平凡な私が絶世の美女らしい 〜異世界不細工(イケメン)救済記〜

宮本 宗

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79 カイル⑤

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「……そういうことだから、……その日は、予定を入れないでほしい。」

「……陛下やクラフ大公閣下…そしてウォルト宮中伯のご子息か……また随分と偉い方たちの名が出てきたな…。
……分かった。その日は必ず空けておく。」

「何だか凄い事になってますけど…、でも兄様おめでとう!本当におめでとう!」

「…ん。ありがと。」

「…ま、まあ。クライス侯爵様と侯爵様のご令嬢が来られるのでしたら色々と準備をしませんといけませんわね…。」

「………。」


俺にサイカという恋人がいること。そしてサイカには俺だけでなく後三人の恋人がいること。
クライス候と恋人であるサイカが挨拶を兼ねて家に来る。
そう伝えた時の家族の反応は様々だった。
父はいつもと変わらない、何を考えているのか分からない表情で予定を空けておくと言ってくれた。
弟のアレクは自分の事のように嬉しそうにおめでとうと伝えてくれた。
義母は少し顔を引きつらせながら、そして弟と結婚し俺の義妹になったひとはただただ驚いている様子だった。

「兄様、クライス侯爵令嬢はどんな女性なのですか!?」

「……優しい、すごく。…それからすごく、可愛い。綺麗。」

「そうですか…!早く会いたいです!
会って兄様の話などを沢山してみたいですね!」

「……ん、そうして。サイカ…喜ぶから。」


サイカが娼婦だったという事は家族の誰にも伝えていない。
俺に月光館を紹介してくれたアレクは薄々気がついているのかも知れないけれど、今後も家族には言うつもりはない。
父や弟は別にいい。でも義母と義妹は違う。
子供の頃は分からなかった沢山の事が、大人になるにつれ分かる事がある。
例えばそれは、義母は俺の母の事が嫌いだったということ。
父という一人の男を愛するが故なのかは分からない。
美しいと評判だった俺の母。
平凡で素朴な義母。
女として母と自分を比較することもあったのかも知れない。
母には母の良さが、義母には義母の良さがあるのだからそんなことを気にしても仕方がないと思うのだけど。

今、義妹は多分…サイカを自分より下に見ている。
それは家柄とか身分とかそういうのじゃなくて、義母と同じように女として…?の何かで。
俺の恋人。俺が紹介しようと思っている恋人。
多分、俺の恋人だからというのもあると思う。
醜い俺の恋人はきっと同じような女だろうって、多分そう思ってる。

「…良かったですね、お義兄様。」

「……どうも…。」


男が自分の自尊心を満たす為に身分や権力を誇示したがるように女もまた、女同士で優劣を競ってる。
あの人よりも自分の方が美しい、可愛い、スタイルがいい、センスがいい、いい男と付き合っている。
男も女も相手が自分より下だと判断すると態度を変える。
それはあからさまに上からだったり、言葉は穏やかだけど有無を言わさない圧があったり、一見普通な態度に見えるけれど節々に馬鹿にしたような視線や物言いが現れる。

義母も義妹も、俺の醜いこの容姿に怯えながらも心の中では馬鹿にしている。
二人の目には嫌な同情が込もってて、俺の姿を見下し馬鹿にし笑っている周りの人たちと何ら変わらないものが目の奥に見えるから。


「…どうしようもない奴ら。」


誰かと優劣を競って、勝てば相手を見下して。
楽しいのか何なのか分からないけど陰湿だ。
男より女の方がずっと陰湿で恐ろしい生き物だ。
だから俺は、女の人が苦手だ。否、大嫌いだ。義母や義妹みたいな女の人は特に。

「ふふ、兄様の恋人…そっかぁ。エメとも仲良くしてくれたら嬉しいなぁ。ね、エメ。」

「ええ。仲良く出来たら嬉しいわ。」

弟は気付かない。
普通の容姿に生まれて普通に育った弟には、女の人の陰湿さは分からない。
今、義妹が浮かべている笑みが何かを含んだ笑みだということも気付いていない。
そして父もまた、そういう事には気付かない人だ。
俺は父と弟にだけサイカを紹介したいけど、義母も義妹もディアストロ家の一員なのだから仕方ない。
そう、仕方ないけど。でも…俺は義母も義妹も、家族と思ってない。



「ディーノ・クライスと言う。こちらは俺の娘、サイカだ。」

「初めまして。わたくしはサイカ・クライスと申します。
本日はディアストロ伯爵様を始め皆様にお会いでき…誠に嬉しく存じます。」

出迎えた俺たちの前で指先一つまで美しい動作のカーテシーを取ったサイカ。
絶世の美女、ううん、女神と言っても全くおかしくない容姿のサイカを初めて見た家族は俺の予想通り、驚いて固まっていた。

「……父さん。」

「…あ?あ、ああっ。…クライス侯爵閣下、侯爵令嬢、私はディアストロ家当主のヨハン・ディアストロと申します。
隣にいるのは二番目の妻、シエラです。
カイルとは腹違いになりますが…次男のアレク、アレクに嫁いだ義娘のエメット。……アレク。侯爵閣下とご令嬢に挨拶を。」

「お、あ!?え!?はっ、はははじめまして!お、弟の、ア、アレアレクと申しまひゅ!」

「…アレアレク?カイル卿の弟君は変わった名なのだな。」

「…ううん……緊張して噛んだみたい。名前はアレク。」

「そうか。」

普段明るくて人見知りしなくて、誰とでもすぐ仲良くなるアレクが珍しくかなり緊張しているのはクライス候がいるからではなくて、サイカのせい。

「アレク様とお呼びしても宜しいでしょうか。」

「は、はひ!」

「ありがとう存じます。カイル様からアレク様のお話は何度か伺っておりました。お会いでき嬉しいです。」

「ひぇ!?」

「む。サイカ……様付けるの、やめて。卿も、いい。いつもみたいに普通に、呼んで。お願い。」

「ふふ。はい、カイル。」

「……に、兄様!兄様!ど、どど、どういうことです!?どうしたんです!?何なんですか、兄様の、こ、恋人って!?本当に、本当に!?」

「……落ち着いて。」

「はい!?お、おち、落ち着く!?ど、どうやって落ち着けばいいんですか!!」

「……どう…?……一生懸命。」

「に、兄様ぁ!?一生懸命って何ですかそのアドバイス!」

いつまでも立ち話をしているのも二人に失礼だし、中に入ろうと促す。
義妹をちらりと見ると…何だか悔しそうな顔をしてた。
多分、会うまで下に見ていたサイカがすごく綺麗だから…女として負けた気持ちになっているんだと思う。
広い応接間。テーブルを七人で囲むようにソファーに座って話をする。

「まずはマ…陛下との婚約式、次にクラフ大公閣下、ヴァレリア卿、そしてカイル卿の順になるだろう。
それぞれとの関係、婚約については時期を見て公にすると陛下は考えている。何事も擦り合わせが必要であるからな。それまでは他言せぬように。」

「畏まりました。婚約時期については陛下と侯爵閣下に従います。」

「…改めて聞くと腰を抜かすくらい凄い面子ですね…。
陛下に大公閣下に次期宮中伯様…。
兄様は序列的には一番最後になっちゃうけど…いいの?」

「ん。…皆、サイカが大切。サイカがいないの、考えられない、から。失うより、全然いい。」

「…兄様…、そっか。それだけ、クライス侯爵令嬢が兄様にとって大切な方だということなんですね。」

「…ん。何より、一番大切。」

話し合いの最中もやっぱり義妹は面白くなさそうな顔をしていた。父は元々余り話さない性格もあって、クライス候やサイカとの会話は余りなかった。アレクとクライス候、サイカとの会話を聞いているだけでやっぱり何を考えているのか未だによく分からない。

「でも本当に驚きました。
カイルさんが…女性と…しかもこんな美しいお嬢様とお付き合いをしているなんて。それも結婚まで考えている仲だと。」

その義母の言葉はただ素直な感情が乗せられていた。
聞き方によっては失礼な言葉だけど、でもその言葉は悪意を含んだものを意図して発したものじゃないと分かった。


「本当に美しいわ…。同じ女として羨ましい。」

「…恐れ入ります。」

「……。」


サイカが義母に褒められると義妹は更に面白くなさそうな顔をする。
隣に座る弟は義妹のそんな表情に気付かない。
弟は義妹を穏やかで優しいひとだと言うけれど、俺はそうは思わない。
穏やかで優しいのは見た目だけ。今、義妹はサイカに嫉妬してる。
気に入らないとその顔にありありと書いてあるのが分かるけど、でも周りは気付かない。
女として負けているのが気にくわない。
嫁として家族に気に入られるのも気にくわない。
自分の夫や使用人たちがサイカを見て頬を染めているのも気にくわない。
…本当に下らないなと思う。どうして義妹のこの嫌な部分を誰も知らないでいられるんだろうとそう思う。

「…カイル?どうしたの?」

「ん。すぐ戻る。」


義母や義妹がいる空間はやっぱり疲れてしまう。
席を立ち、キッチンで水を一気に飲んでふう、と大きく溜め息を吐いた。
溜め息と一緒に少し、もやっとしたものも一緒に出た気がして、気を取り直して応接間に戻ろうとした時に義妹がサイカに発した言葉が聞こえた。

「…侯爵令嬢は…どういうつもりでお義兄様とお付き合いを…?」

「……ええと、申し訳ありません。仰っていることの意味が…。」

「クラフ大公閣下やウォルト宮中伯様のご子息の事はよく存じ上げませんが…噂では…。
…陛下もお義兄様もその……容姿が…周りからはよく思われていない容姿でしょう…?
何だか偽善的なお付き合いのように感じてしまって…。」

「……偽善的?」

「エメ?」

「…失礼な事を申し上げてごめんなさい。
でも貴女みたいに凄く綺麗なひとだったらどんなひとも相手に出来るでしょうに…。
だからどうしてお義兄様や…陛下なのか不思議で…。」

「エメ、どうしたの?」

「そう思われるのは悲しいことですが…私は同情でカイルとお付き合いをしているわけではなく。惹かれ、好きだからお付き合いをしています。他の理由はありません。」

「……でも、お義兄様と一緒だと周りに笑われて…苦労するのでは?お義兄様の容姿は…一般的には受け入れられないものですし…それに一緒にいると人の目だってきっと凄いでしょう?変な目で見られたり…何だか可哀想だわ…。」


きっと今、弟は初めて自分の奥さんの嫌な性格、その一部を見たのだと思う。
信じられない気持ちでもあるのかも。
弟は声を震わせながら、弟は自分の奥さんの愛称を呼んだ。

「エメ…、…兄様のこと、そういう風に…思ってた…?
兄様の容姿は、そんなにおかしい?可哀想に思う程、醜い…?」

「え、ち、違うわ!私はそうは思わないけれど、周りがどういう風に見るかを私は言っているだけで、」

「……でも、僕には…そういう風には聞こえなかったよ。」

「ちが、違うのアレク!本当に違うの!」

慌てて取り繕うようなその物言いが、余計に義妹の気持ちを肯定しているような気がするけれど、義妹はきっと気付いていない。
しん、と部屋の中は静まり返ってしまい……すごく気まずい。
とても入っていけるような感じじゃないけど…入っていかないと聞いていたのが皆に知られてきっと気を使わせてしまう。
どうしようか、ノブに手を掛け考えた。


「…周りの目なんてどうだっていい。どう思われてもいい。
誰かに羨ましがられる為にお付き合いしてるんじゃなくて、一緒にいたいから一緒にいます。この先もずっと一緒にいたいから、ただそれだけです。」

「………。」

「カイルを好きなこの気持ちも私は恥じたりしません。
自慢したくてお付き合いをしているわけではないけれど、でも周りに自慢をしたいくらいです。
私の恋人…カイルはとっても素敵なひとなのって、私は自慢したいくらいです。」

「カイル卿は御前大会でも優勝するくらい強くもあるしな。」

「ええお義父様!カイルは剣の腕もあって、強くて逞しくて。
口下手ですけれど、でもとても素直でストレート。自分の気持ちを思ったまま、感じたままに伝えてくれます。
子供みたいに拗ねる時もあればはっとするくらい格好いい所も沢山あって、私はそんなカイルが大好きです。
そのカイルが大好きな気持ちは、誰にどんな目を向けられようが恥ずかしいと思うものではありませんから。」

嬉しい。サイカの言葉はただただ、嬉しい。
俺を自慢したいなんて、そんなのサイカだけ。
俺を素敵だって言ってくれるひとは、サイカだけ。
でも誰よりも、サイカにそう言ってもらえるのが俺は一番嬉しい。
今、義母や義妹はどんな気持ちでサイカの言葉を聞いているんだろうか。
俺の容姿を嫌な同情の目で見て、そして見下していた二人は。

「……人の家庭の事をどうこう言うつもりはなかったが…。
カイル卿の為に口を開いたのが家族の中で弟君だけとは…カイル卿がどのような扱いを受けてきたのかが分かるというもの。さぞ心苦しい思いをしたことだろう。」

「…っ、」

「…奥方の物言いもそうだ。
何気ない言葉の中にカイル卿を見下している気持ちが現れている。」

「そ、そのようなことは、」

「ないか?本当に?
では何故あんな言い方をしたのか聞きたい。
恐らくわざとではなかっただろう。
自然に、そう自然に。素直に出した言葉があれだったのなら普段からカイル卿の事をそういう風に思っているはずだ。でなければ自然にあんな言葉は出ない。」

「…母様…」

「そしてエメット嬢。
そなたはアレク卿が伯爵位を継げば伯爵夫人となる。
ああいう敵を作り兼ねない発言は今後控えた方がいい。夫君を愛しているのであれば尚更だ。」

「わ、私は、」

「娘に何を思い競っているかは知らないが…先の発言は我が侯爵家に対しての無礼と言われても仕方のないもの。
ディアストロ伯爵家に嫁いだからにはエメット嬢は伯爵家の一員、アレク卿が爵位を継承するまで伯爵家の令嬢だ。即ちそなただけの問題ではなく、伯爵や伯爵夫人、ディアストロ家全体の責任になってしまう。」

「そ、そんなつもりで言ったのでは、」

「ではどんなつもりだったのだ?娘が気にしなくとも俺は許さん。カイル卿は娘の恋人であり、何れは夫にもなる。であれば俺の息子でもあるわけだ。それにマティアス…陛下の事も侮辱と取れる発言をしたな。…以後発言には気を付けるといい。次はないぞ。」


クライス候の静かな怒りがドア越しからでも伝わってくる。
きっとあの人も俺と同じように沢山辛いことがあって、義母や義妹のような人間の僅かな悪意も分かってしまうんだろう。
望んでいなくとも。

「…エメット嬢はアレク様を心から愛していますか?結婚したのはアレク様を愛しているからですか?」

「当然です!…私はアレクが好きで、愛しているから結婚しました…!」

「次期伯爵だからでもなく?」

「な…、そんな失礼なことっ、」

「アレク様を心から愛して、そして結婚したなら私の気持ちも分かるはずです。
誰かに自慢したいから、羨望を集めたいから、優越感に浸りたいから、誰かに勝ちたいからお付き合いしているのではなく、ただ大好きだから。愛しているから一緒にいたい。そうですよね?」

「…あ…、」

「カイルを好きなのは恥ずかしい事ですか?
カイルとお付き合いをしているのは、可哀想な事ですか?
貴女にとって、受け入れられない事ですか?」

「っ、………い、いいえ。…申し訳、ありませんでした…、」

「はい。…私も失礼な事を言ってごめんなさい。
分かって欲しかったんです。アレク様を愛しているように、私もカイルを愛してること。好きなら、きっと気持ちは同じですから。」


俺、やっぱりサイカを好きになってよかった。
サイカと出会えてよかった。本当に、サイカと出会えた事は幸せなことだ。

サイカに出会う前までは俺は自分を不幸だと思ってた。
父も弟も大切だけど、でも父も弟も俺とは違う普通の人で、普通に生活をしてこれた人だから。
沢山の人から嫌悪されたり嫌な事を言われたりはされてこなかったし、この屋敷にいる人たちとも普通に接してきたから。

誰も俺の気持ちなんて分かりはしない。
どれだけ苦しく、辛く、悲しい思いをしたかなんて。
どれだけ歯がゆく、悔しい思いをしたかなんて。
周りに誰もいないそんな人生が、どれだけ寂しいかを分かりはしない。

当たり前を当たり前に生きてきた父や弟には、俺の気持ち全部を理解は出来ない。
父に助けてほしかった。支えてほしかった。
弟が羨ましかった。自分の母や屋敷の使用人たちからも好かれているアレクが、普通に友人を作って恋人も出来たアレクが、心底羨ましくて、兄様と話しかけてくれるのが嬉しくて、でも鬱陶しかった。
笑顔で俺と遊ぼうと言ってくるアレクが、大好きで大嫌いだった。

ノブに手を掛け部屋の中に入る。入りにくい雰囲気には違いないけれど、でも少しスッとした気分だった。


「…カイル……聞いてた…?」

「…ん。でも、大丈夫。…ありがと、サイカ。クライス候も。」

「いや。礼を言われる事は何もしていない。」

「ううん。…すごく、嬉しかったから。
嬉しくて、どう伝えたらいいか分からない、けど。でもこの際だから、…伝えておきたいって、思えたから。」


ずっとずっと。言わなかった気持ち。
父さんも、アレクも大事だ。でも言ってしまえばこの家の中で父さんとアレクしか、俺にとっては大事じゃない。
使用人たちも、義母も義妹も。俺にとっては他人だった。
父へ、弟への思いやこれまで俺が、どう思って生きてきたか。
今まで伝える事もしなかった。言っても理解してもらえない、言った所で何かが変わる気もしなくて。


「…母さんは俺を生んだ事をずっと後悔してた。
俺を殺そうとするくらい、俺が嫌いだった。
……父さんも、そうだった?父さんは、俺を…どう思ってる?」

「っ、カイル…」

「…たった一言でいい。俺は、……父さんに慰めて欲しかった。
どんな言葉だっていい。どんな言葉でもいいから、たった一言でもいいから、欲しかった。
ずっと一人、一人ぼっち。母さんも、誰も自ら俺の隣にはいなかった。寂しくて、誰かに側にいてほしくて。でも俺が近づくと皆、嫌な顔をした。」

母、乳母、使用人。皆同じ顔だった。
俺を、俺の顔を見て眉をしかめた。
どうしたのですかと穏やかな言葉をかけながら、でも体中で嫌悪しているのが分かった。

「アレクが生まれて、お義母さんは俺がアレクに近づくのも嫌そうだった。
どうして。俺は何もしない。殴ったりなんかしない。
それなのに何で、さも俺がアレクに何かするみたいに。」

「そ、そんなことないわカイルさん…」

「じゃあどうして。使用人に俺が部屋に入らないように、アレクに近づかないように見ておけって伝えてた?
…そういうの、分かるから。だってそれはお義母さんだけじゃないから。
女の人は皆、まるで俺が今から何かするみたいに、目が合っただけで嫌な反応をするから。」

分かるから、余計に辛い。
いっそもっと鈍感だったなら、そういう雰囲気に気付かなかったらと何度も思った。


「皆、アレクが生まれて嬉しそうだった。
アレクの周りにはいつも誰かがいて、俺の周りには誰もいなかった。
部屋の中で一人ぼっち。誰も俺に話しかけようとしてくれない。話しかけても嫌な顔をされるから、だから一人でいるしかない。」

言葉。会話。気持ちを伝える手段。
誰かと話さないと、そういうのは上手くならない。
伝える為の言葉は、誰かと話すことで覚える言葉が増える。
言葉だけじゃない。人として大切な何かを、人は人の中で知る。
団長やサイカと出会って、接して、話して、それをすごく実感する事が増えた。


「父さんが大嫌いだ。アレクが大嫌いだ。でも同じくらい大好きだ。母さんもそう。どんな酷い事を言われても、酷い事をされても俺、嫌いになれなかった。
一度でもいいから、カイルって名前を呼ばれたかった。
笑顔を向けて欲しかった。……でも、母さんが待ってたのは父さんで、俺は一度だってあの人に望まれた事、ない。母さんだけじゃない、誰も。」

俺は、生まれてよかった?
俺は、誰かに望まれてる?
この家にいる間、ずっと心の中で思ってた。
この家には俺の居場所はなくて。だって俺がいなければこの家は“普通”なんだ。

父さんは変わらないけど、でもアレクの周りに笑顔の使用人が集まって、皆で笑い合ってる。
そこに俺さえいなければ、そこには至って普通のありふれた光景が広がっている。
そんな光景を見るたび苦しくて羨ましくて、だから居たくなかった。
気を使わせるのも分かってた。だから騎士寮に入ろうと思った。
騎士になるきっかけなんてそんなものだった。
何かを守りたいとか、国に貢献したいとか、そんな大層な理由なんてなくて、ただ家に居たくなかっただけ。
これ以上邪魔に思われたくなかっただけ。それだけだった。


「……伯爵。黙っていては何も伝わらん。」

「伯爵様。どうかカイルに応えて下さい。
どう思っているのであれ、カイルが勇気を出して伝えている思いに応えてあげて下さい。」

「………。」


それでも父は黙る。何かを考えているのか、そうでないのか。
俺に話す事なんてないのか、どうなのか分からない。

「っ、…カイルには、諦めてきたものが沢山あります。
それはカイルだけじゃなくて、カイルと同じような思いをしてきた人は他の人たちよりも沢山。
…気持ちを伝えるのはまとまった会話でなくていいんです。
どう伝えてもいい、拙くとも、伝えて欲しい。
これ以上カイルに何かを諦めさせるのは、止めて下さい。」

「…サイカ…」

「結果がどうであれ今カイルが一生懸命伝えている行為を…無にすることだけは止めて下さい。
話さなければよかったとそう思わせるのだけは、止めて下さい。
…お願いします、伯爵様…。」


しんとする部屋の中で、気まずい雰囲気の部屋の中で。
ゆっくりとした父の声が俺に向けられた。


「…どう、接していいのか分からない。
俺は誰かと話すのも、苦手な方だ。
……カイルが生まれた時、その容姿を見て…落胆したのもあった。…違うな。…落胆というより、心配の方か…?生きにくいだろうなと、当時は他人事のように思った…。」

「……。」

「だが、俺の息子だ。その事に変わりない。
言い訳のように聞こえるかも知れないが…カイルがある程度成長するまで、…カイルがどんな扱いを受けているか、知らなかった。」

そうだろうな、と思う。
父は多忙だった。いつも何処か別の場所にいて家にいる事の方が少なかった記憶がある。


「知ったのは偶々だった。
カイルが一人でいるのを見て、それが、何回も続いた。
カイルの側にはいつも、誰もいなかった。」

「…知って、そなたは放置したのか。」

「…はい。…どうすればいいか、分からなかった。
思えば俺がいなくとも何とかなると…そう思っていたのかもしれない。…だがそれから暫くして…ソフィアがカイルを殺そうとしている所に遭遇した。
それでも、今更どうしていいか分からなかった。」

「何故。どうしてそこで、我が子を労ってやらなかった。
傷ついているだろう我が子に、向き合ってやらなかった。」

「……あの時のカイルの目は、何もかも諦めたような、そんな目だった。まるで死んでもよかったと、生きる事さえ諦めた……そこでやっと、気付いた。
自分のした事の大きさが。妻や子から逃げて、逃げたが故の事の大きさに。
でも今更どう向き合えばいい。どんな話をして、どう接すればいい。親子という親子の関係を築いてこなかった…やり方が分からなかった…。」

「…全て言い訳にしか聞こえんな。俺も温かな家庭というものを知らない人間だが…娘が泣いている時に抱き締めてやる事くらいは出来る。
向き合い方が分からない、どうすればいいか分からない。
分からないなりにも出来たことがあるだろう。それをしなかったのはその時また逃げたからだ。違うか。」

「……侯爵閣下の言葉通りです…。」

「…もう、分かった。大丈夫。…話してくれてありがと、父さん。」

悲しくなりもしたけれど、でも満足した。
父が不器用な人間だということは何となく察していたけれど、俺が思っている以上に不器用だったことも分かった。
嫌われているのではなく、ただ向き合い方が、接し方が分からなかっただけなのなら、それでいい。知れてよかったと思う。
だけど何でだろう。何で、満足したはずなのに穴が空いたままな気がするのは何でだろう。自分でも分からない。
でも、そういう時に…俺の側にサイカがいてくれるんだ。


「一番大事な事を聞いていません。
伯爵様がカイルをどう思っているか。
接し方が分からないのは分かりました。それを抜きにして、カイルをどう思っていますか?
…いえ、カイルが大切ですか?」

「…当然だ。」

「何故?親子という親子の関係を築いてこなかったのに大切なのは、何故です?」

「……何故…?…何故、…分からない。
…いや、でも、……、」

「…今、何を考えていますか?何を思い出していますか?
それを、ちゃんとカイルに教えてあげて下さい。」

「………赤ん坊の時に、偶々カイルのいる部屋に行って、カイルが泣いていて、でも誰も来なくて、俺は抱き抱えた。
…そしたらカイルが笑ったんだ。そう見えた。確かに笑ったように見えたんだ。
…小さい、赤ん坊は随分小さいのだなと思った。それから……それから、可愛い、とも。」

「はい。」

「何度か赤ん坊のカイルを見に行った。……そうだ、…その時、思った。…俺の息子なんだって。カイルは俺の息子なんだと、その時に…。この子とソフィアを守る為にも、沢山働かないと、…仕事をして、安定した生活を送らせてやりたいと…。」

「……俺、大切だった…?」

「…ああ。…ああ。勿論だ。
大切だった。………今も、大切だ。…すまない、カイル。すまない。ずっと苦しい思いをさせていた。あの時も…苦しい思いをさせてすまないと俺はお前に謝った。でもそれで満足していたんだ。分からない、なんて、そんなのはお前に関係ない事なのに、」

「……俺、生まれてよかった?父さんは、…俺の事、ちゃんと思ってた…?」

「ああ。…赤ん坊だったお前の、寝顔を見に行った…。
不思議な気持ちだった。…そう、本当に不思議な。
皺くちゃだ、猿みたいだ、いつも寝ている、小さい…可愛い、………愛しい。ああ、そうだ……愛しい、そう、守ってやらなくてはと、不思議な気持ちが…」


父はすまなかったと何度も言った。
逃げてすまない。
苦しい思いをさせてすまない。
寂しい思いをさせてすまない。
すまないというその一言だけの言葉に、父のそんな思いが沢山あるのが伝わった。


「ごめん、ごめん、兄様。ごめん、僕は、僕、兄様がどう思ってるか、兄様の辛い気持ちも、全然分かってなかった…。
分からなかった。ずっとずっと辛い思いしてたの、ちゃんと分かってなかった…でも、僕は、兄様が大好きだから、兄様は、僕の自慢の兄様だから、」

「…何だ。ちゃんと親の情があるのではないか。気付いていなかっただけで。忘れていただけで、そこにあったのではないか。なあサイカ。」

「ええ。お義父様。
…伯爵様もカイルも。お互いに家族としての気持ちがちゃんとありましたね。お互いに知らなかっただけで、ちゃんと。こんなに大きく。」

「ああ、そうだな。…伯爵、そしてカイル卿。これから先の歩みよりは互い次第だ。一つ心配なのは伯爵もカイル卿も口下手であることだが…そこはアレク卿が間に入れば何とかなるかも知れん。」

「…はいっ。頑張ります!」


じわりと何か染み込んで、目が熱くなる。
今、父さんがどんな顔をしているのか。目の前が滲んでよく見えない。
胸の中が温かくて、酷く温かくて。溢れる涙が止まらなくて。
背中を撫でるサイカの優しい手も温かくて、俺は子供のようにサイカにしがみついてただ泣いた。
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