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蒸発って消えてなくなるのではなく形を変えて存在する。
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蛙の子は蛙。
ならば、屑の子は屑。
ならば私の親は屑なのでしょうか。
私には親が3人います。母親と実の父親、育ての父親。
育ての父親は国家公務員として働いており、育ての父親が私の父親になってから、命の危機を感じるほどの貧困生活は送っていなかったと思っています。そこについては感謝しており、よくもまぁ、血の繋がりのない子どもを養ってくれていたなぁとも今では考えることができます。
それも私が少し大人になり、第三者視点という新たな目を手に入れたから考えられるのです。当時の私は育ての父親を「お酒を飲んで殴ってくる男」としか、見ていませんでした。
育ての父親は元来、真面目な男なのでしょう。仕事においても責任感を持ち、その役割をこなしていました。
ですが、お酒を飲むと心の中から傲慢の権化みたいな性格が現れます。酔った育ての父親は意味もなく食卓をひっくり返したり、理由なく当時小学生だった私をひたすら殴り続けました。
心の中で何度も何度も、そのお酒に飲まれた獣を殺しました。身体中の痛みから逃避するように妄想に飛び込み、妄想の中で包丁を握り締め、育ての父親を刺す。刺す。刺す。何度頭の中で殺しても、その男はニヤけた表情のまま私を殴ります。
身体の痛み何てものは大して気にならないのだとその頃に学びました。使い古された言葉ですが「心の痛み」というものは本当に厄介です。
「ああ、俺は要らないから殴られるんだ。俺が駄目なんだ」と、私は少しずつ自分を責めるように言い聞かせ、その理不尽を受け入れるようになっていきました。その理不尽の濁流を受け入れるたびに心に消えない恐怖が刻み込まれていくようでした。
今でも、父親が乗っていた原付の音に似たエンジン音を聞くと胸が苦しくなります。独りで居る時に誰かの足音が聞こえるの逃げ出したくなります。
屑な私の臆病でその場しのぎな性格はこの記憶から生まれているのかもしれません。
それでも、お酒を飲んでいない時の育ての父親は、キャッチボールをしてくれたり川に連れて行ってくれたりと父親らしい事もしてくれていました。
が、考えてください。どれだけ素晴らしい料理を作ってくれていても、途中で排泄物を混ぜられれば「排泄物入ってる」という感情しか湧かなくなるでしょう。
私にとっての排泄物は暴力と恐怖でした。
ありがとうございました。育ての父親。それでも貴方がいたから私は今まで生きてこれました。お酒を控えて、体調に気をつけ長生きをしてください。
私にとっての父親は貴方です。
では、父親でない父親。実の父親はどんな人間だったのか、少しだけ触れていきたいと思います。
私自身、実の父親の記憶はあまりありません。私が5歳の頃には蒸発していた、と母親から聞かされたことがあります。
実の父親の家庭は中流階級以上だったそうです。聞けば誰でも知っているような食品会社の役員を親に持った実の父親。甘やかされて育ったのでしょう、働くことがとても嫌いで、私の記憶にある限り正社員として働いてはいませんでした。
5歳の頃の記憶ですので多少曖昧ですが、カラオケ店のアルバイトを初めて3日で辞め、製麺所の配達のアルバイトに変えて週に4日ほど仕事に行っていたような気がします。もちろん視線は5歳児なのでその真偽は確かめようはありません。
ただし、飢えの記憶だけは確かにあります。
5歳、保育園に通っていた私は自宅で食事をすることが出来ずに、自宅近くの他人の家でおやつを貰って飢えをしのいでいました。
その記憶から考えられるのは、やはり実の父親はまともに働いておらず、我が家には食費すらなかったということです。
その当時、おやつをくれていたおじさん。名前も知らないおじさんですが、貴方がいなければ私は本当に死んでいたと思います。
では、当時母親は何をしていたのかと。気になる方もおられるかもしれません。その当時、既に母親は心を病んでおり、寝床から動くことが出来ませんでした。その原因は分かりませんが、実の父親が出ていくまで母親の元気な姿は見ていません。
そんな実の父親が、何故出て行ったのか。
これは完全なる母親の主観による説明なので、正しいかどうかは分かりませんが、私にとってこの話しか知らないのでこれが事実であろうとなかろうと真実です。
実の父親はお酒の飲めない人でした。ですが、周りの人間に勧められて少しずつ飲めるようになっていきました。お酒が飲めるようになると夜遊びがとても楽しくなったのでしょう、夜のお店に行くことが増えたそうです。
そんなある日、実の父親はフィリピンパブという、フィリピン人の女性が働く飲み屋に行ってみたそうです。そんなある日とは既に私が5歳になっているある日ですが。
実の父親は人目でフィリピン人の女性に恋をし、そのまま駆け落ち同然に出ていったとか。
そうです。実の父親は家族を捨てて、フィリピン人と生きています。
とても分かりやすい、お手本のような屑ですね。自分のまいた種が芽を出して蕾になったのにそのまま捨てて違う畑にまた種をまく。
私は5歳にして、人間とは簡単に人を裏切って消えていくものだと、言葉にならない感情で覚えました。
働かない、稼がない、浮気をして家族を捨てる父親の遺伝子を持った私は、暴力をふるい、自分の思い通りにならないものは認めない父親に育てられました。
踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。七転八倒。なんて言葉で表現すればいいのか分からないので、自分なりに表情してみます。
嘔吐物の排泄物ソースがけ。
それが私です。
馬で言えばサラブレッド。
どこまで走っても、ゴールは見えません。
ならば、屑の子は屑。
ならば私の親は屑なのでしょうか。
私には親が3人います。母親と実の父親、育ての父親。
育ての父親は国家公務員として働いており、育ての父親が私の父親になってから、命の危機を感じるほどの貧困生活は送っていなかったと思っています。そこについては感謝しており、よくもまぁ、血の繋がりのない子どもを養ってくれていたなぁとも今では考えることができます。
それも私が少し大人になり、第三者視点という新たな目を手に入れたから考えられるのです。当時の私は育ての父親を「お酒を飲んで殴ってくる男」としか、見ていませんでした。
育ての父親は元来、真面目な男なのでしょう。仕事においても責任感を持ち、その役割をこなしていました。
ですが、お酒を飲むと心の中から傲慢の権化みたいな性格が現れます。酔った育ての父親は意味もなく食卓をひっくり返したり、理由なく当時小学生だった私をひたすら殴り続けました。
心の中で何度も何度も、そのお酒に飲まれた獣を殺しました。身体中の痛みから逃避するように妄想に飛び込み、妄想の中で包丁を握り締め、育ての父親を刺す。刺す。刺す。何度頭の中で殺しても、その男はニヤけた表情のまま私を殴ります。
身体の痛み何てものは大して気にならないのだとその頃に学びました。使い古された言葉ですが「心の痛み」というものは本当に厄介です。
「ああ、俺は要らないから殴られるんだ。俺が駄目なんだ」と、私は少しずつ自分を責めるように言い聞かせ、その理不尽を受け入れるようになっていきました。その理不尽の濁流を受け入れるたびに心に消えない恐怖が刻み込まれていくようでした。
今でも、父親が乗っていた原付の音に似たエンジン音を聞くと胸が苦しくなります。独りで居る時に誰かの足音が聞こえるの逃げ出したくなります。
屑な私の臆病でその場しのぎな性格はこの記憶から生まれているのかもしれません。
それでも、お酒を飲んでいない時の育ての父親は、キャッチボールをしてくれたり川に連れて行ってくれたりと父親らしい事もしてくれていました。
が、考えてください。どれだけ素晴らしい料理を作ってくれていても、途中で排泄物を混ぜられれば「排泄物入ってる」という感情しか湧かなくなるでしょう。
私にとっての排泄物は暴力と恐怖でした。
ありがとうございました。育ての父親。それでも貴方がいたから私は今まで生きてこれました。お酒を控えて、体調に気をつけ長生きをしてください。
私にとっての父親は貴方です。
では、父親でない父親。実の父親はどんな人間だったのか、少しだけ触れていきたいと思います。
私自身、実の父親の記憶はあまりありません。私が5歳の頃には蒸発していた、と母親から聞かされたことがあります。
実の父親の家庭は中流階級以上だったそうです。聞けば誰でも知っているような食品会社の役員を親に持った実の父親。甘やかされて育ったのでしょう、働くことがとても嫌いで、私の記憶にある限り正社員として働いてはいませんでした。
5歳の頃の記憶ですので多少曖昧ですが、カラオケ店のアルバイトを初めて3日で辞め、製麺所の配達のアルバイトに変えて週に4日ほど仕事に行っていたような気がします。もちろん視線は5歳児なのでその真偽は確かめようはありません。
ただし、飢えの記憶だけは確かにあります。
5歳、保育園に通っていた私は自宅で食事をすることが出来ずに、自宅近くの他人の家でおやつを貰って飢えをしのいでいました。
その記憶から考えられるのは、やはり実の父親はまともに働いておらず、我が家には食費すらなかったということです。
その当時、おやつをくれていたおじさん。名前も知らないおじさんですが、貴方がいなければ私は本当に死んでいたと思います。
では、当時母親は何をしていたのかと。気になる方もおられるかもしれません。その当時、既に母親は心を病んでおり、寝床から動くことが出来ませんでした。その原因は分かりませんが、実の父親が出ていくまで母親の元気な姿は見ていません。
そんな実の父親が、何故出て行ったのか。
これは完全なる母親の主観による説明なので、正しいかどうかは分かりませんが、私にとってこの話しか知らないのでこれが事実であろうとなかろうと真実です。
実の父親はお酒の飲めない人でした。ですが、周りの人間に勧められて少しずつ飲めるようになっていきました。お酒が飲めるようになると夜遊びがとても楽しくなったのでしょう、夜のお店に行くことが増えたそうです。
そんなある日、実の父親はフィリピンパブという、フィリピン人の女性が働く飲み屋に行ってみたそうです。そんなある日とは既に私が5歳になっているある日ですが。
実の父親は人目でフィリピン人の女性に恋をし、そのまま駆け落ち同然に出ていったとか。
そうです。実の父親は家族を捨てて、フィリピン人と生きています。
とても分かりやすい、お手本のような屑ですね。自分のまいた種が芽を出して蕾になったのにそのまま捨てて違う畑にまた種をまく。
私は5歳にして、人間とは簡単に人を裏切って消えていくものだと、言葉にならない感情で覚えました。
働かない、稼がない、浮気をして家族を捨てる父親の遺伝子を持った私は、暴力をふるい、自分の思い通りにならないものは認めない父親に育てられました。
踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。七転八倒。なんて言葉で表現すればいいのか分からないので、自分なりに表情してみます。
嘔吐物の排泄物ソースがけ。
それが私です。
馬で言えばサラブレッド。
どこまで走っても、ゴールは見えません。
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