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35 マティアス⑥
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変わってきている。
小さな変化。大きな変化。どちらもある。
俺自身だけでなく、臣下のヴァレリア、護衛のカイル、そして、従兄弟のリュカ。
皆俺と同じく“醜い”とされる人間。
周りから嫌悪され、蔑まれてきた人間。
こういった人間にはある共通の癖というか、特徴がある。
長年人から悪意を向けられてきたから故の、共通点が。
“醜い”容姿で生まれた人間は総じて皆、陰鬱な部分がある。
俺も、ヴァレリアも、カイルもリュカも。
それを上手く隠せているかどうかの違いだ。
俺やリュカなどはまだ隠せる方でヴァレリアやカイルはそうではない。
特にヴァレリアは酷い方だった。
人からの悪意にあからさまに傷付き、塞ぎ混み、下を向いて耐える事しかしなかった。
カイルの事は鍛練場で見かけてから知ってもいた。
同じ“醜い”容姿。気にならないわけがない。
ぽつんと一人、周りから遠ざかり素振りをするカイルは鬱々とした雰囲気を放ってもいた。
リュカもそうだ。尊大で強気なその態度が、自分を守る為であると俺は知っている。
弱さを見せない事で周りの悪意に耐えていたのだ。
そして俺も。
俺を見下し卑しい笑みを隠しもしない臣下たちの顔をなるだけ見ないように、この囁かれる言葉を聞かないようにしてきた。気にしないようにだけしてきた。
「…陛下!納得がいきません!なぜ私が…私が、この男の補佐など…!!」
王宮内にある会議室では王宮で働く貴族たちの声が響いている。
何かの在り方を変える時や一年の予算を決める時、他色々な事が起こった時に集まり方針を話し合う場。
今日のこの場では話し合いは求めない。
「何故?おかしな事を言う。
そなたが自分に与えられた任を全う出来なかったせいであろう。
それを納得していないとは…随分、烏滸がましい事を言うのだな。」
「…っ、そ、それは、たまたま、…そう、見逃してしまったのです、普段は、」
「言い訳は結構。
挽回したいのであればヴァレリアの下でしてくれ。」
「へ、陛下、」
「…安心しろ。そなただけではない。
ここに集まる皆に、同じく言っておく。
以後慢心する事なく責任を全うしろ。怠慢は許さん。
俺を見下し馬鹿にするのも結構。
だがな、それを俺は見る。見て、そういう人間だと評価する。」
「わ、我々が陛下を見下すなど、」
「ないか?であればいいが。
俺は、“醜い化け物”なのだろう?まあその通りだ。
俺は大層醜かろう。…そなたらに比べれば。
だが自身の仕事さえきちんとしてくれれば何の問題もない。
…見下したいなら、相応の結果を定期的に見せろ。」
「…つ、へ、陛下…はは、お戯れを、」
「自分の立場を忘れた者たちのことなど、どうでもいい。俺が欲しいのは立場にある責任を全してくれる臣下。良識のある者だ。
これ以上は言わん。
今後のそなたらの努力を、俺は見ている。
理解したならもう終わりにする。これ以上は時間の無駄というものだ。」
以前であれば。顔色を伺っていたのは俺の方だ。
引け目や罪悪感から、無意識に人から嫌われないようにしていた態度は隠していても、当然、一部の目敏い人間には伝わる。
そうした俺の態度が周りを付け上がらせた。
父も母も、臣下たちも、そしてルシアも。
二度目の夜以降、ルシアからは頻繁に手紙が届くようになった。
謝罪の言葉と、夜に待っていると書かれた文字の羅列をただ目だけで読み破り捨てる。
可哀想な女だとそう思う気持ちは今も変わらない。
サイカと出会う前であれば、この手紙を互いに歩み寄れる一歩だと思ったことだろう。
だが違う。違うと、今の俺は分かる。
あの夜の自分を弁護するばかりの言葉からは歩み寄りの気持ちは伺えない。
一方的な、卑しい気持ちだけが伝わってくるのだ。
何度も何度も手紙を運んでくる侍女の表情は段々と怒りが見てとれるようになった。
「…ルシア様からで御座います。」
「そうか。」
「っ、……陛下、どうかルシア様にお会いして下さい!こんなに手紙を送っているのに、陛下にお会いして謝罪したいと仰っているのに、あんまりではないですか!陛下のお相手をしてもいいとルシア様が仰っているのに!
ルシア様がどんなお気持ちでいるか!」
「な…、侍女如きが陛下の御前で…!言葉を慎みなさい!」
「構わん。」
「し、しかし陛下、」
「構わん。言え。許す。」
「…っ、…あ、……い、いえ、…過ぎた事を、も、申しました…無礼を、お、お許し下さい、」
「構わんと言っただろう。この際だ、言え。他には?」
「…お、お許し、下さい…」
侍女でさえ俺を見下している。
それも、俺の今までの態度がそうさせてきたことだった。
「…そうか。ならば、今後は無礼な物言いを控えろ。以後は許さん。
側妃にも伝えろ。手紙はいらん。今後、会いに行く為の許しも伺わない。
俺の気が向いた時にそちらへ行く。その際は事前に知らせよう。」
「…か、畏まりました、その様に…お伝え、します、」
青ざめた侍女が去り、ふう、と短い息を吐く。
爺は何故か涙ぐんでいた。
「…何だ、どうした爺。」
「いいえ、……お強く、なられましたな…。」
「はは。そうか。…そうだな。心境の変化は大きいかも知れない。」
「サイカ様のお陰でしょう。」
「ああ。サイカの存在が大きい。」
きっと。ヴァレリアもカイルも、リュカもサイカが関わっているはずだ。確証はないが確信はある。
そう思うともやもやとして、苛々もする。
だが、いい事ではあるのだ。ヴァレリアもカイルもリュカも本来は優秀な男たちだ。
自分の存在を押し込もうとしていたからその能力を発揮出来なかっただけで、殻を破れば異質な程輝きを放つ原石であった。
「…まさかこんな、身近に可能性があったとは。」
同情もある。気持ちも分かる。俺たちは全く、すべてが同じとは言わないが似た負の感情を抱えていた。
皆サイカに惹かれているのだろう。
彼女のことを、本気で思っているだろう。
救われ、癒され、彼女の本質を肌で感じて…そして身も心も虜になったのだろう。
それでも、愛しい女を誰に渡すつもりもないが。
「…そろそろ終わりにしたいが…もう少し間を置かねばなるまい。
その間にルシアにはライズの子を孕んでもらう。
ルシアはライズとの行為の前に避妊薬を飲んでいると報告にあるが…間違いないな?」
「間違い御座いません。
アーノルド家で所有している物を飲んでいると報告が御座いました。
宮廷医師にもルシア様に避妊薬を処方していない事は確認しております。
まあ、陛下より先に愛人の子を孕む事になれば流石に体裁が悪いでしょうから。」
「そうか。で、ライズの報告はどうだ。」
「此方で御座います。」
ライズ・アーノルド。
アーノルド伯爵家の次男で、大層美しい見目をしている。
気さくで話しやすく、ライズが夜会に参加すれば女たちが放っておかなかった。
ルシアとライズがそういう関係になってから一度アーノルド家の事を調べさせた事がある。
万が一不正でもしていればルシアもただでは済まないからだ。
アーノルド家は二つの爵位を持っている。
元々、アーノルド伯爵は子爵だった。
何代か前の当主が優秀だった為陞爵となり、元々の領地に新たな領地も授けられた家だった。
アーノルド家の調査結果は何の問題もなく、俺はルシアとライズの逢瀬を許容した。
ライズには三つ上の兄がいる。
容姿も普通でこれといって突出している部分はない兄が。
対してライズはその美しい容姿で生まれた事から、母親を始め、使用人たちに随分甘やかされ育った。
「よくある話だ。」
「…ライズ卿については様々な報告が上がっております。
…どうも、快楽主義な部分がある様子で御座います。」
「女が放っておかないからだろう。
いつでも選び放題。そうなってもおかしくはない。
父や兄は至って真面目。性格は環境下でいくらでも変わるからな。」
「ルシア様への感情はどうか…分かりかねます。
お二人の様子から思いやっていると見れる部分も御座いますし、ライズ卿が同じ女性と一年以上も関係を続けているというは珍しい事のようです。
…快楽主義な部分もありますから、背徳的な部分も含め楽しんでいるようにも…」
「どちらにせよ、何らかの情はあるという事だな。
ならば安心出来る。…上手く、操作出来そうだ。
どんな方法でもいい。然り気無くライズに、ルシアと俺が子作りを始めたと伝わるようにしてくれ。
…そうすれば、あちらから動く事もあるだろう。」
「畏まりました。」
愛し合う者同士が結ばれるのが一番いい。
ルシアも、家の為に無理矢理嫁いできた醜い俺より愛するライズと結婚出来るとなれば嬉しかろう。
そしてライズにはルシアと一緒になってもらい、男としての責任を果たしてもらう。
「陛下、仮にルシア様がライズ卿の子を孕んだ場合、アスガルト国へはどうされますか。」
「相応の慰謝料は貰うつもりだ。」
「ではそのつもりで準備をしておきましょう。」
「ああ、頼む。降格させるにも準備がいるからな。
父親の跡はライズの兄が継ぐ…ルシアは小国ながらも王女だ。ライズに何らか…爵位を与えねばならないか…。
…兄はそのまま伯爵位、ライズは子爵位を継げば…まあ、問題はないだろう。今は珍しいが昔は当たり前にあったことだ。
領地は子爵だった頃の土地でも十分広い。二分し双方が上手く治めてくれればいい。」
「ルシア様の子が陛下のお子ではないと確実に認められれば。それが確たるものであれば賛同は得られますね。」
「ああ。ルシア、ライズ双方の結婚後は一定の慰謝料を支払ってもらう事にしよう。…生涯かけて。この程度のささやかな仕返しなら許されるだろう?」
「それが宜しいかと。」
進んでいく。変わっていく。
小さな変化。大きな変化。
それは人によって違うがでも確実に進んでいる。
「明日はディーノが来るのだったな。
…暫くは多忙が続きそうだ。」
「サイカ様に会いに行かれますか?」
「そうする。……サイカに会って癒されたい。」
「では支度を致しましょう。湯の準備をさせます。」
「頼む。」
サイカと三人の男。
ヴァレリアにカイル、リュカ。
この問題は今は手を出せない。今手を出すべきではない。
まだ互いに探っている状況ではあるだろう。
何となくそうではないか、この男もサイカを知っているのではないかと考えている最中だろう。
リュカに関してはまあ、違う。あれは俺の変化に気付いて、恐らく探っていたに違いない。
俺がサイカに誑かされたとでも思ったのだろう。そういう男だ。
湯の中に沈み、考える。
これからの事に全く不安がないわけではない。
問題は山積みだ。
だが変化は苦労も伴う。その道程が厳しいと思う時も多々あれば、容易く感じる時もある。
今回は…厳しくなりそうだ。そんな予感がする。
花街は相変わらず賑わっていた。
多くの男が犇めき合って、どの娼館のどの娼婦にしようか吟味している。俺は一択だ。月光館のサイカ。今はサイカに会う為だけに花街を訪れる。
愛しい女に会う為だけに、花街を訪れる。
『月光館で醜い男を相手する高級娼婦がいるって聞いただろ?
今度、あの店でもそうなるらしいぜ。』
『ああ、聞いた聞いた。
でも金貨八枚だぞ?お貴族様か金持ちしか行かないだろ。』
『不憫だよなあ。そんな高い金を払わないと相手にすらして貰えないんだ。』
『まあでも、月光館の金額よりはまだマシだろ。
大金貨一枚以上だぜ?俺たちみたいな庶民には無理だわな。』
『それくらいにしないと相手出来ないんだろ。』
思わず鼻で笑ってしまったのは仕方がない。
大金貨一枚以上を、ただ醜い男を相手するだけだと思っている周りが。
サイカの美しさを、優しさを、その存在がどれだけ稀有な存在かを知らない周りの男たち。
大金貨一枚以上はサイカの価値だ。いや、価値は大金貨に留まらないが。
知れば納得するだろう。だが、知らなくていい。
お前たちは、今手招きをしている女たちを吟味し続ければいい。
ふと、目に入ったのは一人の男だった。
でっぷりと肥えたその男は、上を見上げていた。
視線を辿るとそこが月光館の、サイカのいる部屋を見ている気がした。
「…見ていたのはサイカの部屋か…?いや…だが。」
見上げた顔を下ろし、花街の奥に消えていく男。
見たことのあるような…ないような。見えた顔が横顔だったのが悔やまれる。
細い目に低い団子鼻。見目のいい男は総じてそういう顔をしている。
言ってしまえば似ているのだ。
正面であれば違いははっきりとするが横顔では判断がつきにくい。
たまたまかも知れない。たまたま、あの男が上を向いた先がサイカの部屋の方向だったのかも知れないが…どうにも嫌な予感がした。
「いらっしゃいませ。」
「キリム、サイカに会う前に少し話をしたい。時間はあるか?」
「大丈夫です。では…ぼ…私の部屋でお話しましょう。」
感じている嫌な予感。不安が杞憂であればいい。
だが警戒しておくに越した事はないだろう。
「…そうでしたか…。」
「ああ。俺の勘違いならいいが…何故か嫌な感じがしてな。
警戒だけはしておいてほしい。
…ただの客であれば問題ない。偶々見ていただけならいい。ただ…見ていただけであれば。」
「……。」
「念の為、花街周辺を巡回する衛兵を増やしておく。
…どうにも、不安が消えん。」
「…陛下の御心遣いに感謝致します。
…サイカにはなるべく、窓に近づかないように…伝えてもおきます。」
「…ああ…、俺からも言っておく。」
嫌な感じだ。ぞわぞわと、よくないものが背筋を這い上がっている感じだ。
何もなければいい。気のせいであればいい。偶々であればいい。
けれどそんな風には思えなかった。
「サイカ!」
「マティアス!ふふ、来てくれて嬉しいです…!」
「…サイカ、」
「…マティアス…?」
サイカを抱き締めても拭えない不安。
何とも言えない後味の悪い気持ち。
「…マティアス、どうかしたんですか…?何か、ありました…?」
「…いいや。ない。あってたまるか…。」
そう。あってたまるか。
サイカに何かあってたまるか。
「…サイカ。」
「…大丈夫。私、ここにいますよ?」
「ああ。…そうだな…。」
サイカに何かがあってたまるか。
何か、そんな事があってたまるか。
変わらず過ごしたというのに、それでも拭えない不安があった。
そして翌日、花街である事件が起こる。
卑劣で、許せない事件が。
俺にとって、到底許す事が出来ない事件が起こってしまう。
小さな変化。大きな変化。どちらもある。
俺自身だけでなく、臣下のヴァレリア、護衛のカイル、そして、従兄弟のリュカ。
皆俺と同じく“醜い”とされる人間。
周りから嫌悪され、蔑まれてきた人間。
こういった人間にはある共通の癖というか、特徴がある。
長年人から悪意を向けられてきたから故の、共通点が。
“醜い”容姿で生まれた人間は総じて皆、陰鬱な部分がある。
俺も、ヴァレリアも、カイルもリュカも。
それを上手く隠せているかどうかの違いだ。
俺やリュカなどはまだ隠せる方でヴァレリアやカイルはそうではない。
特にヴァレリアは酷い方だった。
人からの悪意にあからさまに傷付き、塞ぎ混み、下を向いて耐える事しかしなかった。
カイルの事は鍛練場で見かけてから知ってもいた。
同じ“醜い”容姿。気にならないわけがない。
ぽつんと一人、周りから遠ざかり素振りをするカイルは鬱々とした雰囲気を放ってもいた。
リュカもそうだ。尊大で強気なその態度が、自分を守る為であると俺は知っている。
弱さを見せない事で周りの悪意に耐えていたのだ。
そして俺も。
俺を見下し卑しい笑みを隠しもしない臣下たちの顔をなるだけ見ないように、この囁かれる言葉を聞かないようにしてきた。気にしないようにだけしてきた。
「…陛下!納得がいきません!なぜ私が…私が、この男の補佐など…!!」
王宮内にある会議室では王宮で働く貴族たちの声が響いている。
何かの在り方を変える時や一年の予算を決める時、他色々な事が起こった時に集まり方針を話し合う場。
今日のこの場では話し合いは求めない。
「何故?おかしな事を言う。
そなたが自分に与えられた任を全う出来なかったせいであろう。
それを納得していないとは…随分、烏滸がましい事を言うのだな。」
「…っ、そ、それは、たまたま、…そう、見逃してしまったのです、普段は、」
「言い訳は結構。
挽回したいのであればヴァレリアの下でしてくれ。」
「へ、陛下、」
「…安心しろ。そなただけではない。
ここに集まる皆に、同じく言っておく。
以後慢心する事なく責任を全うしろ。怠慢は許さん。
俺を見下し馬鹿にするのも結構。
だがな、それを俺は見る。見て、そういう人間だと評価する。」
「わ、我々が陛下を見下すなど、」
「ないか?であればいいが。
俺は、“醜い化け物”なのだろう?まあその通りだ。
俺は大層醜かろう。…そなたらに比べれば。
だが自身の仕事さえきちんとしてくれれば何の問題もない。
…見下したいなら、相応の結果を定期的に見せろ。」
「…つ、へ、陛下…はは、お戯れを、」
「自分の立場を忘れた者たちのことなど、どうでもいい。俺が欲しいのは立場にある責任を全してくれる臣下。良識のある者だ。
これ以上は言わん。
今後のそなたらの努力を、俺は見ている。
理解したならもう終わりにする。これ以上は時間の無駄というものだ。」
以前であれば。顔色を伺っていたのは俺の方だ。
引け目や罪悪感から、無意識に人から嫌われないようにしていた態度は隠していても、当然、一部の目敏い人間には伝わる。
そうした俺の態度が周りを付け上がらせた。
父も母も、臣下たちも、そしてルシアも。
二度目の夜以降、ルシアからは頻繁に手紙が届くようになった。
謝罪の言葉と、夜に待っていると書かれた文字の羅列をただ目だけで読み破り捨てる。
可哀想な女だとそう思う気持ちは今も変わらない。
サイカと出会う前であれば、この手紙を互いに歩み寄れる一歩だと思ったことだろう。
だが違う。違うと、今の俺は分かる。
あの夜の自分を弁護するばかりの言葉からは歩み寄りの気持ちは伺えない。
一方的な、卑しい気持ちだけが伝わってくるのだ。
何度も何度も手紙を運んでくる侍女の表情は段々と怒りが見てとれるようになった。
「…ルシア様からで御座います。」
「そうか。」
「っ、……陛下、どうかルシア様にお会いして下さい!こんなに手紙を送っているのに、陛下にお会いして謝罪したいと仰っているのに、あんまりではないですか!陛下のお相手をしてもいいとルシア様が仰っているのに!
ルシア様がどんなお気持ちでいるか!」
「な…、侍女如きが陛下の御前で…!言葉を慎みなさい!」
「構わん。」
「し、しかし陛下、」
「構わん。言え。許す。」
「…っ、…あ、……い、いえ、…過ぎた事を、も、申しました…無礼を、お、お許し下さい、」
「構わんと言っただろう。この際だ、言え。他には?」
「…お、お許し、下さい…」
侍女でさえ俺を見下している。
それも、俺の今までの態度がそうさせてきたことだった。
「…そうか。ならば、今後は無礼な物言いを控えろ。以後は許さん。
側妃にも伝えろ。手紙はいらん。今後、会いに行く為の許しも伺わない。
俺の気が向いた時にそちらへ行く。その際は事前に知らせよう。」
「…か、畏まりました、その様に…お伝え、します、」
青ざめた侍女が去り、ふう、と短い息を吐く。
爺は何故か涙ぐんでいた。
「…何だ、どうした爺。」
「いいえ、……お強く、なられましたな…。」
「はは。そうか。…そうだな。心境の変化は大きいかも知れない。」
「サイカ様のお陰でしょう。」
「ああ。サイカの存在が大きい。」
きっと。ヴァレリアもカイルも、リュカもサイカが関わっているはずだ。確証はないが確信はある。
そう思うともやもやとして、苛々もする。
だが、いい事ではあるのだ。ヴァレリアもカイルもリュカも本来は優秀な男たちだ。
自分の存在を押し込もうとしていたからその能力を発揮出来なかっただけで、殻を破れば異質な程輝きを放つ原石であった。
「…まさかこんな、身近に可能性があったとは。」
同情もある。気持ちも分かる。俺たちは全く、すべてが同じとは言わないが似た負の感情を抱えていた。
皆サイカに惹かれているのだろう。
彼女のことを、本気で思っているだろう。
救われ、癒され、彼女の本質を肌で感じて…そして身も心も虜になったのだろう。
それでも、愛しい女を誰に渡すつもりもないが。
「…そろそろ終わりにしたいが…もう少し間を置かねばなるまい。
その間にルシアにはライズの子を孕んでもらう。
ルシアはライズとの行為の前に避妊薬を飲んでいると報告にあるが…間違いないな?」
「間違い御座いません。
アーノルド家で所有している物を飲んでいると報告が御座いました。
宮廷医師にもルシア様に避妊薬を処方していない事は確認しております。
まあ、陛下より先に愛人の子を孕む事になれば流石に体裁が悪いでしょうから。」
「そうか。で、ライズの報告はどうだ。」
「此方で御座います。」
ライズ・アーノルド。
アーノルド伯爵家の次男で、大層美しい見目をしている。
気さくで話しやすく、ライズが夜会に参加すれば女たちが放っておかなかった。
ルシアとライズがそういう関係になってから一度アーノルド家の事を調べさせた事がある。
万が一不正でもしていればルシアもただでは済まないからだ。
アーノルド家は二つの爵位を持っている。
元々、アーノルド伯爵は子爵だった。
何代か前の当主が優秀だった為陞爵となり、元々の領地に新たな領地も授けられた家だった。
アーノルド家の調査結果は何の問題もなく、俺はルシアとライズの逢瀬を許容した。
ライズには三つ上の兄がいる。
容姿も普通でこれといって突出している部分はない兄が。
対してライズはその美しい容姿で生まれた事から、母親を始め、使用人たちに随分甘やかされ育った。
「よくある話だ。」
「…ライズ卿については様々な報告が上がっております。
…どうも、快楽主義な部分がある様子で御座います。」
「女が放っておかないからだろう。
いつでも選び放題。そうなってもおかしくはない。
父や兄は至って真面目。性格は環境下でいくらでも変わるからな。」
「ルシア様への感情はどうか…分かりかねます。
お二人の様子から思いやっていると見れる部分も御座いますし、ライズ卿が同じ女性と一年以上も関係を続けているというは珍しい事のようです。
…快楽主義な部分もありますから、背徳的な部分も含め楽しんでいるようにも…」
「どちらにせよ、何らかの情はあるという事だな。
ならば安心出来る。…上手く、操作出来そうだ。
どんな方法でもいい。然り気無くライズに、ルシアと俺が子作りを始めたと伝わるようにしてくれ。
…そうすれば、あちらから動く事もあるだろう。」
「畏まりました。」
愛し合う者同士が結ばれるのが一番いい。
ルシアも、家の為に無理矢理嫁いできた醜い俺より愛するライズと結婚出来るとなれば嬉しかろう。
そしてライズにはルシアと一緒になってもらい、男としての責任を果たしてもらう。
「陛下、仮にルシア様がライズ卿の子を孕んだ場合、アスガルト国へはどうされますか。」
「相応の慰謝料は貰うつもりだ。」
「ではそのつもりで準備をしておきましょう。」
「ああ、頼む。降格させるにも準備がいるからな。
父親の跡はライズの兄が継ぐ…ルシアは小国ながらも王女だ。ライズに何らか…爵位を与えねばならないか…。
…兄はそのまま伯爵位、ライズは子爵位を継げば…まあ、問題はないだろう。今は珍しいが昔は当たり前にあったことだ。
領地は子爵だった頃の土地でも十分広い。二分し双方が上手く治めてくれればいい。」
「ルシア様の子が陛下のお子ではないと確実に認められれば。それが確たるものであれば賛同は得られますね。」
「ああ。ルシア、ライズ双方の結婚後は一定の慰謝料を支払ってもらう事にしよう。…生涯かけて。この程度のささやかな仕返しなら許されるだろう?」
「それが宜しいかと。」
進んでいく。変わっていく。
小さな変化。大きな変化。
それは人によって違うがでも確実に進んでいる。
「明日はディーノが来るのだったな。
…暫くは多忙が続きそうだ。」
「サイカ様に会いに行かれますか?」
「そうする。……サイカに会って癒されたい。」
「では支度を致しましょう。湯の準備をさせます。」
「頼む。」
サイカと三人の男。
ヴァレリアにカイル、リュカ。
この問題は今は手を出せない。今手を出すべきではない。
まだ互いに探っている状況ではあるだろう。
何となくそうではないか、この男もサイカを知っているのではないかと考えている最中だろう。
リュカに関してはまあ、違う。あれは俺の変化に気付いて、恐らく探っていたに違いない。
俺がサイカに誑かされたとでも思ったのだろう。そういう男だ。
湯の中に沈み、考える。
これからの事に全く不安がないわけではない。
問題は山積みだ。
だが変化は苦労も伴う。その道程が厳しいと思う時も多々あれば、容易く感じる時もある。
今回は…厳しくなりそうだ。そんな予感がする。
花街は相変わらず賑わっていた。
多くの男が犇めき合って、どの娼館のどの娼婦にしようか吟味している。俺は一択だ。月光館のサイカ。今はサイカに会う為だけに花街を訪れる。
愛しい女に会う為だけに、花街を訪れる。
『月光館で醜い男を相手する高級娼婦がいるって聞いただろ?
今度、あの店でもそうなるらしいぜ。』
『ああ、聞いた聞いた。
でも金貨八枚だぞ?お貴族様か金持ちしか行かないだろ。』
『不憫だよなあ。そんな高い金を払わないと相手にすらして貰えないんだ。』
『まあでも、月光館の金額よりはまだマシだろ。
大金貨一枚以上だぜ?俺たちみたいな庶民には無理だわな。』
『それくらいにしないと相手出来ないんだろ。』
思わず鼻で笑ってしまったのは仕方がない。
大金貨一枚以上を、ただ醜い男を相手するだけだと思っている周りが。
サイカの美しさを、優しさを、その存在がどれだけ稀有な存在かを知らない周りの男たち。
大金貨一枚以上はサイカの価値だ。いや、価値は大金貨に留まらないが。
知れば納得するだろう。だが、知らなくていい。
お前たちは、今手招きをしている女たちを吟味し続ければいい。
ふと、目に入ったのは一人の男だった。
でっぷりと肥えたその男は、上を見上げていた。
視線を辿るとそこが月光館の、サイカのいる部屋を見ている気がした。
「…見ていたのはサイカの部屋か…?いや…だが。」
見上げた顔を下ろし、花街の奥に消えていく男。
見たことのあるような…ないような。見えた顔が横顔だったのが悔やまれる。
細い目に低い団子鼻。見目のいい男は総じてそういう顔をしている。
言ってしまえば似ているのだ。
正面であれば違いははっきりとするが横顔では判断がつきにくい。
たまたまかも知れない。たまたま、あの男が上を向いた先がサイカの部屋の方向だったのかも知れないが…どうにも嫌な予感がした。
「いらっしゃいませ。」
「キリム、サイカに会う前に少し話をしたい。時間はあるか?」
「大丈夫です。では…ぼ…私の部屋でお話しましょう。」
感じている嫌な予感。不安が杞憂であればいい。
だが警戒しておくに越した事はないだろう。
「…そうでしたか…。」
「ああ。俺の勘違いならいいが…何故か嫌な感じがしてな。
警戒だけはしておいてほしい。
…ただの客であれば問題ない。偶々見ていただけならいい。ただ…見ていただけであれば。」
「……。」
「念の為、花街周辺を巡回する衛兵を増やしておく。
…どうにも、不安が消えん。」
「…陛下の御心遣いに感謝致します。
…サイカにはなるべく、窓に近づかないように…伝えてもおきます。」
「…ああ…、俺からも言っておく。」
嫌な感じだ。ぞわぞわと、よくないものが背筋を這い上がっている感じだ。
何もなければいい。気のせいであればいい。偶々であればいい。
けれどそんな風には思えなかった。
「サイカ!」
「マティアス!ふふ、来てくれて嬉しいです…!」
「…サイカ、」
「…マティアス…?」
サイカを抱き締めても拭えない不安。
何とも言えない後味の悪い気持ち。
「…マティアス、どうかしたんですか…?何か、ありました…?」
「…いいや。ない。あってたまるか…。」
そう。あってたまるか。
サイカに何かあってたまるか。
「…サイカ。」
「…大丈夫。私、ここにいますよ?」
「ああ。…そうだな…。」
サイカに何かがあってたまるか。
何か、そんな事があってたまるか。
変わらず過ごしたというのに、それでも拭えない不安があった。
そして翌日、花街である事件が起こる。
卑劣で、許せない事件が。
俺にとって、到底許す事が出来ない事件が起こってしまう。
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