16 / 198
14 閑話 キリム
しおりを挟む
「サイカ、陛下から手紙と花束が届いたよ!」
「え…マティアス様からですか!?わあ…!綺麗…!嬉しい…!」
「あとヴァレリア様からも手紙と贈り物があるんだ。」
「え?ヴァレリア様からも…!?お手紙…なんだろう?」
二人からの手紙にサイカが目を通している間に、ヴァレリア様からの贈り物をテーブルの上に起き、陛下から頂いた花束を花瓶に移す。
ちらりとサイカを見ると、手紙を読みながら綺麗な笑顔で微笑んでいた。
その微笑みは本当に、男も女も見惚れてしまう程の美しさで、見ているこちらも幸せになる、そんな微笑みだった。
「…マティアス様、もう少ししたら来て下さるんですって。
ヴァレリア様は先日のお礼でした。ふふ、本当に律儀な人。
あ…お花、花瓶に移してくれたんですか!?すみません、オーナーにそんな事をさせて…!」
「ううん。僕がしたくてやっているからいいんだよ。
それに、他の人たちなら兎も角、陛下やヴァレリア様からの手紙と贈り物だからね。丁重に扱わないと。」
サイカがこの月光館に売られてきたのは五ヶ月前のこと。
汚れた身なりの老夫婦が月光館を訪ねてきたと僕の補佐をしてくれているデュレクが慌てた様子で部屋に駆け込んで来た。
蕾を売りに来た場合、余程の事がない限りは補佐であるデュレクが相手と値段の交渉をしたりと対応するのだけれど、デュレクは顔を赤くさせて興奮しているばかり。
一体何があったんだと入り口を出てみれば、興奮したままのデュレクがあの中です!と小さな荷車を指差す。
汚い身なりの老夫婦はにやにやと卑しい顔で笑っていて、その笑顔が癪に触る。
こういう人間は嫌いだ。娼館に来る多くの女たちがやむを得ない事情で身を売りにくるし、身を売られる。
けれど中には人拐いにあったり、騙されて娼館に売られるケースも多い。
そういった場合は無効なのでは、と思うだろう。
けれど女たちも多少お金に困っているから騙されてしまうし、人拐いにあった女たちも身寄りがなかったりするのでそのまま娼婦として働くことになる。何より買い取った時点で彼女たちには借金が出来てしまう。
そしてその借金を返す事に苦労するんだ。
例えば。通常の娼婦の値段だと相場が銀貨一枚~五枚。
この通常の娼婦である彼女たちはある程度、定期的に指名してくれるお客が付くまで、殆どの娼婦が銀貨一枚で体を売る。その銀貨一枚が彼女たちの取り分になる訳じゃない。彼女たちの食事、身の回りの物、雑貨。娼館で生活するに当たって諸々必要なものを差し引くと…彼女たちの給金は銅貨一枚にもならず…下手をすれば余り価値のない賤貨になってしまう。それに、全くお客が付かなかった月は当然、娼館で暮らす生活費が払えないから、借金の額が増えてしまうんだ。
けれど買い取った値段は当然銀貨一枚じゃない。
勿論交渉ありきだけど、その子がどれだけお客を取れそうかにも関わってくる。
そういった理由で、娼館に入るのは簡単だけど、出るとなるとかなり難しい。
それこそ一晩でかなりの金額を稼ぐ高級娼婦であればまだしも。
只の娼婦が花街を出る時は、借金を返済するか、身請けされるか、病気になった時か、死ぬ時だった。
この老夫婦は以前もうちに女を売りに来た。拐ってきたのか騙したのかは分からない。
けれど、自分たちが数ヵ月いや、もしかしたら数年働いてやっと手にいれることが出来るお金をたったの数十分で手にすることが出来たことに味を占めたらしい。
本当に嫌な人間がいるもんだと思うけれど、こちらも商売。生きていく為に、女たちを生かせる為には仕方がない。
今回、老夫婦に売られてきた可哀想な子はどんな子だろうかと荷車の中を見る。
「…な…!!?」
薄汚れた荷車の中で寝息を立てる彼女は、何故かまめどころか傷一つない綺麗な手をしているにも関わらずボロ布の服を着ていたけれど、その目を閉じていても分かる程の美貌を持っていた。恐らく、元々彼女が着ているものもこの老夫婦が搾取したんだろう。いい服や装飾品を付けていればお金になる。
じっと彼女を見る。
肩までしかない珍しい黒髪は艶々としていて、鼻も口もちょこんと付いているだけ。簡単に折れてしまいそうな華奢な体は長年、色んな女を見てきたけれど、今まで一度も見たことがなかった。…目の前の彼女以外では。
「…そ、それで…いくらで買い取ってくれますかね…?」
「デュレク、僕の部屋から金貨八枚を取ってきて。」
「き、金貨八枚…!!!」
「言っておくけど、他の店に連れていけばぼったくられるよ。
素直にここで受け取っておいた方がいい。」
「は、はい!金貨八枚…!十分ですとも!!」
「ああ、そう。じゃあ、お金を受け取ったら早く帰ってくれる?」
歓喜する老夫婦が去って行くのを何の感情も込もっていない顔で見送り、眠る彼女を抱き抱えた僕は月光館の中へ戻った。
それが、この月光館に売られてきたサイカとの出会いだった。
『オーナー、お手洗いの掃除終わりました!』
『ああもうサイカ!サイカがそんなことする必要ないんだって!
それにお手洗いなんて放っておけばいいのに!汚かっただろう!?』
『駄目ですよ?お手洗いは一番、綺麗にしておかないと!病気が移る確率が一番高いんですから!
それに、お手洗いには高位の女神様がいるんです。綺麗にしておかないと怒られますよ?』
サイカは本当に不思議な子だった。
誰もが嫌がる汚れ仕事を自ら進んでやるし、絶世の美貌を持つのに全く奢らないし偉ぶったりしない。
美人と評される高級娼婦たちだったら『掃除?何でそんなこと私がしなくちゃいけないの?そんな事したら手が汚れちゃうじゃない。』と言っている所だ。
サイカに支払った金貨八枚は買い取りで支払う金額の中ではかなり高額な金額だったけれど、サイカなら金貨八枚でも安い。
サイカはかなりの美人なだけでなく、その性格もいい…本当に、世の中にこんな子がいるのかと疑ってしまう程非の打ち所がない子だった。
おまけにサイカは話しかけるのも気後れするくらいの美しい容姿とは裏腹にかなり気安い性格で、誰とでも仲良くなっていった。
うちにいるちょっと気難しい子たちともあっという間に打ち解け、仲良く談笑する仲にまでなっているし、“不細工”と呼ばれる女の子はあからさまではないにしろ遠巻きにされ周りの輪になかなか入れない。
けれどそこにサイカが加われば、話は別。皆仲良く談笑するようになった。
「ほんと、いい子だなあ…。」
サイカがうちに来てから、毎日が楽しい事ばかりだ。
陛下もヴァレリア様も、その容姿から心に深い傷を負ってると見てとれた。
けれどサイカとの逢瀬が終わると、二人供晴れやかな顔をして帰っていく。
サイカとどんな話をし、どんなやり取りをしているのかは知らないけれど、とてもいい時間を過ごしているには違いない。
いつか、容姿からくる差別がなくなればいいなと思う。
母のような人が一人でも減ることが出来たなら、いい。
僕は元々、子爵位の家の子だった。
少し見目の劣る子爵の父と、醜い娼婦だった母の間に生まれた第一子。
女に相手をされない父を相手してくれるのは、当時客も取れずひもじい思いをしていた母だけで、避妊薬を飲んでいたのに母は僕を身籠った。
思えば当時の避妊薬は今程性能がよくなかったから、何度も何度も通っていれば妊娠するのは当たり前だし、当時娼婦が妊娠する事も多々あった。
結婚相手もおらず、この先自分の子も見込めないだろうと思っていた父は僕を身籠った母を身請けする。
けれど、母の容姿は醜いとされる容姿だったから、使用人にも勿論父にも避けられていた。
僕が生まれてもそう。父は普通の容姿で生まれた僕を大切にしてくれたけれど、母は大切にしなかった。
やる事はやっているのに、二人には絆さえ芽生えなかったんだ。
『キリム。新しいお母さんを紹介しよう。』
『え?』
『この子がキリム?まあ、利発そうな子ね!』
僕が十三になった頃、父に女が出来た。
母と違い普通の容姿の女は媚びたように父の腕に擦り寄って甘えた声を出していた。
母がいるのにどうして、と思わずにいられなかったけれど、この国では重婚が当たり前に認められている。
『キリム、お前は私の跡を継がなければならないんだ。これからより一層勉学に励め。あれには会うな。品が落ちる。』
『な、…自分の母親に会うことが出来ないなんて、』
『お前の母親が今まで生きてこれたのは誰のお陰だと思っている?
何なら今すぐ屋敷から放り出してもいいんだ。
私にはマリアがいる…それに、跡継ぎとしてお前が。』
『………。』
母を盾にされれば頷くしかない。
これからも母がこの屋敷で生きていく為だ。屋敷から放り出されてしまえば容姿の醜い母、それにもう若くもない母は路頭に迷ってしまうだろう。
父は新しい、若い女に夢中で彼女の言いなりになるようになった。
普通よりは劣る容姿の父。正直に言って不細工と言われる部類に入っている父。まぁ、まだ全然ましな方なんだけど。
だから母のような醜い女じゃなくて、普通の女が自分を相手してくれて、結婚まで考えてくれたことが嬉しかったのかもしれない。
醜い母は余計に父や使用人たちから避けられ、僕とも会えなかった母は、一年後、誰にも最後を看取られず死んだ。病気だった。母が病気だったことすら知らなかった僕は涙が枯れるまで泣いた。あの時の事は後悔してもしたりない。
母が死んで、父と女は一層遠慮がなくなった。父は僕に仕事の殆どを任せ、女との行為を楽しむ日々。そんな生活が二年。
二人は思い合って結婚したかと思っていたが、どうやら女の方は父の金目当てだという事が分かった。女に夢中な父は全く気付いていなかったけれどね。
毎日毎日行商人を家に呼びつけ、好きなものを好きなだけ買う。
父は女に溺れていて止めもしないし周りも見えていなかった。
どんどんかさむ借金。有り得ない金額の借金に、この家はもう持たないなと、母を見殺しにしたこの家を見切ることにした僕は貯めていたお金を持って一人暮らしをすることにした。
当面は持っていたお金で生活出来る。
貯めたお金で孝行したかった母ももういない。
毎日毎日何をするでもなく、ふらふらと宛もなくさ迷う日々。そんな時、僕はある醜い少女と花街で出会った。
身売りしたい彼女はその醜い容姿だからか、お前では客が付かないと何件もの娼館に断られていた。
身なりも汚くて、つんとした匂いも放って。確かにとてもじゃないが彼女を買いたい男はいないだろう。
それでも、それでも。生きたいと、ふらふらしながら次の店を目指して歩く少女が何故か母の姿と被って涙が出た。
気付けば僕は彼女に銀貨一枚を渡していた。
『あ…ありがとう…、…ありがとう、ございます…!』
彼女は醜い容姿だったけれど、笑った顔は可愛い子だった。
そのことがあって僕は娼館を作ろうと思い立つ。
醜い子も受け入れて、生きていけるようなそんな娼館を。
勿論それにはかなりのお金がいるようになる。何せ“お荷物”になるであろう女たちを雇う事になるのだから。
けれど、父の様な女に見向きをされなかった男には需要があるはずだ。
持っていたお金を殆どはたいて、僕は“月光館”を作った。
あの時の少女がいつ来てもいいように、彼女を僕の作ったこの月光館で受け入れるつもりでいたけれど…あの日から彼女を見てはいない。
新参の店は花街の奥に店を構える。人が密集する入り口には老舗の娼館。そういうルール。
最初こそ新参の娼館だからか苦しい日々が続いたけれど、そこは一日一日値段を調整したり、時間を伸ばしたりと努力の甲斐あってそこそこの売れ行きを出すまでになっていた。
父の仕事をしていたから、娼館くらいの経営に苦戦する事もなかった。
領地を管理するより全然楽だったくらいだ。
醜いも美人も関係なく、皆で店を盛り上げていく。そういう方針で作り上げた月光館はもう二十年、続いていた。人の移り変わりが激しい商売だから、十年も無事に経営出来れば老舗の域になる。
月光館は小さな店から広い大きな店へ。奥から入り口付近へと場所も変わった。
因みにこの二十年の間で我が家がどうなったかも耳に入ってきた。
二十年の間とは言わず、僕が家を出て一年も経たない内に、家は没落したらしい。
原因はマリアだ。あれだけ毎日毎日好き放題高価な物を買っていれば…すぐに底はつく。
父や家に未練は全くなく、没落したと聞いてもああやっぱりね、くらいにしか思わなかった。
月光館も随分余裕のある経営が出来るようになり、“醜い子”が沢山自分を売りにきても生活を保証出来るまでになった。
娼婦たちの不満も勿論あったけど、付き人の仕事をしたり、娼館の雑用を彼女たちが全てやってくれる。そういう役割分担を与え解消した。
けれど二十年やっていても、やっぱり差別はある。
高級娼婦たちは醜い彼女たちを見下しているし、高級娼婦たちを見ているからか普通の娼婦たちも見下している。
どちらも明け透けではないにしろ、そういうのは敏感に感じとるものだ。
今後もこの問題は一番の課題だなと。そんな時にサイカが月光館にやってくる。
「オーナー、私皆の所に行きますね。」
「じゃあ僕も行こうかな。お得意様からお菓子をもらってるんだ。結構数があるから皆で食べようか。」
「わ、やった!」
最上階。この娼館のどの部屋よりも豪華な作りの部屋は、サイカが初めての住人になった。
この店を引っ張っていくような、そんな子に与えようと思った部屋。
その部屋から出たサイカはすれ違う人全てに笑顔で挨拶をする。
「リリー、お掃除有り難う!少し休憩にしない?
オーナーがお得意様からお菓子を貰ったんですって!」
「マリ!お疲れ様!いつもの大部屋で一緒にお菓子食べない?」
「あ、デュレクさん!重そうな荷物運んでますね…!私も手伝いましょうか?終わったらお菓子もありますよ!」
「お姉様、これから大部屋でお菓子を食べるんですが、一緒にどうですか?お姉様も来てくれたらきっと華やかになります!」
「ロザンナ、お菓子食べましょー!」
サイカが来て、娼婦たちの間に少なからずあった差別が薄れた気がしている。
宴会も出来る大部屋は月光館で働く沢山の人間でぎゅうぎゅうになって、サイカを中心に皆が笑っている。
「いい光景だなあ。」
まるで本当に女神みたいなサイカは傷付いた陛下とヴァレリア様、二人の手を易々と取って、笑顔や言葉、仕草や態度で二人の心を癒したんだろう。
きっと。陛下もヴァレリア様も、サイカの容姿だけでなく、こんな温かい部分に惹かれたに違いない。サイカの一番美しい部分だと僕は思う。
「あーあ。思ったよりも身請けは早そうだ…。」
それまでは。サイカはこの月光館の高級娼婦のまま。
「え…マティアス様からですか!?わあ…!綺麗…!嬉しい…!」
「あとヴァレリア様からも手紙と贈り物があるんだ。」
「え?ヴァレリア様からも…!?お手紙…なんだろう?」
二人からの手紙にサイカが目を通している間に、ヴァレリア様からの贈り物をテーブルの上に起き、陛下から頂いた花束を花瓶に移す。
ちらりとサイカを見ると、手紙を読みながら綺麗な笑顔で微笑んでいた。
その微笑みは本当に、男も女も見惚れてしまう程の美しさで、見ているこちらも幸せになる、そんな微笑みだった。
「…マティアス様、もう少ししたら来て下さるんですって。
ヴァレリア様は先日のお礼でした。ふふ、本当に律儀な人。
あ…お花、花瓶に移してくれたんですか!?すみません、オーナーにそんな事をさせて…!」
「ううん。僕がしたくてやっているからいいんだよ。
それに、他の人たちなら兎も角、陛下やヴァレリア様からの手紙と贈り物だからね。丁重に扱わないと。」
サイカがこの月光館に売られてきたのは五ヶ月前のこと。
汚れた身なりの老夫婦が月光館を訪ねてきたと僕の補佐をしてくれているデュレクが慌てた様子で部屋に駆け込んで来た。
蕾を売りに来た場合、余程の事がない限りは補佐であるデュレクが相手と値段の交渉をしたりと対応するのだけれど、デュレクは顔を赤くさせて興奮しているばかり。
一体何があったんだと入り口を出てみれば、興奮したままのデュレクがあの中です!と小さな荷車を指差す。
汚い身なりの老夫婦はにやにやと卑しい顔で笑っていて、その笑顔が癪に触る。
こういう人間は嫌いだ。娼館に来る多くの女たちがやむを得ない事情で身を売りにくるし、身を売られる。
けれど中には人拐いにあったり、騙されて娼館に売られるケースも多い。
そういった場合は無効なのでは、と思うだろう。
けれど女たちも多少お金に困っているから騙されてしまうし、人拐いにあった女たちも身寄りがなかったりするのでそのまま娼婦として働くことになる。何より買い取った時点で彼女たちには借金が出来てしまう。
そしてその借金を返す事に苦労するんだ。
例えば。通常の娼婦の値段だと相場が銀貨一枚~五枚。
この通常の娼婦である彼女たちはある程度、定期的に指名してくれるお客が付くまで、殆どの娼婦が銀貨一枚で体を売る。その銀貨一枚が彼女たちの取り分になる訳じゃない。彼女たちの食事、身の回りの物、雑貨。娼館で生活するに当たって諸々必要なものを差し引くと…彼女たちの給金は銅貨一枚にもならず…下手をすれば余り価値のない賤貨になってしまう。それに、全くお客が付かなかった月は当然、娼館で暮らす生活費が払えないから、借金の額が増えてしまうんだ。
けれど買い取った値段は当然銀貨一枚じゃない。
勿論交渉ありきだけど、その子がどれだけお客を取れそうかにも関わってくる。
そういった理由で、娼館に入るのは簡単だけど、出るとなるとかなり難しい。
それこそ一晩でかなりの金額を稼ぐ高級娼婦であればまだしも。
只の娼婦が花街を出る時は、借金を返済するか、身請けされるか、病気になった時か、死ぬ時だった。
この老夫婦は以前もうちに女を売りに来た。拐ってきたのか騙したのかは分からない。
けれど、自分たちが数ヵ月いや、もしかしたら数年働いてやっと手にいれることが出来るお金をたったの数十分で手にすることが出来たことに味を占めたらしい。
本当に嫌な人間がいるもんだと思うけれど、こちらも商売。生きていく為に、女たちを生かせる為には仕方がない。
今回、老夫婦に売られてきた可哀想な子はどんな子だろうかと荷車の中を見る。
「…な…!!?」
薄汚れた荷車の中で寝息を立てる彼女は、何故かまめどころか傷一つない綺麗な手をしているにも関わらずボロ布の服を着ていたけれど、その目を閉じていても分かる程の美貌を持っていた。恐らく、元々彼女が着ているものもこの老夫婦が搾取したんだろう。いい服や装飾品を付けていればお金になる。
じっと彼女を見る。
肩までしかない珍しい黒髪は艶々としていて、鼻も口もちょこんと付いているだけ。簡単に折れてしまいそうな華奢な体は長年、色んな女を見てきたけれど、今まで一度も見たことがなかった。…目の前の彼女以外では。
「…そ、それで…いくらで買い取ってくれますかね…?」
「デュレク、僕の部屋から金貨八枚を取ってきて。」
「き、金貨八枚…!!!」
「言っておくけど、他の店に連れていけばぼったくられるよ。
素直にここで受け取っておいた方がいい。」
「は、はい!金貨八枚…!十分ですとも!!」
「ああ、そう。じゃあ、お金を受け取ったら早く帰ってくれる?」
歓喜する老夫婦が去って行くのを何の感情も込もっていない顔で見送り、眠る彼女を抱き抱えた僕は月光館の中へ戻った。
それが、この月光館に売られてきたサイカとの出会いだった。
『オーナー、お手洗いの掃除終わりました!』
『ああもうサイカ!サイカがそんなことする必要ないんだって!
それにお手洗いなんて放っておけばいいのに!汚かっただろう!?』
『駄目ですよ?お手洗いは一番、綺麗にしておかないと!病気が移る確率が一番高いんですから!
それに、お手洗いには高位の女神様がいるんです。綺麗にしておかないと怒られますよ?』
サイカは本当に不思議な子だった。
誰もが嫌がる汚れ仕事を自ら進んでやるし、絶世の美貌を持つのに全く奢らないし偉ぶったりしない。
美人と評される高級娼婦たちだったら『掃除?何でそんなこと私がしなくちゃいけないの?そんな事したら手が汚れちゃうじゃない。』と言っている所だ。
サイカに支払った金貨八枚は買い取りで支払う金額の中ではかなり高額な金額だったけれど、サイカなら金貨八枚でも安い。
サイカはかなりの美人なだけでなく、その性格もいい…本当に、世の中にこんな子がいるのかと疑ってしまう程非の打ち所がない子だった。
おまけにサイカは話しかけるのも気後れするくらいの美しい容姿とは裏腹にかなり気安い性格で、誰とでも仲良くなっていった。
うちにいるちょっと気難しい子たちともあっという間に打ち解け、仲良く談笑する仲にまでなっているし、“不細工”と呼ばれる女の子はあからさまではないにしろ遠巻きにされ周りの輪になかなか入れない。
けれどそこにサイカが加われば、話は別。皆仲良く談笑するようになった。
「ほんと、いい子だなあ…。」
サイカがうちに来てから、毎日が楽しい事ばかりだ。
陛下もヴァレリア様も、その容姿から心に深い傷を負ってると見てとれた。
けれどサイカとの逢瀬が終わると、二人供晴れやかな顔をして帰っていく。
サイカとどんな話をし、どんなやり取りをしているのかは知らないけれど、とてもいい時間を過ごしているには違いない。
いつか、容姿からくる差別がなくなればいいなと思う。
母のような人が一人でも減ることが出来たなら、いい。
僕は元々、子爵位の家の子だった。
少し見目の劣る子爵の父と、醜い娼婦だった母の間に生まれた第一子。
女に相手をされない父を相手してくれるのは、当時客も取れずひもじい思いをしていた母だけで、避妊薬を飲んでいたのに母は僕を身籠った。
思えば当時の避妊薬は今程性能がよくなかったから、何度も何度も通っていれば妊娠するのは当たり前だし、当時娼婦が妊娠する事も多々あった。
結婚相手もおらず、この先自分の子も見込めないだろうと思っていた父は僕を身籠った母を身請けする。
けれど、母の容姿は醜いとされる容姿だったから、使用人にも勿論父にも避けられていた。
僕が生まれてもそう。父は普通の容姿で生まれた僕を大切にしてくれたけれど、母は大切にしなかった。
やる事はやっているのに、二人には絆さえ芽生えなかったんだ。
『キリム。新しいお母さんを紹介しよう。』
『え?』
『この子がキリム?まあ、利発そうな子ね!』
僕が十三になった頃、父に女が出来た。
母と違い普通の容姿の女は媚びたように父の腕に擦り寄って甘えた声を出していた。
母がいるのにどうして、と思わずにいられなかったけれど、この国では重婚が当たり前に認められている。
『キリム、お前は私の跡を継がなければならないんだ。これからより一層勉学に励め。あれには会うな。品が落ちる。』
『な、…自分の母親に会うことが出来ないなんて、』
『お前の母親が今まで生きてこれたのは誰のお陰だと思っている?
何なら今すぐ屋敷から放り出してもいいんだ。
私にはマリアがいる…それに、跡継ぎとしてお前が。』
『………。』
母を盾にされれば頷くしかない。
これからも母がこの屋敷で生きていく為だ。屋敷から放り出されてしまえば容姿の醜い母、それにもう若くもない母は路頭に迷ってしまうだろう。
父は新しい、若い女に夢中で彼女の言いなりになるようになった。
普通よりは劣る容姿の父。正直に言って不細工と言われる部類に入っている父。まぁ、まだ全然ましな方なんだけど。
だから母のような醜い女じゃなくて、普通の女が自分を相手してくれて、結婚まで考えてくれたことが嬉しかったのかもしれない。
醜い母は余計に父や使用人たちから避けられ、僕とも会えなかった母は、一年後、誰にも最後を看取られず死んだ。病気だった。母が病気だったことすら知らなかった僕は涙が枯れるまで泣いた。あの時の事は後悔してもしたりない。
母が死んで、父と女は一層遠慮がなくなった。父は僕に仕事の殆どを任せ、女との行為を楽しむ日々。そんな生活が二年。
二人は思い合って結婚したかと思っていたが、どうやら女の方は父の金目当てだという事が分かった。女に夢中な父は全く気付いていなかったけれどね。
毎日毎日行商人を家に呼びつけ、好きなものを好きなだけ買う。
父は女に溺れていて止めもしないし周りも見えていなかった。
どんどんかさむ借金。有り得ない金額の借金に、この家はもう持たないなと、母を見殺しにしたこの家を見切ることにした僕は貯めていたお金を持って一人暮らしをすることにした。
当面は持っていたお金で生活出来る。
貯めたお金で孝行したかった母ももういない。
毎日毎日何をするでもなく、ふらふらと宛もなくさ迷う日々。そんな時、僕はある醜い少女と花街で出会った。
身売りしたい彼女はその醜い容姿だからか、お前では客が付かないと何件もの娼館に断られていた。
身なりも汚くて、つんとした匂いも放って。確かにとてもじゃないが彼女を買いたい男はいないだろう。
それでも、それでも。生きたいと、ふらふらしながら次の店を目指して歩く少女が何故か母の姿と被って涙が出た。
気付けば僕は彼女に銀貨一枚を渡していた。
『あ…ありがとう…、…ありがとう、ございます…!』
彼女は醜い容姿だったけれど、笑った顔は可愛い子だった。
そのことがあって僕は娼館を作ろうと思い立つ。
醜い子も受け入れて、生きていけるようなそんな娼館を。
勿論それにはかなりのお金がいるようになる。何せ“お荷物”になるであろう女たちを雇う事になるのだから。
けれど、父の様な女に見向きをされなかった男には需要があるはずだ。
持っていたお金を殆どはたいて、僕は“月光館”を作った。
あの時の少女がいつ来てもいいように、彼女を僕の作ったこの月光館で受け入れるつもりでいたけれど…あの日から彼女を見てはいない。
新参の店は花街の奥に店を構える。人が密集する入り口には老舗の娼館。そういうルール。
最初こそ新参の娼館だからか苦しい日々が続いたけれど、そこは一日一日値段を調整したり、時間を伸ばしたりと努力の甲斐あってそこそこの売れ行きを出すまでになっていた。
父の仕事をしていたから、娼館くらいの経営に苦戦する事もなかった。
領地を管理するより全然楽だったくらいだ。
醜いも美人も関係なく、皆で店を盛り上げていく。そういう方針で作り上げた月光館はもう二十年、続いていた。人の移り変わりが激しい商売だから、十年も無事に経営出来れば老舗の域になる。
月光館は小さな店から広い大きな店へ。奥から入り口付近へと場所も変わった。
因みにこの二十年の間で我が家がどうなったかも耳に入ってきた。
二十年の間とは言わず、僕が家を出て一年も経たない内に、家は没落したらしい。
原因はマリアだ。あれだけ毎日毎日好き放題高価な物を買っていれば…すぐに底はつく。
父や家に未練は全くなく、没落したと聞いてもああやっぱりね、くらいにしか思わなかった。
月光館も随分余裕のある経営が出来るようになり、“醜い子”が沢山自分を売りにきても生活を保証出来るまでになった。
娼婦たちの不満も勿論あったけど、付き人の仕事をしたり、娼館の雑用を彼女たちが全てやってくれる。そういう役割分担を与え解消した。
けれど二十年やっていても、やっぱり差別はある。
高級娼婦たちは醜い彼女たちを見下しているし、高級娼婦たちを見ているからか普通の娼婦たちも見下している。
どちらも明け透けではないにしろ、そういうのは敏感に感じとるものだ。
今後もこの問題は一番の課題だなと。そんな時にサイカが月光館にやってくる。
「オーナー、私皆の所に行きますね。」
「じゃあ僕も行こうかな。お得意様からお菓子をもらってるんだ。結構数があるから皆で食べようか。」
「わ、やった!」
最上階。この娼館のどの部屋よりも豪華な作りの部屋は、サイカが初めての住人になった。
この店を引っ張っていくような、そんな子に与えようと思った部屋。
その部屋から出たサイカはすれ違う人全てに笑顔で挨拶をする。
「リリー、お掃除有り難う!少し休憩にしない?
オーナーがお得意様からお菓子を貰ったんですって!」
「マリ!お疲れ様!いつもの大部屋で一緒にお菓子食べない?」
「あ、デュレクさん!重そうな荷物運んでますね…!私も手伝いましょうか?終わったらお菓子もありますよ!」
「お姉様、これから大部屋でお菓子を食べるんですが、一緒にどうですか?お姉様も来てくれたらきっと華やかになります!」
「ロザンナ、お菓子食べましょー!」
サイカが来て、娼婦たちの間に少なからずあった差別が薄れた気がしている。
宴会も出来る大部屋は月光館で働く沢山の人間でぎゅうぎゅうになって、サイカを中心に皆が笑っている。
「いい光景だなあ。」
まるで本当に女神みたいなサイカは傷付いた陛下とヴァレリア様、二人の手を易々と取って、笑顔や言葉、仕草や態度で二人の心を癒したんだろう。
きっと。陛下もヴァレリア様も、サイカの容姿だけでなく、こんな温かい部分に惹かれたに違いない。サイカの一番美しい部分だと僕は思う。
「あーあ。思ったよりも身請けは早そうだ…。」
それまでは。サイカはこの月光館の高級娼婦のまま。
131
お気に入りに追加
5,323
あなたにおすすめの小説

女性の少ない異世界に生まれ変わったら
Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。
目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!?
なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!!
ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!!
そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!?
これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?
青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。
そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。
そんなユヅキの逆ハーレムのお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


ヤンデレ義父に執着されている娘の話
アオ
恋愛
美少女に転生した主人公が義父に執着、溺愛されつつ執着させていることに気が付かない話。
色々拗らせてます。
前世の2人という話はメリバ。
バッドエンド苦手な方は閲覧注意です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる