にゃんにゃん言ってもダメですよ騎士団長さま! 〜偏愛魔法薬師とワガママな狼の騎士〜

あきのみどり

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39 副官とコニー

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「つまり……」

 と、言ったのはマリウスだった。
 彼の視線の先には長椅子に腰掛けたコニー。作業場は静かで、他の者の姿は見当たらない。
 コニーは青い顔で、膝に両手をついて項垂れている。
 顔ににじむ疲労感の半分以上は、おそらく興奮しすぎのせいだとは思うが……げっそりした顔で必要以上に身を縮こまらせて神妙に座る様子は、まるで取り調べを受ける罪人のようだった。
 娘の大袈裟さな落ち込みように、実はマリウスが密かに笑いを噛み殺しているが、後悔することに忙しい娘が気がつく様子はない。それだけ彼女にとっては、今回のことが大事(おおごと)であったということなのだろう。
 少々気の毒に思いつつも、マリウスは続ける。

「コニーちゃんは──スタンレー様に目の前でにゃんにゃん鳴かれると、叫びだしそうだと思って、スタンレー様にあっちへ行けだなんて言ってたの?」
「ぅ……」

 彼が問うと、テーブルを見下ろして後悔に暮れていたコニーが、「ち……違うんです……」と、弱々しく手のひらを挙げた。
 マリウスに向けられた顔は萎れている。そうなると、もともと気の優しそうな容姿のコニーは、余計に気弱に見えて、まるで何かの小動物でも相手にしているようだとマリウスは思った。

「あ、あっちに行けだなんて……ただ……あん、あんなにお顔を近づけられると……可愛すぎて自我が破裂して理性が吹き飛ぶっていいますか……」
「自我が破裂……」
「だって! スタンレー様があんまりにも愛くるしい声でお鳴きになるから……!」

 ここですよ⁉︎ ここ! ここで直視させられたんです! ──と、主張するコニーは、己の目の前の何もない空間を手のひらで示している。それから、その時のことを思い出したのか瞬間的に真っ赤になり──彼女は、わっとテーブルに勢いよく伏せった。その拍子に頭をどこかにぶつけたのか、ゴンッと鈍い音。
 微妙そうな顔のマリウスは、「愛くるしい……?」と、呆れを滲ませそれを眺めていた。

「可愛いは罪です!」
「……俺はあれ見ても爆笑しか出てこないけどねぇ」

 罪深いほど可愛くは見えなかったがとマリウス。
 彼からすれば、呪いについて心配はすれど、従兄が『にゃーにゃー』鳴いているのは、普段スタンレーが偉そうにふんぞりかえっているだけに愉快極まりない。もちろん心配はしている。ただ──指差して笑ってからかってやりたい感情のほうが勝る。

(ま、それはさて置き……)

 そもそもとマリウスは、テーブルの上で呻いているコニーを見下ろす。
 スタンレーは鳴き声は変化したが、実は声質はほとんど変わっていない。
 子猫のように『にゃあ』と、高い可愛らしい声で鳴いているのならまだしも、スタンレーの、あの低音の『にゃあ』を聞いて、よくもまあ『愛くるしい』などという感想を持てるものだ。
 やれやれと青年は肩を竦める。

(……それもこれも恋のなせる技、なんだろうねぇ……)

 コニーはしょんぼりと言った。

「あんなにお傍にいたのに事態を防ぐことができなかったのが申し訳なくて……しかもその原因は私の鼻血です……なんて情けない……呆れてものが言えません! あれさえなければもう少し素早く動けたはずなんです。それなのに……スタンレー様がお困りの姿が死ぬほど可愛いなんて……口が裂けても言えないと、思ったんです……」

 コニーの声はだんだん消え細っていく。大体の予想がついていたマリウスが苦笑しながら頷くと、コニーがガックリと頭を落とす。

「不甲斐ないです! あんな醜態をスタンレー様にお見せしてしまうなんて……子供たちだっていたっていうのに……」

 嘆くコニーを、マリウスは、まあまあとなだめる。

「大丈夫だって。ハルシロは何も分かってなさそうだし、フランソワは優しいから(なま)温かく見守ってくれるよ。スタンレー様も戸惑ってはいるだろうけど、ま、あの人もそんなに繊細じゃないから」

 薄い唇を弓形にして笑う副官に、それでもコニーは恥ずかしさを拭えないらしい。縮こまった姿がなんとも可愛らしくて、マリウスは再び笑いを堪える。

「私……自分が一番スタンレー様のそばにいてはいけない人種のような気がして来ました……自分の不手際でスタンレー様にあのようなご不便を強いているというのに……可愛いなんて言ってしまったら不快な思いをさせてしまうから、絶対に気持ちを制御しようと決意していたんです」

 それが……と、コニーは見下ろした両手を戦慄かせている。

「耐えられなかったばかりか……あろうことか、梯子を転がり落ちるほどに身悶えするなんて……しかもご本人の前でです! おまけに助けてまでいただいて……ご迷惑ばかりかけて情けない! あれでは私……変態です!」
「変態……」

 青ざめた娘は呻き震えながら悲しみに暮れている。
 思い詰めているらしい娘に、マリウスは笑いを納める。

「うーん……でも……仕方がないんじゃない? だって、コニーちゃん、スタンレー様のことがすごく好きなんでしょう? そんなものじゃない? 恋なんて。少しくらい頭のネジが惚け緩んでも仕方ないと思う。あと付け加えると、昼間の一件は君のせいじゃないよ」

 マリウスはそう言った。
 昼間スタンレーの呪いに無茶をして複雑化させたのは、あの男性魔法使いであり、彼を連れてきた令嬢だ。それを防げなかったからといって、その責任がコニーにあるとは言い難い。
 さっぱりと判じた青年の顔をコニーが少し戸惑った目で見上げる。と、マリウスはそれにと、穏やかな顔をする。

「迷惑かけたくないからとか、恥ずかしいから会えないとか言うのもなし、ね? スタンレー様もそんなことは望んでいないよ、きっと」
「でも……」

 私、変態じみているんですけど……と自らを言うコニーを笑い。マリウスは年上らしい顔で、テーブルを挟んだ向こうから己を見上げるその娘の額に手を伸ばして。うなだれたり頭を抱えたりして乱れた前髪を整えてやる。

「あ……」

 コニーが少し驚いた顔をした。が、マリウスの手つきは優しい。

「……快も不快も交流しなきゃ生まれないよ? 好きも嫌いも出会ってこそでしょ? それに君が変態じみてるって言うそれは、他の人──スタンレー様にとっては違うかもしれない。その君の熱狂ぶりをスタンレー様が『迷惑だ』って言ったの?」
「それは……直接うかがっては……」

 マリウスの諭す言葉にコニーは戸惑う様子を見せた。
 ──確かに。今回の件でスタンレーがコニーに迷惑そうな顔をしたということは全くなかった。
 険しい顔は見た。でもそれは、多分、コニーを心配してのことだ。

(あ……そっか……私……)

 ふとコニーは気がついた。
 ただ、自分は怖かったのだと。スタンレーに、『迷惑だ』と言われるのが。
 もちろん、スタンレーに可愛いなんて言えば気にするだろうと思ったのも本当だ。だから顔を合わせてはいけないと思った。顔を見てしまえば、今は、彼の一挙一動が、すべてが煌めいて見えていて。気持ちが溢れて。──そんな自分を見られて、気持ち悪がられて嫌われるのが怖かった。
 ……これまで。
 町ではいろんな人間が、コニーが何もしていないうちから、顔の大きなアザを見て『気持ち悪い』などと言い、近づくと迷惑そうな顔をした。
 スタンレーに同じように思われたらと──どこかで思ったのかもしれない。
 それで、何も言われないうちから、予防線を張ってしまった。彼らは心配してくれたのに。

「…………」

 コニーが考え込むと、目の前の青年は軽やかに笑う。

「一回聞いてみなよ。心配するのはそれからでいいんじゃない?」
「………………はい」

 まだ迷いはあったが、コニーは素直に頷いた。
 それを見たマリウスも表情を和らげる。そんな青年に、コニーは恥ずかしそうに礼を言った。

「ありがとうございます、マリウス様。あの、すみません心配をおかけして……」
「ううん、僕らも君にはお世話になってるしね」
「私、スタンレー様にも、お礼と謝罪をちゃんとしてきます」

 迷惑か迷惑でないかよりも先に、それが必要だと思った。
 コニーがそう言うと、マリウスが微笑んで頷いてくれて。そんな騎士に、コニーはなんとなくホッとして。
 さすが騎士様ともなるとお若くても落ち着いていらっしゃるなぁと思って──

「……あれ?」

 ふと、コニーの顔が怪訝そうに固まる。
 それに気がついて、マリウスが不思議そうな顔をした。

「どうかした?」
「…………あ、れ? あら……? あ……の……マリウス様……」
「ん?」
「あの……私……マリウス様に……私が……スタンレー様を、お、お慕いしているなんて……打ち明けたり……しま、した……っけ?」

 先ほど、彼がやけに確信的に、『コニーちゃん、スタンレー様のことがすごく好きなんでしょう?』と、言ったことを思い出して……コニーの顔に朱が走り、ひきつり、うっすらと汗が滲む。
 ──と、その問いに、マリウスが、眉間にシワを寄せる。

「え……? …………今、頃……?」
「⁉︎」

 マリウスの反応に──コニーがギョッとする。

「え⁉︎」

 汗が次から次へと顔を滴り落ちていく。そんな娘に、だって、とマリウスが訝しげな顔をする。

「だって……コニーちゃん、君、さっきスタンレー様にも……大声で、『好き!』て、言ってた、よね?」
「ひっ⁉︎」

 確認するように問われ──
 いや、あれは言ってたというか叫んでたよね? と、言われ──……
 その瞬間──……

 コニーの顔が蒼白になった。

 そのまま──気が遠のいたように後ろ向きに長椅子に倒れていった娘。──を、見て、マリウスは思った。

「…………あれ──無意識だったの……?」


 ──確かに、自我は破裂してたらしい。
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