にゃんにゃん言ってもダメですよ騎士団長さま! 〜偏愛魔法薬師とワガママな狼の騎士〜

あきのみどり

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45 スタンレー、お預け中

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 ──コニーの作業場。

「………………」

 コニーは黙々と鉛筆を動かしていた。
 彼女に与えられた作業台の上には、おびただしい数の紙が散らばっている。卓上からこぼれ落ちたものは床の上にも広がって。その紙にはコニーが描いた呪い紋や、解呪計算式がびっしりと並んでいる。
 そこへ向かうコニーの真剣さには鬼気迫るものがあった。
 ──不測の事態があったとはいえ、これだけ納期に遅れを出してしまったのだから、せめて完璧な解呪薬を作り出さなくてはならない。コニーは幾度も計算をしなおし、それを目指す。
 頭には、スタンレーの言葉を取り戻すこと、それだけしかなかった。


    * * *


 あれから。
 ずっとスタンレーの機嫌が悪い。
 彼の執務室。
 ムスッとした男の手元には、コニーの健康観察報告書だけが増えていく。男はそれを、耳をぺったり倒して忌々しげに見て。しかし内容にはきっちり目を通し……それからその、彼にとって複雑な感情を呼び起こす紙を。無言で──……机の引き出しにそっとしまうのだった。

「…………」

 机に座って仕事をしながら、時折イライラした様子でその引き出しのほうへ視線をやるスタンレーを見て。執務室の戸口でマリウスがぼやいた。

「やれやれ……見事なお預け状態だな……」
「“待て”ですね」

 冷静な顔で言うフランソワにマリウスが「ホントやめて」と懇願する。

「ただでさえイラついているから、今下手なこと言うとまたスタンレー様がにゃーにゃー言い出すから……」
「はあ……でもまだ四日目ですよ?」

 はい、と、マリウスに本日分の報告書を差し出すフランソワ。それを見て、マリウスが渋い顔をした。ため息をこぼし、言う。

「いや、スタンレー様が四日って、かなり我慢してるほうだよ? それで……コニーちゃんはどう? まあ、報告書上は元気そうだけど」

 そう言って、マリウスは手渡された報告書に視線を落とす。フランソワは頷いた。

「はい、コニーさんは健康管理がんばってますよ。従騎士ぼくらもついてますし」
「へぇ」

 それはよかったとマリウスが微笑むと、フランソワも嬉しそうに、にっこり笑う。

「コニーさんの集中状態ってものすごくて……前は没頭すると声をかけても、肩を揺すっても、くすぐってもまったく聞こえてない様子だったんですけど……最近は、どんなに作業に没頭していても、『スタンレー様』って言うと、素直に従ってくれます」
「……へ、ぇ──……」

 従騎士の言葉に、マリウスのあいづちにわずかな戸惑いがにじむ。が、子熊の従騎士はそれには気がつかずにこにこと続ける。

「ひどい時はコニーさん廃人状態で困ってたんですけど……」
「廃人」
「『スタンレー様』って言うと、ピクッと手が止まるんですよねぇ。没頭してすべてをシャットアウトした脳みそにその言葉だけは届くみたいで。だから僕、今ではすごく上手にコニーさんを操れるようになりました」
「……操ってんの?」

 ──聞けば、作業をしていてもパッと道具から手を離すし、何か書いていても、ピタッと手が止まり無言で鉛筆を置く。どんなに上の空でも、スタンレーの名前を聞かせて、しっかりしないと団長が怒って突撃して来ますよと言ってやるとすぐにハッとして目の焦点が合うという。
 だから彼女の健康状態には問題はないと、嬉しそうに言うフランソワの言葉を聞いて。マリウスは、なんだかすごく微妙な心持ちだった。いろいろ残念女子なコニーもそうだが、フランソワのなにがしの恐ろしい片鱗を見た気がした。

「…………えっと……それで……解呪薬のほうは?」

 とりあえずいろんなものを飲み込んだマリウスがそう問うと、フランソワの顔が少し曇る。

「そっちは……まだ前処理段階です。前回の調合で使いきってしまった材料も多くて……発注し直したものがまだいくつか届いてないんです。……コニーさんは今できることはやり終えたみたいで、ものが届くまでは、もっと獣鳴病について研究すると言って……ずっと魔法書とか呪い紋と睨めっこしています」

 その様子は真剣すぎて、少し怖いくらいだとフランソワはため息をつく。
 それを聞いたマリウスは腕を組んで唸った。

「うーん……そうなると……コニーちゃんのほうに働きかけるのはやっぱり難しいか……」

 邪魔しても悪いしなぁと言うマリウスにフランソワが不思議そうな顔をする。

「? どういうことですか?」

 するとマリウスは手にした報告書をひらひらと揺らしながら、「コニーちゃんは頑固だから、こうなっちゃうとねぇ」と苦笑。いろいろあって、この副官は、頑固さで言えば、コニーがスタンレー以上に厄介だということを察している。

「多分、コニーちゃんはもう、解呪薬が出来上がるまではスタンレー様断ちをするつもりなんでしょ。最低でも、どこかで作業に一区切りがつくまでは作業場を出てこないんじゃないかな……」

 だが、あれだけ自分の生活習慣には無頓着そうだったコニーが、こうしてそれを改善してでもと作業に取り組んでいるところは評価できるところだ。邪魔するのは気が引ける。

「だから……現状を打開するなら、スタンレー様のほうからかなと」
「だかい……」
「そ。この期にスタンレー様の忍耐を養うのもいいんだけど……いっそ、一回スタンレー様に、『コニーちゃんはスタンレー様のことが好きなんですよ』って突きつけてみようか……いや、『スタンレー様はコニーちゃんが好きなんですよ』のほうが効くかな……」
「え……」

 思案するふうの副官に、フランソワが大丈夫なのかと驚いた顔をする。

「それ……いいんですか? そんな、マリウス様が勝手に……」

 と、半獣人の副官は、けろりとした顔で言う。

「あ、僕じゃなくて、ハルシロあたりから」
「ハルシロ?」

 途端に子熊の顔が冷たい表情になる。

「マリウス様……子供ぼくらを使おうって言うんですか⁉︎ ハルシロなんて、純粋なんですから悪用しないでください!」
「だってさ、僕が言ったって、スタンレー様は本気にしないような気がするんだよね……」※いつも散々からかっているから。

「マリウス様ぁ……」

 子熊は呆れ顔。が、マリウスはかなり本気のようだった。顎に指をかけ、物思いにふける。

「……ハルシロあたりが邪気なく言ったほうが、スタンレー様も信じてくれるような気がするんだよね……そもそも前回コニーちゃんが病気だってスタンレー様に信じこませたのもハルシロだし」
「…………」

 マリウスが言うと、フランソワがそうだったという渋い顔をする。
 前回、様子のおかしいコニーのことを、『コイトカヘントカ病』がどうだと言って、スタンレーに病だと信じこませたのは彼である。結果、スタンレーはコニーに給餌行動を行い、コニーは鼻血を出すに至った。
 ハルシロの邪気のない顔を思い出したフランソワが、頭を抱えてあーと呻く。そんな彼にマリウスは言った。

「おかげでスタンレー様とコニーちゃんの距離はぐっと近づいた気がするし……もう一回ハルシロパワーにあやかろうってのはかなりいい手な気がするんだよね!」

 と、フランソワがげんなりして言う。

「……なんでマリウス様はそんなに、二人をくっつけるのに積極的なんですか……」

 と、マリウスは肩を竦めて返す。

「そりゃあ……ほら、スタンレー様があの調子だし」

 ため息まじりに言われたフランソワが示されたほうを見ると、執務室の奥で机に着席した赤毛の狼族の獣人が、壮絶に彼らを睨みつけていた。──いや、彼らではなく、フランソワからマリウスに新たに渡された紙、コニーの報告書を睨んでいるのだ。それを確かめるように、マリウスが紙を左右に振ると、スタンレーの目もそれに合わせて動き──しまいにはグルルと唸る声。
 そんな団長を見たフランソワが思わず言う。

「……こわい」
「ね」

 マリウスも苦笑しながら頷く。
 つまり、この紙が提出される限りは、コニーはスタンレーに作業場へは来ないでほしいと言っているということ。それを突きつけられている短気なスタンレーが、いつ我慢の限界に達し。あの大きな執務机をちゃぶ台返しで吹っ飛ばすかと思うと……気が気ではないと、マリウスはやはり笑う。

「……ようするに僕はそろそろスタンレー様にも自覚してほしいわけ。あんなにイライラしておきながら、“待て”が利くって相当だよ⁉︎」
「たしかに……そうですね……スタンレー様ですもんね……」

 騎士団の職務を別にして言えば、子供よりも我慢しないのがスタンレーである。
 そのスタンレーがこんな紙切れ一枚で、あれ程我慢するなどということは、通常ではありえないことである。
 マリウスはやれやれという顔で笑い、傍らで難しい顔をしているフランソワの頭を撫でた。

「なんで自分がこんなにイラついてるのかって、そろそろ自覚してくれないと。分からないままだとずっとああやってイライラするんだろうし……放って置いてもあの人超絶鈍いから、延々気がつかない気もするし……鬱憤のため込み過ぎはこっちにも被害が出るっていうか……」
「はあ……(大人ってめんどうくさいなぁ……)」

 二人は揃ってため息をこぼすのだった。



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