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43 クライス家での暮らし
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私がディーノ様の屋敷に来て早二ヶ月と少しが経った。
ディーノ様との関係も…大分変わったように思う。
私の中ではいつまでもお世話をしてもらっているという感覚が抜けきれなくて、いや実際はそうだから、気を使わずにいられなかった。
お屋敷で働く使用人たちとも仲良くはなっているけど、ただでさえ厄介になっているのだから、これ以上の迷惑は掛けちゃいけないとそんな気持ちもあった。
「ディーノ様、今大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。入りなさい。」
「ディーノ様、」
「サイカ。今は二人しかいないぞ。」
「…お、お義父様。」
「…うむ。」
娘のように思っている。
父と呼んでも構わない。
父と重ねても構わない。
少し前に、ディーノ様から言われた言葉。
悪夢を見た日は決まって、その後大きな木に寄り添う夢を見た。
自然の優しい匂いに包まれ、ほっと出来る夢を。
寝る前は石鹸の香りしかしなかったベッド。朝起きると夢と同じ匂いに変わっているのを不思議に感じた事もあったけど、この屋敷の周りは草木や花、土といった自然の匂いがいつも漂っているので窓を開けっぱなしで寝るているとその香りが部屋に入っているのかなと…なんとなくそう思っていた。何処かで嗅いだ事のある匂いでもあった。
実際はディーノ様が悪夢に魘される私の側にいてくれたという事だったけど。
あの日の夢はいつもと違っていた。
いつもは私があの屑オーク野郎をこてんぱんにぶちのめす夢なのだが、その日の夢は殴っても殴っても私に迫ってくる…本当に気持ち悪い夢で、襲われる!と思った瞬間、聞こえた声に従った。
“大丈夫だ”“父を呼べ”“悪い男は懲らしめてやろう”
お父さん助けてー!と夢の中で呼べば、俺の娘になにしてくれとんじゃと何処からか颯爽と現れた父が屑野郎を殴り飛ばした。
サイカ、もう大丈夫だそ。と子供の頃とても大きく感じた体で抱き締められ、私は漸く悪夢から目が覚める。
最初に気付いたのは夢の中の、草木の匂い。自然の匂い。
それが、ディーノ様の匂いであるとこの時初めて気付いた。
あんなに抱き抱えられたりもしていたのに、この時に初めて気付いた私も大概馬鹿だと思う。
父と呼んで、重ねてくれても構わない。そんな言葉を聞いてディーノ様と別れた後、私は考えた。
父とディーノ様を重ねるなど、そんな失礼な事はしてはいけない。
父とディーノ様は容姿も性格も全く違う別人だ。
二日目の時にお父さんと呼びながら泣きじゃくったのは…本当に申し訳なかったが…それでも、重ねるなんて出来なかった。
父は父で、ディーノ様はディーノ様だから。
『…でも、大きくて安心する所…似てるなぁ。』
大人になって、父の背中はこんなに小さいものだっただろうかと思う事があった。
少しだけ丸まった背中。増えて、深くなった皺。
私の体が大人になったから、そう思っただけなのだろうが…子供の頃はもっと大きく感じたものだ。
だけど、やっぱり父は大きくて。夢の中で男を殴り飛ばした父の背中はとても大きく感じた。
そんな大きな存在に、ディーノ様は似ている。
そう、あの大きな背中は、父に感じたものと同じだった。
翌日、もにょもにょと“お義父様”呼びしてみれば、ディーノ様はそれはそれは嬉しそうに笑ったのだ。
だけどはっきり言っておかなければならない事もある。
それは、私の父とディーノ様を重ねはしないということ。
『…私の父とディーノ様は全く違います。
だから私の中で父とディーノ様を重ねはしません。』
『…それは…俺が、サイカの“父親”にはなれないという事…だろうか。』
『ええと、難しいのですが…“重ねない”というだけです。』
『?』
『父と同じように、ディーノ様の存在に安心する。体格の話ではなく、大きな背中…大きな存在に、そう感じるんです。
大木のようにどっしりとディーノ様はしていて…父も、大黒柱として家族…母と私を守ってくれていました。』
『…大黒柱…?』
『家の真ん中を支える一番大きくて太い木のことです。意味合いは…家だけじゃないんですけど…まあ、父で例えると家の中心人物ということになりますね…。働き、ときには大木のようにどっしりとして家族を見守って、そして何かあれば守ってきた父にぴったりの言葉です。
大木のようなディーノ様と、大黒柱である父。…そこは、とても似ています。』
『……そうか。よく、分かった。同じではないが、似ているということだな?存在が。だが重ねない、か。』
『はい。似ているけれど、重ねません。それはディーノ様に失礼です。
父とは違うけど、“父親”の存在のように感じる…夢の中で大きな木にもたれ掛かり、私は眠る、そんな夢を見ていました。
大木の正体はディーノ様で、…私は、守られていた。父が私を守っていてくれたように。ディーノ様に守られていたんです。
…守ってくれてありがとう、お義父様。』
娘を守るのは当然だ、とディーノ様は微笑む。
お義父様呼びは気恥ずかしいので二人でいる時だけにしてもらい、それから家主と居候という関係だった私たちは、変わったのだ。
「足も良くなったし、買い物がしたいなと思っているんです。」
「買い物?何だ、何が欲しいんだ?宝石か?ドレスか?…いや、そういう物は欲しがらない娘だったな、サイカは。」
「買い物がしたいというより…お店が見たいだけなんです。
花街の中はありましたけど、外は知らないので…。見れたらいいな、程度なんですけど…難しいなら大丈夫です。」
「何を言う。お前の望みくらい叶えてやろう。…父に任せなさい。
そうだな…封鎖するか。」
「……封鎖?」
「お前の美貌を考えると…そうなるな。それがいい。通りを封鎖してお前が自由に見回れるよう「だ、大丈夫です!封鎖は大丈夫です!!というか封鎖は絶対駄目です!!お店の人も他の人も皆困ります!!」…そうか。」
あ、危ない!ディーノ様のあの顔は冗談ではなく本気の顔だった!
もう少し考えて発言すべきだったと猛反省。
以前オーナーから届いた手紙には、ディーノ様に私が好きに使えるようにと、給金と当面の生活費を渡したと書いてあった。
ディーノ様は断ったらしいけど、私が気にするだろうと。
流石オーナー。私の事分かってる!と感激したものだ…。
私がしたいのはウィンドウショッピングだ。いや、見回って欲しい物があれば買うつもりだ。ディーノ様に渡っている自分のお給料内で。
だけど封鎖して…となるとそれはお店の利益にも関わってくる。
封鎖の間、売り上げの見込みが分からないのだから。
それに買い物に来たお客さんたちも迷惑する。
皆、暇な人ばかりじゃない。主婦であるなら家事の合間の限られた時間で買い物に来ているだろうし、他の人たちだって何かの合間に買い物をしている人もいるだろう。
そういうのは私の本意ではないのだ。
だけど、次にディーノ様から言われた言葉も尤もだった。
「酷な事を言うが…サイカ、お前は自分の美貌をもう少し考えなさい。
今回の事も…お前が美しい娘だから起こったことだ。」
「……。」
「世の中には善人の顔をして近付き、人を傷付けたり騙したり、そういう悪い人間もいる。逆もまた然りだ。
お前のその際立った美しさは…モノにしたいと思う男が多いだろう。
害のなさそうな笑顔でお前に近付き、そして何かあればどうする。
お前は、あの時のように抵抗が出来るか?」
「…っ、」
「それが一人ではなく、複数だった場合は?
……恐らく、お前が無事でいられる可能性はない。万が一も。
お前は月光館で大切に守られていた。キリムや他の者たちから。
お前一人の力ではどうにも出来ない事がある…だが、その中でお前がしなくてはならないのは、自分の見目を実感することだ。」
「……はい。その、通りです…。」
以前にも、リュカ様に似たような事を言われていたのに。
私は本当に馬鹿だ。まだ、日本での感覚が抜けきれていない。
私は日本では普通だから、どこにでもいる内の一人だからと、それがこの世界でも当たり前のように思っていたのだ。
リュカ様に注意された時、確かにその言葉通りだと思った。
何処か他人事だったその事実を改めなければ。
自分がこの世界では絶世の美女であると実感しなくてはとも。
だけどそれは、“前よりは気を付ける”程度だったのだ。
今回の事だってそうだ。この世界での私の見目のせいで皆に迷惑をかけてしまった。
オーナーからの手紙には、今新しい娼館を建てている最中だと書いてあった。
人も増えたしもっと広くしたかったから丁度いいと書かれてあったけれど……きっとそれだけが理由ではない。
あの部屋に戻らなくていいようにする為でもあるのだと、私は気付いている。
同じ事を繰り返すのは駄目だ。言われた事を受け止め、きちんと考えなくては。
「…買い物はいいです、大丈夫!欲しいものがあったらディーノ様に…あ、お義父様に頼みます!」
部屋に帰って、心配そうなリリアナさんとレジーヌさんに部屋を出てもらい、考える。
ヴァレリア様からの手紙、カイル様からの手紙、リュカ様の手紙。
全て読み返すと皆、私の体調を心配していた。
悲しくなったら駆け付けるからいつでも呼んで欲しいと。
そして今手を付けている案件が終われば、会いにいくと書かれてある手紙。
オーナーからの手紙は、お店の状況と皆元気にしているから安心して過ごすようにと書かれてある。
本当に。私はいつも、誰かに守ってもらっているのだなと思わずにいられない。
嬉しさと申し訳なさで涙が滲むとぽん、と頭に落ちてくる大きな手。
「…話の途中で戻るんじゃない。
いいかサイカ。お前のすべきことは自分の見目を考えること。
だが、後は守られていればいい。皆、お前の笑顔を守りたいだけだ。
お前が楽しみ、笑い、自由であることを皆が望む。」
「……。」
「そういうお前を、皆見ていたいから守るんだ。
お前の為というよりは、其々の為でもあるな。
楽しそうに笑って、幸せそうに笑って。自由に、豊かに。
そういうお前の姿を見ると、此方も嬉しくなる。そういうものだ。」
「……なんか、我が儘じゃ…」
「いいや。皆が何かに囚われ生きている。
マティアスは国を存続させなければならない重責が。
お前に手紙を送った者たちにも、そういうものがある。俺にもそうだ。
だけどサイカ。お前の心は自由で、豊かだ。一緒にいると…何というのだろう…引っ張られる。」
「?」
「…まあ、これは別に分からなくてもいい。
お前のその自由、豊かさが、周りには尊く感じるという話だ。
考えては欲しい。だが、我が儘はいいなさい。お前の願いを伝えれば、俺もマティアスも…周りも。それを叶えられない男ではない。
さて、話を戻そう。サイカは買い物というより、出掛けたいのだな?」
「……ええと、そう…なりますけど……でも、いいんです、本当に。」
「こら。親の楽しみを奪うな。
…出掛けたいのだな?」
じい、っと。誤魔化すなよという視線で見つめられ…たっぷり間を使って返事をした。
「………………はい。」
「いい子だ。…それは、店でなくともいいか?」
「…え?あ、はい。構いません。」
「であれば問題ない。この領地にはいくつもいい場所があるからな。
…楽しみにしていなさい。」
「…はい。ディ……お義父様、ありがとうございます。」
にこりと厳つい顔が緩み、わしわしと頭を撫でられる。
そしてその三日後。私は今まで見たこともない程大きな花畑に来ていた。
「サイカ、待ちなさい。その格好では日に焼けてしまう。日傘はどうした。」
「こんなに天気が良くて、太陽の光と風が気持ちいいのに、日傘なんて差したら勿体無いじゃないですか。
ディーノ様も早く!こんな大きな花畑、私初めて見ました!すごく素敵…!」
「こら、走るな。完治したとは言え、万が一がある。
はは。…全く、自由な子だ。…愛らしい。」
売られてから娼館と花街しか知らなかった私。
ここに来てからはクライス家の敷地内しか出歩かなかった私にとって、今日のお出掛けはもの凄くわくわくが止まらなかった。
嬉しさの余り子供みたいに駆け回り、ぜえはあと体力の衰えを実感する。
…二十五にもなって何をやっているんだと悟りタイムに入ると駆け回った事に後悔しかなかった。
「足はどうだ?走っても平気か?」
「ええ!痛みもありません!」
「そうか。…だが走るな。抱えてやろう。」
「え…!い、いや、いいです、いいですから!」
「遠慮するな。お前を抱えて歩くくらい問題ない。
…悪化させればマティアスに咎められるのは俺だ。」
「うっ…」
ディーノ様に片手で抱えられ、ぐんと高くなった景色にまた感動する。
一面の花畑とはこのことか。見渡す限り、色んな花で埋め尽くされている。
少女趣味ではないが…これは感動ものだ。ずっと見ていられる。
「気に入ったか?」
「とても!」
「そうか。お前が喜んでいるならいい。
今日はこの場所で食事を取り…ああ、湖には魚もいる。…釣るか?」
「いいんですか!?」
「いいとも。竿も持って来たからな。一緒に釣りをしよう。
釣れたら夕食にしてもいい。」
「ほほう…頑張って釣ろう。」
「そうしなさい。」
大好きだなぁ。ディーノ様。日々を一緒に過ごしていると、本当にお父さんみたいに思えてくる。重ねはしないけど。
この世界でのお父さんだ。ディーノ様は。…そう思うとオーナーもそうなるか。そんな感じだ。
人間、いつ何が起こるか分からない。突然死ぬことだってあるし、突然会えなくなることだってある。
もう、二度と後悔しない。伝えるべきことは伝え、行動するのだ。この世界での私は。
「お義父様、ありがとう。…大好き。」
「!!!」
第二の父に感謝と好意を。
…伝えたのはいいのだけど…ディーノ様が片手で顔を覆ってぶつぶつ言い出してしまった。
「…すめ……わいすぎる……たまらん、」
ディーノ様に抱えられ、ディーノ様よりも頭一つ高い所にいる私にはその呟きは聞こえなかった。そんな時。
「ディーノ、サイカ!やっと見つけた…!」
「マティアス!?」
「ああサイカ……足は完治したと聞いているが…何故抱えられている。
また悪くしたのか?…おいディーノ、……ディーノ?……サイカ、ディーノはどうしたんだ…?」
「ええと…分かりません。さっきこうなって…」
ひょい、とディーノ様から奪い取る様にしてマティアス様に抱えられた私。
ディーノ様は私を抱えた時の態勢のまま…今だぶつぶつと呟いていた。
ディーノ様との関係も…大分変わったように思う。
私の中ではいつまでもお世話をしてもらっているという感覚が抜けきれなくて、いや実際はそうだから、気を使わずにいられなかった。
お屋敷で働く使用人たちとも仲良くはなっているけど、ただでさえ厄介になっているのだから、これ以上の迷惑は掛けちゃいけないとそんな気持ちもあった。
「ディーノ様、今大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。入りなさい。」
「ディーノ様、」
「サイカ。今は二人しかいないぞ。」
「…お、お義父様。」
「…うむ。」
娘のように思っている。
父と呼んでも構わない。
父と重ねても構わない。
少し前に、ディーノ様から言われた言葉。
悪夢を見た日は決まって、その後大きな木に寄り添う夢を見た。
自然の優しい匂いに包まれ、ほっと出来る夢を。
寝る前は石鹸の香りしかしなかったベッド。朝起きると夢と同じ匂いに変わっているのを不思議に感じた事もあったけど、この屋敷の周りは草木や花、土といった自然の匂いがいつも漂っているので窓を開けっぱなしで寝るているとその香りが部屋に入っているのかなと…なんとなくそう思っていた。何処かで嗅いだ事のある匂いでもあった。
実際はディーノ様が悪夢に魘される私の側にいてくれたという事だったけど。
あの日の夢はいつもと違っていた。
いつもは私があの屑オーク野郎をこてんぱんにぶちのめす夢なのだが、その日の夢は殴っても殴っても私に迫ってくる…本当に気持ち悪い夢で、襲われる!と思った瞬間、聞こえた声に従った。
“大丈夫だ”“父を呼べ”“悪い男は懲らしめてやろう”
お父さん助けてー!と夢の中で呼べば、俺の娘になにしてくれとんじゃと何処からか颯爽と現れた父が屑野郎を殴り飛ばした。
サイカ、もう大丈夫だそ。と子供の頃とても大きく感じた体で抱き締められ、私は漸く悪夢から目が覚める。
最初に気付いたのは夢の中の、草木の匂い。自然の匂い。
それが、ディーノ様の匂いであるとこの時初めて気付いた。
あんなに抱き抱えられたりもしていたのに、この時に初めて気付いた私も大概馬鹿だと思う。
父と呼んで、重ねてくれても構わない。そんな言葉を聞いてディーノ様と別れた後、私は考えた。
父とディーノ様を重ねるなど、そんな失礼な事はしてはいけない。
父とディーノ様は容姿も性格も全く違う別人だ。
二日目の時にお父さんと呼びながら泣きじゃくったのは…本当に申し訳なかったが…それでも、重ねるなんて出来なかった。
父は父で、ディーノ様はディーノ様だから。
『…でも、大きくて安心する所…似てるなぁ。』
大人になって、父の背中はこんなに小さいものだっただろうかと思う事があった。
少しだけ丸まった背中。増えて、深くなった皺。
私の体が大人になったから、そう思っただけなのだろうが…子供の頃はもっと大きく感じたものだ。
だけど、やっぱり父は大きくて。夢の中で男を殴り飛ばした父の背中はとても大きく感じた。
そんな大きな存在に、ディーノ様は似ている。
そう、あの大きな背中は、父に感じたものと同じだった。
翌日、もにょもにょと“お義父様”呼びしてみれば、ディーノ様はそれはそれは嬉しそうに笑ったのだ。
だけどはっきり言っておかなければならない事もある。
それは、私の父とディーノ様を重ねはしないということ。
『…私の父とディーノ様は全く違います。
だから私の中で父とディーノ様を重ねはしません。』
『…それは…俺が、サイカの“父親”にはなれないという事…だろうか。』
『ええと、難しいのですが…“重ねない”というだけです。』
『?』
『父と同じように、ディーノ様の存在に安心する。体格の話ではなく、大きな背中…大きな存在に、そう感じるんです。
大木のようにどっしりとディーノ様はしていて…父も、大黒柱として家族…母と私を守ってくれていました。』
『…大黒柱…?』
『家の真ん中を支える一番大きくて太い木のことです。意味合いは…家だけじゃないんですけど…まあ、父で例えると家の中心人物ということになりますね…。働き、ときには大木のようにどっしりとして家族を見守って、そして何かあれば守ってきた父にぴったりの言葉です。
大木のようなディーノ様と、大黒柱である父。…そこは、とても似ています。』
『……そうか。よく、分かった。同じではないが、似ているということだな?存在が。だが重ねない、か。』
『はい。似ているけれど、重ねません。それはディーノ様に失礼です。
父とは違うけど、“父親”の存在のように感じる…夢の中で大きな木にもたれ掛かり、私は眠る、そんな夢を見ていました。
大木の正体はディーノ様で、…私は、守られていた。父が私を守っていてくれたように。ディーノ様に守られていたんです。
…守ってくれてありがとう、お義父様。』
娘を守るのは当然だ、とディーノ様は微笑む。
お義父様呼びは気恥ずかしいので二人でいる時だけにしてもらい、それから家主と居候という関係だった私たちは、変わったのだ。
「足も良くなったし、買い物がしたいなと思っているんです。」
「買い物?何だ、何が欲しいんだ?宝石か?ドレスか?…いや、そういう物は欲しがらない娘だったな、サイカは。」
「買い物がしたいというより…お店が見たいだけなんです。
花街の中はありましたけど、外は知らないので…。見れたらいいな、程度なんですけど…難しいなら大丈夫です。」
「何を言う。お前の望みくらい叶えてやろう。…父に任せなさい。
そうだな…封鎖するか。」
「……封鎖?」
「お前の美貌を考えると…そうなるな。それがいい。通りを封鎖してお前が自由に見回れるよう「だ、大丈夫です!封鎖は大丈夫です!!というか封鎖は絶対駄目です!!お店の人も他の人も皆困ります!!」…そうか。」
あ、危ない!ディーノ様のあの顔は冗談ではなく本気の顔だった!
もう少し考えて発言すべきだったと猛反省。
以前オーナーから届いた手紙には、ディーノ様に私が好きに使えるようにと、給金と当面の生活費を渡したと書いてあった。
ディーノ様は断ったらしいけど、私が気にするだろうと。
流石オーナー。私の事分かってる!と感激したものだ…。
私がしたいのはウィンドウショッピングだ。いや、見回って欲しい物があれば買うつもりだ。ディーノ様に渡っている自分のお給料内で。
だけど封鎖して…となるとそれはお店の利益にも関わってくる。
封鎖の間、売り上げの見込みが分からないのだから。
それに買い物に来たお客さんたちも迷惑する。
皆、暇な人ばかりじゃない。主婦であるなら家事の合間の限られた時間で買い物に来ているだろうし、他の人たちだって何かの合間に買い物をしている人もいるだろう。
そういうのは私の本意ではないのだ。
だけど、次にディーノ様から言われた言葉も尤もだった。
「酷な事を言うが…サイカ、お前は自分の美貌をもう少し考えなさい。
今回の事も…お前が美しい娘だから起こったことだ。」
「……。」
「世の中には善人の顔をして近付き、人を傷付けたり騙したり、そういう悪い人間もいる。逆もまた然りだ。
お前のその際立った美しさは…モノにしたいと思う男が多いだろう。
害のなさそうな笑顔でお前に近付き、そして何かあればどうする。
お前は、あの時のように抵抗が出来るか?」
「…っ、」
「それが一人ではなく、複数だった場合は?
……恐らく、お前が無事でいられる可能性はない。万が一も。
お前は月光館で大切に守られていた。キリムや他の者たちから。
お前一人の力ではどうにも出来ない事がある…だが、その中でお前がしなくてはならないのは、自分の見目を実感することだ。」
「……はい。その、通りです…。」
以前にも、リュカ様に似たような事を言われていたのに。
私は本当に馬鹿だ。まだ、日本での感覚が抜けきれていない。
私は日本では普通だから、どこにでもいる内の一人だからと、それがこの世界でも当たり前のように思っていたのだ。
リュカ様に注意された時、確かにその言葉通りだと思った。
何処か他人事だったその事実を改めなければ。
自分がこの世界では絶世の美女であると実感しなくてはとも。
だけどそれは、“前よりは気を付ける”程度だったのだ。
今回の事だってそうだ。この世界での私の見目のせいで皆に迷惑をかけてしまった。
オーナーからの手紙には、今新しい娼館を建てている最中だと書いてあった。
人も増えたしもっと広くしたかったから丁度いいと書かれてあったけれど……きっとそれだけが理由ではない。
あの部屋に戻らなくていいようにする為でもあるのだと、私は気付いている。
同じ事を繰り返すのは駄目だ。言われた事を受け止め、きちんと考えなくては。
「…買い物はいいです、大丈夫!欲しいものがあったらディーノ様に…あ、お義父様に頼みます!」
部屋に帰って、心配そうなリリアナさんとレジーヌさんに部屋を出てもらい、考える。
ヴァレリア様からの手紙、カイル様からの手紙、リュカ様の手紙。
全て読み返すと皆、私の体調を心配していた。
悲しくなったら駆け付けるからいつでも呼んで欲しいと。
そして今手を付けている案件が終われば、会いにいくと書かれてある手紙。
オーナーからの手紙は、お店の状況と皆元気にしているから安心して過ごすようにと書かれてある。
本当に。私はいつも、誰かに守ってもらっているのだなと思わずにいられない。
嬉しさと申し訳なさで涙が滲むとぽん、と頭に落ちてくる大きな手。
「…話の途中で戻るんじゃない。
いいかサイカ。お前のすべきことは自分の見目を考えること。
だが、後は守られていればいい。皆、お前の笑顔を守りたいだけだ。
お前が楽しみ、笑い、自由であることを皆が望む。」
「……。」
「そういうお前を、皆見ていたいから守るんだ。
お前の為というよりは、其々の為でもあるな。
楽しそうに笑って、幸せそうに笑って。自由に、豊かに。
そういうお前の姿を見ると、此方も嬉しくなる。そういうものだ。」
「……なんか、我が儘じゃ…」
「いいや。皆が何かに囚われ生きている。
マティアスは国を存続させなければならない重責が。
お前に手紙を送った者たちにも、そういうものがある。俺にもそうだ。
だけどサイカ。お前の心は自由で、豊かだ。一緒にいると…何というのだろう…引っ張られる。」
「?」
「…まあ、これは別に分からなくてもいい。
お前のその自由、豊かさが、周りには尊く感じるという話だ。
考えては欲しい。だが、我が儘はいいなさい。お前の願いを伝えれば、俺もマティアスも…周りも。それを叶えられない男ではない。
さて、話を戻そう。サイカは買い物というより、出掛けたいのだな?」
「……ええと、そう…なりますけど……でも、いいんです、本当に。」
「こら。親の楽しみを奪うな。
…出掛けたいのだな?」
じい、っと。誤魔化すなよという視線で見つめられ…たっぷり間を使って返事をした。
「………………はい。」
「いい子だ。…それは、店でなくともいいか?」
「…え?あ、はい。構いません。」
「であれば問題ない。この領地にはいくつもいい場所があるからな。
…楽しみにしていなさい。」
「…はい。ディ……お義父様、ありがとうございます。」
にこりと厳つい顔が緩み、わしわしと頭を撫でられる。
そしてその三日後。私は今まで見たこともない程大きな花畑に来ていた。
「サイカ、待ちなさい。その格好では日に焼けてしまう。日傘はどうした。」
「こんなに天気が良くて、太陽の光と風が気持ちいいのに、日傘なんて差したら勿体無いじゃないですか。
ディーノ様も早く!こんな大きな花畑、私初めて見ました!すごく素敵…!」
「こら、走るな。完治したとは言え、万が一がある。
はは。…全く、自由な子だ。…愛らしい。」
売られてから娼館と花街しか知らなかった私。
ここに来てからはクライス家の敷地内しか出歩かなかった私にとって、今日のお出掛けはもの凄くわくわくが止まらなかった。
嬉しさの余り子供みたいに駆け回り、ぜえはあと体力の衰えを実感する。
…二十五にもなって何をやっているんだと悟りタイムに入ると駆け回った事に後悔しかなかった。
「足はどうだ?走っても平気か?」
「ええ!痛みもありません!」
「そうか。…だが走るな。抱えてやろう。」
「え…!い、いや、いいです、いいですから!」
「遠慮するな。お前を抱えて歩くくらい問題ない。
…悪化させればマティアスに咎められるのは俺だ。」
「うっ…」
ディーノ様に片手で抱えられ、ぐんと高くなった景色にまた感動する。
一面の花畑とはこのことか。見渡す限り、色んな花で埋め尽くされている。
少女趣味ではないが…これは感動ものだ。ずっと見ていられる。
「気に入ったか?」
「とても!」
「そうか。お前が喜んでいるならいい。
今日はこの場所で食事を取り…ああ、湖には魚もいる。…釣るか?」
「いいんですか!?」
「いいとも。竿も持って来たからな。一緒に釣りをしよう。
釣れたら夕食にしてもいい。」
「ほほう…頑張って釣ろう。」
「そうしなさい。」
大好きだなぁ。ディーノ様。日々を一緒に過ごしていると、本当にお父さんみたいに思えてくる。重ねはしないけど。
この世界でのお父さんだ。ディーノ様は。…そう思うとオーナーもそうなるか。そんな感じだ。
人間、いつ何が起こるか分からない。突然死ぬことだってあるし、突然会えなくなることだってある。
もう、二度と後悔しない。伝えるべきことは伝え、行動するのだ。この世界での私は。
「お義父様、ありがとう。…大好き。」
「!!!」
第二の父に感謝と好意を。
…伝えたのはいいのだけど…ディーノ様が片手で顔を覆ってぶつぶつ言い出してしまった。
「…すめ……わいすぎる……たまらん、」
ディーノ様に抱えられ、ディーノ様よりも頭一つ高い所にいる私にはその呟きは聞こえなかった。そんな時。
「ディーノ、サイカ!やっと見つけた…!」
「マティアス!?」
「ああサイカ……足は完治したと聞いているが…何故抱えられている。
また悪くしたのか?…おいディーノ、……ディーノ?……サイカ、ディーノはどうしたんだ…?」
「ええと…分かりません。さっきこうなって…」
ひょい、とディーノ様から奪い取る様にしてマティアス様に抱えられた私。
ディーノ様は私を抱えた時の態勢のまま…今だぶつぶつと呟いていた。
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