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魔窟編
その6
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「ふむ、私を欺くか。それもまた強さだ。面白い」
王冠を被った男はそう言い、剣を下に突き刺す。
周囲の地面が青白色に発光し、冷気を纏った鋭い氷の結晶の数々が地面から突出した。
「うがっ…」
「〈黒鉄格子〉!」
打ち上げられるサブレ。詠次は咄嗟の判断で避け、網目状の鉄を斜め上に射出する。障害物の多い中でも彼の目は正確に男の手元を捉え、サブレに追撃を浴びせようとする男の剣を弾き返すことに成功した。
即座に地上で受け身を取ったサブレもまた大剣を握り締め、反撃に応じる。
「〈レプトソード〉」
魔力を帯びた鋭利な刃が彼の跳躍と共に縦に振り下ろされ、男の体に直撃した。男はよろめき、切られた傷口を苦しそうに抑え込む。
しかし、髪で隠された顔は笑っていた。
「素晴らしい力だ。私が力を行使するに値する」
「…!?」
「サブレ!離れろ!」
男は剣を空中に放り投げた。剣は重力に逆らって上昇し、一定の高さで停止した。
「…」
「古の王国より蘇りし死の鎌よ、顕現せよ」
王冠の男の言葉に応じ、眩しい青色の閃光が剣に降り注ぐ。その輝きの中で、剣のシルエットは剣の持つそれから完全に逸脱し、新たな武器、鎌のようなものへと変貌していく。
歪な黒い武器。長く伸びる鎌のような刃の下からは濁った青色をした魔力が漏れ続け、男に降り注ぐ。変型を終え、ゆっくりと落ちてくるその禍々しい武器を男は掴み取った。それと同時に、男の虚無を見る様な目もまた、降り注ぐ光と同じ色を纏った。
「さあ、本番の始まりだ」
しかしであった。彼がその言葉を言い終わる寸前、不意に体が浮き上がる感覚を覚えたのである。
「…」
耳に反響する爆音。目の前が暗くなり、キーンという音とともに自分の身体の不自由を認識する。
仰け反る寸前に彼が視界の遠くで目にしたのは、血と土で汚れた、あの狐の姿だった。
「爆弾の準備が整いました。支援に入ります!」
マルルは手に持ったガラス瓶から碁石とほぼ同じ大きさの白い物体を十個ほど掴み、大きく腕を振って放り投げる。彼女の手を飛び出したそれらは美しい円弧を描きながら宙を舞い、対象付近の地面に衝突する。その瞬間、その小ささからは想像が付かない程の爆風が連続して巻き起こり、男を魔素が希薄になった魔窟の地面ごと抉る。彼女はそれを何度も繰り返した。
「おお!!やるやん!」
「…凄い」
サブレが驚きのため息を付く。自分たちが奮闘してもびくともしなかったあの男の金属装甲が、彼女の爆撃でたちまち粉砕されていく。爆心地から半径10メートルほどの地面が爆風で消し飛ばされ、大きなクレーターを作っていた。
「…」
一方的な爆弾の雨を受けながら男は唸る。まずい。このままだと死んでしまう。何か策を講じなければ。
「〈精霊の盾〉!!!」
男は苦しみながらも魔法陣を天に向ける。暗い天井から目の前に神聖な光が差し、黄と白の障壁を作る。壁は爆撃を防ぎ、男はその隙に体勢を立て直した。
「お願い!」
「俺たちの出番や!行くでサブレ!」
「分かった」
下がっていた二人は同時に駆け出し、彼女の元へ接近する男に接近戦を仕掛ける。
「〈ユリアブレイド〉」
跳躍して放たれる重い一撃が火花を散らす。男は鎌を剣に合わせ防御を取った。
「〈鋼刺〉」
そこに放たれるは音速の鉄糸。しかし男は剣に応対しながらもそれを余裕で回避し、目の前の鎌に力を加える。
「…!」
「ふんっ」
サブレの剣が弾かれる。優勢を取った男は鎌を上下左右に振り回し、広範囲の斬撃を連続して行う。横から放たれる鉄糸の束もまるで鋏にかかった絹糸のようにぷつぷつと切られ、意味を成さない。
「〈転移〉」
男が予備動作もなく瞬間移動し、詠次の前に現れて斬撃を与える。詠次はすぐさま自分を囲うように糸を張り巡らすも遅く、左足の太腿辺りに深い切リ傷が出来る。
「チッ…めんどいやつやのう」
「〈ファウンナイズ・グラビティアクス〉」
男の目がより一層輝き、魔力を纏った鎌が大きく振り被られる。詠次は勢い良く血が出る傷口を押さえつつ後ろに退避しようとした。そこでサブレが叫ぶ。
「下がるな!!飛び込め!!!」
声を聞いた詠次は鉄糸を前方の地面に向けて放ち、鉄糸を持ち打ち込まれた部分を軸にして円を描くように方向転換、瞬時に男の懐に潜り込む。その直後、彼は後ろで鎌が爆発とともに地面に突き刺さるのを聞いた。
そして、その大技で生まれた隙を付いてサブレがスライディング、男の無防備な足元を大剣で切り裂きながら詠次を相手の射程の外へと蹴り出す。
「ありがと!めっちゃ助かった!」
「総員退避!!」
後ろからの聞き慣れた声。詠次は転がりながら更に距離を取る。サブレもそのまま男の元を駆け抜けて撤退する。
弾けるような音と共に視界が真っ白になり、辺りに刺激臭が漂う。投げ込まれたのは閃光催涙弾。突然の目眩ましに男は驚き、目を押さえながらあてずっぽうに鎌を振り回す。
「目が…焼ける…」
「さて、準備しましょう」
命中を悟ったマルルはバッグから迷彩柄の大きな箱を取り出した。上部左側の蓋を取り外し、レバースイッチを上、下、上の順で切り替え爆弾本体の電源と安全装置を起動させる。続いて上部右側のカバーをスライド、現れた火力調整用のスイッチのうち上部から順に3つだけ押し込んで元に戻す。
側面左上の〈待機〉と書かれた箇所が赤く点灯したことを確認し、次にマルルは遠隔起爆装置を取り出す。左手周囲にある複雑な魔法陣を変化させ、装置、爆弾、バイタルを一斉に同期させる。
『信管の有効な反応を取得しました。遠隔操作に移行します』
合成音声が流れ、ランプが〈遠隔/準備完了〉に切り替わる。マルルはすぐにその爆弾を持って駆け出した。ここまで僅か30秒である。
「ぐ…まだだ…まだ私の野望は…」
男が混乱から立ち直り始めている。攻撃する隙を伺っていた詠次が焦りながら彼女の方を見る。
「おいまだかマルル!」
「待ってください。あと少しで完了します」
彼女は100メートルほど離れた場所に爆弾を設置した。もう左手にある魔法陣を解放すればいつでも起爆できる状態だ。
「…」マルルは元いた場所へ戻りながらジェスチャーで指示をした。そして、もう一つ持ってきた物を帰る途中で下に落とす。それを見て詠次は何かを察し、わざとらしく大声で喋った。
「了解!爆弾一つ、青と白のやつな!」
「〈ファウンナイズ・コラプション〉」
そして、ついに男が動き出す。鎌を地面に付け、上方向へと薙ぎ払った。空間が裂け、毒々しい波動の渦が全体を襲う。詠次、サブレは力を合わせ、これを持ち前の技で封じ込めようとする。
「っつ…なんだこれ…重い…」
「まだ…押し返せる…」
だが、渦は更に威力を増していく。鉄糸を腐食し、大剣の魔力すらも奪う底なしの魔法。鎌から引き出される恐ろしい力の体現だった。
「このままだとジリ貧や。一斉に抜けるぞ」
「うあっ」
サブレの手が中に引き込まれ、体が宙に浮く。
「おい!?」
サブレが渦に飲まれかけている。カッターナイフのような波動が飛び交う中に巻き込まれれば、彼の命は無い。
「〈鉄籠〉!!」
詠次がサブレの身体を覆うように鉄柵を展開し、マルルも渦の進行方向と反対方向に爆風を巻き起こそうとする。しかし魔力を吸収して強力になった渦の前では、そんなものなど無力であった。もう彼は顔の半分まで渦の中に入っていた。
「詠次…」
「詠次…俺を…置いて…逃げろ…」
薄れゆく意識の中、彼は呟く。
「何言っとるんか!意味分からんぞ!」
迫りくる渦の中、詠次は混乱と絶望で青ざめながら叫ぶ。サブレはそんな彼を見て、静かに笑う。
「所詮、これほどの強さだったというだけの話だ。結局俺は、どこまでも、人の為に、生きれなかった。今、せめて出来ることは、巻き添えになる人間を、減らすこと、だ」
彼の、もう渦に飲まれかけているもう片方の目が諦めを語っている。
「俺の、話を、最後まで聞いてくれたのは、お前が始めて、だった。自分の内側を、やっと人に話すことができた。そして、それがお前で、俺はとても幸せだった」
「今死ぬみてえなこと言いやがってよ!最後まで足掻けよ!!お前みてえな奴はまだ死んじゃいけねえ!!俺がどうなっても生かしたるから、絶対に今死ぬことなんて考えるな!絶対にだ!!!!」
「でも、もう無理だ…」
「〈八閃交差〉!!!!」
魔素濃縮率最大で放たれる攻撃も、渦を止めるには至らない。もう無理だ。俺を渦の中で固定してあいつを弾き出すしか…と思った時、剣の柄が詠次を横へ突き飛ばした。
「じゃあ、な。短い時間だが、楽しかった」
サブレは剣柄を握っていた左手を振り、穏やかな笑顔を浮かべる。
「馬鹿野郎!!!」
彼はよろよろと走り出したが、もう遅かった。顔が渦の中に完全に吸い込まれ、左手も追って消える。それを見た詠次は足を止め、握っていた鉄糸を力なく落とす。
「…」
「サブレ…」
「〈ガブリスティア・バースト〉!!」
その瞬間、目の前の空間が闇に包まれ、全ての事象が停止する。渦も止まり、落ちている鉄糸が空中に静止した。
そして、その空間の中で、一人だけ動いている人間がいた。
ジュリアであった。
「やってみる価値もあるもんだな!!!まさか俺がこれを使えるほど体力が残っていたとはなあ!?自分でもびっくりだぜ!!ガハハハハ!!!!」
ジュリアは一人だけの空間で暫く大笑いした後、自分の四肢の中で最後に残った左手でナイフを取り出す。
それは特殊な装飾がされた銀のナイフであった。不思議なことに、それは錆びているが、触れるだけで彼女の髪の毛が切れるほど鋭利であった。
彼女はナイフの柄に書かれた文を見る。
「えーと?昔、神へ心臓を差し出すはずの少女が儀式から逃げ出した。神はとても怒り、早速彼女を捕まえることにした。しかし儀式以外で彼女が死なぬよう、心臓以外の彼女の体に加護を…やーめた。俺がこれをやったのは、こんなゲテモノ文章を朗読するためじゃねえんだ…」
ジュリアは上を見て怒鳴る。
「おいバカ神。聞こえてるか?
俺は禁忌呪文〈天秤〉を利用する。対象はこの場にいる王冠被った奴以外の全ての人間!間違えるなよ?そう、俺もだ。俺も含めてさっきの奴ら以外の全生命力を平均化し、今ある魔法を全部打ち消せ!俺はウェイターじゃねえからご注文はもう1度繰り返さねえぞ。分かったか!」
しかし、彼女の答えに応じるものは居ない。彼女は呆れ顔でナイフを口に咥えた。
「はっはく、いふもせっかひなやふはな」
次の瞬間、ジュリアは頭を思い切り左下に倒す。ナイフの刃が彼女の左腕から肩の部分にかけて深く食い込み、大量の血が噴出した。
「んぐんふふ…ふんんひひ…」
彼女は苦しみながらも何度も何度も頭を倒す。左腕の骨が徐々にガッ、バキッという音とともに割れていき、完全に折れる。彼女の左肩から先は筋繊維が露出していき、とうとう左腕と胴体を繋ぐものは皮一枚だけなってしまった。
「痛だあああぁぁぁぁぁ!!!!」
その最後の皮を引き裂いた後、彼女はナイフを口から落として絶叫する。不思議なことに、切り落とされたはずの左腕は元の場所の少し下に静止したままだった。
「…っかあ…はあ…痛ぇ…痛ぇよ…」
彼女は息切れし、自分の左下を見つめた。腕が不自然に止まっている。禁忌魔法の代償として、彼女の左腕が捧げられたのだ。
「かはっ…やってくれっか…そりゃ良かった」
彼女の左腕だったものが光りだす。もう四肢が無くなり、半分潰れただるまの様になってしまったジュリアが、片目をギラギラさせながら再び天井を向いた。
「お前ら!!!!最高級のアルビノ様の左腕だ!!!!有り難く受け取れよ!!!!!!」
「「「【天秤】!!!」」」
暗転した空間が徐々に明るくなり、眩い光とともに時が再び動き出す。彼女は先程の痛みなどとうに忘れたかのように笑いながら、過ぎ去る時間を見送っていた。
「…?」
詠次がふと気付いた時、そこには先程とは全く違う光景が拡がっていた。
呆然と立ち尽くす男、倒れ込むサブレ、心なしか疲れた体、そして、渦の消滅。
「…」
「あれか」
彼は同じ感覚を何度か味わったことがあった。彼女の方をちらりと見ると、ニヤリとしながらこちらを見つめ返してきた。しかし、かなり衰弱しているように見える。心臓が止まる前に仕留めなければならない。
サブレは顔と足に大きな傷を負ってはいるものの、致命傷はなさそうだ。ただ、もう戦えそうではない。
「…やることは一つか」
この異様な光景にすぐに順応し、目の前の人間に鎌を振り下ろす男。
「〈黒鉄格子〉」
網目状の鉄が鎌を妨害する。勿論前回と同じくすぐきり裂けてしまうのだが、今回は耐久力はあまり必要としていなかった。
詠次は〈黒鉄格子〉の予備動作をわざと遅く実行、それに気付いた男が対処に気を使っているうちにサブレの元に近付き、自分の左手と彼の右手を、鉄糸で拘束したのであった。
「…?」サブレはきょとんとする。何がしたいのか良く分かっていないらしい。
「…掴まってろ」
詠次はそれだけ言うと右手で鉄糸を奥の壁へ射出した。糸の片方は壁に埋まり、しっかりと固定される。
「了解」
その瞬間、詠次は鉄糸を思い切り引っ張った。普段に比べて滑らかなその糸は弾性を働かせ、二人を壁の方まで飛ばした。
「逃がさん」
それに男が反応し、髪を荒立たせて追い掛ける。瞬間移動と斬撃を駆使して2人を撃墜しようと試みるが、サブレの剣がそれを的確に弾き、ひたすらに逃げの姿勢を貫く。
「…!」
『有効半径まで残り100m!』
マルルは爆弾までの距離カウントを始めた。
「分かった。俺たちへの爆発の影響は心配しなくてええ。いつも通り済ます」
『分かっています』
『残り80m!』
壁際に追い詰めたいと思ったのか、男は角度を変えて急接近する。まさに爆弾の方向だった。
「まだまだやで!」詠次が2本目の鉄糸を壁に差し、更に正確な誘導を行う。
『残り50m!』
マルルが叫ぶ。久しぶりの緊張。この機会を逃したら、状況的にもう勝ち目はない。
モニターにも爆破のカウントと警告が表示され、赤い丸で囲まれた区域が正確に表示された。
『あと30m!!』
「〈転移〉」
突如目の前に現れた男。詠次を両断しようと鎌を斜めに振るう。そこで詠次は腕を縛っていた鉄糸を軌道上に差し出した。糸は切れ、サブレと詠次の距離は離れていく。
「サブレ!一撃をお見舞いしてやれ!」
サブレは着地した地面を勢い良く蹴り、剣を変型させる。
「〈ユリアブレイド〉」
鎌を振り下ろし、空中に舞っている男にそれを防ぐ手段は無かった。男は前方の地面へと叩きつけられ、いくらか飛んで止まった。
マルルの画面が警報を発した。
『有効半径に到達!爆破3秒前、3、2、…』
終わった。詠次はサブレと自分を爆発耐性の高い鋼鉄で覆う。これで、長い戦いが終わる。そう思った時、
「〈転移〉」
悪魔の声が聞こえた。こいつ、爆発半径から離れる気だ。
しかし、もうどうすることも出来ない。俺達は失敗した…
頭を絶望と恐怖で満たしたまま、詠次の姿は覆われて見えなくなった。
「〈転移〉」
時を同じくして、爆弾があることに気が付いた男は、爆風から逃れようと魔法を行使した。
『青い…白い…爆弾…』
彼はまさにその爆弾を見つけたのだ。彼は瞬時に青と白のそれから距離を取り、マルルから丁度100メートル程の場所に瞬間移動する。
「…」
終わりだ。私の勝ちだ。彼らはもう、何も出来ないだろう。
悲惨な結末を辿ったファウンネルの歴史は、私一人の手で、この魔窟から、新たに紡がれるのだ。
誰もが不当に虐げられることのない世界を、力が足りない人間を力あるものが助ける社会を、私が作っていくのだ。
その時だった。彼の足元でコン、という音が響く。よく見てみると、それは岩ではない。四角い、迷彩柄の、赤いランプの付いた…
…
「武力をもってせずに、私の理念は実現されるべきだったのかもしれないな」
爆発。この世の終わりとも思える轟音が鳴り響く。魔窟の天井が砕けて落ち、更なる地響きをもたらす。大広間と呼ばれていたこの巨大な空間が大量の煙と共に一瞬にして岩石で埋まっていく。火柱はその先、第二階層の床すらも突き破り、あらゆるものを破壊した。
「ふう」
安全な窪みにいるマルルの横には死んだはずだった2人と魔法使い、あと四肢を欠損した少女の姿があった。
「…〈ヒール〉」
「すまん、そんなのは効かねえんだ。…またヴィレーに頼むしかないな」
マルルは何も言わずに、電源が残っているか分からない通信機の発信ボタンを押した。
『こちら第三階層。制圧作戦を完了しました』
あの気高き男の夢は、たった一度の間違いによって、跡形も無く姿を消したのであった。
王冠を被った男はそう言い、剣を下に突き刺す。
周囲の地面が青白色に発光し、冷気を纏った鋭い氷の結晶の数々が地面から突出した。
「うがっ…」
「〈黒鉄格子〉!」
打ち上げられるサブレ。詠次は咄嗟の判断で避け、網目状の鉄を斜め上に射出する。障害物の多い中でも彼の目は正確に男の手元を捉え、サブレに追撃を浴びせようとする男の剣を弾き返すことに成功した。
即座に地上で受け身を取ったサブレもまた大剣を握り締め、反撃に応じる。
「〈レプトソード〉」
魔力を帯びた鋭利な刃が彼の跳躍と共に縦に振り下ろされ、男の体に直撃した。男はよろめき、切られた傷口を苦しそうに抑え込む。
しかし、髪で隠された顔は笑っていた。
「素晴らしい力だ。私が力を行使するに値する」
「…!?」
「サブレ!離れろ!」
男は剣を空中に放り投げた。剣は重力に逆らって上昇し、一定の高さで停止した。
「…」
「古の王国より蘇りし死の鎌よ、顕現せよ」
王冠の男の言葉に応じ、眩しい青色の閃光が剣に降り注ぐ。その輝きの中で、剣のシルエットは剣の持つそれから完全に逸脱し、新たな武器、鎌のようなものへと変貌していく。
歪な黒い武器。長く伸びる鎌のような刃の下からは濁った青色をした魔力が漏れ続け、男に降り注ぐ。変型を終え、ゆっくりと落ちてくるその禍々しい武器を男は掴み取った。それと同時に、男の虚無を見る様な目もまた、降り注ぐ光と同じ色を纏った。
「さあ、本番の始まりだ」
しかしであった。彼がその言葉を言い終わる寸前、不意に体が浮き上がる感覚を覚えたのである。
「…」
耳に反響する爆音。目の前が暗くなり、キーンという音とともに自分の身体の不自由を認識する。
仰け反る寸前に彼が視界の遠くで目にしたのは、血と土で汚れた、あの狐の姿だった。
「爆弾の準備が整いました。支援に入ります!」
マルルは手に持ったガラス瓶から碁石とほぼ同じ大きさの白い物体を十個ほど掴み、大きく腕を振って放り投げる。彼女の手を飛び出したそれらは美しい円弧を描きながら宙を舞い、対象付近の地面に衝突する。その瞬間、その小ささからは想像が付かない程の爆風が連続して巻き起こり、男を魔素が希薄になった魔窟の地面ごと抉る。彼女はそれを何度も繰り返した。
「おお!!やるやん!」
「…凄い」
サブレが驚きのため息を付く。自分たちが奮闘してもびくともしなかったあの男の金属装甲が、彼女の爆撃でたちまち粉砕されていく。爆心地から半径10メートルほどの地面が爆風で消し飛ばされ、大きなクレーターを作っていた。
「…」
一方的な爆弾の雨を受けながら男は唸る。まずい。このままだと死んでしまう。何か策を講じなければ。
「〈精霊の盾〉!!!」
男は苦しみながらも魔法陣を天に向ける。暗い天井から目の前に神聖な光が差し、黄と白の障壁を作る。壁は爆撃を防ぎ、男はその隙に体勢を立て直した。
「お願い!」
「俺たちの出番や!行くでサブレ!」
「分かった」
下がっていた二人は同時に駆け出し、彼女の元へ接近する男に接近戦を仕掛ける。
「〈ユリアブレイド〉」
跳躍して放たれる重い一撃が火花を散らす。男は鎌を剣に合わせ防御を取った。
「〈鋼刺〉」
そこに放たれるは音速の鉄糸。しかし男は剣に応対しながらもそれを余裕で回避し、目の前の鎌に力を加える。
「…!」
「ふんっ」
サブレの剣が弾かれる。優勢を取った男は鎌を上下左右に振り回し、広範囲の斬撃を連続して行う。横から放たれる鉄糸の束もまるで鋏にかかった絹糸のようにぷつぷつと切られ、意味を成さない。
「〈転移〉」
男が予備動作もなく瞬間移動し、詠次の前に現れて斬撃を与える。詠次はすぐさま自分を囲うように糸を張り巡らすも遅く、左足の太腿辺りに深い切リ傷が出来る。
「チッ…めんどいやつやのう」
「〈ファウンナイズ・グラビティアクス〉」
男の目がより一層輝き、魔力を纏った鎌が大きく振り被られる。詠次は勢い良く血が出る傷口を押さえつつ後ろに退避しようとした。そこでサブレが叫ぶ。
「下がるな!!飛び込め!!!」
声を聞いた詠次は鉄糸を前方の地面に向けて放ち、鉄糸を持ち打ち込まれた部分を軸にして円を描くように方向転換、瞬時に男の懐に潜り込む。その直後、彼は後ろで鎌が爆発とともに地面に突き刺さるのを聞いた。
そして、その大技で生まれた隙を付いてサブレがスライディング、男の無防備な足元を大剣で切り裂きながら詠次を相手の射程の外へと蹴り出す。
「ありがと!めっちゃ助かった!」
「総員退避!!」
後ろからの聞き慣れた声。詠次は転がりながら更に距離を取る。サブレもそのまま男の元を駆け抜けて撤退する。
弾けるような音と共に視界が真っ白になり、辺りに刺激臭が漂う。投げ込まれたのは閃光催涙弾。突然の目眩ましに男は驚き、目を押さえながらあてずっぽうに鎌を振り回す。
「目が…焼ける…」
「さて、準備しましょう」
命中を悟ったマルルはバッグから迷彩柄の大きな箱を取り出した。上部左側の蓋を取り外し、レバースイッチを上、下、上の順で切り替え爆弾本体の電源と安全装置を起動させる。続いて上部右側のカバーをスライド、現れた火力調整用のスイッチのうち上部から順に3つだけ押し込んで元に戻す。
側面左上の〈待機〉と書かれた箇所が赤く点灯したことを確認し、次にマルルは遠隔起爆装置を取り出す。左手周囲にある複雑な魔法陣を変化させ、装置、爆弾、バイタルを一斉に同期させる。
『信管の有効な反応を取得しました。遠隔操作に移行します』
合成音声が流れ、ランプが〈遠隔/準備完了〉に切り替わる。マルルはすぐにその爆弾を持って駆け出した。ここまで僅か30秒である。
「ぐ…まだだ…まだ私の野望は…」
男が混乱から立ち直り始めている。攻撃する隙を伺っていた詠次が焦りながら彼女の方を見る。
「おいまだかマルル!」
「待ってください。あと少しで完了します」
彼女は100メートルほど離れた場所に爆弾を設置した。もう左手にある魔法陣を解放すればいつでも起爆できる状態だ。
「…」マルルは元いた場所へ戻りながらジェスチャーで指示をした。そして、もう一つ持ってきた物を帰る途中で下に落とす。それを見て詠次は何かを察し、わざとらしく大声で喋った。
「了解!爆弾一つ、青と白のやつな!」
「〈ファウンナイズ・コラプション〉」
そして、ついに男が動き出す。鎌を地面に付け、上方向へと薙ぎ払った。空間が裂け、毒々しい波動の渦が全体を襲う。詠次、サブレは力を合わせ、これを持ち前の技で封じ込めようとする。
「っつ…なんだこれ…重い…」
「まだ…押し返せる…」
だが、渦は更に威力を増していく。鉄糸を腐食し、大剣の魔力すらも奪う底なしの魔法。鎌から引き出される恐ろしい力の体現だった。
「このままだとジリ貧や。一斉に抜けるぞ」
「うあっ」
サブレの手が中に引き込まれ、体が宙に浮く。
「おい!?」
サブレが渦に飲まれかけている。カッターナイフのような波動が飛び交う中に巻き込まれれば、彼の命は無い。
「〈鉄籠〉!!」
詠次がサブレの身体を覆うように鉄柵を展開し、マルルも渦の進行方向と反対方向に爆風を巻き起こそうとする。しかし魔力を吸収して強力になった渦の前では、そんなものなど無力であった。もう彼は顔の半分まで渦の中に入っていた。
「詠次…」
「詠次…俺を…置いて…逃げろ…」
薄れゆく意識の中、彼は呟く。
「何言っとるんか!意味分からんぞ!」
迫りくる渦の中、詠次は混乱と絶望で青ざめながら叫ぶ。サブレはそんな彼を見て、静かに笑う。
「所詮、これほどの強さだったというだけの話だ。結局俺は、どこまでも、人の為に、生きれなかった。今、せめて出来ることは、巻き添えになる人間を、減らすこと、だ」
彼の、もう渦に飲まれかけているもう片方の目が諦めを語っている。
「俺の、話を、最後まで聞いてくれたのは、お前が始めて、だった。自分の内側を、やっと人に話すことができた。そして、それがお前で、俺はとても幸せだった」
「今死ぬみてえなこと言いやがってよ!最後まで足掻けよ!!お前みてえな奴はまだ死んじゃいけねえ!!俺がどうなっても生かしたるから、絶対に今死ぬことなんて考えるな!絶対にだ!!!!」
「でも、もう無理だ…」
「〈八閃交差〉!!!!」
魔素濃縮率最大で放たれる攻撃も、渦を止めるには至らない。もう無理だ。俺を渦の中で固定してあいつを弾き出すしか…と思った時、剣の柄が詠次を横へ突き飛ばした。
「じゃあ、な。短い時間だが、楽しかった」
サブレは剣柄を握っていた左手を振り、穏やかな笑顔を浮かべる。
「馬鹿野郎!!!」
彼はよろよろと走り出したが、もう遅かった。顔が渦の中に完全に吸い込まれ、左手も追って消える。それを見た詠次は足を止め、握っていた鉄糸を力なく落とす。
「…」
「サブレ…」
「〈ガブリスティア・バースト〉!!」
その瞬間、目の前の空間が闇に包まれ、全ての事象が停止する。渦も止まり、落ちている鉄糸が空中に静止した。
そして、その空間の中で、一人だけ動いている人間がいた。
ジュリアであった。
「やってみる価値もあるもんだな!!!まさか俺がこれを使えるほど体力が残っていたとはなあ!?自分でもびっくりだぜ!!ガハハハハ!!!!」
ジュリアは一人だけの空間で暫く大笑いした後、自分の四肢の中で最後に残った左手でナイフを取り出す。
それは特殊な装飾がされた銀のナイフであった。不思議なことに、それは錆びているが、触れるだけで彼女の髪の毛が切れるほど鋭利であった。
彼女はナイフの柄に書かれた文を見る。
「えーと?昔、神へ心臓を差し出すはずの少女が儀式から逃げ出した。神はとても怒り、早速彼女を捕まえることにした。しかし儀式以外で彼女が死なぬよう、心臓以外の彼女の体に加護を…やーめた。俺がこれをやったのは、こんなゲテモノ文章を朗読するためじゃねえんだ…」
ジュリアは上を見て怒鳴る。
「おいバカ神。聞こえてるか?
俺は禁忌呪文〈天秤〉を利用する。対象はこの場にいる王冠被った奴以外の全ての人間!間違えるなよ?そう、俺もだ。俺も含めてさっきの奴ら以外の全生命力を平均化し、今ある魔法を全部打ち消せ!俺はウェイターじゃねえからご注文はもう1度繰り返さねえぞ。分かったか!」
しかし、彼女の答えに応じるものは居ない。彼女は呆れ顔でナイフを口に咥えた。
「はっはく、いふもせっかひなやふはな」
次の瞬間、ジュリアは頭を思い切り左下に倒す。ナイフの刃が彼女の左腕から肩の部分にかけて深く食い込み、大量の血が噴出した。
「んぐんふふ…ふんんひひ…」
彼女は苦しみながらも何度も何度も頭を倒す。左腕の骨が徐々にガッ、バキッという音とともに割れていき、完全に折れる。彼女の左肩から先は筋繊維が露出していき、とうとう左腕と胴体を繋ぐものは皮一枚だけなってしまった。
「痛だあああぁぁぁぁぁ!!!!」
その最後の皮を引き裂いた後、彼女はナイフを口から落として絶叫する。不思議なことに、切り落とされたはずの左腕は元の場所の少し下に静止したままだった。
「…っかあ…はあ…痛ぇ…痛ぇよ…」
彼女は息切れし、自分の左下を見つめた。腕が不自然に止まっている。禁忌魔法の代償として、彼女の左腕が捧げられたのだ。
「かはっ…やってくれっか…そりゃ良かった」
彼女の左腕だったものが光りだす。もう四肢が無くなり、半分潰れただるまの様になってしまったジュリアが、片目をギラギラさせながら再び天井を向いた。
「お前ら!!!!最高級のアルビノ様の左腕だ!!!!有り難く受け取れよ!!!!!!」
「「「【天秤】!!!」」」
暗転した空間が徐々に明るくなり、眩い光とともに時が再び動き出す。彼女は先程の痛みなどとうに忘れたかのように笑いながら、過ぎ去る時間を見送っていた。
「…?」
詠次がふと気付いた時、そこには先程とは全く違う光景が拡がっていた。
呆然と立ち尽くす男、倒れ込むサブレ、心なしか疲れた体、そして、渦の消滅。
「…」
「あれか」
彼は同じ感覚を何度か味わったことがあった。彼女の方をちらりと見ると、ニヤリとしながらこちらを見つめ返してきた。しかし、かなり衰弱しているように見える。心臓が止まる前に仕留めなければならない。
サブレは顔と足に大きな傷を負ってはいるものの、致命傷はなさそうだ。ただ、もう戦えそうではない。
「…やることは一つか」
この異様な光景にすぐに順応し、目の前の人間に鎌を振り下ろす男。
「〈黒鉄格子〉」
網目状の鉄が鎌を妨害する。勿論前回と同じくすぐきり裂けてしまうのだが、今回は耐久力はあまり必要としていなかった。
詠次は〈黒鉄格子〉の予備動作をわざと遅く実行、それに気付いた男が対処に気を使っているうちにサブレの元に近付き、自分の左手と彼の右手を、鉄糸で拘束したのであった。
「…?」サブレはきょとんとする。何がしたいのか良く分かっていないらしい。
「…掴まってろ」
詠次はそれだけ言うと右手で鉄糸を奥の壁へ射出した。糸の片方は壁に埋まり、しっかりと固定される。
「了解」
その瞬間、詠次は鉄糸を思い切り引っ張った。普段に比べて滑らかなその糸は弾性を働かせ、二人を壁の方まで飛ばした。
「逃がさん」
それに男が反応し、髪を荒立たせて追い掛ける。瞬間移動と斬撃を駆使して2人を撃墜しようと試みるが、サブレの剣がそれを的確に弾き、ひたすらに逃げの姿勢を貫く。
「…!」
『有効半径まで残り100m!』
マルルは爆弾までの距離カウントを始めた。
「分かった。俺たちへの爆発の影響は心配しなくてええ。いつも通り済ます」
『分かっています』
『残り80m!』
壁際に追い詰めたいと思ったのか、男は角度を変えて急接近する。まさに爆弾の方向だった。
「まだまだやで!」詠次が2本目の鉄糸を壁に差し、更に正確な誘導を行う。
『残り50m!』
マルルが叫ぶ。久しぶりの緊張。この機会を逃したら、状況的にもう勝ち目はない。
モニターにも爆破のカウントと警告が表示され、赤い丸で囲まれた区域が正確に表示された。
『あと30m!!』
「〈転移〉」
突如目の前に現れた男。詠次を両断しようと鎌を斜めに振るう。そこで詠次は腕を縛っていた鉄糸を軌道上に差し出した。糸は切れ、サブレと詠次の距離は離れていく。
「サブレ!一撃をお見舞いしてやれ!」
サブレは着地した地面を勢い良く蹴り、剣を変型させる。
「〈ユリアブレイド〉」
鎌を振り下ろし、空中に舞っている男にそれを防ぐ手段は無かった。男は前方の地面へと叩きつけられ、いくらか飛んで止まった。
マルルの画面が警報を発した。
『有効半径に到達!爆破3秒前、3、2、…』
終わった。詠次はサブレと自分を爆発耐性の高い鋼鉄で覆う。これで、長い戦いが終わる。そう思った時、
「〈転移〉」
悪魔の声が聞こえた。こいつ、爆発半径から離れる気だ。
しかし、もうどうすることも出来ない。俺達は失敗した…
頭を絶望と恐怖で満たしたまま、詠次の姿は覆われて見えなくなった。
「〈転移〉」
時を同じくして、爆弾があることに気が付いた男は、爆風から逃れようと魔法を行使した。
『青い…白い…爆弾…』
彼はまさにその爆弾を見つけたのだ。彼は瞬時に青と白のそれから距離を取り、マルルから丁度100メートル程の場所に瞬間移動する。
「…」
終わりだ。私の勝ちだ。彼らはもう、何も出来ないだろう。
悲惨な結末を辿ったファウンネルの歴史は、私一人の手で、この魔窟から、新たに紡がれるのだ。
誰もが不当に虐げられることのない世界を、力が足りない人間を力あるものが助ける社会を、私が作っていくのだ。
その時だった。彼の足元でコン、という音が響く。よく見てみると、それは岩ではない。四角い、迷彩柄の、赤いランプの付いた…
…
「武力をもってせずに、私の理念は実現されるべきだったのかもしれないな」
爆発。この世の終わりとも思える轟音が鳴り響く。魔窟の天井が砕けて落ち、更なる地響きをもたらす。大広間と呼ばれていたこの巨大な空間が大量の煙と共に一瞬にして岩石で埋まっていく。火柱はその先、第二階層の床すらも突き破り、あらゆるものを破壊した。
「ふう」
安全な窪みにいるマルルの横には死んだはずだった2人と魔法使い、あと四肢を欠損した少女の姿があった。
「…〈ヒール〉」
「すまん、そんなのは効かねえんだ。…またヴィレーに頼むしかないな」
マルルは何も言わずに、電源が残っているか分からない通信機の発信ボタンを押した。
『こちら第三階層。制圧作戦を完了しました』
あの気高き男の夢は、たった一度の間違いによって、跡形も無く姿を消したのであった。
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