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41 白い湯気
しおりを挟む「…………」
「…………」
コニーは息を殺していた。
ほとほとと顔から汗が流れ落ちる。
目の前のテーブルには温かい食事。パンにお粥に野菜。卵料理。いい香りだった。
しかし。それらの湯気がゆらゆらと立ち上り、消えて行く向こうに──据わった目で、こちらを見下ろしているスタンレーの顔が……。
何故だろう……スタンレーの顔はまるで監視者のように厳しい。その顔を見ていると、コニーの頭には止めどない不安が過ぎる。
(ど、どうなさったのかしら……え? もしかして……)
思い当たるのは、先ほどの作業場での一件だ。というかあれしかない。
そう思ったコニーの顔はまるで炎が灯ったように熱くなる。
先ほどのコニーの我を忘れた発言の数々──例えば『可愛い!』だとか……『好き!』だとか──
(う……)
思い出したら胃痛がひどくなってコニーは思わず、身を折った。そんなコニーをスタンレーは不審そうに見ていた。その顔を見て……コニーはすぐにでも消え入りたい気分で己の顔面を両手で覆った。
先ほど話を聞いてくれたマリウスは、スタンレーの気持ちは、ちゃんと本人に聞いてみてと言ってくれたのだが……。
こちらを厳しい眼差しで見下ろしてくるスタンレーを見ていると……聞かずとも、迷惑がられていることは分かりきっている気がして。コニーの意気地が挫けそうになる。
(そりゃあそうよ、あんな見っともない……)
突然目の前で叫んで梯子を転がり落ちるような女だ。おかしなやつと思われても当然だ。挙動不審、情緒不安定。変なやつだと思われるだけならマシだが、こんなやつには仕事は頼めんと断じられたらどうしようと、コニーはなんだか泣きたくなってきた。
そんなことになったら、解呪ができないばかりか──ただの町民のコニーは、もう騎士団長のスタンレーには、会うことも叶わないだろう。
(そ、そんなのは嫌だ……でも……スタンレー様が、あんまりにも可愛らしいからっ!)
耐えるのも難しいと苦悩したコニーは、やはり、もうあまりスタンレーを直視しないようにしたほうがいいのかしらと悩む。
スタンレーの凛々しい瞳。みっしり毛に覆われた分厚い三角の耳。首まわりの赤い飾り毛も豊かで。スタンレーは時々手入れを怠っているのか、時々ボサボサになっているのがまた可愛い。しかし、毛並みの手入れが雑な割に、騎士団の隊服はきちんと身に付けられていて、スマートで。その下に覗く、ふさふさのしっぽが最高である。赤毛の尾は感情に素直で、これまた可愛い。
要するに……
(……ダメだ……どこを見ても可愛い要素しかない‼︎ 辛い!)
一人悶絶するコニー。何故だろうか、スタンレーに対する己の状態が、さらに悪化している気がして。
これはダメだ、冷静でいようと思ったら、視界にすら入れられないと落胆する。どうしたらいいんだと縮こまるように身を小さくしてうつむいていると──低い声が聞こえた。
「……にゃん」
「あ」
呼ばれたような気がして。慌てて顔を上げる。と──彼女の向かい側に座ったスタンレーは、監視者のような顔でコニーを見つめていた。
「う……」
その厳しさに一瞬身を硬くしたコニーだったが──娘が再びうつむく前に、スタンレーがスッと腕を動かし、何かを指差した。
「……え……?」
示されたものを見て──コニーは戸惑う。
と、スタンレーはもう一度言った。
「にゃん」
「え? あの……パン、ですか? あ、お召し上がりになりますか?」
それはスタンレー達がコニーのために食堂から運んできてくれた夕餉の膳であった。どうやら彼も食事を取り損ねていたらしく、スタンレーの膳も一緒に並べられている。
それらを指差すスタンレーを見て、『食べたい』と言われたのかと思ったらしいコニーが、そのこんがり焼けたまるいパンを手に取り、おずおずと差し出した。と、
「にゃーんっ!」
「!」
途端、厳しい口調で鳴かれ、コニーがびくっと驚いた。それは、喧嘩中の猫がキャシャーと威嚇してくるようなテンションだった。カッと目を見開いて立ち上がったスタンレーに驚いて、思わずすみませんと小さく言い、怯えたように手を引っこめる娘に……スタンレーがもどかしげな顔をした。
「にゃんん!」
……そのイラついた鳴き声を聞いた周囲の者達は、多分あれは……「ええい! ややこしい!」とでも言ったんだろうなぁと、察した。多分それは、目の前の娘に対してではなく、己の喋れぬ口に対して。
が、不安に駆られ、空気を先読みしすぎるコニーは、スタンレーを怒らせてしまっただろうかと怯えている。その青白い顔を見て、スタンレーは考えた。
このままではちっとも彼の真意が伝わらぬばかりか、コニーは萎縮して行くばかりだ。
長テーブルの前に仁王立ちしたスタンレーは考えて──……
「……」
不意に、その手がテーブル上のスプーンをガシッと掴む。
その勢いに驚いたらしいコニーが、ビクッと身を震わせたが──その間に、スタンレーのもう片方の手は粥の入った椀を掴む。──コニーの膳に置いてあったほうの椀を。
「にゃ」
「え」
椀の中身をすくい取って、差し出されるスプーンの丸みを見つめ、コニーの目が点になる。
突き出された小さな銀のくぼみには、白い熱そうな物体が……。
「……え?」
コニーは……いきなり宇宙に放り出されたように意味が分からなくなった。
と、活気よくふわふわと立ち上る湯気に気がついて、スタンレーがスプーンを己の口に持って行く。それを見たコニーは。あ、やっぱり、そうよね、ご自分でお食べになるためだったのよねと、ホッとした。びっくりした、だって今の仕草だと、私に食べろって言っているように──……と、心の中で思っていると……。
スタンレーが、スプーンですくった粥に、ふーふーと息を吹きかけはじめた。ハッとしたコニー。もしや猫舌……? ……などとドキッとしていると。
「え……?」
何故か──そのスプーンが、Uターンしてきたのだ。コニーの前に。
「あ、の……?」
唖然としてスタンレーを見ると、騎士団長は、叱るような顔でこちらを見ていた。そして一言。
「にゃん」
それは──もう……間違いようもなく。
コニーに、『食べろ』と、言っていた。
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