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66 マティアス⑧
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運命という言葉は好きではなかった。
陳腐な言葉とすら思っていた。嫌悪すらしていた。
立場、容姿。決して自らこうあって欲しいと望んだわけではない。
他人から見れば恵まれた生まれ。
毎年何十、何百の命が失われている中、裕福に生まれた立場は飲み食いにも寝る場所にも困ることはなく、恵まれたものだ。
けれどこうも思うのだ。
毎日を希望もなくただただ与えられた責務をこなし、平穏も幸せもない日々を生きていくのが“恵まれた”ものなのかとも。
貧しいながらに毎日を懸命に、希望を持って生きている者たちが眩しい。
貧困にあえぎながらも家族や友人、知人らと協力し合い、小さな幸せを感じながら生きていく者たちが羨ましい。
俺の人生はなんと薄っぺらく、そして詰まらないものなのだろうかとサイカに出会う前までは思っていた。
「そなたがいるから俺は王でいたいと思った。
そなたがこの国にいるから、平穏な暮らしが出来るように努力し続けたいと思った。
俺が動きたいと思う気持ちは全て…サイカ、そなたから来る。」
「……ふ、ぁっ、」
「そなたがいるから、俺は生きる。
国を守り、栄えさせ、そなたが笑って生きていける未来を作る。
愛している。…俺の宝。大切な大切な宝。」
単純なものだとつくづくそう思う。
運命があるならば、俺の容姿も生まれる前から決まっていて、そしてこの理不尽な人生も決まっていたものなのか。
何が運命だ。何が。ふざけるなとそう思った事も何度もある。
「…サイカと出会う運命だったのであれば…運命というものも悪くない。…単純だな、俺は。」
「…は、…ああ…!まてぃあす、…う、はぁ…!」
「…サイカ、口を開けて。」
「ん、は、ぃ、……ん、ふぁ…」
もう何度、この愛らしい小さな、けれど肉厚な唇に口付けをしただろうか。
何度しても飽きず、足りないと思う。
一番始めに重ねた唇の温かさを、その柔らかさを未だに覚えている。
温かく、柔らかく、甘く、熱く。
初めての口付けに酔いしれた夜。
唇から伝わる熱が脳を刺激して、可愛らしい言葉で誘ってくる声に幸せを感じた。
今もそうだ。快楽と、そして包み込むような優しいサイカの情、それと同時にサイカからの愛情が口付けから伝わってくる。
伝わり、感じ、そして胸の中が満たされるのだ。
「……は、……気持ちがいいな、サイカ。」
「ん、…ん。……きもち、いい…」
何もかも初めてだった。
女の体がこれ程気持ちいいと感じたのも。
熱も、情も、幸福感も。
好いた女の中で子種を出す行為が、狂いそうな程の快楽であるのも。
ただの行為ではない。情のこもったこの行為が、とてつもなく尊いものである事を、その意味を。
快楽の為だけでなく、子を作るだけの為だけではなく。
男と女、人と人、愛しいとその思いを全身で伝える行為でもあると、サイカと出会って初めて知った。
「…は、…あ、あ、あんっ、…ま、まてぃあす、…まてぃあす…」
「ああ。ここだ。ここにいる。」
「ん、んっ、あ、…あっ、…まてぃあす、…すき、…だいすき、だいすき、まてぃ、まてぃあす、あい、し、てるっ、」
嗚呼。何という幸せ。
愛し愛されるというのは、こんなにも幸せな事だった。
一方通行ではない。互いに愛し合う奇跡。そう、これは奇跡だ。
「愛してる、サイカっ…!」
ぴんと伸ばした足に力を入れ、サイカの小さく華奢な体に体重を乗せるようにして覆い被さる。
何度目かになる勢いよく飛散する精液がサイカの狭い膣内に収まらず陰茎を伝って逆流してくる。
どろりとした熱い精液はまるで俺の思いのように濃いものだった。
「……は、……サイカ…俺は幸せだ…。」
息の整っていない熱い体の上に遠慮もなく倒れ込む。
心地良い疲労感。未だとくとくと睾丸に溜まっている精液がサイカの中へ送られている。
重たいだろうにこの愛しい女は、労るように俺の背を擦り、頭を撫でる。
自分が子供になった様な変な錯覚をしてしまうが…悪くない。
この幸せを、この熱を、この愛しい宝を、俺は決して手離さない。
「…早く連れ帰りたい。」
あの空っぽな城の中。
サイカが、愛しい女がいるだけできっと違う。
本当は誰ともサイカを共有したくない。
俺一人の女にしてしまいたい。
その気持ちは今だって当然ある。リュカにもヴァレリアにもカイルにも、数時間だけであろうとサイカと過ごさせたくない。
けれどサイカは何もかも規格外な女だ。
容姿も心も何もかも。いつだって安堵出来やしない。
サイカが見えない所にいる間は、いつだって。
あの時のように、サイカを狙う誰かが機会を伺っているのではないか。
見えない事が、俺の見ていない間の時間、日々はいつだって心配で堪らない。
何故なら。どれだけ万全に準備をしても、どれだけ念を入れておいても、不測の事態は起こりうるからだ。
衛兵の数を増やしてもサイカを見守らせていても、一瞬の隙に万が一は起こる。娼婦でなくなれば尚の事。
サイカという美しい女の存在が世に広まればそれだけ危険は増えてしまう。
守ると固く決意をしても、俺一人では守れない事もきっとあるのだ。
だからこそ、リュカたちを受け入れる事にした。
どれだけ一人占めをしていたいと思っても、誰にも渡したくないと思っても、サイカを守る為であればそんなものは些細な事だった。
「…サイカ、聞きたい事がある。」
「はい…?」
「恐らく今後、リュカやヴァレリア、カイルらもサイカに求婚をするだろう。」
「!!」
「皆、そなたを妻にしたいと望んでいる。
求婚を受け入れる気はあるか。それが聞きたい。」
「…求婚…」
「…色々考えてしまうか。…では質問を変える。
皆と共にいたいか?失うのが嫌か。それだけでいい。」
「……失うのは、嫌です。一緒にいたい。…皆と一緒に。
好きだから、大好きだから、失いたくない。
…でも、」
「でも?」
「…四人とお付き合い…も、私の常識では考えられない事だったの。ううん、私のいた所では。そういう人は勿論います。何人も同時に交際している人は。でもそれは、私のいた所では不誠実な事で、…重婚も、認められてない…。だから、気持ちの部分で…少しの抵抗感があるんです。」
「…なるほどな…。」
「でも、抵抗感で皆を諦めなくいちゃいけないとか、失うくらいならそんな事どうでもいい。
今は慣れなくても、いつか慣れるかも知れない。…もし、皆からプロポーズされたとしたら……きっと私は、マティアスと同じ様に受け入れると思います。」
「ああ。それでいい。サイカの気持ちも聞けた。
なら後はもう…そうなる様に動くだけだな。」
「…動く?」
「ああ。サイカを妻にする為にも準備がいると言ったろう?
今暫くは婚約者として…。もう少しだけ、待っていてくれ。」
「じゃあ、待っている間は私も出来る事を精一杯頑張ります。
…約束。」
「ああ、約束だな。
……サイカ、疲れているか?」
「?大丈夫ですよ。」
「では…もう一回。」
「っあ…!」
サイカの熱く狭いままの膣内で硬さを取り戻した陰茎。
未だ抜けない疲労感の中、ゆっくりと腰を動かし再びサイカの何もかもを堪能した。
「キリム。以前会った時に話した通り、昨日サイカに求婚をした。」
「サイカは受け入れたのですね。」
「ああ。不安ではある様子だったが受け入れてくれた。」
「では…僕から娼婦を辞めるように言っておきましょう。
きっとあの子はぎりぎりまで自分からは言わないでしょうから。
辞めるのであれば早い方がいい。だけどあの子は優しい子です。ぎりぎりまで、僕らを支えようとしてくれる。」
「…そうだな。そなたらを家族と言っていた。
恩を返したい、助け、支えたいとも。
俺からの求婚がなければサイカは自分が満足するまで娼婦でいようとしていたはずだ。
…だが、そういう思いは限りがない。」
「ええ。その通りです。
サイカの気持ちを待っていれば何年掛かるか分かりませんからね…。あの子がこの店にいなくなる。それを考えると何とも寂しい気持ちですが…僕は、この店にいる皆の幸せを願っています。今日にでも伝えておきましょう。」
「ディーノに迎えに来てもらうよう頼んでおく。
時間は余り人のいない早朝になるだろう。
…後は…そうだな…色々と準備もあるだろうから、二週間後だ。」
「承知しました。」
「…キリム。礼を言う。」
「何を仰いますか。当たり前の事ですよ。
娼婦の世界は狭い。中には一生花街の外へ出られない子だっています。
あの子は娼婦という仕事を楽しんでいたし、決して不幸ではなかったでしょう。
けれど娼婦で居続ける事はあの子の道を狭めてしまってもいますから。
娼婦でなくなるなら、それが一番いいんです。」
「……。」
「この店は、月光館は。生きたくてもそれが難しい女たちの為に作った場所です。
あの子には陛下がいます。そして皆様が。
陛下。どうかサイカを…幸せにしてあげて下さいね。
あの子の心が損なわれないようにして下さいね。あの子の最大の魅力は、心です。あの子の優しさに、差別だとか、常識に囚われない自由な心に僕も皆も随分救われましたから。」
「ああ、約束しよう。」
サイカは二週間後に月光館を去る。
娼婦のサイカではなく、ディーノの娘として。クライス侯爵家の令嬢となる。
娼婦の頃よりも大変な日々が待っているだろう。貴族社会は精神を削られる。
これまで以上にサイカの様子を気にかけておかなければ。
心が折れそうになった時に、いつでも手を差し伸べる事が出来るように。
そうでなくとも、いつでも支えられるように。
そして尤も気をつけておかねばならない事はサイカの身の安全。
クライス侯爵家の令嬢として、そして俺の婚約者として貴族たちの集まる公の場でその姿を晒す事になれば…サイカの容姿に心奪われ馬鹿な事を仕出かす者は必ず出てくる。
俺の妻であっても、ライズのようにルシアと関係を持つ者もいる。
自分たちの王であっても見下すその愚かな人間性。貴族はそんな人間ばかりだ。
だからこそ俺だけでなく、リュカやヴァレリア、カイル、ディーノという力のある人間でサイカを守らなくてはならない。
互いに重い責務を抱えている。城を、拠点を何日も空ける事もある。
いつもいつもサイカの側にいる事は出来ない。
だがそれが俺一人ではなく、皆がいれば。少なくとも誰か一人はサイカの側にいて守れるわけだ。
「婚約の期間は早くて一年内、若しくは最長でも二年までとして…まずはヴァレリアの爵位からになるな。
同時進行で妃側の重婚をもっと調べておく必要もあるか…。全く、やる事が山積みだ。」
それでも。サイカが俺の求婚を受け入れてくれた今はやる気しかない。
どれだけ大変だろうと困難だろうと、サイカが是と言ってくれたのだ。
俺の妻になりたいと言ってくれたのだ。
不安になりながらも、恐れながらも、俺の隣に立つ為に決意をしてくれたのだ。
これが嬉しくないわけがなかった。
翌日、遠方にいるリュカ以外の二人にサイカが俺の求婚を受け入れてくれた事を伝え、二週間後…正確にはもうあと十三日後にはサイカが娼婦を辞める事を伝えたが皆の求婚を受け入れるつもりでいる事は伝えなかった。
予め結果を知って求婚するよりも、どうなるか分からず求婚し、そして是の返事を貰った方が喜びもあるだろう。
俺とてそういう気持ちは持っている。
全く似た、とは言わないが、皆理不尽な人生を送ってきた者たちだ。
リュカには手紙で伝え、ディーノにもサイカを迎えに行くよう手紙を書いた。
「……迎えに来いとは書いたが…今来てどうする。」
「…すまん。嬉しくてな。…気が急いた。」
手紙を送って五日後にディーノは城へやってきた。ばつの悪そうな表情で。
自分でも早く来すぎた事は自覚していたらしい。
「ふ、…ははは!
ディーノもサイカには敵わないか。」
「…ああ。毎日毎日、待ち遠しいと思っていた。まさかこんなに早く迎えに行く事が出来るとは。」
「サイカを迎え入れる準備は大丈夫か?その為にキリムに二週間後と伝えたんだが…。」
「問題ない。以前から準備していた。」
「…ふは…!そ、そうかっ。それ程までに楽しみにしていたのだな、ディーノ。」
「当然だろう。…サイカを娘にしたいと思った時から早くそうなればいいと楽しみにしていた。
あの子がいると家が明るい。あの屋敷が、ああも明るいものになると思ってもいなかった。」
「…そうか。」
「ああ。サイカが居ない今は、以前に逆戻りだ。
サイカの世話を任せていたリリアナとレジーヌが特に気落ちしていてな。リリアナは流石に普段と変わらない様子で仕事をしているが…。だが、連れ帰れば喜ぶだろう。」
「はは、そうか。」
「教養やマナーを学ぶ為の教師も手配してある。信頼のおける女性だ。
…だがまあ、キリムが元貴族なんだ。そしてサイカは高級娼婦。基礎は恐らく出来ているだろう。」
「ああ。その辺りの心配はしていない。
というかディーノ。そなた…一体どれだけ前から準備していたんだ?」
「サイカが屋敷を去ってからだな。」
「!!……そ、そうか。」
まさかディーノがこれ程サイカを溺愛するとも予想していなかった。
養女にしてもらいたいと話した時は怪訝そうな顔をしていたディーノ。
だがサイカがディーノの屋敷で過ごすようになって、そして会いに訪れた時にはもう恐らく、サイカを娘にしたいという気持ちになっていたのだろう。
「婚約期間は?」
「早くて一年以内。最長でも二年以内と考えている。」
「早い。娘になって直ぐ嫁に出すのは詰まらん。五年後くらいでいいんじゃないか。」
「馬鹿言え。どれだけお預けさせる気だ。」
「ははは。まあ、冗談だ。」
冗談とは言うが…ディーノの目は本気だったという事を伝えておく。
陳腐な言葉とすら思っていた。嫌悪すらしていた。
立場、容姿。決して自らこうあって欲しいと望んだわけではない。
他人から見れば恵まれた生まれ。
毎年何十、何百の命が失われている中、裕福に生まれた立場は飲み食いにも寝る場所にも困ることはなく、恵まれたものだ。
けれどこうも思うのだ。
毎日を希望もなくただただ与えられた責務をこなし、平穏も幸せもない日々を生きていくのが“恵まれた”ものなのかとも。
貧しいながらに毎日を懸命に、希望を持って生きている者たちが眩しい。
貧困にあえぎながらも家族や友人、知人らと協力し合い、小さな幸せを感じながら生きていく者たちが羨ましい。
俺の人生はなんと薄っぺらく、そして詰まらないものなのだろうかとサイカに出会う前までは思っていた。
「そなたがいるから俺は王でいたいと思った。
そなたがこの国にいるから、平穏な暮らしが出来るように努力し続けたいと思った。
俺が動きたいと思う気持ちは全て…サイカ、そなたから来る。」
「……ふ、ぁっ、」
「そなたがいるから、俺は生きる。
国を守り、栄えさせ、そなたが笑って生きていける未来を作る。
愛している。…俺の宝。大切な大切な宝。」
単純なものだとつくづくそう思う。
運命があるならば、俺の容姿も生まれる前から決まっていて、そしてこの理不尽な人生も決まっていたものなのか。
何が運命だ。何が。ふざけるなとそう思った事も何度もある。
「…サイカと出会う運命だったのであれば…運命というものも悪くない。…単純だな、俺は。」
「…は、…ああ…!まてぃあす、…う、はぁ…!」
「…サイカ、口を開けて。」
「ん、は、ぃ、……ん、ふぁ…」
もう何度、この愛らしい小さな、けれど肉厚な唇に口付けをしただろうか。
何度しても飽きず、足りないと思う。
一番始めに重ねた唇の温かさを、その柔らかさを未だに覚えている。
温かく、柔らかく、甘く、熱く。
初めての口付けに酔いしれた夜。
唇から伝わる熱が脳を刺激して、可愛らしい言葉で誘ってくる声に幸せを感じた。
今もそうだ。快楽と、そして包み込むような優しいサイカの情、それと同時にサイカからの愛情が口付けから伝わってくる。
伝わり、感じ、そして胸の中が満たされるのだ。
「……は、……気持ちがいいな、サイカ。」
「ん、…ん。……きもち、いい…」
何もかも初めてだった。
女の体がこれ程気持ちいいと感じたのも。
熱も、情も、幸福感も。
好いた女の中で子種を出す行為が、狂いそうな程の快楽であるのも。
ただの行為ではない。情のこもったこの行為が、とてつもなく尊いものである事を、その意味を。
快楽の為だけでなく、子を作るだけの為だけではなく。
男と女、人と人、愛しいとその思いを全身で伝える行為でもあると、サイカと出会って初めて知った。
「…は、…あ、あ、あんっ、…ま、まてぃあす、…まてぃあす…」
「ああ。ここだ。ここにいる。」
「ん、んっ、あ、…あっ、…まてぃあす、…すき、…だいすき、だいすき、まてぃ、まてぃあす、あい、し、てるっ、」
嗚呼。何という幸せ。
愛し愛されるというのは、こんなにも幸せな事だった。
一方通行ではない。互いに愛し合う奇跡。そう、これは奇跡だ。
「愛してる、サイカっ…!」
ぴんと伸ばした足に力を入れ、サイカの小さく華奢な体に体重を乗せるようにして覆い被さる。
何度目かになる勢いよく飛散する精液がサイカの狭い膣内に収まらず陰茎を伝って逆流してくる。
どろりとした熱い精液はまるで俺の思いのように濃いものだった。
「……は、……サイカ…俺は幸せだ…。」
息の整っていない熱い体の上に遠慮もなく倒れ込む。
心地良い疲労感。未だとくとくと睾丸に溜まっている精液がサイカの中へ送られている。
重たいだろうにこの愛しい女は、労るように俺の背を擦り、頭を撫でる。
自分が子供になった様な変な錯覚をしてしまうが…悪くない。
この幸せを、この熱を、この愛しい宝を、俺は決して手離さない。
「…早く連れ帰りたい。」
あの空っぽな城の中。
サイカが、愛しい女がいるだけできっと違う。
本当は誰ともサイカを共有したくない。
俺一人の女にしてしまいたい。
その気持ちは今だって当然ある。リュカにもヴァレリアにもカイルにも、数時間だけであろうとサイカと過ごさせたくない。
けれどサイカは何もかも規格外な女だ。
容姿も心も何もかも。いつだって安堵出来やしない。
サイカが見えない所にいる間は、いつだって。
あの時のように、サイカを狙う誰かが機会を伺っているのではないか。
見えない事が、俺の見ていない間の時間、日々はいつだって心配で堪らない。
何故なら。どれだけ万全に準備をしても、どれだけ念を入れておいても、不測の事態は起こりうるからだ。
衛兵の数を増やしてもサイカを見守らせていても、一瞬の隙に万が一は起こる。娼婦でなくなれば尚の事。
サイカという美しい女の存在が世に広まればそれだけ危険は増えてしまう。
守ると固く決意をしても、俺一人では守れない事もきっとあるのだ。
だからこそ、リュカたちを受け入れる事にした。
どれだけ一人占めをしていたいと思っても、誰にも渡したくないと思っても、サイカを守る為であればそんなものは些細な事だった。
「…サイカ、聞きたい事がある。」
「はい…?」
「恐らく今後、リュカやヴァレリア、カイルらもサイカに求婚をするだろう。」
「!!」
「皆、そなたを妻にしたいと望んでいる。
求婚を受け入れる気はあるか。それが聞きたい。」
「…求婚…」
「…色々考えてしまうか。…では質問を変える。
皆と共にいたいか?失うのが嫌か。それだけでいい。」
「……失うのは、嫌です。一緒にいたい。…皆と一緒に。
好きだから、大好きだから、失いたくない。
…でも、」
「でも?」
「…四人とお付き合い…も、私の常識では考えられない事だったの。ううん、私のいた所では。そういう人は勿論います。何人も同時に交際している人は。でもそれは、私のいた所では不誠実な事で、…重婚も、認められてない…。だから、気持ちの部分で…少しの抵抗感があるんです。」
「…なるほどな…。」
「でも、抵抗感で皆を諦めなくいちゃいけないとか、失うくらいならそんな事どうでもいい。
今は慣れなくても、いつか慣れるかも知れない。…もし、皆からプロポーズされたとしたら……きっと私は、マティアスと同じ様に受け入れると思います。」
「ああ。それでいい。サイカの気持ちも聞けた。
なら後はもう…そうなる様に動くだけだな。」
「…動く?」
「ああ。サイカを妻にする為にも準備がいると言ったろう?
今暫くは婚約者として…。もう少しだけ、待っていてくれ。」
「じゃあ、待っている間は私も出来る事を精一杯頑張ります。
…約束。」
「ああ、約束だな。
……サイカ、疲れているか?」
「?大丈夫ですよ。」
「では…もう一回。」
「っあ…!」
サイカの熱く狭いままの膣内で硬さを取り戻した陰茎。
未だ抜けない疲労感の中、ゆっくりと腰を動かし再びサイカの何もかもを堪能した。
「キリム。以前会った時に話した通り、昨日サイカに求婚をした。」
「サイカは受け入れたのですね。」
「ああ。不安ではある様子だったが受け入れてくれた。」
「では…僕から娼婦を辞めるように言っておきましょう。
きっとあの子はぎりぎりまで自分からは言わないでしょうから。
辞めるのであれば早い方がいい。だけどあの子は優しい子です。ぎりぎりまで、僕らを支えようとしてくれる。」
「…そうだな。そなたらを家族と言っていた。
恩を返したい、助け、支えたいとも。
俺からの求婚がなければサイカは自分が満足するまで娼婦でいようとしていたはずだ。
…だが、そういう思いは限りがない。」
「ええ。その通りです。
サイカの気持ちを待っていれば何年掛かるか分かりませんからね…。あの子がこの店にいなくなる。それを考えると何とも寂しい気持ちですが…僕は、この店にいる皆の幸せを願っています。今日にでも伝えておきましょう。」
「ディーノに迎えに来てもらうよう頼んでおく。
時間は余り人のいない早朝になるだろう。
…後は…そうだな…色々と準備もあるだろうから、二週間後だ。」
「承知しました。」
「…キリム。礼を言う。」
「何を仰いますか。当たり前の事ですよ。
娼婦の世界は狭い。中には一生花街の外へ出られない子だっています。
あの子は娼婦という仕事を楽しんでいたし、決して不幸ではなかったでしょう。
けれど娼婦で居続ける事はあの子の道を狭めてしまってもいますから。
娼婦でなくなるなら、それが一番いいんです。」
「……。」
「この店は、月光館は。生きたくてもそれが難しい女たちの為に作った場所です。
あの子には陛下がいます。そして皆様が。
陛下。どうかサイカを…幸せにしてあげて下さいね。
あの子の心が損なわれないようにして下さいね。あの子の最大の魅力は、心です。あの子の優しさに、差別だとか、常識に囚われない自由な心に僕も皆も随分救われましたから。」
「ああ、約束しよう。」
サイカは二週間後に月光館を去る。
娼婦のサイカではなく、ディーノの娘として。クライス侯爵家の令嬢となる。
娼婦の頃よりも大変な日々が待っているだろう。貴族社会は精神を削られる。
これまで以上にサイカの様子を気にかけておかなければ。
心が折れそうになった時に、いつでも手を差し伸べる事が出来るように。
そうでなくとも、いつでも支えられるように。
そして尤も気をつけておかねばならない事はサイカの身の安全。
クライス侯爵家の令嬢として、そして俺の婚約者として貴族たちの集まる公の場でその姿を晒す事になれば…サイカの容姿に心奪われ馬鹿な事を仕出かす者は必ず出てくる。
俺の妻であっても、ライズのようにルシアと関係を持つ者もいる。
自分たちの王であっても見下すその愚かな人間性。貴族はそんな人間ばかりだ。
だからこそ俺だけでなく、リュカやヴァレリア、カイル、ディーノという力のある人間でサイカを守らなくてはならない。
互いに重い責務を抱えている。城を、拠点を何日も空ける事もある。
いつもいつもサイカの側にいる事は出来ない。
だがそれが俺一人ではなく、皆がいれば。少なくとも誰か一人はサイカの側にいて守れるわけだ。
「婚約の期間は早くて一年内、若しくは最長でも二年までとして…まずはヴァレリアの爵位からになるな。
同時進行で妃側の重婚をもっと調べておく必要もあるか…。全く、やる事が山積みだ。」
それでも。サイカが俺の求婚を受け入れてくれた今はやる気しかない。
どれだけ大変だろうと困難だろうと、サイカが是と言ってくれたのだ。
俺の妻になりたいと言ってくれたのだ。
不安になりながらも、恐れながらも、俺の隣に立つ為に決意をしてくれたのだ。
これが嬉しくないわけがなかった。
翌日、遠方にいるリュカ以外の二人にサイカが俺の求婚を受け入れてくれた事を伝え、二週間後…正確にはもうあと十三日後にはサイカが娼婦を辞める事を伝えたが皆の求婚を受け入れるつもりでいる事は伝えなかった。
予め結果を知って求婚するよりも、どうなるか分からず求婚し、そして是の返事を貰った方が喜びもあるだろう。
俺とてそういう気持ちは持っている。
全く似た、とは言わないが、皆理不尽な人生を送ってきた者たちだ。
リュカには手紙で伝え、ディーノにもサイカを迎えに行くよう手紙を書いた。
「……迎えに来いとは書いたが…今来てどうする。」
「…すまん。嬉しくてな。…気が急いた。」
手紙を送って五日後にディーノは城へやってきた。ばつの悪そうな表情で。
自分でも早く来すぎた事は自覚していたらしい。
「ふ、…ははは!
ディーノもサイカには敵わないか。」
「…ああ。毎日毎日、待ち遠しいと思っていた。まさかこんなに早く迎えに行く事が出来るとは。」
「サイカを迎え入れる準備は大丈夫か?その為にキリムに二週間後と伝えたんだが…。」
「問題ない。以前から準備していた。」
「…ふは…!そ、そうかっ。それ程までに楽しみにしていたのだな、ディーノ。」
「当然だろう。…サイカを娘にしたいと思った時から早くそうなればいいと楽しみにしていた。
あの子がいると家が明るい。あの屋敷が、ああも明るいものになると思ってもいなかった。」
「…そうか。」
「ああ。サイカが居ない今は、以前に逆戻りだ。
サイカの世話を任せていたリリアナとレジーヌが特に気落ちしていてな。リリアナは流石に普段と変わらない様子で仕事をしているが…。だが、連れ帰れば喜ぶだろう。」
「はは、そうか。」
「教養やマナーを学ぶ為の教師も手配してある。信頼のおける女性だ。
…だがまあ、キリムが元貴族なんだ。そしてサイカは高級娼婦。基礎は恐らく出来ているだろう。」
「ああ。その辺りの心配はしていない。
というかディーノ。そなた…一体どれだけ前から準備していたんだ?」
「サイカが屋敷を去ってからだな。」
「!!……そ、そうか。」
まさかディーノがこれ程サイカを溺愛するとも予想していなかった。
養女にしてもらいたいと話した時は怪訝そうな顔をしていたディーノ。
だがサイカがディーノの屋敷で過ごすようになって、そして会いに訪れた時にはもう恐らく、サイカを娘にしたいという気持ちになっていたのだろう。
「婚約期間は?」
「早くて一年以内。最長でも二年以内と考えている。」
「早い。娘になって直ぐ嫁に出すのは詰まらん。五年後くらいでいいんじゃないか。」
「馬鹿言え。どれだけお預けさせる気だ。」
「ははは。まあ、冗談だ。」
冗談とは言うが…ディーノの目は本気だったという事を伝えておく。
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