思う。
「……本当に。天は得難い宝を与えてくれたものだ。」
「…ああ。マティアス、お前の言う通りだな。僕たちがサイカと出会えた事は本当に、…本当に奇跡だとそう思う。」
「家族以外の周り全てがまるで敵のように…そう感じる事がありました。
だけど今は…とても心強い味方がいます。
まるで女神のように…心も何もかも美しい女が、誰よりも気持ちを分かろうとしてくれ…労ってくれているのですから。」
「…ん。サイカ…本当に女神様みたいだ。
思いやりがあって、優しくて、…すごく、きらきらして見える…。……俺、おかしい?」
「いいや。人間というのは内面が外に出るものだ。嫌な性格の者の顔が歪んでいたり、卑しい者は表情に。
…輝いて見えるのはサイカの内面が身に出ているからだ。内面の美しさが、その身に現れる。
いつまでも変わらずにいなさい、サイカ。」
「でも、人は変わるものですよ。お義父様。」
「ではいい方向に変わりなさい。
これまでも、今も。感じている事を忘れずにいればいい。ただそれだけでいい。
他者を重んじる心をお前はこの国の…いや、この世界の誰よりも持っていると俺は思う。」
「…そう、でしょうか…。」
「ああ、そうとも。
お前は人を見る。蔑む対象か敬う対象かではなく、出会い、接すれば一人の人間として。そしてその者と絆が深まればその者を大切にする。それが当たり前に出来る人間だ。
そういう育て方をされ、そういう風に育った。それは貴重な事。」
「貴重…」
「お前の美しさは容姿だけではない。
人として当たり前の心を持っている…誰かを思い、気持ちを考え、時にはぶつかり、大切にし、そして愛するその心が周りには眩しく、尊く、美しく見える。
誰かを純粋に思える豊かな心が、お前の美しさをより際立たせる。」
何だかすごく、過剰に褒められている気がしてむず痒い。
そんな出来た人間ではないと自分で自分の事は分かっているし、お義父様や皆の中で美化されている部分は大きいと思う。
褒められた人間でもなかったのだ日本での私は。
ここに来たから色々と考える事があって、言えばこの世界に来なければきっと…差別という言葉も自分には関係ない、本当に他人事だった。
他国の事情がニュースに取り上げられても可哀想くらいにしか思ってもいない。
この世界で皆と出会って、接して初めて自分も“苦しい”という気持ちになった。
だからお義父様が言うような…凄く立派な感じに聞こえる人間ではない…と思っていたけれど、お義父様はまるで私が何を考えているか分かっているみたいに微笑みながら伝えてきた。
「出会い、接するまでは“他人”だ。
誰もがそう。それは当然の事だ。サイカ。
だがサイカ。元々“そういう部分”“素質”を持っていないとお前の優しさは説明が出来ないんだよ。お前の優しさはご両親の賜物。
人は環境の中で心を育むんだ。」
「…環境の中で…。」
「お前の言った想像してみるという事、相手を理解するという事。それが出来るのもまた、そういう環境にあったという事。
そしてそれは、実際に誰かと接する事で発揮される。
誰かと接し、絆を深める事でサイカが持つ美徳が発揮される。
だがそこに他との違いが出るのだ。」
「……。」
「サイカ。お前という娘は本当に美しい。
この世の誰よりも。異質な程美しい。
心の輝きが、内から出る美しさが姿形に現れより美しい。
お前は間違いなく絶世の美女だ。女神の如く、その身が生の輝きで満ちている。
お前が自分でそう思っていなくとも、…周りはそう思っている。その事も…忘れるんじゃないぞ。」
お義父様だけでなく、四人の私を見る真剣な眼差しが。
その中の、何か決意の隠ったものが見えて。
どうしてか少しだけ、恐ろしく感じた。
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