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約束の半年後と埋め合わせの三分前

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「…………」

「すみません、お待たせしました」

 部屋に戻ると案の定、ルシファルは不機嫌そうな様子で待っていた。帰ってきた私に気づくと唇を尖らせ、ぷいとそっぽを向く。子どもみたいだな、と内心で少し笑ってしまった。

「遅くなってごめんなさい、話が長くなってしまったもので」

「…………」

「それにしても今日は色々あって疲れちゃいましたね、さてそろそろ寝ますか!」

「……………………」

 視線と袖口を掴む手が、何かを必死に訴えている。内心で溜息を吐いて、その手を握った。

「ルシファルさんに寂しい思いをさせてしまったので、何か埋め合わせをさせていただきたいのですが」

「あら、そう?」

 白々しい、という言葉はすんでのところで飲み込む。けろりと顔色を変えて、ルシファルは笑顔だった。

「一体どんな埋め合わせをしてくださるのかしら?」

「貴女はどんな埋め合わせをお望みで?」

「それはもう、貴方がしてくれる埋め合わせなら何でも嬉しいわ」

 何でもいいっていうのが一番の困り物だ。それでいて、外せば文句を言うのだから、最早拷問である。まあこの人ならそんなことはしないだろうが、ある程度上機嫌になってくれそうな『埋め合わせ』をしなければ不味そうだ。さて、どうしたものか。それこそ、読心の魔法が使えればなと思った。

「そうですね……」

 悩む私に彼女は期待の眼差しを向ける。それに添える何かをあげられるとは思っていないので、プレッシャーが高まるばかりだ。着想を得るべく、最近の彼女が一番喜んでいたことが何だったかを考える。

「……ルシファル」

「!?」

 一秒置いてルシファルは、驚愕の視線をこちらに向けた。口を開いて三秒固まり、ぷるぷる震えてようやく言葉を発した。

「い、い、今もしかして……」

「どうしたんですか、そんなに動揺して」

「ああ、いえ、もしかして幻聴かしら……あなた、もう一度私の名前を呼んでくださる?」

「ルシファル」

「ああっ!!!!!!」

 ルシファルがベッドにぼすっと大きな音を立てて沈んでいった。次いで、念動力の魔法で枕を引き寄せ、それを潰すように抱きしめ、ゴロゴロと横転を繰り返していく。

「遂にこの日がきたのね……! しっかりと名前で呼び捨てにしてくれる日が……!」

「ええ…………」

 予想以上に嬉しそうな反応を見せるルシファルに、内心では結構動揺していた。いや、喜んでくれるのは全然いいのだけれど。『さん』が抜けた程度で大袈裟なのでは。

「つまり初夜の時が……!」

「えっ」

 ルシファルは焦る私の手を引き、身体を諸共ベッドへと沈める。そのままくるりと体勢を翻した彼女は、馬乗りになって覆い被さり──そして私の唇を奪った。といっても、本当に少し触れただけだったが。それでも確かに残る感触が、私の脳をじりじりと焼くようだった。一度身体を離した彼女は、赤くなった頬に両手を当て、熱を帯びた瞳でこちらを見つめていた。

「……ごめんなさい、はしたない妻だと思った?」

「……ええ、まあ……」

「でも名前を呼んでくれたってことは、そんな私も受け入れてくれるってことなのよね?」

「………………?」

「……もしかして、忘れちゃったの?」

 はて、忘れたとは一体。首を傾げかけて、そこで在りし日の約束を思い出す。そう、アレは忘れもしない(忘れてたけど)結婚式の時のこと。教会にて、魔王の癖して神に永遠の愛を誓い、誓約の口づけ。そのあと、何だか四六時中ルシファルの様子がおかしくて聞いてみたところ、どうやら先刻の感触が忘れられないとのこと。要するに求められているのだな、と困った私は、咄嗟に嘘を吐いた。『アレは大事なとき以外にはしてはいけない行為なんですよ。無闇矢鱈にちゅっちゅしていたら、品格を疑われますからね。その重要性や神聖さも損なわれてしまいますし』そう誤魔化すと当然のように、『ならいつならよろしいの?』と聞かれたので、少し困りながら貴女の名前を呼び捨てたときだ、と答えた。そんな在りし日の記憶が蘇ってきて。やってしまったなと内心頭を抱えた。

「ふふ、思い出してくれたみたいね」

「あー……えーっと、はい……」

 これ以上重ねられそうな嘘もないので、目を反らしながら頷いた。瞬間、唇に柔らかな感触があった。磁石の異なる面みたいに、吸い寄せられるような不思議な感覚がある。というか実際、吸われていた。身をよじらせて離れようと試みるが、力が抜けて叶わない。嫌だとかそうでないとかそれ以前に、そろそろ息が苦しくなってきて堪らないので肩に手を当てて引き離そうと掴むが、そこにあったのはやけに柔らかな温もり。しかしまあ、「んぅ……!?」と甘い声を漏らしながら彼女が離れてくれたので結果オーライということにしておく。

「はあ、はあ……いくらなんでもいきなりはダメですよ。心の準備も身体の準備もできていないんですから……けほっ」

「ごめんなさい、ようやく貴方と思う存分口付けられるのが嬉しくて……で、でもそれよりも」

 私のお腹の上で、ルシファルは頬を紅潮させ、もじもじと肢体をくねらせ言った。

「今の……もう一度やってほしいわ……♡」

「………………」

 やれやれ、どう言いくるめるべきか。とりあえず、今夜の安眠が消えたことだけは静かに確信していた。
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