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閑話 男たちの決断

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レスト帝国、王宮の一室。
人払いがされたその部屋では五人の男たちが席に着き、其々が真剣な面持ちで対峙していた。


一人はマティアス・ベルフォーレ・レスト。
大国、レスト帝国の現皇帝。
一人はヴァレリア・ウォルト。
宮中伯という、貴族の中でもそこそこに格式の高い家柄の嫡男であり、次期宮中伯となる男。
一人はカイル・ディアストロ。
ディアストロ伯爵家に嫡男として生まれながらも跡継ぎは望まず、努力と実力を以て騎士団の副団長にまで上り詰めた。
一人はリュカ・シルフィード・クラフ。
マティアスとは従兄弟であり、レスト帝国でも一つしかない公爵家の若き当主。
そして最後にディーノ・クライス。
侯爵であり、そしてレスト帝国にいくつか存在する侯爵位で一番と言っていい程の広大な領地と財を持っている。

国の中心に立っていると言っても過言ではなかろう彼らが一堂に会しているそんな状況。
紅茶を運んで来た使用人など五人を見てガチガチに緊張してしまい、常の通りに紅茶を淹れる事が出来なかった程だ。
震える手で、粗相のない様にする事で精一杯。
とぽとぽと紅茶を淹れるその瞬間も無言で互いを見やる五人に憐れな使用人は部屋を出るまで生きた心地がしなかった。
“それでは失礼致します”と重厚な扉が閉まった瞬間まるで一日が終わった安堵感が訪れる。
……一体、あの部屋の中でどんな話がされるのだろうか。ごくりと生唾を飲んだ。

実際は何て事ない。
“恋人自慢”の場と化していたのだが。



「…今、人生で一番幸福な時を過ごしているのではと思うのです…。」

「……ん。…お付き合い、してから……毎日、幸せ。」

「……一つ疑問なんだが。…女というのは…コホン。あ、ああも可愛いものなのか?
家族以外…母や妹以外の女が分からんから比べ様がないんだが…あいつは、…その、だな。……か、可愛すぎやしないか。」

「そんな当たり前の事は疑問に思った事もないな。」

「…そうですね。サイカはとても……ええ、とても可愛いです。容姿云々ではなくもう、性格と言いますか…全てが。」

「………サイカ、すごく可愛い。
この間…持っていったお菓子、…美味しい美味しいって、沢山食べてた……すごく、可愛かった。
俺、あーん、してもらった…。」

「!!?あ、あーん、だと!?何をそんな小っ恥ずかしい事をしてるんだお前は!!」

「?……別に、恥ずかしくない。
…二人、だし。誰か…いても…、俺は平気。寧ろ、嬉しい。……二人きり、なのに…何故、恥ずかしい?」

「……は、恥ずかしいものは恥ずかしいだろ!あ、あーんだぞ!?お前は子供か!?」

「あ、私もあーんをしてもらいました。」

「お前もかヴァレリア!!」

「俺もしてもらったな。」

「マ、マティアス、お前までも、だと…!?」


恋とはこうも人を馬鹿にするのだな。とディーノは思う。
ここに集まっている四人の男たちは本来であれば皆が皆優秀と呼べる者たちなのだが、こと愛しい恋人が関わると馬鹿になる様で、ディーノは部屋に入ってからかれこれ一時間程この馬鹿げた話に耳を傾けていた。
そもそも今日集まった理由はマティアスが全員を呼びつけたからであるはずなのに、まだ“本題”には至っていない。
同じ恋人を持つ者たちの幸せそうな様子に水を差すのもどうかと思ったものの、いい加減に本題に入ってもらわなければこの馬鹿な話し合いは終わらないだろう。
持っていたティーカップをソーサへ置き、ディーノは溜め息を吐きながら四人に声を掛けた。


「白熱している所悪いが…自慢話はそろそろ終わりにして貰えないか。
あのが可愛いのは賛同するが…義父としては少々複雑な思いだ。
それに…マティアス。俺たちを呼んだのもその理由があるのだろう?
ならばそろそろ本題へ移れ。」

「ああ、そうだった。すまないなディーノ。サイカの話になるとどうしても…な。
皆を呼び出したのは他でもない、勿論サイカの話ではある。」

居住まいを正した三人はマティアスの続く言葉を待つ。
互いが恋人同士になって早数ヵ月。そろそろ動くのではと皆が思っていた。


「側妃との問題も粗方片付いた。片付いたお陰で一部の人間が鬱陶しくなってきてな。
サイカにもそろそろ娼婦を辞めてもらいたいと思っている。
先日キリムと話をしてきた。サイカの売り上げで当面の経営は安泰と言っていた。まあ、元々売り上げが悪い店じゃない。」

「ええ。月光館は他よりも良い店だと思います。店全体の質が高い…といいますか。
恐らく働く側によるものなのでしょう。」

「そうだろうな。
…キリムとの話で気になる点が一つ。俺たちの他にサイカには新たな客が付いている。」

『!!!』

「…キリムが断れなかった相手ということか、マティアス。」

「ああ。ディーノの言う通りだ。
相手はドライトの第四王子……いや、今は王子ではなく爵位を貰って臣下に下ったはずだったか。」

「王族か。成る程…キリムが断れないわけだ。…ドライト王国の第四王子とは僕も会った事がないが…マティアス、お前は会った事があるか?」

「いいや。記憶にない。
第四王子のサーファスは俺たちと同じ“醜い容姿”をしている。王太子でもなく第四王子だ。特段、催しに参加しなくとも許されていたのだろう。」

「……サーファス……ああ、成る程……聞き覚えがあると思ったら…」

「どうしたディーノ。」

「いや、サイカに会いたいと手紙を何度か送ってきた男の名前がサーファスでな。直接来た事もあったと使用人たちから報告を受けた。サイカとは御前試合の日に出会っている。…まあ、何処のどいつかも分からないから無視をしていたんだが…。」

「…何となく、ではありますが…サイカに会いたいと思う気持ちは、私にも分かります。
私にも経験がありますから。けれど…そうだとすれば……その方はサイカに執着しているのでは…?」

「……俺、これ以上増えるの、…嫌だ。」

「それは皆同じだ。これ以上増えればあいつに会える回数が減るのは確かだな。…娼婦でいればの話だが。」


リュカはマティアスを見やる。
何故マティアスがリュカらを呼んだか確信を持っていた様子だった。


「…動くんだろ、マティアス。
まあ、そうだな。お前が最初に動かないと僕たちは身動きがとれないからな。だが言っておくぞ。僕はあいつを諦めない。そしてお前があいつを独占するなら、僕を受け入れないのなら考えがあると言ったのも勿論覚えているな?」

「……動く?…何。」

「…求婚、ですね…?」

「そうだ。こいつはサイカに求婚するつもりでいる。だから僕たちをこの場に呼んだんだ。言わずに進めるのはフェアじゃない。一応そこは考えてくれていたらしいがな。
それで?マティアス、当然考えたんだろう?…僕の、僕らの事も。」


マティアスがどんな決断をするのか、そして決断をしたのかをリュカはずっと気になっていた。
互いにサイカという一人の女を恋人に持つ者同士で、一番の鬼門はマティアスだった。リュカにとっても、そして他の二人にとっても。
マティアスがリュカらを拒み、独占を強行すればサイカはマティアスだけの女になってしまう。リュカはそれを恐れていた。
従兄弟と言えど友と言えど、情があろうとマティアスは容赦ない時は容赦がない。
長年マティアスという男をその目で見てきたリュカは知っている。
知っているから賭けに出た。唯一マティアスを動かせるであろう大きな賭けに。
けれども同時に不安でもあった。何故ならその賭けはマティアスに対して有効ではあるが必ずと言っていいものではなかったから。


「リュカ。あの時そなたが俺に言った言葉が本気で言っていた事は分かっている。」

「…ああ。勿論、僕は本気だぞ。お前が僕を受け入れずサイカを一人、独占しようと強行するなら…俺は領地と爵位を返上する。
僕は本気だ。あいつのいない人生なんていらない。やっと僕の前に幸せが訪れた。僕は、決してあいつを諦めたりしない。」

「その脅しのような言葉が本気であればそれはそれで困る。そもそも地位も権力も失ってその後どうやってサイカを守るつもりだ。
リュカ、そなたには国の柱の一つになってもらわなくてはならない。
…この数ヵ月、そなたらの働きは目を見張るものがあった。
互いに示し合わせたわけでもないだろうが。」

「ああ。国に…否、お前にとって失うのは惜しいと思う存在に。
そうあればお前は考えるだろうと僕は思った。僕はお前にとって最大限、利用出来る駒になるだろう。あの男の跡を継いだ今の僕にはその地位が、権力がある。」

「…私も、以前の話し合いから似た事を考えました。
陛下は私たちの誰よりも立場が強い。私たちが陛下と同じようにサイカを独占したいと考えても…その手段はないに等しいでしょう。
動くならサイカが娼婦を辞めるまでと考えていました。
それまでに、私も陛下にもっと認められるよう努力しなくてはと。」

「……ん。そしたら、陛下……俺の事、無下に出来ないかもって、…俺も、そう思った。」

「マティアス。答えを。
僕を、僕らをお前は受け入れるか?サイカを共有するに値すると判断するか否か。あいつの夫になる事を受け入れるか否か。お前の決断を今、示してくれ。」

「そうだな。…俺の答えはこうだ。“取引といこう”」

「…乗った。条件は?」

「決して裏切るな。ただそれだけだ。
取引というのも少し違うか。」


マティアスには味方が少なかった。
望んでそう生まれたわけではないその見目のせいで、臣下たちでさえマティアスを見下していた。
努力し、結果をどれだけ示しても。
民から賢君と言われようと国の為に身を粉にしようとも、マティアスの味方は少なかった。
マティアスはサイカという宝に出会い多くの事を考えるようになった。
大事なものが出来た。
守るべきものが出来た。
何よりも大切にしたいものが、愛すべきサイカと出会えた。
この国で、自分が統治するこの国で愛する女が生きている。
それまで、王族に生まれたというただそれだけの責務だけで生きてきた人生。
サイカという宝がマティアスの元へ現れ、マティアスは初めて国を豊かにしたいと思うようになった。
愛する人が幸せに暮らせるように。
愛する人が生きる、日々を暮らしているこの国を強固なものにしようと。

そうなると色々と変えていくべき事柄があった。
変えたいと望むようになった。
けれど味方の少ないマティアスにはそれが自分が予想しているよりも尚困難なことだと実感していた。


「美醜、性、職、生まれ。どの国にもまだまだ格差がある。
古い考えを持つ者ばかりだ。新しい事を恐れ、挑戦をしない。…否、その新たな事で自分の生活が下がる事を嫌がっている。
民の生活が良くなり、民が自分たちの生活に少しでも近付くのを嫌がる。」

「……。」

「娼婦は卑しい職か。サイカと会う前であればそう思っただろう。
否、今もサイカ以外の娼婦は卑しいと思う部分はある。…だが、それは娼婦という職のせいではない。その者の人間性の問題だ。」

「……そう、だな。俺はあいつに…そういう言葉を投げ掛けた事がある。
あいつを知る前、俺にとっても娼婦はよく思わない職だった。だがあいつは言った。どんな職にも苦労がある。喜びがあると。
どの職に就こうと関係ないと。」

「…サイカらしい。…娼館に来る者も色々いる。ただ女を抱く為に、そうではなく人恋しさに、はたまた癒しを求めて。サイカはそういう者を受け入れたいと言っていた。
娼婦であろうとそうでなかろうと、関係ない。この問題は人間性の問題だと気付いた。」

「…ええ。花街を歩いていると、嫌な目で見たり悪意の言葉を投げつけたり。沢山ありました。それは花街にいた女性も、男性もです。
けれど月光館のオーナー、そしてサイカはそうではありませんでした。
初めから私を一人の人間として見ていました。」

「……キリム、俺を見ても、帰れって、言わなかった。…弟の紹介もあったと、思ったけど…でも、そういうのじゃないって、もう分かる。
…サイカも、そう。顔を見せたくなくて、体も見せたくなくて、隠して、喋りも、出来なかった俺に……沢山、話しかけてくれた。
……俺の言葉、ずっと待ってくれた。」

「そうだ。それはサイカがサイカという人間だから。サイカの人間性だ。
娼婦は卑しいか。貴族たちは迷わず“卑しい”と答えるだろう。
万が一サイカが娼婦だった事が露見すれば…反対の声も多くなる。」

「……だけど、サイカはすごく、美人。ものすごく。」

「ああ。だからこそ俺はそなたらを受け入れる事にした。国を変えるにもサイカを守るにも、地位と権力が大きい方がいい。それこそ周りの“卑しい”者たちが手出し出来ないと思えるくらいの。」

「…取引というよりは共犯に当たるか。
僕は今の地位を揺るがないよう維持するのが今後の役割だな。
ヴァレリアとカイルは自身の仕事に打ち込んで周りを認めさせる。」

「そうだ。ヴァレリアはこの数ヵ月で色々と手を出してもらっている分野もある。
父親の爵位は何れ継ぐとして、その前に別の爵位を与えるというのも十分可能だ。
そしてカイルも。御前試合でカイルの能力は示された。今後は俺の護衛、そして大きな物取りにも積極的に参加しその能力を確固たるものにする。それが必要になる。」


愛する女を幸せにする為、愛する女を守る為。
愛する女が暮らすこの国を、そして何れ生まれてくる我が子らの未来にあるこの国を、マティアスはサイカに出会い、初めて心から守りたいと思った。
これまでの不幸で理不尽で、惨めで屈辱ばかり味わった人生。
民にも貴族にも臣下にも“醜い”と言われる容姿のせいで嘲笑われ、馬鹿にされ、見下されてきた。
実の両親にさえ敬遠されてきた。偽りの優しさと愛情をマティアスに与えながら、その実息子であるマティアスに関わろうとはしなかった。
そんな人間たちばかりの国を守る価値が、自分の人生を懸けて守っていかなくてはならないのが、マティアスは堪らなく理不尽に感じていた。
けれどそれはサイカに出会って変わったのだ。


「俺の道を邪魔する者は沢山いる。手に入れた宝を横取ろうと…愚かな考えで行動する者もいるだろう。致し方ない。それはこれまでの俺の行いがそうさせている。…だが、今は違う。そなたらは俺を裏切るな。決して。サイカを守る為にも、盾となり矛となれ。
それが、サイカをそなたらの妻にもする条件だ。」

「いいだろう。マティアス、僕はお前を裏切らない。国を変える必要があるなら俺の持つ全てでお前に協力すると誓う。
そしてサイカを守る為にも、お前を決して裏切らない。」

「…誓います。まだまだ未熟な私ですが、今後も陛下のお役に立つ為、そして愛しいひとを守る為。御身にヴァレリア・ウォルトは誓いましょう。決して違わぬ忠誠を。」

「俺も、守る。サイカの事。陛下を守るのは、仕事。それは絶対。
でも、恋人…奥さんになる…サイカには、大事な奥さんは、旦那さんが、守る。人生を、命を懸けて、守る。…約束。」

「…決まったようだな。
マティアス。俺もお前に協力しよう。
俺との取引は…以前話した内容と重なる。
…サイカを守り、幸せにしろ。俺の大事な娘が不幸に泣く事があれば俺はどんな手を使ってでもお前たちと離れさせるぞ。」


マティアスがサイカへプロポーズした裏側で男たちはそれぞれがこれからの自分の人生、その進む道の覚悟決め、決意を述べた。


「さて。ではこれからの時間はサイカが全員の妻になる為にどうするかを話し合うか。」


自分の知り得ぬ所で五人がこんな話をしている事など一番の当事者であるサイカは知らない。
サイカの人生は、優先されつつも四人の恋人に確実に囲われていることも。

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