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46 マリウスの企み
しおりを挟むスタンレーは考えていた。
どうして自分はこんなにイライラしているのだろうか。
別にいつもとなんら変わらぬ日である。職務も訓練もいつも通り。言葉が話せないのはもどかしいが、今に始まったわけではない。
天気もよく、気温もほどほど。過ごしやすい日である。
「…………」
スタンレーは己の執務用の椅子に身を預けて窓の外を見た。空は雲ひとつない。鮮やかな青の天上に、スタンレーは苦々しい顔をした。
(のんきに晴れ渡りおって……忌々しい……)
まるで子供のような顔で、空にまで文句をつけて。そんな己の狭量にため息をつく。
(よい天気だ、が……)
物足りない。スタンレーは瞳を閉じて思った。己の中に空洞があるようで、どうにもスカスカと物悲しい。こんな日に、あの三毛猫のような娘が傍にいれば、きっと心も温まるだろうと──
「──は? 三毛猫?」
怪訝そうに眉を潜めるマリウスに、スタンレーがムッとしながら紙にペンを走らせる。
『ひよこ色、白、たぬき色』
「ぇ……難解……ちょ、意味分からないんですけど……誰?」
簡潔にも、正直奇妙な羅列である。マリウスがギョとすると、その執務机の上に、幼い手がヨジヨジと伸びてくる。
「アーこれはたぶんコニーたんのコトですヨ」
テーブルの上の紙を、背伸びをして覗き見たハルシロが、ニコニコしながら言う。と、マリウスが、尚更「はぁ⁉︎」という顔をして。スタンレーの表現能力のイマイチさに副官は眉間にシワを寄せる。が、スタンレーは、うむと重く頷いて。小さな理解者にニヤリと牙を見せて笑う。……そんな謎に通じ合っている二人を見たマリウスはぽかんとしたままである……。
「え……ひよこ……? 金髪、色白……ああ、あとは頬のアザの……いや、たぬき色って。どーいう感性ですか……」
マリウスがやっと理解したという顔をすると、いつも通りの太々しい顔でスタンレーがなんか文句あるかとジロリと副官を睨む。ひよこもたぬきも可愛らしいのに何が不満なんだと、憮然としたしっぽが床を苛立たしげに掃いた。
その様子を見たマリウスは、やれやれといった顔。
女の子を“三毛猫”とは。おまけにそれはおそらく彼の気になっている相手である。
マリウスは、彼にはもう少し女性の喜びそうな言葉を学んでもらわねばならないなと思った。
だが、まあ、その辺りの感覚は、獣人のスタンレーと、半分人族のマリウスとでは少し認識の違いがあるのかもしれない。現に、猫族のハルシロは嬉しそうである。
「アア、ミケたん(三毛さん)はキレイですよネー」
ぼくももう一色あれば、毛並みがはなやかだったかもーと、白黒ブチ猫のハルシロは、ほのぼの片言で言い、スタンレーをにこにこと見上げている。と、その笑顔を受けた狼族の男は謎にドヤ顔。
「…………」※マリウス
あ、やめようと青年はハッとする。この二人の感性に付き合っていたら日が暮れる。そのことに気がついたマリウスは、ちらりと慎重にスタンレーの様子を窺い、それから隣にいるハルシロの肩を指でつついた。
「?」
「……、……! ……!」
視線と指の動きで少年を急かすと、ぽやぁあん……と、していたハルシロが、「ああ!」と、破顔する。
そしてスタンレーに向き直った猫の従騎士は、満面の笑みで彼に呼びかけた。
「スタンレーたま」
「にゃ?」
「えーと、あのです、ネ……??? アレ? えーと……」
「?」
しかし。どうやらハルシロは。直前になって言うべきことを忘れてしまったらしい。少年は困ったような顔で首を傾げている。そんな少年の目が一瞬マリウスを見て、それから思い出そうと記憶を探るように上を向く。
それを見たスタンレーは……何やら仕込みっぽい気配を感じて疑わしげに目を細めてマリウスを見た。だが、目の前で一生懸命な従騎士を無下にもできない。そしらぬ顔でハルシロを「頑張れ!」と、応援しているマリウスを睨みつつ、男はハルシロの言葉を待った。すると、しばしうんうん唸っていたハルシロが、パッと顔を明るく輝かせた。
「……ア! そうだっタ!」
「……にゃあ」
何やら思いだせて嬉しそうな従騎士にやれやれと思いながらも、スタンレーはどうしたのだと少年を促す。と、ハルシロはくりくりした目で彼に言った。
「スタンレーたま? ジカク、とかいうモノが、タイセツだそうです」
「にゃ?」
少年のもったいぶった言い回しにスタンレーが不思議そうな顔をする。
あのですねと、ハルシロ。少年は分かっているのかいないのか……いやに真面目くさった顔をしていた。
「スタンレーたまは、コニーたんのことが好──」
き──……、と……
ハルシロの口は動いた。が、しかしそれは音となる前に、別の大きな音に遮られてしまった。
少年があどけない顔で言った言葉にかぶせられたのは、扉が開く音と、高い声。
「スタンレー様!」
「?」
ノックもなしにいきなり開けられた扉に、一同が一斉に振り返る。と──そこには女人が一人。
薄いスミレ色の清楚なドレス。栗色の髪。眉をしかめるスタンレーを見つめるのは、長い睫毛に彩られた愛らしい垂れ気味の瞳。乙女はにこにこと純真そうに微笑んで。しかし足はズカズカと、まっすぐスタンレーのほうへやってくる。その者は──……
マリウスが唖然とした。
「セ、セシリア・ティーグ嬢⁉︎」
「?」※ハルシロ
お久しぶりの御令嬢。唐突な可憐な乙女の登場に、マリウスが「この人またアポなしで……⁉︎」「いや! ていうかあの騒動の後でよくここへこられるな⁉︎」と、眉を吊り上げている。
──そんな彼の隣で……
彼女に言葉を遮られてしまったハルシロは、ぽかんと目を見開き、所在なさげに立ち尽くしている。彼に事を頼んだマリウスは、相変わらず可憐なフリして強引にスタンレーの傍へやってくるセシリアを制止するべく、慌ててそちらへ飛んで行ってしまった。ここは騎士団長の執務室。機密とてある。団長の副官としては当然の反応だ。が、ハルシロは困ってしまって──……
「えぇ……と」
──と。そんな少年の頭に、不意に大きな手がぽんぽんと乗せられた。
「ア……スタンレーたま……」
少年がちょっとびっくりしたように顔を上げる。と、机の向こうの椅子に座っていたはずのスタンレーが、いつの間にか彼のすぐ後ろに立っていた。
男はどこか憮然と少年を見下ろして。ハルシロの、困惑によって倒れてしまった耳と耳の間を無言でガシガシと撫でた。
すると、従騎士の顔にほわりと笑顔が戻る。少年は、物言わぬスタンレーの慰めを、なんとなく感じ取ったらしかった。
そうしてスタンレーは、ハルシロに誰か大人の猫族を連れてくるように言い、少年を部屋から退出させた。
セシリア・ティーグは少々厄介な相手だ。子供の彼に通訳を任せるのは忍びないと思ったらしい。
ハルシロの後ろ姿を見送ると、スタンレーはため息をついて。それから己の前で言い争っているマリウスとセシリア・ティーグ侯爵家令嬢へと視線をやった。
(やれやれ……あまり気乗りはしないが……)
とりあえずと、スタンレー。彼の従弟マリウスは、再三の注意にも関わらず、スタンレーに会いたいがため強引に執務室へ押し入って来ようとする令嬢への苛立ちと──何やら企みを邪魔されたこととで、すっかり気が立ってしまったらしい。止めてやらねばならなかった。
何せ、セシリア嬢は本当に、厄介な相手なのだから。
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