秋のにおい

夢ノ瀬 日和

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秋のにおい

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 開けた窓から涼やかな風が滑らかに入りこむ。近所に住む子どもの声。嵐の跡の湿った光。嗅ぎ慣れた昼のにおい。それらに混じる懐かしさを孕んだにおい。学生時代の部活動、文化祭、ケガや苦い思い出。その中に必ずあったにおい。秋のにおい。鼻の悪い俺が唯一嗅ぎ分けられるにおい。金木犀の香りでもなければ、サンマの焼ける香りでもない。なんとも言えない思い出のにおい。
 肺いっぱいに空気を入れこんでも、香ってくるのは一瞬で。意識すればするほど分からなくなる。消えた後ろ姿を追うように窓際へ。大型台風の名残が、まだ周辺に散らばっている。顔見知りのご近所さん達が井戸端でおしゃべりを始めた。一人がチラとこちらを見上げ、俺に挨拶をしてくれる。続けて、一人二人と増えていく大声。

「はあーい、おはようございまーす。ご機嫌いかがですかー」

「朝から美人さんを見れて元気よー!」
「今日も可愛らしいお顔ねー!」
「よく通る声だわー! 老人に優しい声だこと!」
「そちらも元気そうでなによりだわ!」

「この距離じゃ、全く見えないけれどっ! あはは!」

「あ、あはは……」

 キャアキャアはしゃぐ彼女らを尻目に風上を見つめる。強く吹き抜けたそれを捕まえても、これっぽっちも香らない。足早に逃げていく風を見上げて、ため息をつく。あ、いま一瞬。……いや、分からない。ぼぅっと空を眺める。あ、来たかな。ん、ちがうな? 淡い風が頬を撫擦なぞった。部屋から漏れ出す吹奏楽曲。祖母が気に入ってくれた俺の演奏が、風とともに踊り出す。
 ……そういえば、元気だろうか。しばらく連絡をとっていない祖母の顔を思い浮かべる。確か、最後に会ったのはちょうどこんなにおいの日だったか。じんわりと心に広がるにおい。求めていた秋のにおい。吸っても吐いても出てこないにおい。遠くで誰かが俺を呼んでいるような気がした。
 後追いのしすぎで鼻が痛い。少し擦れば、中から鮮血が流れ出る。鉄臭さに負け、もう影も形も見えなくなってしまった。バタバタとティッシュをかき集め、鼻を拭う。残念だが、今日はここまでにしよう。性懲りもなく吸ってしまいそうなのをなんとか抑える。
 ……秋のにおい。明日も会えるだろうか。
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